8月某日、季節は夏。中学生3年生になり絶賛受験勉強中の澤梓(さわあずさ)は、暫しの息抜きにと、自宅のリビングのソファーに弟と並んで座り、テレビを見ていた。
「いよいよ始まるね~。茨城代表、今年はいいとこまでいけるかな?」
「どうだろうね。この試合勝っても次はたぶん春のセンバツ準優勝校だし、難しいんじゃねーの?」
そう、夏の甲子園である。
梓が高校野球に興味を持ち始めたのは、1歳年下の弟の影響だった。地元のソフトボールチームに入団した弟は、中学生になると迷わず野球部に入部。現在2年生の彼は、3年生が夏の大会で負けて引退した今、新チームのキャプテンに抜擢されていた。ちなみにポジションはピッチャーである。
幼い頃から弟の応援をしていた梓もまた、自分でプレーすることは無いにしろ、やはり野球というスポーツが好きだった。自分と同じくらいの年の子供達が見せる一生懸命な姿が、自分に大きな力を与えてくれるような気がした。もちろん毎年春と夏に行われる全国高校野球大会は欠かさずチェックしており、今では立派な高校野球ファンとなっていた。
そして今日は大会2日目、茨城県代表校の初戦である。
「そういえば姉ちゃん、今年は1年生が1人ベンチ入りしてるんだってさ、ピッチャーで」
「へぇ~、珍しいね。高校に入ったばっかりなのにすごい球投げるのかなぁ」
実際、高校に入学したばかりの1年生が夏の大会でベンチ入り、それも甲子園でというのは、本当に稀なケースである。それだけその実力を買われているのだろう。
試合は中盤に差し掛かり、茨城代表は3点差でリードを許していた。点が取れていない訳では無いのだが、どうも先発ピッチャーの調子がイマイチのようだ。
「………ちょっとやなムードだね」
「だね。もう6回なのに明らかに腕が振れてないし、俺が監督ならそろそろ……」
刹那、相手打者のバットから快音が響く。
「ああっ!」
「………ノーアウト2.3塁か、流石にちょっとまずいよ」
その時、右手にグローブをはめた選手がベンチから飛び出し、マウンドへと駆けていった。
同時に監督が審判に選手の交代を告げる。
「やっぱここで交代か。まあ妥当な判断だよな」
「………ちょっと待って、この人って………!」
「え?………うぉ、マジかよ!」
代わってマウンドに上がったのは、
『ピッチャー、○○君に代わりまして、橘君。背番号、18』
この春高校生になったばかりの1年生だった。
梓は目を奪われていた。
1年生とは思えない堂々としたマウンド捌き。無表情ながらもその奥に燃える闘志を宿した瞳。そして何より、その左手の指先から放たれるボールの力強い美しさに。
「すごい………」
彼は4番を内野フライ、5.6番を三振に斬って取り、悠々とベンチに戻っていった。
「かっこいい………」
今まで抱いたことのない感情だった。
「なに、姉ちゃん一目惚れ?確かに今のはカッコよすぎるけどさ」
「ふぇっ!?や、別に、一目惚れとかそんなんじゃ………!」
「えー、別にいいじゃん、ファンになっちゃいました、ってやつでしょ」
「うーーー………」
これまで碌に恋愛などした事の無かった梓の初恋の話である。