もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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【クロス】かまいたちの夜 黒木姉弟シュプールへ行く(6)

探偵姉弟

「なんだって? あの部屋を……?」

「はい、俺とねーちゃんとでちょっとばかし調べてみたいんです」

「そりゃ一体……どうしてまた? 警察が来る前に勝手にさわっちゃいかんだろう」

 

 ひとまずは落ち着きを取り戻した様子のおじさんに弟が早速例の部屋の調査を申し出るのだけど、流石に二つ返事で了承してはくれないようだ。

 

「余計なことをするつもりはありません。少し気になることを確かめに行くだけですから」

「気になるって、何がだい?」

 

 ちゃんとした理由が確認出来なければおじさんとしても迂闊な返事は出来ないのか、弟に尋ねてくる。

 

「その……さっき河村さんが言ってましたよね? あの部屋のバスルームで田中さんが解体されたんじゃないかって。それが本当かどうか一応確かめてみたいんです」

 

 ここで智貴までもが内部の人間の犯行説を持ち出してしまったら、おじさんがまたショックを受けるかもしれない。なので一応の名目が必要だと私達は考えたのだけど、弟なりにでっちあげたのが今しがたの理由という訳だ。

 にしてもメガネのやつ、そんなことまで考えてたのか。おおかた私達のどちらかがヤクザを風呂場で解体したんだとか言いがかりを付けてきてたんだろうな。

 

「君達がわざわざそんなことをせんでも……それこそ警察に任せておけばいいじゃないか」

「……今のうちにハッキリさせておきたいんです。ちょっと見てみるだけなんですが、どうしても駄目ですか?」

「ううむ……まあ、そこまで言うのなら……」

 

 元々司法関係の仕事に就いていたおじさんなだけに、素人が現場を荒らすリスクは普通の人以上に理解しているのだろう。尚も渋る様子を見せるおじさんだったけど、結局可愛い甥っ子からの頼みをつっぱねることは出来なかったらしい。

 

「駄目よ! 証拠を消されたらどうするのよ!?」

 

 そんな二人のやりとりに聞き耳を立てていたのか、ソファーに座ってメソメソ泣いていた筈のメガネが急に声を張り上げてきた。こいつめ、まだそんなこと言ってんのか。おじさんのほうもウンザリといった様子で、目をつむって嫌そうに眉をしかめる。

 

「まあまあ亜希ちゃん、ちょっと待ちぃな」

 

 そしたらおっさんが立ち上がって、興奮しているメガネを手でどうどうとなだめてみせる。

 

「なんや智貴くん。あの部屋、調べるんかい?」

「はい、まあ……」

 

 おっさんに確認された弟が肯定してみせるのだけど、それを受けたおっさんは「ほうかほうか」とうんうん頷いている。

 

「せやけどな、亜希ちゃんもこう言うとる訳やし……まあ、その、なんや、見張りっちゅうんかな、そういうの、いるんとちゃうか?」

 

 おっさんの言いたいことは、要するに調査するならするで見張り役を同行させろということだった。おじさんとしてはそうしたおっさんの物言いも不愉快ではあったのだろうけど、一応筋は通ってると思ったのか反論はしないようだ。

 

「では、わたしが付いていきますよ。それでいいでしょう?」

 

 そう言って早速おじさんが見張り役を買って出る。おっさんもそれで問題ないと思ったのか「かまへんで」とあっさり承諾してみせた。

 

「オーナーさんじゃ駄目よ……見て見ぬ振りをするかもしれないじゃない」

「ちょっと亜希、やめなってば……!」

 

 泣きベソ顔のままおじさんを睨んでそんなことをぬかすメガネだったけど、傍らのビッチさんがそれを咎めようとする。

 

「いい加減にしてください……いつまでそんなことを言っとるんですか」

「あーまあまあ、ええやないか。ほんならわしが付いてったるわ。どや、それでええやろ?」

 

 また険悪な雰囲気になりかけたのだけど、仲裁に入ったおっさんがメガネのほうを向いてそんなことを言い出す。そしたら一応は納得したのか、メガネが黙ってこくりと頷いた。

 

「では……すみませんがお願いします」

「ああ、任しとき」

 

 そう言って、おじさんはポケットから取り出したマスターキーをおっさんに手渡す。ほんなら行こか、と声をかけてきたおっさんに促される形で私達は二階へと上がっていった。

 *

「ちょ、ちょい待ち! こらかなんわ……!」

 

 鍵を外してヤクザの部屋を開けようとしたおっさんだったけど、すぐさまそう言ってドアを閉めてしまう。

 

「あかん、寒過ぎる。こんなん一秒で凍ってまうわ」

 

 どうやら部屋の中はいまや極寒の場所と化しているようで、寒さに弱いおっさんは耐えられないみたいだ。

 おっさんは私達に少し待つよう言い置くと、ヤクザの部屋の真向かいにある自分の部屋へと入っていってしまった。そうしてしばらく待っていたら防寒着を着込んだおっさんが戻ってきたのだけど、手に引っさげてきたものを私達にそれぞれ渡してくる。

 

「二人ともそれ着とき。風邪引いてまうで」

 

 おっさんから渡されたのは、綿のたっぷり入ったモコモコのどてらだった。どうやら気を利かせたおっさんが、私達の為にこいつを貸してくれるらしい。

 

(死ぬ程ダセーなこれ……まあいいけど)

 

 至るところに「ど根性」と書かれたロゴがあしらわれたそのどてらには、極めつけとばかりにおっさんの似顔絵らしきものが胸のあたりにプリントされていた。暑苦しい笑顔を浮かべるその似顔絵のおかげか、なんだか着ているだけでほかほかしてきそうだ。

 

「それな、今度こっちのほうに店出そおもて作ったんや。ええやろ? スタンプ集めて交換出来んねん」

 

 そんなことを自慢気に語り始めたおっさんだったけど、話を打ち切るようにして弟がヤクザの部屋のドアを開けてみせる。途端、風切り音と共に鋭い冷気が勢いよく廊下全体を満たしてしまった。部屋の中を覗き込んでみれば、割れた窓から絶え間なく吹き込んでくる雪のせいで床やベッドの上はその半分以上がすっかり白くなってしまっている。そのまま慎重に室内へと足を踏み入れていった弟に私も続くのだけど、素足に薄いスリッパしか履いてない私だったから、雪を踏みしめる足の裏が冷たいのなんの。確かにこの分では厚着しなければ調査する上でひどく難儀したに違いない。

 

「ほなわし、ここで待っとくで!」

 

 私達に続こうとしないおっさんが、入り口から顔だけを覗かせつつそう言ってきた。寒さに弱いおっさんでは、冷凍庫と化した部屋の中が耐えられないのかもしれない。

 

「とりあえず風呂場でも見てみっか?」

 

 おっさんが見張っている手前、まず手始めにそこから調べてみることにした私は弟に声をかける。それに頷いた弟が、バスルームの電気を点けてそのドアを開いた。弟と一緒に中へと入ってみれば、吹雪に身を晒す寒さが幾分かマシになる。

 

「どうだ? なんかありそうか?」

「いや、ないな……」

 

 血痕が残っていたり凶器が隠されているんじゃないかと思ったけど、二人がかりでバスルームの中を調べてみてもそういうものは一向に見つからない。

 

「つーかここ、全然使われてねぇな……」

 

 そう弟が呟くのだけど、確かにこいつの言う通りだった。このバスルームでは浴槽はおろか、洗面台すら水が流された形跡がさっぱりないのだ。

 

「そんなら、メガネの見立ては外れてたってことだろ?」

「メガネ……? ああ、まあそうなるけど」

 

 メガネというのがあのメガネ女のことを指していると理解した弟が、私の言葉に同意する。実を言うと私もメガネの見立てには一応同意するところがないでもなかった。人一人をバラバラにするのならそれこそ血がドバドバ出るだろうから、水で洗い流せるような場所でもないとやってられないんじゃないかと思っていたのだが、どうもこの分だとそうではなかったようだ。

 

「なに見てんだよ、天井がどうかしたか?」

「あそこから天井裏に行けるらしいぞ」

 

 頭上を見上げていた弟に私が尋ねてみれば、そっと天井の一角を指で示してみせる。そこには人ひとりがくぐれそうなぐらいの四角い切れ目があった。

 

「そうなんか?」

「河村さんが言ってた……俺の部屋の風呂場とここが天井裏で繋がってるって」

 

 マジか、そりゃ知らなかった。聞けばそれはメガネのハッタリという訳でもなくて、実際に自分達の部屋で確かめてみて知り得たことなんだとか。どうもこのペンションのバスルームは隣り合う部屋同士でそういう構造になっているらしい。

 

「あ、じゃあアレだろ。おまえが天井裏を伝ってヤクザの部屋に忍び込んだとかなんとか、言いがかりつけられたんだろ」

「まあ、そんなとこだ」

 

 やっぱりな。まったくもって想像力のたくましいことだ。どうせ「三番目の理由があるんザマス」とか言ってメガネをくいくい上げ下げしてたんだろう。もしかすっとその辺りも川本さんがメガネにいらんことを吹き込んだせいなのかもしれない。電話を試そうとしてた時に、やたら天井裏がどうこう言ってたもんな。

 

「どうする? 調べてみるか?」

「うーん……」

 

 案外、天井裏にどこの馬の骨とも知れない犯人が今もこっそり隠れてるかもしれないのだから一応確かめておく必要はある。本当は私だって出来れば内部の人間の犯行だとは思いたくないので、どうしても外部犯の可能性を完全には捨てたくないのだ。

 

「今はやめとく」

 

 なのだけど、天井から頭を出した途端に不審者から鈍器で叩かれでもしたら敵わないので迂闊な行動は避けたほうがいい。だから天井裏を調べるのはこの部屋で犯人に繋がる手がかりが何も得られない場合だけにしておこう。そんときゃ私達じゃなくてメガネのやつに頑張ってもらおうかな。絶対嫌がってやらなそうだけども。

 

(とりあえず風呂場は手がかりなしか……)

 

 となれば、次はどこを調べてみようか。バスルームから顔を出した私が辺りを見回してみるのだけど、部屋の中でカーテンを風にたなびかせているクロゼットが目に付いた。

 

「あそこ、なんか入ってんじゃないかな?」

 

 今度はクロゼットの中を調べてみようと、バスルームから弟を連れ出しそちらへ向かう私。他の場所も調べてみていいかと、廊下で寒がっていたおっさんに一応確認しておいたのだけど、何でもいいから早くしてくれとのことだったので遠慮せずに済みそうだ。

 ともあれクロゼットのカーテンを開け放ってみれば、そこには私が食堂で見かけた時にヤクザが着ていたあのコートがハンガーにかけられていた。そしてその下には、スキー用と思われるキャスター付きの大きなバッグが置いてある。

 

「なんか入ってるか?」

「ないな、からっぽだ」

 

 ハンガーにかかるコートを調べていた私だったけど、しゃがみ込んでバッグの中身を漁っていた弟にそう尋ねてみれば特に目ぼしい結果はないようだった。

 

「からっぽってこたないだろ。着替えとかは?」

「いや、マジでなんも入ってないんだが」

 

 念を押してみた私だったけど、弟の答えは変わらない。どうも妙だぞこれは。こんだけデカいバッグを持参してきた癖して、ヤクザのやつは着の身着のままでこのペンションに泊まりに来たのだろうか?

 

「そっちはどうだ?」

「うんにゃ、なんもねーな」

 

 財布やタバコなんかが懐のポケットに入ってないかとまさぐってみたけど、コートからは紙切れひとつ出てこなかった。無一文だったとも考えられるけど、こんなので一体どうやって町から遠く離れたこのペンションまでやってきたのだろうか。宿泊代は踏み倒すつもりだったのだろうか。元々怪しいヤクザだったけど、調べてみると益々その得体の知れなさが明らかになっていく。

 

(ん? こりゃ……毛か?)

 

 コートの袖の辺りに何かが付いているように見えたものだから目を凝らしてみたのだけど、どうやらそれは短い毛のようなものだった。コートの他の部分も改めて確認してみれば、懐の辺りにもやはり同じようにその毛のようなものが若干くっ付いていたことに気付く。

 

(これって猫の毛、なのか……?)

 

 黒い色をしたその短い毛は、動物の体毛のように見える。そう考えた場合、それはこのペンションで飼われているジェニーの毛である可能性が高かった。毛の付き具合やその位置からして、どうもジェニーを抱っこした時にくっ付いたようにも思えてしまう。もしかしてヤクザのやつがジェニーを懐に抱きかかえたりしていたのだろうか?

 

(案外猫好きだったのかな)

 

 そんな風に思う私だったけど、こればっかりはヤクザに聞いてみないと分からないことだった。そしてそのヤクザ本人は、この部屋の奥のほうで物言わぬバラバラ死体となって眠っているのだ。

 

「あ、あのさ……」

 

 バッグを調べ終わった弟に、私は声をかける。今のところこれといって犯人に繋がる手がかりは見つかっていないのだから、今度は窓を調べてみようかと思ったのだ。ただ、そうなるとどうしても目に付いてしまうものと対面しなくてはならなくなる。

 

「窓のほう、見に行きたいんだけど……」

 

 窓辺を指差して、遠慮がちにそう言ってみた。

 

「……分かった」

 

 そしたら弟は、表情を固くしつつもそれに同意する。ジャリ、と雪を踏みしめながら部屋の奥へと進む弟と、その背に隠れるようにして後を追っていく私。

 果たしてそれは、ベッドの脇に確かに存在していた。随分と雪が積もったらしく、でこぼこの白い山と化した何かが床に落ちている。バラバラになったものを一箇所にまとめて置くと、こんな感じの山になるのかもしれない。

 

(ひぇぇぇぇ……っ!)

 

 嫌でも目に入ってしまったそれを前にして、私は思わず弟に背中からしがみついてしまった。弟のほうも随分と身を固くしているのは、割れた窓から入ってくる吹雪に凍えていることだけが理由ではないのだろう。

 

「こ、これ、これが、そうなの……!?」

「ああ……随分埋もれちまってるけど、そうだ」

 

 何が「そう」なのかといえば、勿論死体のことに決まっている。幸い殆ど雪に埋もれかけているせいで、じかに目にしなくて済みそうなのが救いではあるが、だからといって平気な訳がない。

 

(ちくしょうっ、ちくしょうっ……!)

 

 嫌なもん見せやがって。なんで私がこんなもんを目にしなくちゃいけないんだ。勝手に死にやがったヤクザのことが、私は恨めしくなってしまった。そしてまた、こんなひどい殺し方を平気で出来てしまう犯人の異常性が改めて恐ろしくなってしまった。

 

「ねーちゃん、窓……」

「お、おう……!」

 

 嫌々ながらも死体の山から目が離せなくなっていた私だったけど、弟に声をかけられて気を取り直す。

 弟が開け広げられた片側の窓の外に手を伸ばして窓枠を掴むと、調べやすいようそれを手前に引き寄せた。勿論ガラスなんてすっかり無くなっていたから、風は遠慮なく窓枠を通って部屋の中へと吹きつけてくる。窓の左右ではためき続けるカーテンが微妙にうっとうしい。

 

(この取っ手に引っ掛けたのかな……)

 

 窓枠にはコの字型の小さな取っ手が付いている。客室の窓はこの取っ手を下にスライドさせると鍵がかかって、逆に上へとスライドさせれば鍵が外れる、そういう仕組になっている。そうして左右の窓枠ごとに鍵をかけたりかけなかったり出来るようになっているのだ。

 

「おい智貴、見てみろよこれ」

「なんだ?」

「これ、鍵かかった状態になってんぞ。たぶん雪が落ちた時に取っ手が紐で引っ張られたんだよ」

 

 どうも割れたほうの窓枠の取っ手は下へとスライドしていた。つまり鍵のかかった状態にされていたのだけど、勿論この窓はついさっきまで開けっぴろげになっていたので最初から鍵がかかっていた訳がない。これは元々鍵が外れた状態になっていたところへ、例の仕掛けがぶらさがる形になった段階で取っ手が自然にスライドしてしまった為と思われる。凍りついた雪が板に幾分かくっついたままであればそれなりの重量になった筈だから、ありえない事でもない。

 

「やっぱあの変な板、マジでこの窓に仕掛けられてたっぽいぞ」

「みたいだな」

 

 ここにきて疑惑が確信に変わったものだから、私は弟と顔を見合わせる。

 

「なぁ、さっきのバッグなんだが……」

 

 何かに気付いた様子の弟がそう話しかけてくる。さっきのバッグとは、こいつが調べてたヤクザの私物のバッグのことだろう。

 

「底板が入ってなかったぞ」

「おお、そりゃおまえ……!」

 

 弟の言いたいことをすぐに察した私は息を呑む。なるほどな、あの板きれはもしかすっとヤクザのバッグに使われていたものを犯人が拝借したかもしれないって訳だ。となれば試しに後で問題の板きれを持ってきて、あのからっぽのバッグの底に敷いて確かめてみようかな。

 

「やっぱちゃんと調べてみるもんだな。色んなことが分かってきたぞ」

「……でも、こんだけじゃまだ何も分かんねーよ」

 

 思いのほか手応えがあったことで希望が見えてきたように感じる私だったけど、一方の弟はまだまだ手がかりが足りないと思っているのかその表情は固い。

 

(あと、他に調べるっつったら……)

 

 弟の満足するような手がかりが他に無いものかと考えを巡らす私だったけど、その思考の先に浮かび上がるものがあった。

 

(こいつぐらいしか……ないよな、やっぱり)

 

 ちらりと横目でそれを見やる私。手がかりになりうる可能性を秘めたものが、今まさに私達のすぐ傍で山を作っていた。なるべくそれのことを考えないようにしていたけど、このまま目を背け続けてもいられないようだ。だけどもいざ調べてみようと思うと、やっぱりひとりでに膝が震えだしてしまう。どうしようかな、弟に調べてもらおうかな。

 

「ぶえーっくしょい!」

 

 入り口で待っていたおっさんが、いきなり馬鹿デカいくしゃみをしたものだから私は驚きのあまりちょっと飛び上がってしまった。なんだよおっさん、びっくりさせんな!

 

「二人ともまだかいな。はよしてんかぁ……」

 

 入り口から顔を覗かせるおっさんが、辛そうな声で部屋の奥にいる私達へ声をかけてきた。

 

「すんません、もうちょっとだけ待ってください」

「なにをそんな調べとるんや。いらんことしとんちゃうやろな」

 

 痺れを切らしたらしいおっさんが、体を縮こませながら部屋に入ってきて私達のところへと駆け寄ってきた。

 

「おっ、なんなんそれ? なんか、こんもりしとるで」

「あ、そ、それは……!」

 

 私が引き留めようとしたのだけど遅かった。ベッド脇の山に気付いたおっさんは、私達の間を通り抜けてそれに近づくと、考えなしにその上に積もる雪を手で雑に払い始めた。

 

「なんやろ、これ……」

 

 山のてっぺんに乗っかってたものを、おっさんがなんとはなしに拾い上げてしまう。その光景を前にして私は胃からすっぱいものがこみ上げてきそうになる。

 

「ぬぉっ!? こここ、こら、手、手ぇやないか……っ!」

 

 それが何なのかようやく気付いたおっさんが、持っていたそれを慌てて投げ捨てる。そうしてベッドの上に落っこちたそれは「手」だった。ひどく変色した手首なのだった。

 

「うっぷ……!」

 

 もう我慢出来ない。私は咄嗟に窓から顔を出し、こみ上げるものをとうとう全力で吐き出してしまった。幸い胃の中に残っていたものは少なかったのか胃液ばかりが出てくるけれど、気分は最悪だった。おっさんの馬鹿野郎! なんてことをしてくれるんだ!

 

「あ、アカンアカン……! こないなもん見てもうたら運気下がってまうわ……!」

 

 そんなことを言い残して、おっさんは逃げるように廊下のほうへと慌てて戻っていった。

 

「はぁ……はぁ……くそっ……」

「……ねーちゃん、もう戻ろうぜ」

 

 少ししてようやく落ち着いた頃、私を心配したらしい弟がそう言ってくる。ああ、ダセーところを見られてしまった。私としたことが、弟のいる前でとんだ醜態だ。

 

「べ、別に……大丈夫だよ……」

「いや、大丈夫じゃないだろ」

 

 尚も食い下がる弟だったけど、私にも意地がある。こんなのメガネのヤローに絡まれてた時のことを思えばどうってことない。有力な手がかりが隠されているかもしれないこの死体をちゃんと調べてやるのだ。そんでもってもし内部犯の仕業だってことがハッキリしたんなら、私達に濡れ衣を着せやがった真犯人のヤローを白日の下に晒してやらないと気が収まらない。

 

「ふ────……」

 

 気を取り直す為に大きなため息をついてみるけど、風の吹きすさぶ部屋の中では吐息が白くなることなんてない。いまや私の体は随分冷え込んでしまっていたのだけど、どてらも無意味になりつつあるぐらい寒さが侵食してきているようだ。足の裏の感覚はすっかり無くなっていた。ついさっきドギツいものを見せられたせいで気分もすこぶる悪い。

 この分だとやがて音を上げるのは時間の問題と見た私は、早く部屋を出ていきたいという衝動と戦いながらもひとまず死体の山があるほうとは反対側のベッド脇に回り込む。そうしてベッドの上に放置されていた先程の手首を調べてみることにした。

 

(こんなもん、怖くなんかねぇぞ!)

 

 とはいえ直接触るのはおぞましいことこの上ないので、どてらの袖の先を使ってベッドの上のそれをチョイチョイとつついて転がしてみる。これが人間の肌なのかと疑ってしまうぐらい、見たこともない程に青ざめた色をしていた手首は五指をまっすぐ伸ばした形のまま硬直していた。

 

「なにしてんの?」

 

 手首を調べる私を妙に思ったのか、寒さに身をすくめていた弟が訝しげに聞いてくるのだけど、それに答える余裕はない。姉ちゃんはいま大事なところなんだ、黙って見てなって。

 

(こうして見るとマネキンみてーだな……)

 

 本当にそうだとしたら、どれだけ良かっただろう。だけども断面から覗く骨や筋肉の生々しさを見るに、とてもではないがこれが作り物だとは思えなかった。やっぱりこれはヤクザのあの手に違いないのだ。あのでかくてごつごつした、ちょっと毛深い感じの──

 

(んんん?)

 

 妙だな。なんかおかしいぞ。手首をまじまじと観察していた私は、突然言いようのない違和感に襲われてしまった。

 

(えっ、なにこれ……?)

 

 その違和感の正体が、ようやく分かった。手が、違うのだ。今ベッドの上に転がっているそれは、生々しい印象と共に私の記憶に焼き付いていたあのヤクザの手とは到底思えなかった。まずなによりこの手は随分と小さい。勿論それでも私の手よりかは大きいのだけど、とてもではないが私の手をまるごと包んでしまいそうだったあの大きさとは比ぶべくもない。ごつごつともしていなかった。どちらかといえばひょろっちい感じの、骨っぽさが目立つ手だった。そしてなにより、全然毛深くなんてない。目を凝らしてみても、やっぱり殆ど毛なんて生えてないようなすべすべの手だった。

 

(おまえ、誰だよ……)

 

 この手の主が窓辺のほうに転がってる死体であるというのなら、それはつまりあのヤクザの死体などではなかったということになってしまう。なんだかもう、色々と前提がくつがえってしまいそうだ。

 

「……そいつが、どうかしたか?」

 

 呆気に取られていた私にまた弟が声をかけてきた。この衝撃を一体どう説明してやったものかと考えるのだけど、混乱していて上手く頭が回らない。

 

「……行こっか」

 

 だからひとまず、私は部屋を出ることにした。なんだかもうこの部屋で調べておくべきことはこれ以上ないように思えたからだ。

 *

「なんだよ、話したいことって」

「あ、うん……」

 

 おっさんにどてらを返却した上でロビーに戻ってからすぐ、私は弟を連れて食堂のほうで二人っきりになった。何か発見はあったかとおじさんに先程聞かれたのだけど、そこは一旦言葉を濁しておいた。

 食堂にいたジェニーが足元に近寄ってくるけど、今はそれに構ってやれそうにない。

 

「あれ、ヤクザじゃねーぞ」

「は?」

 

 一体何から弟に話したものかと思案していたのだけど、とにもかくにもこれだけは真っ先に伝えておかないといけない。だけども弟は、私の言ってることが理解出来なくて聞き返してくる。

 

「あの死体だよ。あいつ、ヤクザのヤローじゃなかった。全然別人だった」

「ちょっと待て……なんでそう思った?」

 

 もう少し順序立てて話してやれば良かったのだけど、私は随分焦っているようで結論から入っていってしまう。

 

「手だよ、手! ほら、おっさんが投げ捨てやがった手があんだろ? あれ、ヤクザの手と全然違ったんだよ」

「……それ、詳しく聞かせてくれ」

 

 表情を変えた弟が、真剣に耳を傾けるべく居ずまいを正す。だから私は改めて自説の根拠を説明してやった。ヤクザの手の特徴を知ってるのは、このペンションで唯一私だけなのだ。だからあの死体がヤクザなんかじゃないことに気付けたのも私だけってことになる。

 

「どうしようか? これ、おじさんに言ったほうがいいかな?」

「……その前に、ちょっと整理してみようぜ」

 

 衝撃の真相を皆に教えてやるべきか問うてみるのだけど、弟はそれに待ったをかける。こいつとしてもあまりに急な話過ぎて混乱しているのかもしれない。

 

「死体はあの田中って客じゃなかった、これは間違いないってことだよな?」

「おう」

 

 弟だって私が食堂でヤクザとぶつかった時にあいつと手を繋いでたことは遠目に見ていて知っている筈だ。だから、私がヤクザの手の特徴をしっかり覚えてたってことはそのまますんなり受け入れてくれたようだ。

 

「じゃあ、あのとき俺達がそこで見かけた人は誰なんだ?」

 

 そう言って、メシ時にヤクザが座っていた食堂のすみっこの席を見やる弟。

 

「……犯人、なのかな。たぶん」

 

 落ち着いて考えてみれば、むしろそうとしか思えなくなってきた。あのヤクザのヤローは怪しいどころの話じゃなかった。今回の事件を引き起こした張本人、それこそがあのヤクザに違いなかったのだ。

 

(だから警察呼んだほうがいいって言ったのによー……!)

 

 ヤクザを見かけた時、私は直感的にこいつは何かやらかすんじゃないかと思っていたのだけど、その勘は残念ながら当たってしまったようだ。

 

「おお、そんじゃアレだよ。脅迫状もあいつが……」

「だろうな」

 

 メガネ達がワーワー騒いでた例の怪文書も、私の当初の見立て通り結局あのヤクザが差出人だったと見て間違いないだろう。

 

「今夜十二時、誰かが死ぬ……かぁ。何考えてあんなもん出したんだろーな」

 

 メガネはあれを指して「かく乱のために犯人が用意した」とか言ってたけど、もうちっと別の理由があるような気がする。あんな風に思わせぶりなことを書くなんて、まるであの部屋に置かれた死体に気付いてもらいたいみたいじゃないか。

 

「あれかな、ホントは十二時ぐらいに窓を割りたかったのかな?」

「まあ、そうかもな……」

 

 そうすれば脅迫状通りに事を運ぶことが出来る。なんで犯人がわざわざ先走って九時頃に窓を割ってしまったのかは分からないが、元々の予定ではもっと遅い時間に騒ぎを起こすつもりだったのかもしれない。

 

「なぁ、ねーちゃん」

「ん?」

 

 弟が私に顔を近づけつつ、声を潜めて尋ねてきた。

 

「ねーちゃんは田中ってやつの手の特徴、覚えてるんだよな?」

「おお、ちゃんと覚えてんぞ」

 

 念を押してくる弟だったから、勿論そうだと肯定してやる。そしたら、それを聞いた弟の表情が益々緊張を増したように見えた。

 

「皆の中に、そいつと同じ手をしたやつはいなかったか?」

「あ……!」

 

 弟の言葉を聞いた私に電流が走る。途端、心臓が早鳴り出して、嫌な汗が滲んできてしまった。そうなのだ、指摘されるまで気付かなかったけど一番重要な部分じゃないか。

 

「あ、その……いっ、いる、かも……!」

「……誰なんだ?」

 

 そう答えてみせてから、私は開けっ放しになっていた食堂の入り口のほうを振り返った。誰かがこちらを覗いているんじゃないかと、そんな気がしてしまったのだ。皆はまだロビーにいるようで、話し声なんかが聞こえてきている。

 

「ねーちゃん、教えてくれ。誰だ?」

「あっうん……じゃ、じゃあ耳貸して……」

 

 誰にも聞かれてしまわないよう、私は心当たりのある人のことをそっと弟に耳打ちしてやった。

 

「……それ、マジなんだな?」

「お? おお……マジだよ、大マジだよ」

 

 息を呑みつつそう確認してくる弟に、私は何度も頷いてみせる。そしたら弟は、ふぅっとため息をついて椅子に背を預けると、そのまま目を閉じてしまう。

 

「なるほどな。それならまぁ、確かに色々辻褄が合うかもしれねー……」

 

 しばらくして、弟が納得したような様子でそう呟く。どうやら弟の中で何かしらの答えが出たようだ。

 

「どうすんの? やっぱ皆の前で言うのか?」

「いや、待て。その前に……」

 

 すぐにでもこの話を皆に教えてあげなくてはと気が急く私だったけど、弟は尚も待ったをかける。犯人の正体におよそのあたりは付いたけど、実際の犯行方法なんかについてはまだ不明な部分が多い。なので弟はそうした点についても話を詰めておきたいようだった。

 ここから先、どれくらいのあいだ二人で話をしていたのか分からない。ただ、私も弟も自分が持てる限りの知恵を振り絞って、互いが知り得たことや気付いた点なんかを共有していった。そうするうちに、やがて犯人が使ったおよその手口にも見当が付いてきたのだった。

 *

「皆を集めてくれだって? なんでまたそんな……?」

 

 弟からの頼みを受けたおじさんが、訝しげな表情を作ってそれに答える。

 私達がロビーに戻る頃には随分と人が減っていて、いまこの場にいるのは引き続き寝ずの見張りを再開したおじさんと俊夫さん、そしてソファーのほうで居眠りこいていたおっさんだけだった。他の皆はそれぞれ自分の部屋に戻っていったらしい。

 時刻はもうとっくに十二時を過ぎてしまっている。

 

「犯人が分かったんです」

「智貴くん、きみまでそんなことを……!?」

 

 途端、おじさんがひどく困惑した様子を見せる。やっぱりこの話を蒸し返されるのはおじさんとしても嫌なのだろう。せっかく皆が一応は外部犯の仕業ってことで納得してるのに、また振り出しに戻ってしまうのだから。

 

「おじさん、嘘じゃないよ。私達、あの部屋を調べてて色んなことが分かったんだ」

 

 そう言って、私も横から援護射撃をする。

 

「あのヤクザ、本当は死んでなんかいなかったんだよ。あの部屋で死んでたのって、全然別の人だったんだよ」

「智子ちゃん、待ってくれ。そりゃ一体、どういうことなんだ……?」

 

 もう頭上から疑問符が飛び出してきそうなぐらいにおじさんが困惑ぶりを深めたので、私はその理由を手早く説明してあげた。

 

「おいおい、マジかよそりゃ……」

 

 そしたら、おじさんの傍らで話を聞いていた俊夫さんがやにわに顔色を変える。

 

「……見間違いってことはないんだね?」

「そんなことないよ。本当だよ、信じてよ」

 

 そう言って念入りに尋ねてくるおじさんだったから、私は自分の主張に嘘はないことを訴える。

 

「なんてこった……それが本当なら、色々考えなおさなくちゃならん訳だが……」

 

 私達が冗談や思い違いでこんなことを言ってる訳じゃないと信じてくれたのか、ただならぬ様子でおじさんが顎に手をやる。

 

「智貴くん……さっき犯人が分かったと言ったね? そりゃあひょっとして……」

「はい、俺達の中に紛れ込んでます」

 

 弟の答えを聞いたおじさんが、目をぎゅっとつむってため息をつく。

 

「分かった、皆を集めよう」

 

 だけどもすぐに気を取り直したのか、シュプールにいる人達をこの場に招集することを承諾してくれた。

 

「俺、ママさん達を呼んできます!」

「ああ、頼む」

 

 話の流れを察した俊夫さんが、そう言い残してバタバタと廊下の奥へと駆けていった。おじさんのほうは早速内線で二階にいる宿泊客に連絡し始める。

 

「ん……? なんや、どないしたんや?」

 

 その騒ぎで目が覚めたのか、ソファーの上で気持ちよさそうに寝ていたおっさんが目をごしごしこすって私達に尋ねてくる。いつの間にか食堂からいなくなったジェニーもその膝の上で丸まっているようだった。

 

 ◆

 

「なんやねんホンマ……亜希ちゃんの次は、お二人さんかいな」

 

 すっかり目を覚ましたおっさんがそうボヤく。

 ペンションにはいまや宿泊客や従業員を含めた全員がロビーに集まってきていた。再び招集されたことを訝しんでいた皆だったけど、間もなくその理由を弟が説明してやったらすぐさまどよめきが生まれる。今度こそ犯人が分かったと、弟は皆に直球でそう言ったのだ。

 

「まさか、あたし達が犯人だなんて言うんじゃないでしょうね? 言っときますけど絶対に違うわよ」

 

 取り乱したおじさんから勢いあまって犯人扱いされてしまっていたらしいメガネは、まだそのことを引きずっているのかおじさんのほうを見ながらそう言ってきた。

 

「それは今から説明します。とりあえず話を聞いてください」

 

 それを軽くいなした弟は早速本題に入る。私は皆の前で上手く話せる自信がなかったので、こうしたことは弟に任せるということで事前に打ち合わせしておいたのだ。容疑者に面と向かって「犯人はおまえだ!」なんて指を突きつけてやれたら痛快だろうけど、相手がそれにどう反応するのかを想像すると恐ろしくてとても出来そうにない。

 

「まずハッキリさせておきたいのは、あの部屋の死体が田中さんじゃなかったってことです」

 

 ロビーの中央に立つ弟は、皆に向けてそう断言する。そしたら一段と大きなどよめきが周囲から生まれた。

 

「そ、そらホンマかいな!? なんでそないなことが分かんねん」

 

 たまらずおっさんが、皆も思っているであろうその質問を投げかけてくる。

 

「香山さんのおかげですよ」

「お? そうなん? わし、なんかしたっけ……?」

 

 そう返されたものだから、おっさんは不思議そうに首をひねる。

 

「さっき俺達があの部屋を調べてた時、香山さんが死体の手首を拾って放り投げてったから、それがヒントになったんです」

「あーあれか……。せやけど、なんであんなんがヒントになるんや?」

 

 ともすれば遺体を粗末に扱う行為である訳だから、話を聞いていた何人かが眉をしかめた。おっさんがあの部屋で悪ノリしてふざけていったんじゃないかと、あらぬ誤解を招きそうだ。

 

「姉が……田中さんの手の特徴をハッキリ覚えていたからです」

 

 ここで弟は私のことを持ち出してきた。皆の視線が一斉にこちらへ集中したのを肌で感じる。

 

「姉が夕食中にあの人とぶつかって、彼に引き起こされてたところは皆さんも見てましたよね?」

 

 あの時、食堂にはまだペンションに来てなかったみきなんとかさんを除く宿泊客全員が集まってきていた。そんな中で私が悲鳴を上げてあのヤクザと揉め事を起こしかけていた様子は、周りの皆も確かに目撃していた筈だった。

 

「その時に姉は田中さんの手の大きさや形なんかを記憶した訳ですが……例の部屋にある死体の手は、それとは全く違っていたそうです」

 

 弟の説明に聞き入っているのか誰も言葉を発しない。代わりに唾を飲み込む音があちらこちらから聞こえてくる。メガネなんかはもう、すっかりだんまりで弟の次の言葉を待っている。

 

「そして……その手と全く同じ特徴の人が、この中にいます。つまり、田中さんがいる訳です」

 

 その言葉に、場の空気が凍りつく。既にある程度事情を知っているおじさんや俊夫さんは、弟の語る様子を固唾を呑んで見守っているようだ。

 

「田中という名前は……やっぱり偽名だったんでしょうね。自分の身元を隠すつもりだったんでしょう」

 

 一度に畳みかける訳でもなく、弟は本題から一歩引いて今度はヤクザ自身のことを話題にあげた。

 

「あの人は部屋の中だってのにコート姿のままで、サングラスをかけて目深の帽子まで被っていました。普通に考えればまともな格好じゃありません。でも、あれが変装する為だったと考えれば納得がいきます」

 

 私を含めて他の人達をひどく不審がらせたあの珍妙な格好も、これなら説明が付く。要するにああやって目立つような格好をすることで、あたかも田中という客が自分とは別に存在するように印象付けたかったのだろう。

 

「部屋の中にあったデカいバッグなんかも調べましたが、何も入っていませんでした。着替えはもちろん財布すら持ってきてないんですよ、あり得ますか? 少なくともスキー客としてここに泊まるにはあまりにも不自然です」

 

 元々一時的な偽装のために田中という人物の存在を演出してみせただけだったから、そうした小道具にまでは気が回らなかったようだ。あるいは、それらの準備をする余裕が犯人になかっただけなのかもしれない。

 

「智貴くん、ちょっと待ってくれ……! いや、荷物が空だったというのはおかしい。あの人がウチに来た時は、確かにその大きなバッグを引きずっていて随分重そうに運んでいたんだが……」

 

 弟の説明に違和感を感じたおじさんが、そう口を挟んでくる。そりゃ確かに妙ではあるのだけど、その点についても私達はすでに見当を付けていた。

 

「ええ、その時はまだ中身がぎっしり詰まってたんでしょうね……。なにせ、バラバラになった死体が入っていたんですから」

 

 物騒な話を聞かされて怯えたのか、ビッチさんが小さく悲鳴を上げる。

 そう、つまりこういうことなのだ。そもそもあの死体はこのペンションで死んだんじゃない。きっといま弟が説明したような方法で、外部からヤクザが運び入れてきたものに違いないのだ。

 

「あーそうか、だからあの人……!」

 

 何かに思い当たったみどりさんが、急に声を上げた。

 

「あたし、ここであの人の荷物を代わりに運んであげようと思ってバッグに触ったのよ。そしたらあの人、慌てて飛んできて手を振り払ってきたんだけど……」

 

 どうやら犯人が田中として泊まりにきた時に、みどりさんとの間でそんな一幕があったらしい。

 

「そん時は感じ悪いなって思ってたんだけど……そうよね、今の智貴くんの説明が本当なら、死体が入ったバッグを人に触られたくなかったんだわ、きっと」

 

 弟の語る推理をきっかけとして、次々に皆からその推理を裏付ける証言が出てくる。犯人当ての場は、いよいよ大詰めの気配を見せていた。

 

「ねぇ……ねぇ、その田中さんの振りをしていた人って誰なの? この中の誰が……犯人なの……?」

 

 もう辛抱出来ないといった様子で、メガネが弟にそう聞いてくる。きっと犯人以外の皆も、そのことを知りたくて仕方がない筈だ。

 

「犯人は……その人ですよ」

 

 それを受けて、弟はもったいぶることなく素直に犯人のほうを指差してみせた。そいつは私達がよく座っていた階段下に腰かけていて、前かがみの姿勢で手を組んでさっきからこちらをじっと見つめてきていた。

 途端、その近くにいた人達が蜘蛛の子を散らすように慌てて距離を取る。

 

「あんたが犯人なんだろ? 田中さん……いや、()()()さん」

 

 犯人を見据える弟が、その名前をとうとう口にしてみせた。名指しされたみきなんとかさんは弟の言葉にも押し黙って特に反応することはなかったけど、そのごつごつとした毛むくじゃらの大きな手には動揺が表れているようで、落ち着きなく指をぱたつかせているのだった。




続く
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