原作ゲームにおけるシュプールの構造はモデルとなった実在のペンションと全く同じという訳ではなく、かつ曖昧になっている部分なども幾つかあったりするのですが、更にそこへこの小説に合わせて間取りを微調整してる部分なども一部ありますので、おおまかなイメージとして捉えて頂ければと思います。
★一階間取り図:
【挿絵表示】
★二階間取り図:
【挿絵表示】
すっかり体を冷やしてしまったおじさんと弟が、おばさんに淹れてもらった紅茶を吹き冷ましながらすする音がやけに目立つ。ロビーには「シュプール」に泊まっている客と従業員が全員集まっていたのだけど、さっきから誰も口を開こうとしないので随分と静かなのだ。川本さんですら、今はお菓子も食べずビッチさんやメガネさんと身を寄せ合ってソファーのほうで縮こまっている。
「ねえ、いい加減何があったのか教えてくれてもいいんじゃないの?」
壁に背を預けていたみどりさんが、黙りこくっている皆に対して苛立った様子でそう切り出した。みどりさんや俊夫さん、おばさん達はずっと下にいたままなので、二階で何があったのかまだ知らないのだ。
「せや小林くん……。きみ、さっき死体がどうこうゆうとったやないか。何やったんや?」
さっきヤクザの部屋に入ろうとして追い出されてしまった大阪のおっさんも、思い出したように事情の説明をおじさんに求める。
「ああ……そうですね……その、まあ……」
だけどもおじさんは心ここにあらずの様子で、カップを持ったまま生返事をするばかりだ。間近で死体とやらを見てしまったせいか、この様子からすると随分ショックを受けてしまっているらしい。
「死んでたんですよ。人があそこでバラバラになってました……」
どこか疲れの滲む声色で代わりにそう説明したのは、私と一緒に階段の下に腰掛けていた弟だった。それを聞いた私は言葉の意味を理解して唾を飲み込んでしまう。
(おいおい、〈バラバラ死体〉ってことか……!?)
どうもヤクザはただ死んでいたのではないらしい。おじさんと同じく青ざめていた弟だったけど、こいつがこんなにもただならぬ様子でいたのは例の部屋で相当ヤバいものを見つけてしまったからなのだ。
嫌なことを聞いてしまったと思った時にはもう遅くて、生前のヤクザの手を握った時の感触がいやに蘇ってきてしまう。あの手の主がいまやこの談話室のちょうど真上で変わり果てた姿となって散乱しているのだ。もしかしたらそのうち天井から血がしたたり落ちてくるかもしれない。そう考えてしまった私の膝がひとりでに震え始めたものだから、その上で寝ていたジェニーが目を覚ましてしまう。
「ちょっと待って。バラバラって……それ、どういうこと?」
いきなりそんなことを言われて戸惑ったみどりさんが改めて聞き返す。その傍らに立つ俊夫さんも弟の物騒な言葉に目を見張っているようだ。
「バラバラ死体ってやつです……顔とか、手とか足がその辺に転がってて……」
「いや──っ!」
自分が見てしまったおぞましいものを淡々と、だけども生々しく語っていく弟の言葉を受けて恐怖したのか、ソファーに座るビッチさんが耳を塞いで悲鳴を上げる。その傍らに座るメガネさんや川本さんだって今にも泣き出しそうな顔だ。声に驚いたジェニーは一体何事かとビッチさんを凝視している。
「……田中さん、とかいう人なの?」
緊張の度合いを深めたみどりさんが、ヤクザの名前を出してそう質問する。今この場にいない人間が一人だけいることに思い当たったのかもしれない。
「たぶん……そうだと思います。男だったし、あのグラサンとかも落ちてましたから」
「それってもしかしてよくできた人形なんじゃないの? それもあの脅迫状と一緒でいたずらなんじゃないの?」
「どうでしょうね。本物にしか見えませんでしたけど」
「でもさー、映画なんかの特殊技術ってすごいじゃない? ああいうやつなんじゃないの」
おじさんから聞かされていたのか、どうもみどりさんは例の脅迫状のことを知っていたらしい。だからなのか、弟の言葉を受けたみどりさんは尚も念を押すように真偽の程を確認してくる。OLさん達なんてさっきからビビりっぱなしだっていうのに、みどりさんときたらグロい話を聞かされてもそれ程ひるんでいるようには見えない。
「……あれは人間だ。間違いない。血もついてた」
それまでだんまりしていたおじさんだったけど、ようやく正気に戻ってきたのか弟の証言を肯定してみせた。二人からこう言われては流石に認めざるを得なくなったのか、口を閉じたみどりさんは傍らの俊夫さんと顔を見合わせる。
「もうやだ……あたし、帰りたい……!」
悲痛な願いを口にして、とうとうビッチさんは顔を手で押さえてメソメソ泣き出してしまった。隣に座る川本さんはそんな彼女のことを慰めてあげたいのか、ポケットから取り出した棒付きの飴なんかをすすめてやるのだけどビッチさんはいやいやと顔を振るばかりだ。
「そういえば……ぼく、聞いたことがあるよ。……〈かまいたち〉のこと」
急に口を開いて何やら話し始めたのは、定員オーバー気味のソファーの端で体を縮こめてOLさん達の隣に座っていたみきなんとかさんだった。
「みんな知ってるかな? かまいたちっていうのはほら、風が強い時なんかにいきなり何もないところで切り傷ができたりする現象のことなんだけど……」
かまいたち。それなら私も知っている。というか弟やおじさん達にとっても聞き覚えがある筈の名前だ。
(小林ナントカ左衛門、だったっけ……)
このナントカ左衛門って人は、まあいわゆる私達のご先祖様ってやつだ。そのご先祖が、みきなんとかさんの言う「かまいたち」とどう関係があるかと言うと……。
「ぼくも詳しく知らないんだけど……この辺りは冬になるとやけにその手の現象が起きるらしいんだ」
かまいたちなんて本来は滅多に起きるもんじゃない。だけどもみきなんとかさんの言う通り、この辺の土地では何故だかそうした出来事がよく起きたりするのだと、私や弟はお母さんから何度か聞かされたことがある。
「このことを地元の人達は、鎌を持ったイタチのような生き物のしわざだと考えて『かまいたち』と呼んだ」
声を低くして話すみきなんとかさんは私達の顔を見回す。だけどもその話に少し付け加えさせてもらうなら、これにはもう少し尾ヒレというか伝承のようなものが存在していた。妖怪みたいなイタチが悪さをしてるってところはみきなんとかさんが言った通りなのだけど、昔っから地元の人達はこうしたかまいたち現象の頻発を指して「かまいたちの祟り」と呼んでいたりするのだ。
しかも因果なことに、どうもこの〈祟り〉というのはずっと昔にこの辺一帯の大地主だったらしい私のご先祖、ナントカ左衛門に向けられたものとされているようだった。
「そのかまいたちのせいで田中さんはバラバラにされたと言うんですか? 馬鹿馬鹿しい」
どこの誰に聞いたんだか分からない話を得意気に披露するみきなんとかさんだったけど、それを聞かされたおじさんが少し嫌そうな顔で返す。
実は私のおじさんは、このかまいたちの話をされるのが好きではなかったりする。というのも、例のご先祖がこの妖怪かまいたちにひどく恨まれて切り刻まれてしまったとされているからだ。おじさんが以前教えてくれたところによると、小林家の人が書いた当時の文献にも当主の不可解な死亡事件という形できちんとそれらしい記録が残っているんだそうな。
「そうは言いますけど、でも妖怪か自然現象か分かりませんが何かそういったことがこの辺りでよく起こるのは確かなんでしょう?」
「それはそうですが……でも人間がバラバラになったなんて話は聞いたことがありませんよ」
ずっと昔に起きたというご先祖の件を例外とすれば、きっとそうなのだろう。
不機嫌さや困惑ぶりがないまぜになった表情を滲ませるおじさんだったけど、みきなんとかさんは唇をなめて尚も言葉を続ける。
「妖怪のしわざだなんだとしたらどんなことだって考えられませんかね。……ああ、そんな顔をしないでください。ぼくは別に妖怪なんて信じてるわけじゃないですからね」
難しい顔をしていたおじさんの様子にようやく気付いたのか、みきなんとかさんが手を振って取りつくろったようなことを言う。だけどもどうしておじさんがそんな顔をするのか、本当の理由をみきなんとかさんはきっと知る由もないのだろう。
「じゃあ自然現象だと考えてみましょうよ。この風の音はどうです? これほどの激しい風なら、めったに起きないようなかまいたち現象が起きたとしても不思議じゃない。そう思いませんか?」
妖怪説から自然現象説へと切り替えたみきなんとかさんがそんな風に言って皆に同意を求めているけど、どっちにしたって極端にオカルトじみている。
この地方特有の頻繁なかまいたち現象が、記録的な吹雪の影響でついには一人の人間を死に至らしめるほどの猛威を振るった。そんなことが本当に起きたのだとしたら凄いことだけど、世界中の不可思議事件に関する記事をオカルト系サイトなんかで面白半分に読んできた私ですら聞いたことがない話なのだから、他の皆だってすんなり信じる訳がない。
「これ、要するに見立て殺人ってことかしら……」
みきなんとかさんのオカルト話を受けて、口元に手をやったメガネさんがさっきよりかは幾分か落ち着きを取り戻した様子でそう呟いた。
「見立て殺人って?」
もう我慢できなくなったのか、懐からラムネ菓子を取り出してポリポリ噛んでいた川本さんが率直にそう尋ねる。
「ミステリーものの小説なんかでよくあるのよ。地方のいわくつきな伝承とかになぞらえて人が殺されてくって話が……ちょうど今の美樹本さんの話だと、そのかまいたちっていう妖怪か、あるいは自然現象のしわざで死んだように見せかけて誰かに殺されたってことになるわね」
自分で語ったその憶測を受けてメガネさん自身が息を呑む。
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。さ、殺人だなんて……ぼくは別にそんなつもりじゃ……」
話が予想外の方向へ展開してしまったからか、みきなんとかさんが慌てて口を挟む。突拍子もないオカルト話を披露していた時は饒舌だったけど、現実に引き戻されてしまう物騒な話題になった途端、声に少しばかり怯えの色を滲ませるのだった。
「脅迫状……! そうよ、あの脅迫状を出したやつがきっと犯人なんだわ!」
例の怪文書のことを思い出したらしいメガネさんがはっと顔を上げて声を大きくする。
「なぁ、脅迫状ってなんのことや? 亜希ちゃん、さっきもそないなことゆうてへんかったか?」
興奮気味のメガネさんの言葉に反応したおっさんが、自分にも分かるように言って欲しいと説明を求める。
「ああいえ、実はですね……」
おじさんが一瞬私のほうを見たけれど、隠し立てしても仕方ないと思ったのか、ぼつぼつと例の怪文書の件を話し始めるのだった。
*
「そんなことが、あったんですか……」
おじさんの説明を受けて絶句していた様子のみきなんとかさんがそう呟いた。
「そういうことは、ちゃんとゆうといてもらわんと、かなんなあ……」
大阪のおっさんが、ため息まじりにぼやいて頭のてっぺんに手をやる。
「……でも済んでしもたことはしゃあない。とにかく上にあるんがほんまに死体なんやったら、はよ警察に連絡せなあかんわな」
おっさんが至極当たり前のことを指摘したのだけど、それを聞いた皆の顔にあっと気付かされたような表情が浮かぶ。そうだ、警察だよ。人が死んでたんならまず通報しなきゃいかんだろ。そんなことも今の私達は見落としていたみたいだったから、異常な状況のせいでまともにものを考えられなくなっていたのかもしれない。そうした中で本来取るべき行動をいち早く皆に示したおっさんのことを私は少しだけ見直した。
そうしておっさんに促される形でおじさんが慌ててフロントの電話から受話器を取り上げ耳にあてたのだけど、なんだか様子がおかしい。何かを確かめるようにフックをガチャガチャと押したり、一旦受話器を置いて電話線を確かめ始めたのだ。
「すみません、どうも調子が悪いみたいです」
そう言って、おじさんはロビーから続く廊下の奥へと走っていった。
フロントに置いてある外線電話は随分と古めかしい造りのもので、今どき滅多にお目にかかれないダイヤル式のものだ。白と金の小洒落た装飾が施されたその古電話は半ばインテリア目的で置いてあるようにも見えたから、もしかするとタイミング悪くガタが来てしまったのかもしれない。
「駄目です……どの電話も繋がりません」
「な、なんやて! そら困るで!」
他の部屋にある電話を試しにいっていたらしいおじさんが、戻ってくるなり浮かない顔でそう明かす。そしたら顔色を変えたおっさんが立ち上がって抗議の声を上げた。
「多分、どこかで電話線が切れたんでしょう。こういうひどい天気だとたまにあるんですよ」
最悪だ。よりにもよってこんな状況で電話が通じなくなってしまったらしい。おじさんによれば、倒木か何かのせいで外の電話線に影響が出てしまったのではということだった。
「ああ、せや。携帯つこたらええんとちゃうんか? わし、かけてこか?」
「いえ、それも駄目でしょうね……」
携帯電話を使ってみようと提案するおっさんだったけど、無駄なことだと首を振ったおじさんはその理由を説明してやる。そうなのだ。この辺一帯は携帯の電波が届かないから、それで連絡することも出来そうにないのだった。要するにこの猛吹雪が降りやまない限り、私達は交番に駆け込むことも出来ず死体と一緒にこのまま過ごすしかないということになる。そのことを周りの皆も理解したのか、一様に青ざめているのが分かった。
「そ……そしたら、一体どないしたらええんや。人殺しがこの辺うろついとるっちゅうのに」
人殺し。さっきメガネさんが主張していたように、確かにヤクザは誰かに殺されたのだとしか思えない。自殺でも事故でもない。ましてや妖怪や自然現象のしわざでもない。だとするのなら、おっさんの言う通りヤクザを殺してバラバラにした異常者がこの近辺にまだいるかもしれないのだ。
「あ、あの!」
手を上げて大きな声でそう発言したのはみきなんとかさんだった。
「公衆電話はどうですか? ここに来る前、近くのバス停にあったのを見たんですけど……」
おお、その手があったか。私を含めた皆の顔にも明るい兆しが生まれる。だけどもおじさんの顔色は晴れないままだ。
「今は無理ですよ」
みきなんとかさんの提案に、今度は俊夫さんが首を振って答える。
「この雪の中で外に出ていくなんて、はっきり言って自殺行為だ。美樹本さんがうちにたどり着いたのだって奇跡みたいなもんだよ」
少なくともこの雪がやんでからでないと到底外に出れそうにないと、俊夫さんはそう警告する。徒歩は論外として、例え車を使ったとしても立ち往生するに違いないだろうということだった。
「えと、あれは……? ほら、スノーモービルってやつ……」
ここに来て初めて口を開いた私は、おじさんの顔を見ながらこの状況を打開してくれるかもしれない乗り物の名前を挙げてみせた。ガレージに置いてあるという雪国御用達のパワフルマシンを使えば、どうにか件の公衆電話までたどり着くことが出来るんじゃないかと思ったのだ。
「ああ、そうだね。確かにあれなら雪が積もっていてもなんとかなる」
「じゃ、じゃあ……」
「でも今は駄目だ。俊夫くんの言う通り、こんな猛吹雪の中で出ていったんじゃ方向が分からなくなって確実に迷ってしまうよ」
運良く公衆電話までたどり着けたとしても、もしこの辺一帯の回線をまとめているおおもとの線が切れてしまっていたのだとしたら骨折り損になってしまうとおじさんは言う。それどころか、そのままその場で力尽きて凍死する可能性だって十分にあるのだとも警告する。結局、雪の恐ろしさを知らない人間の意見はおじさん達からすれば迂闊に過ぎるようだ。
「明日、もし雪がやんでくれたら俊夫くんと見に行ってくるよ」
だからどうか安心してほしいというニュアンスを込めて、おじさんがそんな風に言う。それでも電話が使えなそうだったら、今度は近場の交番のほうまで足を運んでみるつもりらしい。こうしたおじさんからの言葉は、きっと私だけじゃなくて不安そうにしている他の皆にも向けられたものなのだろう。
(ん? 待てよ……)
何かひっかかる気がして思案した私だったけど、やがて頭の中に一つのある可能性が浮かび上がってきたものだからぞっとしてしまった。
(犯人のヤロー、ここに隠れてんじゃねーのか……!?)
どこにも姿が見えないものだから、ヤクザをバラした犯人はてっきり窓を割って外へ逃げてったものだと誰もが思っているようだった。だけどもこの天気の中で外を出歩こうものなら凍死しかねないと俊夫さんもおじさんも口を揃えて言う。仮に車をどこかに隠してあったとしても、さっきの俊夫さんの話を聞く限りじゃきっとすぐさま立ち往生して雪に埋もれていってしまうのだろう。
そんなにも危ない橋をわざわざ渡ろうとする人間がいるだろうか? さっきの私やみきなんとかさんのように、雪を甘く見てしまっていた場合は確かにありえるかもしれない。だけども仮に犯人がある程度その辺りの心得を持つ者であったのなら、あるいはこの猛吹雪に怖気づいたのだとするのなら、この近辺で唯一の安全地帯とも言える私達のペンションの中で今も息を潜めているんじゃないだろうか。
「な、なぁ」
「?」
おじさん達に聞かれないよう、私は隣に座る弟にそっと耳打ちしてやった。
「犯人ってさ、まだどっかの部屋に隠れてたりするんじゃね?」
「……まあ、ありえねえ話じゃねーけど」
こちらの言わんとしていることに共感したのか、特に否定することもなく弟はさもありなんといった顔をする。
しかしどうしたものか。この恐ろしい可能性のことをおじさんに伝えてみるべきだろうか。ともすれば皆を益々不安にさせてしまいかねない訳だから、不用意に煽るようなことを口にするのは私としてもはばかられてしまうのだ。
「おじさん」
私の指摘を受けてしばらく黙っていた弟が、何を思ったのかすっと立ち上がるとおじさんに声をかける。
「一度、ペンションの中を皆で調べてみませんか?」
「そりゃまた……どうしてだい?」
「犯人が隠れてるかもしれないからです」
私が言おうかどうか迷っていたことを、弟は躊躇なく皆の前でずばり口にしてしまった。
(言っちゃうのかよ!)
弟のその言葉に、場の空気が凍りついて全員が息を呑むのが分かる。すんすんと鼻を鳴らしていたビッチさんでさえ、一瞬泣きやんで何ともいえない表情を見せていた。
「外に出るのは自殺行為なんですよね? だったら犯人はこのペンションの中に隠れようとするんじゃないでしょうか?」
「それは……そうかもしれないが……」
犯人が生き延びようとするのならそれしかないだろうと弟は説明するのだけど、おじさんは自分のペンションにいまだ殺人犯が潜んでいるかもしれないということが受け入れられないのか、困惑を隠せず言葉に詰まっている。
「おお、せやせや。わしも実はそない思うとったんや。やろうやないか」
便乗したおっさんが、いやに乗り気な様子でそんなことを言い出した。
「人殺しがおるかもしれんっちゅうのに安心して眠れるわけあらへん。何とかせな」
「何とかって……どうするんです」
息巻くおっさんの言葉を受けて、ますます困惑の色を深めたおじさんが聞き返す。
「そら、捕まえるしかないやろ。警察に来てもらえん以上、自分らで捕まえなしゃあないやないか」
いかに殺人犯と言えどもこれだけ人数がいれば大丈夫だろうと、気が大きくなっているのかおっさんはグイグイ押していく。そうしたおっさんの言動が影響したのか、なんとなく場の雰囲気が変わりつつあるのを私は感じた。社長をやるような人間ってのはこういう感じに周りを引っぱってく力があるものなのかもしれない。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
だけどもそうした流れに待ったをかけたのは、手をアワアワさせるみきなんとかさんだった。
「人を殺してその死体をバラバラにするような、凶悪な人殺しですよ? 下手に手を出すより、ここでみんなでじっとしてたほうがよくありませんか……?」
これだけ人数がいればきっと犯人だって手出しはできないだろうと、そう主張するみきなんとかさん。人の多さを受けて攻めの姿勢になったおっさんと、逆に守りに入ったみきなんとかさんとではどうも意見が合わないようだ。薄々感じていたけれど、みきなんとかさんは腕っぷしの強そうな見た目に反して随分と気の小さい人らしい。
「じゃああんたは、このままここでずうっと起きとけっちゅうんかいな。寝とる間に、皆殺しにされるかもしれへんのやで」
おっさんの遠慮のない言葉のせいで、また場の空気が凍りつきそうになった。
皆殺し。頭の中で反芻するだけでも肝が冷えるような言葉だけど、そんな極端なことが本当に起こりうるだろうか? でも確かに日本刀なんかで武装してるような奴だったら、あり得ない話でもない。刃物を握るたった一人の人間のせいで一度に何人もの人が犠牲になった事件なんてのは、それこそ枚挙にいとまがないのだ。今のうちにグースカ寝ておいた犯人が、夜更けになって皆が眠くなった頃に満を持してハッスルしだしたら、それこそどうなるか分からない。
「いや、いくらなんでもそこまではしないでしょう……。でも、そうですね、分かりました。一度調べてみましょうか」
おっさんの極端な意見にこそ同意しなかったけど、ペンション内の捜索については前向きになったおじさんがそう返す。それは私達のために安全を確保しておきたいという、おじさんなりの責任感が働いたからなのかもしれない。
「なんにしても、みんな何か、武器になるものを持ったほうがいいんじゃない?」
それまで黙り込んでいたみどりさんが、口を開いて皆にそう提案する。さっきまでは死体のことすら疑ってかかっていたのに、いまやすっかり臨戦態勢のようでその表情には張り詰めた様子こそあれど怯えの色は見られない。
「そら、言えてる。イザっちゅう時のためやな」
「じゃあ俺、用意してきますよ」
おっさんを始め他の皆も賛成の色を示したのを見て取ったのか、俊夫さんはそう言い残すと廊下の奥へとすぐさま走っていった。
*
(こんなモンしかねーのか! 大丈夫かよ……)
俊夫さんが持ってきた武器の数々を皆が手に取っていったのだけど、用意されたものは殺人犯を相手取るにしてはなんとも心細いものばかりだった。スキー用のストック、果物ナイフ、そしてモップの柄。包丁なんかはかえって危ないというので持ってきてくれなかったのだけど、ここはただのペンションに過ぎないので武器らしい武器が無いのは当然のことなのかもしれない。
(こいつでいいか……)
大した選択肢もないけれど、私は用意されたものの中から一本のストックを手に取ってみせた。非力な私でも、イザとなりゃこいつで犯人の目ん玉や喉元なんかを思いっきり突いてやりゃそれなりに戦えるかもしれない。弟のやつがモップとかで犯人をブン殴ってひるませた隙に、私が必殺の
「何人かでチームを組んで、しらみつぶしに調べるんや。ベッドの下、クロゼットの中、バスタブ……どこに隠れとるか分からへんのやで」
捜索班のリーダー気取りなおっさんが、武器を持って並ぶ男連中にあれやこれやと指示を出しているのを私は弟の横に立って聞いていた。
「いや、おまえはここにいろよ」
「えっ?」
私に向かってそう言った弟が、なんでおまえまで行くつもりなんだと言いたげな視線を向けてくる。見れば私以外の女性陣は皆してソファーに座っているようだった。てっきり全員で調べにいくかと思ったのに、どうもそうではないらしい。
「智子ちゃん、こっちにいらっしゃい」
「あ、うん……」
そう言っておばさんが立ち上がって手招きしてくるものだから、私は手にしていたストックを足元に置いた。自分の席を譲ってくれたおばさんだったけど、丁度そこはあの人妻さんの隣だった。
「あなた、気をつけてくださいね」
「ああ、任しとき。わし剣道やってたさかいな。犯人のやつが出てきよったら燕返しでチャッチャとこらしめたるわ」
送り出す人妻さんのその言葉に、おっさんは手にしたモップを勇ましく構えてみせる。嘘くせー。なんか嘘くせー。こういうのに限っていざ犯人が現れたら、きっと皆のことを盾にして後ろに引っ込んだりするもんなんだよな。
ともあれおっさん率いる捜索班は、そうしてペンションの中の色んなところを探して回った。まず手始めに一階からということで、しばらく部屋のあちこちに行ってはドタバタしていたようだけど、やがて一階部分を調べ終えたのかロビーに戻ってきた。結局怪しい奴はいなかったらしく、出発前は皆して緊張の面持ちだったのが今じゃ随分とリラックスしてるように見える。そうして今度は二階へと捜索の手を伸ばすため、連れ立って階段を上がっていこうとしていた。
「わしはこう見えてもな、高校時代は柔道やっとったんや。もし犯人が出てきよったら、一本背負いから押さえ込んで……」
皆の一番後ろから付いていくおっさんが、手前の弟に何やらしょうもないことを話しかけているようだった。だけども弟は、おっさんのたわごとを聞いている風もなく相手にしてないようだ。
(あんな感じでいっつも私のことを無視してやがんだな)
まるで普段の自分を見ているような気がしたものだから、無愛想な弟に冷たくされているおっさんに私は少しだけ同情してしまうのだった。
*
「皆さん、コーヒーはいかが?」
弟達が二階へ行ってしまった後で、おばさんがソファーに座る皆を見回して言う。
「そうですね、いただきます……」
「じゃあ今淹れてきますからね」
人妻さんがうなずいて、他の皆もそれに倣うような素振りだったから、おばさんは台所のほうへ行ってしまった。おばさんを一人だけにしてはいけないと思ったのか、床に落ちてたモップを拾い上げたみどりさんもその後を追う。
天井からギシギシとたくさんの足音が聞こえてきたから、今ちょうどヤクザの部屋を皆が調べている真っ最中なのかもしれない。またジェニーがあの部屋に入りたがるんじゃないかと見回してみたら、ジェニーは玄関の手前あたりの床で丸まっていた。
「ジェニー、おいで」
私がそう声をかけて手を差し出してみれば、気付いたジェニーがこちらへとことこ歩み寄ってきて、ヒョイと膝の上に乗ってくる。ジェニーはとても懐っこい猫で、あまり人間を警戒するということを知らない。私も昨日ここに来たばかりの時、話に聞いていたペンションの猫を一目見たいと思っていたのだけど、間もなく自分から挨拶しにくるように私の前に現れたものだからしばらく遊んでやったのだった。毎日色んなお客さんが入れ替わり立ち替わり来るから、ジェニーは知らない人と触れ合うことにすっかり馴れてしまっているのかもしれない。
「猫、好きなの?」
「えっ? あ、そ、そですね……はい」
ジェニーをなでなでしてやっていると、傍らの人妻さんが話しかけてきた。
「まあ、そうなの。うちの人もね、猫が好きなのよ」
「へ、へー……」
そう言って、人妻さんはジェニーの背中をそっと撫でてやる。なんとなくそんな気はしてたけど、あのおっさんはやっぱり猫好きということらしい。
「私達も猫を飼ってるの。『ナツミ』って言うのだけど」
ジェニーを撫でていた人妻さんの手が、ふっと動きをとめる。
「今頃どうしてるのかしらね……」
そんなことを言って遠い目をする人妻さんだったけど、もしかすると家が恋しくなっているのかもしれない。出来ることなら今すぐにでも飛んでいって帰りたいのだろう。それは私だっておんなじ気持ちだ。なんだかウチに置いてきたぬいぐるみ達のことが私はどうにも恋しくなってしまった。
(お母さん、心配してるだろうなぁ……)
本当ならもうとっくにウチへ電話を入れていた筈なのに、電話線がダメになったせいで結局連絡出来ずじまいだ。おじさんのペンションで今まさに事件が起きていて大変なことになってるなんて、きっとお母さんは想像も出来ないだろう。
「はぁー……」
意識せずため息が漏れてしまった私は、なんとはなしにポケットからスマホを取り出して電源を入れる。
(あ、そっか)
今ネットは使えなくなっていることを私は思い出す。ゲームをしている時に気付いておじさんに相談しにいったのだけど、ルータの不調と考えていたあれは、どうも実際は電話線の断線によるものだったのかもしれない。
一体いつ頃電話線が切れてしまったのかと考えた私は、みきなんとかさんがペンションに電話してきた時間を思い出す。あれは八時をちょっと過ぎたぐらいの頃だった筈だ。それから私がネットが使えないことに気付いたのが確か……八時半ぐらいだったように思う。ちょうどそん時ぐらいにみきなんとかさんがペンションに来て、鳩時計が一回鳴ったのを覚えているぞ。そう考えるとみきなんとかさんが連絡を入れてきたタイミングは結構ギリギリセーフだったってことになる。
「ねえ、どうなの……?」
「ダメ……やっぱ全然繋がんない」
もう一つのソファーのほうで、OLさん達がなにやら話し込んでいる。見ればメガネさんがスマホを手にして、どこかに電話をかけていたようだ。携帯は使えないとおじさんから言われていたけれど、諦めきれないのかもしれない。
「屋根とかに登ったら使えるんじゃないかなぁ?」
冗談なのか本気なのか分からないことを川本さんが言う。ここよりもっと高いところなら、多少は電波が拾えるんじゃないかってことだろうか。
「あのね啓子、そんなことしたら落っこちて大怪我するわよ?」
ため息混じりにメガネさんがその提案を一蹴する。全くもってその通りで、この猛吹雪の中そんな真似をしようものなら強い風に煽られて吹き飛ばされるか、あるいは屋根の上に積もる雪と一緒に滑り落ちてくのがオチだろう。
「じゃあ屋根裏は? ほら、なんか二階より上のほうにもちっさい窓とかあったじゃん。あの辺からかけたら繋がらないかな」
案外本気だったりするのか、川本さんは尚も自説の有力性を訴える。確かに川本さんの言う通り、このペンションは外から見ると屋根裏と思しきところにも窓がある造りになっているのだ。ペンション風の建物なんかだとよく見かけるああした妙な位置にある謎の窓だけど、一体あんなところに窓を設けて何に使うつもりなんだろうか。そもそもどこからあの窓のところまでたどり着けるんだろうか。ガラスが割れたりなんかした時はどうするのだろう。
「はい、おまちどおさま」
台所のほうから、お盆に載せた沢山のコーヒーカップを運んできたおばさんとみどりさんが戻ってきた。今この場にいる人の分としては随分とカップの数が多かったから、きっと後で戻ってくる男性陣の分も用意したのだろう。テーブルに並べられたカップから適当なものを選んだ私は早速そいつに口を付ける。
川本さんはなにやら懐をまさぐり始めると、やがてそこから細長いクッキー箱を取り出して封を開ける。きっとコーヒーに合うおやつをチョイスしたのだろう。どうも川本さんの懐やポケットの中には常備用のお菓子が沢山詰まっているらしかった。
「食べます?」
そうしてテーブルの上にクッキーを広げた川本さんだったけど、人妻さんや私にもそれをすすめてきた。
「ごめんなさい、今は遠慮しておくわ」
「あ、わ、私もいらないかなー……」
それに対して少しすまなそうに返す人妻さんだったけど、そりゃそうだ。川本さんと違って他の皆は今のところ呑気に何かを食っていられるような気分じゃないんだぜ。
ともあれ私がコーヒー片手にちびちびやっていると、やがて階段から捜索を終えた弟達が戻ってきた。
◆
「あなた、どうだった?」
「ああ、あちこち探したんだが……特に何もなかったよ」
一息ついたおじさんにそう尋ねるおばさんだったけど、どうやらめぼしい結果はなかったらしい。いや、この場合に限っては結果がないほうが良かったのだ。それがこのペンションの中に怪しい人物が潜んでいないということを一応は証明してくれるのだから。俊夫さんから話を聞いていたみどりさんも、結局犯人は外に逃げたのだろうかと言ったりしている。
やがて男性陣もテーブルの上のカップを手にとってめいめい一服し始めるが、人が増えて狭くなってきたので私は階段の下に座りなおす。ロビーにいる皆の顔色をうかがってみるのだけど、いずれもほっとしたように見えつつ、けれどまだまだ不安げな、複雑な表情を浮かべている。それもその筈で、本当に誰かが隠れていないかまだ完全に確信できた訳じゃないし、よしんば犯人が外へ逃げたのだとしてもいつまた侵入を試みてくるかしれないのだから。
(そういや……)
私の頭の中にふと疑問がわいてきた。それは、ヤクザを殺した犯人がどうやってこのペンションに入ってきたのかってことだ。皆がメシ食ってる時にでもこっそり玄関から入ってきたのだろうか。そんでもってヤクザの部屋の中に潜んでおいて、部屋に戻ってきたあいつをブチ殺したりしたのだろうか。
「あ、おじさん……」
「ん?」
「玄関から誰かがそっと入ってきたら、分かんなかったりするもんなの?」
「いや、それはないな。ドアが開いたらちゃんと奥のほうでもチャイムが鳴って分かるようになってるんだ」
「ふうん……じゃあ、どっか鍵かけ忘れてたとことかあったりする?」
「いやいや、智子ちゃん。その辺りは私も普段から気を付けてるよ。お客様の安全を守らないといけないからね」
私がこんなことをいちいち尋ねる理由をおじさんも察してくれているようで、特に渋ることなくこちらの質問に答えてくれる。ともあれ今のおじさんの話からすると、玄関から入ってきたり、あるいはどこか開いてた場所から入ってきたって線はないな。
(二階の窓はどうだ? もしかすっとヤクザのとこだけ開けてあったのかも)
ペンションの裏手はあまり除雪されてないようで、今朝目にした時点でもそれなりに雪が壁沿いに積もっていたように思う。ましてやこの吹雪なのだから、益々積もったそこを伝って人間が二階のほうまで登ることだって出来るんじゃないだろうか。
(仲間、だったのかな……?)
仮に窓のとこまでたどり着けたとしても、鍵が閉まっていたら割ったりしない限り中へは入れない。だとするのなら、ヤクザが手引きして犯人をペンションの中へ招き入れたということは考えられないだろうか。そんでもって、何があったか知らないがソッコーで仲間割れしてヤクザをぶっ殺した犯人が、もの凄いスピードで死体をバラバラにしてあの辺に放っていったのではないか。
ヤクザが生きてる姿を最後に見たのが多分七時半ぐらいだったろうから、それからおじさん達が死体を発見する九時過ぎぐらいまでの一時間半が犯行時刻ってことになる。それだけの時間で一人の人間をバラバラにするなんてチェーンソーでもなければ不可能なように思えるけど、もしかすると切れ味の良い日本刀を装備していた剣の達人だったのかもしれない。
その後の犯人の足どりはさっぱり分からない。ペンションの中に隠れてるかもと思ったけど、皆が捜索した感じでは誰もいないようだった。だからといってこの荒れ模様の中を雪中行軍していったという確証もない。
そもそもなんで犯人は窓を割っていったんだろうか。そんなことをしたら皆に気づかれるだろうし、こっそり逃げるだけではダメだったのだろうか。あるいは、単に何かの拍子にうっかり窓を割ってしまったのだろうか。
(そういやあん時、足音が聞こえなかったような……)
例え外がどんだけ吹雪いていたとしても、ペンションの周囲を人が歩いていたら雪を踏みしめる音が聞こえてくることを私は知っていた。みきなんとかさんがここに来た時も、その足音が外からちゃんと聞こえていたことを覚えてる。
窓の割れる音が聞こえた時、私はすぐに窓辺に立って外の様子を注意深く窺っていたのだけど、ドア枠が壁に叩きつけられる音以外は何も聞こえなかった筈だ。誰かがペンションから去っていく足音なんて、ちっとも聞こえなかった。
(……!)
自らの考えに私はぞっとしてしまった。犯人はやっぱり外に逃げてなどいないのではないだろうか。窓を割ったこと自体が犯人の罠だとしたらどうだろう。わざとらしく窓を割ってさも外へ逃げたように見せかけ、皆の捜索の目すらかいくぐって今もペンションのどこかにのうのうと潜み続けているのではないか。
(窓を割ったのは犯人……だけどもそいつは外へ逃げていかなかった……)
かと言って廊下へ出てきた訳でもない。あのとき廊下の様子をドア越しに確かめていた私だったけど、人の気配は全く感じなかった。それにもし出てきていたら、ジェニーが待ってましたとばかりに部屋へ入っていったに違いない。
やがてすぐしないうちにみんなが二階に上がってきたから、外にも廊下にも逃げていかなかった犯人はあの部屋の中に隠れるしかなかった筈だ。あの時はベッドの下にでも隠れていて、死体を発見したおじさん達のあたふたするさまにほくそ笑んでいたのだろうか。
(つーかそもそもなんでヤクザが死んでることを皆に教える必要があったんだ?)
犯人の行動はどうにも不可解だ。こっそりペンションに忍び込んで仲間のヤクザを殺したまではいいけど、その後のやり口がてんで腑に落ちない。あったかいペンションの中でこの吹雪をしのぎたいのなら、ヤクザが死んでることは誰にも教えず部屋ん中にこもってりゃいいんだもんな。
私を含めて誰もヤクザの部屋から人が争うような物音は聞いちゃいないんだ。あいつの悲鳴だって聞こえなかったし、きっと一撃で仕留めたりしたんだろう。だからあの部屋で人が殺されたなんて、黙ってればそうそう分かりゃしないんだ。バラバラにしておいた死体はバスルームにでも置いときゃ血の匂いだってマシになるだろうし、そのまま部屋の中でグースカ寝て吹雪がやむのを待ってればいいのにと思う。
(匂い、か……)
なんだろう。何かがひっかかるぞ。匂い、臭い、ニオイ……?
その時、目を覚ましたジェニーがぐっと伸びをして、私の膝から下りて廊下の奥へと行ってしまった。もしかしたらトイレに行くつもりなのかもしれない。
「あっ!」
ジェニーの姿を見送っていた私の中で急にひらめきが生まれたものだから、思わず声を上げてしまった。
「どうした?」
私の隣に座ってしかめっ面をしていた弟が、何事かと声をかけてくる。他の皆だってこちらに視線を向けてきていた。きっとさっきの私は鳩が水鉄砲……じゃなくて、豆鉄砲をくらったような顔をしていたのだろう。だけどもそんなことは気にしていられない。している場合じゃなかった。
(そうだよ、匂いだよ……! 確かあん時、ジェニーが……)
私が物置に閉じ込められていたジェニーを助けてやった時、ジェニーはすぐさまヤクザの部屋の前に行ってしきりにドアの隙間から部屋の中の匂いを嗅いでいなかっただろうか。そして、窓が割れた時も同じようにしてジェニーはしつこくあの部屋の前でうろついていた筈だ。あの時は中になにかあるのだろうかと首を傾げていた私だったけど、今ならジェニーがあの部屋に執着していた理由に見当がつく。
(ヤクザの奴、もうとっくに死んでたんだよ! そんで部屋ん中から血の匂いがプンプンしてたんだ!)
だからジェニーはしきりに部屋の中を気にしていたのだ。肉食の猫にとっちゃ血の匂いなんてごちそうの匂いだもんな。人間では気付けなくても、猫の嗅覚ならきっと簡単に察知出来たんだろう。
(じゃあじゃあ、ヤクザが死んだ時間ってのは……)
少なくともジェニーが物置から出てきた八時半の時点ではもう死んでたってことになる。だとするのなら、犯人はあのときも部屋の中にいたかもしれないのだ。
(こえー、一歩間違ったら私も殺されてたな……!)
部屋から不審者が出てこないうちにあの場からそっとジェニーを連れ出したのは正解だったかもしれない。ドアの前でにゃんにゃんと騒ぐジェニーをどうにかしようと、犯人が廊下に出てきかねなかったのだから。
(ジェニー、命拾いしたなおまえ。私に感謝しろよ)
トイレを終えて戻ってきたらしいジェニーが、川本さんが食べているお菓子を分けてほしそうにまとわりついている。人間達がこんなにあたふたしてるってのに呑気なものだ。
きっとジェニーは、仮に私達が殺人鬼に皆殺しにされてしまったとしても我関せずでいつも通りの生活を送ろうとするのだろう。そしたらジェニーはこんな山奥の小屋の中でひとりぼっちになってしまう。いつもご飯を与えてくれていたおじさん達もいない訳だから、やがては餌が尽きてジェニーも死んでしまうに違いない。
そこまで考えて、妙に寒気を感じた私はぶるっと震えてしまった。一応家捜しは何事もなく終わったけど、私はちっとも不安が拭えないでいる。犯人が都合よく外に逃げていってくれたなんて、どうにも信じきることが出来ないのだ。それに犯人の奴はどうしてわざわざ窓を割ったりなんかして、ヤクザが死んでることを皆に気付かせようとしたのか。そんなことはもう本人に問いただしてみなければ知りようがなかった。
(ほんと、どうなっちゃうんだろう……)
なんにしても分からないことが多くて、あれこれ考えているうちに頭がこんがらりそうになる。犯人はペンションの中にいるのかいないのか、そのことが気になって仕方がない私だった。
「ちょっとあなた、どこに行くの……?」
「ああ、いや……」
何やら準備を始めたおじさんを、変に思ったおばさんが呼びとめる。
「外を調べて来る」
「外を? ど、どうして?」
「……何か、痕跡があるかもしれないじゃないか。足跡とかタイヤの跡とか」
どうもおじさんは今から外を調べに行くつもりらしい。ペンションの中を捜索しただけでは不安を拭えないでいたのは私だけじゃないのだろうけど、とりわけおじさんはその気持ちが強かったらしい。
「痕跡って……そんなのあったとしたってこの雪じゃとっくに消えてますよ」
どこか焦りが見えるおじさんへ、そう冷静に指摘してみせるのは俊夫さんだった。
「そりゃそうだが……。殺人犯がここに戻って来るかもしれんというのに、何もしないでいるわけにもいかんじゃないか」
このまま指を咥えてはいられないと、おじさんはそう主張する。それはやっぱり、このペンションのオーナーとしての責任感がそうさせるんだろなと私は思った。
「俺も行きます」
そしたら、傍らの弟がそう申し出て立ち上がる。何があるか分からない場所へおじさんを一人で行かせたくないという、身内としての気遣いが働いたのかもしれない。あるいはこいつもこいつで、犯人に繋がる手がかりが外にあるかもしれないと睨んでいるからだろうか。
「じゃあオーナー、また俺達みんなで行きましょうよ。もし犯人の奴が外に隠れていても、それならとっ捕まえられるでしょう?」
「ま、またですか……?」
後に続けとばかりに今度は俊夫さんがそう提案した。みきなんとかさんはあまり乗り気でないようだけど、捜索班の再結成という訳だ。
「ああ、すまんけどわし、その……寒いの苦手なんやが……」
そうした流れに水を差すように、おっさんが消極的な態度を見せる。自慢の燕返しや一本背負いも、外の厳しい寒さの中では形無しになってしまうようだ。
「私達だけで見てきますので、香山さんはゆっくりしてらしてください」
「ん、そうか。まあもし変なやつ見つけたら、中に追い込んでくれ。わしの地獄車をおみまいするさかい」
おじさんに気遣われて安心したのか、おっさんがそんな大口を叩く。あまりにも堂々としたビッグマウスぶりに、私はこんな状況にもかかわらず噴き出してしまいそうになった。このおっさんは笑いのセンスがあるのかもしれないな。
「じゃあ皆、まずは着替えてきてくれ。凍えてしまわないように、しっかり厚着してくるんだ。美樹本さんも、すみませんがお願いします」
おじさんの言葉を受けて、弟やみきなんとかさんは早速二階へと上がっていく。俊夫さんも準備を整える為に廊下の奥へと姿を消していった。
やがて着替え終わった皆が戻ってきたのだけど、そのとき鳩時計が鳴き出した。時刻はちょうど十時のようだ。用心の為にと各々が再び武器を手に取って、玄関で靴を履いていく。
「あ、智貴。ちょっと待って」
「なんだよ?」
特に理由はないのだけど、私は玄関でしゃがんでる弟のところまで駆け寄って声をかけた。
「えと、まあ……」
何も考えてなかったので少しの間もじもじする私だったけど、とりあえず無難な言葉をかけてやることにする。
「き、気ぃつけろよ」
「……ああ」
それに対する弟の反応は、いつも通りではあるのだけど素っ気ないものだった。もしかしたら内心怖がってるんじゃないかと思ったけど、その仏頂面からはいまいち感情が読み取れない。
「そんなんで寒くないのか? もっと着たほうがいいんじゃねえの?」
「分かってるよ。スキーウェアがあんだろ、それ着てくから」
ゲレンデから帰ってきた時、私達のスキーウェアは乾燥室に預けておいたのだけど、弟はそれも着ていくつもりらしい。そんならまあ、この吹雪の中でもちょっと出歩くぐらいなら大丈夫そうだ。
「なんかあったら大声で呼べよ?」
「分かったって」
犯人がペンションの中にいまだ潜んでいるのではと睨んでいた私だったけど、ひょっとしたら外で即席のかまくらなんて作ってみせて、案外その中でぬくぬくとくつろいでいたりするのかもしれない。そう考えると少し不安になってきたものだから、私はイザという時の対処法を言い聞かせてやるのだけど、弟はなんだかちょっと鬱陶しそうだ。こいつめ、人がせっかく心配してやってるっていうのに。
「智子ちゃん、大丈夫だ。智貴くんのことは私がちゃんと見ておくよ」
「う、うん……」
おじさんにそっと肩を叩かれてなだめられたものだから、ひとまず私はそれ以上何も言わないことにした。だけども玄関口から覗く外の様子は真っ黒と真っ白が入り混じっていて、一歩そちらに踏み出せばたちまち飲み込まれてしまいそうに思えた。
弟やおじさんは、果たしてこの猛吹雪の中を無事に帰ってくることが出来るんだろうか。ただただそのことが気がかりで、やがて玄関を出ていった弟達の背中を、私はその場に立ち尽くしていつまでも見送っていたのだった。
続く