近頃世界的に話題になっている『ダンジョン』が
朝のHR前後から始まり、授業間の小休憩や昼休みは勿論の事、果ては放課後に至るまでと、教室の中では四六時中生徒達がダンジョンの話題でひっきりなしに盛り上がっており、実際に一部の上級生が本格的な攻略パーティを組んで財宝を持ち帰る事に成功したという話や、それに調子づいた生徒らが功名心に駆られて同じく攻略を試みるも返り討ちにあってしまった等という話が連日教室の至る所でささやかれていたのだった。
そんなこんなで学校全体がダンジョン熱にのぼせあがっていく中、我らが
ありふれた日々の日常に対し人一倍退屈を感じてやまない智子であるからして、こんな非日常的な面白イベントが起ころうものなら持ち前の好奇心がうずいて仕方がなくなってしまうのだ。
(でも結構凶暴なモンスターとかも居るみたいだし……)
とは言っても大変に慎重で臆病な性格でもある智子にとって、盗み聞きした他の生徒らの噂話から伺えるダンジョン内の魔窟ぶりは物見遊山気分の気安い挑戦を躊躇させるには十分なものがあった。
これが中学時代の積極的な、悪く言えば思慮の浅かった頃の自分であれば、よくつるんでいた当時の級友らと喜び勇んで無謀なダンジョン攻略を敢行していた事だろう。
(仮に行くとしても、やっぱり仲間は必要だよな)
見学程度にごくごく浅い階層だけを探索する程度であっても、今もって謎が多いとされるダンジョンの中では何が起こるか判らない為、生徒が一人だけでダンジョンに足を踏み入れる事は学校としても堅く禁止していたのだった。
それまで思考の海に沈んでいた智子がふいに何かを思いついたように意識を浮上させ、誰かを探すかのように騒がしい教室内を見回した。
と、目当てとする人物の姿をそこに認めたのか、おもむろに席から立ち上がった智子は遠慮がちにヒョコヒョコと意中の相手へと歩み寄っていった。
◆
「え? ダンジョン?」
「う、うん……試しに行ってみようかなって思ってて……」
ダンジョンに入る為には最低でも二人以上のパーティを組まねばならないというのが学校の規則だ。であるならばと、必要に駆られた智子が共に連れ立ってくれる仲間を求めて声を掛けたのは、クラスメイトの
といっても智子がゆりを頼ったのは別にダンジョン内での頼もしい戦力になってくれると考えたからでは無くて、クラスの中では一番誘い易い相手であったというだけの話だったのだが。
(別にガチで攻略しに行く訳じゃねーしな……ほんのちょっとうろつく程度ならこいつとでも大丈夫だろ)
もし己に超人的な戦闘能力でもあったのであれば話は全く違ったであろうが、ごく普通のそれも随分と非力な部類に入る女子高生である智子としてはダンジョンを実際に攻略してみようか等といった冒険心は毛頭起きないのだった。
「別に良いけど、結構危ないらしいよ? 怪我するかも」
「あ、大丈夫……最初らへんの階だけ少し見てく位だから」
この手のダンジョンのお約束に漏れず原幕に出現したダンジョンもまた、表層階においてはごくごくレベルの低いモンスターしか出現しない事が行政の調査によって明らかにされており、それもあって比較的浅い階層では肝試しのつもりで訪れた多数の生徒達で連日賑わっている程であった。
「そう、じゃあ放課後に
「え? あ、うん……良いと思うよ」
そうと決まれば話は早く、即席で結成された智子ら三人組パーティは午後の授業が終わるまで待ってから早速ダンジョンの入り口がある場所へと赴く事になったのだった。
「黒木さんもダンジョンに興味あったんだね。私も今度ゆりとちょっとだけ行ってみようかなって思ってたんだ」
「へー、そ、そうなんだ……!」
ゆりと並んで歩いていた真子が、その後ろを付いて歩く智子へとふいに話しかけた。瞬間、思わず体をこわばらせてしまった智子がそれに対し上擦った声でどもり気味に相槌を打つ。
ゆりと大層仲が良いらしい真子というこの少女。智子が彼女と知り合ったのはゆりを介しての事ではあったものの、近頃は三人一緒に昼食を取ったり、下校時には一緒に帰ったりする程には智子にとっても交流のある相手ではあった。
とはいえこの真子に対する智子の印象としては少しばかり思う所が無い訳でもないのが正直な所だ。これは実際にはお互いのちょっとした誤解が原因ではあるのだが、智子の主観では彼女があろうことか同性である己に対して並々ならぬ性的興味を抱いていると思い込んでいたのである。
(ダンジョンの中って暗いみたいだし、ドサクサにまぎれてこっそりセクハラされたりして……)
以前智子がトイレの中で一息つこうとした時、己のいる個室の中にまで入り込んで来た真子から力ずくで迫られた事もあって、奥手そうに見えて何をしでかすか判らないこのクラスメイトに対し智子は少なからず貞操の危機を感じてしまってもいたのだ。
ましてやこれから向かおうとしている先は普段の学校とは何もかも勝手が異なる異次元空間なのである。それ程危険な階層へ行く訳ではないとはいえ、思いもよらないトラブルやハプニングに見舞われた場合にパーティメンバーが突飛な行動に出ないとも限らないのだ。
(なんか隠し扉みたいなのがあって、そん中にうっかり二人で閉じ込められでもしたら最早逃げ場が……)
同性愛に関しては比較的ライトな興味しか持ち合わせていない事を自負する智子にとっては、そちらの方がモンスターに襲われるよりも余程恐怖に感じられなくもない。
が、さりとて智子にとってダンジョンへの侵入はこれが生まれて初めての事である。如何に探索を表層階だけに留めるとはいえど不安が無い訳ではなく、今の智子としてはダンジョン内での仲間の数が一人でも多く居てくれるに越した事は無いのであった。
◆
原幕におけるダンジョンの入り口は部室や空き教室等が集中している棟の裏手に存在する。
今でこそ常に人で賑わうようになったこの校舎裏ではあるが、ダンジョンが発生する以前はたいへんに人通りが少ない場所であり、智子はここを貴重な隠れスポットの一つとして時折教室に居辛くなった時等に利用させて貰っていたものだったから、ダンジョン発生後に場の雰囲気がすっかり一変してしまった事には少しばかりの残念さを感じてもいたのだった。
一行がそんな校舎裏へ到着すると既にそこには狭い校舎裏にひしめくようにしてたむろしている生徒達の姿があった。皆、智子らと同じようにダンジョン見学をしたり、実際にパーティを組んで攻略を試みる為に集まってきたのだ。
ただ、見ればどうも彼らの様子が些かおかしいようで皆一様にその場から動こうとせず、なにやらダンジョンへの入り口がある校舎裏の突き当たりをこぞって注目しつつざわめいていたのだった。
「なんだろうね?」
「うーん、誰か怪我しちゃったのかなぁ」
「し、死人でも出たとか?」
「あはは……まさかぁ」
真子の憶測にギャグのつもりで不謹慎なジョークを返してみせる智子ではあったが、それもダンジョンという場所を前にしては少々笑えない冗談となりうる。
原幕のダンジョンは世間一般のそれと比べると全体的に難易度が低めと判断されており、それ故に学校側も生徒らに条件付きでダンジョン攻略を許可しているのだが、ダンジョンという場所そのものが常識の通用しない魔境である事は変わらない為、一般の学生の立ち入りが許可されているレベルのダンジョンであっても思わぬ事故というものが発生してしまう可能性は常にあるのだ。
「ねえ、あそこにいるのって
と、つまさき立ちをして人ごみの視線の先を伺っていたゆりが、そこに自分達の顔見知りが居る事を見て取ったようだ。
「ホントだ、なんか先生と揉めてるみたいだね」
真子もまた同じようにして確認してみた所、一行が目指していた方向の先では確かに自分達の見知った者同士が口論している様子が見えたのだった。
(前が見えねぇ)
背の低い智子には目一杯背伸びしても他の二人のように確認する事が出来なかった為、知り合いの揉め事と聞いて俄然気になってしまった智子は真相を確かめるべく慌ててジャパニーズチョップスタイルでモゾモゾと生徒らの間をかき分けていく。
◆
「だから、別に一人でも大丈夫だっつってんだろーが!」
「そういう問題じゃないの! 何度も言うけど、学校が親御さんからあなた達を預かっている以上、これは必ず守らないといけない決まりなのよ?」
人ごみの最前列まで進んだ智子の眼前で押し問答を繰り広げていたのは、果たして確かに顔馴染み達であった。一方は智子らのクラスメイトである吉田という名の素行不良で通っている女子生徒が、そしてもう一方には智子ら二年四組の担任を務める女性教諭・
彼女らは丁度ダンジョン入り口の手前に設置されている詰め所の前で二人してああでもないこうでもないと互いに声を張り上げていたのである。
ちなみにこの詰め所は生徒達が好き勝手にダンジョンへと侵入してしまわないように学校側が見張る為に用意されたもので、ダンジョン入り口の封鎖が解かれる昼休みや放課後になると各クラスの教師らが持ち回りでこの詰め所に駐在してダンジョン探索を行う生徒達からの申請の受付や彼らへの安全確認を行う取り決めになっていた。
吉田嬢の手の中で握り潰されているクシャクシャの白い紙は彼女がダンジョンへと赴くにあたって用意しておいた申請用紙であろうか。どうもこの二人の様子からすると彼女が果敢にも単独でダンジョンに挑戦しようとした所を荻野教諭に咎められているという事のようだった。
過去、これまでに世界中で起こってきたダンジョン内における数々の事故や事件から人々が得てきた教訓を鑑みれば、いくら吉田嬢が己の力に絶対の自信があるといえど、彼女の身の安全に配慮すべき学校側がこのような対応で返すのは至極当然の事なのである。
傍から見ればここは吉田嬢の方が折れるべき局面なのは誰の目にも明らかであったのだが、彼女はこれと思う事にかけては強情で粘り強い気質を見せる人であったようで、目の前の担任教師が根負けして首を縦に振るまでは梃子でも喰らいついてやろうという姿勢を崩さなかった。
「まったく、どう言えば判ってくれるのかしら……」
教え子の頑なさに流石に困り果てて首を振る荻野教諭であったが、丁度そんな二人のやりとりを他の生徒らに紛れて野次馬根性で傍観していた智子とたまたま目が合ってしまった。
「黒木じゃない……もしかしてあなたもダンジョン探索しにきたの?」
「え!? あ、はい、そです」
「誰か一緒に組む人はいるの?」
「あ、はい、田村さん達と来てて……」
険しい顔つきと声色を保ったままの担任からそのように問い正されて反射的に答えてしまった智子であったが、そんな智子の返答を聞いた荻野教諭の表情が途端に良い事を思いついたようにパァッと様変わりするのを見て、智子の中にすぐさま予感めいたものが走った。
(あ、これってもしかして……)
「丁度良いわ。だったらあなた達のパーティに吉田を加えてあげなさい」
(やっぱり!)
担任との口論の中であからさまに不機嫌極まっていた感のある吉田嬢であるからして、智子としてはこんな野獣モードの彼女と一緒に隣り合って行動するなどごめんこうむる所ではあったのだが、そこへ畳み掛けるようにして吉田嬢が担任からの提案に不機嫌MAXな態度で合いの手を入れる。
「あぁ? こいつと組めってか?」
私が組みたくないのでお断りします、なんてぶっちゃけた本音は今の今まで吉田嬢の剣幕を目の当たりにしていた智子には到底言い出せる筈がなく、どうかこのヤンキーのソロプレイが許可されますようにと願うしかないのであった。
が、当の彼女はというと何やら急に押し黙ってしまい、そのまま智子の顔をじっと見据えていたかと思うと、ややあって耳に掛かった髪をかきあげる仕草を見せつつ舌打ちをした。
「ちっ、わーったよ」
(マジかよ!?)
どうも吉田嬢としても智子とパーティを組むというのはまんざらではなかったのか、彼女はあっさりと担任の提案を承諾したのである。
(ヤンキーの癖に根性ねーな! もっとさっきみたく粘れよ!)
存外に物分りが良い面を見せたと言える吉田嬢であるが、気乗りしない智子としては何やら勝手に話が決められてしまってどうにも釈然としない思いであった。そんな智子の心中を知ってか知らずか、担任はうんうんとさも事が一件落着したかのように満足げな顔で智子に同意を求める。
「黒木もそれでいいわね?」
「アッハイ」
最早この教師には何も言うまい。智子は担任からの同意を求める問いかけに対して二つ返事で恭順の意を示した。
「OK! じゃああなた達の分の用紙に吉田の名前も書いてから申し込みするようにね。はい、じゃあそこの皆ももう大丈夫だから早く申し込みにいらっしゃい!」
これで話はもう終わったとばかりにパンパンと手を叩き他の生徒達に気持ちの切り替えを促しながら詰め所の窓口に戻っていく荻野教諭につられて、それまでギャラリーと化していた生徒らもぞろぞろと思い思いに当初の目的に沿って動き始めたのだった。
色々と強引過ぎる担任の独断ぶりにすっかり気疲れさせられながらも、智子はそれまでの場の空気の張り詰めがすっかり雲散霧消した事を感じ、ふ──っと長い溜息を漏らしつつ、先程から己の傍らで何も語らず腕を組んだままでいる新たなメンバーについて考えを巡らせていた。
見た所、件の吉田嬢が先程見せていたような苛烈さはすっかり引っ込んでしまったようで、今も特に機嫌が悪そうな素振りは見られない。智子としてもそれならばまあ一緒に行動してやらん事もないかと寛容さを見せられる程には、彼女はすっかり落ち着いていた様子だった。
パーティの人数が増える事自体は智子にとっても吝かではない。吉田嬢の腕っ節の強さは智子自身がその身を持って度々思い知らされている所であるからして、予想外に強いモンスターと出くわしてしまった時の備えとして脳筋の女戦士枠を加えたと思えばむしろ悪い話ではない筈なのだ。
勿論そんな事を口に出して言おうものなら怒れる吉田嬢からモンスターの代わりに自分が攻撃されてしまうであろう事を学習しつつある智子としては、うっかり口を滑らせてしまわないようにと気が抜けないのであったが。
(あっでもこいつヤンキーだからな! そのうち血が騒いで「もっと強いモンスターが出る所まで行こうぜ」とか言い出すんじゃ……)
ダンジョン内の探索においては原則としてパーティメンバー全員での団体行動を厳守するよう定められている為、例え仲間の一人が勝手に突っ走ってしまったとしても、他のメンバーはそれを放置したりせず付いていってやらねばならないというルールがある。だからこそ智子は、血気盛んな吉田嬢が妙な気を起こして突出した行動を取ってしまった結果として、実際にそんな危険な場所にまで己が足を踏み入れざるを得ない状況が発生しかねない可能性に思い当たると、急に嫌な汗が滲み出てきてしまうのだった。
「んだよ、何見てんだ?」
ギリッと歯ぎしりをしつつ非難がましい視線を横目で送ってくる智子に、当の吉田嬢はただ眉を潜めて訝しんだものである。
それまで遠巻きに事の推移を見守っていたゆり達が、智子らの姿を見つけて手を振り歩み寄ってくるのが智子の目に映る。智子としてはこうなってしまった経緯の説明を吉田嬢に期待出来るとも思えなかったので、彼女達には己の方からちゃんと説明してやらねばならないと思い立ち、また少し溜息をついてしまう。
(ちょっと遊びにいくだけのつもりだったけど、なんかヤバそうな事になってきたか……?)
ほんの好奇心から始まった智子のダンジョン探索であったが、その前途がこれからの波乱を十分に予感させるものであった為か、智子は自らの提案が発端となって結成されるに至ったこの探検隊を早くも解散させて家に帰りたい気持ちでいっぱいになってしまったのだった。
つづく