もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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【ホラー】原幕小の七不思議(2)

智子のなつやすみ

 千葉県のどこかに「茂子原(もこはら)市」という町がある。市の北西部には東京湾に面する沿岸が長く延びていて、昔は港がいくつかあったりそのきれいな浜が海水浴場としても利用されていた。だけども今は沿岸部の埋め立て事業が進んだ結果、ほとんどなくなってしまってかわりに工場だったり石油コンビナートなんかが沢山立っている。この埋立地は「茂子浜(もこはま)」なんていう新しい地名をつけられているのだけど、その茂子浜と隣接しているのが原幕小学校のある「原幕」で、さらにもうひとつ「姉弟崎(あねとさき)」というところだった。智子が住んでいるのはこの姉弟崎の北側のほうで、十年ぐらい前に智子のお父さんがこの場所に家を建てて他所から引っ越してきた。

 智子がうんと小さかったころは外へのお出かけといえば家の近所に連れていかれるばかりで、それ以上先は未知の世界だった。だけど海辺のほうに見えるたくさんの煙突はときどきボワッと火を噴いたり、夜になると赤や白の光が灯ってチカチカ点滅したりしていたので、きっとそこに遊園地が立っているのだと期待した智子はあるときだまってひとりで茂子浜のほうまで三輪車で行ってみたことがある。だけどもあるのは工業施設ばかりで遊園地なんてどこにもなく、来た道もわからなくなってわんわん泣いていたところをランニング中のおじいさんに助けられて家まで連れ帰ってもらったりした。それに懲りた智子だったから、もっと大きくなってひとりで出歩けるようになるまでは冒険を控えてもっぱら近場の森や公園なんかをおもな遊び場とした。

 そんな智子が今いるのは昔から慣れ親しんできた自宅近くの森だ。夏まっただなかの今、森のなかではどこもかしこもセミたちが必死に鳴き叫んでいたので智子はそうした音の渦に自分がすっぽり体ごと飲み込まれてしまったような気分になる。

 

(ほんとだ、「希心(きこ)神社跡」って書いてる!)

 

 智子は森のなかに立っているひとつの石碑の前で、そこに彫られている文字を確かめていた。森の敷地内にはもともとなぜか石段や灯篭の残がいがあったのだけど、智子はこれまでそうしたものが存在する理由について特に考えたことはなかった。この石碑にしたって今の今まで興味を抱くことなんて皆無だったから、そこになにが書いてあるかなんてじっくり確かめたことは一度もない。

 今いる森は地元の人たちから「希心ノ森(きこのもり)」と呼ばれていて、智子は普段から登校時の通学路として、あるいはどこかへ遊びに出かける際の通過点としてこの森に通された道を頻繁に行き来していた。ときには敷地内で友達や弟と一緒に昆虫を捕まえたりボール遊びをしたりもする。そうした生活の一部となっていた希心ノ森ではあったけれど、石碑が示すところによればどうもこの森にはかつて神社が存在していたということらしい。

 

(すごい、ノートに書いてあった通りだ!)

 

 事前に得ていた情報の裏付けが取れたと、まるで探偵にでもなった気分の智子は目を輝かせる。智子がこうして郷土史の一端に触れることになったきっかけは今江先生に見せてもらった例の古びたノートの内容にあった。ノートの執筆者によれば、大昔に子供たちを震えあがらせた「きこさん」という妖怪はもともとこの神社に祀られていた神さまなのだとか。一学期最後を締めくくる本日の終業式が終わり午後から暇になったのでかねてより読み進めていた一〇〇ページ近くあるノートを一気に読破したのだが、希心ノ森のひみつを知った智子は学校帰りに早速それを確認せずにはいられなかった。

 

(えーと、忌まわしい……の「()」。こっちはキツネ……じゃなくて孤児とか孤独とかの「()」かな)

 

 石碑の下には平らな石板が置かれていて、そこには見慣れない難しい漢字がぐにゃぐにゃした書体でたくさん彫りこまれていた。しゃがみこんだ智子はそうした記述を目で追っていたのだけど、そのなかに気になる部分を発見したようで同じ箇所を何度か読み返したりしている。そこには「()()()」と書かれていたので、智子が思うにたぶんこれが神社の神さまの名前のようだった。

 

(おお……なんかヤバそーな名前)

 

 字のたくさん書いてある本をよく読むし塾でも勉強しているから、おないどしの子供よりもずっと漢字に詳しい(つもりの)智子は石板に記された文章を前にしてチンプンカンプンということにはならずに済んだのだけど、どうして「希心」神社で祀られていた神さまの名前が「忌孤」なのかはわからなかった。ノートにはその辺のことが書かれていなかったし、不吉な印象を受けるこの奇妙な名前のことも特に触れられていなかった。もしかしたら活動記録には書かなかっただけで当時のオカルト研究会メンバーはもっと詳しいことを知っていたのかもしれない。あるいは──

 

(書いたけどあまりにもヤバい内容だったからあとで塗りつぶしちゃったとか?)

 

 数日かけて読み終えたそのノートのなかにはちょっとだけ気になる部分があった。後半のページを読んでいたときに感じたことなのだけど、たまに黒いマジックで大きく塗りつぶされている箇所がいくつかあったのだ。なかにはページごと破り取ったのではないかと思われる痕跡なども残っていた。

 不審な点はそれだけに限らない。研究会の活動スタイルは同時に色んなことをちょっとずつ気長に調べていくものだったようでひとつの噂や怪談の真相を究明するまでに数ヶ月かかるなんてことはざらにあったみたいだけど、それだけに月々の活動記録のほうも大抵は文末にて「わたしたちはこの件を引き続き調べていきます」と締めくくられることが多かった。そうした噂や怪談の調査がずっとあとになってからある程度の真相解明をもって終了したり、あるいは未解明のまま打ち切られたりしていったのだけど、どちらにしても一度調べようと手を出したものに対しては必ずなにかしらの形で区切りがつけられていたはずだった。だけどきこさんの怪談についてはそういった区切りらしきものが記された部分は見つからなかったのだ。

 取材が続いていたこと自体は間違いないようだけど結局真相についてはどうなったのか。大昔に流行ったという怪談だったからあるいはほとんどわからないことだらけだったのかもしれないが、それにしたってあの緻密な活動記録を作成した執筆者が調査を中途半端な形でうやむやにするだなんて智子にはどうにも思えなかった。もしかすると実際は真相にたどり着いていてそこに至るまでの経緯もノートにしっかり記録されていたのかもしれないけれど、その後に神さまの祟り的なものが起きたりして恐ろしくなったので研究会メンバー自身の手によって調査記録の大半が抹消されてしまったのではないか。

 

(おおっ、コレいけるかも!)

 

 例のノートに妙な形で手が加えられていたことはちょっぴり気がかりだけれど、あくまで智子としては自身の創作怪談のヒントを得ることができればなにも問題はなかった。むしろこの妖怪の謎めいた部分こそが智子の創作意欲を強く刺激した。

「きこさんのことをむやみに調べようとしてはいけない。かつて面白半分で調査に乗りだした児童たちが祟りにあって全員不慮の死を遂げてしまった」とかなんとか、そんな感じの尾ひれを付け加えてやればきっと怖さが倍増しだ。家に帰ったら早速智くんにも神社のことを教えてあげよう。ウチの近くのこの森でかつて恐るべき祟り神が祀られていたなんて!

 智子はさっと立ち上がると学校から持ち帰ってきた諸々の荷物の重さをものともせずに我が家へ向かって風のように駆けだした。

 今日から夏休み、なにをして遊ぼうか──。

 

 ◆

 

 朝、智子が目を覚ますとまず庭の木にくっついているセミの控えめな鳴き声が小鳥のさえずりと一緒になって耳へはいってくる。それがなんとも心地よくて、彼らの生みだす爽やかな音色にまどろむことしばし。寝返りをうつと枕元に転がる携帯ゲーム機が目にはいってきたが、これは昨晩布団のなかで眠気の限界が来るまで遊んでいたからだ。

 

「姉ちゃん、体操どうすんの?」

 

 がらりと部屋の戸をあけ、そう聞いてきたのは智貴だ。これは子供たちの朝の日課となっているラジオ体操に行くかどうかをたずねているのだけど、それに対して智子は寝そべったままふらふら手を振って「行かない」とろれつの回らない口調で答える。そうしたらなにも言わず智貴が部屋のなかにはいってきて、勉強机の上に置いてあった智子のぶんのラジオ体操出席カードをさっと手に取りそのまま出ていった。これは体操に参加しない智子のぶんまでハンコを押してもらうためで、近ごろはもっぱらこんな感じでものぐさなお姉さんの偽装工作を手伝っている智貴なのだった。

 やがて庭のほうで智貴が「いってきます」と声をあげ、そのままサンダルを鳴らしながらどこかへ走り去っていく音が聞こえてくる。しばらくベッドの上でゴロゴロしていた智子だったけれど、そのうちすっかり目が冴えてきたものだから足で布団を跳ねのけ勢いよく飛び起きた。

 

「おはよう、智貴行っちゃったわよ?」

「うん」

 

 キッチンでは早起きのお母さんが朝ごはんの用意をしていて卵焼きを焼いているところだった。あいさつがてら弟が出かけてしまったことを知らされる智子だったけど、そのことはもうわかっていたので適当に返事するだけだ。そうしてリビングに置かれている足の短いテーブルの前に座り込んだ智子は、向かいにあるテレビの電源を入れてからリモコンを使ってなにかしらの画面へと切りかえる。

 

(今日はどれ見せてあげよっかなー)

 

 智子が見ているのはレコーダーの管理画面で、そこには彼女の好きなアニメ番組があれこれ録画されていた。去年黒木家が購入したばかりの新型レコーダーはビデオテープを使わなくても録画がおこなえるすぐれものだ。録った番組たちの管理もかんたんで、見たいものがあればすぐ呼び出すことができる。仲よしだった学校警備員のお兄さんに教えてもらったアニメなんかを智子は以前からよくこんなふうに録画していた。どの番組もびっくりするぐらい夜遅くに放送されているものばかりだったけど予約機能を使いこなす智子にとってはどうってことない。

 智子がさっきからリモコンをポチポチ操作して確認しているのは『涼宮(すずみや)ハルヒの憂鬱(ゆううつ)』というテレビアニメの、これまで録り溜めたぶんの一覧だ。今年の四月からはじまった智子お気に入りのこの作品は少し前に放送が終了してしまったのだけど、近ごろはこれを弟にもちょっとずつ見せてあげていた。

 

「智子、これ運んでちょうだい」

「はぁーい」

 

 適当なエピソードを選んだ智子はそのまま再生を開始して本編を早送りで確認しだしたのだけど、しばらくするとキッチンのほうからお母さんが用事を言いつけてきたので、ちょっと面倒くさそうにしながらも立ち上がって言う通りにする。お皿に盛られた卵焼きをテーブルに運んだあとは麦茶のはいったピッチャーと一緒に自分と弟のぶんのコップなんかも持ってきて卓上へと並べていく。そうしているうちお母さんが残りの支度もしてくれたので、智子は弟の帰りを待つことなくいただきますをする。

 開け放たれた窓から網戸ごしに入ってくる夏の音が智子の見ている早送りアニメのBGM代わりになっていたけれど、そのなかには近所の森から聞こえてくるラジオ体操のメロディなんかも混じっているのだった。

 

 智子の夏休みは順風満帆と言ってよかった。いつも通り朝ごはんを食べたらまずは弟とリビングで夏休みの宿題を進める。そしたらあとは週に何度かある塾の時間を除いてずっと自由なので智子は思うがままに遊ぶことができた。テレビゲームをやったり、アニメを見たり、弟やゆうちゃんを誘ってプールでたくさん泳いだりもした。読書感想文の本を借りるために図書館へ行ったときは事前に約束しておいたゆうちゃんとふたりで本を選んだりしたし、その帰りしな茂子浜のほうにあるイトーヨーカドーの大きなゲームセンターへ寄り道して、家じゃできないようなゲームにおこづかいを使ったりもした。他にも古本屋へ足を運んでマンガを長時間立ち読みしたり、学校のパソコン室が開放されている日はそこでネットサーフィンに没頭したりと数えあげたらきりがないほどだ。

 もちろん例の創作怪談についても熱心に取り組んでいた。図書館でいくつか借りてきた怪談集の本なんかも参考にしながら手持ちのノートに色んなアイディアを書き込んだり、あるいは納得がいかなくて消しゴムでごしごしこすったり。そうしてある程度形になってきたいくつかの怪談を登校日には今江先生へ聞かせてあげたりもした。

 すべては順調で、智子が日ごろ学校生活で感じてきたストレスもセミたちの鳴き声と夏の青い空のなかにすっかり溶け去ってしまったようだ。

 *

「えー、なんで行かないの? 行こうよー」

「姉ちゃんだけで行ってこいよ」

 

 智子は今、弟の部屋でカーペットに座りこんであぐらをかいていた。日課である朝の宿題を終えたあと、こうして智貴とふたりっきりで相談したいことがあったからだ。今日は学校のなかで「あること」を実行するつもりだったので、それに付き合ってもらいたい智子なのだった。

 

「また変なことしに行くんだろ? そういうのもういいって」

「よくない! 智くんはわたしの助手でしょ? だったらお姉ちゃんの研究を手伝う義務があるよね?」

「助手じゃねーし義務もねーよ」

 

 サッカーが得意な弟の智貴は地元のサッカークラブに所属していて、週に何回か練習へ参加したり、ときには試合なんかにも出たりしているのだが、こうした活動がお休みの日はここぞとばかりに智子の遊びに付き合わされていた。彼としても誰かの家に遊びにいったり、あるいは自分の家に友達を呼んだりしたいのだけど、智子に気をつかってかあまりそういうことはしなかった。だけどもこの日は珍しくお姉さんからの誘いに応じようとしない智貴なのだった。

 

「アイス買ってあげるからさ、ね?」

「いらない」

「あっ、わかった。智くん怖いんでしょ? 幽霊とかおばけとかホントに信じちゃってるんでしょ?」

「……」

 

 夏休みにはいってからというもの、智子は学校の七不思議をテーマとした自由研究を進めるにあたって弟に協力を要請することが度々あった。オカルト研究会は「なにごとも自分の目や耳で実際に感じてみることが大切」といったようなことをモットーにしていたし、智子が愛読しているマンガの作者である岸辺露伴(きしべろはん)というマンガ家もインタビューなどで「体験はリアリティを作品に生む」とか「自分の見たことや体験したことをかいてこそおもしろくなる」だなんて自信満々に主張していたから、それらに感化された智子は原幕小学校にかつて存在したというその怪談たちを自分自身の肌で直接感じ取ろうと体当たり取材をおこなっていた。だけどもひとりではなんだか心細いので智貴にも毎回ついてきてもらっていたのだ。とりわけ本日の試みはかなり本格的だったから、ここはぜひともお供がほしい智子なのだった。

 

「大丈夫だよ、ああいうのって実際は全部作り話だから。お姉ちゃんそういうの詳しいからわかるんだ」

 

 そうして現場──噂の出どころとなった原幕小学校──に出かけた智子たちがなにをするかといえば、怪談のなかで語られる「彼ら」があらわれたとされている出没場所を携帯電話のカメラ機能で撮影したり、あるいは彼らを引きつけてしまうとされるその行動をあえてやってみたりといったことだ。あるときは校内のどこかに潜んでいるという「六匹の人面猫たち」と出会うべく、持参した猫用の缶詰をスプーンでカンカン叩いて呼び寄せようとしたし、またあるときは負かした対戦相手の魂を吸い取っていくとされる「闇のプロゲーマー」の挑戦を誘うため、カードゲームや携帯ゲーム機、対戦型のおもちゃなんかを学校に持ち込んで延々と遊んだりもした。

 

「友達と行けばいいだろ。なんで俺ばっか誘うんだよ」

「ゆうちゃんはダメだよ。こういうの苦手みたいだし、怖がらせちゃったらかわいそうでしょ?」

「じゃあ他の友達と行けば?」

 

 だけどもこうしたことはお姉さんが近ごろ入れ込んでいるらしいその自由研究に興味のない智貴としては中々に苦痛だったようで、とうとうこうして難色を示すようになってしまったのだった。

 

「あ、うん……そ、それもダメかな。一応声かけてみたんだけどさ、みんなこういうのあんまり興味ないみたい」

「俺も興味ないんだけど」

「智くんはいいの、わたしの弟なんだから」

「意味わかんねぇ」

 

 押し問答が続くけれど智貴は決して首を縦に振ろうとしなかった。立ち上がった智子がアニメキャラの真似をして「お姉ちゃん命令よ!」だなんて弟をビシリと指さしながらせまってみたり、宿題手伝ってあげるからと交換条件を提示してみたり、ついには「お姉ちゃんのこと嫌いになっちゃったの?」と泣きおとしにかかってみたりと色々やったのだけどダメだった。しまいにはなにを言っても聞こえないふりをする智貴がお姉さんのことを無視して本を読みはじめるのだった。

 

「智くんのばかっ! もしわたしがきこさんに連れてかれちゃったら智くんのせいだからね!?」

 

 埒があかない弟にいい加減腹の立った智子が思わず怒鳴ってしまう。そうしたら今まで知らんぷりしていた智貴がぎょっとなって振り向いた。

 

「なにおこってんの……」

 

 わがままをやって困らせることはあれど智子が弟を面と向かってこんなふうにののしることはめったになかったから、お姉さんの剣幕におどろいた智貴は困惑した。それは智子のほうも同じだったようで言ったそばからばつの悪さを覚えてしまう。最近は心のなかでよく弟のことをばかばかとののしっていた智子だったから、それがとうとう表にも出てきてしまったようだ。

 

「だって、智くんが悪いんだもん。わたしの弟なのに、言う通りにしてくんないから……」

「いい加減にしてくれよ姉ちゃん。なんべん行きゃ気が済むんだよ」

 

 キュロットスカートのすそをギュッとにぎりしめた智子が、あくまで自分は間違っていないと言い張る。しかし智貴からすればそうした言いぶんはとても自己中心的なものに聞こえた。弟だからってなんでもかんでも言うことを聞かないといけないなんてあまりに横暴だ。それでも最初のうちは智子の奇妙な取り組みに付き合おうと、興味がないながらも素直に従っていた智貴だったけど、こう何度も振り回されてはさすがにうんざりしてしまう。

 

「今日はいつもと違うんだよ。特別なやつをやるんだよ。だから、ひとりだけだと危ないかもしんないし……」

「全部作り話だから大丈夫ってさっき自分で言ってたじゃんか」

「あっ、で、でも……!」

「なにするか知んないけど、そんなに怖いんならもうやめとけよ」

「別に怖くないし……」

「じゃあひとりで行きゃいーじゃん」

 

 話はどこまでも平行線をたどるばかりだった。智貴のほうも意地になってしまったのか、お姉さんのいいなりになるのはもう嫌だと言わんばかりにてこでも動かないつもりのようだ。

 

「もういいよ。智くんはそうやってつまんない夏休みをムダに過ごしてればいいよ」

「うんそうする」

 

 こうして両者の話し合いは決裂に終わった。すっかりヘソを曲げた智子は悔しまぎれに捨てぜりふを残していくのだけど、智貴のほうは涼しい顔でそうした言葉を受け流す。

 

「フンッ!」

「いてっ!?」

 

 部屋を去りぎわ、智子はベッドにあった枕をとっさにつかむとそれを弟に投げつけた。そうしてすぐさま自分の部屋に飛び逃げた智子は戸に鍵をかけて廊下の様子をうかがうのだけど、しばらく待っても弟が追いかけてくる様子がないので、やがておもむろにベッドへと寝転がった。

 

「せっかく智くんのことも有名人にしてあげようと思ってたのに……」

 

 しょんぼりとした様子の智子が力なくつぶやいた。智子としては自分の創作怪談が新聞に載って学校中から注目されるようになったらみんなに弟のことも紹介してあげるつもりでいた。〈原幕小の失われし伝説の最恐七不思議〉を現代によみがえらせることができたのは自分だけの力じゃない、助手である弟の協力もあってこそだと、そう教えてあげようと思っていたのだ。そしたらシスコンだなんだとからかってきていた智貴のあの友達だって一転して自分たち姉弟に尊敬のまなざしを向けてくることだろう。

 

(もしかしてわたしと一緒にいるのが嫌なのかな……?)

 

 ふと智子の心にそうした考えがわきあがってくる。なんとなく、うすぼんやりとだけど前々からそんな感じの不安がちらりと頭をよぎったりしていた智子だったから、これはもしかすると本当にそうなのではないかと思えてきたのだった。気づかないうちになにか嫌われるようなことをしてしまったのだろうか。進級してからというもの妙に付き合いが悪くなったのもそれが理由だろうか。おかしいな、いつも優しくしてあげているのになと考えたところで、さっきのケンカのことが思い起こされる。仲よしなはずの弟に普段なら言わないようなひどい嫌味を言ってしまったし、いじわるして枕までぶつけてしまった。かわいそうだからあやまってあげようかなと殊勝なことを思ったりもしたのだけど、姉である自分のほうが偉いのだからわざわざ弟にそんなことをしなくてもいいという考えにやがて打ち消されてしまった。

 

「は────……」

 

 やがて体を起こした智子は近ごろすっかり癖になった長いため息をつきながらベッドからおりる。弟がどうしても協力を拒むというのなら仕方がない、あとは自力でやっていくしかない。一応はそう考えなおした智子だったから、ひとまずこれから学校へ向かう準備をはじめた。もたもたしていたらお盆が終わってしまう。ここ数日は家族でお祭りに出かけたりお墓まいりに行ったりして中々時間が取れなかったからお盆期間は今日を残すのみとなってしまった。ちょっと前に智子が接触を図ったある情報筋によれば、本日学校で試してみるつもりの「儀式」はお盆中におこなわないといけないという決まりがあるらしい。あくまで参考としてやってみるだけなのだから別にこの辺りは適当にしてもよさそうなのだけど、本格派を気取る智子としてはこうした点をおろそかにしてはいけないという考えのようだ。

 お盆のあいだはあの世とこの世の境目がいつもより薄くなるから不思議なことが起こりやすい。だから儀式もあえてそうした期間におこなうのだと、智子はしわくちゃ顔の長生きばあちゃんから聞かされていた。智子はこの夏休みを利用してゆうちゃんの家にお泊りさせてもらったりもしたのだけど、そこに住むひいおばあちゃんに前々から思っていたことを質問してみたところこれがドンピシャだった。大昔に流行ったとされる「妖怪きこさん」の話は地元に住むご老人から教えてもらったものであると例のノートに書かれていた。そして智子の思っていた通り、そのご老人こそがゆうちゃんの家のひいおばあちゃんなのだった。

 いわく、希心神社の祭神(さいじん)であるきこさんはもともと子供たちの守り神として知られていた存在だったそうで、お盆の時期になると希心ノ森のなかでお祭りがひらかれ近隣の村や町から子供たちがおおぜい集まってきていたらしい。だけども大きな災害があって神社が倒壊してしまったあとは、建物の再建もなされずお祭りの風習もそのまま途絶えてしまったという。

 神社がなくなってから数年ほどして、原幕小学校の敷地内に小さな祠が新しく建立(こんりゅう)された。これはきこさんを祀るお(やしろ)で、希心神社の神主さんがせめてこうしたものだけでも残してほしいということで当時の校長先生に働きかけて学校に置かせてもらったものだった。どうして希心ノ森の境内じゃなく学校のほうを選んだのかといえば、いつもおおぜいの子供たちのそばにいられるような場所であれば子供好きのきこさんも喜んでくれるだろうという考えあってのことだ。

 学校のなかでひとつの事件が起きたのはそれからしばらくしてのことだった。

 *

「智子、なにしてるの?」

「あっ、な、なんでもないよ」

 

 人目を盗んで冷蔵庫の野菜室を漁っていた智子は、お母さんからその行動を見咎められると慌てた様子で取りつくろう。

 

「あっ、そ、そうそう! 今からちょっと学校行ってくるから」

「また? 智貴がもう行きたくないって嫌がってたわよ」

「大丈夫だよ、智くんは置いてくから」

「あらそう。お昼までにはちゃんと戻ってきなさいよ」

「あ、うん、わかってる」

 

 そんなこんなで準備を終えた智子が、いってきますのあいさつをしてから玄関を飛び出していく。車庫に置いてある補助輪付き自転車をひっぱり出して、手にしていたリュックをカゴに放り込み、道路に出たところでサドルにまたがりペダルをこいでいく。さっきまでクーラーの効いた部屋にいた智子だったけど、近ごろ日焼け気味な自分の肌が夏の強い日差しを受けて急にあっためられていくのを感じる。今は午前八時の半分をちょっと過ぎたぐらいで、段々と日が高くなってきたからサンバイザーがないと目もあけづらいほどだ。

 行きしなにお菓子や飲み物を買っていくつもりの智子だったけど、希心ノ森を抜けた先にあるなじみの駄菓子屋にさしかかっても自転車のブレーキをかけることはせず、店内をいちべつするとそのまま素通りしてしまうのだった。それはお店のなかに子供たちが何人もいて、奥のほうでカードゲームをしているのが見えたからだった。あの子たちに見つかって「()()()()クイーンがいたぞ!」だなんてからかわれてしまわないよう、早くこの場を離れたい智子はペダルをこぐ力を心もち強める。

 カードゲームが得意だった智子はもともとこの駄菓子屋でよく他のお客の子供たちに交じって遊んでいて、その腕前も中々のものだった。だけどもお店のなかに貼られた対戦ランキング表の一位のところに自分の名前を刻もうと企んで、みんなとの勝負に必ず勝つため度々ズルを、つまり「イカサマ」をしてしまったのだった。そうした智子のやましいおこないがバレたのは念願叶ってランキングのトップまでのぼりつめたころで、いつものようにイカサマをやろうとした際にうっかり手元が狂ってしまい、とうとうみんなの前で手の内をさらけだしてしまう羽目になったのだ。そばで応援してくれていた弟がそのときどんな顔をしていたのか、智子はもうおぼえていない。一刻も早くこの忌まわしい記憶を頭のなかから消そうと努力していたからだ。

 

 コンビニで買い物を済ませた智子はやがて学校に到着し、駐輪場に自転車を止めた。そうして守衛室にいる怖い顔つきのおじさん警備員──智子は以前この人にこっぴどく叱られたことがある──にしどろもどろあいさつをして、正門から続くその並木道をてくてく歩いていく。校内は夏休み前と変わらずセミたちの鳴き声で大盛況だったから、智子はまるで音の海をかきわけてつき進んでいるような錯覚におちいるのだけど、いかにも夏休みといったこの感じが嫌いではなかった。

 何年か前の夏休みに弟と希心ノ森でセミのぬけがらを集めて売ろうとしたこともあったっけ。ペットショップに持ち込んだはいいものの結局門前払いをくらってぬけがらたちはムダになってしまったけれど、それらは思い出深い「なつのかけら」として箱のなかへだいじにしまってある。

 今はお盆期間中なので、いつもなら運動場で練習に励んでいるはずの野球チームやサッカークラブの姿がない。こう暑くては外を出歩く気にもなれないからか、わざわざ学校をおとずれて遊んでいるような子供たちもいなかった。それでも駐車場には車やバイクが少しだけ止まっていたので、学校の先生たちの何人かはお盆なのに休暇も取らず仕事をしに来ているのだろう。大人になって働くとちょっとだけしか夏休みをもらえなくなるからつらいだろうなと、今江先生のことがかわいそうに思えてくる。

 もしも先生が小学生で、しかもクラスメイトだったりしたらどうだろう。それはきっとすごく楽しいに違いないし学校に行くのも嫌じゃなくなるかもしれない。先生も誘って新生オカルト研究会を立ち上げてみようかな。そしたら会長は誰がいいだろう。なってみたい気もするけど、先生が会長でわたしは副会長なんて感じもアリかもしれない。智くんはわたしの助手兼雑用係で決まりとして、あとはゆうちゃんにウチの学校へ戻ってきてもらわないと。ゆうちゃんはちょっとバカだから頭を使う仕事は無理そうだけどお茶くみぐらいならできるかもしんないな。書記係として本が好きそうなメガネの女子なんかもいたら完璧だけど、知り合いのなかにそれっぽい子はいないからまあいいや。前に同じクラスだった、今は図書委員をやってるらしいあの子(名前は忘れた)がちょっぴり頭に浮かんだのだけど、あれはなんだかいけ好かないので絶対入会なんかさせてやらない。

 

(よし、こんくらいでいいや)

 

 智子は農具置き場にあったスコップを使い、持参した大きめのポリ袋に地面から掘りだした土を詰め込んでいた。彼女がしゃがみ込んでいるのは体育館とプールのあいだにある学級農園で、儀式に使うからとここの土を少しばかり拝借していたのだった。

 立ち上がった智子がふとうしろを振り返り、なにかをうかがうような様子を見せた。視線の先にあるのは飼育小屋で、コッココッコ、グワッグワッと、チャボやアヒルたちの鳴き声が聞こえてくる。

 

(もう帰ったかな……?)

 

 飼育小屋に人の気配がないことを確認した智子が安心した様子でそちらへ駆けていく。そうして小屋の前の日陰になっているところへしゃがみ込んだ智子が、リュックから取り出したなにかを金網の隙間へと差し込んだ。

 

(おー食べてる食べてる)

 

 智子は飼育小屋のウサギたちに野菜を与えていたのだった。大根の葉っぱだったり、お母さんが料理に使うためにスライスした人参の余りものだったりと色々だ。智子の前に群がる白や黒のふわふわなウサギたちは一心不乱に口を動かしてあっというまにそれらをたいらげてしまう。その様子がおもしろくて智子は次々に野菜を与えていった。

 

(飼育委員だったら好きなだけ抱っこできるのになぁ)

 

 もっともっとちょうだいと、ウサギたちが金網の前でものほしそうに鼻をひくひくさせていたのだけど、そんな彼らを見ているうちに智子はウサギたちとじかに触れ合ってみたくなる。五年生になりたてのころ、クラスのなかで誰がどの委員会に参加するかを決めることになったのだけど、その際に智子は飼育委員に立候補したことがあった。四年生のころは率先して学級委員をやりたがっていた智子であったが、動物全般がそれなりに好きでもあったので今学年からは彼らのお世話をしてみたかったのだ。だけども自分を含め希望者が六人もいて定員オーバーだったから、そのなかから二名だけを選出することになった。最初はふたりずつに分かれてジャンケンし、さらにそこから勝ち残った三人でまたジャンケンする。ここでひとりが勝ち抜けていったので、智子は残ったもうひとりと改めて勝負することになった。

 この相手がよくなかった。智子はそのジャンケンに無事勝利したのだけど、負かした相手が誰の目にも明らかなほど不機嫌になり、あろうことか智子に詰め寄ってきたのだった。まるで獣のような恐ろしい目つきでにらみつけてくるその剣幕にすっかり怯えてしまった智子は、どうにか相手のいかりを鎮めたくて「じゃあもう一回やろう」と再勝負を提案したのだった。結果、あっさり負けてしまった智子はせっかくつかんだ飼育委員の座をみすみす手放し、枠余りの体育委員をやる羽目になってしまった。

 

「おいっ、なにしてんだてめー!」

 

 背後からいきなり怒鳴られたので智子は跳び上がりそうになった。声のしたほうを振り返ってみれば、ひとりの女の子が肩をいからせながらずんずんとせまってきていた。

 

「あっ、な、な、なに……!?」

「ヘンなモン食わしてんじゃねーよ! ハラ壊すだろーが!」

 

 それは智子が普段から苦々しく思っていたあのヤンキー娘だった。自由参加のプール実習はおろか、ちゃんと出席しないといけない普通の登校日までサボっていた彼女だったから、智子がこうしてその姿を目にするのは終業式以来だ。ヤンキー娘の着ているだぶついた半そでと半ズボンは見事にまっくろで、なんて書いてあるかわからない金色のとげとげした刺繍文字なんかもあしらわれている。智子としてはこれだけでも身構えてしまいそうな格好なのだが、それを着ている本人こそがもっとも警戒を必要とする相手だったので、まるで野放しの猛獣に出くわしてしまったかのような反応をする。

 

(最悪だ! 帰ったと思ったのに!)

 

 智子が学校へやってきたとき、このヤンキー娘は飼育小屋でペアの子と一緒に動物たちの世話をしていた。だから智子は彼女がいなくなるまで待っていたのだ。日ごろからこの乱暴者とうっかり接点を持ってしまわないよう気をつけていた智子だけれど、ここに来てとうとうやらかしてしまったようだ。

 

「べっ、べつに、ヘ、ヘンなのじゃないよ」

「ああ?」

「ほ、ほら、これ、や、やさい、あげようかなって……」

 

 立ち上がっておどおどした態度で説明する智子は、手にもつ小さなポリ袋を差し出してみせる。それを見たヤンキー娘はさっと袋を取り上げると、まだ残っていたその中身を検分しはじめた。

 

「まさかタマネギとか食わせたりしてねーだろーな?」一応納得したらしいヤンキー娘は袋を突き返してきたのだけど、それでもまだ気になる点を問いただしてくるので、

「し、しないよ。毒だもん……」と答えてやる智子。野菜だからってなんでもかんでも与えてはダメで、いま名前が挙がったような類のものをウサギが食べてしまうと中毒になることを智子は事前にインターネットなどで調べて知っていた。

「こいつらのエサはわたしらがちゃんと食わせてやってんだから余計なことすんじゃねー。わかったか?」

「う、うん……」

 

 ともあれ飼育委員でもないのに動物たちへ勝手にエサを与えてはいけないと注意を受けてしまった智子だけれど、なんだかしゃくぜんとしない。「本当はわたしが飼育委員だったのに!」と、目の前のヤンキー娘に対する反感がふつふつとわいてくる。過去にジャンケン勝負でゴネた末、智子から飼育委員の座を奪っていったというのは他の誰でもないこのヤンキー娘だったからだ。

 

吉田(よしだ)さん」

 

 またひとり、別の誰かが智子たちのほうへ声をかけながら歩み寄ってきた。それは明るい栗色の髪をしたそばかす顔の女の子で、さっきまでヤンキー娘と一緒に小屋の掃除をしていたもうひとりの飼育委員だった。

 

「どう? とんすけちゃん、いた?」

「いや、まだ見つかんねー」

 

 心配そうに問いかける女の子にやれやれといった様子で答えるヤンキー娘。どうもふたりはなにかを探しているようだった。

 

「今江先生がね、一緒に探してくれるって」

「おっ、そうか」

 

 智子がなんとはなしにふたりの会話を聞いていたところ、今江先生の名前が出たのでおやっと思う。一体なにが起きたというのだろうか。

 

「おい、おまえ」

「えっ? あ、はい」

「そのへんでウサギ見なかったか? 逃げやがったんだよ」

「あっ、し、知らないけど……」

 

 ヤンキー娘が急に話を振ってくるが、どうやら飼育小屋からウサギが一羽逃げだしてしまったということらしい。そんなの見てないと智子が答えれば、舌打ちしたヤンキー娘が「メンドくせーなぁ」と頭をかく。彼女の髪は以前にも増してメッシュの量が増えていたから、それに気づいた智子が眉をひそめた。

 

(さすがヤンキー、夏休みになるとすぐこれだもんなぁ……)

 

 それまで普通の髪色だったヤンキーが夏休みになった途端に頭をド派手に染めあげたりする。そんな事例は世のなかにたくさんあるから、マッキンキンというほどではないにしてもそれなりに髪の毛をあれこれいじっているこのクラスメイトはやはりヤンキーに違いないのだと、智子はますます彼女に抱いていたその偏見を深めるのだった。

 

「あ、えと、じゃあわたし、帰るから……」

 

 このままだとウサギ探しを手伝えと言われそうな気がしたから、そうならないうちに智子はおいとますることにした。ヤンキー娘もそうした智子を特に引きとめることはせず、そのままペアの飼育委員の子とともにA棟の裏手に広がる雑木林へとはいっていくのだった。

 

「ふ────……」

 

 ひとまず猛獣から逃れることができたと、智子はありったけの空気を吐き出して胸をなでおろした。この夏休みのあいだ、学校に立ち寄った際はいつもウサギたちに野菜を与えていたし、飼育委員の子たちからも特にもんくは言われなかったが、今日は運悪くあのヤンキー娘が当番の日に来てしまったみたいだ。智子のなかでは厄介者扱いな彼女だったけれど、ちゃんと動物たちの面倒を見ているようで、彼らの体調管理にも神経をとがらせているらしい。

 ともあれ本来の目的を果たすため、気を取りなおした智子は目当ての場所に向かって歩みを進める。

 *

(誰かいる……?)

 

 智子の視線の先ではひとりの女の子が大きな老木の下にあるベンチへと腰かけていた。これから儀式をおこなうつもりの智子であったが、人の目があるとなんとなく恥ずかしいので出来ればどこかへ行ってくれないものかと思ってしまう。もし弟が一緒に来ていたら恥ずかしさも半分こということで他人がいようとお構いなしでいられたのだけど、ひとりぼっちだとなにをするにも周囲の目が気になってしまう。

 

(よし、いっちょ追っぱらってやる)

 

 お昼までには家に帰らないといけない智子であったが、まだまだ時間には余裕がある。だから邪魔なあの子がそのうちどこかへ去っていくのを気長に待っていようかとも考えた。だけどもよくよく確認してみれば、遠目にもなんとなくだが見覚えのある相手であることがわかったので智子は一計を案じる。

 

「あっ、あのっ、ちょ、ちょっといい……?」

「えっ?」

 

 智子が勇気を出して声をかけたのはふたつ結びの髪型が特徴的なクラスメイトの女子だった。いつだったか前方不注意が祟った智子は登校中にこのクラスメイトとぶつかってしまったことがあったのだけど、彼女はあのときと同じようにイヤホンをつけていた。セミたちの鳴き声が届きにくいこの場所で音楽を聴いていたようだ。

 

「ごめん、なに?」

「あっうん、その、ちょ、ちょっといいかなって……」

 

 最初に智子のかけた声がよく聞き取れなかったのか、シャカシャカと音が漏れてくるそのイヤホンを外した女の子が改めて聞き返してきた。なのでまた同じ言葉を繰り返す智子だったけど、悪いことを企んでいるからか、ただそれだけのことで心臓が嫌な感じにどきどきしてしまう。

 

「えと、その、とっ、友達が……う、ウサギ、探してたけど」

「あー、うん」

「し、飼育委員だから、す、すごく困ってたみたいだよ?」

 

 これは智子の作戦だった。ヤンキー娘とペアで飼育委員をやっていたあのそばかす顔の女子は、たしか目の前にいるこのふたつ結びの子と友達同士ではなかったかと、智子はおぼろげながらもそう記憶していた。

 

「そうだね」

「い、行かないの? その、一緒に探してあげたりとか……」

 

 だから智子としては、友達が困っていると教えてやればきっとこの子はすぐさま助っ人に向かうだろうと踏んでいたのだ。

 

「大丈夫だよ」

「あ、そ、そうなの?」

「うん」

 

 だけどもふたりの会話はそこで終わってしまった。智子の問いかけに簡単な受け答えをしたあと、我関せずなその子は腰を上げる気配も見せず、再びイヤホンをつけて音楽を聴きはじめる。

 

(なんだよ! ちょっとぐらい手伝ってあげようとか思わないの!?)

 

 自分だって似たようなものなのに、それを棚にあげた智子は相手のマイペースぶりに腹が立ってしまう。ともあれせっかくがんばって声をかけてみたというのにこれではくたびれ損なのだった。

 

(あれだね、最近の小学生はきっとこんなふうにドライなやつばっかりなんだ。うわっつらだけの友情しかないんだ)

 

 ゆうちゃんと自分のように特別な絆で結ばれた友情というのはそうそうあるものではない。自分がいまだにクラスへ溶け込めないでいるのもひょっとするとたまたま薄情な連中ばかりがクラスメイトになってしまった結果なのかもしれない。だとしたらわたしはなにも悪くないし、どう考えてもおまえらが悪いのだ!なんて、そんなふうにまたどこかのおばけみたいなことを智子は考えてしまう。

 五年生になりたてのころ、智子はクラスメイトの女子グループが自分たちの好きな少女マンガの話題で盛り上がっていたのを見かけた際にすかさず割ってはいったことがあった。まだ進級したばかりでクラスに女子の知り合いが少なかったから新しい友達を作るためのきっかけがほしかったのだ。だけども結局そのときの相手と仲よくなることはできなかった。ほどなくして向こうのほうから無視してくるようになったからだ。智子としてはそのようなことをされる理由がまるでわからなかったから、これにはまいった。彼女たちとのおしゃべりのなかで「あのマンガつまんないよね、わたしああいうの大嫌い」と率直な感想を口にしたような気もするけどそれが原因とも考えにくい──と、智子自身はあくまでそう思っている。

 

(もういい! 無視だ、無視。いないもの扱いしちゃおう……)

 

 策のやぶれた智子であったがいっそひらきなおることにした。このロクに話したこともないクラスメイトにどう思われようと構わない。どうせこれから先も関わりなんて持たない相手なのだから気にせずこっちはこっちで好きにやってやろう。そう考える智子は早速儀式の準備に取りかかった。さっきポリ袋に詰め込んでおいた土を用いて智子は老木の根もと辺りに小さな山を作りはじめる。そうしてスコップや手で形を整えたら今度はリュックのなかからなにかを取り出したのだけど、それは二本のナスビだった。一方は短めで丸々としていて、もう一方は細長い。これは今朝お母さんの目を盗んで冷蔵庫からくすねてきたもので、本当は二本のうち一本はキュウリがよかったのだけど、無かったので似たような形をしたナスビで代用することにした。

 

(これをこうしてと……)

 

 続いて取り出したのは割り箸を細かく切断したもので、それをさっきのナスビたちへと次々に突き刺していく。そうしてできあがったのはナスビに四本足を生やした動物のような置き物だ。これは精霊馬(しょうりょううま)というもので、お盆の時期にお供えものとして使われたりする。

 

(あとはこいつを、このへんに……)

 

 その二匹の精霊馬を土で作られた小山(こやま)の前に飾った智子は、最後の仕上げにと新たにリュックから取り出した折り紙も添えてやる。その折り紙は鳥のような形をしていたのだけど、智子としてはタカのつもりだった。この日のためにと折り方を調べて作っておいたものだ。もっと言うと智子のこしらえた土の山も実は富士山を模していたりする。

 

「それ、なに?」

「へっ?」

「なんでそんなことしてるの?」

 

 それまでいないもの扱いしていたふたつ結びの子が突然話しかけてきたので智子はびっくりした。彼女は智子がさっきから奇妙なシロモノをこしらえていたことに興味がわいたらしく、一体なにを、なんのために作っているのかとたずねてきたのだ。

 

「あっうん、えと、さ、『祭壇(さいだん)』だよ」

「さいだんって?」

「えーっと、ほら、儀式とかやるときに使うやつで……なんか神さまにお供えものとかするためのやつっていうか……」

 

 智子としても「祭壇」という言葉の意味は詳しく理解していなかったけれど、とりあえずそんな感じのものだろうという自分のざっくりとした認識をそのまま伝えてやった。そしたら納得したのかしないのか、まるで心のうちが読めない表情をしている相手の子は「そう」と一言返しただけでそのまま黙り込んでしまった。

 

「あっ……き、きこさんって知ってる?」

「知らない」

 

 まだ「なんのために祭壇を作っているのか」のところを教えてあげていなかったから、改めて口をひらいた智子がそのように切りだしてみる。すると相手はそっけない口調で否定したのだけど、智子のように例のノートを読んだのでもなければ大昔にこの学校で噂されていた妖怪のことなど知っているはずがないので当然だ。

 

「ずっと昔にさ、ウチの学校になんか、そういう怪談があったみたいで……」

「トイレの花子さんみたいなの?」

「全然ちがうよ、もっとヤバいやつ。出くわすと首に縄とかつけられて連れ去られちゃうんだ」

「ふーん……」

「すごい昔の事件だからニュースとかになってないけど、実際にきこさんのせいで行方不明になっちゃった子が何人もいたんだって」

「そうなんだ」

 

 きこさんという妖怪に関するこうした逸話は、なにも智子が尾ひれをつけようとしてでっちあげたものではない。これは親友のひいおばあちゃんの口から直接語られたことなのだ。智子たちのかようこの茂子原市立原幕小学校が今とは違って〈原幕町里崎(さとざき)尋常高等小学校〉という名前で呼ばれていたぐらいの大昔、おばあちゃんのいた学級ではある年の夏休みが明けてからというものひとつの話題で持ちきりになっていた。その内容は「夏休み中に学校へ出かけた児童たちがそのまま行方不明になってしまった」というものだった。実際にこの夏休みのあいだに数人の子供たちが行方をくらませており、地元の大人たちが警察と一緒になって校内はもちろん町中いたるところまで探しまわったりとずいぶんな騒ぎになっていたのだけど、結局彼らが見つかることはなかったらしい。そうした痛ましい集団失踪事件とくだんのきこさんとがどう関係しているのかと言うと……

 

「あ、でね、ちょっとそのきこさんを呼びだす儀式をやろうかなって」

「大丈夫なの、それ」

 

 子供たちの消えた理由については様々な憶測が当時の児童たちのあいだで飛びかったのだけど、そのなかでもっとも信じられていたのが「きこさんによる神隠し」という説だった。いなくなった子供のうちのひとりと親しかった児童が言うには、どうも彼らはお盆のあいだに学校へと集まり、かつて健在だったころの希心神社にて毎年おこなわれていた「きこさん祭り」を自分たちだけでやろうと計画していたらしいのだ。事件当時、失踪した子供たちの姿を学校のなかで見かけたという先生もまたそれを裏付けるような証言をしており、話によれば子供たちは校内にあるご神木──今まさに智子たちの目の前にある老木がかつてそう呼ばれていた──のところへ集まって、そこに設けた即席の祭壇にお供えものをしたり、なにやら祭文(さいもん)のようなものをみんなで唱えたりしていたそうだ。それからほどなくして彼らの姿が見当たらなくなったのでてっきり家にでも帰ったのかと思った先生だったけれど、その日の夕方には各自の親御さんから学校へ相談があり、全員そろって行方をくらましてしまったことが明らかになったのだった。

 そうした背景があったものだから、当時の児童たちはすっかりこの「きこさん」の存在を信じてしまい、恐怖するとともにたちまち夢中になっていった。かつて子供たちの守り神として崇められていた【喪蠱原忌孤神(もこはらのきこのかみ)】が数年前に起きた希心神社の崩壊とともに祟り神と化してしまったのではないか。少し前に校内へ設置されたあの奇妙な祠がそうしたきこさんを学校のなかに引き入れてしまったのではないか。誰かが言いはじめたこのような説はまたたくまに受け入れられていくこととなる。

 自分たちの学校には決しておこなってはならないことがある。それは「きこさん祭り」という禁断の儀式で、もしそれを学校のなかでやってしまうときこさんが子供たちをさらいに来るのだから。こうしたきこさんの怪談が誕生するのにそう時間はかからなかったし、その後も児童らの手によってどんどん尾ひれを付け加えられていった。きこさんは犬が好きなので、目をつけられた子供は犬の姿へと変えられて首に縄をつけられ飼われてしまうだとか、飼われてしまったあとはどこまでも引きずられていって死ぬまで散歩させられるだとか、あるいは犬に限らず動物をいじめたりする者がいるとおこってお仕置きしに来るとか、とにかく子供たちの想像力の及ぶ限りのことが日々噂されていたのだった。

 そもそもきこさんとはなんなのかと、その正体についてもあれこれ真面目に考えられていたようで、例えばきこさんはもともとこの地方一帯をおさめていた原幕藩主・里崎なにがしの夭折(ようせつ)(若いうちに死んでしまうこと)した息女の幽霊で、藩主の屋敷跡に立っているこの学校を自分の家のように思っているだとか、はたまた平安時代に茂子原の地──そのころは「()()原」と書いた──で恐れられた怨霊たちの首領であり、それを御霊(ごりょう)信仰にもとづいて祀ることで鎮めようとしたのが希心神社のはじまりであったとか、そのような意見が学識のある一部の児童のあいだで交わされていたらしい。

 こういった小難しい話題を含む当時の噂をくだんのひいおばあちゃんは実に細かく覚えていたので、ひ孫のゆうちゃんと違って頭がいいんだなと、智子は実に失礼なことを考えたりしたものだ。

 

「どうかなー。もしかしたら本当にヤバいのが出てきちゃうかもよ。どう? 怖いでしょ、この話」

「ああ、うん、まあ」

 

 ビビってるビビってると、相手の反応を確認した智子はご満悦だった。この妖怪の話は智子が編纂(へんさん)(色んな話や資料をひとつの書物へまとめること)を進めている原幕小七不思議のなかでもとっておきなのだ。これまで蓄積してきた諸々の怪談や噂話の情報をもとにした自分流の七不思議を構想している智子だったが、幼いころから慣れ親しんできたなじみの森にゆかりのあるきこさんについては特に力を入れていた。噂が流行ったその当時を知るご老人の生の証言や、図書館所蔵の郷土資料から得た知識なんかも裏付け情報として話のなかに盛り込んでやればいよいよ「本物っぽさ」が増すというものだ。いま目の前の女の子に教えてあげたのはあくまで怪談のさわりの部分に過ぎない。だけどそのうちクラスで自由研究の内容を発表するときに完成バージョンの話を教室のみんなに聞かせてやればきっと震え上がるはずだし、うまく行けば原幕小のなかできこさんがブームになるかもしれないと、そのように思った智子は内心でほくそ笑む。

 

「ま、今からそいつを確かめてみるからさ。ちょっとそこで見ててもらっていい?」

「別にいいけど……」

 

 よくよく考えれば目の前の女の子にはこの場で一緒にいてもらったほうがいい。そうしたら怖さも半分こだ。正直ひとりだけで儀式を実行するのは不安だったけど誰かしらそばにいてくれるのなら安心感がわいてくる。だからせっかくなのでこの名前もろくに知らないクラスメイトにちょっと付き合ってもらおうと智子は思った。いないもの扱いを解除して存在を許可してあげるのだ。

 きこさんを呼び出す儀式である「きこさん祭り」の具体的な方法についてもかのご老人から聞き出していた智子だったけれど、これが最初のうちは中々教えてもらうことができなかった。あれはとても危ない儀式だから面白半分でやってはいけない。なので()()()()()には教えてやれないと、そう断られてしまったのだ。ずっと前、自分のもとをたずねてきたオカルト研究会のメンバーに一応警告はしつつもこの方法を教えてしまったおばあちゃんだったけど、のちに改めて会いに来た代表者の子から「今後もし誰かに同じことを聞かれたとしても儀式のやりかたは絶対教えないようにしてほしい」と念入りに頼まれてしまったらしく、それもあって口を閉ざしているのだった。

 このいわくありげな逸話を前に、智子は怖がるどころかむしろおおいにワクワクさせられた。やはり研究会はきこさんの真相にある程度までたどりついていたのだと、自分のそうした推測がズバリ当たっていたことに喜びをおぼえたのだ。おばあちゃんから得られたきこさん情報の大半は例の活動記録ノートに書かれていないものだったのだけど、それはやはり研究会があとになっていくつかの部分を意図的に伏せたからに他ならないと、智子はこのときそう確信した。

 

(大丈夫、きっとなにも起きない。あの人たちだってなんともなかったんだから)

 

 オカルト研究会が残したノートのいちばんうしろのほうには、主要メンバーの卒業をもって解散することとなった彼らによる最後の活動記録が載っていた。そこには会のこれまでの歩みや、仲間とともに積み重ねてきた数多くの思い出なんかが感慨をにじませる言葉でつづられていたのだけど、それを見る限り結局なんだかんだで研究会のメンバーは全員なにごともなく無事でいるらしいことがうかがえた。誰かが祟られて死んだとか、病気になったり頭がおかしくなったとか、そんなことは特に書かれていなかった。だからまあきっと大丈夫でしょうと、智子はあまり深刻に考えずこのたびの儀式に挑んだのだった。研究会のメンバーがなぜきこさんに関する調査記録の大半を抹消したのかはうかがい知れないが、なにごとも実践第一を貫いてきた彼らだったのできっとこの儀式も自分たちで実際に試してみたに違いないと、智子はそうにらんでいる。

 

「えー、オホン。それではこれより『きこさん祭り』をはじめます」

 

 リュックのなかからノートを取り出しひらいた智子がなにやらわざとらしい様子でかしこまったようなことを言う。そばにいる女の子をちらりと横目でうかがってみれば、愛用のイヤホンも外したままですっかり智子の動向に注意を向けているようだ。表情らしい表情は浮かべていないけれど実はこう見えて興味津々なのかもしれないと、智子にはなんとなくそう感じられたのでちょっぴり得意げな気持ちになる。

 

「きこさん、きこさん、いらっしゃい。わたしと一緒に遊びましょ。おててつないで、遊びましょ。お相撲とって、遊びましょ。なくしたものを、見つけあげる。犬もわんわん鳴いてるよ」

 

 祭壇の前に正座しなおした智子はノートに書かれたその内容をハッキリとした口調で唱えていく。これはきこさんを呼び出すための祭文だそうで、例のおばあちゃんが教えてくれたものだ。親友の家にお泊りしたその晩、飼われているぶち模様の猫を抱っこしながら寝ていた智子は、電気もつけず部屋へはいってきたおばあちゃんからそっと起こされた。足が不自由なはずのおばあちゃんがそのときばかりは自力で歩いてきたようだったからびっくりしたのだけど、ともあれそばで寝ているゆうちゃんに気をつかってか、おばあちゃんはひそひそ声で智子に儀式の具体的な方法を伝えてきたのだった。やがておばあちゃんは去っていき、智子もそのまま眠ってしまったのだけど、翌朝起きたあともいやにその記憶がはっきりとしていたので忘れないうちにノートへ書きとどめておくことにした。あれだけ教えることを渋っていたはずなのにと、その急な心がわりが気になりはしたけれど、もしかするとちょっとボケかけているのかもしれないとひとまず納得した智子は昨晩の奇妙な出来事をおばあちゃんにたずねることなくおいとましたのである。

 

「きぇーい! きぇーい! きこさん、きぇーい!」

 

 最後は丸めたノートをにぎりしめ、神社の神主さんっぽく振り回してみせる。智子のその珍妙な叫びは数回ほど繰り返され、やがて終息した。

 

「ふぅー……」

 

 肩の力を抜いた智子が小さく息を吐く。どうやらこれで儀式は終了のようだ。しばらくのあいだ不安げに周囲を見回していた智子であったが、やがてよいしょと立ち上がって膝についた土を払っていく。

 

「あ、な、なにも起きないね……」

「そうだね」

 

 結局智子が頭の片隅で心配していたようなことはなにも起こらなかったからひと安心だった。だけどもそばにいる見物客へもったいつけていたわりにこの味気ない結果だったのでなんだか少し恥ずかしい。これでは完成版の怪談を聞かせてやる機会がおとずれてもこの子だけは怖がらないかもしれない。

 

(ま、いいや。他の話でうんと怖がらせてやろっと……)

 

 ネタは他にもまだまだある。そのうちのどれかで彼女をちびるぐらい怖がらせてやれるかもしれない。そのぼんやりした顔をいつか恐怖に歪めてやるぞと、智子はそんなふうに対抗意識を燃やすのだった。

 

(さて、帰るか)

 

 本日の用事はこれで済んだ訳だからもう学校に留まる必要はなかった。なじみのパソコン室も今日はあいてないし、ウサギたちへのエサやりだって中途半端ながら一応は済ませてきた。だからそろそろ帰宅して今日の出来事を弟に聞かせてあげよう。ひとりでも全然怖くなかったよ、助手失格の智くんはもう用済みだねと、そんなことも言ってやろう。などと考える智子がベンチの上に置いてあったリュックにノートを戻し入れる。

 

(あれ? どこいった……?)

 

 土の山はこのままほったらかしにするとして、ナスビはあとで冷蔵庫に戻しておかないとお母さんにバレてしまうかもだからちゃんと持って帰るつもりでいた。なので彼らを回収しようとしたのだけど一本足りないことに智子は気づく。丸々としたナスビの隣に置いてあったはずの、細長いほうのナスビがなくなっていたのだ。よくよく見れば風で飛ばされでもしたのかあのタカの折り紙も消えていた。

 

「どうしたの?」

「いや、ナスビがちょっと……」

 

 焦ったように地べたを見回す智子を見てふたつ結びの子も首をかしげている。ベンチの下を覗き込んだりする智子だったけど、やはり細長ナスビの精霊馬はどこにも見当たらない。

 

「お姉ちゃん!」

 

 もしやひとりでに走りだしていったのでは、だなんて突拍子もない考えが頭に浮かびはじめたころ、突然誰かに呼びかけられた智子はそちらを振り向く。

 

「あっ、智くん!」

 

 声をかけてきたのは弟の智貴だった。D棟の一階部分を貫くその通路の出入り口から智貴がひょっこり顔を覗かせていたのだ。途端、智子はナスビのことも忘れてすぐさま立ち上がり、元気いっぱいに髪を揺らしながら彼のほうへと駆けていく。

 

「もー、遅いよー」

 

 すでに儀式は終わってしまったのだから今更来たってしようがない。だけどもなんだかんだで弟が自分のあとを追ってきてくれた訳なので智子にはそれが嬉しかった。通路から顔を出している智貴がニコニコしていたので、それにつられて智子も笑顔になる。

 

「えっ、ちょ……?」

 

そうして彼のもとまでやってきた智子だったけれど、まるでそれを待ち構えていたかのように智貴がいきなり背を向け第一運動場へと通じる通路の奥に向かって走りだした。

 

「智くん、待ってよぉ」

 

 智貴を追って通路を抜けた先は、白くまぶしいかんかん照りの運動場だ。D棟の前に広がるその誰もいない運動場を智貴はなおも駆けていく。たまに自分のあとをついてくるお姉さんのほうを振り返ったりするのだけど足を止める気配は見られない。もしかしたら智くんは追いかけっこしているつもりなのかもしれないと考えた智子だったから、彼をつかまえてやろうと息をきらして走り続ける。

 

(あれっ?)

 

 C棟の裏手のほうを目指してひた走る智貴だったけれど、やがて彼は校舎裏の通路をふさぐフェンスの前に到達した。すると今度はそこに設けられたゲートをひらき、そのなかへとはいっていってしまった。いつもあかないはずなのにと、その様子を見ていた智子はおどろいた。遅れてフェンスの前にやってきた智子は呼吸を整えつつゲートの鍵を確認するのだけど、かんぬきはすっかり外れていてそれを固定していた南京錠も地べたに落っこちていたようだ。

 

「智くん、そこはいっちゃダメだよ」

 

 薄暗い通路のなかでたたずんでいた智貴はあいかわらずニコニコ顔だったけど、黙りこくって智子のほうをじっと見ている。いつも施錠されているはずのゲートがどうしてあいているのかわからなかったけど、それはそれとして立ち入り禁止の場所にはいってしまうのはよくない。先生や警備員の人に見つかりでもしたらきっと叱られてしまうだろう。

 

「ほら、おいでよ」

 

 ゲートの先へちょっとだけ足を踏み入れて弟を手招きする智子が「そんなとこにいたら花子さんに連れていかれちゃうよ?」とおどしてみせたりもする。だけども弟はそうした呼びかけにまるで答えようとせず、なにを思ったのか今度は通路の奥にある小屋のほうへと駆けていった。

 

「えっ、なんで!?」

 

 そんな弟に智子はまたしてもおどろかされたので声が出る。智貴が小屋の扉のドアノブに手をかけたかと思うとそのままそれをあけてしまったからだ。

 

(あかないんじゃなかったの!?)

 

 あかずの小屋のその扉がいとも簡単にひらいてしまった。こんな光景を目にしたのはもしかすると今のところ全校児童のなかで自分と弟のふたりだけかもしれない。あるいはクラスメイトたちが噂していた「あかずの扉」というのはただのデマだったのか。はたまた単に先生か誰かが用事のためにと今日に限って鍵を外しておいただけとも考えられる。

 

「あっ、ちょっと……!」

 

 そんなふうに智子が考えているうち、智貴はなにを思ってかそのまま小屋のなかへはいり扉をそっと閉めてしまった。

 

「もー、ホントに連れてかれちゃっても知らないよー?」

 

 おそるおそるゲートをくぐって通路のなかへとはいっていった智子は、小屋のなかにいるであろう弟に向かって呼びかける。そうして小屋の前までやってきたのだけど、その扉は完全には閉じておらずちょっとだけひらいたままになっていた。

 

「かくれんぼしたいの? おーい」

 

 ちょっとばかり肌寒さを感じてきた智子であったが、そうした気持ちを表に出さず軽い口調で扉ごしにまた呼びかけてみる。そしたら扉の隙間からクスクスと笑い声が漏れ聞こえてきたので、それが智子を少し安心させた。なんだかよくわからないけれどこの薄気味悪いところから早く弟を連れ出してあげなくては。それにいつ大人が様子を見にくるかわからない。あの警備員のおじさんがこようものならそれこそ最悪で、「どこにはいってるんだ!」とすごい剣幕で怒鳴られるに違いないのだ。

 

(うわ、まっくら……!)

 

 きしむ扉をあけてみれば内部は不自然なほど暗かった。小さい小屋なので弟がいたらすぐわかりそうなものだけどなかになにがあるのかまるで見通せない。どこまでも暗闇が続いているように思えてくるこの小屋に果たして本当に弟はいるのだろうかと不安になってしまうほどだ。これではまるで自分が作ったあの「あかずの小屋の花子さん」の怪談そのままではないか。「裏幕」への入り口がもし本当にあるとしたらきっとこんな感じなのかもしれないと思った智子はゾッとした。

 

「お姉ちゃん、遊ぼうよ」

「へっ?」

 

 ふいに弟が呼びかけてきた。どこかに隠れているのか姿は見えないけれどその声だけははっきりと聞こえてくる。お姉さんに甘えてくるような、今の智子にとってはすっかり懐かしくなってしまった三年生のころまでの智貴の口調だった。

 

「ああ、うん、いいよ。遊んであげる」

「ほんと?」

 

 まるで暗闇自体と会話しているような錯覚におちいる智子だけれど、ともあれこんなふうに智貴のほうから遊びたがるなんて久しぶりなので悪い気はしない。もしかしたら今朝のケンカを深く反省した弟がようやく自分の立場を理解したのかもしれないと、智子はそのように思った。

 

「ほんとだよ。だから早く出ておいでよ」

『うん、わかった』

「ん……?」

 

 いま女の子みたいな声がしたぞと、暗闇のなかから聞こえてきたその返事に智子が違和感をおぼえた瞬間、視線の先にまっしろな子供の顔が浮かび上がってきた。

 

()()()()()

 

 あいさつしてきたその顔がニパァ……と口をあけ広げるのだけど、突然のことに絶句した智子は声を上げることができない。そうしてどこからか伸びてきたいくつもの手が智子の体をつかんだかと思うとあっというまに暗闇のなかへ引きずりこんでしまった。ちょっとしてからそのまっくらな空間のずっと奥のほうでようやく智子の悲鳴らしきものがかすかに響いてきたのだけど、いま学校のなかにいる大人や子供たちのなかでそれに気づけた者は誰ひとりとしていない。

 智子の考えた怪談によればあかずの小屋は児童を引きずり込んだあとでその扉がひとりでに閉じてしまうということだったけれど、そんなことはなかった。智子ひとりを飲み込んだだけではまだ物足りないのか、次の獲物を待ち構えているかのようにその後も扉はずっとあけ放たれたままなのだった。




つづく
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