もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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【クロス】かまいたちの夜 黒木姉弟シュプールへ行く(4)

犯人の行方

「はぁー、しっかし難儀やなぁ……」

 

 ソファーに深く腰掛けるおっさんが、くたびれたように目を閉じて天を仰ぐ。かなわん、かなわん、とむにゃむにゃ呟くおっさんだったけど、お酒が入っているからなのか、うっかりするとそのまま呑気に眠ってしまいそうに見えた。

 いいのかおっさん。犯人がもし外に隠れてたら、おじさん達に追い込まれたそいつがいつなんどきこっちに来るか分からないんだぞ。地獄車をお見舞いする準備でもしとけよな。さっきから武器を片手にずっと玄関のほうに立って見張りをしているおばさんやみどりさんを見習ってほしいもんだ。

 

(何話してんだ……?)

 

 ソファーに座らずフロントの前でたむろしていたOLさん達は、なにやら顔を寄せ合いひそひそ話をしていた。どうもメガネさんが他の二人にあれやこれやと何かを吹き込んでいるように見える。

 

「そや! 携帯電話、試してみよ!」

 

 あわや居眠りをこくと思われたおっさんが、突然声を上げてぱっと身を起こす。おじさんに無駄だと言われていたのに、OLさん達と同じくおっさんも諦めきれないらしい。

 

河村(かわむら)さんもさっき試していらしたけど、繋がらなかったみたいですよ」

「お、ホンマかいな……?」

 

 さっきのOLさん達のやりとりを見ていた人妻さんが、おっさんにそう助言する。おっさんのど根性で都合よくどうにかなるならいいんだが、現実は非情なのだ。

 

「おおい、亜希ちゃん」

「えっ? は、はい」

 

 少しばかり思案していたおっさんが、メガネさんへ声をかけた。いきなり話しかけられて驚いたのか、メガネさんはヒソヒソ話をやめて、どもり気味に返事をする。

 

「携帯、アカンかったんか?」

「あーはい……そうですね、駄目みたいです」

「もしかしてそれ、スマホでかけたんとちゃうん?」

「そうですけど……」

 

 スマホがどうたらと言うおっさんの質問の意図が読めないのか、メガネさんがやや困惑気味に返事をする。

 

「あーアカンアカン。スマホはな、こういうとこやと弱いんや」

 

 メガネさんの答えを聞いたおっさんが、したり顔でそんなことを言い始めた。

 

「こういうとこ来んのやったらきみ、ガラケー一択やで。つことる電波のモノが違うわ」

「あぁ、はい、まぁ」

 

 得意気な様子で講釈を垂れるガラケー推しのおっさんと、それに対してどうでも良さそうに生返事をするメガネさん。

 おっさん、どうした急に。

 

「わしな、今日はガラケー持ってきとんねん。それやったら繋がるかもしれへん。どや?」

「そ、そうですね。繋がるかもしれませんね」

 

 なるほどー、そういうことか。前置きが長かったけど、私達の顔を見回して、どや?どや?と連呼するおっさんが言うには、要するに自分の持ってる携帯電話なら繋がる望みがあるかもしれないってことだ。

 

「ほな春子、ちょっと行ってくるで」

「ええ、いってらっしゃい」

 

 どっこらしょと立ち上がったおっさんが、人妻さんにそう言い残すと階段のほうへ歩いていく。わざわざ席を立つということは、おっさんの電話は部屋ん中に置いてきたのだろうか。

 ともあれさっきまで寝ぼけつつあったのが嘘のようにハッスルし出したおっさんだったけど、それが頼もしく映るのか人妻さんの表情にも幾分か明るいものが浮かんでいた。

 

「屋根裏なら繋がるかもしれませんよー」

「おお、ほうか」

 

 まだ例の自説にこだわっているのか、階段を上がっていくおっさんに向けて川本さんが妙なアドバイスをしてやる。だけども流石に真に受けたりはしないのか、おっさんは手をひらひらさせて適当に返事をするだけだ。

 そうしておっさんがいなくなると、ロビーはやけに静まり返ってしまった。すっかり人の少なくなったソファーには私と人妻さん、そして空いた席で丸まってるジェニーだけがいる。またヒソヒソ話を再開したOLさん達以外は皆だんまりしているから、鳩時計の針の音だけがいやに響く。

 

「ねえみどりちゃん、ちょっと遅くないかしら……?」

「大丈夫ですよママさん。ほら、まだ十五分ぐらいしか経ってないんだから」

 

 急に口を開いたかと思ったら、皆の帰りが遅いと不安を訴え始めたおばさん。それを受けたみどりさんは、時計を見やって落ち着かせようとする。言われてみれば確かにおじさん達が出ていってから大して時間は経ってない。だけどもかれこれもう三十分ぐらいは待ち続けてるように感じられてしまうのだから不思議なものだ。

 

(ん……?)

 

 今、外のほうから人の声が聞こえた気がするぞ。ほら、大声で誰かが呼んでるような感じだ。

 

(智貴、なのかな……?)

 

 その声が気になった私は、ソファーの上に乗り上げて窓のカーテンを開ける。そしたら外は相変わらず真っ黒と真っ白で満たされていたのだけど、さっきよりも明確に声が聞こえるようになった。

 

(やっぱ智貴だ。なんかあったのか?)

 

 少し遠くのほうから聞こえるけれど、確かにあいつの声のようだった。声がする方向からして、ちょうどこの窓からまっすぐ進んでちょっと離れた辺りにいるように思える。おじさん、おじさん、と盛んに呼び続けているけれど、もしやこの吹雪の中でおじさんとはぐれでもしたのだろうか。

 

「智子ちゃん、どうしたの?」

「あ、うん。なんか弟が叫んでて……」

 

 私の様子に気付いたおばさんが、一緒になって窓の外を覗き込む。

 

「どうしたのかしら……」

「ここから呼んでみよっか?」

 

 あいつが迷子になっているといけないから、私はおばさんにそう提案する。とはいえ窓を閉めたままではこちらの声が届かないかもしれないから、ちゃんとあいつに知らせてやろうと思ったらここを一旦開け放つ必要がある。

 

「そうね……何かあったらいけないものね」

 

 おばさんが、私の提案に頷いて同意してくれた。窓を開ければ途端に猛烈な冷気がロビーの中へと入ってくる訳だから、普通ならそんなことはまずしない。だけども今は非常時なのだ。万が一を考えるのなら多少のことには目をつむるしかないとおばさんは判断したらしい。

 

「すみません、皆さん。今からちょっと窓を開けてもいいかしら?」

 

 一応周りに尋ねてみたおばさんだったけど、誰も反対しないようだったからそのまま窓の鍵を外す。

 

(さ、さむぅぅ……っ!)

 

 そうしておばさんが引き戸式の窓をそっと開けてみれば、容赦なく吹雪が入ってきたものだから、私は途端に縮こまってしまう。OLさん達は悲鳴を上げるし、突然のひんやりに襲われて仰天したジェニーなんかは食堂のほうへ飛び逃げていってしまった。

 

(やっぱえげつねぇ寒さ……! 雪国ハンパねーな……!)

 

 窓から身を乗り出してみた私だったけど、油断していると今にも氷漬けになってしまいそうだ。弟もおじさんもこんな寒さの中をうろついてるのだと思うと可哀想になってしまう。

 

「おぉ──い! 智貴ぃ──!」

「智貴く──ん!」

 

 寒さに耐えながら、私とおばさんは出来る限り大きな声で呼びかけていく。奥歯がカタカタ鳴って顎に力が入らないけど、それでもどうにか声を張り上げる。激しい吹雪のせいで目を開けるのも一苦労だし、鼻から吸い込む冷気のせいで頭の芯まで凍ってしまいそうだ。

 

「あっ、き、気付いた、かも……っ!」

 

 寒さのせいで上手く喋れない私だったけど、遠くから聞こえる弟の声の様子が明らかに変わったことをおばさんに教えてやる。耳をそばだててみれば、どうも今度は私のことを呼び始めたようだ。

 

「あ、あたし達、部屋に戻ります!」

 

 寒さに耐えかねたのか背後からメガネさんの金切り声が聞こえたのだけど、私もおばさんもそれに構う余裕もなく弟を盛んに呼び続けた。

 

「ほ、ほら! きき、来たっ、来たよ……!」

 

 やがて正面のほうに人影が見えてきたかと思うと、ゆっくりとした足取りでザクザクと雪を踏みしめながらこちらに向かってくる弟の姿がはっきりと確認出来た。

 

「なんだよおまえー! 迷っちまったのかー!?」

 

 そうしてようやく窓からの明かりが当たるぐらいのところまで弟がやって来たので、私は吹雪にかき消されないよう大声で尋ねる。そうしたらフードを深く被った弟はそれに答えず、代わりに手でちょいちょいと合図を送ってくる。もういいから窓を閉めろと、そう合図しているように見えた。

 ここまで来ればもう大丈夫だろうと判断したのか、その合図を受けたおばさんは窓を閉める。

 

(ふぃー……ったく、世話焼かせやがって……)

 

 おかげで頭やら肩やらに雪が積もってしまったから、私はそれを手で払い除けていく。

 窓から見える弟は辺りを見回しているようだけど、おじさんの姿を探しているのかもしれない。

 

「タオル、持ってくるわね」

「あ、うん……」

 

 そう言うおばさんも私と一緒で雪まみれだ。後ろを振り返ってみれば、ロビーにも雪が入ってしまったのかそこかしこが濡れてしまっているようで、みどりさんが自分の手にするモップを使って早速それらを拭き取っていた。さっき部屋に戻ると言っていたOLさん達だけでなく人妻さんの姿まで消えてしまったと思ったら、玄関側に避難していたようで物陰からそっと顔を覗かせているのが見えた。

 コンコンと、窓を小突く音に振り返ってみれば、そこには顔を雪まみれにした俊夫さんの姿があった。外から幾つもの足音が聞こえるので、様子を伺おうとガラス越しに覗き込んでみれば、弟だけでなくいつの間にかおじさんやみきなんとかさんも集まってきていたようだ。

 

『今から戻るから!』

 

 俊夫さんがジェスチャー交じりに大きな声でそう伝えてくる。その声に気付いたみどりさんも窓辺に駆け寄ってきたのだけど、俊夫さんはそれ以上は何も言わず手を軽く振ってみせると、そのまま皆で固まってぞろぞろと玄関側の方向へと歩いていくのだった。

 *

「おまえさー、なに迷子になってんだよ。ちゃんとおじさんに付いてかなきゃ駄目だろ」

 

 ひとまず無事に帰ってこれた弟が、ソファーに腰掛け一息ついていた。その隣に座りなおした私は、迂闊に過ぎる我が弟へ早速説教してやることにする。たかが建物の周りをうろつく程度のことなのに、一歩間違えれば遭難してたかもしれないなんて笑えない話だ。

 

「いや智子ちゃん、わたしが悪いんだよ。ちゃんと見ていてあげれなかったんだ、すまない」

 

 私に小言を言われてむっとしたような顔で押し黙る弟だったけど、それを見たおじさんが仲裁に入ってくる。

 

「いえ、俺のほうこそすみません……正直、吹雪をナメてました……」

 

 おじさんを気遣っているのか、弟が自身の至らなさを詫びてみせた。やっぱりこいつはおじさん相手だと殊勝な態度になりやがる。生意気にも猫かぶりをしている訳だ。いつもみたく「ああ」とか「おお」とか「出てけ」とか言ってみようぜ、な?

 ともあれ弟が言うには、どうやらほんのちょっとおじさんから目を離した途端にもう見失ってしまったということだった。まったく雪国はこれだから怖い。自然が全力で殺しにきやがるんだもんなー。

 

「あなた、何か温かい飲み物でも……」

「ああ、そうだな。智貴くん達の分も頼む」

 

 おじさん達の分のタオルを渡してあげていたおばさんが、その頼みを受けて台所へと向かっていく。そうしたら人妻さんが「手伝います」と声をかけておばさんの後を追っていった。きっと人妻さんもこの非常時の中でじっとしていられなくて、皆の為に何かしら役立ちたいのかもしれない。

 おじさんを含め、外回りに出かけていた人達は鼻やほっぺたが真っ赤になっていた。外に出ていたのは大した時間じゃないけど、それでも体の芯まで冷え切ってしまったに違いない。皆してソファーの上でぐったりしているから、雪の中を歩くだけでも相当体力を奪われてしまうのだろう。

 

「それでオーナー、どうでした? 何かありました?」

 

 肩の力を抜くように、立てたモップに顎を乗せていたみどりさんがそう尋ねる。

 

「いや、何も見つからなかったよ。一応ガレージなんかも見に行ってみたんだが、誰もいないようだった」

 

 だけども聞かれたほうのおじさんは首を振る。成果なしということか。まあ薄々予想はしていたけど、やはりという感じだ。

 

「俺たちのほうも駄目でした。何もありゃしませんよ」

「はは、これじゃあただ凍えに行っただけみたいだね……はぁ」

 

 少しほっとした様子で結果を報告する俊夫さんに、皮肉めいたことを言ってため息をつくみきなんとかさん。もし何かあればそれはそれで一大事だったろうから、結果が出ないことに安心する俊夫さんの反応はもっともだ。みきなんとかさんはペンションに来る前も一度凍えかけたそうだから、ちょっとうんざりしているようなその態度は分からないでもない。

 

「おまえはどうなんだよ。なんか見つけたのか?」

 

 わざわざ自分から遭難しにいったも同然の弟だったから、特に目ぼしい成果もなかったのだろうと思う私だったけど、なんの気なしに一応聞いてみた。

 

「ああ……まあな」

 

 すると弟は意外にも私の問いかけにこくりと頷き返した。なんだなんだ、何を見つけたっていうんだ。

 

「おじさん、気付きましたか? そこの壁に積もってた雪、一箇所だけごっそり崩れてましたよ」

 

 そう言って、さっき開け放った窓の辺りを指差す弟。

 

「ほう、そりゃまた……見逃していたかもしれん。それがどうかしたのかね?」

 

 顎に手をやったおじさんが弟の言葉に興味を示す。

 

「ちょうどあの田中って人の部屋の下辺りが崩れてました。犯人が窓から逃げるとき、そこを狙って飛び下りたんじゃないでしょうか?」

「なるほど……雪をクッション代わりにしたという訳か」

 

 うんうんと納得がいったように頷くおじさんだったけど、ちょっと待ってほしい。そいつは私の推理と少しばかり食い違ってしまうのだ。なるほど、積もってた雪が一箇所だけ不自然に崩れていたのか。となるとやはり……。

 

「逆じゃないの? たぶん犯人があの部屋に入ってった時に崩れたんだよ」

 

 私が二人の会話に口を挟んだものだから、皆がこちらに意識を向けてくる。

 

「智子ちゃん、どういうことだい?」

「えと……だから、壁に積もってた雪を伝って、犯人が窓から中に入ってったんじゃないかなーって……」

 

 おじさんが説明を求めてきたので、私は自分なりに考えていたことを言ってみた。

 

「窓を割って入ってきたってことかい?」

「あ、そうじゃないよ。窓は開けてもらったんだと思う、あのヤクザみたいな人に」

「被害者自身が犯人を……? 何故わざわざそんなことを?」

「えっと、仲間だったから、とか……?」

 

 おじさんがちょうどいい質問をしてくれるので、私も自分の推理を順序立てて説明してやることが出来る。なんかいいなこういうの、探偵になったみたいだぞ。

 

「そうか! つまりあいつらはグルで、仲間割れしたって訳か!」

 

 私達の話に耳を傾けていた俊夫さんが、急に声を上げて結論を先取りしてしまった。それは私が言うつもりだったのに!

 

「最初から怪しいと思ってたんですよ、あの客。滑りに来たようにはとても見えませんでしたからね。名前なんて〈田中一郎〉ですよ? どう見たって偽名じゃないですか」

「ふむ……確かに私も妙だとは思っていたが……」

 

 おじさんも得心がいったように顎をなでさする。あんにゃろー、やっぱ偽名使ってやがったか。こりゃもうガチのヤクザだったということで間違いないな。

 ともあれ皆の嫌われ者だったヤクザなだけに、私の推理は抵抗なく受け入れられたようだ。私が最初に気付いたんだからな。俊夫さんの推理って訳じゃないんだぞ。

 

「そ、そうそう! あのヤクザ、きっと犯人と一緒になんか企んでたんだよ。麻薬の取引とか、そういうの? でさ、結局取り分とかのことで揉めて殺されちゃったんじゃないかなー……」

 

 オチとしては大方そんなところなんだろう。ヤクザもんの考えることなんざ似たり寄ったりだから、行動パターンが容易に想像できちゃうんだよな。

 

「だとすると犯人の狙いは田中さんだけ、ということになるのかな」

「え? あー、えと、ど、どうだろ……」

 

 おじさんとしてはその点が気がかりだったのか、犯人のターゲットについて質問を投げかけてくる。確かに単純な仲間割れが理由なのなら、無関係な私達が狙われる可能性は薄いのかもしれないな。

 

「あの、ぼ、ぼくもそうなんじゃないかと思います……」

 

 おじさんの質問にどう答えたものかと思案する私だったけど、代わりにみきなんとかさんが手を上げておじさんの意見に賛同してきた。

 

「その、田中って人のことはよく知りませんが……人をバラバラにするなんて、よっぽど相手に強い恨みがあるからじゃないですか? 普通、仲間割れしたってだけでそこまでは流石にしないと思うんですけど……」

 

 だからやっぱり犯人の狙いはあのヤクザだけだったんじゃないかと、みきなんとかさんはそう考えているようだ。

 そこは私も実のところ気になっていた。最初は仲間割れを起こした犯人がたまたま持ってきていた長ドスか何かでヤクザをスパスパッと鮮やかにバラしていったんだと思ってたんだけど、よくよく考えてみればちんけなヤクザの仲間ごときが都合良くそんな剣の達人みたいな凄いスキルを持っているだなんて考えにくいことだ。

 

(デカいニッパーみたいなもんでもありゃ十分なのかな?)

 

 だとするなら、はなからあいつだけをバラすつもりでわざわざ特注品の得物を事前に調達してこのペンションにやってきたのかもしれない。それなら短い時間しかなくても力さえありゃチョキチョキっとやるだけでなんとかなりそうだしな。一時間もあれば、きっと余裕なんじゃないだろうか。

 

「なるほど、では怨恨の線もあると」

 

 みきなんとかさんの意見にもうんうんと頷いたおじさんは、それを要約してみせる。こうして皆から淡々と意見を聞いたりしているおじさんの姿を見ていると、これが職業柄ってやつなのかもしれないなと思ってしまう私。おじさんは元々弁護士をやっていた人だったから、昔の勘が戻ってきたのかもしれない。

 

「ふうん、じゃあ計画的犯行だったかもって訳ね。だったらさ、ここから逃げてく為の用意なんかも色々してあったんじゃない? 森の中に前もってしっかりしたテントでも張っておけば、そっちに逃げ込むことだって出来るんじゃないの?」

 

 今度はみどりさんが意見して、「ねえ?」と俊夫さんに同意を求めるように首を傾げてみせる。まあヤクザの死が仲間割れによる偶発的なものではなく、予め計画されていたことだとするのなら、話はまるで変わってくる訳だからあり得ない話でもないのかな。

 

「確かに……そういうことも考えられるな」

「この吹雪で隠れ家が吹っ飛んでさえなきゃ、犯人のやつも安心してそこで眠れるって訳ですね」

 

 おじさんと俊夫さんが一緒になってうんうんと何度も頷く。二人とも心なしか表情も和らいできているのだけど、犯人が大人しくどこかへ逃げ去っていてくれたのならそれに越したことはないのだから当然だ。

 

「こうは考えられない? まず犯人は智子ちゃんの言う通り、壁に積もった雪を足がかりにしてあたし達に知られずあの部屋にこっそり忍び込んだ。田中さんが手引きしたってことね」

 

 みどりさんが犯人に見立てた自分の手をモップの柄に沿わせ、二本指をばたつかせて壁を登っていく真似をする。

 

「積もった雪って結構頑丈だから、きっとこの時はまだそんなに壁の雪は崩れてなかったと思うの。だから、あの人を殺したあとに窓から逃げてった犯人がクッション代わりにして、その時にごそっと崩れちゃったんじゃないかしら」

 

 説明しながら、みどりさんは柄のてっぺんから犯人をひょいと飛び降りさせる。

 

「そ、そういえば聞こえました! 窓が割れる直前だったんですけど、こっちのほうからドサドサッて何か落ちてきたんですよ。落雪かなって思ってたんですけど、あれってもしかして……!」

 

 みどりさんの推理を聞かされて思い当たることがあったのか、窓を背にしていたみきなんとかさんが自分の後ろのほうを指差しながら慌てて証言した。そしたら皆から感心したような声が上がる。

 

「そりゃ犯人ですよ! 間違いない!」

 

 ようやく全てが繋がったと思ったのか、そう断言する俊夫さんは興奮気味で膝を打つ。ともあれ弟の調査報告から始まったこの推理談議は一応の決着を見たようだ。

 

「どうしたの? みんなして」

 

 台所のほうからお盆を手にしたおばさんたちが戻ってきたのだけど、皆が騒いでる様子を受けてそう尋ねてくる。

 

「ああ、いやなに、犯人はやっぱり外へ逃げていったんじゃないかって話してたんだ。智貴くんがね、それらしい跡を見つけたんだ」

「まあ……!」

 

 湯呑みを受け取ったおじさんがそう答えてみせれば、おばさんは驚いたように目を見張る。

 

「足跡なんかは雪に埋もれてしまったようだが、あの部屋の窓から飛び下りた時の跡がしっかり残っていたんだ」

「そうなの……じゃあ、もう大丈夫なのかしら?」

 

 ああ、どうしよう。これはどうも分からなくなってきたぞ。てっきりまだペンションのどっかに犯人が潜んでいるものと睨んでいた私だったけど、皆の話を聞いているうちにその推理が揺らいでしまう。不自然にごっそり削れていた雪というのが、動かぬ証拠のように思えてきた。

 

(じゃあ足音はどうだ? あんときゃ足音なんて聞こえなかったぞ……?)

 

 それでもやっぱり引っかかってしまう点は残る。他の皆は知らないだろうけど、なんといっても私は窓が割れた直後に外の様子を窺っていたのだ。あのとき誰かが外をうろついていたのなら、それに気付く可能性は十分あったように思う。仮に着地に失敗してそのまま気絶でもしていたんだとしたら、さっきおじさん達が見回りに行った際に凍りついた犯人が見つかった筈だ。

 

(もしかしてソリとか使ったのかな?)

 

 おお、これはいい線行ってるかもしれん! 誰にも気付かれず逃げるつもりでいた犯人が、ちっこいソリみたいなもんを予めヤクザの部屋の下に用意しておいて、逃げる際はそれに乗ってせこせことペンションから離れていったとしたらどうだろうか。

 

(いけるな……!)

 

 なんだか希望が見えてきたぞと、私は一人うんうんと頷いてしまった。本当は私だってペンションの中にまだ犯人が潜んでいるだなんて考えたくないのだ。ここじゃないどっかで好きにテントでもなんでも張って寝泊りしてくれていたのなら、それに越したことはないもんな。頼むからそうであってほしい。

 となると、ガラスが割れたのも犯人のヤローがドジを踏みやがったからで、飛び降りる際に窓をちゃんと閉めることが出来なかったからなのかもしれない。この吹雪だものな、閉め切れなかった窓が結局強風に煽られてガッシャーンといってしまった可能性は十分に考えられる。

 

「うわぁ、美味しいですねこのお茶。奥さんが淹れたんですか?」

 

 二度も凍えかけた体にはひどく沁みるのか、お茶をすするみきなんとかさんが感嘆の声を上げた。

 

「いえいえ、春子さんが淹れてくれたんですよ。お茶を習ってるんですって」

「へー、やっぱ違うもんですねぇ」

 

 お茶を口にした他の人達もこぞって絶賛するものだから、褒められて照れてしまったらしい人妻さんがはにかんだ様子でそっと一礼した。そんなに美味いお茶なら、私も一杯貰えばよかったかな。でもわざわざお願いしてまた用意しにいってもらうのも悪いしな……。

 

「なあ、私にもちょっとくれよ」

「あ?」

 

 試しに一口飲ませてもらおうと、お茶を吹き冷ましていた傍らの弟に私は声をかける。

 

「おまえも淹れて貰えばいいじゃねーか」

「いいんだよ! 少し味見するだけだから」

 

 なのにケチ臭い弟は渋って湯呑みをよこそうとしない。こいつめ、独り占めするつもりだな。

 

「あれか、恥ずかしがってんのか? 気にすんなって」

「……」

 

 そしたら弟はだんまりしてしまった。あー、またこの顔だよ。なにふてくされた面してやがんだ。みんな見てくれ、猫被っててもこいつの本性はこんなんだぞ。

 

「ほんと仲いいよなぁ二人とも」

 

 こらえきれないといった様子で笑いをこぼした俊夫さんが、そう言って私達を茶化してくる。見れば他の皆の様子も随分と和らいできているようだった。物騒な事件が起きてすっかりピリピリした雰囲気が続いていたけど、ここにきてようやく緊張がほぐれつつあるのだろうか。茶化された弟だけが気まずそうな顔をしているけど、こいつも内心ではほっとしているのかもしれないな。

 

「おおー、小林くん。どないやった?」

 

 そう言いながら、階段をどすどすと下りてきたのはおっさんだった。携帯を試してみると言って二階に上がっていったおっさんだったけど、結果はどうだったのだろうか。

 おっさんの登場に合わせたように鳩がポッポと一回だけ鳴く。時計の針は十時半を指したところだった。

 *

「ホンマかいな!? そらもう間違いあらへんで!」

 

 おじさんから外回りの結果を聞かされたおっさんが、目を剥いて分かりやすい反応をする。犯人はとっくにペンションの外へと逃げ去った可能性が高いと聞かされれば、おっさんとしても今夜は安心して眠れるのだろう。

 

「わしもなー、一応携帯は試してみたんやけどなー……」

 

 そう言って苦笑いするおっさんは、そのあとの言葉を濁してしまう。あー、こりゃ駄目だったんだな。おっさんお疲れ。

 

「とりあえず今日はわたし達が朝まで見張ってますから、香山さん達はもうお休みになってくださって大丈夫ですよ」

 

 犯人が外へ逃げていったとはいえ、まだまだ油断は出来ない。だから夜が明けるまで、おじさんや俊夫さんが寝ずの番をしてくれるのだという。

 

「いや、わしも男や! 今日はとことん小林くんらに付き合うで」

 

 そう言って拳で自分の胸をどんと叩いてみせるおっさんは、おじさん達と一緒になって寝ずの番に参加する気概を見せる。こんなことを自信満々に言っておいて、きっとすぐにグースカ居眠りこきそうなのがこのおっさんの愉快なところだ。

 

「はは、そうですか……では、すみませんがよろしくお願いします」

 

 あまりアテにしていないのがなんとなく透けて見えるおじさんだったけど、もみ手をして気合を入れなおしているおっさんがそれに気付くことはなさそうだ。

 

「あ、あのー、ぼくはちょっと……そういうのは……」

 

 すると遠慮がちな声でみきなんとかさんがモゴモゴと何かを言いたそうにする。その様子からすると、同調圧力に引っ張られて自分まで徹夜させられるとでも思ったのだろうか。

 

「ああ、いえいえ、美樹本さんはお休みになってくださって構いませんから」

「すみません、そうします……なんだか疲れちゃって」

 

 おじさんが気遣うような言葉でフォローしてやると、頭を下げたみきなんとかさんはそのまま席を立ち、フワァとあくびをしつつ二階へ上がっていった。

 

「さあ、君たちも疲れたろう。部屋へ戻って休んでなさい。春子さんも、どうか遠慮なさらずに」

 

 するとおじさんが今度は私達や人妻さんに向けて声をかけてくる。どうしたものかと顔を見合わせる私達だったけど、このまま起きていても仕方ないので結局おじさんの言う通り自分の部屋で休むことにした。

 

(まあ、大丈夫だと思うが……)

 

 一応の用心として、私は床に転がっていたストックを一本手に取り携えていく。

 私達と一緒に席を立ったおじさんは、なにやらフロントの内線電話を手に取りどこかに掛けようとしているようだ。もしかしたら部屋に戻ってしまったOLさん達にも、犯人の行方におおかたの見当が付いたことを教えてあげるつもりなのかもしれない。

 

 ◆

 

(眠れねぇ……!)

 

 今日は朝からずっと滑りっぱなしで体は疲れている筈なのに、ベッドで横になった私はまるで眠れる気がしなくて結局起き上がってしまう。さっきコーヒーを飲んだせいだろうか、目が冴えて仕方がない。だとしたらOLさんや人妻さんもきっと今ごろ眠れない夜を過ごしているのだろう。

 

(ゲームでもすっかな……)

 

 部屋に戻った際、付けっぱなしになっていたスーファミの電源を消しておいた私だったけど、今度はまた別のソフトで遊んでみようかと考えてみる。そうして寝床から下りた私はカゴの中から目ぼしいカセットを漁ってみるのだけど、途中でなんだかどうでもよくなってしまったものだから再びベッドへ寝転がってしまう。

 こうして目を閉じていると、どうも心の中にモヤモヤが広がっていくのを感じずにはいられない。無理もないか。今日は人が一人死んでいたところに出くわしてしまったのだ。犯人が去ったとはいえ、呑気にゲームなんてしていられる訳がない。私は思っていた以上に自分がショックを受けていることを自覚させられる。

 

(あのヤクザ、結局なにしにきたんだろう……)

 

 食堂でぶつかった時、ヤクザの癖してあいつは私のことを引き起こしてくれたから、極悪人ってほどでもなかったのかもしれない。だけどもあいつは仲間をこっそり部屋に招きいれたりした訳だから、何かを企んでいたのは確かなのだ。麻薬取引? 銃の密輸? それともこのペンションに強盗でもしにきたとか? だったらこんなところをわざわざ狙わないでもっと金のありそうなとこに行けって話だけどな。例えば銀行とか。

 マヌケにも仲間と思っていた相手に裏切られてあっけなくタマを取られた訳だから、逃げた相方がどっかでそのうち捕まりでもしない限りはヤクザの企みも永遠に分かりそうになかった。

 

(そういやぁ……)

 

 ペンションに来る前、新幹線の中でネットをしてたら東京で銀行強盗が起きたとかいうニュースを見たことを思い出す。犯人は大金を持って車で逃走中とか、そんな感じの内容だった。もし、もしだ。その銀行強盗犯があのヤクザだったとしたらどうだろう? そしてヤクザを殺した犯人も、一緒に銀行へ押し入った仲間だったとしたら?

 逃げた強盗犯を逮捕しようと、きっと今は警察があちこちで検問とか張ったりしている筈だ。そんな中で大金を抱えたまま逃げ切ることが出来るだろうか? いやまあ、出来る奴には出来るんだろうが、私だったらほとぼりが冷めるまでどっかに隠れたりするだろうな。

 

(おお! そんならあいつはここを隠れ家にするつもりだったのかも!?)

 

 あくまで仮定の話だけど、私はそのまま取りとめのない想像を広げていく。こうしているとなんだか気が紛れていくように感じられるのだ。

 

(犯人は金を独り占めしたいからヤクザを始末したのかな?)

 

 当初は銀行から奪った金を仲良く山分けする予定だったけど、金に目がくらんだ犯人が極端な行動に出てしまったとしてもおかしくない。あるいは最初っから裏切るつもりでヤクザと手を組んだのだろうか。あれこれ準備していたっぽい犯人だったから、きっと後者なのかもな。裏切り上等な裏社会の人間なんてそんなもんだ。

 いやいや待て。それならわざわざバラバラにする必要もない訳だから、やっぱり怨恨の線も捨て切れないな。となるとその場合は……。

 *

(風呂でも入るか)

 

 そういやペンションに帰ってきてから汗を流してなかったなと思った私は、ヤクザについてあれやこれやと考えるのも飽きてきたのでひとっ風呂浴びることにする。

 

(誰もいないよな……?)

 

 バスルームの電気を付けた私は、静かにドアを開けてそっと覗きこんでみる。そうして中を見回してみるのだけど、特に誰かが潜んでいる気配はないようだった。まあ、万が一ってこともあるからな。用心するに越したことはない。

 ともあれ安全が確認出来た私はバッグから着替えを取り出していたのだけど、ふいにドアを誰かがノックしたものだから少しばかり身が跳ねてしまった。

 

「ねーちゃん、いるか?」

 

 ドア越しに弟の声が聞こえる。どうやら尋ねてきたのはあいつのようだ。

 

(よーし、いっちょビビらせてやっか)

 

 ちょっとしたいたずらを思いついた私は、枕元に置いてあったストックを手に取りドアにそっと歩み寄ると鍵を外してやった。そうしてしばらく様子を見ていたら、鍵が外れたことを理解した弟が自分からドアを開けてくる。そこですかさず私はドアの裏側に隠れて息を潜めた。

 

「ねーちゃん……?」

 

 部屋の中に私の姿が見当たらないことを不審に思ったのか、弟が声を潜めて私を呼びつつ慎重に足を踏み入れてくる。

 

「うぃー!」

「うおぉっ!?」

 

 それ今だと、ドアの裏から素早く飛び出した私は手にしたストックで弟のことをつつきまくってやった。

 

「あっははは、マジでビビってやんの」

「てめぇ……!」

「危なかったな。私が殺人鬼だったらもう死んでたぞ」

 

 あからさまに腹を立てている弟が、私から力ずくでストックを取り上げる。

 

「なんだよ、なんか用か?」

 

 弟は自分のバッグを肩にひっ下げていたのだけど、そんなもんを持って私の部屋に尋ねてきたのは何故なのだろう。私がどうしたのかと聞いてみても、さっきの不意打ちでヘソを曲げてしまったらしい弟は、ため息をつくと何も答えず部屋の隅へとそのバッグを下ろした。そうして部屋の使われていないベッドのほうへ腰掛けると、手にしたストックを床に突き立ててそのまま押し黙ってしまう。

 

「え? なに? どうしたの……?」

 

 そんな風にされると妙に威圧感があるから、少し不安になった私は改めて声をかけてみる。黙ってねぇでなんか言えよなー。

 

「いや……一応、な」

「?」

 

 やっと口を開いた弟だったけど、全然答えになってないようなことを言うものだから余計にむずがゆくなってしまう。

 

(ははーん……!)

 

 あーそうか、分かったぞ。私は弟が何を考えているのか察しがついてしまった。要するに心細いから私の部屋に泊めてほしいんだな。しょうのないやつめ。まあ壁一枚へだてた隣の部屋で人がバラバラになって死んでるってんだから、無理もないか。こいつはモロにその死体を目にしちゃってる訳だからな。気丈そうに見えて実際は私以上にショックを受けているのだろう。ひょっとすると何か忘れ物をした犯人がペンションに戻ってきて、例の部屋から侵入してくるんじゃないかと警戒しているのかもしれない。

 

「しゃあねえなぁ」

「?」

 

 怖がりな弟を慰めてやろうと、私はその隣へと腰掛ける。

 

「まあ、今日のとこは私がついててやっからさ。安心しろって」

「おい、何勘違いしてんだ」

 

 元気づけてやろうと弟の肩をぽんぽん叩いてやる私だったけど、見栄っ張りな弟はそれを認めようとせず減らず口を叩く。

 

「そうだ、久しぶりに添い寝してやろうか?」

 

 ガキの頃はおんなじ部屋で寝泊りしていた私達だったから、その頃はよくこいつと添い寝して寝かしつけてやったもんだ。部屋が別々になってからも、初めの頃は怖い夢を見たとか言って怯える弟が私の部屋に逃げ込んできていたのを思い出す。

 

「いらん。そっち行けよ」

 

 だけども弟は恥ずかしがっているのか、せっかくの私の気遣いを突っぱねながらもう片方のベッドを指差す。

 

「遠慮すんなってー。姉ちゃんと添い寝してもらえるなんて滅多にないチャンスだぞ?」

「あのなぁ……」

 

 その仏頂面に隠された本心を引き出してやろうと食い下がった私は、弟の袖をくいくい引っ張ってみる。だけども弟はなんだか呆れたような顔をし始めた。

 

「もういい」

 

 急に立ち上がった弟が、今度は反対側のベッドへと座り直してしまう。

 

(なんだよこいつ、ほんと可愛くねーな!)

 

 そんなに姉ちゃんと添い寝すんのが嫌なのか。むっとした私は、後を追いかけるようにすぐさま弟の隣にどかっと座り直してやった。姉ちゃんから逃げようたってそうはいかないぞ。

 あっ、こいつ! これみよがしにため息なんかつきやがって!

 

「ま、待って……!」

 

 性懲りもなく逃げようとする弟が再び立ち上がったので、私は声を上げて咄嗟にその袖を掴んでしまった。そしたら弟が、ちょっと驚いた様子で私の顔を見てくる。

 

「頼むよ……横に座ってるだけでいいからさ……な?」

 

 自分の口から出てきたその言葉に私は驚いてしまう。これじゃあまるで、私のほうが怖がっていて傍にいてほしいと言っているようなものだ。

 

「……」

 

 私の言葉をどう受け止めたのか、やがて弟は無言のまま隣にそっと座りなおしてくる。掴んだままだった弟の袖を逃してしまわないよう、私はそれをぎゅっと握りしめずにはいられなかった。

 

(情けねぇな……結局ビビってんのは私のほうだったって訳だ)

 

 弟にぴったり寄り添うようにしていた私は、ここに来て己の本音をようやく自覚する。みっともない話だけど、どうやら私は部屋に一人でいるのが心細かったようなのだ。弟が泊まりにきてくれたことだって、本当はちょっと嬉しかったりする。

 傍らの弟はさっきからなんにも言わないけれど、その体温が今はただ心強い。

 

 ◆

 

 そうしてどれくらい時間が経っただろうか。弟の肩に頭を預けてうとうとしていた私は突然鳴り出した内線電話の呼び出し音にはっとする。

 

「なんだろ……?」

 

 思わず私は弟と顔を見合わせた。ひとまず取らない訳にはいかないと、立ち上がった弟が電話のとこまでいって受話器を手に取る。

 

「はい……はい……ああいえ、すみません、姉の部屋にいたんで……」

 

 電話口の相手と喋っていた弟だったけど、やがて話が終わったのか受話器を戻してこちらを振り向く。

 

「おじさんが下に来てくれだって」

「えっ? なんで……?」

 

 その言葉に私はどきりとしてしまった。もしや何かよからぬことがあったのではあるまいか。

 

「知らねーけど、なんか大事な話があるって……」

 

 弟が聞いた感じでは、他の皆もロビーのほうに集合してきているらしい。これは益々おかしいぞ。もしかして犯人のやつが戻ってきたりしたのか?

 

「とりあえず行こうぜ」

「う、うん……」

 

 ベッドの上に置かれていたストックを改めて手に取った弟が廊下へと出ていこうとするので、置いていかれないよう私も慌ててそれに付いていく。

 そうしてロビーへと行ってみれば、確かに私達以外の全員が既に集まっているようだった。みきなんとかさんは寝ていたところを起こされでもしたのか、寝グセがついて瞼も半分閉じかかっている。しばらく姿を見なかったジェニーまでもが集合に応じたようで、今はフロントのカウンターに乗っかり皆の様子を伺っていた。

 

「おじさん、なんかあったの……?」

 

 ともあれただ事ではないと見た私は、やや困惑したような様子で腕を組んでいたおじさんに問いかける。

 

「いや、どうも河村さんから皆に伝えたいことがあるって言うんだが……」

 

 そう言って、おじさんはソファーのほうに座っていたOLさん達を見やった。河村って誰だっけと一瞬考えてしまったが、確かメガネさんがそんな感じの名前だったなと思いなおす。

 

「これで皆さん全員集まりましたね」

 

 小さく頷いたメガネさんがおもむろに立ち上がり、なにやら神妙な面持ちで話し始めるのだけど、傍らのビッチさんや川本さんはその様子を固唾を呑んで見守っているようだった。

 

「今から話すこと、冗談だと思わないでください。あたし達もまだ信じられないけど、大変なことが分かっちゃったんです」

「亜希ちゃん、前置きはええからはよゆうてんか。何が分かったんや?」

 

 もったいぶるメガネさんにしびれを切らしたのか、こらえ性のないおっさんがそう急かす。

 なんだよ、てっきり犯人のやつがまた何か仕出かしたのかと思ったけど違うのか。驚かせやがって。

 

「ああ、はい、そうですね……じゃあ言っちゃいますけど」

 

 一体何を言うつもりなのかと、その場の全員がメガネさんに注目した。そしたらメガネさんは自分の眼鏡をくいっと上げて目を光らせる。

 

「犯人の正体が分かったんです」

 

 メガネさんがきっぱりとそう言い切ったものだから、困惑気味だった場の空気が一変してしまう。

 

「正体って……それはどういう意味でしょうか? 田中さんの仲間じゃなかったってことですか?」

「違います。あの人には仲間なんていなかったんです」

 

 発言の真意を探るべく説明を求めたおじさんだったけど、それに対するメガネさんの答えに皆がどよめく。

 犯人の行方や正体について皆で推理をしてた時はあの場にいなかった筈のメガネさんだけど、後でおじさんに教えてもらったのか、その辺りのことは承知済みのようだ。その上でメガネさんもメガネさんであれこれ推理していて、別の結論に達したってことなのか?

 

「そして犯人は……この中に、いるんです」

 

 声に力をこめてそう宣言したメガネさんは、手を広げるような仕草をしてロビーにいる皆を見回してみせた。途端、場がしんと静まり返ってしまう。

 

「な、なんやて!? そらあれかい、わしらん中に犯人がおるっちゅうことかいな?」

「残念だけど……そうなりますね」

 

 慌てておっさんが確認してみれば、メガネさんは声のトーンを落として同意する。

 

(おいおい、どうなってんだこりゃ……?)

 

 とんでもないことを言い出したメガネさんの言葉にしばらくぼんやりしていた私だったけど、ようやく理解が追いついてきた。私としても犯人はあのヤクザの仲間だと考えていたから、そんなことは思いもしなかった。ペンションにいる人達はみんな虫も殺せなそうな顔をしていたから、それを疑うなんて発想はなかったのだ。だけれどもメガネさんは違ったらしい。

 

「まさか! そんな馬鹿馬鹿しい話があるもんですか!」

「いいえ、馬鹿馬鹿しくなんてありません。あたしだって根拠もなしにこんなこと言ってるんじゃありませんから……」

 

 私と同じ気持ちだったおじさんが声を上げて早速反論するのだけど、メガネさんは自分の説を撤回する気は毛頭ないようだ。この人が疑心暗鬼に駆られてこんなことを言っているのか、それとも本当になにか確信があって言っているのか、私には皆目見当がつかない。

 

「せやったら誰やねん、その犯人っちゅうのは……? まさか自分がやったっちゅうんやないやろなぁ」

「ちょっと……やめてくださいよ! あたし、ふざけてるんじゃないんですよ!?」

 

 おっさんが最後のほうは半笑いになって冗談めかしたことを言うのだけど、気に障ったらしいメガネさんは顔をしかめて金切り声を上げる。

 

「犯人はあたしでもなければ……もちろんこの子達でもありません」

 

 傍らのビッチさんや川本さんを見やりつつ、まずは自分達の関与を否定するところから入るメガネさん。一体誰の名前がその口から飛び出すんだろうと、メガネさんの次の言葉が待ち遠しくて仕方がない。ぎゅっと握り締められた私の手のひらは今や自分の汗で随分と湿っていた。手に汗握るとはまさにこのことかもしれない。さあ誰なんだ、誰なんだ──

 

「智子ちゃん、そして智貴くん。あなた達が犯人なんでしょう?」

 

 並び立つ私と弟のほうを鋭く指差して、メガネさんがそんなことを言った。そのつりあがった目には、強い警戒の色がありありと浮かんでいる。

 

「……はぁ?」

 

 私の口から意図せずして気の抜けた声が出てしまった。え? なんだこれ? なに言ってんの?

 傍らの弟の顔を見てみれば、やっぱりこいつも固まっているようだ。私達だけじゃない、その場にいるOLさん達以外の全員が固まっていた。

 

「へ? なに? わ、わたしたち……?」

 

 聞き間違いであってほしいと思った私は、改めて自分を指差しそう尋ねてみる。

 

「聞こえなかった? 田中さんを殺した犯人はあなた達二人だって、そう言ったの」

 

 すがるような私の言葉を一蹴したメガネさんは、腰に手を当て再び言い放つ。

 ああ……そうかメガネよ。おまえ、疑ってるんだな。私と弟のことを、疑ってやがるんだな。どうもこれは間違いのないことのようだ。

 

(こ、このくそメガネがぁ──……ッ!)

 

 よりにもよって私達を犯人呼ばわりしてきたものだから、青ざめるよりも前にそのトンチキな決めつけが腹立たしくて強い怒りがこみ上げてくる。やっぱりメガネかけたやつは駄目だなと、私は心底思わずにはいられない。

 外の吹雪がより一層激しさを増して、うるさい程に風切り音を響かせていた。




続く
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