「ご注文はいかがなさいますか?」
「あ、えと……じゃあこれの、ト、トールで……」
店員からの問い掛けを受けて、早く決めねばと気の焦る智子は大して選ぶ素振りも見せずカウンター上のメニューから適当にホットコーヒーを指差し注文してみせる。
智子は今、芹花を連れて駅前のアミューズメント施設内にあるカフェを訪れていた。
「せっ、芹花さんは?」
「ももこと同じのでいい」
自分が案内してやっているのだという気持ちが働いたのか、気を利かせたらしい智子が背後の芹花へ率先してそのように尋ねてやれば即座に返事が来たものだから、智子は噛みながらも自分の口から改めて店員に相方の希望を伝えてやる。
「あっ、じゃあ私、席取っとくから」
「わかった」
そうして会計を済ませた後で店員から暫く待つよう案内された二人であったが、智子がそのように言って芹花を残し店の奥へと入っていく。
その様子にはどこか気取ったものが浮かんでおり、先程芹花の注文を代わりに聞いてやった事も含めてこうした場所に慣れている感じをどうにか装っているようにも見えた。
実際は未だ数える程しかこの手のカフェを利用した経験の無い智子であったが、ともあれ今この時だけは自分をそのように見せたいという事らしい。
智子は以前、この店に一度だけ興味本位で訪れた事があった。その際は生まれて初めての不慣れなカフェ体験であった為に少々痛い目を見てしまい、こんな所は二度と来るものかとヘソを曲げてしまう一幕などもあったのだが、今となってはそれも過去の事。
先日十六歳の誕生日を迎えて一つ大人に近づいた智子としては、こうした場所を訪れる事に今や何の躊躇も気後れも無いし、注文だって席取りだってそつなくこなせるのだぞという自負が芽生えていた。実際の様子を周りが見てどう思うかは別としても、一応本人としてはそのつもりなのだった。
下校時とあって店内には他にも学生らの姿が多く見られる。その中には智子の学校の生徒も居るようであったが、どうもその中に見覚えのある顔がある事に智子は気付く。
それは智子のクラスにて目立った存在である二人組の女子であった。名前も碌に覚えてはいない相手であったが、彼女ら二人のその特徴的なポンパドールヘアとツーサイドアップの髪型は他人への興味が薄い智子としても比較的印象に残るものであった。
ふと彼女らの片割れが自分の方へちらりと視線を送ってきた事に気付く智子。
もしかすると一人でこのような場所へ来たように見える自分を珍しがっているのかもしれないと考えた智子の中に、普段慣れ親しんでいる恥の感覚が湧き上がりそうになってしまう。
(こっちはお二人様だぞ、文句あっか!?)
これが普段のひとりぼっちの智子であれば、そんなクラスメイトの視線から逃げるようにして店内の隅の目立たない席にでも座ろうかと考えそうなものであったが、今の自分には誰もが振り返る魅惑的な相方が同行しているのだという思いが智子に勇気を与える。
そんなに見たいのであれば逆に見せつけてやろうじゃないかと、智子は臆する事なく人目に晒される席を選んで堂々とそこへ陣取ってみせた。と言ってもそれは己の足が届かないカウンター席を避けての事ではあったが。
以前この場を訪れた際に、無理をして座ったカウンター席からみっともなく転げ落ちた自分を思い出してしまった智子であったが、身長の高い芹花であればあのような場所に腰掛ける姿もきっとサマになるのだろうと、そんな思いがよぎったりもする。
ともあれ二人分の席を確保した智子が、己の脱いだコートを掛けたその椅子を引いてとすんと座り込む。そうしてなんとはなしに受付口の芹花を見やってみれば、彼女はピンと綺麗に伸びた直立不動の姿勢で身じろぎもせず店員を見据えて静かに注文の品の出来上がりを待っていた。
モデル体型のその身に纏うセンスの良いファッションと相まって、ああしているとまるでブティックの店先に置かれているマネキンのようだなと、改めて智子はそのような印象を抱いてしまう。
それにしても見過ぎだろうと、これといった表情も浮かべずひたすらカウンターの店員に目を向け続けている芹花に智子は心の中でつっこみを入れずにはいられない。あれでは見据えられている店員の男性も居心地が悪いのではと心配になってしまう程であった。
(あっ……)
そんな芹花の様子を遠目に見守っていた智子であったが、やがて注文の品が出来上がったのか、置き物でいる事をやめた芹花が動き出したのを見て取る。
飲み物を受け取った芹花がそれらをトレイに乗せて店の奥へと入ってきたものだから、智子は他の客の中に埋もれぬよう控えめに手を振り彼女へと自分の居場所を伝えてみせる。
「出来た。飲もう」
「あっうん……」
やがて智子の座る席までやってきた芹花が、そのギリギリ二人用として使えない事もない小さなテーブルの上に二つのコーヒーカップを載せたトレイを置く。そんな芹花の存在に気付いたのか、何かと目立つ彼女へと周囲の客がこぞって視線を集中させたのを智子は見逃さない。
(見とけよお前ら、私にはこういう連れがいるんだぞ……!)
智子は横目で離れた席にいるクラスメイト達の様子をちらりと伺う。
この黒木智子にもお前らと同じようにこうして学校帰りにお茶する相手がいるのだぞと、それもそんじょそこらじゃお目に掛かれないレベルの美人なんだぞと、そのような事を見せつけてやりたくて仕方がない智子であった。
「その前にうんこ」
が、そうしたささやかな自尊心の充足に智子が酔い始めた矢先、彼女にバケツ一杯の冷や水を浴びせるが如き言葉が芹花から放たれた。
「……はぁ?」
「漏れそうだから、ちょっとうんこしてくる」
己の耳を疑ってしまった智子が思わず芹花に聞き返してしまったものだから、それがまた先程の爆弾発言の再来を招いてしまう。
「あぅ、えと、あ、あのぉ」
恥ずかしげもなくそのような事を衆目の前で堂々と言い放った芹花に困惑した智子はしどろもどろになってしまうが、そんな彼女を尻目に芹花は颯爽とした足取りで店内のトイレへと向かっていった。
(何あの人!? 何考えてんだ!? 馬鹿なのっ……!?)
一人その場に取り残された智子は、今し方の芹花の発言を周囲の客に聞かれてしまったのではないかと激しい羞恥がこみ上げてきたものだから、顔を上げる事も出来ず猫背気味だったその背を益々丸めてしまう。
(ガキじゃあるめーし、いちいち言わんでも……!)
女子にあるまじきデリカシーゼロの芹花の発言に自分までもが巻き添えを食らってしまったような気分の智子は、今すぐ店を出てこのまま帰りたくなってしまった。
しかしそんな事をすればまたあの泣き虫な女性は絶望的な顔をしてめそめそと泣き出してしまうであろう事が容易に想像出来たものだから、それが智子をすんでの所で思い留まらせる。
どうにも子供っぽい人だなと思っていた智子であったが、どうやらあれは本当に子供そのものなのではないかとすら思えてきたものだから、これ以上そんな芹花を責めても仕方がないという気になってしまう。
(大丈夫だ……たぶん聞かれてない、筈……)
カフェと言えば静かでリラックス出来る場所という先入観を持っていた智子であったが、それは客の入りが少ない時の話であり、大体の席が埋まっている今のこの店内においてはその限りではなかった。
店のそこかしこに居る客の喋り声が混じりに混じってこの場を満たしており、どこからか流れてくるBGMや店外から聞こえてくる雑音なども手伝って、些か騒がしいぐらいであった。
この分なら大きめの声でもなければ周囲に会話をはっきりと聞かれる事はおそらく無いのではないかと、智子はそのように考え始める。
そうして周囲の客の様子をそっと伺ってみれば、成る程確かに彼らは特に戸惑ったり仰天している様子もなく、芹花が去った後はこちらから視線を外して思い思いに過ごしていた。
「ふ────……」
これはどうやら本当に大丈夫そうだと、顔を上げた智子はようやく一息つく事が出来た。近くに居た周りの客がこの様子なのであるから、当然ながら離れた場所にいる己のクラスメイトであれば言わずもがなである。
気になって彼女らの様子を伺ってみれば、さっき己の事を見ていたツーサイドアップの女子はこちらにもう関心が無いのか、今は相方とのお喋りに夢中のようである。
先程の下品な会話の件はともかく、自分が決して一人などではなく連れ合いと共にこの店を訪れたのだという事を彼女らにもちゃんと気付いて貰えたのだろうかと、そのような事が気になってしまう智子であった。
(ほんと、変な人だな……)
砂糖もミルクも入れずただ苦いだけのコーヒーをちびちびと啜りながら、智子はぼんやりとそのような事を考える。
会って間もない相手だというのに、芹花のその奇人変人ぶりを目の当たりにした智子は早くも圧倒されてしまっていた。
あの顔で『うんこ』などと涼しげに臆面もなくのたまうのであるから、与えられたインパクトの大きさたるや智子の人生史上初と言っても良かった。そもそも芹花のような一風変わった人間と関わりを持つ事自体が生まれて初めての事である。
元々会話の取っ掛かりを掴むのに苦労しそうな相手だとは思っていたが、この分では先が思いやられるなと、そのような考えが浮かんできてしまう。
(なんか話題のネタになるものは……)
普段智子が会話するのは己の家族か気心の知れたごく一部の友人に限られていたものだから、知り合って間もない相手と会話を弾ませる為の術など持っている筈もなかった。
今はまだ己に興味津々らしい芹花ではあるが、実際に話してみてつまらん奴と思われ興味を無くされるのが怖い智子であったから、彼女が用を足している内に対策を練らねばと、鞄から取り出したスマホで情報収集を図り始める。
どうもあの芹花は可愛いものが大層好きらしいから、そうした話題を調べてみようと検索ワードを入力していく智子であったが、何かを思いついたようでふとその指を止めてしまう。
(動物とか好きなのかな……?)
あのサイドカーといい、自分が渡されたヘルメットといい、そのいずれもが動物達をモチーフとした可愛いものグッズであったから、智子は芹花の関心事についておおよそのあたりを付けたような気持ちになる。
であるのなら、同じく動物全般がそれなりに好きで時折その手の情報を求めてネット巡りをする事もある智子としては話題に事欠かないのであったから、ここはひとつ自分のとっておきなんかを披露してやりでもすれば芹花の歓心を買えるのではないかと考える。
このように他人の好みを自ら積極的に推し量ろうとするなど、自己中心的なきらいのある普段の智子の姿からは考えにくい事ではあったのだが、果たしてそれは芹花の特殊な人柄こそが彼女をそのような心境へと至らせたのであろうか。
これが智子の親友である
ともあれそうと決まればまずはどれから見せてやろうかと、人に何か良いものをオススメする時の楽しさが湧いてきた智子はブックマークからそれらしいネタを漁り始める。手が滑っていかがわしい動画のブックマークを芹花の前で開いてしまわないようにと、そこだけは要注意であった。
(なになに、千葉でキョンが大繁殖……)
普段よく見ている動物関連のまとめサイトへアクセスしていた智子は、そこの最新記事としてここ千葉県における話題が掲載されていたのを見つけ、なんとはなしにその記事を読んでしまう。
“キョン”とは鹿に似た草食動物で、元々外来種であるこのキョンが千葉県南部の山林地帯にて絶賛大繁殖中であるとのニュースが、彼らの様子を映した映像と共に紹介されていた。
「出してきた」
「えっ!? あ、そ、そう……」
いつの間にか戻ってきた芹花から唐突に声を掛けられたものだから、スマホの方に気を取られていた智子の肩がびくっと小さく跳ねる。
これはもう癖のようなもので、急に人から話し掛けられたり、ふいに物音がしたりすると決まって智子は人並以上に過敏に反応してしまうのだ。
その様子はまるで小動物のようで傍から見れば愛嬌のあるものだったが、智子としては地味に辛いと感じさせられる面倒な性分の一つであった。
「なに見てる?」
席に座らず智子の傍らに立った芹花がそのように尋ねる。先程から智子が熱心に見入っていたものが気になってしまったらしい。
「あっ、な、なんか千葉にキョンが沢山いて大変なんだって……」
そう言って、手に持つスマホの画面を芹花にも見えるようにしてやる智子。画面には今し方見ていたニュース映像の中で木々の葉を食んでいるキョンの群れが映っている。
途端、それを目にした芹花がスマホを覗き込むように智子へ体を寄せて興味津々な様子で映像に食いついたものだから、見上げてばかりだった芹花の顔が自分の目の前まで迫ってきた智子は思わずそちらに目が行ってしまう。
(ふあっ……)
芹花から何かとても良い匂いがふうわりと香ってきたものだから、智子は思わず我を忘れてうっとりしてしまう。綺麗な人というものはどうしてこうも良い香りがするのだろうと、同じ女性である筈の己には無いそうした特性が、智子としては羨ましくも憧れなのであった。
「こないだ私も見に行った」
「へっ? な、何を……?」
映像を見ていた芹花がふいにそのような事を言ったものだから、うたかたの陶酔から覚めた智子は彼女にそう聞き返す。
「この子達」
芹花が映像の中で元気に跳ねるキョンを指差す。見に行った、というのは要するにどこぞの動物園にでも行って話題の彼らの姿を見てきたという事なのだろうか。
やけにこの手の話に興味を示すものだから、やはり自分の見立て通り芹花は動物が好きなのだろうかと思う智子。
「千葉の山は可愛い動物たちがいっぱいだからいい」
「あ、そうなの?」
「そう。南の方に行くと沢山いたりする」
「へぇ……」
何やらまるで実際に見てきたような口ぶりの芹花であったから、ひょっとしたらこれはバイカーである彼女がツーリングがてらそのような場所へと赴いて、自身の目で確かめでもしたのかもしれないと智子は推測する。
そこまで考えて、智子は先日学校付近で初めて声を掛けてきた際の芹花の姿を思い出す。確か彼女は如何にもスピードの出そうなバイクに全身ライダースーツという仰々しい出で立ちであったから、もしかするとあの日はここ幕張よりもずっと南の山間部まで遠征していた帰りだったのかもしれない。
そう考えるとあのタヌキがモチーフなサイドカーも、山の動物達に合わせてチョイスされたものだったのではと思えてくる。
「あ、あの、じゃあ……」
「?」
「芹花さんって、バ、バイクとかでよくそういう所とか行ったりするのかな?」
せっかくなのでもう少しこの話題を掘り下げてみようかと、智子がそのように尋ねる。これが普段の智子であれば、さして親しくもない相手の話にここまで乗ったりする事もなく適当に無難な相槌を返してそれで終いであったから、彼女にしてはいつになく積極的であると言えた。
「行く。動物たちがいそうな所は大体行った」
これは思った以上に筋金入りのようだと、芹花の返答を聞いてそのような感想を抱く智子。この分なら自分が芹花に見せてやろうと思っているあれやこれやにきっと食いついてくれるだろうとの確信を得る。
「動物とか好きなの?」
「好き。とても」
智子のそうした質問を受け、コクンと頷き素直に答える芹花。
「あ、じゃあいいの見せてあげる」
「?」
芹花の返答を聞いた智子は、それを待っていたかのように手際よくスマホを操作し、芹花に見せてやりたいと思っていたとっておきの動画を開いてやる。海外の誰かがネットに投稿した犬猫達の面白動画集だ。
「ほら、これとか面白いよ」
「……」
芹花のその目が画面に吸い寄せられるように固定され、まじまじと動画に見入ったものだから、智子はそこに確かな手応えを感じてしたり顔になってしまう。なんとなくこの女性の中にある一種の“チョロさ”のようなものを見つけた気になってしまったのだ。
昨年あたり犬好きの従妹にこの手の動画を見せてやった時の好感触が智子の中で蘇る。それもあって今や智子の中で『ガキはこういうもんを見せりゃ喜ぶんだ』というロジックの正しさが証明される事となった。
こうなるともう、この動画に夢中な芹花はすっかり智子の中でガキ扱いなのであった。これは案外やり易いぞと、どこか肩の力が抜けていくのを感じる智子。
「なにこれ、可愛い!」
「わっ、ちょ、鼻血っ……!」
黙々と視聴に集中していた芹花がようやく口を開いたかと思えば、それと同時に彼女の鼻から血がツーっと垂れてくる。制服を汚されては敵わないと、それを見た智子が反射的に身をのけぞらせて椅子を鳴らす。
「そんなもの見たら出さずにはいられない」
「あ、ハハ……」
そのちょっとした騒ぎに一体何事かと周囲の客がまたしても視線を寄越してくるが、当の芹花はどこ吹く風でハンカチを取り出し血を拭っていく。
そうして芹花は智子の向かい側の席へと座ってみせるが、智子としては芹花のこのような鼻血癖に遭遇するのも二度目となるので、少しは慣れが出てきた様子だ。
まずは一服したいのか、芹花は己のコーヒーカップを手に取りそれをずずっと啜る。こちらも智子と同じ、ミルクも砂糖も入っていないただのブラックコーヒーだ。
「そういうのもっと見たい。見せて」
「えっ? あ、うん、いいけど……」
カップを置いた芹花が開口一番、そのようにねだってきた。
やはり食いついてきたかと思う智子だったが、それにしたってなんとも直球で判り易い反応である。一体どういう育ち方をすればこのような人間になるのかと、ある種の疑問すら湧いてきてしまう程だ。
「あっ、じゃあこういうのはどう?」
ともあれ次なるオススメ動画を開き、スマホを芹花に手渡してやる智子。渡された芹花はそれを握りしめ、食い入るように動画に見入ってしまう。例によって時折鼻血を出したりもするが、顎を伝って下に垂れてくるそれを芹花は器用にテーブルの上に置かれたトレイへと溜まらせていく。
そうして動画を見終えれば、芹花がもっともっととねだり、智子がそれに応えるべく次のオススメを見せてやる。そうしたやりとりを幾度か続けていく内にすっかりトレイ一面に血だまりが出来てしまっていたものだから、そこに飲み物を置きたくない智子はやがて己のカップを持ちっぱなしにせねばならなくなった。
智子らの周囲の席に座る客もその異様な光景に気付いたようで、ちらちらと視線を送ってきたり、中には離れた席へと移る者までいる。
対する芹花はそのような事はお構いなしで、時には鼻血を流し続けたままカップを口に付けたりするものだから、きっと己の鼻血混じりのコーヒーを飲んでいるに違いなかった。
◆
「もうないの?」
「あっうん、探せばもっとあると思うけど……」
今の所思い当たるオススメを一通り芹花に見せ終えた智子であったが、芹花はまだまだもっと欲しいと貪欲に求めてくる。
「ほら、なんかもう充電切れそうだから」
「それは残念」
動画を再生させられてばかりいた智子のスマホの充電残量が底を突きかけていたものだから、すっかり飲み干していたコーヒーカップを血まみれのトレイに置くと、そろそろ視聴会はお開きだと言わんばかりに所々血の付いていたスマホをティッシュで拭いてから鞄へと収めてしまう智子。
「ももこはもしかして動物博士?」
「えっ、はかせ?」
「そんなにも色々知ってるなんて凄い」
そのように持ち上げてきた芹花が尊敬の念を込めた眼差しで見つめてきたものだから、たかがあの程度のものを見せてやった位でそのように褒められてはと、智子は妙に気恥ずかしくてむず痒くなってしまう。
「ま、まあ、結構詳しい方かなぁ」
しかしその実、智子はこうした眼差しで見られるのが好きだった。このような目で自分を見て貰う為ならば、あからさまな法螺話もするしゲームで躊躇なくイカサマもしてみせる。そうまでしても得たいと思わせる何かを、智子は他人からの称賛の中に見出していたのだ。それが如何に一時的で儚いものであったとしても、智子はそこに縋らずにはいられなかった。
「じゃあもっと色んなの教えて欲しい」
「えっいやっううん、そ、それはちょっと……」
どうも芹花はすっかり智子の事を可愛い動物に関する専門家であるかのように捉えてしまったようだ。
休日などは日がな一日ネット巡りに費やす事も多い智子であるから、その過程で動物達のユニークな姿を収めた画像やら動画やらを見つける事もあり、そういう意味では確かにそれなりの情報通と言えなくもなかったが、何かにつけてにわか仕込みな所のある智子であったから、こうして本格的に己の知見をアテにされてはボロが出かねない。
「なにがちょっと?」
「あ、いや、今はちょっと……スマホ使えないと教えてあげれなくて……」
充電切れ一歩手前のスマホを引き合いに出してどうにか言い逃れをしようとする智子であったが、本音を言うと少し面倒臭くなってきたというのもあったりする。自分が関わりたい時だけ絡み、気が済んだらそっぽを向く。そうした気まぐれな所が智子にはあったから、わざわざ相手に合わせて付き合ってやるといった事が彼女は苦手なのであった。
「じゃあ電話番号教えて」
「へっ!?」
「また電話で動物の話とかしたい」
唐突にそのような事を言い出す芹花であったが、智子としては自分の連絡先を他人から聞かれるなど中学の頃に親友のゆうとお互いの番号を交換した時以来であったから、その戸惑いもひとしおであった。
もう一人、同じく中学の頃に嫌々ながらも番号を交換した何者かがいたような気がしないでもない智子だったが、そんな者の番号など己のアドレス帳に影も形もないのだから、やはり気のせいに違いなかった。
「あ、いやー……そ、それもちょっと……」
「ちょっととは?」
如何に好意的であるといえど知り合って間も無い人間においそれと己の連絡先を教えてやれる程、智子は不用心でも開放的でもなかったから、芹花からのそうした求めに言葉を濁して渋った態度を見せる。
しかし芹花としてはそう簡単に引き下がるつもりがないのか、なおも食い下がってくる。
「友達同士は電話番号を教えあうもの」
「えっ、友達っ?」
「そう。ももこと私はもう友達」
一体いつの間に友達になったのかと、芹花から一方的にダチ公宣言をされてしまった智子はその顔に更なる戸惑いの色を滲ませる。
己が友と呼べる相手は今の所ゆう唯一人な訳で、それにしたってかつてのクラスメイト時代の親密な交流が友人としての縁を育んできた訳であるから、つい先程初めて膝を突き合わせたばかりの相手からいきなりそのように歩み寄られては、智子としてもどう受け止めて良いのか判らないのであった。
(あっ……)
“友達”という言葉を口にしたからか、どこか高揚したような様子を見せ始めた芹花が頬をほんのりと赤く染めて智子を見つめていた。彼女の瑞々しい瞳の中になにやら艶めかしい魅力を感じた智子であったから、その胸に軽い痛みすら感じてしまいそうな疼きが走った。ありていに言うと『ドキッとさせられた』のである。
ガキはチョロいぜと侮りかけていた芹花の中に突如浮かんだ、大人とも子供ともつかぬその不思議な色合いが智子の興味を惹きつけてやまない。相も変わらず無表情な筈なのにどうしてこんなにも表情豊かなのだろうと、芹花という人間の持つ神秘性が智子の曇った目を開かせる。
しばし言葉を失い芹花と見つめ合う形になっていた智子であったが、やがて我に返った彼女はいつの間にか自分の心臓がその鼓動を随分と早めていた事に気付く。きっと鏡で見てみれば、己の顔が赤く染まっているのではないかと思える程に火照っているのが判る。
そうした己の変化が一体どういった理由によるものなのか、智子は説明する事が出来ない。が、自分の中にそのような変化が起きた理由があるとするのなら、それを誰にも知られてはいけないような、そんな気がしてしまった。
ともあれ電話番号ぐらいなら教えてやってもいいかもしれないと、そのような心境の変化が智子の中で生まれていた。そうして己の滅多に開示されないプライベート情報をこの女性にだけ特別に明かしてやろうと考えれば、それが益々己の胸を高鳴らせるものだから、智子は頭がくらくらしてしまった。
「これに書いて」
「あ、じゃ、じゃあ、ちょ、ちょっと待って……!」
準備の良い事に芹花がバッグからメモ用紙とペンを取り出し智子に渡そうとするが、それを制した智子は椅子に引っ掛けておいた鞄を取り上げ膝の上に乗せると、もたついた手つきで先程その中に入れておいた己のスマホを改めて取り出す。
「あ、あのっ、番号覚えてなくて……! 今調べるから……!」
普段から人に連絡先を教えてやる習慣など無いものだから、己の電話番号を記憶していない智子は実際にスマホをいじってそれを調べるしかなかったのだ。
そうしてスマホのスリープ状態を解除した智子が、些か震えを見せるその指先で己の電話番号を表示させようと試みる。だが肝心のその方法をここにきてド忘れてしてしまっていたものだから、焦る智子はネットで調べてみようと検索を始めた。
あれも違うこれも違うと探し回った末にようやく自身の番号を知る為の手順が判明したものだから、早速それを試してみようとする智子。
「あ──っ!」
しかし突如スマホの画面にメーカーのロゴが表示されたかと思うとそのまま暗転して何も映さなくなってしまったものだから、思わず智子が声を上げてしまった。間の悪い事にここへ来て充電残量が尽きてしまったのである。
「どうした?」
「あっ、あのっ、で、電池切れちゃって……」
なんとも格好のつかない結果に終わってしまったものだから、それが悔しいやら恥ずかしいやら、智子の目尻にはじんわりと涙すら浮かんできてしまう。
「じゃあ私の番号を教える」
智子の事情を察した芹花がさらさらと手元のメモ帳に何かを記入すると、それを一枚破って智子に差し出す。
「あっ、ど、どもっ!」
芹花の連絡先をうやうやしい手つきで受け取った智子は、それを無くしてしまわぬようにと鞄の中のチャック付きのポケットに収める。自分の番号は伝えてやれなかったが、芹花から番号を教えて貰えた事に幾ばくかの慰みを得る智子であった。
「いつでも掛けてきていい。なんなら今夜にでも」
「あっ、そ、それはまた、次の機会にでも……」
芹花としては今晩早々にでも智子とのお喋りを楽しみたいという意気込みを見せているが、すっかり余裕を無くしていた智子はそのように迫られても十分に受け止められず、無期限に先延ばしにするような事を言ってお茶を濁してしまう。
「帰ろう」
「えっ!?」
脈絡もなくまたしても唐突な事を言い出した芹花であったから、もう先程から智子は聞き返してばかりであった。
「凄く楽しかったから満足」
「そ、そう……?」
満足したからもう帰るという、なんとも単純明解で一直線な理屈に基づいている芹花。彼女のそうした直進直撃・直接直感・率直極まる素直発言に、智子はもう笑い出してしまいそうだった。この人は面白いと、別に悔しさも何もなくただ純粋にそう認めてしまえる自分がそこにあった。
芹花の言う通りこのまま店を出れば、きっとそれで本日はお別れと相成るのだろう。そうしたら次に会えるのはいつになるのだろうか。そもそも次の機会はこれからも巡ってくるのだろうか。
「あっ、あのさ! ゲーセン、ゲーセン行こうよ!」
行きずりの相手と言えなくもない芹花であったから、どうにもここでお別れしてしまうともう会えなくなってしまうような予感のした智子の口から芹花を引き止める言葉が飛び出してしまう。
今自分たちがいるこの建物の中に丁度手頃な遊び場があったものだから、智子はそこへと芹花を誘ってみせたのだ。
お茶するだけならという条件で芹花に同行した智子ではあったが、今や自らその前提を覆す行動に出ている事を彼女は自覚していない。
「行きたい。行こう!」
智子から積極的にそのような誘われ方をしたのが嬉しかったのか、それを受けた芹花の方も乗り気である。ひょっとすると本当は芹花としても智子ともっと長く一緒に居たかったのだろうか。それを押してでも帰ろうとしたのは、智子との当初の約束を守ろうとする彼女なりの律儀さの表れだったのかもしれない。
ともあれそうと決まれば話は早く、自分達のコーヒーカップを血まみれのトレイと共に返却した二人はその足で意気揚々と次なるステージへと赴くのであった。
つづく