『というわけでルールは以上です。がんばってね~』
長々と私に話しかけていたその鼻につく甘ったるい声が、軽い調子でルールとやらの説明を締めくくった。
(がんばってね、じゃねえよ! なんなのこの状況……!?)
ついさっきまで私は学校帰りの電車に乗っていたはずだった。なのに気がついたらいつのまにかこの真っ白い部屋ん中にいた。
そんで足元に落ちていたタブレット越しに誰かが話しかけてきたと思ったら、この部屋を出るためには云々と突然ワケのわからんルールを説明してきやがったのだ。
(キスしないと出られない部屋……)
タブレットを拾いあげてみれば画面にはでかでかとそんな文字が表示されていた。文字の下には“ゲームスタート”と書かれたボタンがある。
タブレットの声の説明によると私はどうやらこのクソみたいなゲームとやらに強制参加させられたらしい。
そんなの嫌に決まってるけど部屋の中には出入り口もなければ窓ひとつすらない。壁を小突いてみたけど随分と固い感じで、これはもう完全に閉じ込められているみたいだった。誰かに助けを求めようにも電波が一切届かないときたもんだ。
『ほらほら、早く始めようよ』
画面とにらめっこしているとタブレットから私を急かす声が聞こえてきた。
なんとも簡単に言ってくれるものだと、どこか面白がっているような響きを滲ませるその声が私は憎らしくて仕方がない。
なんかアニメのキャラみたいな可愛い感じの声だけど、この異常な状況ではかえってそれが私の神経を逆なでする。
「うっせーなぁー! やってやんよっ、やりゃあいいんでしょ!」
強い口調でアニメ声に言い返してやった私はもうヤケになってボタンを押そうとする。
だけどもそんな私の指先は実際のところ震えてしまっていた。
そりゃそうだろう。だっていきなりキスしろって言われても嫌に決まってるし、相手が誰かもわからないのだから。
ゲームのルールとしてはこうだ。
まずタブレットを使って画面に出てくる三人の候補者たちの中から私が相手を選んでやる。
するとそいつが部屋の中に現れるらしいから、あとは実際にキスをする。
それを合計三人分繰り返せば私は晴れてこの部屋を出ることができるというわけだ。
(ちなみに候補者は毎度のキスごとに全員入れ替わるそうな)
ひどいルールだ。これを考えた奴は悪魔だ。うんこ野郎だ。
ゲームなのに全然面白くないし、こんなのつらいだけだ。
でもさっきアニメ声に説明された感じでは、これをクリアしないと本当にここから出してもらえないみたいだった。
(おっさんとか変態が出てきたらどうしよう……)
候補者の中にせめてイケメンがいてほしい。そんならまあ別に悪いもんでもない。
いやダメだ。できっこない。無理だ。本当にイケメンとキスしろなんてことになったら部屋を出る前に私が精神的疲労で死んでしまう。
この際文句はいわん。ブサイクでもいいからおっさんや変態以外ならもうなんでもいい。
こんなゴミみたいなゲームで私のファーストキスが面白半分に散らされてしまうのは腹立たしいが物は考えようだ。
これはチャンスだ。女子高生たるものキスのひとつやふたつの経験がなくてどうする。
今年の七夕までには非処女になれますようにって短冊にも書いたりしたし、これはその前哨戦。脱処女への第一歩だ。
ここを出れたら弟にうんと自慢してやろう。見知らぬ男どもと三連続キスだぞ。姉ちゃんスゲーだろう。盛りに盛って自慢してやるからな。そうでもしないと気がおさまらん。ちくしょう!
わきあがる怒りにまかせて恐怖を押し殺した私はとうとうボタンを押してしまった。
すると画面が切り替わり、すぐさま候補者のものと思しき一枚の顔写真が画面いっぱいに表示された。
「えっ!?」
それを見て私は声をあげてしまった。画面に映っていたのは知っている奴だったからだ。
知っているどころか毎日顔を合わせている。飽きるぐらい見慣れたあのブサイクづらだ。
(おとうとー、おまえかー)
それまでの緊張と不安がふっとんで脱力した私はへなへなとその場に座りこんだ。
こんなアホみたいなゲームに我が不肖の弟も参加させられているのかと思うと、いよいよもって腹が立ってきた。仕掛け人がいるのならそいつをうんとひっぱたいてやりたい気分だ。
「あんだよ、ビビらせてやがってよー……」
どこぞのおっさんとかイケメンしかいなかったらどうしようかと思ってたよ。ほっとしたぜ。
弟が相手なら別にどうってことない。ガキん頃はせがまれてしょっちゅうキスしてやったもんだしな。
あいつとキスするなんて慣れっこだ。いやいや、キスって言い方はおかしいな。
そうだよ、これは“チュー”だ。ガキん時と一緒だ。あんな感じのノリなんだよ。
自分の弟とキスするなんて考えるとなんだかモヤモヤしてしまうけど“チュー”なら別にいい。
あいつだって姉ちゃんから久しぶりにしてもらって喜ぶかもだしな。
(とりあえずこいつでいいか)
写真の下には『キスする』と書かれた大きめのボタンが表示されている。なるほど、これを押せば候補者決定なんだな。
『決まったー? 早く選んでね』
「あ、ちょっと待って……」
せっかちなアニメ声が急かしてきたけど私はそれに待ったをかける。
一回のキスにつき選べる候補者は三人ということだったから、せっかくなので他の面子も確かめてやろうと私は写真の上に連番で並んで表示されていた数字のボタンから『2』を押してみる。
さて一体どんな奴が出てくるのだろうと思っていた私だったけど、次に映し出された写真にまたもや驚かされてしまう。
「ゆうちゃん!? なんでっ?」
候補者の二人目はまたしても知り合いだった。私の友達、かわいいゆうちゃんだ。
かくも残酷なゲームに巻きこまれてしまったゆうちゃんのことが私はかわいそうになった。
ゆうちゃんはビッチだけどこういう破廉恥な催しに参加させられるのはきっと嫌がるに違いないのだ。
例えキスする相手が私だったとしてもだ。
いや待て。待て待て。ほうほう。ふむ。
ゆうちゃんとキス。ふむ。うん。
(……それってイイんじゃないか?)
ゆうちゃんは私のこと友達だって思ってるから別にキスぐらい嫌がらないのでは。
私をここから出すためならゆうちゃんはたぶんキスさせてくれるのでは。
そこまで考えたところで急に顔がかあっと熱くなって心臓が痛いくらいに脈打ちはじめてしまった。
(わーどうしよっかなー、ゆうちゃんにしよっかなー、ゆうちゃんがいいかなー……?)
ゆうちゃんとキスできるなんてまたとない大チャンスだ。
このゲームを仕組んだ奴はアホだけど、ゆうちゃんを選ばせてくれるところだけは褒めてやってもいい。
よーしゆうちゃんとキスするぞー。スーハー……スーハー……落ち着け私、大丈夫だ……。
『ほらほら、早くー』
「あっうん、すぐ選ぶから……」
もうゆうちゃんとキスすることに決めた私だったけど、その前にまだ見ぬ三人目の候補者をちょっと確認してみたくなった。
もしかしたらそいつも私の知り合いかもしれないと思うと妙に気になってしまうのだ。
(どれどれ……)
そうして興味本位で三番目のボタンを押した私だったけど、そこに映し出された人物に仰天させられ危うくタブレットを取り落としてしまいそうになった。
(変態がいた!)
便所コオロギ、おまえかよ。
よりにもよって最悪の相手が候補者に含まれていたことに私は嫌な汗をかいてしまった。
間違って操作ミスで選んでしまおうものなら一巻の終わりだ。
(あぶねー……とんでもねー爆弾仕込みやがって……)
一人目、二人目と無難な候補者を出しておいて最後に猛毒を突きつけるなんて、油断も隙もあったもんじゃない。慄くあまり私の体は震えてしまっていた。ここはひとつ深呼吸して自分を落ち着かせよう。
『さーん、にー、いーち』
「えっ?」
急にアニメ声が間の抜けた調子でカウントダウンを始めたものだから、私はワケがわからず戸惑ってしまう。
『はい決定~』
てぃろりん、とタブレットから音が鳴ったかと思うと変態メガネの写真の上に『決定しました』という文字が大きくかぶさる。
「ああああああああああ!?」
『最初のお相手は
信じられない。ひどすぎる。
私はまだ選んでなんかいないのに勝手に決められちゃったぞ。ふざけんな!
「な、なに勝手に選んでんだテメー!」
『時間切れになると自動的に決まっちゃうから注意してくださーい』
「取り消してよぉ────!!」
『ダメでーす』
時間切れがあるなんて聞いてないんだが。
取りつく島もないアニメ声に憤るあまり、私はこのくそタブレットを床に叩きつけてやりたくなった。
誰が言う通りになんかしてやるものか。誰があんな変態とキスなんてするものか。
もうここで飢え死にしてやるからな。このゲームの仕掛け人よ、おまえを立派な人殺しにしてやんよ。
「おい」
「うおっ!?」
誰かが背後から話しかけてきたので振りかえると、そこにはむすっとした表情のコオロギがいたので私は体中に鳥肌が立ってしまった。
一体どこから現れたのか。今一番出てきてほしくない相手だ。
「ほら、その……あれだ、さっさとやるぞ」
「はぁぁ?」
苦々しい口調でコオロギことメガネは私から目をそらしながらそんなことをのたまう。
まさかこいつ、本気でこのクソゲーに乗っかるつもりなのか?
「なに言ってんだ! やるわけねーだろ!」
慌てた私は断固とした拒絶の意を示してやる。
まかり間違ってこいつとキスなんかした日には、これまで私が人生の中で少なからず経験してきた悪夢のように忌まわしい出来事の数々を押しのけてダントツでワーストワンの最低最悪な思い出になってしまう。
何が悲しくてこのような拷問を受けねばならないのか。
「こっちだって嫌に決まってんだろ……。でもやんないと私も出られないんだよ」
「ほーんそうか」
「今日夕方からロッテの中継あるし、それまでに帰んないとさ」
「はぁ」
「だから早く済ませたいんだけど」
「えっ嫌だけど」
「ふざけんな! あんたが選んだんだろうが!」
「私はゆうちゃんがよかったんだよ! 勝手に選ばされたんだよチクショー!」
私たちの口論はヒートアップしていく。
メガネのほうも本心では私とキスすることに全く乗り気でないらしいのはよくわかってる。そりゃ当然だしお互いさまだ。
でもこのメガネときたら私とのキスを随分嫌がってるくせして、仕方のないことと割りきろうとしている。
自分だけが早く帰りたいからこんな態度なんだなと、そうしたメガネの利己的な姿に益々苛立った私は、なにがなんでもこいつの要求には応じてやるものかと心に決める。
「はぁー……おまえなんかとするぐらいならその辺のおっさんの方が千倍マシだわ」
「……」
「吐き気がするね。ほんと最悪。もうこのままここで餓え死にしようかなー」
そんときゃおまえも道づれだかんなと、もう私はメガネに言いたいだけ悪態をついてやる。
本当は私だってこんなところに閉じ込められたままなのは嫌だ。
メガネが本心から泣いて頼み込んでくるのなら、そりゃまあ私だって鬼じゃないし軽いキスのひとつくらいはどうにか死ぬ気で我慢してやる。
気にくわないのは、私を嫌いなくせして面倒ごとのようにさっさとキスして帰ってしまおうという人を馬鹿にしたその浅ましい考えだ。
私を安く見るんじゃないと、このメガネにはよくよく思い知らせてやらなければならない。
「……そんなに嫌か?」
「おっ?」
先程まで顔を真っ赤にして怒鳴っていたはずのメガネが、急にトーンダウンした様子でそんなことをたずねてきた。
そりゃもちろん嫌の嫌の嫌だね。わざわざわかりきってることを聞くなよっていうかなにどうしたの怒ってんのかちょっと待っ──
「~~~~ッ!?」
突然メガネが無言で獣のようにつかみかかってきたものだから、さっきから座り込んでいた私は勢いのままよろめいてその場に組み伏せられてしまった。その拍子に持っていたタブレットを落としてしまい、部屋の中に固い物同士のぶつかる音が響く。
床に寝そべる形になった私の上にまたがってもの凄い力でこちらの顎をガシィとつかんだメガネは、鬼気迫る様子でその顔を私の目の前に寄せてくる。
「ちょちょ、ちょっ、ま、まっちぇ! おちゅ、おちちゅいて!」
なんてこった。どうやら先ほどの私の態度がメガネをプッツンさせてしまったらしい。
どうにかなだめようとする私だったけど、顎をつかまれていてうまく喋れない。
野獣のような目つきで私を見据えるメガネがブツブツと早口で何かをつぶやきながら更に顔を近づけようとするので私は必死に抵抗してみせる。
「やめひぇ────っ!!」
ダメだ、敵わない。メガネの顔面を掴んでどうにか押しのけようとするも馬鹿力を発揮したこいつの前には無意味なあがきだった。
「んむぶぶぶ……っ!」
やられた。最悪だ。
まるでピラニアが食いつくかのように、メガネは強引に私の唇へと自分の口を押しあててきた。反射的に目と口とを力いっぱいギュッと閉じる私。
こんなもんがキスであるものか。じゃあこれはなんなんだ。
「ぶはっ……!」
お互いの唇がくっついていたのは時間にしてほんの一瞬だった。課題をクリアしたとみるやメガネはすぐさま私から顔を離して上半身を起こすと、乱れた呼吸を整えはじめた。
「んんん、ん、ん……」
目と口を閉じたまま、脱力して床に寝そべっている私は自分の袖で口元をごしごしと懸命に拭う。そうしたら今度は目尻からじわっと涙が滲んできたのでこちらも一緒に拭ってやる。
「どうだクソムシ、ざまあみやがれっ……!」
私にまたがったままのメガネがこれみよがしにそんなことを言う。
悔しくて何か言い返してやろうとするのだけど、小刻みに震えていた口には力が入らず言葉が出せない。
拭っても拭っても涙が溢れてくるので、私はもう袖で目元を覆って隠すしかなかった。
「お、おい……?」
少し頭が冷えたらしいメガネが私に声をかけてくる。
すんすんと鼻がひとりでに鳴って止まらないものだから、いまや私がみっともなくベソをかいてしまっていることをメガネにもきっと見抜かれてしまったに違いない。
「……いつまで乗っかってんだよ」
「あっ、うん……」
重いんだよ、さっさとどいてくれ。
唾を飲み込みやっとのことで声を出した私が抗議すると、メガネはまたがるのをやめて大人しく立ち上がった。
「もう用は済んだろ? さっさと帰れよ」
「あっうん、じゃあ……」
私の言葉にメガネが遠慮がちな返事をしたあと、やにわにその気配が消えた。
そっと袖の下から部屋の様子をうかがってみれば、もうあいつの姿はどこにもなかった。
「ふ────……」
ここでようやく上半身を起こした私は大きくため息をついた。ずずっと鼻をすすると懐から取り出したハンカチで改めて目元をぬぐってやる。
ああ、きっと鏡で確認したら泣きはらしたような目になっているに違いない。
メガネのせいで制服も随分とシワだらけになってしまったのが悔しい。
『まずは一人目クリアだね、おめでとー』
落とした際にすべっていったのか、少し離れた先に落ちていたタブレットからあの能天気なアニメ声が聞こえてきた。
もし先ほどの騒動をどこかから一部始終見ていてこのようなことを言っているのなら、こいつもまたゲームの仕掛け人と同じく悪魔に違いない。
『じゃあ続けて二人目、いってみよーか?』
足に力をこめてどうにか立ち上がった私は、ふらふらとした足どりでタブレットを拾いにいく。
晴れて人生史上ワーストワンの思い出を獲得した私だったけど、この部屋から無事出ることができたら全力で記憶を改変して本来あるべきはずだったゆうもこ
残るキスはあと二回。
つづく