午前の授業も一段落したお昼時。毎日の事ではあるのだが、校内の食堂は今日も今日とて学校中から詰め掛けた大勢の生徒達で混雑していた。
誰も彼もが級友らとテーブルを囲んでお喋りに興じつつ、各々が持ち寄った料理をその健康的な食欲でたいらげていく。そんな風に騒がしくも活力に満ちた様子を見せる食堂であったが、隅っこの方によくよく目を向けてみればそこには置き忘れられた観葉植物のようにひっそりと座っている
他に食事を共にする連れ合いがいる風でもなし、背を丸めて黙々と規則的にオムライスの山をつつく智子の席では、スプーンと皿がぶつかる硬質な音と彼女自身の緩い咀嚼音だけが繰り返されている。
(やっぱ隅っこの方でも居辛いな……)
以前、智子はちょっとした思いつきから一人で学食に来た事があった。
その際はたまたま空いていた食堂のど真ん中のテーブルに陣取ってしまったものだから、必然的に衆目のなかでぽつねんと一人孤独にうどんをすする羽目になって大変に気まずい思いをしたのだが、それではと今度は目立たぬような場所を選んで昼食を取る事にしたのだった。
(これはこれでなんか惨めだ……やっぱ学食なんて一人で来るもんじゃないな)
いつもは母が持たせてくれるお弁当やコンビニで買う出来合いのもので昼食を済ます智子であったが、たまには出来立ての温かい料理を食べてみたいと思う事もある。それでこうして懲りずに学食に挑戦していた訳なのであったが早くもそれを後悔し始めていた。
本当なら今日は己の数少ない級友と言えなくもない相手と一緒に行く約束を取り付けてあったのだが、何やら急な用事とやらでドタキャンされてしまった結果、またしてもこの場に一人で訪れる羽目になってしまったのだ。
(大体何だよ、いつも教室でボーッとしてる癖に今日に限って急用って……どうしても私をぼっちにしたいのか?)
まるで己を罠に掛けるが如きクラスメイトの間の悪さにボヤきつつも、いい加減全く美味しくも無い作業的な食べ方に疲れてきた智子がふとスプーンの動きを止めて周囲へ視線を漂わせる。
(私以外にも一人で来てる奴っているのか……?)
少しでも気を紛らわそうと無意識に同類の存在を探してしまうのは果たして本能なのか。救いを求めるように食堂内をさ迷う智子の視線であったが、ふとそれが場の一角に縫い付けられる。
(おっ、あいつもしかして……)
智子が居るのとはまた別方向の隅に、智子と同じように背を丸めてもそもそ何かを食べている
(メガネじゃねーか、流石に便所飯が嫌になったんか)
メガネだの便所コオロギだのと普段からおざなりなアダ名で呼んでいる件の知り合いを見つけた事で、智子の目に意地の悪そうな光が宿る。
こうなると先程までのいじけた気持ちはどこへやら、自分と同じ立場か或いはそれ以下と見なせそうな相手の出現を受けて、智子の中で根拠の無い優越感がむくむくと湧き上がってきてしまう。
(ちょっくら声掛けに行ってやるか)
そう思い立ったが早いか料理を載せたトレイを持ち上げた智子は、人ごみをすり抜け軽い足取りで琴美の元へと歩み寄っていった。
◆
「何いっちょ前にこんな所で食ってんだよ」
己の持つトレイをこれみよがしに琴美の隣へ乱暴に置いてみせた智子は、開口一番軽めのジャブを放つ。
「お前かよ……」
それまで隠れるようにして食事をしていた所に突然そのような事をされてしまったものだから、驚きのあまり体を震わせてしまった琴美であったが、声の主が智子であると見るや露骨に嫌そうな態度で返した。
「ここはこみなんとかさんみてーなぼっちが来ていい場所じゃねーんだぞ?」
自分の事は棚に上げてそのような嫌味を言い放ちつつ、迷惑そうにしている琴美の隣へ椅子を引いてどっかと座り込む智子であった。
「そういうあんただって一人だろうが」
一体何が楽しいのやら、こうしてわざわざ己の姿をめざとく見つけて悪態を吐きに来る智子の無神経さに呆れつつ、少しばかりの憎まれ口で返してみせる琴美。
「いやいや、私は今日一緒に来る“友達”が急用で行けなくなっただけだから。仕方なく一人で来てるだけだから」
お前と一緒にするんじゃないよ、と言外に露骨な含ませ方をしてくる智子を前に、なんとも面倒臭い相手に絡まれたと言いたげな様子で溜息をついてしまう琴美であった。
さっさと食べ終えて教室へ戻ろうと思ったのか、智子にそっぽを向いた琴美が無言のまま食事を再開する。実の所、真に偶然ではあるのだが琴美が本日この場に一人っきりで訪れる事になったのもまた、己の数少ない友人の都合が土壇場で合わなくなってしまった結果であったのだが、わざわざそれを智子に説明してやる気は無いようだ。きっとなんのかの屁理屈をつけて言い負かそうとしてくる事が、智子の人となりを悪い意味で良く知る彼女には判っていたのかもしれない。
「……何食ってんの?」
そんな琴美の素っ気無い態度が癇に障った様子の智子が、おもむろに琴美のトレイを横から覗き込んでは性懲りもなく彼女の食事を邪魔しにかかる。
(無視だ、無視……!)
そんな智子を相手にせず、琴美は黙々と手に持った昼食の残りにかじりつく。琴美が先程から食べているのは大きなウインナーを長パンでサンドした軽食、いわゆるホットドッグであった。
「うわっ、ホットドッグ食ってる。やっぱ変態は普段の食いもんからしてイカれてんのな」
「!?」
無視をするとはメガネの癖に生意気な。ここはお仕置きとしてキツめの一発をお見舞いしてやるかと急に妙な事を言い出した智子は、さも信じられない物を見たかのような表情をわざとらしく作ってみせる。
言われた側の琴美はというと、自分が何を言われているかが判らず智子の言葉に疑問符を浮かべる。
「お前あれだろ、そのウインナーをチンコに見立ててコソコソぱくついてたんだろ? 公衆の面前で何やってんだよ」
今正に公衆の面前で堂々とあらぬ事を口にしているのは自分の方なのであるが、どうも智子としては琴美の食べている物を指して最低な例え方をしてみせたつもりのようだった。
ともあれこの智子、普段は口下手な癖にこういう時ばかりは舌が回って相手を貶す言葉が流暢に出てきてしまうのである。
ようやく相手の言わんとしている事が理解出来た琴美は流石に頭に血がのぼり黙っていられなくなる。
「おまっ、いい加減にしろよ……!」
「あっうそうそ、冗談っ、本気にすんなって」
そんな琴美の様子にしてやったりな表情を滲ませつつも、琴美の爆発点がそろそろ近い事を見極めた智子はここらが潮時かと思い、己に憤って目を血走らせ始めた琴美をどうどうと宥める。
この小宮山琴美といういけ好かない知人が口で勝てないと見るやなりふり構わず暴力に訴えかねない手合いである事を智子はその身を持って思い知らされていたから、こうした闘牛士の如き際どい駆け引きもまた智子なりの意地の悪い学習の成果なのであった。
「ふぅー」
ともあれひとしきり琴美をからかって気の済んだ様子の智子は、満足気に一息つくとおもむろに己の食事を再開する。他人の恥辱で飯が美味いぜ、と言わんばかりに今度はちゃんと味わって食べているようだ。
隣り合っている琴美の顔には「気が済んだらどっか行けよ」と言いたげな不快感がありありと浮かんでいるのだが、智子としては一人ぼっちでいた先程よりもこちらの方が居心地が良かったようで席を立つ気配は無い。
ともあれ初っ端こそ程度の低い賑やかさを見せていた二人ではあったが、そこから先は会話も途切れてしまったようで、お互いに黙々と食事の残りを片付けに掛かる。琴美としても実際は先程まで一人で肩身の狭い思いをしていたのだろうか、智子に苛立つ様子を見せていた割には己の方から別の席へ移ろうとする素振りもなく、大人しく智子と相席のまま食事を続けていた。
「……あ、あのさ」
「え? 何? ロッテの話なら聞かねーぞ」
と、ふいに琴美がそんな二人の間の沈黙を破るかのように唐突に智子へ話しかけた。
また興味の無い野球の話を聞かされるのかと思った智子は、彼女が本題に入ろうとする前に牽制球を放つ。
「いや、ちげぇよ……その、あんたのさ……友達の事なんだけど」
「へ?」
野球でないなら弟の事について探りを入れてくる気かと身構えた智子であったが、意外にも己自身の交友関係について話題を向けられた為に意表を突かれてしまう。
「ほら、たまにあんたと一緒にいるあの、ちょっと不良っぽい金髪の子、いるだろ?」
「あー……うん、まあ」
琴美が言っているのは、智子のクラスメイトである
あれは友達なんかではないのだがと否定しそうになった智子ではあったが、琴美がそのように勘違いしているのであれば自身の交友関係の広さを見せつけられると考え、一応同意してみせる。
「いるけど、それがどうかした?」
「いや、なんかあんまし評判良くないみたいだぞ、あの子」
ああ、そりゃそうだろうなと思う智子。何かと粗暴な所のある吉田嬢はクラスの中でも浮いた存在であり、以前は授業にもまともに顔を出していなかった程であるから、比較的進学校の部類に入るここ原幕では、そういった素行不良気味の生徒に対する周りからの評判が芳しくないのも当然であろう。
「まあ、そりゃそーだろ、あれはヤンキーだしなー」
「大丈夫なのか?」
「えっ何が?」
言われた事の意味が判らず聞き返す智子。
「いや、あんた、あの子にいじめられてたりとかしてないか?」
「え!? なんでそういう話になんの?」
まるで予想もしていなかった言葉を琴美から投げ掛けられてしまい、智子の目が丸くなる。確かにあの短気な吉田嬢に痛い目に遭わされるのは割と日常茶飯事ではあるのだが、だからといって己が彼女にいじめられている等とは毛ほども思っていない智子としては正に寝耳に水の琴美からの質問なのであった。
「あ、いや……なんかあんたが結構あの子に殴られたりしてるって聞いたから」
聞いたって一体誰にだよ、と智子が琴美を問い正してみれば、どうもそれは噂という形で他所のクラスの琴美の耳に届いたようだったのだ。確かに吉田嬢を目の上のたんこぶのように思ってはいる智子であったが、だからといって彼女が、そして己が周りからまさかそのようにあらぬ誤解を受けているとなると、なんともモヤモヤした気持ちになってしまう。
もしかしたら自分が時折彼女に対して怯えた素振りを見せているから周りがそんな風に誤解してしまうのか。智子としては吉田嬢が粗暴なヤンキーである事は疑いようもない事実ではあるのだが、だからといって自分をいじめてくるような人間ではないだろうと言える自信が多少なりともあった。それは智子が普段苦手としている筈の吉田嬢の本当の人となりを他の生徒達よりも理解し始めている証拠でもあったのだが。
そもそも己がいじめられている等という不名誉な風評は智子にとって看過出来ないものであった。特にこのメガネにまでそう思われてしまっているとあっては真に面白くない。ここはおおげさに言ってみせてでも誤解を解かねばならぬと智子は反論を開始する。
「なんか誤解されてるようだけどさ、アレと私の間にはイジメとかそういうの全然無いから」
「そうなのか?」
「ほら、あいつって見たまんまヤンキーだから。暴力を通してでしか人と意思疎通が出来ない可哀想な奴なんだよ」
「いや、普通にやばい奴だろそれは……」
きっぱりと己達への疑惑を否定してみせる智子であったが、琴美の訝しげな様子からしてまだまだ弁明が足りないとみた智子は、多少無理やりにでも好意的な評価を加える形で吉田嬢の擁護を続ける。
「それに、あいつ実はハローキティとか好きみたいで……なんかガキ向けのぬいぐるみも集めてるっぽいし、あんなナリしてるけど結構可愛い所もあるんだぜ?」
外見にそぐわぬ少女趣味を持つ吉田嬢であるが、一応は彼女が内緒にしたがっているそれを智子は遠慮なく暴露してみせる。普段ワルぶっている者がこっそり子犬を可愛がってたりするとギャップ効果で良い奴に見えてしまうという、智子としては何とも癪に障る法則があるのだが、ヤンキーをヨイショしてやるにはやはりこの手に限ると思う智子であった。
「去年なんか、クレーンゲームで欲しいぬいぐるみがあるから私に取ってくれってせがんできた事もあったしな」
さり気なく「自分のが上なんだぞ」と言ったニュアンスを含ませた補足を付け足すのも忘れない。その際に自分も乱暴者の吉田嬢から景品のように吊り上げられてしまった事は勿論伏せておくのだが。
「へえ、そ、そう……」
言葉を詰まらせ気味に相槌を打つ琴美の様子によしもう一押しだと、続けてこれまで彼女から受けた親切と言えなくもない行為を思い出す限り引き合いに出していく智子。
「あいつああ見えて結構気の利く奴でさ、前に雨降ってて傘忘れた時に(無理やり)私を自分の傘に入れてくれた事とかもあったし……おお、そういや修学旅行の時も私がケガしたらおぶさってくれたぞ」
そのあと山ん中に置き去りにされそうになったけどな、と心の中で補足する智子であったがひとまず効果はてきめんのようで、見れば琴美の顔からは疑惑の念がすっかり抜け落ちていた。いやむしろ、ややたじろいだ様子すら見せているのであった。
「だから、あいつ別に悪い奴とかじゃないの。判った?」
「あっ、そうなんだ……うん、判った、判ったよ」
「おう、判りゃいいんだ。まあお前からもその噂してる人達に説明しといてくれ」
ひとしきり智子の弁明を聞かされた琴美は、すっかり己の中の誤解が解けた事を智子に伝えてみせる。その反応に満足した智子は「ギャップ効果マジお手軽だわー」などと思いつつ、さらりと面倒臭い頼み事も口にするのだった。
(つーか、
が、当の琴美本人は何やら意外なものを見てしまったと言わんばかりの表情をしている。
吉田嬢の赤裸々な人となりを知る事によって誤解が解けたか見えた琴美であったが、その思う所は別にあった。琴美としては滅多に人を褒めないあの偏屈者の智子がここまで誰かに対する好意的な見解を述べてみせた事に驚きを感じており、件の不良生徒とはそこまで言わしめる程の間柄なのだと解釈したのだ。
「仲、良いんだな」
「えっ!? いや、まあ、それなりには……」
そんな琴美の呟きに「ほんとはそんな事無いんだぞ」と言いたくはあったのだが、今さら否定する訳にも行かないので言葉を濁す智子。
「あんたの噂聞いてから正直ちょっと気になってたけど……まあ安心したよ」
(んんん?)
ふいに琴美が爽やかな表情でそのように言ってのけたものだから、智子は面食らわずにはいられなかった。普段から智子に対して冷淡な態度で接する事の多い琴美であるが、この時ばかりは本当に安心したのか、まるで親しい友人に向けるかのような温もりを含ませた眼差しを智子に向けたのだった。
(えっ何これ、もしかしてこいつ私の事心配してたの……?)
メガネの癖に生意気な。お前はむしろその噂を聞いてほくそ笑むべきだろう等と思う智子であったのだが、琴美の突然の告白を前にどう返していいものかと言葉に詰まってしまう。人からの悪意にはそれなりに耐性がある智子であったが、こうした善意に晒されようものなら途端にたじろいでしまう性分なのである。ましてや普段は悪態を吐きあってばかりの間柄である琴美であるからして、そのギャップが智子にもたらす戸惑いもひとしおなのであった。
「あっ予鈴……」
と、困惑する智子を助けるかのようにランチタイムの終わりを告げるメロディが食堂に鳴り響いた。それを合図に、早々に切り上げねばと一斉に食器を返却し始めた生徒達で再び食堂の受付口が混雑の様相を呈し始める。
さて智子達の方はどうかと言えば、すっかり料理をたいらげていた智子に対し琴美の方はまだ幾分かの添え物が皿に残っていたようで、彼女は慌ててそれを片付けに掛かっていた。
(ま、いいか……)
先程の琴美の予想外の一言にドキリとさせられた余韻を感じつつも、努めて平常心を取り戻そうとする智子は自分へ言い聞かせるように心中でひとりごちる。
「ほら、見ててやるから早く食べろよ」
「いや、お前はもう戻っとけよ」
先に琴美を置いて教室に戻るでもなく、おもむろに頬杖をつきつつ琴美を急かす智子なのであった。
おしまい