もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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もここみチェンジ! 例のあの人やべー奴(7)

小宮山琴美となかまたち(後篇)

「じゃあ次の段落までをっと……小宮山」

 

 教壇に立つ国語教師が、それまで読み上げていた教科書から視線を外して指名する。

 

「はい」

 

 それを受け、淀みなく返事をした琴美がすっと立ち上がり、教科書を構えて朗読しにかかる。

 

「おいおい、おまえじゃなくて小宮山だ、小宮山」

「えっ? あっ……!」

 

 すると教師が半笑いで指摘したものだから、ここに来て琴美は己の勘違いに気付いた。てっきり自分が選ばれたのだとばかり思ってしまったが、よくよく考えれば教師の指名した「小宮山」とは、いまや前列の席に座る智子のことなのだ。

 

「すっ、すみません!」

 

 慌てて座り直した琴美であったが、教室の中で生徒達の忍び笑いが起こった。隣の席の陽菜も、声こそ出さないもののその顔には含み笑いを浮かべている。

 

(ややこしいなぁもう……)

 

 こんなことは今日だけで何度あっただろうか。体育の時間ともなれば整列時に並び順を間違えるし、小テストではあやうく己本来の名前と出席番号を書いて提出してしまうところだった。

 

「よかった。おれ、一美(かずみ)を愛してる。あたしもよ。この世の中で誰よりも、一夫(かずお)くんが好きよ。よーし、おれ今から……」*1

 

 こうしたことは相方の智子だって多少なりともやらかしてはいるようなので、彼女もひょっとしたら今の自分と同じく気疲れを感じているのかもしれない。そう考えた琴美は、自分の代わりに席を立って朗読を始めた智子の後ろ姿をなんとはなしに見やる。

 

(ん?)

 

 と、前列の席に座るひとりの生徒がこちらを振り返り、そっと視線を向けてきていたことに琴美は気付く。

 

(伊藤さん?)

 

 それは琴美と普段から親友づきあいをしている女生徒、伊藤光(いとうひかり)だった。じっと観察するような目で見つめてきていた光であったが、対する琴美も見つめ返しているうち、やがて彼女は視線を外すとそのまま黒板に向き直ってしまう。

 

(どうしたんだろ……)

 

 単にヘマをやらかした自分にちょっとばかり興味が湧いただけなのかもしれないが、親友のそうした様子がなんとなく引っかかる琴美。

 

(ていうかあいつ、ちゃんと上手くやれてんのかなぁ)

 

 本日は智子として振る舞うことで手一杯になっていた琴美であったから、相方の状況にはあまり気を配ることができていなかった。「今日のところはお互いの振りをしてやり過ごそう」とは智子からの提案であったが、言い出しっぺの彼女自身がそうした芝居を満足にこなせているのかどうか、そこのところは分からない。うっかりクズでゲスな発言をしたりして、光から顰蹙(ひんしゅく)を買っていたりはしないだろうか。いつも自分に良くしてくれるあの親友が、いまや別人と化している小宮山琴美から下品なことを言われてショックを受けたりはしていないだろうか。それまで智子の友人達にばかり気を遣っていた琴美であったが、午前の授業も終わりに差しかかろうという頃になってようやく己自身の人間関係についても心配し始めるのだった。

 *

「ふぅ……」

 

 普段よりもやたらと長く感じられた午前の授業がようやく終わり、手洗いを済ませてきた琴美は一息ついて弁当箱を取り出した。ファンシーな色合いのランチクロスに包まれるそれは、母から今朝方持たされていたものだ。包みをほどいてフタを開けてみれば、白米とおかずの香りがほのかに立ちのぼる。中に入っている惣菜の種類やその盛り付け方も小宮山家のものとは随分違っていたが、これこそが智子の普段の弁当なのであった。

 

(お母さん、いただきます……)

 

 箸を手に心の中でそう呟いた琴美は、智子の母が自分の娘の為にと用意した弁当を早速頂くことにする。実際にそれを食べるのが、他所様の子供である自分だったとしてもだ。

 

「黒木さん、机」

「えっ?」

 

 すると待ったをかけるように、先ほどから琴美のそばでガタガタと机を移動させていたクラスメイトがふいに声をかけてきた。両肩からおさげ髪を垂らす彼女は智子の友人のひとり、田村ゆりだ。

 

「くっつけてよ、ほら」

「あっ、うん……」

 

 ゆりからの指図を受け、一旦箸を置いた琴美は自分の机を持ち上げる。そうして陽菜の机を基点に、琴美とゆりは自分達の机を互いにぴったりくっつけ合わせてから改めて着席した。しかし陽菜の席に本人の姿は無く、代わりに座っていたのは別の女生徒だった。

 

「いただきます」

 

 和やかな様子で食前の挨拶を口にしたその女生徒の名は、田中真子(たなかまこ)。頬にうっすら浮かぶソバカスが特徴的な彼女のことを、琴美は以前から見知っていた。まだ三年生になったばかりの頃にひょんなことから喫茶店で席を共にした彼女とは、お互い自己紹介をし合った仲なのだ。それは傍らのゆりについても同様であり、彼女らふたりは琴美にとって一応ながらもクラスの中における数少ない知り合いなのである。

 

(田村さんと田中さんか……。そういや、いつも一緒にメシ食ってるって言ってたな)

 

 このふたりについて智子から教えられていたことを琴美は思い出した。ならば普段の智子がそうであるように、己もまた彼女らと昼食を共にすべきだ。ボロが出ないよう言動に気をつけながらの食事というのは、ひとりぼっちの教室で弁当箱をつつく以上に落ち着かないものになりそうだと身を固くする琴美ではあるが、それも仕方の無いこととして受け入れる。

 

「あー、ちょっといい?」

 

 そうして琴美がようやく昼食にありつこうとした矢先、今度は別の誰かに声をかけられた。

 

「なんだよ?」

 

 見ればそれはランチトートを手にぶら下げた智子だった。そしてまた、彼女の隣には弁当一式を胸に抱えて佇む光の姿もあった。

 

「いや、どっかで一緒にメシでもって思って」

「えっ? でも……」

 

 廊下のほうを指差す智子のその様子からすると、どうやら彼女は琴美を誘って教室以外の場所で昼食を取るつもりでいるようだった。一体どういう風の吹き回しかと思う琴美だったが、そうなると机をつき合わせていたゆりと真子のことが気になってしまう。琴美としても別に智子からの誘いに乗ること自体はやぶさかではないが、先約のあるふたりがそれをどう思うかが問題なのだった。

 

「あっ、じゃあ皆で一緒に食べよっか。ゆりも行くよね?」

「別にいいけど……」

 

 そうした琴美の迷いを感じ取ったのか、さっと席を立った真子が気を利かせてそのように提案した。一方のゆりも特に嫌がる素振(そぶ)りは見られない。

 

「あっ、いやっ、そのっ……ふ、ふたりはいいからっ……!」

「えっ?」

 

 しかし慌てた様子の智子が、そのように言って真子からの申し出を断ろうとする。

 

「だからその、今日はこいつとだけっていうか……ちょっと話したいこととかあって……」

 

 どうも一緒に連れていくのは琴美ひとりだけで良いらしい。なにやら訳アリの様子で己の意向を訴える智子としては、ゆりと真子にまで付いてこられては困るようだった。

 

「そうなの? えーと、じゃあ……」

 

 ちらりとゆりの顔色を窺った真子が、どうしたものかと思案するように言葉を詰まらせる。彼女としては自分達の間に割って入るように現れた智子からの些か強引なその誘いが、ゆりの機嫌を損ねてしまわないかを心配しているようだった。

 

「いいよ。行ってきなよ」

 

 しかし当のゆりは何かしらゴネることもなく、逆に肩を押してやるようなことを言う。内心で何か思っていそうな様子ではあるものの、琴美を引き止めるつもりはないらしい。

 

「あっうん……えと、ごめんね?」

 

 案外物分かりのいい子なのかもしれないと、智貴絡みで少しばかり印象の悪かったこのクラスメイトのことを琴美はちょっぴり見直した。ともあれ面倒ごとにはならなそうだと見た琴美は一言すまなそうに詫びてみせると、広げられていた弁当箱を改めて包み直しにかかる。

 

「……根元さんが言ってた通りかも」

「えっ?」

「今日の黒木さん、なんかちょっと変」

 

 席を立ってその場を去らんとしていた琴美に向け、ゆりは最後にそのような言葉を投げかけてきたのだった。

 *

「ここで食べよう」

 

 智子に案内されて向かった先は、そこかしこに藤棚(ふじだな)が色付く中庭のベンチだった。ちょうど三人用としてしつらえられたそのベンチへ、琴美は相方達に挟まれる形で腰を下ろす。

 

(まあ、こっちのが気楽だな……)

 

 膝の上に乗せた弁当箱の包みをほどきながら、琴美はそのように思った。気心の知れたふたりとこうして昼食を取る分には、なんら気を配る必要がないからだ。もしかすると此度の智子からの誘いは、彼女なりに気を利かせてくれたが故のことなのだろうかと琴美は考える。

 

「ありがとな、ちょっと助かったよ」

「あ? なにが?」

 

 相方のナイスフォローにお礼がしたくて、琴美は素直に感謝の気持ちを口にする。対する智子はというと、身に覚えがないといった様子で眉をひそめた。

 

「あのふたりと一緒だと、なんか肩凝っちゃいそうだったから」

「ほう」

「だから、誘ってくれてよかったって……」

「あー違う違う。そっちの伊藤さんがおまえのこと誘ってくれって言うから」

 

 なにを誤解しているのかと言いたげな智子は、箸を持った手でベンチの端に座るクラスメイトを指差す。その言葉を受けた琴美が隣を振り返ってみれば、じっと見つめてきていた親友と目が合った。

 

「あ、そうなの……?」

「そうだよ。いきなりでごめんね?」

「あっ、ううん、大丈夫……!」

 

 意外なことに自分を昼食に誘いたがったのは光だったらしい。何故彼女が急にそのようなことを言い出したしたのか分からない琴美は、この親友と智子との接点について心当たりがないかと考えを巡らせる。

 

(そういやさっきも私のこと見てたな……)

 

 午前最後の授業中、ちょっとした失敗のせいでクラス中の注目を浴びる羽目になった際、光にじっと見られていたことを琴美は思い出す。もしやその時にでもこの黒木智子の姿をした自分に興味が湧いたとでもいうのだろうか。

 

「あのさ、変なこと聞くけどいい?」

「えっ? あ、うん」

 

 あれこれ考えを巡らせていた琴美に、光が改めて声をかけてきた。思わせぶりな前置きをする彼女のその言葉に、一体何を聞かれるのだろうかと琴美は居住まいを正す。

 

「あなた、もしかして(こと)?」

「ふぁっ!?」

 

 驚きのあまり、琴美は危うく弁当箱を取り落としてしまいそうになった。おまえは小宮山琴美なのかと、親友が単刀直入にそう尋ねてきたのだ。よもやいきなりこんなことを質問されるとはまるで予想していなかったから、琴美はもうすっかり慌てふためいてしまう。

 

「な、なんで分かったの!?」

「やっぱり……!」

 

 誤魔化そうとか、はぐらかそうとか、そうした気持ちは今の琴美の中には全く無かった。だから彼女は誰の目にも明らかなほどうろたえ、嘘偽りのない己の本心をストレートに表してしまう。黒木智子の正体見たり。他人を演じていた琴美はいまや光によってその化けの皮を剥がされてしまったも同然だった。

 

「どうしよう、なんかバレちゃったみたい……」

「へ? いやっ、えーっと」

 

 観念した様子の琴美が傍らの相方にそう尋ねるが、智子としても突然のことにどう答えていいか分からないようだった。

 

「おかしいなって思ってたんだ。今日の琴、ずっと変な感じだったし」そう語る光がじっと見つめる先では、

「そ、そうなの……?」智子が呆気に取られた顔をしている。

「うん、完全に別人だったからね」

「はは……」

 

 本日の親友の様子に違和感を覚えた光は、それ以降ずっと注意深く観察していたのだと言う。周囲に怪しまれないようにと琴美が苦労していた一方、智子のほうはどうであったか。彼女なりに自身の振るまいには気をつけていたのかもしれないが、それがこうもあっさり見破られた訳だから、智子としては最早苦笑いするしかないようだ。

 

「それにね、琴が黒木さんのほうばっかり見てたから……何かあるのかなって」

 

 琴美自身はあまり気付かなかったが、智子のほうは度々相方の様子を窺っていたらしい。そうした点も踏まえた結果、光は親友の異変に両者が関係しているのではないかと考えたという。

 

「一応聞くけど、そっちが黒木さんだよね?」

「あっうん」

「すごいね、こんなことって本当にあるんだ……」

 

 もう隠すつもりは無いのか、光からの確認に小さく頷く智子。ともあれ己の抱いていた疑惑が的中したことで、光自身も少なからず驚いているようだった。

 

「ふたりとも、なんでそんなことになっちゃったの?」

「いやまぁ、ちょっと色々あって……」

 

 事情の説明を求めてきた親友に、琴美はことのいきさつを語り始める。まさかここに来て思わぬところから理解者を得られるとは思わなかったから、その弁舌にも自然と熱が入ったものだ。

 

(よかった……さすが伊藤さんだ……!)

 

 にわかには信じがたい話を疑うことなく真面目に聞いてくれる親友の存在は、なにより琴美を安心させた。ツンと張りのある髪をさっぱりとふたつ結びにまとめ、前髪をバッテン型のヘアピンで飾る光。一年生の頃から今に至るまでずっと親しい付き合いを続けてきたこの同級生が、琴美は大好きなのだった。

 理由はさっぱり分からないが、自分はどうも人から嫌われがちな性分だということを琴美は幼い頃からうっすらと感じていた。大した付き合いも無い相手と接するぶんには問題ないが、いざ誰かと友達になろうとするとこれがてんでダメなのだ。最初のうちは仲良くしてくれた相手も、一体何が気に入らないのか段々と自分を避けるようになったり、あるいは絶交を言い渡してきたりするものだから、その度に琴美は理不尽な思いに駆られていた。

 自分のどこが悪かったのか、胸に手を当ててみても全く思い当たる節がない。何気なく言った軽い冗談が他人をひどく不機嫌にさせてしまうなんてことはしょっちゅうだったけれど、それにしたって何故相手が怒っているのか、まるで理解できなかった。世の中はこんな風に訳の分からない連中だらけだ。勝手に怒り出しては、こちらを一方的に悪者扱いしてくる。どうにか許して欲しくてとりあえずぺこぺこ謝ったりもするのだけど、内心は惨めな気持ちでいっぱいなのだった。

 そんな琴美であったから、彼女はやがて他人に対し少なからず心の中で距離を置くことが常となってしまっていた。相手を選ばず迂闊に心を開きでもして、己の尊厳を傷つけられてはたまらないからだ。故に光と出会った当初も、愛想が悪いという程でもないがどちらかといえばそっけない態度で接することが多かった。

 しかし気が付けば、いつしか彼女と行動を共にすることが琴美の高校生活の中で当たり前になっていた。何を言っても機嫌を損ねたりしないし、自分の趣味の話にも毎度最後まで付き合ってくれる。勇気を出してちょっと際どい話題なんかを口にしてみても、やはりふんふんと耳を傾けてくれた。この親友がどういう人間なのかいまだによく分かっていない琴美ではあったが、彼女の前でなら安心して自分をさらけ出すことができるという確かな信頼がそこにはあった。

 そしてまた今回も、光はよき理解者となってくれたのだ。それこそ体が入れ替わってしまってなおも見つけ出してしまう位には、自分のことを分かってくれている。彼女が友達でいてくれて本当によかったと、琴美は心からそう思わずにはいられなかった。

 

 ◆

 

「ふたりとも、困ったことがあったらなんでもすぐ相談しなさい。いいわね?」

「「あっはい」」

 

 放課後、その日の最後の授業が終わる際に琴美と智子は担任の荻野教諭に呼ばれて職員室へと連れて行かれた。どうも事前にふたりの母からそれぞれ連絡を受けていたようで、訳知り顔の担任は当人達と話し合いの場を持ちたかったようだ。そうして本日の学校での生活ぶりなんかを尋ねられたりしていた琴美と智子であったが、あれやこれやと適当に答えているうちに最後は肩をがっしり掴まれ、頼もしい限りのお言葉を頂戴したのであった。

 

「あいつはアテになんねーから、絶対頼りになんかすんなよ?」

「そうなのか?」

「ダメダメ、引っかき回されるだけだから。あの教師、マジ人の話聞かねーんだわ」

 

 教室へと戻る道中、智子は件の担任について早速貶すようなことを口にする。まだ彼女の教え子となって日の浅い琴美であったから、荻野教諭がどういう人間なのかをよく把握できていなかった。しかし自分よりも彼女との付き合いが長いらしい智子がこう断言するのだから、きっと余程のことなのだろうと琴美は考える。やはり今のところ自分達が頼れるのはあの光だけのようだが、肝心の彼女は部活に出かけてしまったものだからどうにも心許ない。

 

「んじゃまぁ、仕切り直しといくか」

 

 すっかり人の少なくなった放課後の教室で、置きっぱなしになっていた自分のリュックを背負った智子がそのように切り出す。これから彼女らふたりは、例の神社へと再び足を運ぶ予定だった。まだまだあの場で試せていないことが残っていたから、本日はそうした諸々を改めて再現するつもりでいたのだ。幸い琴美の図書委員としての受付当番は当分先のことであったから、本日は気兼ねなくこのまま神社へと直行することが可能だった。下校途中にこっそり寄り道するという(てい)であれば、家人からのいらぬ詮索を招く心配もないという訳だ。

 

「あっ……その前にちょっと、あの、あんたのスマホ貸して欲しいんだけど……」

「え、なんで?」

 

 しかしそれに待ったをかける琴美。突然妙なことを要求してきた相方に、智子は訝しげな表情で理由を尋ねる。

 

「いや、智貴くんにちょっと電話しようかなって……」

「はぁー?」

 

 これまで機を逃してしまっていたが、琴美は本日彼を学校の中で呼び出すつもりでいたのだ。そうして智子と引き合わせてみれば、智貴の心境にも変化が表れるかもしれないと、そう期待してのことだ。

 

「パンツの色でも聞きてーのか? マジやめてくれよそういうの」

「バカッ、違う……っ!」

 

 しかしそんな相方の思惑を知らぬ智子は、琴美がよからぬことを企んでいるのではないかと警戒心を滲ませる。そうしたあんまりな智子の誤解に、琴美は早くも呆れ返ってしまった。

 

「あんただよあんた。智貴くんといっぺん会って話し合ってみなよ」

「へっ?」

「智貴くん今日部活無いみたいだし、呼んだら多分来てくれると思う」

「あ……うん」

 

 ようやく琴美の真意が伝わったのか、ひとまず納得した様子を見せる智子。

 

「ほら、早くしないと智貴くん帰っちゃうかもしんないぞ」

「いや……まぁ」

 

 ひょっとしたらもう学校にいないのかもしれないが、ともあれ早々に連絡をしないと間に合うものも間に合わなくなってしまう。なので手を差し出して急かす琴美であったが、肝心の智子はなにやら煮え切らない態度だ。

 

「……今日はいいよ。また今度にする」

「えっ?」

 

 しかしようやく返事をしたかと思えば、そのような否定の言葉が返ってきたものだから琴美は驚いた。あれだけ会いたがっていた筈の弟に、今は会いたくないとでも言うのだろうか。「直々に説教してやる」と息巻いていたのが嘘のようだった。

 

「な、なんで?」

「だってほら……私、こんなだし……」

「ホントのこと教えてあげたらいいじゃんか。私も一緒に説明してやるからさ、大丈夫だって」

「うーん……」

 

 ここに来て急に弱気が顔を出してしまったのか、どうにも消極的な智子。そんな相方の肩を押してやりたい一心で、琴美はなおも粘ってみせる。そう都合よく理解を得られる筈が無いという智子の気持ちは分からないでもないが、思いがけず自分達の正体を見破った光の出現を受け、琴美の中には楽観的な自信が芽生えていたのだ。

 

「じゃあ、ほら……」

 

 そうした相方の熱意が届いたのか、やがてスマホを取り出した智子がそれを琴美に渡してやる。これといってパスワードもかけられていないそれは、スリープモードを解除すれば琴美にもすぐさま使用することができた。

 

「これか?」

「うん、そう」

 

 そうしてアドレス帳を確認したところ、「弟」という名前で登録された番号が見つかった。念のため智子にも尋ねてみれば、確かにこれが智貴の連絡先ということで間違いないようだった。

 

「あっ、ともき? うん、えと、まだ学校にいる?」

 

 連絡のついた智貴と早速話し込む琴美。そうした様子を傍らの智子は不安まじりの表情で眺めていた。

 

「うん……ごめんね邪魔しちゃって。じゃあ待ってるから」

 

 やがて通話は終了し、用の済んだスマホを相方に返してやる琴美。その顔にはほっとしたような表情が浮かんでいたが、この分だと無事智貴との約束を取り付けることができたようだ。

 

「智貴くん、今から来てくれるって」

「あっうん……」

 

 色よい返事を貰えたと報告する琴美の言葉を聞いても、どうしてか智子は浮かない顔のままなのだった。

 *

(来たっ……!)

 

 既に学校を出てどこかで友人らとたむろしていたらしい智貴を待つことしばし。ふたりして適当な席に座り込んでいた琴美と智子であったが、ようやく教室を訪れた智貴を出迎えるように立ち上がる。

 

「話って何?」

「えーっと、あの……」

 

 教室の中に居た智子を一瞥しつつ、自分が呼び出された用件を尋ねてくる智貴。その言葉を受け、琴美は後ろのほうで控えていた相方を振り返った。

 

「私とあの子のことで、ちょっと話したいなーって思って……」

 

 緊張の面持ちで立ち尽くしたままスカートの裾をぎゅっと握り締める智子を指差し、琴美はそのように説明した。

 

「……姉ちゃん、あの人に近づくなって言われてたろ」

「あっうん、でも……」

 

 しかし困惑した様子の智貴は、琴美に顔をさっと寄せるとそのように囁いた。

 

「またなんか妙なこと言われたのか?」

「あっ、ち、(ちが)くて……」

 

 彼との距離の近さにドキリとさせられる琴美であったが、今はそのようなことを楽しんでいる場合ではない。どうも智貴としては、裏で糸を引いているのが智子ではないかと睨んでいるようだ。得体の知れないメガネ面の先輩に警戒を滲ませる彼は、ともすれば姉にちょっかいをかける智子のことを追い払わんとするつもりなのかもしれない。

 

「あ、あのねっ……! 今から言うこと、全部本当のことだから……! ホントのホントに、嘘じゃないから……!」

 

 これまで黒木家の人々に対してはずっと曖昧な態度を取り続けていた琴美であったが、意を決した彼女は今度こそ自分達の窮状を誤魔化すことなく訴え始めた。度々思わせぶりな態度を取ってしまっていたのも、結局は波風立てたくない一心でそのような振る舞いをしてしまったに過ぎないのだと、そう説明してやる琴美。後ろのほうで控えている智子が一言も喋らないので、琴美は相方の分まで熱心に弁舌を振るうのだった。

 

「まあ、だからそういう訳で、その……」

「分かった……もういいよ。十分だ」

 

 琴美がある程度まで話し終えたところで、智貴がため息交じりに片手をあげて制してくる。

 あれこれ話し込んではみたものの、果たしてちゃんと理解してくれたのだろうかと心配する琴美は、どこか疲れているようにも見える智貴の出方を窺った。

 

「じゃあほんとの姉ちゃんはあっちのほうで、そっちは小宮山先輩ってことなんだな?」

「う、うんっ! そう、そうなの!」

「オーケー、分かった、了解だ」

 

 智子と琴美とを見比べた智貴がそのように尋ねてくるものだから、琴美は風向きが変わったことを感じ取る。それは智子も同様だったようで、それまでうつむいていた彼女はハッと顔を上げると自身の弟を見やった。

 

「あんだよおまえ、やっと分かったんか? ったくよー、もっと早く気付けよなー」

 

 ようやく安心したのか、弟に駆け寄った智子が彼の腹にぽすぽすと拳をぶつけたりする。どうやら頭が固いのは大人達だけだったようだ。まだまだ純朴な心を残す弟には、面と向かって真剣に説明しさえすれば事情を理解できるだけの柔軟さがある。そのように考えたのか、智子の顔にはすっかり安堵の色が浮かんでいた。

 

「先輩さ……」琴美に顔を向ける智貴がそう切り出し、

「あっ、なに?」

「先帰っとけよ。俺、()()()ともうちょい話すことあっから」

 

 どうやら智貴としては、これから姉弟ふたりっきりで話してみたいということらしい。だからそろそろ琴美には席を外してほしいようだった。

 

「えーと……でも私、お姉さんとちょっと約束してて……」

「あー、いいよこみさん。先行ってろよ」

 

 いくら新たな理解者が現れたと言っても本日の智子との予定を反故にして帰宅する訳にはいかないから、琴美は己の事情を訴える。すると助け舟を出すように智子が口を挟んできた。

 

「鳥居んとこで待っててくれたらいいから」

「あーうん、分かった」

 

 わざわざふたり一緒に神社へ行く必要も無い訳だから、特別に機転を利かせるまでもない。琴美は先に現地へ赴き、智子と智貴の話し合いが終わるまで待っていればいいだけのことだ。

 

「どこ行くんだ?」

浅間(せんげん)神社だよ。あっほら、ガキん頃、あそこでめっちゃセミの抜け殻とか集めたろ? 覚えてっか?」

「へぇ……」

 

 ふたりの交わした約束に興味でも湧いたのか、なにげない様子で智貴が尋ねてくる。それに答えてやった智子は、ついでに幼い頃の思い出なんかも口にしたりする。こんなことを知っているのはおまえの姉以外に居ないのだぞと、言外にそう含めたかったのかもしれない。

 

「あっじゃあ先行ってるから」

「おう、また電話するわ」

 

 ともあれ話は決まり、智子を残してひとり教室を出て行く琴美。

 

(やっぱり智貴くんに来てもらって正解だったな……)

 

 渋る智子の肩を押してまであの姉弟を引き合わせた甲斐があった。これできっと相方にも心の支えができるに違いない。これからまだあとどのくらい今のチグハグな生活を続けなくてはならないのか正直分からないが、少しばかり荷が下りたような心持ちの琴美は足取りも軽く学校を後にするのだった。

 

 ◆

 

(まだかなぁ……)

 

 石段に腰かけ、空の色を眺めていた琴美が心の中でそうボヤく。待ち合わせ場所に着いてから小一時間ほど経つというのに、智子がいまだやってこないからだ。元々茜色に染まり始めていた日差しも、いまやすっかりその色合いが濃くなってしまった。「電話する」と言っていた筈の智子から連絡が来る気配も一向に無いものだから、それ程までに姉弟の話し合いが長引いているのだろうかと琴美は考える。

 

(ダメだ、全然出ねぇ)

 

 様子を探ってみようと自分のほうから電話してみたりもするのだが、智子がそれを受けることは無かった。延々と続くそのコール音が、琴美にそこはかとない心細さを感じさせる。

 

(なんだよもう、私のこと忘れてんじゃねえのか?)

 

 ひょっとすると智子は自分の弟を引き連れて黒木家のほうへと向かってしまったのだろうか。一緒になってあの母を説得してほしいと、智子が彼に頼み込んだ可能性だってあり得る。待っているだけの時間がどうにも長く感じられてしまうからか、琴美はそのような突拍子もないことまで考え始めてしまうのだった。

 日が暮れてもまだ来ないようだったら、もう智子にメールで断りを入れでもして帰ってしまおう。別に予定が明日に延期されたとしても、さしあたって不都合は無いのだから。暇つぶしにスマホをいじる琴美がそんな風に思い始めた頃、

 

「姉ちゃん」

 

と誰かに突然声をかけられた。驚いて顔を上げてみれば、目の前に立っていた相手の姿に琴美はまたもや驚いてしまう。

 

「えっ? あれ? なんで……?」

 

 琴美に呼びかけてきたのは智貴だったのだ。もしや姉弟で連れ立ってここを訪れたのかと思う琴美だったが、周囲を探してみても智子の姿は見当たらない。

 

「あの、お、お姉さんは……?」

「いや、なんか迎えの人が来て一緒に帰ってったけど」

「えっ!? ど、どういうこと……?」

 

 聞けばどうも智子は学校まで迎えにやってきた琴美の母らしき人物に連れられて、そのまま自宅へと帰されてしまったらしい。まさかそんなことになっていたとは思いもよらなかった。それならそれで連絡のひとつぐらいくれれば良いものをと、ひとりでやきもきしていた自分が馬鹿を見たような気になってしまう琴美。

 

(あいつ、迎えがあるなんて言ってなかったけど……ド忘れしてたのか?)

 

 てっきり今日は智子のほうも自分の足で下校するものとばかり思っていた。だからこそ、学校帰りに神社へ寄ってみようという話になったのだ。智子が自分で迎えを呼んだとも思えないから、ひょっとすると事前に母娘の間でそういう約束が交わされていたのを智子が失念してしまっていたのかもしれないと、琴美はそのように推理する。

 

「あっ、そういえばお姉さんと何話してたの?」

「…………別に。大したことじゃねえ」

「そ、そうなんだ、へー……」

 

 ふと気になったことを、琴美はなんとはなしに智貴へ尋ねてみる。すると彼はしばらく間を置いてからそのような答えを返してきた。智貴がそう言うのならきっと本当にそうだったのだろうと琴美は思ったが、その一方で何故だかいまいち納得しきれていない自分がいることをも自覚してしまう。

 

「ほら」

「?」

 

 と、そんな琴美に向けて智貴がそっと手を差し伸べてきた。相手の意図を掴みかねた琴美は、彼の手と顔とをせわしなく見比べる。

 

「寄り道してねぇでさ……もう帰ろうぜ?」

 

 どうやら智貴は、座り込んでいた琴美を立たせたいらしかった。そうして一緒に家へ帰ろうと言うのだ。

 

「う、うん……」

 

 相方が来ないことが分かった以上、最早この場に留まる必要はない。今日のところは大人しく帰って、また明日学校に行けば智子と会えるのだから。智貴にしたって、きっと自分が待ちぼうけをくらっているのではないかと心配してわざわざここまで探しに来てくれたに違いないのだ。よって、差し伸べられた彼の手を取ることに躊躇する理由などあるはずがなかった。そう、そのはずだったのだが──

 

(智貴くん、さっき私のこと……「姉ちゃん」って呼んだような……)

 

 夕暮れ時の日差しがいよいよ赤みを帯びていくのにつれて、周囲の影も更に傾き加減を増していく。そんな中で改めて見上げた智貴の表情が、逆光の加減で黒く塗り潰されたように見えた。そのことにギョッとする琴美は自身でも信じられないことに、このとき生まれて初めて目の前の少年を()()と思ってしまったのだった。

*1
引用:山中恒 2012『おれがあいつであいつがおれで』角川つばさ文庫、p.204




つづく
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