もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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【ホラー・パロディ】弟切草 カエッテキタトモクン(8)

秘密のとんでも日記、ご開帳

「あーっ!」

 

 床に落ちるなにかを懸命に噛み破っていた黒猫の姿に琴美は声をあげずにはいられなかった。猫が矢継ぎ早にその口で引き裂き続けていたもの、それは裏表紙を血で濡らすあの赤い日記帳のページであった。日記を回収すべくミイラ部屋を訪れた琴美たちであったが、どうやらお目当てのそれは先客の粗相によって悲惨な状態にされつつあったようだ。

 

「やめろバカ!」

 

 慌てて日記を猫から取りあげようと駆け寄る琴美であったが、対する猫はそれに驚いたのか仁王立ちになり、爪を伸ばした両手で素早く宙をかき混ぜ彼女を威嚇する。

 

「ほら、しっしっ!」

 

 迂闊に手を出そうものなら鋭い爪で怪我をさせられてしまいそうであったから、琴美は手にしたデッキブラシを突き出して狼藉者を追い払いにかかる。

 

 ──ミャンウォォ~~

 

 唸り声をあげつつ己の口元をペロリと舐めあげる猫は、突き出されたそのデッキブラシを払い落とさんとして盛んに手で叩く。琴美はと言えば、得物を突きつけはしたものの罪のない猫相手に手荒な真似をする訳にもいかないので、日記の上に陣取って退こうとしないその猫と一進一退の睨み合いとなってしまう。

 が、その隙に猫の背後に回った智貴が日記をその足元から素早く引き抜いたものだから、不意打ちをくらいバランスを崩した猫は「ドゥオッ?」と間抜けな声をあげてその場で転倒してしまった。引き抜く際に日記がベリッと乾いた音を鳴らしたことから、例の血糊のほうはすっかり乾いているらしいことがうかがえる。

 

「プッ……なにこの猫」

 

 ともあれ猫にしてはなんとも鈍臭いその挙動に琴美は吹き出してしまった。笑われてしまった猫はというと、すぐさまなにごともなかったかのように起きあがり、その場で盛んに毛づくろいを始める。

 

「あーもう、こんなにしちゃって……」

 

 ザマミロと少しだけ愉快な気持ちになれた琴美ではあったが、悪戯好きな猫に噛み破られてしまった日記帳のページが床に散乱しているのを見て溜息をついてしまった。どうせ破くのなら机の上に置き忘れたままになっていた電話帳のほうにすれば良かったのにと、心の中で愚痴をこぼす。

 

(この猫、ほんとなんなんだ? 飼われてんのか?)

 

 いつ終わるとも知れない毛づくろいを続けるその猫の姿に琴美は不審なものを感じ始める。こうして見る分にはなんの変哲もない猫であるのだが、この異常な屋敷の中においてはそれが却ってどうしようもなく不自然に映ってしまったのだ。ずっと昔の夏休み、当時まだ存命だった父と映画館で観たホラー映画*1にこのような毛足の長い不気味な猫が出てきたことを思い出した琴美は、そのうち目玉がサイケデリックに激しく点滅するのではないかと想像してしまった。

 そのようにしてしばしのあいだこの妙ちきりんな住人にあれやこれやと考えを巡らせていた琴美であったが、猫に構わず足元の紙切れを黙々と拾い集めていた智貴に気づいて、急ぎそれを手伝いにかかる。智貴の過去について重要な手がかりが残されているかもしれない日記の一部であるからして、それぞれになにかしら内容が書かれているのが見て取れるそれらを一枚たりとも捨て置くことはできない。

 そうして紙切れを一通り集めきった二人であったが、智貴が部屋の隅に落ちていた小さいなにかを拾いあげたかと思うと、それを凝視し始める。

 

「それ、どうかしたの?」

「……俺の写真です」

 

 そんな智貴の様子が気になって声をかける琴美に、彼は手にしていたものを差し出す。日記に挟まれていたものなのだろうか、それは一枚の古ぼけた写真であった。写真には気をつけの姿勢で屈託のない笑みをカメラに向ける小さな男の子が写っており、その傍らには同じくらいの年頃の女の子が並び立っていた。

 

(ホントだ! この子、智貴くんだ!)

 

 写真の男の子を一目見て、琴美はそれが幼いころの智貴に違いないと瞬時に見抜く。特徴的な顔である場合は別にしても、ある人物の幼少期の写真を見せられてその中に本人の面影を明確に見出すというのは家族や古い付き合いの友人でもなければなかなかにできることではないのだが、これまでに何百回何千回と智貴の目鼻立ちを密かに観察し続けてきた琴美にとっては一目瞭然なのであった。

 

(あー凄いっ……ああーやばいっ)

 

 幼い智貴の愛くるしい姿に釘付けになってしまった琴美は、食い入るようにその写真を見つめたまま固まってしまう。あーだのうーだの、ブツブツと小さな呟きを漏らす彼女はそのままほうっておけば写真に口づけしかねない勢いだ。

 

「あの、先輩」

「えっ!? あっ、ごめん、な、なに?」

 

 その一枚に心奪われ恍惚としていた琴美ではあったが、智貴に声をかけられ我に返る。

 

「俺の隣に居る女の子ですけど、多分それが……」

「えと、トモコって子、かな?」

 

 幼い智貴の傍らで微笑んでいる愛らしいその女の子こそはどうやら智貴の古い記憶の中に存在するかつての同居人らしい。このようなものがこの屋敷にあるとなっては二人もいよいよ確信を抱かざるを得なくなってしまう。確かにここは智貴が幼少期に住んでいたらしい場所なのだと。

 と、おもむろに写真を裏返す琴美。この手の写真には時折余白のところになにかしらメモ書きなどが残されているものなのだが、果たして彼女の読み通りそこには一文でこう記されていた。

 

『78.2 智子(ともこ)6才のお誕生日』

 

 智子、とある。智貴と一字違いの名前だ。これはもう、この写真の女の子は本当に智貴の家族かなにかだったのではないかと考えた琴美は口をひらく。

 

「この子、智貴くんのお姉さんだったんじゃないかな?」

 

 智貴の年度ごとの年齢データはすべて頭にインプット済みであった琴美は、そのメモ書きが写真を撮影した年と月を示すものであると解釈し、この写真に写る女の子が智貴の年子の姉弟であるという結論に瞬時に至った。丁度この時期の智貴といえば、翌月に誕生日を迎える予定の四歳児であったはずだというのがその根拠である。

 

「そうですね……俺もそんな気がします」

 

 対する智貴も琴美のそのような推測に頷いて同意を示す。最も彼の場合、そのように感じた根拠は琴美が考えているのとはまた別のところにあった。

 

「結構前の話なんですけど、しょっちゅう妙な夢ばっか見てるときがあったんです」

「え? 夢?」

 

 手を差し出し、琴美の集めた紙切れの束を預かった智貴が唐突にそのようなことを言う。集め終えたページたちを机の上で整えながら智貴は話を続ける。

 

「知らない女の子が出てきて、でもそいつが夢ん中で言うんですよ。『自分はお前の姉だ』って」

「へー、そ、そうなんだ」

 

 急な話についていけない琴美はひとまず曖昧な相槌を打つしかなかった。ようやく毛づくろいの終わったらしい猫はというと、そんな二人のやりとりになにやら耳をそばだてているかのような素振りを見せていた。

 

「あれ、もしかしたらその写真の子だったのかもって、そんな気が……」

 

 智貴がそのように言うので、琴美は改めて写真の中の女の子をまじまじと観察してしまう。この写真に写る女の子こそは、自身が屋敷の中で幾度か遭遇したあの少女、〈智子〉の幼きころの姿なのではないか。自身のこれまでの体験と、そして屋敷に残される物証からそのような推測を導き得るに至った琴美ではあったが、さりとて無垢で善良な顔をした写真の中の子供とあの鬼の形相をした幽霊少女の印象とがどうにも一致しない。

 

(でも、あの女の子が智貴くんのお姉さんだとしたら……)

 

 あの目だ。例え写真の中の幼子と、自分が出くわした智子の印象がまるで一致せずとも、琴美の頭の中ではそれらを繋ぐ一本の線が見出される。停電が起こった際、暗闇の中で自分を凝視してきたあの印象的な目になにか引っかかるものを感じていた琴美であったが遂にその答えへとたどりついた。

 

(そうだ! あの目、智貴くんにソックリだって……私、そう感じてたんだ……!)

 

 造形的な観点からじっくりと見比べでもすれば、似通った部分は実際それほど多くないのだろう。だがそういった捉え方を超えた部分で、琴美は言葉にできぬ形容し難い共通点を見出していた。敢えて言うのならば、その瞳の奥に宿る仄暗い濁りのようなものが、なにかを見据えているようでその実どこも見ていない幽鬼のようなその無常さが、どうにも両者のあいだに分かち難い印象を感じさせるのだった。それもやはり二人が姉弟であるが故のことと考えれば、琴美は得心がいったような心持ちだ。

 

(お姉さん、なんであんなことに……)

 

 おそらくはあの幽霊少女の遺体と思われるミイラと、その在りし日の溌剌とした姿を収めたこの写真。その変遷には果たして如何なる事情があったのか、当事者でもない琴美にはどうにもうかがい知れない。

 

「えっと……その夢に出てきた子って他にもなにか言ってたのかな?」

「『こっちに来い』って、確かそんなことも言われました。ずっと呼んでるんです、俺のこと」

 

 智貴の夢の話からすると、あの幽霊少女──智貴の姉と思しき智子嬢はいつぞやか彼の夢の中にまで出張ってきていたということらしい。そうした現象は智子の並々ならぬ一念の成せる業であったのか。かねてより屋敷に潜む何者かが智貴を狙っているのではと危機感を持っていた琴美は、智子が弟に抱く尋常ならざる思いの深さを感じ取る。

 

「そうだ……あの花。夢ん中でいつもアレがそこら中に咲いてて」

 

 そう言って、片付け途中で放置されていた花瓶の残骸を見やる智貴。そこには何本かの弟切草も散らばったままになっていた。

 

「どっかで見た事あるなって、ここに来る途中もずっと気になってたんすけど……」

 

 山中でのドライブ中、琴美からの問いかけにも生返事するばかりでどこか心ここにあらずな様子を見せていた智貴であったが、どうやらそれは道路脇に自生していた弟切草のことを気にしていたが故のことだったらしい。

 

「そっか……なんか不思議な夢だね」

 

 落ち着いた様子でいるように見えつつも内心の不安をうっすらと声に滲ませていた智貴であったから、琴美は自分が弟切草にまつわる不吉な伝承を彼に聞かせてしまったときの反応を思い出してしまう。

 弟の、殺された無念が血となって染み付いた花。それが弟切草に持たされたいわれである。そのような花が出てくる夢を度々見てきた己が、今はこの弟切草に囲まれた奇怪な屋敷で数々の怪異に遭遇し、あまつさえ自分が誰かの弟であったかもしれないという証拠を突きつけられる。怖いとも恐ろしいとも零さず気丈を保つ智貴であるが、その心中を慮った琴美は一刻も早く彼の不安を払拭してやりたい気持ちになる。

 

「ねえ智貴くん、それちょっと読んでみてもいい?」

 

 整理し終えた紙切れを日記帳へ挟み込んでいた智貴に琴美がそのように申し出てみたところ、彼は素直にコクリと頷いた。持ち帰ってからじっくり読ませてもらえば良さそうなものであるが、どうやら琴美は今この場で少しばかり日記の内容を拝見していきたいらしい。

 無知は恐怖を生む。人は知らないからこそ余計な不安を抱え込む。なればこそ智貴の内心の不安を少しでも晴らせればと、真相の一端がそこに秘められていることを期待しつつ琴美は閉じられていた赤い表紙をひらいてページを手に取っていく。

 *

『夫が鎧になってしまった。きっと娘の仕業だ。叱られてカンシャクを起こした智子が夫をあのような姿にしてしまったのだ。あの子に自覚はないけれど、きっと私と同じような力が遺伝してしまったに違いない。どうにかしてあの人を助け出さなくては』

 

『娘の力は私よりもずっと強かったようで、私にはあの人をもとに戻してあげることがどうしてもできない。鎧の中にあの人の存在を感じはするけれど、もう一言だって言葉を交わせない。自分のしでかしたことに気づいていない娘は「お父さんはどこ?」と無邪気に尋ねてくる。あなたのせいなのに』

 

『あの日以降、娘が様々なことを引き起こすようになった。壁を通り抜けたり、ぬいぐるみたちをダンスさせたり、とうとう塀の鉄格子を捻じ曲げたりもした。あの子にも自覚が芽生えてきたようで、自分の力を楽しんでいるようだ』

 

『外でハチのように空を飛び回っていた息子が泣き叫んでいた。慌てふためく娘がそれを追いかけ回していたけれど、智貴を楽しませてあげようとしたつもりがうまく力を操れなくなってしまったのだろう。娘を叱ってもう二度と力を使ってはいけないと言いつけておいた。あの子の力は危険だ、このままにはしておけない』

 

『あの子は私に隠れて力を使い続けているようだ。だけど普通じゃない人間のままでいるのは、やはりダメなのだ。きっといつか周りから恐れられて辛い思いをするに違いないし、娘にはそんな目にあってほしくない。これからは些細なことでも決して力を使ってしまわないよう、しっかりとあの子に教えていかなくては。私も夫に出会ってからは、ずっとそうして生きてきたのだから』

 *

 傍らの智貴のためにも聞かせてやろうと、手にした紙切れに書かれていた内容を声に出しながら読み進めていた琴美は、区切りを付けて一息つくとそのまま黙りこくってしまう。

 

(なにこれ!?)

 

 初っ端からブッ飛んだ内容であったからして、あまりの内容に絶句してしまうことしきりの琴美は二の句が継げないでいた。それは琴美の口から内容を聞かされた智貴も同じであったようで、幾分か呆れすら混じったような表情でいる。

 

「あ、えーと、こ、これ……お母さんの日記なのかな?」

 

 書き方から推測するに、どうやらこれは姉弟の母親らしき人物が記したもののようだ。にわかには信じ難い内容ではあるが、大真面目に書かれている様子のそれは単に全力のジョークのつもりであったのか、はたまた書き手が相当なきちがいであったためか。

 

「あはは……智貴くんが蜂みたいに飛んだんだって。あ、もしかして覚えてたりとか……?」

「いや、覚えてないです」

 

 ラジコン飛行機のように扱われたことはおろか、なにやらよろしくない目に遭ってしまったこの屋敷のご主人(鎧)のこともまるで記憶にないらしい。あるはずもないようなデタラメな内容なので彼がそれを覚えていないのは当然であるが、よしんばこれが本当だとしても日付が七六年から始まっているその一連の記述からすると当時智貴はまだ三歳ごろであり、あまりに幼いために記憶がとんと抜け落ちている可能性もあった。

 ひとまず気を取り直して他のページも読んでみようと思う琴美であったが、初っ端からこの調子であるからして次はどのような奇天烈なことが書かれているのかと恐る恐る紙切れを手に取る。今度は幾分か年月が進んで七八年ごろの内容だ。

 *

『今日はクリスマスパーティーの日だった。ケーキを作って、子供たちと一緒に部屋の飾り付けをする。娘は進んで私のお手伝いをしてくれる優しい子に育ってくれた。もうすっかり力も使わなくなったようで、どうかこのまま普通の子供として大きくなっていってほしい』

 

『先日大変なことがあった。その日は雪が積もって子供たちが朝から庭で雪だるまを作っていた。昼食の支度を終えて二人を呼びにいくと智貴の姿が見当たらない。智子も急にあの子がいなくなったものだから探しているという。久しぶりに力を使って息子の居所を探してみたら、あの子は雪だるまの中に埋められていた。体が氷のように冷えきっていたけれど、すぐに麓の病院まで連れていってどうにか一命をとりとめた。娘を問いつめても自覚がないのか、そんなことはしていないと泣きじゃくるばかり。あの子は智貴のことを目に入れても痛くないほどにかわいがっている。そんなあの子がわざとあのようなむごい仕打ちをしたとは信じられない。いったいなにが起こっているのだろう』

 

『智子は自分の力が抑えられなくなってしまっている。自らの意思とは関係なしにフォークやナイフを捻じ曲げてしまったり、窓を割ってしまったり。強過ぎるあの子の力が体から溢れ出して矛先をあちこちに向け始めたようだ』

 

『あの子の力から息子を守るために、これまで抑えていた自分の力を使う日が続くようになってしまった。娘も自分自身のどうにもできない力を恐れてしまっている。智子にとても懐いていた智貴には、お姉ちゃんは今病気だから一緒に遊んではいけないのだと言いきかせるのだけど、むずがってなかなか言うことを聞いてくれない』

 

『娘と違って特別な力などなにもない息子はごく普通の子供。智子の力に抗えないあの子は、このままではいつか夫のように取り返しのつかない目にあってしまうかもしれない』

 

『今日、相談所に連絡を取った。娘の力のことは伏せて、智貴を他所様の家の子供として託したいと相談した。あの子を守るためにはもうこの方法しかない』

 *

「ね、ねえ、これってもしかして!」

 

 超常現象によって智貴が危うく死にかけたことや、娘の力の暴走に苦悩する母の心情が綴られていたりと、相も変わらず奇想天外な内容が続く日記であったが、養子の話が出たところで急に現実味を帯びてきたため琴美が顔をあげて智貴と目を合わせる。

 

「今の親は俺を引き取った人たちだったって、そういうことになりますね……」

 

 琴美の言いたかったことを智貴が代わって口にする。仮にこの日記が真実であるとするのなら、それまで彼が実の両親だと信じて疑わなかった人たちが本当はそうではなかったということになるのだ。その可能性をこうして示唆されてしまったことは彼にとって殊更突き刺さるものであったようで、なんとも顔色が悪い。これでは智貴を余計に不安にさせてしまっただけではないかと焦る琴美であったが、そんな彼にかけてやるうまい言葉が見つからず己の口下手ぶりに不甲斐なさを感じてしまう。

 

「えっと、つ、続きはどれかな……?」

 

 ともあれ信じ難い内容づくしな日記であったが、ここへ来てやにわに事の真相へと近づいてきたためどうにもその続きが気になってしまう琴美は紙切れの中から先ほど読んでいたのと日付が近いものを探し当てる。

 猫はというと、先ほどから続く琴美の朗読会に退屈したのか床に寝そべって耳を掻いたり大きなアクビをしたりしていた。

 *

『今日は息子が家を出ていく日だった。幼いあの子にも自分がこれからどうなるのかが判ってしまったのか、私たちと離れたくないと言って聞かない。私の胸は張り裂けそうだった。そんなあの子に娘が言って聞かせる。自分の病気が治ったらまた一緒に暮らそうと、そう言って慰める。なおもぐずるあの子に智子は来年の来年のそのまた来年ぐらいには治るからと適当なことを言って指きりを交わして、そのあと沢山キスをしてあげていた。智子はずっと泣くのをガマンしていて、あの子がいなくなった後にわぁわぁと夜まで泣き続けた。やっと泣き疲れてさっきようやく眠ったばかりだ』

 

『息子のいない生活が始まった。娘と二人っきりで暮らしていく分には私たちはなんの支障もない。窓が割れれば私が直し、食器が曲がればそれも私が直す。夫の残してくれたこの家と財産があれば私たちはこれからも暮らしていける。だけど今のままでは娘を学校に通わせてあげることもできない。あの子が成長と共に自分の力を抑えられるようになることを祈るばかりだ』

 

『今日は智子の七才のお誕生日だった。ともくんがいないから楽しくないと、しきりにそのようなことをボヤいてケーキにも手をつけない。娘は弟のいない寂しさを日増しに募らせているようだ』

 

『娘が部屋に閉じこもりがちになった。中を覗くといつもあの子はぬいぐるみやおもちゃを床に並べ、あたかも弟と一緒に遊んでいるかのように振舞っている。そんなことを一日中繰り返しているあの子のことが憐れでならない』

 

『息子が去ってからというものこうして日記を付けることもおっくうになってしまう。智子はあれ以来まったく笑わなくなってしまった。だけども先ほどそっと寝顔を覗きに行ったら楽しい夢でも見ているのかコロコロと笑って何度も智貴の名を呟いていた。これほどまでに愛し合っていた子供たちを私は自分の手で引き裂いてしまったのだ』

 

『七夕さまを飾ったのに、智子は自分の短冊を笹につけるとまたすぐ自分の部屋に引きこもってしまった。ともくんにあいたい、ともくんとくらせますように、ともくんがかえってきますように。あの子の短冊にはこんなことばかりが書かれている。向こうの家では智貴も同じように寂しい気持ちでいるのだろうと思うと胸が苦しくて仕方がない』

 *

「うっ、うっ……グスン」

 

 おもむろに朗読を中断した琴美は眼鏡を外して上着の襟元で目元を拭う。ああ神よ、このような不幸があって良いのか。この日記がもし真実を書いているというのであれば、ちゃっかり懐に収めておいた例の写真の中で微笑むあの愛くるしい幼子に、そして己の拙い朗読を静かに傾聴してくれている傍らの青年にかような悲劇が降りかかったということになるのだ。嘘か真かいまだ判然としない内容ではあるものの仮に真実であったとすれば泣かずにいられないと、不憫な智貴への共感でわななく琴美。

 このお話に救いはないのかと、そうした涙をひとまず抑えてみせた琴美はさらなる展開を求めて新たなページを無作為に選び取った。今度は一気に年月が飛んで八七年ごろのことが綴られている。

 *

『智子はもう十五歳になるけれどいまだにその力が落ち着く気配はない。だから学校にも行けず友だちもいない。あの子はすっかり気難しい子に育ってしまったけれど、長い孤独が娘の心を蝕んでしまったらしい。近頃は些細なことで私を口汚く罵ったりすることもある。その度に叱りつけてはいるけれどあの子は益々頑なになってしまうばかりだ』

 

『あの子はもう私の言うことなど聞いてくれない。昔から使ってはいけないとあれほど教えてきたのに今ではお構いなしに力を使って好き放題にしている。お母さんは力の使い方がヘタクソだ、なぜコソコソして生きていかなくっちゃいけないのだと言って聞かない。幼いころからの私の言いつけはもうあの子にはなんの意味も成していないようだ』

 

『そんなに力を使いたいのならいっそ鎧に変えられたあの人をもとに戻してみろと娘に言った。そうしてあの子なりにがんばってはみたけれど、結局どうにもならなかった。一度あのような姿になってしまったらもう二度ともとには戻れないのかもしれない。私には毎日夫の体を磨いてあげることしかできない』

 

『智子は今日もあの花を庭に植えていた。自分が温室で育てたあのお気に入りの花を智子はもうずっと前からそこかしこに植え続けている。家の周りすべてが花で埋め尽くされれば智貴が帰ってくるのだと言い張っている。そんなことに励むくらいなら自分の力を抑える努力をするべきだとは思うけれど、智子は今でもずっとあの子との再会を心待ちにしているのだと思うとやりきれない』

 

『もう自分は完全に力を操れるようになったのだから智貴を呼び戻したっていいじゃないかと智子は私に訴える。私から見れば相も変わらず智子の力の扱いは甚だ未熟で昔と変わらず野放図のままだというのに。あなたが本当に力を抑えることができればすぐにでもそうしてあげると私が諭せば、そんなセコい生き方は嫌だと言って突っぱねてくる』

 

『智子はあの子の居場所を私に何度も尋ねてくるようになった。決して教えてはいけない。自分がなんでもできると思い込んでいる智子はなにをしでかすか判らないのだから』

 

『智子があの子のことで私になにか言うことがすっかりなくなった。どうしたのかと私が尋ねてみれば、いい方法を思いついたのだと、ただニタニタと笑ってそのようにしか答えない。いったいなにをしようとしているのか』

 *

 まだ途中ではあるが、そこまで読み進めたところで琴美が再び朗読を中断してふぅと息を吐く。幼い姉弟の別れから一転、話がなんとも雲行きの怪しい方向へと転がってきたものだから、そこに不吉なものを感じた琴美はその先を今この場で智貴に聞かせても良いものかという懸念が湧いてきてしまったのだ。

 琴美の予想していた通り、やはりこの智子なる少女は智貴に対してただならぬ執着を抱いていたようである。離れて暮らしていた智貴のことをいったい彼女はどうするつもりだったのか。それが気になって仕方がない琴美は、傍らで黙して話を聞いていた智貴の顔色をうかがう。

 

「それ、読ませてもらってもいいですか?」

「え? あっ、う、うん」

 

 琴美にばかり読みあげさせているのは申し訳ないと思ったのか、手を差し出して紙切れを受け取った智貴は、今度は自分が読み聞かせるつもりなのか先ほどの内容の続きを口にし始める。思いもかけず始まった智貴の朗読会に琴美の聴覚神経が野生動物のように鋭敏になっていく。

 *

『あの子がいつものように花を植えに行ったのを見計らって、私は智貴を引き取ってくれたご夫婦のお宅へ本当に久しぶりに連絡してみた。すると恐ろしいことが判った。近頃の智貴は深夜に寝巻き姿のままで急に家を抜け出してふらふらとどこかへ向かって歩いていくことが度々あるらしい。ひどいときには遠く離れた山中にまで足を運んですらいたそうで、失踪事件として扱われそうになったこともあるのだという』

 *

 内容が内容なだけに、そこまで読みあげたところで智貴は早くも黙りこくって朗読を中断してしまう。

 

「と、智貴くん……その、今言った事って、本当にあったの?」

 

 そんな彼の額に滲む冷や汗を見て、琴美はまさか心当たりがあるのだろうかと尋ねてみる。

 

「マジです……俺、確かにそんな時期がありました」

 

 どうも日記に書かれているそれは事実らしかった。智貴の告白を聞いた琴美の二の腕に鳥肌が立つ。なぜならそれが事実であるということが、これまで読んできた内容の信憑性をも裏付けるということになってしまうのだから。養子となった智貴、そして超常の力を備えているという実の母と姉。それらの情報が否定し難いほどの現実味を帯びて琴美に迫ってくる。

 

「さっき先輩に夢の話、しましたよね? あれ、俺が中三くらいのときの話なんですけど丁度そのころにこういうことがあったんです」

 

 智貴とは自身が地元の中学を卒業して以降一年間ほど離れ離れになってしまった琴美であったから、当時の彼がよもやそのようなことに悩まされていたとは今の今まで知る由もなかった。

 

「夢の中でお姉さんは智貴くんをずっと呼んでたんだよね……。そ、それってさ、もしかしてこの家に智貴くんのこと、連れてこようとしてたのかな?」

 

 なんとも飛躍した考えであるが今の琴美にはそのように思えてならない。超常の力を振るうことのできるらしい智子が夢を通して彼を操りこの場へ引き寄せようとしていたのだとしたら当時の智貴の異常行動にも説明が付いてしまうのだ。

 

「正直判りません、でも」

 

 そうかもしれない、と智貴はどこか疲れた様子で答える。

 

「なんで俺、こんなにも忘れちゃってるんでしょうね? 本当に、ほとんどなにも覚えてないんですよ。この家のことも、一緒に暮らしてたっていう家族のことも……」

 

 それは琴美に向けたものなのか、あるいは自身に向けたものなのか。ともあれその問いかけに正しい答えを与えてやれるものはこの場にはいなかった。

 

「……」

 

 どこか救いを求めているようにも聞こえてしまう彼のその言葉に今こそなにか言ってやらねばと思う琴美ではあったが、やはりどうにもうまい言葉が浮かんでこない。さりとてただの慰めの言葉などきっと今の彼には不要であろうから、琴美は口を閉じたままでいるしかなかった。

 いよいよもって顔色を悪くする智貴ではあったが、なにかが彼を駆り立てるのか、手にした紙切れを持ち直して再び朗読を再開し始める。閉めきられているはずの部屋の中から猫がいつのまにか居なくなっていたが琴美たちがそれに気づくことはなかった。

 *

『智子を問い詰めたけれどあの子は知らぬふりをするばかり。寝ぼけた弟が我が家恋しさにそのようなことをしているだけなのだろうと、そう言い張るのだ。幸い智貴はまだ事故にはあっていないとあの家の人は言っていたけれど、このままではいつか命に関わるようなことになりかねない。智子を止めなくては』

 

『あの子がなにをしていたのかが判った。智子は夜な夜な自分の部屋で奇妙な儀式をおこなっていた。あの花で編んだワラ人形を智貴に見立てて、それに向かって延々と自分のもとへ来るよう汗だくになって呼びかけ続けていた。すぐさまあの子のそうしたおこないをやめさせ、儀式に使っていた怪しげな品々もすべて処分した。またあの子が妙なことをしないようこれからは毎晩見張らないといけない』

 

『智子が急に歩けなくなってしまった。それだけじゃなく体全体が思うように動かせなくなってしまったらしい。不安がるあの子のことをお医者様に診ていただいたけれど原因は判らなかった』

 

『智子はやがてほとんど力を使えなくなってしまった。どこにいるとも知れないあの子を連れてこようとしてひどく無茶をしてしまったにちがいない。力が失われると共に体の方も弱ってきているようでとても心配だ』

 

『肌が黒ずんで土のように乾いてしまう症状が智子に現れ始めた。やはりお医者様にも原因は判らず、あの子は自分の身に起こり始めた異変にただただ怯えてしまっている』

 

『しばらく日記を付けることができないでいたけど、このことだけは書いておかなくてはいけない。先日あの子は十六歳の誕生日を迎えた。すっかり元気のなくなってしまった智子のために久しぶりにバースディケーキを作ってあげていた。でも突然それが粉々に飛び散った。それからすぐ大きな声で二階から智子の怒鳴り声が聞こえた。お母さんのせいだ、と叫んでいるように聞こえた。どうしたのかとすぐ様子を見に行ってみたら、あの子は自分の部屋ですっかり干からびたミイラになってしまっていた。最後に私への怨みを叫んで、可哀想なあの子は死んでしまったのだ』

 *

 そのページはそこで終わっているようで、読み終えた様子の智貴は紙切れを机の上にそっと置いた。彼の朗読したページは智子の最期を生々しく綴っており、ただただ壮絶であった。

 

「先輩、俺たちが見たあのミイラって……」

「うん……きっと、お姉さんなんだろうね」

 

 琴美としては既に見当の付いていたことではあったが、智貴は日記を通して初めてミイラの正体に思い当たったものだから戸惑いもひとしおである。その瞳には普段彼が見せないような様々な感情が浮かんでは消えを繰り返しており、そのことが琴美の胸を締め付けずにはおかない。

 見かねた琴美はそれまで自分たちが読み進めていた紙切れをテキパキと日記の中に挟み込むと、それを手に取りお持ち帰りの用意を整えてみせた。

 

「そろそろ帰ろっか?」

「あ、はい……」

 

 努めて明るい口調で智貴に声をかける琴美は、無理に笑顔を作っていた。少しでも智貴の不安を拭ってやれればという思いから日記を試し読みしてみようと提案した訳であったが結局はいたずらに苦しめてしまうことにしかならなかったため、琴美の内心は泣きたい気持ちでいっぱいだった。

 果たしてこのまま無事屋敷から出してもらえるかどうかはミイラのみぞ知るといったところであるが、ともあれ琴美は大胆にも自ら智貴の手を取り彼をこの部屋から連れ出そうとする。いつも彼を前にするとあがってばかりの琴美ではあったが今だけはイヤらしい気持ちなど微塵もなくそうしたことが自然にできたのだ。

 

 ──ボフゥッ

 

 だが突如、琴美の手にしていた日記から炎が噴きあがったものだから、慌てた彼女はそれを地面に取り落としてしまう。

 

「え! な、なに? なんで……!?」

 

 みるみるうちに灰になっていく日記を消火するのも忘れ、突然のことに二人は呆然とその様子を見届けるしかなかった。そうして燃え尽きた日記の残骸から煙が立ちのぼりぷぅんと部屋の中が焦げ臭さで満たされたころ、ふいに扉のドアノブがカチャリと音を鳴らして回り始めた。

 身じろぎできないでいる二人が扉のほうを凝視する中、やがて扉がゆっくりとひらいて少しばかりの隙間を作ったところで止まる。するとそこからぬぅっとなにか黒いものが部屋の中を覗き込むようにして姿を現した。

 それは琴美には見覚えのあるものだった。あの智子が扉から顔を半分覗かせて、部屋の中にいる琴美たちを恨めしそうな目でじぃっと見つめていた──。

*1
1977年公開の、大林宣彦監督によるサイケデリック調の青春ホラー映画『HOUSE』。




続く
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