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★イラスト
拙作をお読みくださった方がご厚意により描いてくださった素敵なイメージイラストです。
作者様に快諾頂けましたので、この場を借りてご紹介させて頂きます。
▽MoGa様
https://twitter.com/MoGa_metalheart/status/1703349604950143165
▽女菊様
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[2024.5/25]『原幕小の七不思議』を全面改訂しました。読点の使い方の見直し(ここはおまけのみあえてそのまま)が中心ですが、加えて文章表現の拙い部分を改めたりちょっとしたエピソードや説明の追加などの細かい変更もおこなっています。追記の量はあとがきが一番多く、改めて作成した地図(続編案のアイディアを反映したバージョン)もそちらに掲載しておりますので、ずっと前にお読み下さったかたもご再読頂けますと新たな発見があるかと思います。
運動場のすみっこのほうで何人かの男子児童たちがバスケットボールをしていた。その日の授業が終わってからもすぐ帰らず、ランドセルを脇に置いたまま学校に残って友達と遊んでいるようだった。最終下校時刻も近づいてきたころで運動場はすっかりひとけが少なくなっていた。
「よっちゃん、パスパス!」
「うしっ、そらっ」
よっちゃんと呼ばれた男の子が、チームを組んでいる友達に促されてそちらへボールを放り投げる。だけどもボールは見当違いな方向へ勢いよく飛んでいってしまった。
「どこ投げてんだよー」
さっきまでよっちゃんとボールを取り合っていた男の子がもんくを言う。ボールは少し離れた先のブロック塀に弾かれ、そのまま妙な軌道をえがいてうまい具合に校舎の裏側へと吸い込まれてしまった。
「あちゃー」
これは面倒なことになったと、ボールを回収しにいったよっちゃんはため息をつく。彼が手をかけるフェンスの先には校舎の裏側と塀のあいだを通る狭い路地が延びていて、ボールはそのずっと先に落ちていたからだ。
「先生呼んでくる……?」
よっちゃんのあとを追ってきた男の子たちのなかで、さきほどパスを受け損ねた子がそう提案する。校舎裏への進入を阻むそのフェンスにはゲートが設けられていたのだけど、これには鍵がかかっていてあけることができない。おまけに「立入禁止」の看板まで取り付けられているものだから、ここは先生に相談するしかないと考えたようだ。
「いいっていいって」
だけどもよっちゃんはどうってことないように言うとおもむろにフェンスをよじのぼりはじめた。結構な高さがあったけれど身軽なよっちゃんはあっという問にてっぺんまでたどり着き、今度はそこから飛び降りるようにしてフェンスの向こう側へと着地する。
「ヨシ、おまえ呪われんぞー」
さっきよっちゃんのミスを咎めていた男の子が冗談っぽくそんなことを言った。そうしたら、よっちゃんなのかヨシなのか、名前を呼ばれた男の子はちょっとズレてしまったメガネをかけなおしてからみんなのほうへと向き直る。
「ちょ、おまえらぜってーどっか行くなよ? マジそこいとけよ?」
友達のおどかすような言葉をどう思ったのか、どこにもいかないでほしいとみんなに頼み込むよっちゃん。日の差さないこの校舎裏は日中でも薄気味悪く、しかも安易な侵入を拒むように封鎖されていたので、それだけによっちゃんたちのクラスでも色んなことが噂されていた。この校舎裏はいわく付きの場所で、立ち入りが禁止されているのもそれが理由だからとか、フェンスを越えて侵入した者は祟られてしまうだとか、そんな感じの怪談じみた噂だった。
「絶対だぞぉ、絶対だかんなぁ?」
少し歩いてからサッと振り返ってまた同じことを言うよっちゃんはだけどもおどけているようで、それを受けて男の子たちも笑ったりしている。誰かが「よっしゃみんな帰ろうぜ」と言い出してみせれば「うぉおい!」と叫んでフェンスの手前までダッシュしてくるよっちゃんだったから、それが益々みんなの笑いを誘った。結局噂は噂で、よっちゃんを含めて誰も本気になんてしていないのだ。
「ボールボールっと……」
そうしておふざけを終えたよっちゃんは小走りで校舎裏の奥のほうまで進んでいく。路地のつきあたりにはひとつの古びた小屋が立っていて、ボールはその扉の手前に転がっていた。
「お……?」
ボールを拾い上げたよっちゃんはふとあることに気が付いた。小屋の扉が少しだけあいていたのだ。以前この校舎裏に面白半分で侵入したことのあるクラスメイトから聞いた話では、その赤錆びた鉄製の扉には鍵がかけられていてあけることができないらしい。というより、そもそも今まで誰もこの小屋の扉があけられているところを一度だって見たことがないのだった。
「なあ、あいてるぜこれ」
「なにが?」
「いや、だから小屋が」
少し離れた先で待っている友達を振り返り、よっちゃんは小屋を指さしながらその些細な異変を報告する。
「マジで!? なかどーなってんの?」
「待て待て、ちょっくら見てみっから……」
あかずの扉があいていた。ただそれだけで男の子たちの好奇心はすっかり刺激されてしまったようだ。小屋のなかの様子について尋ねられたよっちゃんは試しに確認してみようとその扉に手をかける。
「やめなよ、もう戻ってきなよ」
しかしそうしたおこないを不安に思ったひとりの子がよっちゃんを引きとめた。妙なことをせず、ボールを回収して自分たちのもとへ帰ってくるよう促しているのだ。
「大丈夫だって」
だけどもこんなチャンスは滅多にない。噂のあかずの小屋がどういう訳かあいているのだから一度ぐらいはその扉の先がどんな感じになっているのか目にしておきたいよっちゃんだった。そうしてみんなにも自分の見たものを教えてあげようと思っていた。
「うおっ、まっくら……!」
きしむ扉を開け放ったよっちゃんが目の前の空間に息を呑む。薄暗い校舎裏にあるこの小屋だったからその内部は輪をかけて暗かった。コンクリート造りの小屋には窓の類も一切設けられておらず、明かりがなければなかになにがあるのかよくわからない。それにしたって夜中でもないのだから多少は入り口から差し込む光によってなにかしら見えそうなものだけど、まるでまっくろな煙が小屋のなかを満たしているかのようだった。ここは友達に頼んでランドセルのなかの携帯電話を取ってきてもらって、そのフォトライトを照明がわりにしてみよう。そうよっちゃんが思い立った矢先──
「こんにちは」
よっちゃんの視線の先に顔があらわれた。それはまっしろな女の子の顔だった。暗い小屋の奥のほうでその女の子の顔だけがぽっかりと浮かび上がっていた。そうして女の子はおもむろに口をニパァ……と大きくあけ広げ、よっちゃんに笑いかけてくる。呆然とするよっちゃんは女の子の真似でもするかのように口をあんぐりとあけたまま固まってしまった。
「遊ぼう?」
女の子がそう言うと暗闇のなかから突然手が伸びてきて、よっちゃんは腕を掴まれてしまった。そうして小屋のなかに引きずりこもうとしてきたので我に返ったよっちゃんは慌ててふんばる。
「なんか! なんかいたっ! めっちゃひっぱってくる!」
「どうした!?」
「なんかいるって! やばいって! マジで!」
取り落としたボールが足もとを跳ねていくなか、よっちゃんは助けを求めるように声を張り上げる。涙声で必死に訴えるよっちゃんだったから、ここでようやくみんなにも彼がただならぬ状態にあることがわかった。みんながフェンスごしに目を見張ってみれば確かに小屋のなかから伸びてきた白い手によっちゃんが掴まれているらしいことが見てとれたものだから、そろいもそろって腰を抜かしてしまうのだった。
「うわああああ────っ!!」
女の子のひっぱる力はものすごく強かったから、断末魔のごとき悲鳴を上げるよっちゃんは抵抗むなしく暗闇へとすっかり引きずりこまれてしまった。すると小屋の扉がひとりでに閉じていき、なかに閉じ込められたよっちゃんの叫びは誰にも届かなくなった。
「せ、せんせいっ、せんせい呼ぼうっ……!」
あまりにも突然の出来事にしばらく言葉を失っていた男の子たちだったけれど、やがて彼らはほうほうのていで職員室へと駆けていく。そうして誰もいなくなったその場でよっちゃんの残していったボールだけが小屋の前にぽつんと転がっていた。
「でね、そのあとすぐ先生が来て小屋のなかを探したんだけど誰もいなかったんだって。結局よっちゃんはそのまま行方不明になっちゃったらしいよ」
「ふーん……」
「たぶんあの世に連れてかれちゃったんだろうね、【あかずの小屋の
赤白帽にランドセルを背負った子供たちの姿があちらこちらに見受けられる朝の通学路でふたりの子供が並んで歩いていた。ひとりはファンシーなキャラクターもののキーホルダーをぶらさげた空色のランドセルの女の子で、もうひとりはサッカーチームのステッカーを貼ったりしている紺のランドセルの男の子。この子たちは今朝一緒に自宅の玄関から出てきたのだけど、それからずっと女の子のほうが連れあいにひとつの話を聞かせてあげていた。
「
「その話、姉ちゃんが自分で考えたんだろ?」
「あーあ、信じてないんだぁ。知らないよぉ? そんなこと言ってたら今日辺り花子さんにひっぱられちゃうかも……ほらっ!」
姉ちゃんと呼ばれた女の子はいまいち反応の薄い男の子におどかすようなことを言って彼の腕を突然ぐいとひっぱった。そしたら男の子はちょっとだけ身を縮こまらせつつもすぐさまその手をうっとうしそうに振り払った。
「あっ、今びくってなった? ねぇ、智くんびくってなったでしょ?」
彼の様子を見た女の子はこれみよがしにはしゃいでみせる。自分がさっき聞かせてあげたその
(我ながらケッサク怪談だねこれは。ゆうちゃんにも教えてあげよっと)
智くんの反応に気をよくした女の子はそんなことを考えながらてくてくと歩いていく。さっきの怖い話は智くんから指摘された通り、じつは彼女が自分なりに考えたものだ。正確に言うとこれはきのう教室でクラスメイトたちの会話に聞き耳を立てていた際に知った噂話がもとになっていて、そこへかなり脚色を加えたものだった。行方不明になったとされるよっちゃんなる男子も実は彼女のクラスメイトのひとりだ。話のなかで勝手に被害者にされてしまった彼であるが実際はもちろん元気なままで、きっと今ごろは登校中か、あるいはすでに学校で友達と遊んでいることだろう。
ゆうちゃんというのは彼女と仲のいい友達のことだ。そしてさっきから「彼女」とか「女の子」とばかり呼んでいるこの子の名前は
「おい智貴、また姉ちゃんと一緒かよおまえ」
「ははっ、やっぱシスコンだな」
別方向の道からやってきた二人組の男の子が、智子たちの姿を見るや急にそんなことを言って笑いものにしてきた。
「とーもくん! シースコン! とーもくん! シースコン!」
「うっせえ! ちげーっての!」
合唱しながらはやしたててくる彼らに心のなかで「バカガキどもめ」と毒づいた智子だったけれど、一方の智貴は声を荒らげて食ってかかる。
「ケッコン! ケッコン! おねーちゃんとケッコン!」
「ころすっ!」
ついには彼らに向けて物騒な言葉を口にした智貴が目を吊り上げて猛ダッシュした。そうしたら、それを合図に男の子たちはわっとなって逃げていく。
「あっ、ちょっと……!」
そうして智子が引きとめるのも聞かず智貴はあっというまにその場からいなくなってしまった。さっきの男の子たちは智貴の友達で、彼らはたまにああして登校中にからかってくることがあるのだが、最近では智貴が目の色変えて相手するものだからすっかり格好のからかいネタとしておもしろがられてしまっているのだった。それはまだいいとしても、智子としてはああして弟に去られてしまうとひとりぼっちになってしまうので、それがなんだかさみしかった。
「智くんのばーか……」
姉弟が仲よしでなにが悪い。智くんもあんなにムキにならなくたっていいのに。シスコンなのもお姉ちゃんと結婚したがってるのも全部本当のことじゃないか。なにを今更恥ずかしがることがあるのやら。最近すっかり生意気になっちゃって。こないだまで自分のこと「ぼく」って呼んでた癖に。そんなふうにあれこれ考えているうち、さっきまでの楽しい気持ちもすっかり消えてしまう智子だった。
こんなときゆうちゃんがいればなぁと思う智子は、ちょっと前まで毎朝自分の隣にいたはずの友達を懐かしむ。このゆうちゃんというのは以前まで智子と同じ学校にかよっていた同級生で、朝の登校はもちろん放課後になって下校するときだっていつも一緒だったのだけど、今年の春に家庭の事情で引っ越すことになり、それにともない転校してしまったのだった。といっても引っ越し先はそんなにも遠くなくて自転車でもあればあまり苦労せずお互いの家を行き来できるぐらいの距離だ。メールや電話での交流は続いているし駅前にある学習塾のほうでしょっちゅう顔を合わせたりもしている。なのだけど、それでもやはり以前と比べたら両者の付き合いはぐっと減ってしまった。ゆうちゃんとおしゃべりしていたら学校なんてあっというまなのになと、なんだか学校に着くまでの時間が今の智子には長く感じられてならない。
他に友人らしい友人もいない智子に声をかけてくれる子はいそうになかった。以前はもっと友達がいたはずなのだけど五年生に進級した今となってはクラスの誰とも遊ばないし話さないことが彼女の当たり前になってしまっていた。なぜそうなったのか、どうしてこうなったのか。智子としてもこうした自分の境遇についてはさっぱり原因がわからず首をひねっていたものだ。
「……」
さっきよりもいくぶんかペースの落ちた智子の足どりがいつもの通学ルートから外れた方向へと向かっていく。その先に今の智子を少しだけなぐさめてくれそうな存在が待っているからだ。
(あっ、いるいる)
智子の視線の先で通りすがりの子供たちからなでてもらったり芸をさせられたりしているのは一匹の犬だった。とあるお宅で飼われているこの犬はときおりこうして玄関前に繋がれていることがある。とてもおとなしくて人懐っこい性格だったから、登校中にこのお宅の前を通る子供たちは彼のことをかわいがっていた。彼が飼い主からどんな名前で呼ばれているかなんて知らない智子だったが、耳がたれてちょっとマヌケそうな顔つきをしたこの犬のことが好きだった。
ともあれそんな彼をひとなでしていこうと思った智子は走り寄ろうとしたのだが、それを阻むものがあったためにすぐさま足を止めてしまう。智子より先に犬の前でしゃがみこんだひとりの子供のせいだった。
(ヤンキーだ……!)
それは智子が苦手としているクラスメイトの女子だった。智子としては特定の相手に限らずクラスメイト全員が苦手と言えたが、そのなかでもとりわけ目の前の相手は避けたい存在だった。智子が心のなかでヤンキー呼ばわりしたその女子は背にかかるほど伸ばした乱れ気味の髪に金色のメッシュを入れていたのだけど、智子からするとこういった形でのオシャレは不良の証なのだ。
不良は人に迷惑ばかりかけて、頭も悪くて、自分勝手で、気にいらないことがあるとすぐ怒鳴ったり暴力で解決しようとする。勉強しないでタバコばっかり吸うし、バイクに乗ってブンブンうるさいし、みんなの使う物をわざと壊してゲラゲラ笑ったりもする。そんな不良たちが智子は大嫌いだったから、視線の先にいるあのヤンキーみたいな身なりの子もきっとそうした類の人間に違いないと決めつけて警戒していた。事実、この女子児童は普段から他のクラスメイトや先生に対する態度もあまりよいほうとは言えずむしろ粗暴な面が目立つきらいがあったから、それが益々智子の苦手意識を強めていた。
(今日はやめとこうかな……)
くだんのヤンキー娘が耳たれ
(いいこと考えた!)
そんな智子のなかにあるひらめきが生まれた。たちまち顔を輝かせた智子がなにを思ったのか急に走りだす。そうしてヤンキー娘と耳たれ犬のそばを通り過ぎる際に「ちょんまげ!」と言い放ち、そのまま学校へと続く坂を一目散に駆けのぼっていくのだった。するとまもなく智子の背後で女の子の悲鳴が上がる。それがあのヤンキー娘のものであることを智子は振り返らずともわかっていた。
(へへーんだ、ざまあヤンキー!)
してやったり。もうおかしくてたまらないといった様子の智子は顔いっぱいに笑みを浮かべた。智子はあの耳たれ犬に奇妙な癖があることを知っていて、それを利用したイタズラを仕掛けたのであった。飼い主からそのように仕込まれたからなのか、彼は人から「ちょんまげ」と呼びかけられることで手近な人間の頭に食らいつき、その髪をクシャクシャにしようとするのだ。そうした奇癖──というより一種の芸を目の当たりにさせられたあのヤンキー娘は今ごろみっともなくうろたえているに違いないと、このまま逃げ去る前に智子は彼女の様子をひと目見ておきたくなった。
「このクソ犬!」
走りながらも背後を確認してみれば、ぼさぼさ頭となったヤンキー娘が耳たれ犬を怒鳴りながら彼の顔に両のゲンコツをグリグリと押し当てていたようだ。これはちょっと気の毒なことをしたかもしれないと、なすがままの耳たれ犬にいささか申し訳なさを感じてしまう智子。
「あたっ!?」
前をよく見ず走っていたせいで智子は進行方向にいた人にぶつかってしまった。たまらず尻もちをついた智子が見上げてみれば、姿勢を崩しながらも誰かに支えられつつかろうじて立っていたひとりの女の子がそこにいた。うっすらと見覚えのあるその子はさっきのヤンキー娘と同じく智子のクラスメイトだったのだけど、これまで話したことなんて一度もない相手だった。
「大丈夫?」
「あっ、うん、ごっ、ごめんなひゃい……!」
女の子は耳につけていたイヤホンをさっと外し、智子へ手をさしのべた。その手を取った智子は引き起こしてもらいながら、おどおどした様子で素直にあやまってみせた。すると相手の女の子は「別にいいよ」とだけ言うと、そのまま歩みを再開しつつイヤホンをまた耳にはめようとする。
「ゆり、やっぱり歩いてるときぐらい外したほうがいいよそれ。先生にも言われたでしょ?」
「あー、うん……」
ゆりと呼ばれた子は隣を歩く友達らしき別の女の子からそのような注意を受けたので、結局イヤホンを握ったまま上着のポケットに手をつっこんだ。ポケットのなかにはおそらく携帯音楽プレーヤーでもはいっているのかもしれない。そんなもの持ち歩いて登校中に聴いたりしてもいいんだろうかと思う智子だったけれど、すでに先生から注意を受けたことのあるらしいその子はそれでもあまり懲りてはいなかったようだ。だけどもさすがに今しがた智子と激突したばかりだったから、少しは危ないと思ったのか友人からの忠告を素直に受け入れるのだった。
「ふぅ……」
一息ついた智子が改めてヤンキー娘を見やってみれば、今度は騒ぎを聞きつけたらしい耳たれ犬の飼い主となにやら口論しているようだった。どうもおおごとになってきているようだけれど、騒動の張本人である智子はそのまま知らんぷりして学校へと向かう。
そうしているうち学校の正門が見えてきて、そちらからセミたちの鳴き声がミンミン、シュワシュワとさかんに聞こえてくる。七月もなかばを過ぎたこの時期になると学校の敷地にたくさん生えている木々はセミだらけになり、智子の自宅付近にある森にも負けないくらいの規模で彼らのやかましい大合唱が日中ずっと続くのだ。
(うわっ、「デリカシーゼロ」だ……!)
だけどもセミなんかよりずっとやかましい存在が校門の前に立っていたので智子は顔をしかめずにはいられなかった。「デリカシーゼロ」というのは智子が自分の担任の先生につけたアダ名のことで、この厄介な先生に智子はこれまで度々苦い思いをさせられていたのだった。
「おはよう!」
「あっ……お、おはょぅ、ござぃ……」
ランニングシャツ姿で元気よくあいさつしてきたその女の先生に智子はあまりにも控えめな声で応える。学校で誰かと話そうとするとうまくしゃべれない智子だったけど、この先生を前にすると一層その傾向が強まってしまうのだ。
「ほら聞こえない。もっと大きな声で」
「へ? ぁ、は、はぃ……」
そのままうつむき加減で先生の前を通り過ぎようとした智子だったけど、そのように呼びとめられてしまったものだから「さあはじまったぞ」と身をこわばらせた。
「お、おひゃ、ごじゃまっしゅ……!」
「ちゃんと言えてないでしょ。もう一回」
先生からあいさつのやりなおしを求められた智子はいっしょうけんめい声を絞り出そうとするのだけど、今度は舌がうまく回らず何度もかんでしまう。それが不満なのか先生はなおもやりなおしを命じる。こうなったらこの先生が相当しつこいことを智子はこれまでの経験からよくわかっていた。
「おはようっ! ございっ! ますっ!」
カンベンしてよと思いつつ、智子はこのうんざりするやりとりを早く終わらせるべくヤケクソ気味に声を張り上げる。登校してきている他の子供たちがその様子を尻目にクスクスと忍び笑いを漏らしながら通り過ぎていくのが恥ずかしくてたまらなかった。
「そう、いつもそんな感じでね」
「アッ、ハイ……」
得意げな顔でウインクしてくる先生に、智子が生気の抜けた声で返す。そんなこんなでようやく解放された智子はふらつきながら校門をくぐっていくのだった。
*
(なんであんなのがわたしの先生なんだよ、もうっ!)
昇降口へと向かうメタセコイアの並木道を歩く智子は、朝っぱらから嫌な目にあわされたと心のなかで繰り返し悪態をついていた。デリカシーゼロなる先生の本名は
四年生のときまではよかったなぁと、智子は親友のゆうちゃんと共に過ごした日々へと帰りたくなってしまう。今と違ってクラスメイトとも物怖じせず喋ることだってできたし、いつのまにか「
今年はなんだかハズレかもしれないと、輝かしい過去とみじめな今とを比べてしまうのは今日に限ったことではない。しようがなしに歩みを進める足どりとは裏腹に、その心は学校から遠のいていくばかりであった。
「は────……」
下駄箱でうわばきにはきかえた智子は、被っていた赤白帽を脱ぐと長いため息をついた。今日もまた学校での同じ一日がはじまる。楽しみにしている夏休みまであともう少しだが、それまではこの憂うつな日々が続くことになると思うと授業がはじまる前から早くも帰りたくなってしまう。さっき荻野先生に絡まれた際の心労が尾を引いているせいか、ヘアゴムでピッグテールふうにまとめられたそのマリモのようなふたつの髪の房も心なしかしぼんでいるようだ。
ここから先は特に変わったことも起きなかったのであまり書くことはない。お昼まで授業を受けて、給食を食べて、昼休みになったら図書室で本を読んだりして、そのあと校内を掃除する。それからまた午後のぶんの授業がはじまって、それも終えたらあとは帰りの会であいさつをして下校するだけだ。そのあいだじゅう校内にいる色んな種類のセミたちがずっと鳴きどおしだった。
◆
「ふ────……」
またしても長いため息をついた智子がだるそうに席を立った。今日の授業はひと通り終わったからもう帰ってもいいのだが、まだまだ友達と放課後のおしゃべりを楽しもうとする居残り組の子供たちも多い。しかし智子はそうした周囲に目もくれずすぐさまランドセルを背負って教室を出ていく。今日一日結局誰ともほぼ喋らずじまいだったのだけど、こんなことは彼女にとっていまや日常茶飯事だった。
(智くんまた先に帰ってる)
他所の教室を覗きこんだ智子がしばらくなかを見回してからがっかりしたような顔になる。自身がかよう五年一組の隣には弟のいる四年三組の教室があったから、帰りの会が終わってすぐそちらへ出向けば姉弟で連れ立って下校することができるのだけど、最近はその弟が中々つかまらない。姉がやってくることを見越した智貴がいち早く帰り支度を済ませて逃げるように教室を出ていってしまうからだ。ちょっと前までは毎日一緒に帰ることが当たり前で、当時は旧校舎のほうにある三年生の教室で姉が迎えに来るのをいつも心待ちにしてすらいたというのにそれがずいぶんな変わりようである。学校で友達にシスコン云々とからかわれるのがよっぽど嫌なのかもしれないが、こうした弟の変化はただでさえ孤立気味な智子のことを益々ひとりぼっちな境遇へと追いこんでいった。
(ばーか! ばーか! 智くんのばーか!)
そんな弟の薄情な振る舞いに腹が立った智子は、もう知らないとばかりに教室からぷいと顔をそむける。そうして給食袋で壁をぺちぺち叩きながら廊下をのし歩いていくのだが、トイレに立ち寄りがてら携帯電話の電源を入れた智子はまだ気がおさまらないのか弟のメールアドレスあてに「なんで先に帰っちゃうの!?」といかりの絵文字込みでメッセージを送りつけたりするのだった。
このままふてくされた様子で家に帰るのかと思いきや、智子は下駄箱に向かわず二階の渡り廊下を通って旧校舎──正式にはB棟とされている場所へと足を運ぶ。ここには三年生の教室しかなく、そのため今の時分はすっかりひとけがなく静まり返っていた。
旧校舎の二階には全学年に向けた様々なものが貼り出される大きな掲示板があるのだけど、智子のお目当てはこれだった。そこに掲示されている小学生向けの購読新聞へ黙々と目を通しはじめる智子であったが、別に新聞記事そのものに興味があるという訳ではない。これは紙上に載っているお気に入りの連載マンガの最新話を読みたかったからだ。『宇宙の
(七不思議ねぇ……)
今回のエピソードをすっかり読み終えた智子は、他になにかおもしろそうなことは書いていないかと紙面に目を走らせていた。そうしたら〈キミの学校の七不思議〉なんていう見出しの、全国の小学生たちから寄せられた怪談の特集記事を見つけたようだ。
(はーん、いかにも子供だましって感じだね)
だけどもそこに書かれていた内容はいずれも智子の目からするといささか幼稚に映った。これなら自分が今朝がた弟に披露してあげた創作怪談のほうがよっぽど怖いし本格的だ。もしかすると怪談の内容を新聞社に送ってみたらそれがウケてこの手の記事に載せてもらえるかもしれないと、智子はそのように思った。もし実際にそうなったとしたらきっとクラスのみんなにも自慢できることだろう。
(そうだ! もっとたくさん考えてウチの学校の七不思議ってことにすれば……!)
ひとつふたつ送りつけるよりかはいっそある程度まとまった量の怪談を考えた上で「七不思議」としてはどうか。これなら夏休みの自由研究としても格好の題材だから一石二鳥になると、智子は自分のこうしたひらめきに興奮をおぼえた。智子のかよう学校にはまとまった形で代々語りつがれるような怪談の類は存在していなかったので、もしその七不思議が新聞に載ってこの学校の児童たちのあいだで話題になれば、我が校はじまって以来の七不思議の語り部となった自分は「怪談に詳しい
「黒木」というのは智子の苗字なのだけど、この黒木智子という少女はなにかにつけて人から尊敬してもらいたがるところがあり、なおかつ妙なところで根拠のない自信を抱きがちな子供だったので、まだなにもはじまっていないうちからもうすっかり自分が偉くなったような気になってしまうのだった。
「黒木さん」
未来への展望に思いを馳せていた智子は突然誰かから声をかけられたので、はっとなってそちらを振り返る。そうしたら、ひとりの女の人がいつのまにか智子のそばに立っていた。
「こんにちは」
やわらかな声と表情であいさつしてきたのは智子が四年生のときまでお世話になっていたもと担任だった。この人は
そんな先生の姿を見た智子はあいさつがわりに屈託のない笑みを顔いっぱいに浮かべる。
「智貴くんは?」
「帰っちゃった」
今江先生は智子がいつも自分の弟と一緒に下校していたことをよく知っていたので、この場にいない智貴のことが気になったのかそのようにたずねてきた。自分を置いて帰った弟に気を悪くしていた智子はしかし、もうそんな気持ちなど忘れてしまったかのようにあっけらかんと答えてみせる。
「ねえ先生、これ見てこれ!」
そんなことよりも、と言わんばかりの勢いで智子は今しがた読んでいた七不思議の記事を指さした。
「あっ、それ先生も読んだ。おもしろいよね」
「えー、そうかなぁ。こんなの全然つまんないよ。なんかガキっぽい話ばっかりだし、いかにもありきたりって感じするもん」
「ふふふ、そうなんだ。先生はこういうの好きかなー」
自分から話を振ったくせしていきなり否定からはいっていく智子だったけれど、今江先生のほうは特に気を悪くしたふうもなく話題に乗ってくる。
「わたしの知ってるやつのが絶対おもしろいよ。弟に話してあげたらメチャクチャ怖がってたし」
「どんな話なの?」
「ほら、C棟の裏になんかブキミな小屋があるでしょ? あそこってね、ホントはかなりヤバくて……」
智貴を震えあがらせたというその話に今江先生が興味を示したので、智子はここぞとばかりに自信作の怪談を披露してあげる。クラスのなかではいつもだんまりしている智子だったけれど、それがウソのように今の彼女はすこぶる饒舌だった。心を許せる相手を前にしたときの智子はかくもおしゃべりになってしまうのだ。一方の先生はというと、智子の口から語られる怪奇譚にすっかり聞き入っているようだった。
「すごい! そんな話、はじめて聞いたかも。もしかして黒木さんが考えたの?」
「へっ? あっ、いや、えーっと……」
これはほんとにあった怖い話です、と言い張るつもりの智子だったけれど、よくよく考えずともひとりの児童が行方不明になるなんていう大事件が過去にあったことを教師たる者が把握していないはずはないので、話の内容が誰かの創作であるということはすぐさま見破られてしまったようだ。
「ま、まあ……きのうちょっと思いついちゃって……へへ……」
「わぁー、やっぱり。黒木さん、怪談づくりの才能あるかも」
「あっ、先生もそう思う?」
今江先生にほめられて益々自信のついた智子は、さっき企んだ新聞社への投稿が必ずや自分に成功をもたらすであろうことを確信した。
「あのさ、いまちょっと考えてることがあって……」
だから智子はこのように切り出し、くだんの七不思議作成計画について打ち明けることにしたのだった。そうして計画の内容を語ったところ、今江先生は「すごくおもしろそう」とたいへん好意的な反応を見せてくれた。もとよりこの先生ならきっとこんなふうに自分の言うことを肯定してくれるに違いないと思っていた智子だったから期待通りの感触にすっかり気をよくする。
「先生もなんかそういうの知らない? この学校の怖い話とか」
「うーん、そうだねぇ……」
せっかくだからここは先生にも少しばかり協力してもらおう。智子はそう考えてなにかしら怪談の題材になりそうなネタの提供を求めた。あかずの小屋の花子さんの話がそうであったように、智子は他人から得た噂話の情報をもとにそれを自分の手でより怖く、よりおもしろい形へとアレンジしてあげるつもりでいたのだ。
「昔は【例のあの人】っていうのが流行ってたかな」
「なにそれ、どんな話?」
ずっと昔の話だが、今江先生はもともとこの学校の卒業生だった。だから当時の児童たちのあいだでよく噂されていた怪談のことを口にしたのだけど、智子がそれに興味しんしんといった様子で食いついた。
「えっと……髪が長い女の人のおばけなんだけど、たとえば口から血を流して廊下をよつんばいで這い回ってるとか、『おまえらが悪い!』って叫びながら追いかけてくるとか、カッコいい男の子がいると恥ずかしがって出てこないとか、いつのまにか教室のすみっこのほうにいるとか……。あっ、あと出くわしちゃったときは『ブキショーニン』って唱えつづければ退散するっていうのもあったね」
「えー、ヘンなのぉ」
怖いのか珍妙なのかよくわからないおばけだった。いまいちイメージがつかみづらい「例のあの人」だったけど、今江先生によると当時の子供たちはこのおばけに対して数多くの設定を付け加えていたそうで、先生自身もすべては把握しきれていなかったらしい。実際にこのおばけを目撃したと証言する児童もそれなりにいたそうで、それが益々子供たちをおもしろがらせてかなりのブームになっていたのだとか。
「他にもなんかあった? 例のあの人じゃないやつ」
「あとは……そうだねー……」
もっと色々聞かせてほしいとせがまれた今江先生は口もとに手をやって思案する。そうしてしばらくすると「あっそうそう」と、なにかを思いだしたような顔になった。
「
「ウラマク?」
「裏の
この噂話も初耳だった。今江先生の話によれば智子がかよっているこの学校──原幕小学校には秘密の場所が存在していて、そこから異次元に存在するもうひとつの原幕小学校へ行くことができるというのだ。
「もし間違って裏幕に行っちゃったらもう二度と帰ってこれないんだって。怖いよねぇ」
「先生、それすごくいいよ。かなりおもしろいかも」
この裏幕なる噂に強く興味をひかれた智子は早速これを創作怪談のネタとして採用することに決めたのだった。
「ねえねえ、秘密の場所ってもしかしてあのあかずの小屋?」
「えっ? どうだろ……ちょっとわからないかな」
「たぶんそうだよ。そういうことにしたらもっとおもしろくなるよ」
そしたら花子さんに引きずりこまれてしまった者の行き先は裏幕だったということにできる。異なる怪談同士にこうしたつながりを与えればより一層深みを持たせることができそうなので、智子は自分なりに遠慮なく脚色していくつもりだった。それにしても意外や意外、この学校には中々に骨太な怪談がすでに存在していたのだ。それが語りつがれることなく自然消滅してしまったからこそいまや当時を知る大人たちの記憶にしか残っていなかった訳であるが、このようにすっかり埋もれてしまった過去の噂話を掘り出してそれにみずから新たな命を吹きこむことに智子はわくわくしたものを感じはじめていた。
「ねえ先生、そういうのもっとちょうだい! 知ってるやつぜんぶ」
「ごめんね。もっとあったはずなんだけど先生が覚えてるやつはこれぐらいかな」
「え~」
今江先生が言うには本当はもっと色んな怪談がこの学校には存在していたらしい。だけども学校を卒業したのはもうずっと昔のことなのでさすがに忘れてしまったとのことだ。その返答に残念そうな声を上げる智子だったけど、別にそれならそれで構わないとも思っていた。今江先生ひとりに聞いただけですでにふたつもネタが手にはいったのだから、この調子で他の人たちにも色々聞いてみればもっとたくさんの情報が得られるに違いない。となれば次は誰をあたってみようかと候補者たちを思い浮かべていく智子。
(まず智くんと……あとゆうちゃんと……あとそれから……それから……)
それから先は、もう続かなかった。智子が遠慮せずこの手の話題を振れそうな相手なんて片手の指で数えてもおつりがくるほどだったからだ。以前までは守衛室にいるアニメ好きの警備員のお兄さんと仲よしだったりしたのだけど、残念ながら今年の春から別の人にかわってしまったし、クラスメイトたちのなかで候補者はいないかと考えてみたところでそんなのひとりだっているはずがないのだった。
「はー……」
そうした自分の境遇に改めて気づかされたからか、智子は無意識にため息をついてしまった。急に現実へ引き戻されてしまったような感じがして、さっきまでの熱意もすっとどこかへ抜けていってしまいそうだった。
「あっ、じゃあ黒木さんにいいモノ見せてあげよっか?」
「いいモノ?」
「うん、たぶん黒木さんの知りたいこととかいっぱい書いてあると思うから」
そうしたもと教え子の気持ちをあるいは察したからなのか、今江先生は急にそのようなことを提案した。「いいモノ」とは一体なんなのか。そのことが気になった智子はひとまず自分をさいなみはじめたモヤモヤを横に置き、もと担任の言葉に耳を傾ける。
先生いわく、この学校にはかつて「オカルト研究会」なるものが存在していたという。それは学校から正式に認められたものではなく、あくまで児童たちが放課後や昼休み、あるいはプライベートの時間を使って自主的に活動していた程度の同好会的な集まりに過ぎなかった。だけどもその活動は中々に本格的で普段から怪奇性を帯びた話題の収集に余念がなく、噂の真相を究明するための取材活動も積極的におこなっていたらしい。研究会メンバーのアンテナは学校のなかだけにとどまらず智子らの暮らすこの町一帯にも張られていたそうで、地元に伝わる古来からの奇怪な伝承などにもずいぶん詳しかったという。
「いいモノっていうのは、その研究会の子たちが書いた活動記録なの」
「すごい! 読みたい! 先生、それ見せて」
今はなきオカルト研究会の存在を聞かされた智子はがぜん興奮した。そんなにもおもしろそうな集まりがあっただなんて。もし今も研究会が存続していたとしたらぜひ自分も参加してみたかったと、憧れのような思いにかられた智子は彼らの残した活動記録なるシロモノにすっかり心うばわれてしまう。そうした智子の食いつきぶりを見てか、今江先生が早速その求めに応じてくれることとなった。
智子を引き連れた先生は一旦職員室に立ち寄ってからお目当ての活動記録が保管されている場所へと向かった。そこは職員室のあるD棟の、その二階部分の廊下のつきあたりにある資料室だった。施錠されていた扉をあけると、カーテンの閉じられたちょっぴり薄暗い室内からはまるで蒸し風呂のようにむわっとした熱気が伝わってきた。
「ちょっと待っててね」
そう言って智子を廊下へ待たせておいてから、今江先生は熱気のこもる室内へとひとりはいっていき、なかに設置されているガラス扉の本棚を漁りはじめる。
「はい、これ」
「あ、うん……!」
そうして数分ほどしたところで、少しばかり汗ばんだ様子の今江先生は一冊の大学ノートをたずさえて智子のもとに戻ってきた。差し出されたそのノートを受け取った智子が表紙を確認してみれば、そこにはサインペンで大きく〈原幕小学校オカルト研究会活動記録〉とタイトルが書かれていた。中々年季のはいったものなのか、子供の手にはずっしりと感じられるそのノートはところどころ汚れていてボロっちかったけど、それがかえって独特の雰囲気を感じさせたため、いやがうえにも期待の高まる智子だった。
「持って帰っちゃダメだけど、学校のなかで読むぶんには大丈夫だから。読み終わったらちゃんと先生のところまで持ってきてね」
「はぁい」
このノートも学校の保有する貴重な資料のひとつということで、大事に扱うようにと今江先生から言い含められた智子は調子よく返事してみせるとそのまま元気よく駆けだしていった。
「廊下は走っちゃダメだよー!」
「はーい!」
うしろのほうから注意してきた今江先生に手を振りながら、歩調をゆるめた智子はそのまま下駄箱のほうへと向かう。そうして外履きに履きかえたのだけど、これはなにも早速言いつけを破った智子がノートを家に持ち帰ろうとしている訳ではなくて校内のどこか涼める場所で腰を落ち着けようと思ってのことだ。
「ふぃー」
智子がランドセルをおろしたのは一本の大きな老木の下にあるベンチだった。背もたれのないそれは木の幹を取り囲むように円形状に配置されていて木陰で休めるようになっている。昔からなぜかこの木にだけはセミたちがちっとも寄りつかないのだけど、その周囲も校舎によってコの字型に囲まれていたから夏場の昆虫合唱団の騒々しさも遠巻きに聞こえてくるだけだった。
(おお……けっこうガチめのやつだこれ)
早速ひらいたノートをパラパラと流し読みしただけでもその内容がかなり本格的であることが見てとれた。会の活動記録は月イチペースで書かれていたのだけど、ことこまかなその記述は字がきれいで文章的にも読みやすく、図やイラストなどがふんだんに使われておりひとつの読み物として中々に完成度の高いシロモノだった。
(これ、ホンモノの心霊写真!?)
なかにはブキミな噂の出どころとなった校内の現場を写した写真なども貼り付けられたりしていたのだけど、どう見ても夜間の学校に侵入して撮影したとしか思えないそれには得体の知れない奇妙なものがうっすらと写りこんでいたものだから智子は背筋が寒くなってしまった。
(すごいなぁこの人たち。ふつうここまでやらないでしょ)
あるときは地元に古くから住む大正生まれのおばあさんをたずねて大昔に原幕小で流行った古い怪談を教えてもらったりもしたそうだ。そのころの児童たちに恐れられていたのは【きこさん】という妖怪で、出くわしたが最後その子供は首に縄をつけられてどこかへ引きずられていってしまうとのことだった。
(もしかしてゆうちゃんとこのひいおばあちゃんだったりして)
十数年も前に書かれたらしいこの活動記録だったけど、そのなかで紹介されている長生きばあちゃんに智子はなんとなく心当たりがあった。原幕小からまあまあ離れたところに「
(こんど会ったら聞いてみよっと)
例え取材を受けた本人でなかったとしても、ご長寿なぶん昔のことに詳しいだろうから確かめてみる価値はおおいにある。きこさんなる妖怪についても興味のわいた智子だったから、親友のところへ遊びに行きがてら、車椅子生活を送る
今江先生の言った通り活動記録には実にさまざまな怪談や不思議な噂に関する情報が載っていた。先生が子供だったころに流行ったという例のあの人のことも書かれていたのだけど、なるほど確かに相当な数の設定が盛られていたようでそれらについての記述だけでも数ページが費やされていた。隠し持ったカマで背後からざっくり切りつけてくるとか、襲ってきても掃除機で撃退することができるとか、ものすごく香水臭いときがあるとか、トイレのなかで叫びながら自分のパンツを引き裂いたりもするそうだ。さすがに盛り過ぎなのではと思わせられるこの噂話だったけど、活動記録の執筆者が言うにはなんと例のあの人は確かに実在したそうで、研究会のメンバーが真相を調査していた際に遭遇したとのことだ。
(ホントなのかな……?)
この手の怪談や噂話は言ってみればフィクションであるものが大半で、必ずしも実話にもとづいている必要はないと智子は考えている。だけども噂がひとり歩きしていっただけに見えるこのおばけに対して執筆者は大真面目に「実在した」と言い張っているではないか。活動記録からうかがえる当時の研究会メンバーの熱心な活動ぶりについてはある程度ノートを読んでみた智子にも十分に伝わってきていたから、そうした人たちが適当なことを言うとも思えなかった。
「おおうっ!?」
ランドセルからいきなり音が鳴りだした。それにおどろくあまり変な声を上げてしまう智子だったけれどなんのことはない、単に携帯電話へ着信がはいっただけだった。ひとまずその呼びかけに応じようと電話を取り出す智子。
「あっ、も、もしもし」
『ちょっと智子、今どこにいるの?』
「え? あっうん、学校だけど」
『友達と遊んでるの?』
「あっ……うん、ま、まあそんな感じ……」
『きょう塾でしょ? 早く帰ってらっしゃい』
「へっ? あっ、そ、そっか……!」
電話をかけてきたのは智子のお母さんだった。ノートを読みふけるあまりすっかり忘れていたけれど今日は塾のある日だったのだ。C棟のてっぺんにある時計台を見上げてみればいつのまにか塾の開始時刻がせまってきているころだった。今すぐ帰る旨をお母さんに伝えた智子は慌ててランドセルを背負いなおしノートを手に職員室へと走っていく。校舎内はもちろん土足禁止だったから、上履きに履きかえる時間も惜しい智子は棟の出入り口の前で靴を脱ぎ捨てそのまま裸足で失礼する。そうして職員室にお邪魔し、自分の机で事務仕事をしていた今江先生にノートを返却した智子は、また明日も読ませてほしいとお願いしてからあわただしくその場をあとにしたのだった。
(わたしが遅刻しそうなのはどう考えてもあのノートが悪い!)
日も少し傾いてセミの鳴き手たちが交代しはじめたなかで、どこかのおばけにならってそんなことを思う智子が正門へと続く並木道を走る。
(……?)
だけども急になにか気づいた様子で立ちどまったかと思うと辺りをキョロキョロと見回しはじめた。今さっき自分のすぐそばで女の子の笑い声が聞こえたような気がしたからだ。だけどもそれらしい人影はなかったし、まばらな間隔で生えている木々の合間から第一運動場のほうを確認してみても居残って遊んでいるわずかな児童たちの姿が遠目に見えるだけだった。並木道を挟んで反対側にある第二運動場のほうにもひとけはない。いつもはスポーツ少年団のサッカークラブなんかが練習に使っているのだけど今日はお休みしているようだった。それでもなんだか誰かにじっと見られているような気がするし、すぐそばに何者かの気配が漂っているような、そんな感じがしてしまう。
(気のせい……たぶん気のせい……)
そう自分に言い聞かせた智子はふぅとひと息ついてから、そのまま脇目もふらず逃げるような勢いで走り去っていった。
つづく