もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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【クロス】わたモテvsちょく! 可愛いものマニア現る(中-後篇)

 両替機からジャラジャラと吐き出された硬貨を掴み取り、それを己の財布へと回収していく智子。

 辺りには騒々しいまでに様々な音が満ちており、それが智子の耳にひっきりなしに入ってくる。

 このような喧騒は人によっては耐え難しと根を上げる事もあろうが、こうした場所に通い馴れている智子としては特段気にもならない。

 智子は今、芹花と共に先程まで自分達が居たカフェから歩いてすぐの場所にあるゲームセンターを訪れていた。

 

(どこ行った……?)

 

 これから芹花と色んなゲームで遊ぶ為にと軍資金を調達した智子であったが、両替機に背を向けた智子が辺りを見回してみれば肝心の芹花の姿が見当たらない。先程までは己の後ろに居た筈なのにと、彼女の姿を求めて店内をうろつく智子。

 

(お、いたいた)

 

 広い店ではあったがそれ程遠くに行っていなかったのか、智子はすぐしない内に芹花を見つけたものだから、何やら目の前のプライズゲーム筐体をしげしげと眺めている彼女の傍へと歩み寄る。

 

「あ、それやる?」

 

 芹花の横に立った智子がそのように声を掛けてやる。可愛いもの好きな芹花の事であるから、きっと何か気に入った景品でも見つけたのだろうと考えたのだ。

 芹花の居た辺りはプライズゲームが集中しているエリアで、周囲にはそこかしこにその手の筐体が設置されていた。

 芹花が見入っていたのは通りに並列して設置されていたUFOキャッチャーの内の一つで、ガラス越しに見える筐体の中には同じ種類のぬいぐるみが幾つも並べられ、己が釣り上げられるその時を待っている。

 

「いい。持ってるのばかり」

「あ、そうなの……?」

 

 しかし芹花から来た返答は素っ気ないものだった。何か欲しがっているものでもあればここは一つ己の腕前でも見せてやろうと思っていた智子だったが、流石は芹花と言うべきなのかこの店に置いてあるようなファンシーな景品はいずれも確保済みという事のようだ。

 それは果たして芹花が自力で取ったものなのか、はたまた友人か誰かを頼って代わりに取って貰ったものなのか。ともあれ可愛いものマニアなこの女性に掛かれば、巷に溢れるファンシーグッズ達はいずれも彼女の配下に加わる運命なのであった。

 

「ももこが得意なので遊ぼう」

「あー、えーとじゃあ……」

 

 そう促された智子は逡巡すると、芹花を引き連れビデオゲームのあるエリアへと向かっていく。そちらには智子の得意とするゲームが幾つも置いてあるのだ。

 

「あ、じゃあこれやろっか」

「これは何?」

 

 とある筐体の前で足を止めた智子がそれを指しつつそのように言う。それは智子が得意としているゲームの一つで、いわゆる“音ゲー”というものだった。

 対する芹花といえばこの手のゲームは初めてなのか、画面の中で動く愛嬌のあるキャラクター達を興味深げに見やっては智子へと説明を求めた。

 

「えと、音楽に合わせてこことか押してくやつで……」

「?」

 

 智子は身振り手振りでざっくりと説明してやるが、いまいち要領を得ないのか芹花の頭に疑問符が浮かぶ。

 

「ま、ちょっと見ててよ」

「わかった」

 

 一度やってみせた方が早いと、智子はコートのポケットから財布を取り出し小銭入れのスナップを外すと、早速筐体に硬貨を投入していく。

 智子としては本当ならば己のスマホをかざして過去のプレイデータを引き継がせたかったが、そちらは充電が切れてしまったのだから致し方ない。

 

 ともあれ手馴れた手つきでゲーム開始の準備を進めていく智子であったが、その顔にはどこか得意気な様子が浮かんできていた。

 それは自身の得意分野にて芹花に良い所を見せたいという気持ちの表れであり、智子としてはここらでいっちょ己のスーパープレイによって彼女を魅了し、ももこは凄いねと褒めて貰いたいのだった。

 先程カフェにて可愛い動物博士だと芹花に称賛して貰えた嬉しさが、ここに来て智子の心を貪欲にさせていたのかもしれない。

 

(こいつで行ってみるか……!)

 

 智子が選んだその楽曲は上級者向けと言って差し支えない高難易度のものであったが、このゲームをやり込んでいる智子としては問題なかった。

 むしろあえてこうした難しい楽曲に挑み、それを鮮やかにクリアしてみせる事で芹花というギャラリーを沸かせてみたい。チビで地味で凡庸極まる自分にも、人に胸を張れるだけの得意な事がこうしてあるのだと、智子はヤル気満々なのであった。

 ゲーム開始数秒前、智子は息を吸って画面に集中する。

 

 そこから先、智子の流れるような手捌きが筐体の前で目まぐるしく展開されていく。メロディと共に画面上に流れる無数のリズムのオブジェに一つも遅れる事なく、それらに合わせたタイミングで手元のボタンを叩き続けていく。

 息もつかせぬそうした華麗なアクションを鮮やかに紡いでみれば、今や智子は見事に一つの複雑な楽曲を演奏してみせているのだった。

 目にも止まらぬその早業に、傍らの芹花もどこか興奮した様子で瞬きもそこそこに目を見張っている。

 

(よしパーフェクト! どうよ!)

 

 そうして最後まで目立ったミスもなく無事演奏し終えた智子は、ふすーふすーと肩で息をしながら傍らの芹花を振り返る。

 

「ももこ凄い! 今のはカッコよかった」

「はぁ、はぁ……そ、そう……?」

 

 軽く拍手しながら芹花がそのように智子へ称賛の言葉を送る。薄い反応が返ってきはしないかと心配してもいた智子ではあったが、どうやら好感触のようだ。望んだ通りまたしても芹花から褒めて貰えたものだから、それが智子を益々得意にさせてしまう。

 

「はぁー……あ、じゃあ芹花さんもやってみる?」

「やる」

 

 お手本を見せてやった智子がそのように提案してみれば、すぐ様芹花がそれに飛びつく。

 ただ見ていただけではこのゲームの本当の難しさは判らない。先程の己の見事な演奏が如何に離れ業であったのかを深く知ってほしい智子は、芹花にも実際にこれを触らせてみようと思ったのだ。

 

「さっきみたいに丸いのが流れてくるから、下んとこの線まで来た瞬間に同じラインのボタンを押せばいいんだよ」

「なるほど」

 

 改めてこのゲームのルールを教えてやる智子に、芹花がふむふむと素直な生徒になって頷く。そうして次なる演奏曲を選ぶ為に智子がボタンをとすとすと連打していく。

 

「さっきのと同じのがいい」

「えっ?」

 

 ひとまず初心者向けの曲でもやらせてみようかと考えていた智子であったが、そこへ芹花が待ったを掛ける。芹花としては先程智子が演奏していたのと同じものを自分もやってみたいと、そのように言うのだ。

 

「あ、でも難しいよ?」

「いい。やる」

 

 先程の曲はとても初心者がやるような曲ではなかったから思わず智子がそのように忠告するが、芹花はやりたいと言って聞かない様子であった。

 

(まあいいけど……)

 

 きっとまともに演奏出来る筈もないと思う智子であったが、それならそれでより一層先程の自分の大変さを判って貰えるだろうと、ひとまずその曲を選んでみせる。

 そうして演奏開始前のシークエンスに合わせて芹花が筐体の前にすっと立ち、その両手をボタンの前に置く。

 ここでよろしくない結果に終わってしまえばその時点でゲームオーバーであったから、智子としてはキリの良い所で助っ人に入ってゲームクリアに必要なスコアを稼いでやろうと考えていた。

 

『アーユー、レディ?』

 

 演奏直前の合図が鳴り、すぐしない内に大量のオブジェが画面の上から降り注いでくる。

 智子が先程見せた手本と事前に受けたレクチャーに倣い、芹花がそれらに対応すべく筐体に据えられた九つのボタンを小気味良く叩いていくが、その結果は玄人の智子から見れば実に初心者然としていた。

 度々オブジェを逃す事もあれば、首尾良く捉えたオブジェもピッタリのタイミングとはいかず大なり小なりズレていたものだから、如何にも素人臭い限りなのであった。

 

(どれ、そろそろ私が……)

 

 そうして失点の限界ラインが近付いた頃合を見計らい、智子が助っ人に入ってやろうかと思い始めた矢先。

 今し方まで拙いリズムを刻んでいた芹花が何を思ったのか急に手を止めてしまったものだから、まさかもう諦めたのかと智子は思ってしまう。

 

「だいたいわかった」

 

 ふいに口を開いた芹花がそのように言う。そうしてすぅっと息を吸い込み両の足を肩幅まで開いたかと思うと、彼女の様子が一変した。

 先程までは初めて触る玩具に興味津々な様子だったその瞳が打って変わって鋭いものとなり、画面を睨み付けるように前のめりの姿勢となった。

 どうも芹花は諦めてなどいなかったらしく、再びその手が台のボタンを叩き始める。

 

(おお……!?)

 

 そうした芹花の変わり様に一瞬呆気に取られた智子であったが、再開された彼女の演奏ぶりに度肝を抜かれてしまった。先程までの芹花のプレイとは何もかもが一変しており、今度は流れてくるオブジェに合わせてミスする事なく正確にリズムを刻み出したのだ。

 

 そのボタン捌き、正確無比。台の上のボタンを鮮やかに連打し続ける芹花のその手の動きは、ただやたらめったら闇雲に叩いているのでは決してない。彼女は明らかに狙いすましたかのように一つ一つのリズムに対し完璧に対応していた。

 それが証拠に刻まれたリズムの評価を示す表示は『クール』。『グッド』や『グレート』など、幾つかあるセーフ判定の評価レベルの内、最高のタイミングでボタンが叩かれている事を示すものであった。

 

(フィーバー!? マジか!)

 

 画面の上から大量に降ってくるリズムのオブジェ全てを余す事なくベストタイミングで捉え続けていった結果、ゲーム内の観客の熱狂ぶりを示すゲージがやがてクリアに必要な上限を突破してしまったのだが、のみならず更にゲージは上がり続け、遂にはそれが限界値に達してしまった。

 そうして尚も正確極まるリズムを刻み続けた結果、判定評価を示す文字が今度は七色に変化する。これこそは特定の条件を満たすベストプレイをキープ出来た時にだけ発生する『フィーバー状態』である。

 自身であっても中々に難しいそれを芹花が難なくやってのけたものだから、智子は演奏が終わるまで彼女のそうした姿を呆然と見守るしかなかった。

 

「なかなか面白い」

「あ、そ、そりゃよかった……!」

 

 無事その楽曲をクリアした芹花が、ふぅと一息だけついて智子を振り返る。

 その顔はしれっとしたもので先程の智子と違って少しも息など切れてはいなかったものだから、智子は改めてそんな芹花がとんでもないものに見えてくる。

 

「えっ、ていうかこれ結構やった事ある?」

「一度も無いが?」

「はぁ、そうなんだ……」

 

 念の為智子が尋ねてみれば、芹花はこれが初挑戦というのだから畏れ入る。これでは先程己の腕前を見せつけてちょっといい気になっていた自称玄人の自分が何やら小さく思えてくる。

 大して練習もしていないどころか全くの初心者であった芹花にこうも見事な演奏を見せられてしまっては、智子のゲーマーとしてのプライドが萎れてしまいそうになるのだ。

 

 普段努力しない者がここぞという時に群を抜いた成績を難なく叩き出してみせるという、そのような離れ業には智子としても憧れがあったし、実際にそうした事をやってのける者がいればお目に掛かりたいとも思ってはいた。

 だがいざ実際にそうした人間が目の前に現れてその異能ぶりを発揮してみせた時、凡人に過ぎない己がそれをどう受け取るのかが、智子は今やよく判ってしまった。

 

 相手の驚異的な腕前に感嘆を覚える前に、まず自分への自信を無くしてしまうのだ。

 ましてや一応は己が得意としている分野においてそのような出来事に遭遇したのであるから、智子のその落胆もひとしおであった。

 努力を重ねてきた人間を己の才能だけで軽々追い越し優越感に浸りたいなどと不埒な事を考えてしまう事もある智子だったが、いざ自分がそのように追い越されてしまう側に回ってみれば、これが何とも苦々しい事この上ない。

 

 本当なら素人の芹花にこのゲームをプレイさせてその難しさを判って貰い、それで益々自分の事を尊敬して貰う筈だったのに。とんだ誤算もあったものだと、そのように思ってしまう智子だった。

 

「あっ、じゃあ他の曲とかもやってみたら……」

 

 こうなるともう先程までの得意気な気持ちはどこへやら。ちょっぴりすねたような気持ちにもなってしまった智子はどこか投げやりな様子で芹花にゲーム続行の権利を譲ろうとする。

 

「一緒にやろう」

「へっ?」

 

 しかし唐突に芹花がそのように誘ってきたものだから、予想外の事に智子は気の抜けた返事をしてしまう。

 

「あの子達もそうしてる」

「あ、う、うん……」

 

 芹花が少し離れた先を指差せば、同じゲームが複数台並んでいる先にある筐体で演奏している中学生達の姿が見て取れた。彼女らは一つの台を共有してボタンを分け合い、それぞれ役割分担しながら賑やかな様子で楽曲を演奏していたのだ。

 それはいわゆる協力プレイというもので、このゲームを製作したメーカーは元々こうした複数人で遊ぶ事を想定して作ったとされているらしい。

 智子としても中学の頃は親友とそうした事をやったりもしていたから、これが初体験という訳でもなかった。

 

「もう一回さっきのでやりたい」

「また?」

 

 何か心に触れるものがあったのか、三度同じ曲をリクエストする芹花。

 

「あっ、そんじゃボタン配分は……」

 

 台の上のボタンは全部で九つ。二人でそれらを分担するのなら、その割合を決めねばならぬ。ボタンの数は奇数であるから平等に等分するという訳にもいかず、さてどうしたものかと智子は考える。

 

「私が五つ押すから、芹花さんのは四つでいい?」

「それでいい」

 

 自分の方が一つ多くなるように配分を決める智子。これは長年このゲームで研鑽を積んできた彼女なりの譲れない一線であった。

 

(5ボタンとかメチャクチャ久しぶりだな……)

 

 智子がまだほんの初心者だった頃はよくそうしたボタンの少ないモードにて楽しんでいたものだが、やがて上級者入りを目指すようになってからはすっかり九つのボタン全てを使う事が当たり前になってしまっていた。

 

「じゃあ芹花さんはそっちで、私はこっち」

「ちょっと待って」

 

 そうして左右に分かれて協力プレイに挑もうとする智子であったが、そこへ何を思ったのか芹花が待ったを掛ける。

 

「ふぇっ!?」

 

 芹花が智子のその両肩を掴みグイッと台の中央まで引っ張ると、そのまま智子の背後から覆い被さるような姿勢を取った。

 

「これでいこう」

「あっ、あっ、で、でもっ……」

 

 智子に中央の五つのボタンを任せ、芹花自身は両サイドの四つを担当するというまさかまさかのプレイスタイルである。これではまるで親が我が子と共に遊んでいるようなものであるから、なんとも恥ずかしいスタイルに智子の顔に赤みが差していく。

 

「こっちのがいい」

「う、うう~ん……」

 

 芹花に背中から密着されて何やら変な気分にもなってしまう智子であったから、そこから逃れたい気持ちが体をもじもじさせつつも、同時にこのままでいたくもあるような、そうした矛盾が湧き上がってしまう。

 

「じゃあ始める」

「あっ!」

 

 智子のやり方を見ていてすっかり操作方法を覚えたのか、勝手にボタンを押してゲームを進めてしまう芹花。

 心の準備が出来ていない智子はそれにあたふたしてしまうが、間もなく演奏開始前のシークエンスへと入ったものだから、やむなくボタンを叩く構えを取るのだった。

 

 突然のこうした事態にドギマギしてしまう智子ではあったが、流石そこは手慣れたもの。動揺があって尚、智子のプレイに揺らぎはなかった。

 むしろ普段よりも追わねばならぬオブジェが大きく減った分だけ一つ一つのボタンを叩くタイミングも正確性を増しており、ゲーム開始から今の所、智子の叩き出す評価はベストタイミングを維持していた。

 両サイドのボタンを担当する芹花の方はといえば、相も変わらず機械のような正確さでボタンを叩き、クール評価を延々と連発させている。

 

 そうして二人の正確無比なセッションが続いていく内、観客の熱狂を示すゲージがグングン伸びていく。クール評価の獲得数を示すカウンターだけが止まる事なく数値を刻んでいくものだから、今や二人のそうした演奏は全国規模の上位ランカーのそれと比して遜色のないものになっていた。

 

(すげえ! ここまでいけたの初めてかも!)

 

 そうした思いの外の手応えが、智子を益々ゲームに集中させる。間も無くリズムの評価はフィーバー状態へと移行し、画面には七色の評価アイコンが絶え間なく表示される事となる。

 これがゆうとのセッションであればこうはいかない。些かのんびりした所のある智子の親友は初心者向けの楽曲であっても少ないそのオブジェを追うのに精一杯であり、とてもではないが上級者といって差し支えない智子に随伴する事は叶わないのだ。

 自分と同じかそれ以上の技量を持った相手とこうして難曲に挑み合奏するなど初めての事であったから、智子は今、確かに興奮していた。

 このゲームによもやこのような楽しさがあったとは、つい今し方まで知りもしなかった智子なのであった。

 

 そうして曲も終盤に差し掛かり、いよいよもって数を増した大量のオブジェを前に華麗なフィニッシュを決める為、智子はラストスパートを掛ける。

 が、ここにきて智子の鼻に何やら急にむずむずとした感覚がこみ上げてきてしまう。

 

(あっヤバ……!)

 

 くしゃみが出そうなその感覚に智子は焦る。瞬きの一つも許されないラスト一歩手前の怒涛のオブジェの嵐を前に、智子は必死でくしゃみをこらえて残りあと僅かとなったオブジェを叩き落としていくが……。

 

「ういっくしゅ!」

 

 あと一歩という所でとうとう我慢の限界が来たようで、智子は盛大にくしゃみをしてしまった。そうして間髪入れず楽曲が鳴り止んだ。

 

(くそっ! もうちょいだったのに……!)

 

 くしゃみをする直前、明らかに自分の担当分のオブジェが幾つか流れてきていたのを智子は把握していたものだから、それらをみすみす逃してしまった事は確実であった。

 あれさえしのげていれば今までにない新記録を達成出来たのにと、それが智子には悔やまれてならない。

 

(んっ? あれ? なんで?)

 

 そうしてはぁはぁと荒い呼吸をしつつ画面を見てみれば、そこに『パーフェクト』とポップな字体で大きく表示されていたものだから、智子は思わず目を疑ってしまう。それはプレイ中に一度もミスやギリギリセーフの凡庸な判定を出さなかった事を意味するものであり、今し方自分が逃してしまった分の失点がカウントされているのであればそのような事はあり得ない筈であった。

 その代わりベストタイミングの獲得数を示すスコアはMAXの数値を示しており、それはつまり先程逃してしまった筈のオブジェにもバッチリ対応出来ていた事を意味していた。

 

「押しといた」

「えっ……!?」

 

 困惑していた智子の心情を察したように、背後の芹花がそのように説明してやる。どうやら芹花は智子がくしゃみをした瞬間に、その担当分のボタンを代わりに押してやったという事らしい。

 

「仲間のミスをカバーする。これが協力プレイの醍醐味」

「は、はは……あ、ありがと……はぁ」

 

 しれっとそのような事を言う芹花だが、あの一瞬で瞬時にそのような行動に移れる芹花に智子は(ハンパねーな……)と常人離れしたものを感じてしまう。どうもこの人とは生きる次元そのものが違うのかもしれないと、そのような畏怖にも似た考えすら浮かんできてしまった。

 

『ユーアーパーフェクト!』

 

 スコアの集計が終わった際にゲーム画面からそのような称賛の声が上がる。このボイスは一つの楽曲に対し満点かそれに近い高得点を達成出来た時にのみ発せられるもので、智子も満点ではないものの初めの方のソロプレイ時に似たような成績を叩き出してはいた。

 

(クールパーフェクト、初めていけた……!)

 

 が、今回達成したのはそうした不完全なパーフェクトではなく、本当にスコアの限界値いっぱいにまで点数を獲得した文句なしの満点状態だったのである。

 これこそはこのゲームの愛好者の間で『クールパーフェクト』と呼ばれているもので、比較的初心者向けの楽曲ですら難しいそれを今演奏してみせていたような難易度の高い曲で実現するのは至難の業と言えた。

 自分でも驚いてしまうようなその快挙に改めて震えを感じてしまう智子。今し方の記録を残せていたらと、毎度このゲームで遊ぶ際のユーザー認証に使っていたスマホの充電が切れてしまった事が残念でならない。

 

「もっとやろう。これ面白い」

「あっ、そ、そうだね……!」

 

 興奮冷めやらぬ内に芹花がそのようにねだってくる。彼女としても先程の智子とのセッションが楽しかったのか、随分と気乗りしている様子だ。

 

「今度は違う曲がいい」

「えっとそれじゃあ……」

 

 そうして智子は芹花と共に次々と他の曲を演奏していく。いずれも最初に芹花とセッションした時のものに並ぶスコアこそ出せなかったが、そこはもう気にするような所でもない。

 智子としては芹花とこうして協力しながら高難易度の曲へと挑戦していく事自体が新鮮な体験であったので、すっかり意識はそちらの方へと向けられていった。

 

 ◆

 

「はぁ──もういいや……もうおしまいで……」

 

 担当するボタンが少ないといえど流石にこう何曲もぶっ続けでやっていては疲れてしまうというもの。気付かぬ内に随分と夢中になっていた智子はボタンを叩き過ぎた己の掌がいい加減痛くなってきたものだから、キリの良い所でゲームの終了を宣言する。

 

「じゃあ次は何する?」

 

 ちっとも疲れてなどいなさそうな芹花が、新たなる遊興を求めてそのように言う。店内にはまだまだ様々な種類のゲームがあったから、今度はどんな面白いものをやらせて貰えるのだろうかと、芹花の顔にそのような期待感を込めた表情が浮かんでいた。

 

「うーん……」

 

 少々疲れてしまった智子ではあったが、彼女としてもまだまだ芹花と遊び足りなかった。あれもこれもやってみたいと考えを巡らせる智子は、またしても己の得意分野に彼女を誘おうと思い立つ。

 

「じゃああれやろうよ、あれ」

 

 智子が少し離れた先にある筐体を指差しそのように言う。実銃を模したコントローラーを用いて画面上の標的を狙い撃っていくという形式であるそのゲームは、いわゆるガンシューティングと呼ばれるものであった。

 筐体に据えられた大きな液晶画面には無数のグロテスクな怪物達が画面へ向かって次々と襲い掛かってくるデモ映像が流れている。

 

「ああいうのはちょっと……」

「えっなんで?」

 

 しかしそれを見た芹花が何やら浮かない顔で難色を示したものだから、智子はその理由を尋ねてしまう。

 

「怖い」

「えー……」

 

 芹花から返ってきた非常にストレートなその理由に、智子は言葉を詰まらせてしまう。

 先程の芹花との協力プレイに味を占めた智子としては、続いてあのガンシューティングでも彼女との息を合わせたコンビネーショントリックをキメてみたいと思っていたのだが、出鼻を挫かれてしまったような気持ちになってしまう。

 

「あ、大丈夫だよ、そんな怖くないから……!」

 

 時折この手のゲームでカップルが遊んでいるのを目にした事のある智子は、大抵の場合女性の方がキャーキャー悲鳴を上げながらも片割れの男性にリードして貰ったりして結局は楽しそうにしていた事を思い出していた。

 であるのなら、きっと芹花だって適度な恐怖を楽しさに変えてくれるに違いないと、一緒にプレイしてほしい智子は尚も食い下がる。

 

「ちょっとやってみようよ、凄く面白いよ?」

「ももこがそう言うのなら……」

 

 そうした智子の姿がまるでねだってきているように見えてしまったからなのか、気の乗らない様子ながらも芹花は智子からの求めに応じてみせた。

 そうと決まれば話は早く、智子は芹花を連れて件の筐体の前まで赴くと、二つある内の片方の銃を握らせて一通りのルールやコツを説明してやる。

 

 そうしている間も手前の画面に映るデモ映像に怯えているような素振りを見せる芹花の顔色は、明るい場所で確認でもしてみればすっかり青ざめていたのであるが、些か薄暗いそのエリアでは彼女のそうした変調に智子が気付いてやる事は出来なかった。

 もっと芹花の様子に注意を向けていれば智子としても彼女がこのゲームをやりたくない気持ちでいっぱいな事を察してやれたのかもしれないが、今の智子は妙にテンションが高くなって芹花と遊ぶ事にばかり意識が向いてしまっていたものだからそれも叶わない。

 

 そうした二人の温度差が埋まらないままゲームは始まってしまう。おどろおどろしいBGMが流れる中、開始早々に無数の醜悪な怪物達が雄叫びを上げながら画面手前へと迫ってくる。

 すかさず智子が銃口を向けてそうした標的を仕留めていけば、彼らは絶叫しつつ血を噴き出させながら倒れ伏していく。

 

「芹花さん、ほら撃って撃って!」

「……」

 

 銃を構えたまま一向に攻撃に移らないでいた芹花は、ヒィともキャアとも言わずただ黙って画面を凝視していたものだから、そのように怖じ気づいていてはゲームにならないと智子が横から促す。

 言われた芹花がようやく引き金をカチャカチャと引いてみれば、見当違いな場所に銃弾が数発打ち込まれた。

 

「ダメだよ、敵を狙わないと!」

「……」

 

 智子のそうしたアドバイスが聞こえているのかいないのか、一言も喋らない芹花はその後もまるで定まっていないふらふらとした照準で弾を無駄に消費し続けていた。

 

(こりゃ選択ミスったかな……)

 

 常人離れした反射神経を持つ芹花の事であるから、智子としては彼女が際立った反応速度で敵を次々に仕留めていく心強い働きを期待していたのだが、蓋を開けてみれば散々な結果であった。

 まさかここまで芹花が下手だとは思わなかった智子であったから、何でもそつなくこなしてしまえそうに思っていた彼女のその姿に意外なものを感じてしまう。

 ともあれ自分一人だけでもゲームを進めるのに支障はないものだから、芹花にはもうこのまま戦闘能力の無い一般市民になって貰おうと考え自身の銃を撃ち続ける。

 

「ももこ……」

「えっなに?」

 

 それまで口を閉ざしていた芹花が急に声を掛けてきたものだから、智子は画面から意識を逸らさないようにしつつも傍らの彼女にちらりと視線を向ける。

 

「おしっこが漏れそう」

「はっ!?」

 

 聞き捨てならない台詞を芹花が口にしたものだから、智子はゲームそっちのけで傍らの芹花を振り返る。

 よくよく見れば芹花は今や銃を構えた姿勢のまま全身を小刻みに震わせており、ただならぬ様子である事を伺わせた。

 

「出していい?」

「ちょっ、ダ、ダメ! といれっ、トイレでっ!」

 

 今この場で女子力を解放するぞと、とんでもない宣言をした芹花であったから、最早ゲームどころではない智子は銃を手放し、彼女の腕を引いてトイレのある場所まで急ぐ。

 

「もういい」

「えっ?」

 

 しかしすぐしない内に芹花が足を止めてそのように言うものだから、まさか手遅れだったのかと彼女のふとももに思わず視線をやってしまう智子。

 

「もう尿意は引っ込んだ」

「あ、そうなの……?」

 

 どうも無事らしい芹花のその様子に一安心しつつも、智子はなんとも人騒がせなものだと呆れたような気持ちになる。うんこに続いておしっこと、シモの事で振り回されるのはこれが二度目であったから、内心では別にその手の話題に抵抗のない智子としても流石に辟易としてしまった。

 

「怖いのを見ると漏らしそうになる」

「マジで!?」

 

 どうも先程の失禁未遂事件は単に芹花の緩さが原因であったという訳ではないようで、聞けばあのゲームにいたく戦慄させられた芹花が恐怖のあまり漏らしてしまいそうになったという事のようだった。

 智子としてはよもやそこまで芹花が怖がっているとは思わなかったものだから、ちょっと可哀想な事をしてしまったかもしれないと幾許かの罪悪感を覚えてしまう。

 そしてまた、そんな芹花の内心に気付かず一人はしゃいでいた自分が今更ながらに恥ずかしいような気にもなってしまった。

 

 それにしても怖いという理由だけで粗相をやらかしそうになってしまうとは。そんな所まで律儀に子供じみている芹花であったから、隙だらけに見えるようでいて侮り難さを感じさせたり、かと思えばやはりてんで幼稚だったりと、もう智子は芹花という人間が判らなくなってしまうのだった。

 

「えと……せ、芹花さんっていくつ?」

「二十歳だが」

「あ、そうなんだ……」

 

 思わず智子が芹花の年齢を尋ねてみれば、やはり見た目相応といえる年齢が返ってきた。もうとっくに未成年と呼べる年を超えている芹花は立派な大人と言えたが、世の通念でいう所の大人らしさに全くもって当てはまらない彼女の在り方は、智子をただただ困惑させるばかりだ。

 

「ももこは?」

「えっ私?」

「何歳?」

「あっ、じゅ、十六だけど……」

 

 年齢を尋ね返してきた芹花に答えてやる智子であったが、それを受けた芹花は何か得心のいった様子でふんふんと軽く頷く。

 

「ももこはそんなに小さいのに高校生だなんて偉い」

「あ、そ、そりゃども……」

 

 突然訳の判らぬ事で褒められたものだから、もう智子としては適当な相槌を打つしかない。

 ひょっとすると図体の大きな芹花からすると、自分のような身長の低い者は益々小さく見えて小中学生並に感じられでもしたのだろうか。

 自分が芹花に対して見た目にそぐわぬものを感じているように、芹花もまたこちらに対し同様の思いでいるのかもしれないと、そのような考えが浮かんできたりもする。

 

「あ……ちょっと休憩しよっか?」

「そうしよう」

 

 軽い沈黙が二人の間に流れた後、智子がそのように言い出す。このままこの場に突っ立っていてもしようがないので、ひとまず腰を落ち着ける場所を求めてゲームセンター内の休憩所へと向かう彼女らであった。

 

 ◆

 

「ふぃ────……」

 

 合皮張りの腰掛けにどっかと座り込んだ智子が大きく長い息を吐く。今は何時なのだろうと受付窓口のカウンターにある時計を見やれば時刻は既に五時を過ぎていた。本日芹花と出会ってから今に至るまであっという間だったようにも思えるし、或いは随分と長かったようにも思える。

 常日頃無為に過ごしていた代わり映えのしない日常に比べれば、芹花と過ごしているこの一時の密度は非常に濃いもので、普段であれば考えられないような人生の一幕であった。

 

「疲れた?」

「えっ?」

 

 ぼんやりとしていた智子へ、傍らに座っていた芹花がそのように声を掛ける。どうも先程の智子の長い溜息の中にくたびれた様子を感じ取っていたらしい。

 

「あー、うん、ちょっとだけ……」

「そう」

 

 芹花の問い掛けに対してそのように己の本音を明かす智子。

 芹花にしてみればただお茶をしてゲームで遊んだ程度の時間だったかもしれないが、智子にしてみれば楽しいながらも気疲れを感じずにはいられない目まぐるしい時間であったのだ。

 

「じゃあ最後にあれだけやって帰ろう」

「あ……」

 

 芹花が離れた先にある大きな筐体を指差す。過剰気味なメイクが目立つ女性の巨大な顔写真がプリントされたその筐体は、智子としても見覚えのあるものであった。

 

(プリクラ……!?)

 

 それは智子もかつて一度だけ挑戦した事のある写真撮影台で、もっぱら友人や恋人同士で筐体の中に入って自分達の姿を撮って楽しむという、お一人様お断りな遊びを提供するものであった。

 

「あー、あーいうのはちょっといいかな……」

 

 しかし智子は先程の芹花の真似でもするかのように、そうした彼女からの誘いに難色を示す。

 というのも、智子はプリクラというものに強い苦手意識を持っていたのだ。

 智子としても元々そうだった訳ではなかった。とりわけ中高生の女子に人気なその手のものに、仮にも女子高生のはしくれである智子としても興味はあったのだ。

 

 だがそうしたささやかな興味を完膚なきにまで叩き潰してしまうある出来事があった。

 智子はかつて人目を忍び自分一人だけでプリクラに挑戦した事があったのだが、これが色々あった末に散々な結果に終わってしまったのだ。

 普段写真を撮られ慣れていない智子であったから、とてもではないが自分が可愛く見えるような写り方やポーズを実践する事など出来なかった。ましてやそうした行為をする事に妙な抵抗のある智子であったから、ただ突っ立ったままの姿を撮られたり、或いは珍妙な顔つきになった状態などを撮られてしまったのである。

 

 そんな調子であったから、小遣いを奮発してまで撮影した己の姿の数々はそのいずれもが言いようのないみっともなさに満ち溢れており、目にするのも嫌になってしまう程であったのだ。

 智子としてはプリクラの誇る盛りに盛った補正機能によって普段の冴えない自分とは別人のように可愛く撮って貰えると胸をときめかせていたのに、とんだ期待外れなのであった。

 

「何故?」

「え? あ、うーん……」

 

 そのように聞かれても、嫌なものは嫌なのである。わざわざ金を払ってまで己の見苦しい姿を撮影されるなど、智子としては真っ平御免なのだ。

 ましてや傍らの芹花にあのようなみっともない自分の姿など決して見られたくないと、智子はそのように思ってしまう。

 自分の事を一応は可愛いと思ってくれているらしいこの女性にもし幻滅されでもしたら、智子はもう立ち直れないような気がしてしまい、それが怖いのだ。

 

「えと、私って写真写り悪いから、変な感じになっちゃうし……」

 

 自覚している己の欠点を、プライドだけは高い筈の智子が何を思ったのかつい芹花に打ち明けてしまう。そのような弱味など普段であれば例え気心の知れた親友が相手であっても中々見せたりはしない智子ではあるが、意識しているのかいないのか、そうした己の失言を取り繕う様子は見られない。

 

「大丈夫。ももこならきっと可愛く写る」

「そ、そうでもないと思うけど……」

 

 芹花がそのように励ましてみせるが、尚も智子はそれに抵抗してもじもじとその言葉を否定する。しかしもう一押しと見たのか、芹花に諦める気配はなく今度は俯き加減な智子の顔を覗き込むようにして口説き文句を重ねていく。

 

「どうしてそんな事言う? ももこは凄く可愛いのに」

「あうっ……!」

 

 どこか熱を帯びたような声色で発せられた芹花のそうした褒め言葉を耳にした途端、智子の心臓が跳ね上がってしまう。

 凄く可愛い。そのように手放しで最上級の褒め方をして貰えた衝撃が、その喜びが、智子の体の中に甘い痺れを生む。

 

 仮にこれがただの知り合いから同じような事を言われたとしても、ここまで動揺してしまう事はないだろう。芹花だからこそなのである。このように褒めそやしてくれた相手が芹花だからこそ、今や智子の心はすっかり打ち震えてしまっていたのだ。

 一体全体どうしてこの人は自分の事をそこまで可愛いと思ってくれるのだろうと、智子にはそれが不思議でならない。

 

「でっ、でも私っ……そんな可愛くないかもだしっ……!」

 

 言ってしまった。心の中をくすぐられてしまった智子は、とうとう今まで誰にも打ち明けた事のない、自分自身ですら認めたがらずにいた己の中にずしりと横たわるそうした密かな不安を口にしてしまった。

 その様子はどこか芹花に救いを求めているかのようでもある。

 

「……」

 

 それを聞いた芹花がすっと席を立って智子の前へと静かに立つ。それに気付いた智子が顔を上げてみれば、どこか真剣な様子でじっと見つめてくる芹花と目が合ってしまう。

 これまで心の壁で覆い隠していた筈の、そして今や剥き出しになってしまった自分の中の無防備なその本心に芹花が直接向き合ってくれているような気がしてしまい、智子は彼女から目が逸らせない。

 

「ももこが可愛い事は、この私が保証する」

 

 まるで智子の中に潜むコンプレックスに向けて高らかに宣言するかのように、芹花が断固曲げぬその主張を改めて繰り返してみせる。

 一貫して平坦な口調であるにもかかわらず、芹花の力強く愛に満ちたその言葉はどこまでも智子の中に響き、そして染み渡っていった。

 

「自信を持って、ももこ。私を信じればいい」

 

 そうして芹花がそっと手を差し伸べてみれば、それを受けた智子はもう言い逃れじみた言葉など出せる筈もなかった。

 誰にも顧みられる事など無いのだと勝手に決めつけすっかりいじけた気持ちになっていた自分の存在を、智子は今この瞬間にようやく人から見つけて貰えたような気持ちになってしまったのだ。

 途端、智子のその目尻にじわりと涙が滲む。

 

「行こう」

「うん…………」

 

 芹花が改めて穏やかな声で智子を誘う。

 智子がそれまで力いっぱい握りしめていたコートの裾を手放し、汗の滲む小さな手をおそるおそる伸ばしてみれば、芹花の大きく優美な白い手がそれを優しく掴み取る。

 ただそれだけの事で智子は自分の体がまるでふわりと宙に浮いたような錯覚を覚えてしまい、芹花に引き寄せられるまま軽やかに立ち上がったのだった。

 

 ◆

 

 それから先の事を、智子はあまりよく覚えていない。印象に残っているものといえば現実感の薄い夢心地の中で何かとてつもない素敵な体験があったという感覚だけであり、その後芹花とどのように別れたのか、どうやって家まで帰ってきたのか、それすらも記憶が曖昧なのであった。

 

 果たして彼女と過ごしたあの目まぐるしくも刺激的な時間は現実であったのだろうか。ひょっとするとあれは孤独に苛まれる己が見た白日夢だったのではあるまいか。

 あのように何もかも現実離れした不思議な女性が実際に存在するとは到底思えない智子であったから、時折そうした不安に陥る事などもあった。

 

 しかし己の手元に残された一つのプリクラシールセットが智子の中の心配を払拭してくれる。そこには確かに自分と共にもう一人、あの芹花の姿が写っていたのだから。

 とはいえシールの中の己の姿があまりにも普段の自分とかけ離れた様子であったから、やはり智子としてはどうにも実感が湧かずにいたりもしたのだが。

 

 シールの中の智子はというと、それはそれは様変わりしていたものだ。

 根暗者の印象を付与していたあの深い目のクマは綺麗さっぱり消えており、頬はほんのりと色付いている。じめじめと陰湿な雰囲気を放っていた筈の伏せ目がちだったその覇気のない瞼も別人のようにパッチリと見開かれており、瞳の中には瑞々しい輝きすら宿っていた。

 

 こうした事はおそらくプリクラの補正機能が上手く働いた結果だと考えられたが、それにしたって随分と良い表情をしているなと智子は思う。

 幾分か照れた様子を浮かべながらも、まるで自分が可愛い事を知っていてそんな己をカメラの前で存分に披露してみせているかのような、そうした自信に満ちた表情の自分がそこに居たのである。

 

 一体どういう風の吹き回しか、本来であれば気恥ずかしさからとても出来そうにない可愛いポーズなども大胆にキメる事が出来ており、その様子はもうノリノリと言って差し支えなかった。

 そのようにしてシールに写り込む己の姿の数々を、智子は我が事ながら可愛いと思わずにはいられない。これはもうどこに出しても恥ずかしくない美少女であると、そのようなときめきを感じてしまうのだった。

 

 一体何が自分をこうも変身させたのかといえば、おそらく理由は一つしかないと智子は考える。シールの中で己の傍らに写っている芹花の存在こそが自分を変えてくれたのだと、そのように思えてならなかったのだ。

 あれやこれやと理由を付けてプリクラ撮影を渋っていた己へ向けて、あの時の芹花が言った言葉とその差し出された手の温もりが、少しも色褪せる事なく智子の心に残り続けていた。

 

 春休みが明けて二年生へと進級した後も、智子は芹花とのあの短い交流の一時を思い返す事が度々あった。

 一年生の最後の最後に、まさかあのような思い出を作る事が出来るとは。

 もう何もかもが失敗だと思っていた己の女子高生生活もまんざら捨てたものでもなかったのだと、智子の中にそのような気持ちが芽生えていた。

 そしてまた、自分にそう思わせてくれた芹花の事が智子は実のところ恋しくて堪らないでいた。

 ひょっとしたらまたその内ふらっと自分の前に現れて、あのバイクに乗せていってくれるのではないか。

 そのように思って下校中にあの通りでふと辺りを見回したりしてしまう事もある智子だったが、結局その後、芹花が再び姿を現す事はなかった。

 

 渡されていた電話番号へと余程掛けてみようかと思った事もあるのだが、どうしても智子はそれに踏み切れないでいた。

 これがあの出会った初日の夜にでも掛けていれば話は違ったのであろうが、なんとなく自分から電話するのを遠慮している内に気が付けば随分と間が空いてしまっていたものだから、いきなり電話を掛けて変に思われたりはしないだろうかと考えてしまうのだ。

 そしてまた、万が一にも芹花から冷たくあしらわれてしまったらと、そのような不安が頭をよぎってもいた。

 

 そうした手のひらを返すような態度をあの純朴な女性が取るとは考えにくい事ではあったが、そもそも智子は彼女の事を殆ど何も知らない訳であったから、芹花が心変わりを起こすような人間ではないという確証はどこにもなかった。

 だからこそ智子はこのまま何もアプローチせず、結果として芹花が自分の事を忘れ去ってしまったとしても構わないのだった。

 

 下手に自分から未練がましい動きをして、結果的に思い出を台無しにしてしまいかねないような事態に陥るリスクがあるのなら、智子としてはこのまま何もしないでいたかった。

 そうすればきっと芹花と過ごしたあの一時は美しい思い出としてずっと自分の中に残しておけるだろうと、智子はそのように考えたのだ。

 

(鼻血、うんこ、おしっこ、そして……)

 

 芹花との出会いの中で感じた彼女への数ある印象を智子が思い返す時、まず最初に浮かんでくるのは決まって前述したようなその愉快な奇行の数々であった。そしてもう一つ、彼女の在り方を決定的に印象付ける際立った特徴があった。

 

(可愛いものマニア)

 

 それが、智子が知り得た芹花という人間の全てであった。




つづく
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