★イラスト
こちらはジョナさん様の描かれた作中のワンシーンのイラストです。
作者様に快くご許可頂けましたのでこの場を借りてご紹介させて頂きます。
https://twitter.com/watamaonsen/status/992432899382067201
突然だがぼくの名前は
君が『少年ジャンプ』の読者なら(あるいはそうでなくとも)、『ピンクダークの少年』という作品を目にしたことはあるだろうか? それこそがぼくのデビュー作にして代表作だ。まあ他にも色々描いてるんだが、とりあえず一番の有名どころと言えばこれかもしれないな。
漫画家であるぼくは「リアリティ」こそが面白い作品を描く上で最も重要なことだと考えている。作品にリアリティがあるとないとじゃあ大違いだからな……。少なくともぼくはこれまでの漫画家人生において、そこのところを大事にしてきたつもりだ。
で、リアリティのある漫画を描こうと思ったら何と言っても取材が欠かせない。題材に関する資料をあれこれ漁るってのもいいが、やはり一番は自分自身で取材対象を直接「体験」してみることだ。こうした取材の為の労力をぼくは惜しまない。ひとたび漫画の題材になりそうなネタが決まれば、あとはひたすら取材を重ねて創作に必要なリアリティを集めていくって訳さ。
これから紹介するエピソードは、そんな取材活動の中でつい先日ぼくが体験したある出来事についてだ。この話には【
◆
黒木智子の存在を初めて知ったのは一年と半年ぐらい前のことになる。当時ぼくは連載している漫画誌のイベントに呼ばれてたまたま彼女が通う学校の近くに来ていたんだ。その時に催されたサイン会にやってきたのが彼女だったのさ。
彼女はぼくのサインを貰う為に列の最後尾に並んでいたんだが、その時にプレゼント用の色紙(複製品だがぼくのイラスト入りだ)が手元に足りなくなってしまう手違いが起きた。といっても予備の色紙ぐらいはどこかにあるだろうからスタッフに持ってこさせようとしたんだが、それを待たずに彼女は一言断りを入れるとそのままどこかへ去ってしまったんだ。
よほど急ぐ用事でもあったのか、あるいは面倒になったのか。いずれにしてもぼくはそんな彼女の態度にちょいとばかり納得がいかなかった。わざわざ抽選に応募してまでサイン会の参加権を獲得したってのに、あっさりそれをふいにしちまうんだぜ? これじゃあ当選できなかった他の応募者(きっとそいつはぼくのサインが死ぬほど欲しかったに違いない)が気の毒というものだ。それにこの岸辺露伴がたかがサインごときでヘマをやったのだと、万一にも彼女に誤解されてしまうのは嫌だからな。
だからぼくはスタッフがようやく持ってきた予備の色紙を受け取ってからすぐさま彼女を探しにいった。彼女以外の希望者にはもう全員サインをくれてやっていたから、ちょっとばかし席を外したって問題はない。そうしてしばらく会場を見回っていたら人気の無い場所でぼんやりしていた彼女を見つけたんだが、こっちが声をかけた途端に随分と萎縮した様子で視線を泳がせ始めた。どうもぼくが追いかけてきた理由が分からなくて困惑していたようだったから、持ってきた色紙にさっさとサインを書いて差し出してやったのに……彼女ときたら変に遠慮して受け取ろうとしないんだぜ。
ぼくだって暇じゃあない。さっさと色紙を渡してサヨナラしたいと思っていたんだ。だからもたもたしている彼女のことが、ほんのちょっとだが面倒になってしまった。その面倒を手っ取り早く解決する為にぼくは彼女へ「命令」することにした。なんのことはない、ただ色紙を大人しく受け取ってくれればいいと、たったそれだけのささやかな命令だ。
ことわっておくが、この時ぼくにそれ以外の意図はまったく無かったと言っていい。命令するついでに彼女の生い立ちから何からを全て暴いてやろうだなんて、予めそんなことを企てていた訳じゃない。彼女にそうするだけの価値があるだなんて、少なくともこの時点まではこれっぽっちも思わなかったからな。「今こいつ何考えてんのかな」と、ほんの軽い気持ちで確認したくなったのは本当に単なる気まぐれに過ぎなかった。ぼくが何を言ってるのかよく分からないかもしれないが、この辺りのことは後で説明しよう。ともあれちょっとしたきっかけからぼくは彼女の人となりを嘘偽りない形で知るチャンスを得たという訳だ。
この先の展開を話すと少し長くなるからもうオチを言ってしまうが、結果としてぼくは彼女に対する認識を完全に改めることとなった。どんくさそうなやつだとか、ネクラそうだとか、そうした最初の印象は吹き飛んでしまった。いや、彼女は確かにちょっとどんくさいところがあるしネクラっぽい性格をしているのも事実だ。しかしそうした部分も、この黒木智子という非常に興味深い内面性を抱えた人物がそなえるひとつの立派な個性であると考えれば途端に輝かしく感じられてしまう。
ぼくは日頃から漫画の題材として活かせそうなネタ集めに余念がないんだが、彼女の豊かな内面世界はそうしたぼくの好奇心を十二分に満足させるものだった。最高のネタをつかんだと、そうした歓喜が湧き起こった。数年に一度あるかないかの手応えを確かに感じさせられたんだ。取るに足らない凡俗さがありつつも、同時にどこかファンタスティックな性質をそなえている黒木智子。そんな彼女の劇的でこそないが哀愁とユーモアに満ちた日々の生き様は、それを目の当たりにした者の心に波風を立たせずにはいられないだろう。彼女のように類まれな個性を持った人物を漫画に登場させれば、きっと読者から愛されるキャラクターになるとぼくは思った。万人には受けずとも、必ずや一部の人々の心を鷲掴みにする筈だと。
ともあれこれがぼくと黒木智子の最初の出会いだ。彼女はその後、搾り出すような声で御礼の言葉を呟くとぼくから受け取った色紙(余白のところに彼女の名前と似顔絵も描き足してやった特別仕様だ)を大事そうに抱えてその場からそそくさと去っていった。また機会があれば彼女に会いに来てみようと思いつつも、既にぼくの頭の中では新たな漫画の構想が渦巻いていて、早く仕事場に帰りたくて仕方がなくなっていたものだ。
さて、いよいよ本題に入ろう。さっきも言ったと思うが、ぼくがつい先日遭遇した奇妙な出来事についてだ──。
◆
「そろそろかな」
歩道橋の柵に体重を預けていたぼくは、間延びしたメロディが聞こえてきたのを合図に双眼鏡を構えた。それでどこを覗くかといえば、歩道橋から少し離れた先にある高校の校門前だ。この高校は〈
ともあれ放課後の訪れを告げるチャイムが鳴り終わってからしばらくすると下校する生徒達がぽつぽつと現れ始めたので、その中に目当ての人物が紛れ込んでいないかとぼくは注意深く目を凝らした。
「いたぞ、黒木智子だ!」
ぼくが双眼鏡で捉えたのは、ある一人の女子生徒だった。もっさりとした長い黒髪と、猫背気味の姿勢。あまり生気の感じられない青白い顔と、どこか空虚さを感じさせるうつろな表情。それでいていやに主張してくるあのうらめしそうな目つき。以前イベントで会った時と全く変わらないその独特の風貌を見間違えるはずもない。彼女こそはぼくが再会を心待ちにしていた人物であり、遠路はるばる千葉まで赴いて取材を申し込むつもりの相手だったんだ。
タイミング悪く風邪か何かで欠席してるのではという心配なんかもあったが、どうやらこの日はちゃんと登校していたようでぼくは安心した。もっと言えば不登校になってしまってる可能性なんかもあったから、その時は直接彼女の自宅を訪ねてみるつもりでいたんだが。
「なるほど、あれが彼女の友人って訳か……」
もしかしたら今でも毎日一人ぼっちで下校しているんじゃないかと思っていたが、彼女は友人と思しき他の女子生徒達と連れ立って歩いていた。この少し前に
ああそうだとも、黒木智子ってやつは元々学校に友人が一人もいないような孤独な生徒だったんだ。
「あっちのおさげが『
いま名前をあげた三名はいずれも黒木智子と親しい付き合いをしているクラスメイトで、このうちの二人は彼女が去年参加した修学旅行にて同じ班になったことが縁の始まりだ。
どうしてそんなことをぼくが知っているかだって? さっきも言ったじゃないか。荻野っていう教師に教えてもらったんだよ。そりゃあもう「詳しく」ね。校門の近くをうろついてたらそいつが学校から出てきて「何か用か」って話しかけてきたから、丁度いいやと思って黒木智子のことを尋ねてみたんだよ。そしたら自分は彼女の担任だって言うから、こりゃラッキーだと思って知ってる限りのことを手早く教えてもらったんだ。
いやいや、この担任はなにも守秘義務を放棄してぼくのような部外者にペラペラと教え子のことをしゃべったって訳じゃない。ぼくには自分の知りたいことを他人からこっそり引き出すちょっとした「才能」があるんだ。だからこの担任はぼくに情報を与えてしまったことをそもそも認識しちゃいないのさ。
「む、あの生徒……」
そんなこんなで黒木智子ご一行の動きをレンズ越しに追っていたぼくだったけど、ふとあることに気付いた。歩道橋の上から遠目に見ていたぼくだからこそ分かったことなんだが、どうも妙なやつが彼女らのあとをつけているようだった。黒木智子と同じ学校の女子生徒のようだったんだが、うまいこと物陰に隠れたりなんかして彼女達に見つからないようにしてるそいつのことがぼくはとても気になってしまった。だからつい好奇心が湧いてそいつの様子をしばらく観察してしまったんだ。
「おっと……!」
そしたらそいつが急にぼくのほうを見上げてきた。勘がいいのか、ぼくが遠くから見ていたってことに気付いたんだろうな。自分の妙な行動を見られてしまってばつが悪くなったのか、この女子生徒は慌てた様子で校門のほうに引き返すとそのまま姿を見せなくなってしまった。
「なんだぁ、あいつは……? 黒木智子の友人なのか?」
担任から引き出した情報の中には、このような友人のことは含まれていなかったように思う。あの担任が黒木智子の友人候補と目していた「
どこかに隠れて出てこなくなったこの女子生徒のことは気になったが、この日のお目当てである黒木智子のことを思い出したぼくは改めて彼女の姿をもう一度探し始める。そしたら彼女はいつの間にかぼくがいた歩道橋の下をも通り過ぎて随分先へと行ってしまっていたようだった。どうやらこの時のぼくは件の謎の人物にすっかり気を取られてしまっていたらしい。
「まずいッ、電車に乗られてしまうぞッ!」
本当は道すがら彼女にさりげなく声をかけてみるつもりだったんだが、うっかりその機を逃してしまったみたいだった。黒木智子が向かっている先には、この近辺の学校の生徒達が普段通学に利用している駅がある。時計を確認してみれば、彼女がいつも下校時に乗っている電車の発車時刻が迫っていたので少し慌てたよ。まあちょいと走っていきゃあ追いつけるだろうからと、ぼくは一旦歩道橋を下りるべく急いで階段のほうへと向かったんだが……。
「おじさん……見てたでしょ、さっきあいつのこと」
その階段から急に現れた人物のせいで、ぼくは立ち止まらざるを得なかった。そいつは少し前に見失った筈の例の女子生徒だったんだ。開口一番、彼女はいきなり詰問してきた。
「……なんだい君は。いきなり何を言ってるんだ? 悪いがちょっと急いでるんだ」
「とぼけないでよ! さっきあんたがその双眼鏡であいつのことジロジロ見てたって知ってるんだからッ!」
こいつは面倒なことになったぞと、ぼくは思った。何故かこの妙な女子生徒は、明らかにぼくが黒木智子を観察していたことを見抜いていてそれを追及してきたんだ。うまく誤魔化せないだろうかとも思ったが、この時の彼女の様子だとそれも難しそうだった。だからここは手っ取り早くお帰り頂く為に「命令」することにしたのさ。
「ヘブンズ・ドア────ッ!!(天国への扉)」
そう叫んだぼくの体からシルクハットを被った白い少年が飛び出し、そのまま目の前の女子生徒へと向かっていく。そうして少年の指先が彼女の顔に触れた途端、その表面がまるで本のページのように次々とめくれ始める。そのまま彼女は気を失い、倒れこんでしまった。
「さて、と……」
女子生徒のそばにしゃがんだぼくは、おもむろに懐から愛用のペンを取り出してすっかり本と化した彼女の顔に字を書き込む。『今日は岸辺露伴のことを忘れてさっさと帰る』と、そう書いてやったんだ。
これこそがぼくなりの「命令」の仕方さ。こうして他人の体を本みたいにして、そのページに命令を書き込めばそれが例えどんな内容だろうと相手をその通りに操ってしまえる。そうした特異な才能がぼくには備わっているんだ。ついでに『岸辺露伴はまだ二十七だからおじさんじゃない』とも付け足してやったからな。
「それはそうと……こいつ、一体何者だ?」
早く黒木智子の後を追わないといけないのに、ぼくの持ち前の好奇心がうずいてしまった。いきなり突っかかってきたこの奇妙な女子生徒に興味が湧いてしまったんだ。だからぼくは、その顔面のページをつい
「ふむ……名前は『
そうしてぼくはこの内笑美莉なる女子生徒のプロフィールを次々に調べあげていく。なんのことはない、彼女のページにそうした情報が
少し前の話で「説明しよう」と言っていたのはこのことさ。ぼくには他人に命令を書き込むだけじゃなく、こうして相手の過去の記憶を読み取る力もあるんだぜ。この能力を使って、ぼくはかつて黒木智子に関する様々な情報を彼女自身から得ることが出来たって訳だ。
「ン? こいつ、やはり黒木智子の知り合いか……!」
特に面白味もなく普通過ぎる彼女の人生だったが、ぼくに突っかかってきたことからしておそらく黒木智子の知人か何かではないかと睨んでいた。その推測どおり黒木智子に関する記述が出てきたものだからぼくは目を見張ってしまった。さて一体どんなことが書いているのかなと目を凝らしてみたんだが……。
『私は黒木のウンコを食べてしまった。あいつのウンコは
ぼくは目を疑ったね。冗談じゃなくマジにこんな下品なことが書いてあったんだぜ。ぼくの能力〈ヘブンズ・ドアー(天国への扉)〉は嘘偽りない真実を暴きだす。だから彼女の顔に書いてあったことは全て本当のことなんだ。信じられないことだったが、この内笑美莉は実際にそういう体験をしたらしい。
「なんだこいつ……黒木智子とは一体どういう関係なんだ?」
内容の下品さはともかくとして、彼女に益々興味が湧いたぼくは他にも黒木智子に関する記述がないかとページをめくっていく。そしたら次々とその手の情報が見つかった。
『せっかくの修学旅行なのにろくな班員がいない。偏屈者の田村と、不良の吉田。あと黒木とかいうちょっとキモい感じがするぼっちの子だ。あーあ、みやちゃん達と一緒の班がよかったなぁ』
『修学旅行で黒木と相部屋になった時、あいつが私のパンツを盗もうとした。シャワー浴びてるところをこっそり覗いてきたし、夜中に襲われそうになった。こんなこと人生で生まれて初めてだ。気持ち悪っ!』
『チアダンスの練習をしていたら、私をつけ回していたあいつがスカートの中を覗いてきた。それだけじゃなく、私をおかずにしてごはんを食べていた。キモいキモい!』
『黒木は可愛い女の子に目が無い。私のことを性的な目で見てくるし、他の子達にも次々と手を出している。なんて恥知らずなんだろう』
『卒業式で黒木が三生の可愛い先輩と人目も気にせず女同士で抱き合っていた。あの先輩は確か以前生徒会長をしていた
『黒木が遠足で色んなタイプの女を引き連れていた。節操のないあいつを私が見張ってあげなくっちゃいけない。ぼっちの癖して女の子から人気があるもんだから、すっかり王子様気取りになっちゃってキモ』
『離れていても心はつながってるって思っていたのに、そんな私の気持ちを黒木は裏切った! ちっぽけなキーホルダーひとつで浮かれていた自分が馬鹿みたい!』
『最近黒木にちょっかいをかけてるあの
『こないだ黒木を見張っていたら、新入生の可愛い子に早速つばをつけていた。あの新入生……
『私のことをちゃんと見てくれない黒木のことが恨めしい。私はいつもあいつのことを見ているのに、あいつときたら私の体だけが目当てなんだ。私がいつもどんな思いでいるのかなんて、きっと知りもしないのだろう』
まさに黒木智子づくしだった。一部意味不明なところもあるが、どうもある時期を境に内笑美莉の記憶は黒木智子に関する事柄で埋め尽くされるようになっていたんだ。尋常でない「執念」のようなものを感じさせられて、少しばかりだがゾッとしたよ。
「信じられない……! あの黒木智子が今こんな風になっているというのか……?」
黒木智子が時折同性に対して性的興味を抱く人間であるということをぼくは既に知っていたから、その点について今更驚きはしない。中学生の頃から付き合いのあるたった一人の親友「
が、孤独の人だったあの黒木智子がいつの間にやら周囲の人間達から随分と慕われるようになっていたことにぼくは驚きを隠せなかった。まさかあの彼女がって気分だ。二、三人程度の友人が出来たというならまだ分かるが、内笑美莉の記憶を読む限りではいまやすっかり学年問わずちょっとした人気者のようだった。
「加藤明日香」ってのはクラスメイトから一目置かれてるマドンナのような存在らしいんだが、そんな人物までもが黒木智子に興味を抱いてるみたいなんだぜ。
「いや、それよりもこの内笑美莉……明らかに黒木智子に執着しているとしか思えないッ!」
しかしそれ以上に困惑させられたのは、そんな黒木智子に対して並々ならぬ関心を抱く内笑美莉自身のことだった。昼食後にはいつも学内のどこそこで休憩する習慣があるとか、意外に綺麗で可愛らしい字を書くだとか、彼女のページには黒木智子に関する事細かな情報までもがみっちりと記載されていたんだ。
一体何が彼女をここまで突き動かしているというのだろうと、ぼくは不思議でならなかった。だからその原因を突き止めるべく、無我夢中で彼女のページを読み続けた。そうしてあるページを開いたところでぼくの手はぴたりと止まってしまった。妙なページがあったからだ。普通は様々な記憶の断片がスクラップ記事みたくページのあちこちに載ってるものなんだが、そのページだけは違っていて、たった一言ドデカい字でこう書かれていた。
『私は 黒木智子に
こんな風にページの全面を使って書かれている内容は、大体が本人にとってよほど強い記憶や考えだったりするんだが、そうすると内笑美莉にとってこの記述は非常に重要な事柄だってことになる。
「蠱惑……? 魅了して夢中にさせるとかっていうあの『蠱惑』のことか……?」
額面通りに受け取るのなら、つまり内笑美莉は黒木智子にすっかり夢中なんだろうかとぼくは考えた。これこそが黒木智子に向ける激しい情念の理由なのだと。
「好きってことなんだろうか……内笑美莉は、黒木智子を愛してしまっている……?」
そう考えると全てに合点がいく。彼女がやたらと黒木智子に詳しいのも、その周囲の人間に嫉妬めいた感情を向けているのも、全ては黒木智子への愛ゆえなのだと。下校中の黒木智子とその友人らを尾行していたのも、想い人に対する抑えきれない思慕の念から出た行動なのかもしれない。どうもこのようなことは今の内笑美莉にとって日常茶飯事らしいからな。
が、それにしたってやはり意外だった。あの黒木智子にこれ程までに熱烈なファンとでもいうべき存在がいるだなんて、それまでのぼくにはとても想像出来なかったのだから。確かに彼女は人間的魅力を内に秘めてはいるが、それでも普段は周囲の人間達から無視されるような存在感の薄い人物だったというのに。現にこの内笑美莉だって、最初の頃は彼女のことを軽んじていた筈だ。
その疑問に対する答えが知りたくて、ぼくは更に内笑美莉のページをめくってみた。どんどん読み進めていけば、やがて本人が意識していないような深層心理の動きまでも分かってしまうのがこの能力のスゴいところだ。
『蠱惑の秘密を探ることを禁ずる。この禁を犯す者には報いを与える』
そうしてページをめくり続けていったところで、突然こんな文面が目に飛び込んできたから心臓が踊ったよ。またもやページ一面にでかでかとした文字でそれは書かれてたんだが、まるでこの時のぼくの気持ちを見透かしたような内容だったんだ。
「オイオイオイオイ、なんだァ~これはッ!?」
まるでこちらに向けて警告するかのようなそのページを前にして、ぼくは一気に警戒心が湧いてきた。こんなことは本来ある筈が無いからだ。記憶を読まれている当人が、そのことを認識してこんな風に反応してくるなんて余程特別な場合を除いてはあり得なかった。
「内笑美莉の意識ではない、別の『何か』が働いているのか……?」
そんな考えが浮かんできたものだから、何かちょっとヤバい感じがしてきたんだ。ぼくがこの警告を無視して秘密を探り続けたら何かが起こるような、そんな予感があった。
君ならどうするだろうか? 大人しくこの得体の知れない警告に従って、これ以上ページを読み進めることを断念してしまうだろうか?
「だが断る。秘密があるってんならそいつを暴いてやろうじゃないか」
勿論ぼくは警告に屈しなかった。こんな脅し文句でぼくを止められると思っているのなら、そいつはマヌケだ。その辺の一般人ならここでビビって引き下がるところだろうが、この岸辺露伴には通用しない。
「教えて貰うぞ、蠱惑の秘密とやらをッ!」
そうしてぼくは迷いなく次のページをめくってやったんだが、そこに書かれていたものは文字なんかじゃなかった。
「これは……?」
それは人の顔面だった。真っ白なページの中で、目を閉じた人間の顔らしき輪郭が浮かび上がっていたんだ。ぼくが呆気に取られていると、その顔が急に目をカッと見開いた。そうしてそのギョロリとした緑色の目をこちらに向けてきたんだ。
『コ、ココ……コ、蠱惑ノ秘密、ヲ……サ、探ル者、ニ……コレヨリ……報イ、ヲ、与エル……』
かと思ったら、そいつがおもむろにしゃがれ声でそんなことを言ってきた。明らかにこいつはぼくのことを認識していて、しかもどうやら敵意を向けてきているらしいことがはっきりと理解出来た。
「ヘブンズ・ドアー、こいつに命令しろッ!『岸辺露伴を攻撃できない』と!」
背後に控えていたシルクハットの少年を操り、ぼくは素早くその奇妙な顔面に命令を書き込んでやった。目にも止まらぬ〈ヘブンズ・ドアー〉の手捌きで、やつに攻撃する暇を与えず抑え込むつもりでいたんだ。そうして一瞬のうちに書き込まれたぼくの命令文は、特に消えたりすることもなくその不気味な顔面に定着してくれたんだが……。
『報イ、ハ……与エ、ラレタ……モウ蠱惑カラ、逃レラレナイ……』
そう言い放った顔面の輪郭が急に曖昧になったかと思うと、どういう訳かやがてページ上から消え失せてしまった。そうしてページにはさっき〈ヘブンズ・ドアー〉に書き込ませた命令文だけが残るのみとなった。
顔面は消える前に「報いは与えられた」と確かに言った筈だ。しばらく様子を見てみたがぼくにはこれといって何も被害は無かった。だからぼくの能力によってやつの攻撃が無効化されたのではと思いはしたものの、この時ぼくはもうひとつ別の可能性が頭に思い浮かんでしまった。もしかしたらぼくは
「え? ちょっとなに!? うっちーどうしたの……!?」
背後からただならぬ様子の声が聞こえてきたので、ぼくは咄嗟に振り返った。そしたら誰がいたと思う? 黒木智子だよ。彼女がそこにいたんだ。
「う、うっちーだよね、あれ……か、顔、なんか本みたくなってない!?」
「ちょっとォ~~おじさん! あんたそこで何してんのッ!?」
「ねえヤバくないっ? けっ、警察呼んだほうがよくないっ!?」
黒木智子は一人だけじゃなかった。そこには
「なんだなんだ、どうしたァ?」
今度は逆の方向から男の声がしたんだが、そこにはまたしても黒木智子がいた。背丈や格好は全然違うが、顔だけは確かに彼女そのものだ。
(何が……何が起こっている……? どいつもこいつも……
目の前に倒れていた内笑美莉へとふと視線をやったところで、ぼくはいよいよもって異常な事態が起きていることを確信した。顔こそページがめくれていて判別出来ないが、頭なんかはいつの間にか他の連中と同じように黒木智子特有のあのぼさぼさした長い黒髪に変わってしまっていたからだ。
(もしかして……これなのか? これこそが、あの奇妙な顔面が言ってた「報い」ってやつなのか……!?)
あの顔面がぼくに与えた報いとは、他人の顔が全て黒木智子に見えるという呪いだったのだろうか。いや、呪いというよりも「そういう能力」をぼくに授けたということなのかもしれない。
「早くゥ──! 警察呼んでェ──ッ!!」
「せ、先生! 先生呼んでくるから!」
「テメーこの変態ヤロォ~、その子から離れろッ!」
ぼくを取り囲んだ連中がいよいよもって騒ぎ出したから、この分だと誰かがぼくを取り押さえようとするのは時間の問題だった。
「なるほど、確かにこいつは恐ろしい報いかもしれない……人の認識能力における重大な障害ってやつだ……このままだとやがて正気を失っちまうかもな」
この報いが解除されない限り、おそらくぼくは一生黒木智子に取り囲まれて生きることになるだろう。漫画を描いても登場人物全員が彼女の顔になってしまうかもしれない。
そうなったらぼくの漫画家生命にとっても致命的だ。いくらぼくが黒木智子に興味津々と言っても、流石にこういうのは困る。だからここはひとつ、ぼくらしいやりかたで切り抜けさせて貰うことにした。
「漫画家という人種をなめるなよ……ヘブンズ・ドアーが万能なのは、ぼく自身に不可能を可能にするだけの
このあと実行したことは流石のぼくにとっても前例の無いことだったんだが……それでも必ず成功すると、ぼくは「信じる」ことにした。今までのぼくには出来ないことだったかもしれないが、今この瞬間のぼくになら可能な筈だと、そう強く信じたんだ。
いいかい、君。人間にとって最も難しいことってのは「自分自身を乗り越えること」なんだ。逆を言えば、それさえ出来れば他のことは何だってやり遂げられてしまう。それは「成長」というもので、ぼくにとってこの時こそが成長のしどきだったのさ。そしてそれを見事達成してみせたっていうのは、今ぼくが君とこうして普通に話せていることからも明白なんだぜ。
「ヘブンズ・ドアー! 今からぼくに命令しろ!」
ぼくは〈ヘブンズ・ドアー〉に命じて自分自身にこう書き込ませたんだ。『この三十分以内に岸辺露伴に起きた変化は全て無かったことになる』とね。〈蠱惑の秘密〉が勝つか、ぼく自身の力がそれに打ち勝つか、二つに一つだった。そして結果は、さっきも言ったようにぼくの勝利だった。
ぼくは今まで能力を使って他人に命令を書き込んだりしていたが、自分自身にこうして命令するのは初めてだった。いや、以前に試したことはあったがその時は結局何も起こせなかったんだ。当時のぼくはまだそこまで成長出来てなかったってことなんだろうな。
『ミギャアアアア────ス!!』
ともあれ効果はてきめんだった。ぼくが自分への命令を書き込み終えた途端、誰かの悲鳴のようなものが頭の中で鳴り響いた。すると周囲の連中がすぐさま元の顔を取り戻したんだ。見ず知らずのおっさんがムカつく顔でぼくに詰め寄りながら威嚇してきていたから、とりあえず黙らせてやった。『何も言わずさっさと帰る』とかなんとか書き込んでやったんだっけか。
「先生ェ──! あの人ですッ! あのおじさんがうっちーに変なことしたんです──ッ!」
「ちょっとあなた、さっきの不審者でしょ! やっぱりウチの生徒を狙ってたのねッ!?」
女子生徒が連れてきたのは校門前で出くわしたあの荻野とかいう教師だった。こいつと会うのはこれで二度目だったが、その顔はちゃんと元の彼女のものだったからちょっと安心した。
ともあれぼくが奇妙な現象に気を取られている間に周りの状況は随分面倒なことになってしまっていた。だからそろそろ騒動の原因になっている彼女に目を覚ましてもらうことにしたんだ。
「えっ、なになに……どうしたのみんな……?」
さっと起き上がった内笑美莉は、状況が把握出来なくて辺りを見回した。周りの連中も突然こうして彼女が何事も無かったかのように復活したものだから戸惑っているようだった。
「うっちー大丈夫? そ、その人に変なことされたんでしょ?」
「変なこと?」
内笑美莉の友人らしき女子生徒が荻野教諭の後ろに隠れながらそう尋ねたのだけど、当の内笑美莉自身はぼくのほうをちらりと見て首をかしげる。まるでいま初めてぼくと出会ったような、そんな感じの反応だった。
「いや、されてないけど……」
「えっ? で、でもさっきまで倒れてたじゃん!」
戸惑う友人達の質問に答えつつ彼女らに歩み寄る内笑美莉は、とんと身に覚えのないことばかり言われて困惑顔だ。さっきまで倒れていたことに自覚が無いだけでなく、ぼくを怪しんでいたこともきれいさっぱり忘れ去っていた。
「君さぁ、さっきいきなりここで倒れたんだぜ? ぼくは心配になって横で見てただけだったんだが……具合でも悪いんじゃあないか? もうウチに帰ったほうがいいんじゃねーの?」
「そうかも……うん、そうだ……早く帰らなくっちゃ。さっさと帰ろォ~~っと」
ぼくの言葉を聞いて急に何かを思い出した様子で、内笑美莉は心配する友人達や教師を尻目にきびきびと歩き出して歩道橋を下りていってしまった。予めぼくが彼女に書き込んでおいた命令通りに動いてくれているのだ。
「あのさァー……おたく、このぼくを不審者扱いするってどうなのよ? 誤解が解けたんなら、ぼくも帰っていいよなっ?」
「えっ!? あっ、それは……も、勿論ですけど」
何の根拠も無しに不審者扱いしてきた失礼極まりない教師にほんの少しばかり恨み言をぶつけつつ確認してみたんだが、彼女はそれ以上ぼくに突っかかるつもりは無いようだった。
(また今度にするか……)
本物の黒木智子のほうはもうとっくに電車に乗って出発してしまった頃だった。思わぬ妨害が入ったせいで直接取材することは叶わなかったが、これから先もチャンスはあるのだからぼくに焦る気持ちは無かった。それにこの日はこの日で中々に興味深い体験が出来たのだから、嬉しい誤算だったと言ってもいい。内笑美莉の深層意識に潜んでいた〈蠱惑の秘密〉。あんな得体の知れないものまでもが関わってくるだなんて、益々黒木智子という人物に興味が湧いてきたよ。彼女は本当に一体何者なんだろう。全くもって普通じゃあないぞ。
おっと、ぼくのことを「懲りないやつ」だと思ってないか?〈蠱惑の秘密〉からの警告を無視して、まんまと罠にかかったマヌケだと思ってるだろ? まあ、そうだ。そこんところは……君が思ってる通りかもしれない。粋がって挑んでみたはいいが、結局秘密とやらの手がかりは何もつかめなかったんだからな。
でもぼくは諦めるつもりはさらさら無いぜ。あの〈蠱惑の秘密〉からは、面白い漫画のネタになりそうな匂いがプンプンするんだ。ま、それを差し引いたとしても黒木智子が素晴らしい取材対象だっていう認識は揺るぎないがね。
そしてこの日の出来事で分かったのは、彼女だけでなくその周囲の人間にも取材する価値がおおいにあるってことだ。内笑美莉と同じように「蠱惑」されてしまった者がまだ他にいるかもしれないからな。あの内笑美莉の心が黒木智子と出会ったことで変わったように、きっと他の蠱惑者達にも同じような変化が生まれている筈だ。ぼくとしてはそうした周辺事情も含めて取材してこそ、黒木智子という存在を真に理解することが出来ると考えている。まあ気長にやってみるつもりだよ。これはそこそこ大がかりな取材になりそうだから、すぐには終えられないだろうしな……。
この話についてはひとまずここで終わりだ。でも黒木智子に関する取材は今も続いているから、またいつか機会があればその成果をこうして披露してあげられるかもしれない。この話をしてやったのは今のところ君だけなんだぜ。
しかし黒木智子は取材対象であることを抜きにしても実に興味深い人物だと思う。まだまだ目が離せないぞって感じがするんだよなぁ。彼女はいわば渦の中心だ。例え彼女自身の内面に特筆すべき大きな変化が無くとも、その周囲では絶えずゆるやかな嵐が巻き起こり続けている。また来月あたり会いに行ってみるつもりだが、その時に彼女を取り巻く状況が一体どう変化しているのやら。こんな風に彼女のこれからのことが妙に気になってしまうのは、ぼくもまた【蠱惑】されてしまった一人だから……というのは考えすぎだろうか……。