おわかれするのがいやなのでずっとないてたら、あたまのなかでおねーちゃんがはなしてきた。おねーちゃんはチョーノーリョクがつかえるから、しゃべらなくてもぼくとはなしができる。
おかーさんにナイショで、おねーちゃんがやくそくしてくれた。おねーちゃんのビョーキがなおったら、ぼくのおよめさんになってくれるって。だからもうないちゃダメだって。
らいねんのらいねんの、そのまたらいねんになったら、おねーちゃんのビョーキがなおるから、ぼくはうちにかえれるみたい。ゆびきりしたし、やくそくのちゅーもしたから、ホントなんだ。おねーちゃんのいうことはぜんぶホントだから、ぼくはしんじる。
おかーさんとおねーちゃんがいないけど、ぼくはなかないようにする。らいねんのらいねんの、そのまたらいねんになったらおねーちゃんとぜったいにけっこんするので、ちっともかなしくない。ぜんぜんなかなかったよっていったら、おねーちゃんはびっくりするかもしれない。
はやくおねーちゃんのビョーキがなおりますように。
◆
(熱く……ない?)
自分たちを焼き尽くさんとして智子の手より放たれた青い炎。その呪われた火が目前に迫った琴美は、傍らの智貴へ覆い被さるようにして彼を守ろうとした。そうして目をぎゅっと瞑り自分たちを襲う灼熱に備えていた琴美であったが、しばらく待っても予想していた苦しみは訪れなかった。
これはいったいどうしたことかと閉じていた目をそっとひらいてみれば、琴美は驚くべき光景を目の当たりにする。智子から勢いよく放たれていたその邪悪な炎が自分たちの手前で押し返されていたのだ。
(もしかして……!)
琴美は目の前の出来事が智貴の母の力によるものだと理解した。腰に下げる剣がひとりでに振動し鞘を鳴らしていたが、これを通して少しは守ってやれると言われていたことが思い起こされる。その約束が今まさに果たされているのだ。
「先輩、これは……?」
「智貴くんのお母さんだよ。あの人が私たちを守ってくれてるんだ……」
なにが起きているのかわからない様子の智貴であったが、琴美からそのように言われて一層困惑顔になる。実の母がこの屋敷そのものとなって存在していることをいまだ知らないでいるからそれも当然であった。
と、琴美のベルトに結び付けられていた鞘の、その革紐の結び目がひとりでに
──シャキン!
ふいに鞘から金属をこする音が響いた。ひとりでに剣が引き抜かれたのだ。宙に浮いた刃がクルリと回り、狙いを定めるようにその切っ先を智子へ向ける。そうして矢のごとき勢いで火炎をかきわけ突進していった。
ギャッと智子の呻く声。と同時に青い炎の放出が止む。視界の晴れた琴美たちの目に映ったのは、己の胸に突き刺さった剣をどうにか引き抜こうともがく智子の姿であった。だがその剣は体に深く食い込んでおりまるで抜ける気配がない。やがて刺さった箇所を中心に、もともと壊れ気味であった智子の体へ大きなヒビが走っていく。そうした裂け目のあちこちから蒸気のようなものが一斉に噴き出したかと思うとたちまちその場に崩れ落ちるのだった。
「智貴くん、今のうちに……!」
智子が動かなくなったことを見て取った琴美は改めて件の部屋へと避難すべく智貴を促す。そうしてミイラ部屋を目指して進む二人は、廊下にうずくまる智子を警戒しつつその横を通り過ぎていく。
「トモ、クゥゥン……」
そんな二人に気づいたのか、うずくまる智子が力なく顔をあげてそのように呟いた。その声には今や弱々しさが滲んでいて、あの傲岸不遜な態度はすっかり消え失せていた。妖しい光を灯していたはずの瞳も虚ろな暗緑色へと戻っており、肌はミイラのような土気色に染まっていた。
「ワスレ、ナイデ……オモイダシ、テ……」
懇願するかのような呼びかけであったから、それを無視できない智貴が振り返り、
「わりぃ……ホント、思い出せないんだ……」
開かずの間に監禁されていたあいだにも智子と似たような問答があったのか、どこかすまなそうな様子で言葉を返す智貴であった。そんな彼の返答が聞こえているのかいないのか、なおも同じ呟きを繰り返す智子を尻目にそのまま二人は煙が満ちつつある廊下の突き当たりまで進んでいった。
*
智貴と共にミイラ部屋へと入った琴美は、照明が点けられたままになっていた室内の様子が随分と荒れていることに気づいた。窓は割れて家具類はしっちゃかめっちゃかになっており、壁や床のそこかしこにおそらく自身のものと思われる血痕が残っていたものだから、確かにこの部屋で自分がこっぴどく痛めつけられたらしいことを改めて実感する琴美。足元には少しのあいだだけ世話になったあのデッキブラシも転がっている。
智貴を一旦ベッドに座らせたのち、煙が入ってこないよう扉を閉じた琴美であったが、風穴の空いた窓よりパチパチと音が聞こえてくるのでそこから顔を出して外を覗いてみる。
(これ、かなりヤバいんじゃ……)
琴美の眼下には一階部分のあちこちの窓から炎を勢い良く吹き出させている屋敷の様子が広がっており、既にこの家の大部分に火の手が回っているようだった。見れば今いる部屋の直下も延焼していることがうかがえたが、確かこの階下にあるのは自分が介抱してもらったときに居たあの書斎ではなかっただろうかと琴美は思う。
(こっから飛びおりてみるか……?)
この分では直に二階部分も火の海と化すに違いない。背に腹は代えられぬと、巨大な屋敷故に結構な高さのある地面を見おろしてそのように思案する琴美。着地の衝撃に体が耐えられるかどうかはやってみないとわからないが、屋敷の周囲は石畳で囲われているためうまく着地できなければ大怪我をするおそれがあった。ましてや介添えが必要な今の智貴がそんなことをすれば無事で済むはずがない。ここはまず自分が先に脱出し、後に続く智貴をどうにか受け止めてやるしかないのではないか。だが智貴はそのような無茶を決して琴美にはさせないだろうということも判ってしまう。自分のことなぞいっそ押し潰してくれたって構わないと思う琴美だが、心優しい智貴は無理をしてでも自力でおりようとするに違いないのだった。
『大丈夫よ……受け止めてあげるから……』
ふいに母の声が届いたものだから、どうしたものかと思案していた琴美は顔をあげる。その声は先ほどの智子同様に弱々しさが滲んでいたが、この建物の炎上が彼女を衰弱させているのかもしれない。
(受け止めるって……お母さんが、ですか?)
『ええ……あなたがそこから投げ出されたときも私が受け止めたのよ?』
(そ、それは……どうもです)
このような高い場所から意識をなくしたまま落下すればそれこそ回復が難しいほどの致命傷を負っていたかもしれない。そうならないで済んだのは、ずっと自分のことを見守っていた母がすかさず手を差し伸べてくれたからなのだと琴美は今更ながらに知った。
『小宮山さん……ううん、琴美ちゃん……本当にありがとう、あなたのおかげよ』
別れの言葉でも告げるかのように、母は感慨深げに琴美を下の名で呼び礼を述べてみせる。ただの人間に過ぎない琴美が助力を受けつつもどうにかここまでやってこれたのはひとえに琴美自身の奮闘の結果なのだと母は感じ入っているようだ。
ともあれ智子は倒れ、琴美たちの行く手を阻む者は最早居ない。後は窓から思い切って飛びおりれば母が、残るその力で受け止めてくれる運びだ。そうしてこの脱出劇にようやく終止符が打たれることとなる。
『私はもう駄目だけど、智貴のことをよろしくね……』
(お母さん……)
やはり先刻からの火災は母にとって危機をもたらしていたようだ。生者と亡者の中間のような存在と化していた彼女であったが、拠りどころとなっていた屋敷が失われればその魂も最早この世に留まることができなくなるのかもしれない。
『あぁ……それにしても孫の顔を見れないのが残念ねぇ』
(いやいやいやっ、そ、そんな孫なんてイキナリ……!)
『ふふ、冗談よ……』
智貴とはまだ彼氏彼女の間柄ですらないというのに随分と気の早いことを言う母であったから、嬉し恥ずかしの琴美は頬を染める。切羽詰まっている状況であるにもかかわらずそのような茶目っ気を見せる母であったが、それは己が屋敷と共に最期を迎えるにあたり少しでも琴美と砕けた話をしてみたいと思ったが故のことか。琴美が智貴の母を好いたように、かの女性もまた短い交流を経て琴美をいたく気に入ったらしい。
『さあ、行ってちょうだい……』
そうした会話を切りあげるように母が固い声で脱出を促した。ベッドで休みつつもなにやら扉のほうを油断なく警戒していた智貴に事情を説明し、琴美は彼を伴い窓辺へと向かう。
「あ、じゃあ私、先におりて待ってるからね」
まだまだ顔色のすぐれない智貴であったが、窓枠を乗り越えるぐらいであれば問題ないと見て琴美はそのように言う。母を信頼していない訳ではないが、その力は屋敷の焼失と共に失われつつあることが懸念されるため、万一母が十分に智貴を受け止めきれないようであれば自分がどうにかしてやろうと考えてのことだ。高いところに苦手意識でもあるのだろうか、本当に大丈夫なのかと少しばかりの躊躇を見せていた智貴を後押しするためにもここはひとつ景気良く飛びおりて無事な姿を見せてやりたい琴美であった。
そうして窓枠に足をかけ、琴美はそこから迷いなく飛び出していった。高所からの落下に恐怖を感じるのは人間の本能であるが、最早今の琴美はこの程度で腰が引けるような女ではない。そうして宙に身を投げ出した琴美の体を柔らかい風のようなものがすかさず包み込み、そのまま羽のように浮いた彼女を屋敷から少し距離を空けた場所へと軽やかに送り届ける。
「ははっ……すげぇ」
少しばかりヒヤッとしなくもなかったが、約束通り安全におろしてくれた母に拍手を送りたい気分の琴美であった。琴美としてもこのような不思議な経験など生まれて初めてであったから、なんともそれが新鮮に感じられてならないようだ。
「智貴くーん、大丈夫だよー!」
琴美の脱出劇をはらはらした様子で見守っていた智貴であったが、手を振って声をあげる先輩の姿に胸を撫でおろし、自分もそれに続くべく窓枠から身を乗り出そうとする。だが突如なにかに気づいたように背後を振り返った彼はそのまま固まってしまった。
「どうしたのー!? ちょっと智貴くーん!」
そんな智貴の様子を見て取った琴美が慌てて彼に呼びかける。しかし智貴がそれに反応することはなく、なにかに魅入られたように身じろぎもせず部屋の出入り口を見つめているようだ。
(え……なに? どうしちゃったの……!?)
琴美の中に嫌な予感が走るが、果たしてそれは的中してしまった。庭のほうから窓際の智貴を見あげていた琴美の目に、固まっている彼の前に立った何者かの頭が映る。モサモサした黒髪頭のそれはあの智子以外の誰でもなかった。それを理解した瞬間、琴美の血が凍りつく。
琴美が声をあげようとした途端、智子は無防備な智貴へとその小さな体で飛びかかった。そうして怪物らしく己の歯を彼の首筋に食い込ませでもするのだろうかと絶句する琴美。しかし智子はそのようなことをせず、智貴の首へ腕を回してぶら下がるように抱き付くと彼に口付けをしてみせたのだった。そのまま智貴は押し倒されてしまい、窓から姿が見えなくなってしまった。
「あ……あ……」
パチパチ、ガラガラと屋敷の焼け崩れる音がそこかしこから聞こえてくる中、琴美は今しがたの出来事を頭の中で整理できずにいた。智子に見せつけられたその姉弟の接吻が、言葉にできない屈辱感を琴美に与える。と同時に、弱っている智貴を迂闊にも屋敷の中で一人きりにしてしまった事への深い後悔が押し寄せる。
変に気を利かせて自分が先におりてしまったのがいけなかったのか。モタモタせずにもっと早く行動していれば智子に追いつかれることはなかったのではないか。もしかすると智子はあの部屋の前に張り付いて智貴が一人っきりになる機会をうかがっていたのかもしれない。智子はもう倒れたものと、すっかり油断してしまっていた己を責める気持ちが琴美の中で湧きあがる。
(しっかりしろ、私!)
が、そうした己の弱気を一喝して奮い立った琴美は急ぎ屋敷へと駆け寄ろうとする。一階の窓枠を足がかりにしてどうにか二階へとよじ登るつもりだった。しかし今や一階部分はどこもかしこも割れた窓から炎が噴き出すほど炎上しておりとても近寄れたものではなかった。燃え盛る屋敷から放たれる耐え難い熱風に阻まれるように、琴美はそれ以上前へと進めなくなってしまった。目もあけていられないようなこの熱さである、今屋敷に近づけば大火傷では済まないかもしれない。
母はどうしたのだろうか、智貴を助けてやってはくれないのだろうかと思う琴美であったが、弱る一方の彼女ではもしかすると智子へこれ以上対抗するのは難しいのかもしれない。
(あの車なら……)
表庭のほうに停めておいた車は小ぶりな車体であったため、あれならば火災の熱や煙を多少しのぎつつ、この大きな屋敷の玄関口や廊下を通ることはできるだろうと踏んだ琴美は、一旦屋敷から距離を置くと大急ぎで表庭のほうへと向かう。あれに乗ってこの燃え盛る屋敷へと突入し、そのまま車で階段を駆けあがって速やかにミイラ部屋まで辿り着こうという算段だ。この屋敷の階段はふたつもあった訳であるから、どちらか一方がまだ健在であってくれれば望みはあるはずだと、琴美はそこに賭けるつもりだった。
二階部分に火の手が回るまでにはまだ幾許かの猶予があるはず。そのあいだにあの部屋へ突入して智貴を救出しなくてはならないと、少し前に己が車で荒らしに荒らして悲惨なことになっていた花畑を全速力で突っ切ってようやく車へと辿り着く琴美。ドアがあけっ放しになっていた運転席側の座席に飛び込んだ琴美は、エンジンがかかったままになっていたことを確認するとドアを勢い良く閉じる。
(智貴くん、すぐ行くから……!)
そうしてギアを切り替え、乱暴に方向転換した琴美が屋敷へ突進しようとした瞬間だった。
──ドグワァッ
琴美は見た。燃え盛るあの屋敷から閃光が放たれたのを。そうして一瞬のうちに膨らんだ屋敷が衝撃と共に爆ぜ、内部から現れた巨大な爆炎が見るまに空へ立ちのぼっていくその光景を。
辺り一帯を襲った衝撃と轟音は大爆発によるもので、その爆心地は屋敷であった。空から様々なものが降ってくるのか、琴美の乗る車の天井に時折なにかがぶつかる音が聞こえてきたり、ボンネットにも瓦礫らしきものが落下してきたりする。
突然の出来事を前に琴美はただ呆然とするしかなかった。
◆
屋敷があった場所は最早ただの瓦礫の山と化していた。爆発の衝撃と熱波のせいで、庭の中にまだ残っていた弟切草たちも一掃されてしまったようだ。これほどまでに激しい爆発が起こるなど、地下にはボイラーだけではなく爆薬もあったのではないかとすら思えてしまう。はたまたそれは琴美に自身の弟を奪われまいとする智子が最後の最後に見せた力の発露であったのだろうか。真相は杳として知れない。
「ハアッ……ハアッ……ハアッ……」
事態を飲み込めず車中で固まる琴美が荒い呼吸を繰り返すことしばし。ハンドルをきつく握りしめる手がすっかり痺れてきたころ、琴美はドアをあけて外へおり立つ。辺り一面には肺が焼けるような熱気と煙が漂っていたが、ふいに強めの風が吹いてそれらを森のほうへと押し流していった。
屋敷の跡地へと力なく歩き出したものの、やがて崩れ落ちるようにへたり込む琴美。先ほどの爆発に驚いたであろう森の中の動物たちが思い思いに甲高い鳴き声をあげているが、激しい轟音に耳をやられていた琴美にはそれが聞こえない。琴美は今、静寂の中でただただ屋敷のあったほうを見つめている。
(行かなきゃ……あそこに……)
早く立ちあがって智貴を迎えにいかねば。あの部屋の中で今も智貴が助けを待っているのだ。部屋──部屋とはどこだ。そんなものがどこにある。あるのはあの遺骨のような瓦礫の山だけではないか。家であったものは消し飛び、その中にあったものはすべて焼かれて白い灰と化したに違いない。どうもここにはもう自分以外誰も居ないらしい。自分を待ってくれる人は居ないし、誰かが頭の中に優しく語りかけてくることもない。様々な考えが浮かんでは消えていく琴美であったが、その心は場外に打ちあげられた白球のようにどこかへ飛び去り戻ってこない。
やがて森から聞こえてくる動物たちの喧騒も静まり、瓦礫の中で燻っていた残り火も鎮火していった。琴美の麻痺していた聴力も少し回復してきたのか、勢いを弱めた風が優しく木立を撫でる音を彼女は聞く。それがなぜだか無性に寂しくて、やがて琴美はメソメソと泣き出してしまった。わんわんと声をあげる気力もなく、ただただ消え入りそうな慎ましさで、琴美は時折鼻をすすっては涙を流し続ける。こんな風に泣いたのは大好きだった父が亡くなったとき以来であったことを琴美は思い出す。愛していた人が突然居なくなってしまった言い様のない虚脱感を彼女は今再び経験させられていたのだった。
「ウィー、ラブ、ラブ、ラァブ……ラブ、マリーンズ……」
か細い声で、うつむきながら歌のフレーズのようなものを口ずさむ琴美。それは彼女の応援する千葉ロッテマリーンズが今年になって発表した新たな球団歌*1であった。清く爽やかで、それでいて熱い闘魂をも感じさせるその希望に満ちた曲を、琴美はこれぞ新生ロッテに相応しい名曲だとしていたく気に入っていた。
元気がないときもこの曲を聞くだけで慰められたし、ロッテが押されて負けそうな試合でもひとたびこの曲が場内に流れればただそれだけで逆転勝利を信じることができた。そうした魔法のような球団歌が今の抜け殻になった自分に元気を与えてくれないものかと、琴美は無意識にそれを口ずさんでしまったようだ。
(ん……)
そうして放心状態で歌い続ける琴美であったが、ふと己の前に誰かが立っているような気がして顔をあげてみると、そこには一人の幼い女の子の姿があった。どこか見覚えのあるその子供はなにやら頭に黄色い花で編んだ冠のようなものを被っている。
突然のことに琴美は「え?」とか「あ?」などと気の抜けた声をあげてしまうが、気づいてもらえたことを悟ったらしいその女の子がニンマリと人懐っこい笑みを浮かべると、琴美に背を向け屋敷跡へ走り出す。その姿はうすぼんやりと光を放っているようで、この夜の闇の中でもどこにいるのかハッキリと認識できた。
「ま、待って……!」
慌てて立ちあがり女の子を追いかけていく琴美。やがて屋敷のあったところまで辿り着くが、この付近はまだ火災の影響で辺りにじりじりとした熱気が漂っている。女の子はそれにひるむこともなく瓦礫の山へと足を踏み入れていったものだから、琴美も熱さに耐えつつその子を追う。
所々煙を立ちのぼらせている瓦礫の上をおぼつかない足取りで進んでいた琴美は、道すがらなにかを見つけて足を止める。それは例のミイラが使っていた車椅子の残骸らしきものであったが、爆炎にさらされたためかまっくろこげになっている。ミイラの姿は見当たらなかったが、瓦礫に埋まっているのかあるいは木っ端微塵になってしまったのだろうか。
ともあれ道とも言えぬこの悪路を難なく歩いていく女の子を見失わないようにと、琴美は再び歩みを進めていく。そうしてある場所まで来たところで急にしゃがみ込む女の子だったから、追いついた琴美がその傍らに歩み寄る。どう声をかけたものかと迷う琴美であったが、その子の足元になにやら人型の煤けた塊が突っ伏していたことに気づく。
(これ、お父さんの……)
それは智貴の父であると紹介されたあの鎧であった。丁寧に磨きあげられていたことがうかがえていたその立派な体も今や火に晒されたことですっかり無残な有様となってしまっているようだ。
もう誰も居ないのだと心細さに泣いていた琴美であったが、まだこうして形を残していたその鎧を見て僅かばかりの慰めを得る。そうしてその場へしゃがみ込み、なんとはなしに兜の部分へ手を触れてみる。が、触れた部分がまるで薄氷のように割れてしまった。
(え? これって……)
それほどまでに脆くなっていたのは高温で熱せられ続けたせいなのだろうかとも思った琴美であったが、割れた兜の中になにかが入っていることに気づいた。それを確かめるため、卵の殻を剥くようにして脆い兜を手で取り払っていく琴美。兜の中にあったものが徐々に露わになっていく。
(人が入ってる!?)
それは明らかに人間の頭であった。琴美がその頭を撫でてみれば短めの髪型をしていることがうかがえる。耳もしっかりと付いているようだ。まさか智貴の父の中身が復活したのかと思う琴美であったが、鎧の肩を持って仰向けにしてみたところそうではないことがすぐに判った。露わになったその顔は琴美が見紛うはずもないあの智貴であったからだ。
「ほ、ほんとに……これ……と、智貴、くん……!?」
月光に照らされた智貴の顔は黒焦げになるでもなく綺麗なままであった。目の前の光景を信じられない琴美が、確かめるように彼の首元へ手を当てる。
(熱い……)
燃え盛る屋敷の中に居たためか、まるで風呂あがりのごとく火照った智貴の体温が手のひらを通して伝わってくる。琴美が耳をそっと近付けて呼吸の有無を確かめてみたところ、ゆっくりとだが息をしていることも確認できた。
智貴は確かに生きていた。いったいなにをどうやったのか判らぬものの、あの火災と爆発を逃れた彼はこの通り無事な姿を見せていた。事態に頭が追いついていなかった琴美であったが、これらのことを受けて徐々に現状を理解していく。
「ど、どもぎぐんが……どもぎ、ぐんがぁ……うあぁぁ……」
生きている。生きている。そのことを何度も確かめる琴美はやがて嗚咽と共に涙を流し始める。今日という日は泣いてばかりの琴美であったがこのときばかりはかつてないほどに泣きじゃくる。しかしそこに悲しみの色は微塵もなく、あるのは愛する人との再会をただひたすらに喜びその生存に感謝する温かな心だけであった。
もう会えないと思っていた人に琴美はこうしてまた会うことができた。智貴とはいつもそうであった。進学に伴い彼と離れ離れになることはあったが、その度にまた不思議な縁で再会することができていた。もうなにがあっても離れない、一生彼のそばにいようと、智貴との運命を感じた琴美はそう心に誓う。
これからは自分の気持ちをもっと素直に伝えていこう。長らく己にまとわりついてきた卑屈さもきっと今後の智貴との関係には不用なものとなる。心に秘めた想いを言い出せないまま伝えるべき相手が突然居なくなってしまったとしたら──そのときの苦しみを嫌と言うほど思い知らされた琴美はもう迷わないのであった。
とにもかくにも智貴が無事だと判った以上、いつまでもこのような熱気の満ちる場所に置いてはおけない。意識のない彼をどうにかしてここから連れ出してやろうと、琴美はひとまず彼を抱き起こす。するとその身をおおっていた黒焦げの鎧が乾いた音を立ててひとりでに割れていく。まるで役目を終えて力尽きたかのように、少しもしないうちにそれらは智貴の体からすべて剥がれ落ちていった。
(お父さんとお母さんが守ってくれたのかな……)
この鎧は果たして智貴が自力で着たものなのであろうか。あるいはなにか不思議な力が働いて、爆発にも耐えうるこの尋常ならざる鎧の中へと避難させられたのか。その場に居なかった琴美には知る由もない。
「どっこい、しょぉ!」
智貴を背負う体勢を取った琴美は、そのまま体に力を込めて立ちあがる。長身で体格の良い智貴をその小さな体で懸命におぶってみせたのだ。これこそまさしく火事場のなんとやら。いや、愛のなせるわざというべきか。
(そういえばさっきの……)
自分をここまで案内してくれた先ほどの女の子が居なくなっていることに琴美は今になって気づく。あれが人ならざるものであることはすぐさま見当がついていたのであるが、いったい何者であったのだろうと考えてしまう。そこでふと、琴美はあの子供が頭に被っていた花かんむりのことを思い出した。それと似たものをあの開かずの間で見かけたからだ。あの花嫁姿のミイラもその頭に弟切草で編んだ花かんむりを被ってはいなかっただろうか。
そこまで考えて、琴美はどこか見覚えのあった女の子が誰であったのかに思い当たる。それは智貴から渡されたあの古い写真に写る幼少期の智子なのだった。まさかミイラが子供に化けたとでもいうのだろうかと思う琴美であったが、辺りを見回しても女の子の姿は最早どこにもなかった。狐につままれたような気分の琴美であったが、ともあれずっしりとした足取りで智貴を背負って瓦礫の山を後にする。
◆
庭の中程まで歩いたところで流石に辛くなってきた琴美であったから、背負っていた智貴を花畑の焼け跡へと一旦おろす。智貴をおぶっていたあいだ、その命の健在ぶりを主張する鼓動や息遣いを身近に感じていた琴美であったから最早焦って無理をする必要はなかった。そうして己の膝を枕代わりにして智貴を寝かせてやった琴美は、気を失っている智貴の乱れた前髪を手で整えてやる。
今日は本当に色々なことがあったと、これまでの出来事を思い出していく琴美。幾度も恐怖を味わわせられ、自分も智貴も何度も死にそうな目にあった。奇怪な現象にも度々遭遇して肝を冷やされたし、耐え難いほどの絶望も与えられた。せっかくのデートなのにロッテが負けた残念さなんてのもある。
だけれども悪いことばかりではなかった。愛する智貴と今までにないくらいに触れ合えたし、彼のことをこれまでよりもずっと深く知ることができた。智貴の本当の両親にだって会うこともできたのだ。恐るべき怨念を抱えた姉が出てきたりもしたが、それも今となってはすべて終わったことだ。この経験はお互いにとって生涯忘れ得ぬものになるのだろうと、琴美にはそういう予感があった。
今一度、琴美はあの智子のことを思い出す。己のことをおもしろ半分に苛め、戯れに命すら奪おうとしてきた智子。琴美としても彼女に対して何度激しい怒りを感じたか知れない。しかし琴美は今、そんな智子に対して憐れみを感じていた。彼女と自分の境遇にどこか通じるものがあるように思えてしまったからだ。共に幼きころに父を失い、そして弟たる存在が己のそばに居てくれることを望んでいた。なにより智子とは同じ相手を愛した者同士なのである。
そう、智子はきっと自身の弟を一人の異性としても愛してしまったのだろう。それは、あの窓から脱出しようとしていた智貴に追いすがって強引に口付けしてみせたことからもうかがえることであった。智子がもとより抱いていたその純朴な姉弟愛が如何にして艶めかしい色を帯びていったのかは定かでないが、人里離れたこの場所にこもっての母と二人きりの世界はとても限られたものであったに違いないから、思春期に差しかかった智子が同年代の異性としてまっさきに思い当たる智貴を疑似的な恋人に見立ててしまったのであろうか。あの飛躍に過ぎる結婚式の真似事も世間知らずな智子が考え出した稚拙な求愛行動の一環だったのかもしれない。
──などと琴美が考えたところでそれも結局は推測でしかなく、実際のところはもはや誰にも判るはずがなかった。ともあれ智子がその短い生涯で恋焦がれ執着した唯一の相手が自身の弟であったということなのだろう。
琴美は思う。仮定の話をしても詮ないことではあるが、互いの立場や状況がまた違ったものであれば、智子とはまっとうとは言わずともそこそこの関係を築ける可能性があったのかもしれないと。ついぞ智子は学校に通えなかったそうだが、年齢的には己と同学年にあたる彼女であったから、例えば二人とも同じ学校に通っていたりして、お互い憎まれ口を叩き合いながらもなんだかんだで腐れ縁のような間柄になれていたのではと、そのように考えてしまう。
なまじ特別な力に恵まれたためにその運命を大きく狂わせてしまった智子。超能力の実在を目の当たりにした琴美としてはそうした力に憧れや興味が湧かないと言えば嘘になるが、そのようなものを軽はずみに望んではならないという戒めの思いが、智貴の出自にまつわる悲劇の顛末を見届けた琴美の中に刻まれる。智貴の母もまた、そうした力を持つことの危うさを思い知っているが故に我が子の特異な才能をあえて押さえつけ、頑なにその力を否定するような教育を強いたのだろう。いや、あるいはそれは智子の強大ではあるが未熟な力に対して恐れとも憤りともつかぬ思いを持ってしまったが故のことであろうか。智子が癇癪のままに父親を鎧に封じ込めてしまったときから、あの母娘のあいだには決定的なヒビが入ってしまったのかもしれない。誰が悪いというのでもない、すべては運命の悪戯によるものであったのだと、そのように考えでもしなければやりきれない琴美であった。
「先輩……」
そうしてしばらく物思いに耽っていた琴美であったが、ようやく意識を取り戻したらしい智貴に声をかけられ我に返って彼の顔を見返す。
「どう? どこか痛いところとかない?」
「すげーダルいですけど、多分大丈夫です……」
智貴の様子はどこかぼんやりとしていたが、ひとまず受け答えはできるようであったから琴美は胸を撫でおろす。とはいえ衰弱していることには変わりないから山をおりたらすぐ病院へ運び込んで入院させてやらねばならないだろう。
「ちょっと休んだら帰ろうね。もう、全部終わったから」
「ほんと……すみません」
子供をあやすように優しく語りかけ、智貴を安心させるためにその手を握ってやる琴美であったが、自責の念を滲ませる彼の様子になにを謝る必要があるのだろうと思ってしまう。
「俺んちのことなのに先輩を巻き込んじまって……それなのに、助けられてばっかで……」
智貴としては己の個人的な事情のせいで琴美をさんざんに振り回し、あまつさえ自身の危機を度々琴美に救ってもらったのだ。そのことを彼はただただ申し訳なく思っており、故にこのような詫びの言葉を口にせずにはいられなかった。
「ううん……そんなの全然いいよ。気にしないで」
そのような遠慮は無用だと、琴美は首を振りつつ当然のことのように言ってみせる。彼女としては智貴のためにする苦労ならばちっとも苦ではないのだ。己の身を顧みないほどに尽くしたいと、心からそう思える相手がいるということは琴美にとっての幸せなのである。
そうした琴美のまっすぐな気持ちが伝わったのかは判らないが、言葉を受けた智貴はしばし感慨深げに目を閉じる。そうして再び目をあけた智貴は、己を見おろしている琴美の目を見つめて口をひらく。
「俺……ここで暮らしてたときのこと、全部思い出したんです」
「えっ?」
この人になら話してもいいかもしれないと、大事なことを打ち明けるかのように切り出す智貴。幼いころの記憶は朧げでしかないと言っていたが、どうやらここに来て己の過去を遂に取り戻したらしい。続く言葉を聞き漏らすまいと琴美は息をひそめて耳をそばだてる。
「よく姉ちゃんと一緒にそこの森ん中に入って虫とか、あと動物とか捕まえたりしてました」
彼が語ったのは姉と一緒に遊んだ際の思い出であった。虫はともかく動物を捕まえるなど幼い子供には容易に成せることではないはずだが、そこは超能力者として目覚めつつあった智子であるから容易いことであったのかもしれない。
「姉ちゃんはおふくろに隠れてしょっちゅう力を使ってたんですけど、内緒にしておけってよく口止めされてました」
そうした過去を少しばかり愉快げに語る智貴の声には、遠くなってしまった思い出を懐かしむような色が浮かんでいる。
「なんでもできたんです、姉ちゃんと一緒なら。森ん中を飛んでって山のてっぺんまで行ったり、でかい穴とか掘ってトンネルにしてみたり……」
そうした智子の異能ぶりは、なんの力も持たぬごく普通の幼い子供であった智貴にはさぞかし頼もしく映ったであろう。テレビアニメの中の魔法使いやらエスパーやらが起こすような奇跡の数々を己の姉が実際にやってみせるのである。それに魅了されないはずがない。
「俺がはしゃいで喜ぶから……だから姉ちゃんは、俺と二人でいるときだけは使ってみせてくれたんです」
母の日記には、智子はある時期までは聞き分けの良い子供であったと書かれていたが、それは単に取り繕うのがうまくなっただけで実際のところは言いつけをまるで守れていなかったらしい。もしかするとそうした密かな反抗はただ己の弟を楽しませてやりたい一心であったが故のことだったのだろうか。その後の智子が頑なに己の力を封印しようとしなかったのも、自身の力が愛する弟との思い出と深く繋がっていたからなのかもしれない。
「そんなことも……今までずっと忘れてました」
かつてこの場所で家族と幸せに暮らしていたころの記憶を失っていた己に腹立ちを感じたのだろうか、そのように呟いた智貴の手にいっとき力がこもる。
「本当は養子になった後もまだ覚えてたんですよ。そんな簡単に忘れられるようなことじゃないですから」
この場所で生まれ育った思い出の数々を忘れ去ってしまったのは単に自身の幼さ故ではなかったと、智貴はそのように言う。そうした記憶を忘れざるを得ないほどのなにか特別な事情でもあったということだろうか。
「三年経ったらまたここに帰ってこれるって、ずっと信じてたんです。絶対にそうなるんだって、本当に信じてて……」
「三年」という期間はおそらく智子が弟との別れ際に交わしたというあの適当な約束に基づいているのだろう。姉を慕っていた幼い智貴はその言葉を真に受けてしまったのだ。
「でも、そうじゃなかった。いくら待っても、そんな話は来なかった……!」
すっかり智貴の話に聞き入っていた琴美であったが、ここに来て初めて智貴の声が震えを見せたものだから、握っていた彼のその手を今度はそっと撫でさすってやる。智貴は今、かつての自分が抱えていた苦しい心の内を吐露しているのだ。琴美はそうした彼をどうにか支えてやりたくて仕方がないが、今の己にできるのはそばにいて話を聞いてやることだけだと、そのまま口を挟むことなく次の言葉を静かに待つ。
「俺は捨てられたんだって、そう思ったんです。姉ちゃんの病気はとっくに治ってるはずなのに、それでも迎えにこないんだって、姉ちゃんもおふくろも、俺のことなんてもう忘れてるんじゃないかって……!」
智貴が身をこわばらせつつ、辛い様子でそのように言葉を搾り出す。彼の声の震えは一層強くなっていく。
「それがすげー悔しくて、怖くて……俺、なにも判ってなかったくせに姉ちゃんのこと、嘘つきだって……姉ちゃんが俺を、騙したんだって、思い、込んで……っ」
そこまで喋ったところで智貴が喉を詰まらせるように言葉を止めた。いつのまにか彼は泣いているようだった。
「だったら……俺も姉ちゃんたちのことを全部忘れてやろうって、そう決めたんです……。本当の親なんてもとから居ないんだって、自分は一人っ子なんだって、毎日思い込もうとしてました……そしたら」
そうしたら、本当にすべて忘れてしまった。智貴が言うにはどうもそういうことらしい。人はあまりにも辛い経験をした場合、時として己の心を守るために苦悩の原因となる忌まわしい記憶を改変してしまうことがあるという。だがここまで顕著に、狙ったように特定の事柄に絞ってそれを完全に忘却せしめるなどということが果たして可能なのであろうか。もしかするとそれは母から受け継がれなかったはずの異能の片鱗が智貴の中にわずかに存在していたが故のことであったのかもしれない。そうしたささやかな力を無意識に使って自身の望む結果を自らにもたらしたと、そのようには考えられないだろうか。
「馬鹿ですよね、本当に……誰も俺のこと、忘れてなんていなかったのに……」
自嘲するような智貴の呟きであったが、誰も彼を責めることなどできないと琴美は思う。かつての家族に恋しさを募らせる幼い少年がひとつの誤解から絶望した末にそのような行動を取ってしまったとして、いったい彼のなにが悪いというのか。強いて言うのなら、どこまでも姉を信頼していた智貴に対してその場しのぎの説得でお茶を濁した智子の迂闊さが悪かったと言えなくもない。
もしも当時の智貴のもとへ行けるのならば幼い彼を抱きしめ誤解を解いてあげたいと、琴美はそう思わずにはいられなかった。もとの家族との再会を願い続けていた一人の孤独な少年のことが憐れでならなかったのだ。
言いたいことを言い終えたのか、智貴はそれきり口を閉じてしまった。その目は夜空に向けられ、物憂げな様子でただそちらを見つめている。
「お姉さんと一緒に暮らせたら良かったのにね……」
ぽつりと琴美がそのように呟いた。先ほど聞かされた智貴の思い出話はその大半が自身の姉に関することであったから、彼にとって姉の存在が如何に大きいものであったのかを理解したからだ。
もし智貴がなにごともなくもとの家族と暮らせていたら果たしてどのように育ったであろうか。姉弟仲睦まじい家庭で満たされながらすこやかに成長していけただろうか。あるいは難儀な性格の姉に苛まれて心労を募らせる羽目になったのだろうか。どちらにしてもそれは彼にとってとうの昔に失われた世界の話でしかないのだった。
「……」
琴美の呟きに智貴は沈黙で答える。連れ合いの言葉をどう受け止めたのか、夜空を映す彼の瞳がそよぐように揺れていた。
「あっ」
ふとなにかに気づいたように智貴が声をあげた。そうした智貴の様子にどうしたのかと尋ねる琴美であったが、彼は一言こう呟く。
「星が……」
その言葉に促された琴美が空を見あげてみれば、そこにはすっかり雲の晴れた夜空に流れる無数の流星が煌めいていた。降り注ぐ星々に目を奪われる琴美は、しかしその流れに逆らい天へと昇っていく三つの星を見たような気がした。あれはもしや智子とその両親だったのではないかと、なぜだかそのように感じられてならない。
「綺麗だね……」
見事なまでのその星空に琴美は感嘆の声をあげる。そうして彼女は智貴と共にいつまでもその光景を眺めていた。本日自分たちが予定していた天体観測を、二人はようやく果たせたのだった…………。
エピローグに続く