もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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★イラスト
アカフク様が作中に登場する「あかずの小屋の花子さん」のイメージアニメを作成してくださいました。
作者様に快くご許可頂けましたのでこの場を借りてご紹介させて頂きます。
https://twitter.com/EBE15600807/status/1166711530483675139


【ホラー】原幕小の七不思議(3)

あつまれ裏幕小学校

 智貴少年が学校へやってきたのは昼ごはんもすっかり食べ終えた昼下がりのことだった。相変わらずギラギラとした太陽の光が町全体に降り注いでいたけれど、日ごろから炎天下のなかでサッカーの練習に励んでいる智貴だったからこのくらいはへっちゃらだ。そんな彼は乗ってきた自転車を駐輪場へ止めた際、そこに見慣れた一台の自転車があることに気づく。補助輪が装着されているその自転車は、自分のお姉さんが普段使っているものなのだった。周囲を見回す智貴であったが特に人の姿は見受けられず、どこにいるともしれないセミたちのしっちゃかめっちゃかな鳴き声ばかりが耳に届く。

 

「ちわっす……」

 

 守衛室でお弁当をつついていた警備員さんに一言あいさつし、智貴は校門から続く並木道を歩いていく。今日はサッカーの練習がお休みだけれど、それでも学校をおとずれたのには理由がある。彼のお姉さんである智子が昼ごはんの時間になっても帰ってこなかったからだ。これといって連絡もよこさず、電話してみても一向に出ない。そのせいでお母さんは心配まじりにぷりぷりおこっていたけれど、智貴も智貴でお姉さんのことがなんとなく気がかりだったのでこうして様子を見にやってきたという訳だ。

 ひょっとすると今もよくわからない「儀式」とやらに長々と取り組んでいる最中なのではないかと、智貴はそんなふうに考える。もしそうだとしたら現場へのこのこ顔を出した自分はきっと智子につかまってしまうだろうし、また妙な試みに付き合わされてしまうかもしれない。そうなったら結局はわがままなお姉さんの思うつぼなので智貴にとってはなんともおもしろくないことだ。

 

「はぁ……」

 

 やっぱり放っておこうかなと、ため息をついた智貴は足を止めてしばし考え込む。自転車が置かれたままになっているところからして智子はおそらく今も学校のなかにいるのだろう。であれば気づかれないようその姿を一目確認しておいてから、そのままさっさと帰ってしまおうか。そんなふうに妥協点を見いだしたところで、はっとなった智貴が運動場のほうを見やった。

 

「……?」

 

 広々とした運動場のずっと先。C棟の校舎裏辺りから小さな人影がこちらに向けて手を振っているのが木々のあいだから見えた。ひとけのない運動場だったけど、セミしぐれに混じって「おーい、おーい」と呼びかけてくるような声がかすかに聞こえてくる。もしかするとあれはお姉さんなのかもしれないと、もう少し近寄ってその姿をちゃんと確認してみようと思った矢先──

 

「智貴くん」誰かが智貴の背後から呼びかけてきた。「こんにちは。また取材かな?」

 

 あいさつがてら智貴にそうたずねてきたのは、こぶりなバッグを肩にさげる今江先生だった。その様子からすると外出から戻ってきた帰りなのかもしれない。

 

「いえ、ちょっと」

 

 そんな先生にぺこりとおじぎした智貴は、言葉をにごしつつさっきの人影にもう一度目をやった。だけども手を振っていた誰かはいつのまにか消えていたようだ。

 

「先生、ウチの姉ちゃん見ませんでしたか?」妙に思いつつも、智貴はひとまずお姉さんについて聞いてみることにした。

「ううん、見てないけど……。なにかあったの?」

「なんか学校行くっつって、そっからずっと帰ってこないんで……」

 

 本日学校のなかで見かけた子供といえばせいぜいが飼育委員や園芸委員の当番の子たちぐらいなもので、先生としては心当たりがなかった。だけどもなにやら込み入った事情がありそうだと見た先生はひとまず靴を履き替えてから智貴を連れて職員室へおもむく。そうしてバッグから鍵を取り出した先生が施錠されていた扉をあけ放つが、職員室には誰もいなかった。ほんの数人ながらも朝から出勤していた他の先生たちはみんな午後から半休を取っていたので、もう学校に残っているのは今江先生ひとりだけなのだ。

 

「じゃあお姉さんのこと、一緒に探そっか?」

 

 ひと通り智貴から話を聞いた先生が早速そのように提案する。本人の自転車がまだ駐輪場に止められたままなのだから、それを放ってどこかよそへ行ってしまったとも考えにくい。電話に出ないというのも気がかりだ。もしかすると夏の暑さにやられて気分が悪くなり、どこかで休んでいるのかもしれない。もしそうだとしたら一刻も早く見つけてあげないといけないので、こうしてはいられないと思い立った先生は智子を探すことにした。今朝も飼育小屋から逃げだしたウサギを一生懸命探したりしていた先生だったが、今日はやけに探してばかりの日になりそうだった。

 

「智貴くん、ケータイもってきてる?」

「あっ、はい」

「それでちょっとお姉さんに電話してみてくれるかな?」

「わかりました」

 

 職員室から出たところで先生が智貴へそのようなことをお願いした。そんな先生の意図をなんとなく察した智貴は、言われた通りポケットから自分の携帯電話を取り出してアドレス帳から智子の番号を探しはじめる。これは智子を探すにあたって手がかりにするためで、こうしておけば校内のどこかから着信音が聞こえてくるのではと考えてのことだ。マナーモードにされていた場合は無意味になってしまうけれど、もしそうでないのであれば有効と言える手段だった。

 コールを続けるその携帯電話をポケットにしまい込んだところで、智貴はセミの鳴き声にまぎれてどこからか電子音が聞こえてくることに気づいた。音のするほうに向かってやにわに駆けだした智貴はやがてその出どころを特定する。問題の電子音はコの字型の校舎に囲まれた中庭の、そこに生える老木の足もとに設置されたベンチの辺りから鳴っているようだった。

 

「先生、これ姉ちゃんのです」

 

 遅れてやってきた先生に、智貴が自分のものではない誰かの携帯電話を掲げてみせる。それはベンチに放置されていたリュックにはいっていたもので、このリュック自体も智子の私物であった。リュックのなかには他にもノートやお財布だったり、手のつけられていない缶ジュースにチョコやスナック菓子なんかもはいっている。こうなるといよいよもって智子は学校のどこかに今現在もいると見て間違いないのだった。やはりさっき運動場のつきあたりで手を振ってきていたあの誰かはお姉さんだったのではないだろうかと、そのような考えが智貴の頭によぎる。

 

「そっかー……」

 

 ともあれ残念ながら智子自身は電話を直接携帯していなかったらしい。これでは音によって居場所をつきとめることができないのでやはり地道に校内全体をくまなく探してみるしかなさそうだと、先生は手を口もとにやって思案する。

 

「お姉さん、なにか言ってなかった?」

「なにかって、なんですか?」

「ほら、今日はどこそこのおばけを調べよっかなーとか、そういうの」

 

 少しでも手がかりになるものがあればと思い、先生は智貴にそのようなことを質問する。先生はこの夏休み中に弟を引き連れた智子が度々学校へやってきては取材と称して校内の至るところでなにかしらの活動をおこなっていたことを知っていたので、今日の智子のお目当てがなんだったのかわかればその居どころにある程度目星をつけられそうな気がしたのだ。

 

「あーはい、なんか言ってましたね。きこさんがどうのこうのって」

「きこさん……そう言ってたの?」

「はい。よくわかんないですけど、そいつを呼び出すんだって」

「えっ!?」

 

 智貴の答えを聞いた先生はどういう訳かひどくおどろいた。そうしてすぐさま老木に駆け寄ると、今度は慌てた様子でその複雑に隆起した根もとを調べはじめる。いきなりどうしたのだろうと智貴がいぶかしんでいると、なにかを見つけたらしい先生が小さく悲鳴を上げて口もとを手でおおった。

 

「そんな……ウソ……どうして……?」

 

 へたり込んでしまった先生がうわごとのような言葉を口にする。一体なにを見つけたというのか。ただならぬ気配を感じた智貴は、震える先生がさきほどから凝視しているものを確認してみようとその背に回り込む。

 

(なんだこれ……?)

 

 そこにあるのは木の根もとに盛られた小さな土の山と、足を生やした一本のへんてこなナスビ。他には使ったままほったらかしにされたらしいスコップなんかも転がっている。傍目には取るに足らないそれらだったけれど、先生からすると大変にショッキングなものだったようだ。

 少し離れた先に落ちていたポリ袋が、吹いてくる風にあおられてふわりと浮き上がった。

 

 ◆

 

「うーん……」

 

 寝そべっていた智子が小さくうなりながら目を覚ます。ぐわんぐわんとふらつくその頭をもたげてみれば、目にはいるのは砂利の敷かれた地べたを通る石畳の道と、そこに落ちていた自分のサンバイザーだ。一体ここはどこだろうと目をぱちぱちさせた智子であったが、おもむろに立ち上がってひとまず服についた土を払う。

 

「うわっ!?」

 

 ふと視線を感じて見上げてみれば、手前にあるこぶりな鳥居のてっぺんに一羽の立派な体格をした鳥が止まっていることに気づいた。茶色い毛並みに、するどいクチバシ。すらりと伸びた黄色い足からはつかまれたら痛そうなカギ爪なんかも生えている。その鳥が威圧感のある目で智子をギロリと睨んでいたので、びっくりして声が出た。いわゆる猛禽類(もうきんるい)(肉食の鳥のこと)というやつで、動物園でもなければ間近でお目にかかることなど滅多にないいきものだ。タカなのかな、ワシなのかな、だなんてあれこれ推測してみる智子だったけど、本当はその鳥が今にも襲いかかってくるのではないかと思いびくびくしていた。だけども鳥はやがて大きく羽ばたいたかと思うと、そのまま智子の頭上を通り越して飛び去ってしまった。

 

(なんだこりゃ……?)

 

 怖い鳥から目を離さないようその動向をうかがっていた智子であったが、ひとまずなにごともなくどこかへ行ってくれたようなのでほっとする。そうして視線をさげたところで自分の目の前にひとつの祠のようなものがあったことに気づいた。ちゃんとしめなわが垂らされていたり、そこにカミナリ形の紙なんかもぶらさがっていた。改めて周囲に目をやると、その小さな敷地は柵で囲まれていて火のともされた灯篭の他によだれかけを付けた犬の石像なんかもあった。

 

(神社なのかな……ここ……)

 

 どうもそのようだった。いつのまにこんなところへ来てしまったのだろうと思う智子は、目覚めたばかりでまだはっきりしないその頭を働かせはじめる。確か自分はついさっきとてつもなく恐ろしい目にあったはずだ。弟を追いかけて校舎裏のあかずの小屋にはいってみたら、不気味な白い顔があらわれて暗闇に引きずり込まれてしまった。なのに今は見知らぬ場所で気絶していたようだったからそのことに首をひねる智子であったが、ひとまず落っこちていたサンバイザーを拾い上げて鳥居を出ていく。

 この神社はなんとも妙な建てられかたをしており、目の前にそびえる数階建ての建物、その一階部分に設けられた大きな通路内に境内の前半分がもぐり込むような形になっているようだった。

 

(え? あれ? ここって学校……!?)

 

 しかし通路をくぐり抜けたところで智子は既視感におそわれた。コの字型の建物に囲まれたそのひらけた場所に一本の巨木がそびえていたからだ。どこからか吹いてくる生ぬるい風に葉っぱを揺らされるそれはまごうことなき例のご神木なのであった。さっきまで見知らぬ建物と勘違いしていたのもよくよく見れば普段から馴染みのあるC棟の校舎に他ならなかった。

 

(なにこれ、なにこれ!?)

 

 神社のほうを振り返ってみれば、校舎を貫通した通路の先にさっき見た祠が鎮座している。おかしい、どう考えてもおかしい。いつのまにか校舎の一部がごっそりなくなって、その先に見知らぬ神社が建てられている。一体なにが起きたのだろうかと膝を震えさせる智子であったが、早く大人たちを呼んでこなくてはと、足をもつれさせながらもD棟に向かって駆けていく。そうしてスリッパに履きかえるのも忘れて土足のまま職員室に飛び込んだ智子だったけれど、あかりのついていないその薄暗い部屋には誰の姿もなかった。

 

「あ、あのー……す、すみませぇーん……」

 

 控えめな声で呼びかけてみるものの、先生たちの日々の営みが感じられるその雑然とした室内からはなんの反応もなかった。壁かけ時計を確認してみればまだまだ午前中でお昼ごはんへ出かけたようにも思えない時間帯であったから、人が消えてしまったようなこの様子はどうにも変だ。

 

(まだ探してるのかな……?)

 

 ひょっとしたら本日出勤してきたのは今江先生ひとりだけだったのかもしれない。その先生はというと確か委員の子たちと協力して飼育小屋から脱走したというウサギを捜索していたはずなので、つまり職員室は丁度いま人が出払っている状態なのだろう。ともあれ職員室の扉を閉めた智子は今江先生の姿を求めて校舎の外を探してみることにした。

 

「せんせー! なんかヘンだよー!」

 

 走る智子が、どこかにいるであろう先生に向けて大声で呼びかける。あれだけ鳴き狂っていたはずのセミたちがなぜかすっかり大人しくなっていたので、静まり返った校内に自分のこの声はよく通るはずだ。だからそのうち先生も気づいてくれるかもしれない。そう思ってあちこち回ってはみたものの先生は一向に出てきてくれなかった。

 変といえば天気もなんだか妙だった。少し前までの晴天がウソのように空は曇りきっていて、肌を焼くあの強い日差しは分厚い雲にさえぎられて地面までおりてこず、少々肌寒いくらいであった。だから昼間だというのにどこもかしこも薄暗い感じが漂っていて、まるで嵐がやってくる前ぶれのようだった。

 そうしているうち正門の辺りまでやってきた智子は守衛室の受付窓を覗き込んだ。先生がつかまらないのでひとまず手近な大人に頼ってみようと、顔の怖いあの警備員のおじさんに学校の異変をうったえるつもりなのだ。

 

(いない!? なんで……?)

 

 だが生憎そこに警備員さんの姿はなかった。持ち場を離れて一体どこに行ってしまったのだろうかと疑問に思う智子であったが、とにもかくにも守衛室はすっかり無人のようだった。

 

(もう帰っちゃおうかな……)

 

 どうもさっきから色々と気味が悪い。先生は見つからないし、何人かいたはずの同級生たちの姿もすっかり見当たらない。つい少し前までは弟が来てくれたことにはしゃいでいたけれど、あれは本当に智貴だったのだろうかと今更ながらに寒気がしてきた。

 なにより自分はあのあかずの小屋で本物のおばけに襲われたのだ。あれが夢や幻覚でないのならとんでもない話で、とうとう正真正銘の怪奇現象に出くわしてしまったことになる。あのとき目の当たりにした白い子供の声と顔、体をつかんできた無数の手の感触などが思い起こされ、智子は身震いせずにはいられなかった。あんな怖い思いはもうたくさんだと、一旦リュックを取りに戻ってから早いところ家に帰ってしまいたい智子なのだった。

 

(大丈夫……わたしのせいじゃないし……)

 

 C棟の校舎がものすごいことになっているようだったけれど、きこさんの儀式をやってしまったせいなのだろうか。あの奇妙な神社はひょっとすると校内のどこかにあるとされていたきこさんの祠で、それが校舎の一部を吹き飛ばす形で復活してしまったのかもしれない。あかずの小屋のコンクリートブロックのなかに実は邪悪な祠が人知れず封印されていたという訳だ。

 ともあれあとのことは大人たちに任せてしまおう。今江先生があのありさまを見たら仰天して警察を呼んだりするかもしれないけれど、自分のせいじゃない、悪いのはきこさんだと、智子はそんなふうに考えて自分を納得させようとした。

 

「わっ!?」

 

 そうして何気なくうしろを振り返った智子がおどろきの声を上げる。自分の背後にいつのまにか誰かがたたずんでいたからだ。

 

(着ぐるみ……!?)

 

 これがいかにも気味の悪そうな白い顔の子供だったりしたら卒倒しているところだったけれど、そこにいたのは温和そうな笑みを浮かべるふっくらとした着ぐるみだった。まるで遊園地やイベント会場にでもいそうな彼は、寝ぼけまなこの犬のような見た目をしている。

 

「へ?」

 

 そんな着ぐるみの手には風船がいくつか握られていたが、彼はおもむろにそのうちのひとつを智子に差し出してきた。一体なぜ着ぐるみがこんなところに。ひょっとして今日は学校でなにかお祭りでもあるのだろうか。頭のなかは疑問だらけの智子だったけれど、よくわからないままその風船を受け取ってみせる。

 

「えっ、なに? ちょっ……!」

 

 そうしたら、そのまま着ぐるみは智子のことを抱きしめてきた。頭を抱きすくめるような感じだったのでその白いお腹に顔が埋まってしまう智子。いきおいサンバイザーもひしゃげてしまい、そのまま足もとにずり落ちてしまった。

 

「く、苦し……やめ……!」

 

 なんだか妙に抱きしめる力が強い。こちらが嫌がっているというのにどうも手放してくれそうにない。そのことに恐怖を感じた智子はじたばたしてみるのだけど、それを受けた着ぐるみは逃がすまいと腕の力を益々強くする。

 

「んん──!」

 

 このままでは息ができないと、慌てた智子は全力でもがいてやっとのことで腕のなかから抜けだした。その場に尻もちをついた智子をとらえようと、かがんだ着ぐるみが再び手を伸ばしてくる。

 

「ひぃぃ……!」

 

 つかまってなるものかと、智子は地面を這うようにして必死に逃れる。やがてよろめきながらも立ち上がった智子はすかさず運動場に向かってダッシュした。

 

(なんなの!? 絞め殺すつもりなの!?)

 

 そうしてかなり距離があいたところで振り返ってみれば、着ぐるみがひょこひょこ歩いて智子のあとを追いかけてきているのが見えた。一体あれはなんなのか、もしや新手のおばけなのだろうかと、そう考えたところで智子のなかにひとつの推測が浮かんできた。

 

(もしかしてあれ、【フーセン太郎】……?)

 

 オカ研が残した活動記録にはそのような名前のおばけについても書かれていた。むかしむかし『オバケのQ太郎』という古いマンガが当時の子供たちのあいだで人気を博していたころ、原幕小でその存在が噂されていたおばけのひとつだ。その噂によると彼は放課後になると校門付近に出没し、子供たちに風船をプレゼントしてくるという。そして風船をうっかり受け取ってしまったが最後、その子供はフーセン太郎に抱きしめられて放してもらえなくなるというのだ。

 

(そんなら、これでどうだ!)

 

 さっき着ぐるみから渡された風船を気づかず握りしめたままでいた智子だったが、それをぱっと手放し宙に放つ。ふわりと浮き上がった風船はそのままゆっくり空にのぼっていった。すると一体どうしたことか、着ぐるみはぴたりと足を止めたかと思うとやがて背を向け元いた場所へと引き返していくのだった。

 

(やっぱり! 書いてあった通りだ)

 

 活動記録にはフーセン太郎に出くわした際の対処法についても記されていた。いわく、もらった風船を手放してしまいさえすればフーセン太郎も自分のことを解放してくれるのだとか。であるのなら、こうして追いかけられている最中に風船とサヨナラしたらどうなるかといえば、およそ似たような結果になるのだった。どうも着ぐるみは風船を持たない智子をわざわざ追いかけてまで抱きしめるつもりはないらしい。

 

(どうなってんの……? なんであんなのがいんの……?)

 

 あかずの小屋のおばけに続き、またしても奇怪なものに襲われてしまった。心臓がバクバクと脈打って苦しいぐらいの智子はすっかりまいってしまって、油断するとそのままへたり込んでしまいそうだった。儀式をおこなってからというもの、明らかにこの世のものではない者たちが立て続けにあらわれるようになったけれど、このぶんだときこさんも学校のどこかに潜んでいて、自分のことをさらいに来るつもりなのかもしれない。きこさんに出くわした際の対処法なんて活動記録には全く書かれていなかったし、ゆうちゃんちのひいおばあちゃんからも聞かされていなかったからもし遭遇してしまったら大変だ。もはやリュックを回収しに行く余裕はなく、一刻も早く学校から脱出しなくてはと思う智子が周囲に目を向ける。

 

(この辺じゃダメだ。違うとこ行かないと……)

 

 智子が今いる場所は第一運動場のすみっこのほうにある砂場の手前だ。学校の敷地の南角に位置するその周囲は幅の広い用水路とブロック塀に囲われていたのだけど、塀のほうはずいぶんと背が高くて智子の身長的にこれを乗り越えて外へ逃れるというのは中々に難しかった。塀に沿って立ち並ぶトーテムポールをよじのぼればあるいはどうにかなったかもしれないけれど、古い木製の電柱をもとに作られたらしいそれらはいまやすっかり腐食が進んで形を保つのもやっとというありさまだったからとても足がかりにできるようなシロモノではなかった。

 かといって正門方面にはあの着ぐるみが待ち構えているに違いないのでもう近寄りたくはなかった。であるならばどうにか乗り越えられそうなフェンスで囲われた第二運動場のほうや、非常用門のある裏庭方面から脱出するほかない。

 

「──、ミィ……ディグ、──……」

 

 これ以上校内をうろつきたくないけれど、勇気を出さねばどうにもならない。そう思って覚悟を決める智子はひとまず猛ダッシュで第二運動場に向かおうと決めたのだが、そこへ待ったをかけるようにどこからか人の声のようなものが聞こえてきた。

 

「──ルプ、ミィ……ヘルプミィィ……」

 

 誰かいるのだろうかとしばらく様子をうかがったところで、智子はようやく声の出どころに気がついた。どうもその奇妙なか細い声は、すぐそばの砂場のなかから聞こえてくるのだった。

 

「ヘルプミィィ……ディグミィィ……」

(なんかいる!?)

 

 砂場に足を踏み入れ声のする辺りへ耳をすませてみたところではっきりとわかった。その弱々しい声は明らかに地中から発せられていた。助けて、助けてと、なぜか英語で砂のなかからうったえかけるそのくぐもった声はいかにも哀れで、誰かがこの場に生き埋めにされているのではないかと思わせるものだった。

 

「誰!? 先生なの!?」

 

 どうも声の質からすると地中にいるのは女の人のようだ。もしかすると今江先生が埋められているのかもしれないと、そう思った智子は足もとに向けて呼びかけてみた。すると声がピタリとやみ、辺りに静けさが戻る。どうしようかな。手で掘って確かめてみようかな。先生じゃなくてもあの無愛想なクラスメイトが埋められている可能性だってある。このままほうっておいたら息ができなくて死んじゃうかもしれない。地中からの得体の知れない声を前に智子が迷っていると──

 

「ファックミィィィィッ!!」

「うわああ──!?」

 

 いきなり地中から手が飛び出してきて、智子の両足をガシッとつかんできた。突然のことに智子は絶叫せずにはいられない。

 

「ファック! ファック! ファックミ──ッ!!」

「わっ、わっ、ちょ、待って……!」

 

 さっきとはうってかわってブミブミとした毒々しいしゃがれ声になった地中の主はいかり狂ったようにわめき散らす。決して放すまいとつかんだ智子のその足を地中からさかんにひっぱってくるのだった。

 

「やめて、やめてよぉ──!」

 

 そうしているうちに体がどんどん地中へ埋まっていくものだから智子は恐怖した。このままだと自分まで生き埋めにされてしまいかねない。足に絡みつく泥だらけの手をどうにか外そうとするのだけど、ものすごい力でがっちりとつかまれているのでどうにもならない。

 

(これあれだ、【砂場に埋められた女の子】ってやつだ!)

 

 今更ではあるが、智子は自分をひっぱる何者かの正体に見当がついた。地中にいるのは人間なんかじゃなくて、かつて原幕小で語られていたとある怪談に登場する恐ろしい幽霊だったのだ。その話はフーセン太郎が生まれたのと同じころに流行っていたもので、なんでも海外から転校してきた帰国子女の女の子が他の児童たちにいじめられてこの砂場に生き埋めにされたらしい。そうして放置された彼女はずっと地中から助けを求めていたのだけれど、やがて息ができなくなり死んでしまったという。以来、砂場のなかからときおり彼女の声が聞こえてきたり、ときには他の誰かを地中へ引きずり込もうとしてくるようになったのだとか。

 

「うわああん、助けて──! 死ぬぅ──!」

 

 この幽霊への対処法が智子にはわからなかった。オカ研のノートにはその辺りのことが書かれていなかったのだ。ゆえにひとたび足をつかまれたら一巻の終わり。他の誰かに力ずくで引き上げてもらいでもしなければ助かりようがなかった。だから智子は力いっぱい叫ぶ。他に誰もいなそうな運動場のなかで、それでも助けを求めて必死に声を張り上げる。

 

「おらっ、しっかりふんばれ!」

「っ!?」

 

 すると急に誰かから抱えられる形になった智子であったから、その体が宙に浮いた。そうしてそのまま地中の手とは逆方向にひっぱる力が働いて、砂に埋まりかけていた足も徐々に引きぬかれていく。

 

(ヤンキー!?)

 

 見れば智子をひっぱりあげていたのはあのヤンキー娘だった。救助者は他にもひとりいて、飼育委員を務めるそばかす顔の女子が智子の片足をつかんで一生懸命にひっぱっていた。そうしているうちようやく智子の体から幽霊の手を引き剥がすことができたのだけど、いきおい余ってみんなして砂場の外へと倒れ込む。

 

「ファキュファキュファキュ、ミィ……」

 

 智子のことを手放してしまったその真っ青な手は、するすると地中へと引っ込んでいった。そうして最後に口惜しそうな声が聞こえてきたっきり大人しくなり、あとにはぜいぜいと息をつく三人だけが残される。

 

「黒木さん、大丈夫?」

「あっ、う、うん……ぐすっ」

 

 最初に口をひらいたのはそばかすの子だった。おかっぱ頭の乱れを手で整えつつ、その子はべそをかく智子を気遣ってくる。智子としては相当に印象が薄く苗字すら知らない相手だったけれど、一応ながらもクラスメイトである彼女のほうは智子のことを知っているようだった。

 

「なんなんだよあれ……。シャレになんねーぞマジで……」ふらふらと立ち上がったヤンキー娘が、すっかりくたびれた様子で体の砂を払いながらぼやく。

「ゆ、幽霊だよ。こ、この砂場に『出る』って噂なんだ」智子はまだへたり込んでいたけれど、さきほどの怪異についてそう説明してやった。

「ユーレイだぁ……!?」するとヤンキー娘が声を裏返らせて眉をひそめる。

 

 ともあれそのうち足に力がはいるようになってきた智子は、そばかすの子に支えてもらいながらようやく立ち上がった。また手が伸びてきたら嫌なので一行(いっこう)はひとまず砂場から距離を置く。

 なんにしても命びろいした。もしあそこでふたりが助けにきてくれなかったら自分は今ごろ砂のなかに完全に埋まっていたに違いない。しかし彼女たちは一体どこから出てきたのだろうと、智子は突如姿を現したクラスメイトのことを疑問に思った。ついさっきまでは確かに影も形もなかったはずなのだから。

 

「おい、どうなってんだありゃ。なんであんなモンがあるんだ?」

「わたしたち、さっきあそこから出てきたよね……」

 

 ヤンキー娘とそばかすの子が、ある場所に目を向けて戸惑い気味にそう言った。彼女たちの視線の先にはコンクリートで塗り固められた背の低い台形の小屋があり、入り口らしき箇所にはぽっかり穴があいている。砂場にほど近いその場所には本来色とりどりの古タイヤを積み重ねて造られた築山(つきやま)のすべり台があったはずなのだけれど、いまや別物になってしまっているようだった。

 

防空壕(ぼうくうごう)だ! あれ、たぶん【十九番目の防空壕】だよ!」

 

 くだんの小屋を指さし、つばを飛ばしてそのようにうったえる智子。またしても彼女の知識のなかにある噂のひとつが目の前にあらわれたからだ。運動場の一角に突如出現した謎の施設は智子の考えが正しければ、空から降ってくる爆弾から逃れるために戦時中の日本各地で造られた避難場所の一種に違いなかった。「十九番目の防空壕」というのはそうした防空壕に関する不思議話のようなもので、終戦から十年ほど経ったころの原幕小で流行ったものだった。

 

「なんだよそれ」

「えと、なんていうか、ワープゾーンみたいなやつで……」

 

 ヤンキー娘にもわかるように、智子はその噂の詳細を語っていく。当時の校内にはまだ戦時中に造られたいくつもの防空壕が多数残されたままになっており、そこが子供たちの格好の遊び場となっていたのだが、噂によれば全部で十八箇所しかないはずの防空壕に加えて、本来は存在しないはずの十九番目がときおり出現するらしかった。そこはどこか別の場所へと通じているそうで、一旦なかにはいったあとで外へ上がってみるとまるで見覚えのないところに出てきてしまうということだった。

 

「裏庭のほうにね、おんなじようなのがあったの。ウサギがそっちにはいっていっちゃったから追いかけたんだけど……」

 

 智子の話を受けてもいまいちピンと来ていない様子のふたりであったが、そばかすの子の話によれば裏庭に広がる雑木林のなかでウサギを探していた際に見慣れぬ建物を発見し、奇妙に思いつつも足を踏み入れたらしい。しかしその狭い地下空間に逃げこんだはずのウサギがどうしても見つからず、やむなく一旦外へ出てきたということのようだ。そしたら砂場のほうで泣き叫ぶ智子が目にはいったので慌てて救助に向かったのだという。

 

(ヤバいなぁ……。これ、たぶん他にもヘンになってるところとかありそう)

 

 一階部分をぶち抜かれたC棟の校舎だけでなく、運動場のすべり台までもが変異していた。このぶんだとまだまだ儀式の影響が出ている場所がありそうだと、予想以上の被害の広がりに智子は改めて戦慄を覚える。

 

(もしかして……)

 

 ふと思い立った智子は、防空壕の裏にある水路のほうへと駆け寄って柵越しに覗き込む。これは運動場の東側に設けられたもので、ある程度北に進むと途中から地下へもぐり込む構造になっていた。そうした水路に対して智子は確認しておきたいことがあった。

 

「うわー、やっぱり!」

 

 眼下に広がるその光景に智子が声を上げる。普段は大雨の日でもなければチョロチョロと申し訳程度の水が流れているに過ぎないこの水路であったが、今はやたらと水かさが増えていて強い流れが生まれているようだった。

 

「うおっ、きもちわり……!」

「なにこれ……?」

 

 智子の様子につられ、他のふたりも一緒になって水路を覗き込む。するとこぞってあっけにとられた反応を見せたのであるが、彼女らが目にしたのはなんとも形容しがたいものだった。水路を流れる水のなかでは鮮やかに光る極彩色の複雑な波紋が激しくうねっており、まるで生き物のようだ。あたかもコンピュータでえがき出されたアニメーションのような、規則的でありつつも変化に富んだその動きが作り出す目まぐるしい光景は単なる水の流れというよりもなにかしらのエネルギーの奔流であると言ってよかった。

 

「【四次元水路】だよ! もしここに落ちたら時空の彼方に飛ばされちゃうんだ!」

 

 これもまた智子の知る不思議話のひとつであり、かつて日本で数多くの子供たちがオカルトの世界に魅了され、その手の怪しげな雑誌を愛読していた当時の原幕小で誕生した噂であった。大雨が降って増水した日に限り、四時四四分にこの水路を覗き込んだ者はその超常的な流れを目の当たりにするという。

 

「ねぇ、早いとこ逃げたほうがいいよ。このままだともっとヤバいのが来ちゃうよ」

 

 焦りをにじませる智子がふたりに向けてそのようにうったえる。自分の知っていた原幕小学校の怪談や不思議話が次々と目の前にあらわれはじめたこの異常事態に対し並々ならぬ危機感を抱いたからだ。今まで遭遇してきたとんでもない出来事はおそらくまだ序の口で、このあとも数多くの怪奇が押し寄せてくるのではないかと、智子はそのように予感していた。

 どこにいるとも知れない今江先生が気がかりではあるけれど、今となっては自分たちのような子供だけで探しにいくのはどうにも恐ろしい。ここは大事件が起きたと警察に通報してお巡りさんやパトカーに大勢駆けつけてもらい、校内に潜むおばけたちを追い払ってもらうべきだろう。どうかそれまで先生が無事でいますようにと、智子はそう願うほかなかった。

 

「あ、あのね……その前に友達のこと、一緒に探してもらっていいかな?」

「へ? あー、えと……」

 

 しかしそこへ遠慮がちに待ったをかけたのはそばかすの子だった。なんでも友達がひとりまだこの学校のなかにいるはずだそうで、その子を置いていく訳にはいかないとのことだった。彼女としても一連のおかしな出来事を受けて不安を感じているようであったが、友達を見捨てていく気はさらさらないらしい。

 

(あのイヤホンの子かぁ。どうしようかな……)

 

 思い起こされるのはこちらのおこなう儀式を興味深げに観察していたふたつ結びの女子のことだ。ご神木のもとで音楽を聴いていたはずの彼女はいつのまにかいなくなっており、その行方はようとして知れなかった。しかしC棟の一部が消え失せたことにおどろくあまりそのままそばかすの子を置いてひとり逃げ帰った可能性だってある。友達のウサギ探しも手伝ってあげない薄情な彼女だったから十分にありえると、智子はそのように憶測する。

 

「で、電話してみたら? もう帰っちゃってるかも」

「そんなことないと思うけど……」

 

 智子のドライな物言いに同意こそしなかったが、ひとまずそばかすの子は肩から下げていた小さなポーチのなかをさぐる。そうして取り出した携帯電話で相方のことを早速呼び出すのだが、通話がはじまるのをしばらく待っていたそばかすの子はやがて首をかしげつつ電話をおろしてしまった。その液晶画面にちらりと目を向けた彼女が「あれっ、なんで?」と意外そうにつぶやく。

 

「どうした?」

「なんかね、電波が全然来てないみたいで……」

 

 ほら、と言って差し出された携帯電話の画面を、智子はヤンキー娘と一緒になって確認してみた。すると確かに電波のつながり具合を示す目盛りが底をついてしまっているようだった。町なかの、それも野外でこんなふうになるなんてことは考えにくい。智子としても校内において携帯の電波がこのように悪化したのを目にしたことは今まで一度もなかったからどうにも奇妙だった。

 

「とりあえずそいつのこと探しゃいいんだろ? そんならさっさと行こうぜ」

「ごめんね、ありがとう」

「えっ、ちょ、ちょっと待って……!」

 

 面倒そうに頭をかきかきするヤンキー娘だったけれど、そうした彼女のひと声であっさり話が決まってしまった。校内をこれ以上うろつけば、そのうちきこさん辺りがやってきて首に縄をつけられてしまうかもしれないというのに。いくら友達が心配だからといってもこの異常な状況下にあっては少々危機感が足りないのではないだろうかと、焦った智子は口を挟もうとする。

 

「おめーは先帰っとけよ。わたしはこいつのダチ見つけてからにすっから」

「あっ、で、でも……」

 

 無理に自分たちに付きあう必要はないと、智子の不安を見て取ったらしいヤンキー娘がそのように言う。だけどもそれはそれで智子にとっては遠慮したいところだった。この恐るべき空間と化した今の学校のなかでひとりぼっちになるというのはどうにも不安でたまらないのだ。

 

「待ってよぉー!」

 

 せっかくあらわれた「仲間」と言えなくもない彼女たちと離ればなれになりたくない智子であったから、その場を去っていくふたりのあとを追って結局は自分も友達探しへと参加する。途中で今江先生のことも見つかったらいいなと、そうした願いを抱きながら。

 *

「ゆり──! どこにいるの──!?」

 

 ご神木の前に立つそばかすの子が大きな声で友達に呼びかける。「ゆり」というのはふたつ結びの女子の名前らしい。だけども彼女からの返事はなくて辺りは静かなままだ。

 

「どうしたのかな。ここで待ちあわせしてたんだけど……」

「あれにビビってどっか行ったんじゃねーか?」

 

 姿の見えない友達を心配するそばかすの子に、ヤンキー娘がひとつの場所を指さす。その先には智子も目の当たりにした例の神社が相変わらず威容を示していた。校舎の一部が丸々ごっそりなくなっているその光景は智子でなくともド肝を抜かれるものであったから、なおもこの場へ律儀に留まり続けるよりかは一旦どこか別の場所へ移ったと考えるほうが自然だった。

 

(リュックがない!?)

 

 友達探しは仲間たちに任せるとして、智子はご神木のベンチに放置したままのリュックを探していた。しかしなぜだかそれが見つからない。

 

(持っていっちゃったのかな……?)

 

 もしやゆりという名のあのクラスメイトがこの場を離れる際に持ち去ってしまったのだろうか。そうする理由はわからないけれど、とにかく智子の貴重品が詰まったあのリュックがどこにも見当たらないということだけは確かだった。

 

(あれ? 祭壇が……)

 

 なくなっていたのはどうもリュックだけではなかったらしい。智子がご神木の根もとに築いたあの小さな祭壇もどういう訳かすっかり消えてしまっているようだった。確かに作ったはずなのにと、木の周囲をぐるぐる回って調べてみたがやはり影も形もない。とはいえ校舎の一部が大胆に消えてしまうぐらいだから、今更なにが消えたっておかしくはない。もしかするとリュックもそうやって超常の力が働いた結果、理不尽にもこの世から消し去られてしまったのかもしれない。

 

(わたしのノート……)

 

 この夏休みにうんとがんばって書き溜めた自由研究の成果が失われてしまうというのはなんとも悔しい。できれば取り戻したい智子であったが今はこの学校から脱出するのが最優先なので涙を呑んでことにあたるしかない。

 

「うろついてりゃそのうち見つかるって。ほら、次行くぞ」

 

 ひとまず他をあたってみようという流れになったので、探し人の行方を追う一行は場所を変えて捜索を続けることにした。途中、今江先生が戻ってきてはいないだろうかと思って職員室に再度立ち寄ってみたものの、さっき智子が確認したときと変わらず無人のままだ。本日出勤してきたのは今江先生だけだと考えていた智子だけれど、そばかすの子の話によれば他にも何人かの先生が確かにいたとのことだった。

 ともあれそうして次にやってきたのは下駄箱が立ち並ぶ昇降口のなかで、ここでもそばかすの子は友達に向かってさかんに呼びかけていく。

 

「おい、あれ」なにかが気になった様子のヤンキー娘がそちらを指さす。

「ヘンだね、もうしまっちゃったはずなのに」

 

 昇降口の通路には数本の笹が目立つ場所に飾られていた。笹の葉には短冊や折り紙細工がたくさんくくり付けられていたが、これはとっくに過ぎてしまった七夕祭りの時期限定で展示されていたはずのものだった。笹はあとで最寄りの神社に運んでお焚き上げしてもらうことになっていたはずだから、それが今もこうして残されたままなのはなんだかおかしい。実際はまだ学校に保管されていて夏休みのあいだ飾りなおされた可能性もあったが、もしそうであれば飼育小屋の鍵を拝借するために今朝もこの場で靴を履きかえて職員室へとお邪魔した委員のふたりが気づかないはずもなく、彼女たちからするとくだんの笹が突如出現したようにしか見えないのだった。

 

「あっ! だ、ダメだよ! それ読んだら呪われるよ!」

 

 笹に近寄ったヤンキー娘がなんとはなしに短冊のうちのひとつを手に取ったところ、慌てた様子の智子がだしぬけに大きな声で叫ぶ。短冊に書かれた内容を決して読んではならないと、そのように警告したのだった。

 

「うっせーな、さっきからイチイチ声がデケーんだよてめーは」

「で、でも……」

「ビビってんじゃねーよ、ただの短冊だろーが」

 

 自分のことを引きとめる怒鳴り声が(かん)にさわったのか、むっとした様子のヤンキー娘は智子の言葉を無視し、その黒い短冊に目を向ける。

 

『みんなが死にますように』

 

 のたうつような荒々しい字が赤黒くおどっていた。短冊の不穏極まる内容におどろいたらしいヤンキー娘が「ひゃっ!?」と叫んで飛びのく。

 

「どうしたの?」

「わ、わかんねぇ。なんかやべーぞこれ……」

 

 態度を急変させたヤンキー娘にそばかすの子が声をかける。するとヤンキー娘は笹から距離を取り、昇降口にあらわれたこの不審な飾り物の異常性をうったえるのだった。

 

「ほらぁ、だから言ったじゃん。これ、【黒い短冊】ってやつだよ。読んだ人は呪われて死ぬんだよ」なんだかちょっと得意げになった智子がこれみよがしにそのような言葉を投げかけた。

「そうなのか……?」智子のおどすような言葉を真に受けたらしいヤンキー娘が顔を青ざめさせる。

 

 智子の言った「黒い短冊」という名前の通り、その奇妙な笹にくっついている短冊はいずれも黒いものばかりだ。この黒短冊には呪いの言葉がしたためられていて、それを読んでしまった者に災いが降りかかるという怪談がかつての原幕小──当時は〈里崎国民学校〉と呼ばれていた──で流行ったのは実に六〇年以上も前のことであった。もっとも本来の怪談の内容によれば呪いの黒短冊は人の手が届かない笹のてっぺんに一枚だけ結ばれているという話なので、いま智子たちの目の前にある呪いまみれのまっくろな笹は一層タチの悪いシロモノに思えた。

 

「吉田さん、大丈夫だよ。黒木さんもそういうのやめようよ」

 

 本当に呪いをかけられてしまったのではないかとすっかり怯えた様子のヤンキー娘であったが、彼女のその背にそばかすの子が気遣わしげに手を添えて慰めの言葉を口にする。

 いたずらに不安を煽るような発言は控えてほしいと注意を受けた智子であったが、いつも目の上のたんこぶのように思っているヤンキー娘がすっかり弱気になっているのを見て正直なところちょっぴり愉快な気持ちなのであった。

 

「まあ大丈夫じゃない? ほら、七夕なんてとっくに過ぎちゃってるし、たぶん呪いも無効だよ」

「お、おう……」

 

 それでも一応はフォローしておこうと、ヤンキー娘を怖がらせた張本人である智子はさきほどの主張をひっくり返すように気やすめの言葉をかけてやる。そのもっともらしいこじつけに多少は救われたのか、ヤンキー娘も落ち着きを取り戻したようであった。

 

「なあ、もう行こうぜ。おまえのダチ、ここにゃいねーよ」

 

 早くこの場を立ち去りたいのか、ヤンキー娘がそばかすの子にそう言った。確かに彼女の言う通りのようだったので、次なる場所を捜索するため歩き出そうとする一行。

 

「あっ、ちょ、ちょっと待って」

 

 しかし昇降口に設置されていたものを目にしてあることを思い立った智子が、みんなを一旦引きとめてから小走りでそちらに駆け寄った。それはいささか年季のはいったピンク色の公衆電話であったが、受話器を手にした智子は慎重な手つきでボタンを押しはじめる。

 

「なにしてるの?」

「あっうん、警察に通報しとこうかなって……」

 

 その行動を不思議に思ったそばかすの子が歩み寄りながらたずねるのだが、智子は一一〇番にかけるつもりでいた。電波が届かない状況にあっても固定電話であれば問題ないはず。だからいまのうちに警察へ相談しておいて、学校を襲ったこの異常事態に少しでも早く気づいてもらえるようにしよう。「おばけが出た」なんていう理由だとイタズラ電話だと思われそうだったから、ここはひとつもっともらしい事件をでっちあげて信用してもらうしかない。さてどのように説明したものかと思案する智子が受話器を耳に当てて通話の開始を待っていると──

 

『もしもし』

「あっ、あのっ、へへっ……す、すみません、あのちょっと、わたしあの、は、原幕小学校の、じ、児童なんですけど……」

 

 早速電話がつながった。なんだか鼻にかかったような声の女性が応対に出たのだが、ひどく緊張する智子は度々噛みながらも予め考えておいた言葉を並べ立てていく。

 

『あっ、あのっ、すみません、あのちょっと、あのあのあの……』

(ん……?)

 

 しかし智子の言葉をさえぎるかのように、電話口の相手が急におかしなことを口走りはじめた。

 

「あの、も、もしもし?」

『は、原幕小学校のぉ……へへっ……じ、児童なんですかぁ……?』

 

 改めて呼びかけてみた智子であったが、相手側の様子がどうにも奇妙だ。

 

「あ、あのっ、すみません、そ、そちらは警察でしょーか?」

『あ、あのっ、すみません、こ、こちらは警察でしょーか?』

 

 なぜかわざとらしい感じでオウム返しっぽいことをしてくる電話口の相手であったから、会話自体も微妙に成り立っていない。なんとも気持ちの悪いその電話相手に胸さわぎを覚えた智子は、そばにいたヤンキー娘におずおずと受話器を差し出した。

 

「ご、ごめん、その、ちょっとかわってもらっていい……?」

「あ? なんでだよ」

「な、なんかヘンな人が電話に出たみたいで……」

 

 そうした智子の言葉を受けて、ひとまず受話器を受け取ったヤンキー娘は電話口の相手と会話をはじめた。

 

「オイ、なに真似してやがんだコラ。おちょくってんのか?」

 

 しかしどうも雲行きが怪しい。電話の相手としばらく言葉を交わすうち、段々とヤンキー娘の表情が険しくなり、いまやすっかりケンカ腰のようだった。

 

「ああーっ? なに言ってんだてめー、ブッコロすぞ!」

 

 ついには声を荒らげたヤンキー娘がそのように口汚く相手をののしりだした。そうして最後は「チッ!」と舌打ちした彼女が乱暴な手つきでその受話器を智子の胸元に突き返すのだった。

 

「こいつホントにオマワリか? ワケわかんねーぞ」

「ど、どうなんだろ……ヘンなとこにかけちゃったかも」

 

 ともあれ再び受話器を耳に当てた智子は、困惑しながらも改めて電話口の相手に「もしもし」と話しかけてみることにした。

 

『あにょっ、も、もしもし、こちら警察です……へへっ』

 

 そしたら今度は自分から「警察だ」と名乗ってくるではないか。だったらもう少しまともな対応をしてほしいところだったが、相も変わらずその口調を崩すことはないようだ。

 

(もしかしてわたしの真似してる……!?)

 

 どこか聞き覚えのある電話口の声の正体が智子にもようやくわかった。この歳にもなると一応は自分の声色や喋り方がどのようなものなのか第三者視点である程度は把握していた智子であったが、そうして知り得た特徴と今の電話口の相手の特徴とがおおむね一致していたのであった。

 

(そうか! これ、【ピンクの番号】なんだ!)

 

 そう気づくやいなや、智子は慌てて電話を切った。途端、それが合図となったかのように電話機本体から「ウエーイ、ヤッタネ!」とノイズ混じりの能天気な声が発せられたものだから、その場にいた全員がびくりと肩を震わせてしまった。

 

「な、なあ、今のなんなんだ……?」

「た、たぶんおばけだよ。電話のおばけ」

 

 これもやはりかつての原幕小──ちょうど子供のころの今江先生がかよっていた当時に流れた噂の実演に違いなかった。話によれば昇降口にある公衆電話からとある番号にかけるともうひとりの自分が電話に出るのだそうで、本来は「96(クロ)9696(クロクロ)」へかけることになっていたのだけど、いまや別の番号であってもおばけのところにつながってしまうらしい。

 

「あ、も、もういいや……行こっか」

 

 とにかくこうなってはもはやこの公衆電話は使いものにならない。もう一度職員室に戻ってそこの電話を使わせてもらうという手もあるのだが、このぶんだとそちらのほうにもなにかしら妨害がはいりそうに思えてしまう。いまや携帯電話のみならず固定電話すらアテにならないこの状況。外部との連絡手段が断たれたに等しいわけであるから、いよいよこの学校を早いところ脱出せねばならないとの思いを強める智子であった。

 *

「まこ!」

 

一行が昇降口から延びる渡り廊下を通ってA棟方面へと向かっていたところで、道すがらにある旧校舎の物陰から誰かが声をあげつつ飛び出してくる。どうもひとりの女の子のようだ。

 

「ゆり!」

 

 それに対して真っ先に反応したのはそばかすの子だ。彼女と、そして飛び出してきたほうの女子は互いに走り寄って手を取りあい、安堵のため息を漏らすのだった。

 

「よかったぁ、ずっと探してたんだよ?」

「あっうん……」

「すごいびしょ濡れだけどなにかあったの?」

 

 ようやく探していた人物が見つかってひと安心だった。しかし「まこ」と呼ばれたそばかすの子の言う通り、ゆりという少女は水を頭からひっかぶったようにびしょびしょの状態であった。衣服には水気を切るために絞ったような跡も残っている。

 

「いや、真子(まこ)のほうこそ大丈夫なの?」

「なにが?」

「池に飛び込んでったじゃない」

「えっ? そんなことしてないけど……」

「うそ。わたしのこと池のほうまで連れていったの真子でしょ」

「ちょっと待ってゆり。わたし、本当に知らないよ?」

 

 ふたりのこうしたやりとりをそばで見ていた智子であったが、どうも両者の会話は噛みあっていないようだった。なにやら池がどうのと言い張るゆりであったが、身に覚えのないことを言われているらしい真子のほうはただ困惑するばかりだ。

 

「あ、あのっ! そ、それたぶんニセモノだよ。わたしもなんか似たようなことやられたから」

 

 なんとなく心当たりのあった智子はふたりの会話に口を挟んでみた。おそらくゆりが見た真子というのは本人ではない別の誰かに違いない。自分もまた、弟になりすました何者かに誘導されてあのC棟裏の小屋のところまで連れていかれたのだから。

 同じことはきっとヤンキー娘や真子のほうにも起きていたはずだ。ウサギを追いかけていった先であの奇妙な防空壕に足を踏み入れたという彼女らであったから、本物とはまた別に偽のウサギがあらわれて飼育委員のふたりを誘い込んだ可能性は十分にある。

 

「ニセモノって……なにそれ?」

「よ、よくわかんないけどさ、でもさっきからヘンなことばっかり起きてるんだ。ニセモノぐらい出てきたっておかしくないよ」

「真子、ホントなの?」

「う、うん……きっとそうだと思う。黒木さんの言う通りかも」

 

 友達のニセモノがあらわれたなどと、いきなりそのようなことを言われてもにわかには信じがたいようでゆりは少し困った顔になる。しかしながら当の真子自身までもがそのように肯定するものだから一応は受け入れざるをえないのだった。

 

「あ、あのさ、その池ってもしかして裏門のとこにある池のこと?」

「そうだけど」

「も、もしかして池から手が出てきて引きずり込まれちゃったとか?」

「あっうん……そうだけど……」

 

 思い当たるふしのある智子が具体的な推測を口にしたところ、ゆりがそれを肯定した。どうやら智子が小屋のなかに潜むおばけに引きずり込まれたのと同じように、ゆりのほうも似たような目にあわされたらしい。結果、池にボッチャンコしてしまった彼女は水びたしになったという訳だ。それを知った智子は「あーやっぱりね」と訳知り顔でうなずいて、

 

「それたぶん『黄泉ヶ池(よみがいけ)』だよ」

「なにそれ?」

「昔、この学校にそういう噂があったんだよ。池のなかから幽霊の手がいっぱい伸びてきてあの世に連れてかれちゃうんだ」

「ふぅん……」

 

 戦時中の原幕小で流行った怪談のひとつに【あの世へ通じる黄泉ヶ池】というものがあった。校内の一角にあるその池に腐敗した死魚(しぎょ)が漂うとき、池のなかを覗き込んでしまうと死者たちの霊に引きずり込まれてしまうというものだ。

 しかし本当にあの世へ連れていかれたという訳でもなかったから、ゆり本人としては単に何者かにひっぱられて水をかぶらされたぐらいの印象しかなかったようで、話を聞かされてもいまいちピンと来ていない様子だった。

 

「ちょっと待って黒木さん、あの池ってもう枯れてたでしょ?」

「そうなんだけど、きっと今だけ復活してるんだと思う。ヤバいところだらけだよホントに……」

 

 口を挟んできた真子の言う通り、もともと問題の池はとっくの昔に水が抜かれていて、落ち葉が溜まるばかりでろくに手入れもされていなかった。裏庭にある非常用門がまだ正門として扱われていた時代はそこで茂子原固有種のヘラブナなんかが飼われていたそうだけど、今となってはあまり人の寄りつかない寂れた場所となり果てていたのだった。

 しかしその池が当時の姿を取り戻し、あまつさえ怪談そのままの現象が起きる危険な場と化してしまうとは。このぶんだと非常用門付近へ足を運ぶのも避けたほうがいいかもしれないと智子は警戒した。不用意に池を覗き込まなければ問題ないのかもしれないが、予期せず幽霊たちがその手をニョロニョロと長く伸ばしてきたらたまらないからだ。

 

(ヤンキーも嫌がりそうだし……)

 

 もしやと思いさきほどからだんまりしているヤンキー娘の顔色をうかがってみた智子であったが、案の定智子の話した怪談に反応してしまったようで、どこか不安げな表情を浮かべているのだった。このぶんだと彼女も池のあるほうへは行きたくないのかもしれない。

 

「あっ、あのさ、その、今江先生見なかった?」

「見てないけど」

「あ、そ、そか……」

 

 智子は気になっていたことをゆりに聞いてみた。探していたゆりとはこうして合流できたものの、いまだ行方のわからないでいる今江先生のことがやはりどうにも心配なのだった。大好きな先生にもしなにかあったらとてもつらい。もしかしたらこのなかに閉じ込められてはいないだろうかと、他の棟と比べてだいぶ古めかしい造りをした半木造の旧校舎を見上げる智子。

 

(【旧校舎の怪】ってのもあったしなぁ……)

 

 八〇年代ごろの原幕小にはそうした類の怪談なんかもあった。深夜の旧校舎はおばけや幽霊たちの巣窟になっていると噂されており、ひとたび人間がそこに足を踏み入れようものなら防火扉やらなんやらがひとりでに閉じてしまいそのまま出られなくなってしまうという話だ。活動記録に貼り付けられていた例の心霊写真なども実はこの旧校舎にて真夜中に激写されたものなのであった。

 

「どうしよっか……先生たちのことも探してみる?」

 

 先にそう提案したのは真子で、無事に友人と再会できた今は先生方のことも心配になってきたらしい。今朝職員室に出向いた際は確かにいたはずなので、それがみんなして消えてしまったこの状況に不安を覚えてもいるようだった。

 

「や、やめといたほうがいいよ……。それより早いとこ警察呼びに行ったほうが絶対いいよ」

 

 警備員のおじさんまでもがいずこかへ消えた今の異様な状況であったから、これはもう学校にいた大人たち全員になにかあったと見ていいのかもしれない。智子だってできることなら今江先生を見つけ出してあげたかった。だがこの短いあいだだけでも様々な怪異に出くわし、ときに襲われたりもしたのだ。それらはいずれもこの学校に伝わる過去の様々な怪談や不思議話に由来するものであった訳だが、原幕小の長い歴史のなかにはまだまだ他にも沢山の奇怪な噂が存在していることを智子は知っていた。

 かつて様々な時代の子供たちのあいだで流行り、やがてすたれていった「歴代の七不思議」と呼べるものたち全てが今もそこかしこで待ち構えているとしたらどうだろうか。もしそうだとしたらとんでもないことであった。ゆえに今この学校に留まり続ける危険性を誰よりも理解する智子としては、例え先生たちを一時的に見捨てることになったとしてもあとで多くの助けを引き連れて戻ってくるほうが賢明だと考えているのだった。

 

 結局、智子の提案に反対する者は誰もいなかった。次は一体なにがあらわれるのだろうと周囲を警戒しながらも一行は脱出口を求めてしぃんとした学校のなかを歩いていく。途中、自分のリュックが見つからない件を思いだした智子はゆりにそのことをたずねてみたりもしたのだが、結局ゆりはなにも知らないようだった。

 やがて体育館の前へと差しかかった智子たちは、さらにその隣にある第二運動場のなかへとはいっていく。

 

「ほ、ほら、あの辺ならのぼっていけそうでしょ?」

 

 智子が指さした先には、運動場を取り囲むように植えられた木──カイヅカイブキという針葉樹──が隙間なく立ち並んでいる。目では確認できないが、その背後には乗り越えるのにそれほど苦労しなそうな高さのフェンスが隠れていた。

 

「きゃあ!?」

 

 しかしそうした生け垣をちらりと見回した真子が突然悲鳴をあげた。他の者もそれに続いて似たりよったりの反応を見せたのであるが、どうも彼女たちはフェンスの向こう側にいる「なにか」を見つけたらしく、みな一様に恐怖したのだった。

 

「ちょっと、なんなの……!?」

 

 あまりおどろいていないように見えて、それでもやっぱり動揺しているらしいゆりがつぶやく。彼女らの視線の先に針葉樹よりもさらに背の高い人間が立っていたからだ。いや、それは人間などではなかった。どこかカカシのようにも見えるそれは人に近い姿をした異形(いぎょう)の者なのだった。顔の半分がごっそり隠れるほどに伸ばされた乱れ気味の長い黒髪。季節にそぐわない厚手のコートを着込んだいでたち。なにより目立つのが、針葉樹を易々と追い越すほどに高いその異様な背丈。そうした不気味な存在がフェンスを挟んで智子らのほうをじっと見据えていたのであった。

 

「ぽぽぽぽぽぽ……」

 

 その顔らしき部分の口もとにまるい穴がぽっかり空いていて、そこから気味の悪い鳴き声を発しているのが聞こえてくる。

 

「おいっ! なんだよあれ、なんなんだよあれ……っ!」

「あ、う、えと……あの……」

 

 智子の背に回り込んだヤンキー娘がしきりにうったえかける。肩を揺さぶられる智子のほうはというと、目の前にあらわれた怪物を前に言葉を失っているようだった。

 

「ゆ、ゆり、どうしよう……! あのヘンなの、ずっと見てきてる……!」

「とりあえず戻ろ……?」

 

 友人の腕にすがって不安を口にするパニック気味の真子に対し、いち早く冷静さを取り戻したゆりがそのようにうながした。そうしてじりじりとあとずさっていくふたりであったが、智子たちのほうも遅れてそれに続く。そうして体育館の陰に隠れて怪物の姿が見えなくなったところでみんながほっと息をつく。よほど怖かったのかヤンキー娘は冷や汗までかいているようで、

 

「クソッ……ふざけやがって……!」

 

などともんくを言っている。

 

「ねぇ、きこさんってもしかしてあれのこと?」

「へ?」

「ほら、首に縄つけてくるとか言ってたやつ」

「あっ、いやっ、その、た、たぶん(ちが)くて……」

 

 ふいにゆりがそのようなことを質問してきたので、どもりながらも否定する智子。

 

「や、『山女(やまおんな)』ってやつだと思う。ぽぽぽって鳴いてたし、間違いないよ」

 

 そうして自分なりの見解を口にする智子であったが、さっき出くわしたのは【姉弟崎の山女】と呼ばれている存在なのではないかと、そう考えていた。これはもともと江戸時代ごろからこの地方に言い伝えられていた妖怪で、気にいった男児を連れ去って自分の弟として愛でるために農村の近くを徘徊するとされていた。そうした妖怪の存在をおもしろがったからなのか、戦前の原幕小の児童たちはこの人さらい妖怪が自分たちの学校へもやってくるなどと噂していたのであった。

 

「どうすんだよあれ、こっち来るんじゃねえのか……?」

「いや……ま、まあ、大丈夫だと思う……たぶん」

「なんでだよ?」

「さっきのヘンなの、ショタコンなんだよ。男の子しか狙わないんだ」

「ショタコンってなんだ?」

「あー、えーと……」

 

「ショタコン」などという俗語を使って説明を試みる智子であったが、ヤンキー娘からするとはじめて耳にする言葉であったからかその点について質問を重ねてきた。智子としても最近インターネットで覚えたばかりだったので聞きかじりの知識しかなかったけれど、それを口にしてよいものかと少々迷う。

 

「そ、その……大人の女のひとが、小学生くらいの男の子と恋人になってイチャイチャしたり、キスとかするみたいなやつで……」

「……?」

 

 もったいぶるようなものでもないかと思いなおした智子が、微妙にズレてはいるが自分なりに解釈した意味を教えてあげることにした。その説明を聞かされたヤンキー娘はというと、これが呆気に取られた顔をするのだった。そうしてしばらく()を置いてから今度はうつむき加減で押し黙ってしまったが、さきほどまで青ざめていたその顔はいまやすっかり茹でダコになっている。

 

(黒木さん、そういうのやめたげよう? あの子、恥ずかしがってるよ)

(あっ、でも、き、聞いてきたのはあっちだし……)

 

 その様子をどう思ったのか、智子に顔を寄せてきたゆりがそのように耳打ちしてきた。

 

「今の間違いだよね? 本当は『ショータくんこんにちは』ってあいさつの略なんだよね?」

「あ、うん、まあ、そうだったかも……」

 

 ゆりのそうした雑なフォローに「なんじゃそりゃ」と思いつつも一応は話を合わせてやる智子。

 

「んだよ、だったら最初からそう言えよバカヤロー」

 

 赤いままの顔で智子をにらみつけるヤンキー娘が照れ隠しのようにもんくを言った。ともあれヤブをつついたらヘビが出たとでも思ったのか、山女についてそれ以上追及してくることはなかった。

 

「まあ、む、無視しとけばいいのかも……。ほら、ただぼうっと立ってるだけみたいだし」

 

 物陰から改めて運動場のほうをそっと確認してみた智子であったが、山女は相変わらずさっきと同じ場所にたたずんでおり、動きだす気配はなかった。智子らのなかにお目当ての男の子がいなかったからか、あそこで静観を決め込むつもりなのかもしれない。智貴を連れてこなくてよかったと、怪我の功名とはいえ今になって今朝の弟とのケンカに感謝する智子であった。

 

(もう正門のほうからでいいや……)

 

 大人しくしているとはいえ、あのブキミな妖怪の見ている前でうろちょろするのは遠慮したい智子だったから別のルートを選ぶことにした。そちらはそちらで例の着ぐるみおばけの出没エリアなのだが見た目のインパクトで考えれば山女より遥かにマシだ。

 

「いい? ヘンな着ぐるみが風船を渡そうとしてくるけど絶対に受け取っちゃダメだからね」

 

 正門へ向かって並木道を歩く途中、智子は仲間たちにフーセン太郎への対処法をレクチャーしてあげていた。彼の抱きつき攻撃を招く原因が風船を受け取るという行為にあるのなら、逆にその受け渡しに応じなければどうなるか。おそらく彼はこちら側に手出しすることができなくなるはずだと、智子はそうアタリをつけたのであった。

 

「ほらいたっ、あそこ……!」

 

 並木道の角を曲がったところで早速フーセン太郎に出くわした。彼はいくつもの風船をにぎりしめたまま、正門付近で誰かが来るのをぼんやりと待っているようだった。

 

「わっ、こっち来るよ!?」

「だ、大丈夫、落ち着いて行動しよう……」

 

 智子たちに気づいたフーセン太郎が大きな頭をゆらしながらのんびり歩きでせまってくる。そのことにおどろいた真子が声を上げるのだけど、これが二度目の遭遇となる智子のほうはいくぶんか落ち着いているようだった。やがて目の前までやってきた彼が例によって風船のひとつをおもむろに差し出してきた。

 

「だめだめ、受け取っちゃダメ……」

 

 緊張を走らせる智子たちが息を呑んでじっとフーセン太郎の動向をうかがう。そのことをどう思ったのか、彼は差し出した手をふりふりと揺らしてみせたりもする。それでも無反応を保っていると、やがて諦めたのか残念そうに手をおろした彼はそのまま智子たちをただじっと見つめるだけとなった。

 

「ふ────……」

 

 どうやら自分の見立ては間違っていなかったらしいと、ひとまず安心した智子が長いため息をついた。

 

「なんだこいつ? わりーやつじゃねーのか?」

 

 特になにかしてくるでもないフーセン太郎を興味深げにつついたりしていたヤンキー娘がそんなことを口にする。見た目だけで言うなら普通にテーマパークなどで来場客に愛想を振りまいていてもおかしくない彼であったから、それもあっていくぶんか警戒心がやわらいでいるようだった。

 

「おっと! い、いらねえって」

 

 しかし油断するとまた風船を差し出してきたりするので、うっかり受け取ってしまわないよう注意だけは必要だった。

 

「こいつ名前あんのか?」

「あっうん、フーセン太郎」

「へー……」

 

 彼の白いお腹をなでさすりながら、このおばけのことを気に入ったらしいヤンキー娘が名をたずねてくる。風船を渡してくるからフーセン太郎。なんとも安直なネーミングであるけれど、彼のことを噂していた当時の子供たちのあいだではそれなりに親しまれていた名前だったのかもしれない。

 ともかく自分たちの脱出を阻むことはなさそうだと、彼をほうって門へと向かう智子たち。しかし門の前に立つなにかに気づいたヤンキー娘がたちまち悲鳴をあげた。

 

「くろきーっ! なんかいるぞおいっ!」

「あっ、う、うん……」

 

 フーセン太郎のもとへとんぼ返りしたヤンキー娘がその大きな背中に隠れつつわめき立てる。一体彼女がなにを見たのかといえば、それは校門の前に立つひとりの少年の姿であった。

 

「見て、ゆり。あの子ちょっと透けてるよ。幽霊なのかな……?」

「うーん……」

 

 ゆりに身を寄せる真子が、得体の知れない少年の出現を前に不安げな顔をする。彼女の言う通り、無言でたたずむその少年は半透明の体をしていて肌や衣服もなんだか灰色がかっていた。

 

「黒木さん、なんなのあれ?」

「えっと、た、たぶんあれかな、【ひとりぼっちの先輩】ってやつ」

 

 ゆりがたずねたところ、やはりこの怪異についても心当たりのあった智子は手前にいる幽霊じみた少年の名を口にする。出くわした際はさすがに心臓を縮みあがらせた智子だったが、さっきの山女に比べればマシもマシなその男の子だったのでそれほど動揺することはなかった。

 

「卒業式の日に死んじゃって家に帰れなくなった幽霊なんだよ」

「そうなんだ」

 

 九〇年代のはじめごろに流行った噂のひとつにそうしたものが存在していた。卒業式を終えたひとりの六年生の男子が帰りにこの校門の前で突然倒れ、そのまま亡くなってしまったらしい。以来、卒業シーズンになると校門の前に彼の幽霊があらわれるようになり、帰路につく他の卒業生たちのことをひとり寂しそうに見送っているというのだ。

 

「どうなの? ほっといて大丈夫なの?」

「あっうん、まあ一応は……」

 

 彼に関する噂の内容からして特に害はないと智子は判断した。ちょっと気味が悪いけれど、ただ人々を見続けているだけの存在であるのなら問題はない。

 

「ま、真子さん、ちょっといい?」

「えっ?」

「け、ケータイのカメラでさ、あの人のこと、ちょっと撮ってあげてほしいんだけど……」

 

 しかし思うところあったのか、智子は真子に対してそのようなお願いごとをする。いまだ自分たちの後方で震えているヤンキー娘であったから、彼女のためにこの幽霊のことをどうにかしてやろうと思ったからだ。

 

「どうして?」

「そしたら満足して消えちゃうんだって」

「あ、そうなんだ……?」

 

 智子の説明を受けた真子は、よくわからないままにポーチから携帯電話を取り出した。そうしておそるおそる校門前の少年に近寄っていく。

 

「あの、じゃあ撮りますね……」

 

 ぽつんとたたずむ幽霊少年に一応ことわりを入れてから、カメラモードに切り替えた携帯電話を彼に向ける真子。そうしてボタンを押し込むとシャッター音を模した電子音が鳴る。

 

「あっ……」写真を撮られた少年は静かに真子へほほえみかけると、そのまますうっと消えていった。

「すごいね、黒木さんの言った通りだよ」振り返った真子は智子のアドバイスに感心しているようだった。

「あっうん、へへ……」それに気をよくしたのか、智子がちょっぴり照れたように笑う。

「どうしてそんなに詳しいの?」度々発揮される智子の博識ぶりを指してか、真子がそのようにたずねる。

「あっ、まあ、ちょっと興味があって色々調べてて……」

 

 オカ研が残してくれた活動記録さまさまである。おかげで智子はいまやちょっとした怪談博士なのだ。この非常時にあっては智子のもたらすそうした知識がみんなの助けになっており、幽霊やおばけたちをやり過ごすのにおおいに役立っていた。

 

「あのさ、黒木さん」

「え?」

「さっきからおばけとか出てくるのって、あれのせいなんじゃないの?」

「な、なんのこと……?」

「ほら、黒木さんがやってた儀式だよ。きぇーいっての」

 

 ゆりのそうした指摘に智子はぎくりとした。自分でも薄々思ってはいたもののこれまであえて黙っていたことだったからだ。

 

「なんだそれ。おまえ、なんかやったのか?」幽霊少年がいなくなったことで戻ってきたヤンキー娘が話にはいってくる。

「あ、う、うん……」

「なにしたんだ?」

「き、きこさん祭りってのを、ちょっと……」

 

 そう答えてしまったあとで、ここはとぼけるべきであったかと悔やむ智子。これではまるで一連の騒動の原因が自分にあるように受け取られてしまいかねないからだ。

 

「とっ、友達のおばあちゃんがさ、こないだ教えてくれたんだ!『おもしろいことが起きるからぜひやってみて』って、そう言われたから、それで……!」

 

 その場しのぎの言い訳にしてもひどいウソだった。むしろ絶対にやってはいけないと、そう警告されていたというのに。真相を知られていないのをいいことに、智子はこの場にいないあの長生きばあちゃんに責任をなすりつけようとしたのだった。

 

「全然おもしろくねーよ! なにしてくれてんだてめーはよー!」

「あっ、ご、ごめんなひゃいぃぃ!」

 

 しかしそうしたデタラメもあまり意味をなさなかったようだ。声を張り上げるヤンキー娘に胸ぐらをつかまれ、強い口調で責められた智子はすっかり縮こまってしまった。今まで散々怖がらされてしまった原因の一端が智子にあると思えば、知らぬうちに巻き込まれてしまった側のヤンキー娘としても腹が立ってしまうようだ。

 

「まあ、その……謝ってるんだから……ね?」

 

 おろおろするばかりの真子を尻目に、見かねたらしいゆりが不慣れそうなとりなし顔で智子たちのあいだに割ってはいる。例の儀式について智子へなにげなく話題を振ったためにいざこざが起きてしまった訳なので、彼女なりに責任を感じたのかもしれない。

 

「黒木さんもこんなことになるなんて思わなかったんだよね?」

 

 ヤンキー娘をなだめつつ、ゆりが智子にそう確認する。そしたら智子は無言のままこくこくと何度もうなずいてみせた。

 

「ったくよー……」

 

 ヤンキー娘が舌打ちまじりの言葉を吐き捨てる。しかしそれなりに落ち着いてきたようで、もう智子のことをこれ以上責めるつもりはないようだ。

 

「ほら、とっとと行こうぜ」

 

 鉄格子の門を手前に引いてあけ広げ、ヤンキー娘は仲間たちにそう促した。色々ありはしたが無事に脱出を果たせそうなのでみんなもほっとしているようだった。

 

「うわっぷ……!」

 

 しかし前へ進み出たヤンキー娘がなにかに押し返されたようにあとずさった。

 

「……?」

 

 訳がわからず困惑気味のヤンキー娘は両手を差し出しその正体を探ろうとする。試しに自分の目の前を手でぐいと押し込んでみたところ、なぜかそれに合わせて景色が大きく歪む。なんとも奇妙なその現象に面食らった彼女はその手をあちこちに当ててまさぐってみた。

 

「なんだこれ! どうなってんだ!?」

 

 門から出たそのすぐ先にどうも透明なフィルムのようなものが張り巡らされているようだった。しかしそれにしてはどうにも不自然で、フィルムを通して見えているはずの向こう側の景色がなにやらひどく平面的に見えた。

 

「くそっ……!」

 

 ともあれ通行の邪魔でしかないフィルムを除こうと、ヤンキー娘はそれをひっつかんで一気に大きく破いてみせた。途端、生ぬるい風が強く吹きつけてくるのと同時に()()()()がみんなの目に飛び込んでくる。

 

「えっ、うそ、なにこれ」

「ねえ、これどうなってるの……?」

 

 目の前の光景をよく理解できないでいるのか、ゆりと真子がやにわにうろたえだした。

 

「なあ……これってなんなんだ……?」

 

 呆然とした様子のヤンキー娘がゆっくりと振り返り、うしろに控える智子へたずねてきた。それを受けて彼女の隣まで慎重に進み出た智子が、首を伸ばして「外」の様子を確認した。

 門を出てすぐのところで地面は消え失せており、まるで切り立った崖のようになっている。消えているのは地面だけではない。学校の周囲に本来あったはずの町並みがどこにも見当たらないのだ。フィルムの向こう側にはなにもない空間がひたすら広がっているだけであり、下のほうから吹き上げてくる風のうなりがずっと鳴り響いていた。

 

(ああ……そっか……そうだったんだ……)

 

 果てなき無の続く外界をしばらく眺めていた智子であったが、やがて力なくへたり込んだ。その胸中にひとつの理解がおとずれたためだ。先生たちの姿が見当たらないのも、大切なものがはいったリュックがないのも当然だった。あれだけやかましかったセミたちがすっかりおとなしくなったのだって当然だ。それらはみな「表の世界」だけに存在しているのだから。

 

(わたしたち、連れてこられちゃったんだ……【裏幕】に……)

 

 裏の世界にあるというもうひとつの原幕小学校──裏幕。今江先生から聞かされていたその怪談こそが、いま智子たちのいる場所の正体なのであった。




つづく
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