「あのさぁ……次から十秒前になったら教えてくんない?」
『いーよー』
不意打ちの時間切れでとんだ目にあわされた私は過ちを繰り返さないよう釘を刺しておく。
意地の悪いこのくそゲームのことだから、きっと二回目の候補者にもおかしな奴がまぎれこんでいるに違いないのだ。
であるのならばまた土壇場でカウントダウンなんかされては敵わないと、いやがうえにも慎重になってしまう。
手にしたタブレットの画面には『次のキスをはじめる』と書かれたボタンだけが映っている。
こいつを押せば、また候補者たちが表示されて私はそいつらのうちの誰かとキスしないといけない。
すでにウンザリな気持ちでいっぱいだけど、早く家に帰って今日のことを忘れたい私は軽く深呼吸したあとにタブレットの画面をタッチした。
さて今度はどんな奴らが出てくるのやら。
(おっと、こいつかー……)
もしかしたらと思っていたけど、画面に現れた候補者はまたしても私の知り合いだった。
画面にはつんとすました様子のクラスメイト、
このぶんなら得体の知れない赤の他人が出てくる心配はないのかもしれない。
(うーん……どうしよっかなー……)
別に田村さんのことは嫌いじゃないけど、だからといってキスできるかと言われたらどうにも躊躇してしまう。
ノーマルな私としては特に好き好んで女同士でキスしたいというわけでもないし、それを抜きにしても普段つるんだりする相手と致すのは正直気恥ずかしいものがある。明日からどんな顔して会えばいいんだって話だよ。
(他も見てみるか)
田村さんを選ぶかどうかはひとまず保留にしといて、それ以外の選択肢を確認しにかかる。
もしかしたらもうちょっと抵抗の少ない相手が見つかるかもしれないしな。
(おっ、こいつは)
こないだまで私と同じクラスだった絵文字だ。名前はたしか……
まあお土産とかチョコとか貰ったりしたけど、そんなに関わりがない相手だったからキス相手にと呼びつけるのはなんとなく気が引けてしまう。
とりあえずこいつはパスだ。
(いやまてよ、このパターンだと次は……)
次は爆弾が現れるはずだ。となると誰だ?
ああそうだ、きっとあいつだな。
そんなのお見通しだかんな。私にはわかるんだ。
三年生に進級してサヨナラできると思っていたらまたしても私の担任になりやがったあの教師。
あれとキスなんて死んでもごめんだと、想像するだけで口がへの字に曲がってしまう。メガネのほうがまだマシなレベルだっての。
仮にもし相手に選んでしまったとしたら、どうせ嫌がる私を怒鳴りつけて強引に致そうとするに違いないのだ。
そこに私の意志が介在する余地なんてありはしない。私がどれだけその怒鳴り声のせいで怖がっているかなんて考えちゃいない。
あの教師はいつだってそうだ。私の気持ちなんてちっとも知ろうとしないで、勝手になんでもかんでも決めつけて上から押しつけてくる。
ああ、もうよそう。考えるだけ損だ。
私がどれだけこんなことを愚痴ったって、あの教師はきっと一生あの調子なのだから。
そして私はあんにゃろーから受けた仕打ちをたぶん一生忘れることはないだろう。
なんであんなのが私の担任なんだよもう。
(どんなツラ晒してんのかだけでも見といてやるか……)
嫌なことを考えてしまった私だったけど、ともあれ絶対に選ぶことのない三人目の候補者を表示させてみる。
ひょっとしたら他の誰かが出てくるかもだしな。
(おぉっ……!?)
全然違った。ちっとも担任なんかじゃなかった。画面に映ったのはこれまたクラスメイトの女子。
(ネモか!)
三人目の候補者は私の隣の席にいるあいつ、ネモこと
進級初日の自己紹介ではいきなりカミングアウトをかましてきて随分と驚かされたりしたもんだ。
正直なに考えてんのかよくわからん奴だし、キスする相手としてはどうかと思う。
たぶん私のことを嫌ってはないんだろうが、ときたま妙につっかかってきたりするんだよなこいつ。
(あっ、そういや前に……)
確かネモが自分の使ってたリップクリームを私に使わせたことがあったっけ。
あの頃の私は「間接キスだー」なんて浮かれてたけど、今思うと馬鹿みたいだな。
ネモの本性を知った今となっては、もうちっともあいつにドキドキしたりなんかしなくなったのだ。
昔の私だったら色々期待しちゃってキス相手に選んでたかもしれないけど、今はそうじゃない。
(だから選んでなんかやらねー)
他がパッとしないからもう田村さんでいいや。
さっさと一枚目の写真に切り替えた私は目当ての相手を選択してやった。
『ふーん、そっち選んじゃうんだ?』
「えっ?」
アニメ声がつまらなそうな様子でいきなり私の選択にケチをつけてきた。なんだこいつ。
私としては無難に田村さんを選んだつもりだが、なんだか責められてるような気がして困惑してしまう。
『じゃあ二人目がんばってね』
「お、おう……」
さっきまではムカつくほど甘ったるい声だったくせして、今は妙に無愛想な感じがする。
なんなのもう。
「ねえ」
ああ来た来た、田村さんかな。
不機嫌そうにしているアニメ声はほっといて、私は声のした方を振り返る。
「あ……えっ!?」
私は思わず声を上げてしまった。後ろにいたのは田村さんじゃなかったのだ。
そこには私がパスしたはずの絵文字、もとい内さんが立っていた。
「えっ? な、なんで?」
「……」
内さんは何か言いたそうな様子でこちらをじっと見つめている。
「あの、ちょっと、なんか違う人来たんだけど!?」
慌てた私は手にしていたタブレットに向かって事態の異変を訴えた。
確かに私は田村さんを選んだはずだ。なのに来たのは違う人。こりゃいかんだろ。
『えっ……? あっ、ほんとだっ!?』
スピーカーの向こうからアニメ声の焦った様子が伝わってきた。
どうやら本当に手違いのようらしい。なんだよしっかりしろよなー。
「誰と話してるの?」
「うおっ」
いつの間にか私の背後にぴったりとくっつくように迫ってきていた内さんが肩越しにタブレットの画面を覗き込んでくる。
「私、あんたとキスしてこいって言われてここに来たんだけど」
「あー、いや、な、なんか手違いらしくって……」
本当は内さんじゃなくて田村さんを選んだのだと、ずいっと顔を寄せてきて間近で喋る内さんに私は事情を説明してやる。
内さんが近くにいるだけで妙に周りの気温が上昇したように感じられてしまうのは何故だろうか。
「別に私でもいいんじゃない?」
「えっ?」
いきなり内さんがそんなことを言い出したものだから私は戸惑ってしまう。
「しちゃいなよ。ねっ?」
「あっ、えと、その……!」
急に私の肩に触れてきたかと思ったら、内さんがそのまますっと目の前へと回り込んできた。
それに驚いてしまった私は思わずタブレットを胸に抱くようにして身を縮こませてしまう。
後ずさろうにも、内さんに肩を掴まれているので思うように動けない。
「ほら早く。さっさとやっちゃってここから出ようよ」
「あーいやー、て、手違いみたいだからちょっと待てば……」
なんだか内さんは焦っているようだった。急な用事でもあるのだろうか。
そんなら別に私とキスしなくても、手違いで呼び出されただけの内さんは少し待てば帰れるのに。
「時間がないのっ! ほらっ、ほらっ、しようってば!」
「ちょぉー! ちょちょちょ! ままま、待って!」
内さんが強引にキスしようと迫ってきた。いくらなんでも慌てすぎだろうに、何考えてんだこの絵文字は。
「させてよぉぉ──!!」
「ああ──っ!!」
尋常でない様子の内さんがとうとう力任せにキスしようとしてきたので、私はその絵文字顔にタブレットを押しつけて必死に逃れようとする。こんなのレイプだよ! 助けてヘルプ!
「ぎゃふっ」
急に肩を掴んでいた力が消えたものだから、勢いあまって私は後ろにすっ転んでしまった。
何が起こったのかわからなかったけど、頭を起こして辺りを見てみればもうそこに内さんの姿はなかった。
『ごめんごめん、今帰ってもらったから……』
固く掴んだままでいたタブレットからやれやれといった様子の声が聞こえてきた。
どうやらすんでのところで手違いは正されたらしい。
(なんなんだまったく……)
まさかあんなにやべー奴だったとは。絵文字顔の中に潜む激情を垣間見た思いだ。
ともあれどういう理由があったにせよ、あんな風にされては私としても拒むしかない。
そもそも私は内さんなんか選んじゃいないのだ。ふぅとため息をついて私は起き上がる。
(ん? よだれか……?)
さっきまで内さんの顔を押さえつけていたタブレットの裏面がなにやら少し濡れている。
でもよだれが付いたにしてはさらっとしているので、ひょっとすると涙なのかな?
私も怖さのあまり力任せにタブレットを押し付けてしまったから、内さんは痛かったのかもしれない。
「
「おっ」
またしても後ろの方から聞こえた呼びかけに振り返ってみれば、そこには今度こそ田村さんの姿があった。
「さっき内さん来なかった?」
「あっうん、来たけど……」
ポケットに手をつっこんでいる田村さんが早速そんなことをたずねてくる。そりゃまあさっきまでここにいたけども。
「あーやっぱり」
「?」
案の定、といった感じで訳知り顔の田村さんがそんなことを言う。
二人ともここじゃないどこかで顔でも合わせていたのだろうか。そもそもこいつらどっから来てるんだ?
「とりあえずしよっか、キス」
「あっうん……」
わざわざ口に出すほどでもない私のささいな疑問だったけど、田村さんがすました顔でそんなことを言うものだからどうでもよくなってしまった。
うわぁ、なんかちょっと緊張してきたかも。
「じゃあ目とじて」
「う、うん……」
田村さんと向き合った私は言われるままに目をとじる。すると私の肩にそっと田村さんが手を置いたのがわかったものだから思わず身を固くしてしまう。
こいつ、なんか手馴れてね?
(あっ、来た……!)
田村さんの顔が近づいてきたのが目をとじていてもわかる。
緊張でふぅふぅと息があがり気味の私に対して、田村さんの吐息は静かなものだ。
「黒木さん、そんなにのけぞられたら出来ないよ」
「えっ?」
急に田村さんがそんなことを言ってきた。
田村さんの接近を感じた私はどうやら反射的に身を引いてしまっていたらしい。
「もっと楽にしていいよ? 軽くキスするだけだから」
「あっ、ご、ごめん……じゃあ……」
キスだキスだと言葉に出されると余計に緊張してしまうのだけど、ともあれふぅと息を吐いた私は姿勢を正して再び目をとじた。
「じゃ、するよ」
「うん……」
改めて田村さんの顔がそっと近づいてきたものだから、今度はのけぞってしまわないようにと体をこわばらせる私。
そうしてとうとう田村さんと私の唇が触れ合いそうになったのだけど、ここでまたしても私は反射的に身を引いてしまった。
「ちょっと黒木さん」
「あっ、で、でも……!」
もう、といった感じで田村さんが声をかけてくるけど、体が言うことを聞かないんだから仕方がない。
これはもう椅子に縛り付けてがんじがらめにでもしてもらわないとどうにもなりそうになかった。
「じゃあちょっとそこの壁に立ってもらっていい?」
「?」
急に田村さんがそんなことを言い出したけれど、よくわからないながらも私は言う通りにしてみせた。
なんだかすっかり田村さんのペースだ。
「ほら、これなら大丈夫でしょ?」
「あっ、う、うん……!」
壁に立った私の目の前に田村さんが立ちはだかり、こちらにおおい被さりそうな姿勢で壁に手をついてきた。
(これあれだ、壁ドンだ!)
田村さんの言葉に誘導されるうち、気付けばやけに恥ずかしい状況になってしまった。
っていうかなんでこんなに手馴れてんのこいつ!?
「じゃあするよ?」
「あぅ……う、うん……」
こうなったらいよいよ覚悟を決めなくてはならない。
後ろはもちろん、右にも左にも逃げられなくなった私はもうまな板の鯉だ。
気付けば心臓の鼓動が随分と早まってしまっていた私は、この落ち着かない状況が一刻も早く終わってくれることを願って目をぎゅっとつむる。
んあぁぁ、体の震えが止まんねぇー。
「くくっ、ふ、ふふっ……」
「?」
そうして決定的な瞬間の訪れを待っていた私だったけど、なにやら様子がおかしいことに気付いて目を開けてしまう。
「ご、ごめん……ふふ、ふふふっ……」
さっきまで私にキスしようとしていた田村さんは、何故か口元を手で抑えて必死に笑いをこらえているようだった。
えっなに? なんで笑ってんの?
「すぅー……」
どうにか笑いを鎮めたらしい田村さんが、自分を落ち着かせるように目を閉じてゆっくりと鼻から息を吸う。
だけども固く閉じられた口元はいまだちょっとにやけ気味だ。
「ごめんね、なんか可笑しくなっちゃって」
(こいつ……!)
これはひょっとして私のうろたえる様子が面白かったから思わず笑ってしまったということなのだろうか?
なんだかちょっと馬鹿にされたような気がして、私はむっとしてしまう。
こっちは必死で緊張に耐えてたんだぞコノヤロー。
「た、田村さんは平気なの?」
「えっ?」
「いや、女同士でするってのにやけに落ち着いてんなぁって……」
こいつはなんでそんなに余裕ぶっていられるんだろう。
ささやかな反撃のつもりで私はさっきから気になっていたことを遠慮せずたずねてみることにした。
「も、もしかしてさ、け、経験あったりすんの?」
「……」
どうだこいつめ。レズ疑惑浮上だぞ。
私の問いかけを受けて黙った田村さんの様子に、手ごたえアリと感じた私は少しばかり調子を取り戻す。
「……黒木さんはどう思う?」
「えっ?」
私の質問を受けて黙っていた田村さんだったけど、口を開いたかと思ったら逆にこちらへ問い返してくる。
質問したのはこっちなのに、気付けば私の方が答える立場になってしまった。
「えっと……あ、ありそうかなーって……」
「誰と?」
「えと、それはー……そのー……」
いつものすまし顔でそんなことを聞いてくる田村さんに気圧された私は、どう答えてよいものやらとしどろもどろになってしまう。
なんだよもう、なんで私の方があたふたさせられるんだよ。
ここはガチレズ疑惑のあるガチレズさんの名前でも出すべきなのだろうか?
いやでもそれを私が言ってマジで二人がガチガチな間柄だと判明しちゃったら、それこそ明日からどんな顔で会えばいいんだろうか。ここはシラを切るべきかもしれないぞ。
無難な答えを求めてあれやこれやと必死に考えを巡らせていた私だったけど、いつの間にか田村さんの顔が私の目の前まで迫っていたことに気付いた。
(あっ…………)
一瞬だった。田村さんの唇がほんの一瞬だけ私の唇とくっついたその感触を、私は後になってからじわりと実感する。
田村さんは私が考えごとをしている隙を狙って素早くキスしてきたのだ。
「こんな感じでいいのかな?」
「あう……」
しれっとした顔でそんなことを言う田村さんに、私はいよいよなにも言えなくなってしまった。
なんだか急に頭がぼうっとしてきて、顔がやたらと熱くなってきたのを感じる。
(手馴れすぎだろ! これ絶対経験者だよね!?)
その黒目がちの瞳で私をじっと見つめてくる田村さんの視線が恥ずかしくて、目を合わせられなくなった私は顔をそむけてしまう。
そうしてようやく頭に浮かんできた適当な言葉でこの妙な雰囲気をごまかしてやろうと再び前を向いた私だったけど、もうそこに田村さんの姿はなかった。
「は────……」
やれやれだ。キスひとつでなんでこんなにあたふたしなきゃならんのだ。
いまや並の女子高生以上の人間強度を持つに至った私といえども流石に疲れてきたぜ。
『二人目クリアおめでとー。じゃあ次はいよいよ最後だね!』
それまで大人しく黙っていたアニメ声が、頃合を見計らってゲームの進行を促してきた。
正直もうさっきのでお腹いっぱいな気分だから、私としてはそろそろ勘弁してほしいところなんだが。
(しちゃった、あいつと……)
今になって田村さんとのキスの余韻がやってきたものだから、自分の唇をそっと指先で撫でてしまった。
なんだかちょっと良い匂いがしたかもしれないと、田村さんの残り香を感じながら私はそんなことを考えてしまう。
(次はヤンキーがいたりして……)
ともあれゲームを進める気になった私は、最後のキスへと向かうべくタブレットを操作するのだった。
つづく