もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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◼設定資料(再掲)
原幕小学校 間取り図(一階)
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原幕小学校 間取り図(二階、三階、屋上)
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作中の智子たちが住む町(簡易版地図)
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【ホラー】原幕小の七不思議(6)

みんなの行方

「お、おぉーい……」

 

 引き戸をあけて教室を覗き込んだ智子がなかに向かって呼びかける。だけども返事はないし、しばらく様子をうかがってみても物音ひとつ立たないようだった。そこはさっきまで智子たちのいた三年三組の隣にある空き教室で、普段はクラブ活動やレクリエーションに利用されている場所だ。

 

「ま、真子さーん……!」

 

 心もち声を大きくした智子が改めて仲間の名を口にしてみるがやはり結果は変わらない。ぴっちりと閉じられたカーテンのせいでほとんどまっくらなその教室だったけれど、人の隠れていそうな気配はどうにも感じられないのだった。

 

「あ……いないんじゃないかな、これ」

「うん、じゃあ下に行こっか」

 

 真子の代わりにおばけが出てくるのではと不安のよぎる智子であったから、そばでおなじように教室を覗き込んでいた花子の服をギュッとつかむ。そうした智子の言葉にうなずく花子が場所を変えようと提案した。はぐれてしまった仲間と合流すべく手はじめに旧校舎から探していくつもりの智子たちであったが、二階にある教室はここが最後なので今度は一階へと足を運ぶことにしたようだ。

 

「ねぇ智子ちゃん」

「あっハイ」

 

 ギシギシと鳴る木造の階段をおりきったところでふいに花子が口をひらいた。おばけの襲来に備えて辺りを警戒していた智子がはっとしたように返事をする。

 

「はぐれちゃった子たちってもしかして友達?」

「あー、うーん……」

 

 どうも花子は本日ここ裏幕へとやってきている他の訪問者たちが智子の友人ではないかと思っているようだ。しかしこのようにたずねられても智子はすんなりと答えられない。

 

「いやまあ、ただのクラスメイトかな」

「仲よしじゃないの?」

「ぜんぜん。名前とかもよく知んないし」

 

 これまでいくつもの脅威を共に乗り切ってきた仲間たちであったがまともに会話したのは本日がはじめてだ。だから正直なところ、フルネームもわからない彼女らを友達と呼んでいいのかどうか智子にはわからなかった。仮に自分のほうが友達だと思いはじめていたとしても向こうはどうだか知れない。そんなふうに考える智子であったから結局は首を横に振ってしまう。

 

「そっかぁ……」

 

 答えを聞いた花子が妙に残念そうな顔をするので変なことでも言っちゃったかなと思う智子。だけども花子がそれきりなにも聞いてこなくなったので結局はよくわからないままだった。

 ともあれ智子たちはひとつまたひとつと一階のトイレや教室を覗いていったのだけど、結局仲間たちは見つからなかった。みんなは一体どこへ行ってしまったのか。ひょっとするとあちらのほうも、置いてけぼりにしていったわたしのことを探して校内をうろついているのかもしれない。あるいはおばけたちに追いかけられてどこかへ逃げ込んだままでいるのだろうか。そんなふうに考えを巡らせる智子がなにげなしに廊下から見える外の景色へ目を向けた。

 

「あっ!? だ、誰かいるよ!」慌てた様子の智子が花子の服をひっぱりなにごとかをうったえた。

「えっ?」まだ教室を覗き込んでいた花子も窓の外を指さす智子にうながされてそちらを見やる。

「ほらあそこ、池んところ……!」

 

 智子が指し示すのは、中庭のビオトープ内に設けられた浅い池だ。ここではメダカなんかが飼われているのだけど、例の不気味な自画像が貼られていた教室のちょうど対面に立つ智子たちからは草木に隠れることなく池の様子がよく見えた。

 

「わぁ……」

 

 確かに智子の言う通り池のほとりに誰かが立っていた。それに気づいた花子が感心した様子で窓辺へと歩み寄り、くもった古ガラス越しに見えるその姿を前にため息を漏らした。それは智子のほうも同じであり、窓にべったり張りつく少女の視線はもはや目の前の光景に釘付けとなっていた。

 

「ほへぇー……」

 

 ほうけた声を上げる智子であったがその顔もずいぶんとゆるんでいた。あたかも地獄のなかで仏さまに出会ったかのような、あるいはおおいなる母のぬくもりに包まれたかのような、えもいわれぬ表情を浮かべているようだ。

 智子たちの視線の先になにがいたのかといえば、それはひとりの女性であった。明るい色合いのゆったりとしたローブに身を包む女性が、そっと静かに立ったまま智子たちに柔らかい表情を向けていたのだった。ただそれだけであれば智子としても新手のおばけが出たと警戒したかもしれない。しかし今の智子にそうした様子はみじんも見られず、ビオトープに佇む女性にひたすら見入っている。目の前の女性がおばけであるなどと、とてもそのようには思えなかったからだ。

 

(女神さま……?)

 

 智子の心のなかで自然とそうした言葉が浮かんできた。それがくだんの女性に対する呼び名としてこの上なく相応しいように感じられたからだ。彼女の体はその頭上からつま先に至るまであたたかな輝きを放っていて、日の光が弱いここ裏幕にあってはとりわけ目を引いた。頭に被ったベールからこぼれるその豊かな髪は桜色ともピンクゴールドとも言えるきらびやかな色彩に満ちていて、離れた場所にいる智子にまでうっとりするような香りを錯覚させてしまうものがあった。

 

(きれい! かわいい! やさしい! すごい!)

 

 年若い智子にはまだ目の前の存在がその身から放つ数々の鮮烈なイメージを適切に表現しうるだけのボキャブラリーがそなわっていなかった。あるいは大人たちにだってそんなことは不可能なのかもしれない。人の身を超えた高貴な雰囲気をまとうその女性を正確に言いあらわそうと思ったら、天上の世界にのみ存在する特別な言語が必要であるはず。そう思わせるだけの神々しさが彼女にはあった。

 

「あ、えへへ……」

 

 女神さまがニッコリ笑って軽く手を振ってきたので、舞い上がった智子も思わず手を振り返してしまう。

 

『いらっしゃい』

 

 智子には確かにそう聞こえた気がした。頭のなかで誰かが自分に語りかけてきたような感じがしたのだけど、それはあの女神さまから発せられているのだと、そのような確信があった。

 

(いかなきゃ!)

 

 智子のなかで突如このような衝動がわきおこった。女神さまが呼んでいる。早くわたしのもとへいらっしゃいとお招きしてくれている。あの御方ならきっと今の自分を助けてくれるに違いない。彼女のふところへ飛び込んでそのまま優しく抱きしめてもらったら、たちどころに全ての悩みや不安も消え去ってしまうだろう。近頃おもしろくない学校だってもはやどうでもよくなってしまうはずだ。目の上のたんこぶな担任も、イカサマのことでからかってくる男子も、理不尽に無視してくる女子も、みんな道端の小石に等しい存在と化すだろう。クラスの中心だった頃の権威を取り戻そうとあがいたりもしたけれど、その必要はもはやなくなった。だから自分が今すべきは一刻も早く女神さまのもとへ駆けつけることだ。

 熱狂的な使命感に支配された智子であったから、意識せず体が動いてしまう。目の前のガラス戸の鍵を素早く外し、急いであけようとするのだった。

 

「あれ? んっしょ……!」

 

 が、戸はびくともしなかった。上下にスライドさせる古いタイプのそのガラス戸は智子がいくら力を込めようとも一向にひらいてくれなかった。らちがあかないと他の窓へ飛びつく智子がまた同じようにうんうん頑張るのだけど、錆だらけの窓枠がガタつくばかりで結果は変わらなかった。

 

「なんだよもぉぉ!」かんしゃくを起こした智子がガラス戸に向かって怒鳴りつける。

「待って智子ちゃん、落ち着いて!」

 

 興奮する智子をおさえようと、その肩をつかんだ花子が焦ったように話しかけるのだが効果はなかった。頭のなかが女神さまでいっぱいの智子は、花子の手を振り払うとそのまま階段手前にある出入り口の扉に向かって勢いよく駆けだした。窓があかないのならあそこから出ていってやると、そう考えてのことだ。

 

「あっ、くそっ、このぉ……!」

 

 しかしどうやらそちらのほうもダメだったようで、鍵がかかっていないはずのドアノブをいくら回して押し引きしてみても、アルミ製のその扉は閉ざされたままだった。智子はもう、じれったさで気が狂いそうになってしまう。

 

「待って、待って……!」

 

 あとを追ってきた花子が必死に呼び止めるのだけどそれが耳にはいっていない智子は階段へと走り寄り、勢いをつけたまま猛烈に駆け上がっていく。すばしっこいことこの上ない智子であったから花子の足では中々つかまらないようだ。そうして二階に戻ってきた智子はそのまま渡り廊下へおどり出る。ここから一旦他の棟へと移って女神さまのもとに馳せ参じるつもりだ。

 

「あっ!?」

 

 しかしそうした智子の突撃を阻むものがあった。A棟へと続くその渡り廊下が途中から大きな防火扉によって塞がれており、うしろを振り返ってみればC棟につながる廊下も同じように閉ざされてしまっていた。

 

「ふんぐぬぬ……!」

 

 ともあれこのとおせんぼを突破せねばと、A棟側の扉に駆け寄った智子がめいっぱいそれを押し込んでみせた。鼻息荒く力をこめるたび、グワングワンと鉄板のきしむ音が廊下中に響き渡る。しかし一階の出入り口のときと同じくその鋼鉄製の大扉はあきそうになかった。くぐり戸のほうもまるで溶接したかのように固定されていて、もはや外へ出ることは叶わないようだ。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 そのことを理解した智子が諦めたように扉の前で膝をつく。と同時に、なんだか頭のなかがすっと冷めていくような感じがした。

 

「大丈夫?」

「あ、うん……」

 

 背後から気づかわしげな声でそうたずねてきたのは花子だ。とっくに追いついてきていたようだが、智子が落ち着くのを待ってしばらく様子を見ていたらしい。

 

「ふ────……」

 

 やがて大きく息を吐いた智子が扉に手をつきながらゆっくり立ち上がる。

 

「さ、さっきの人、すごくきれいだったけど、やっぱおばけかな?」

「そうだね。わたしもはじめて見たけど、たぶんあれって……」

 

 さっきまでの自分の半狂乱ぶりが今になって恥ずかしくなってきた智子であったから、ごまかそうと話題を振ってみせた。それを受け、花子が思案するようにその指先を口もとへやる。

 

「まだいたりして……」

 

 せっかくだから確認してみようと智子が窓辺のほうへ行こうとする。二階から見下ろしてみればビオトープの様子が一望できるので、智子はそこから女神さまのお姿をいま一度拝見したくなったようだ。

 

「あっ、ダメ!」自分の横を通っていこうとした智子の腕を花子がガッチリつかんで引きとめる。「さっきのあの人、きっと『マリアさま』だと思う。智子ちゃん、あの人に連れてかれそうになってたから」

「そ、そうなの……?」

 

 花子が「マリアさま」なる人物の名を口にするが、その説明によればさっき智子の様子が急におかしくなったのも池の前に佇むあの女性のしわざということらしい。どうやら彼女は智子の心に働きかけてみずからのもとへおびき寄せようとしていたみたいだ。

 

(【きれいだったマリアさま】か、あっぶなー……!)

 

 花子の指摘を受け、女神の正体についてようやく察しのついた智子は冷や汗を流す。あれは女神さまなんかじゃなく、やっぱりただのおばけなのだった。もう完全に心奪われていた自分を振り返った智子は、もしさっきガラス戸がすんなりあいてしまっていたら今ごろどうなっていただろうとゾッとせずにはいられなかった。マリアさまに魅入られてしまった者は身も心も赤ん坊へと変えられてしまい、彼女の子供にされてしまうと言われているからだ。

 このマリアさまというおばけの発祥は戦争が終わってまもない四〇年代なかばまでさかのぼる。出征していた兵隊さんたちが続々と復員していた当時の日本では、ごくたまに人間じゃないものまで故郷に帰ってきたりした。それはなにかしらの銅像だったりお寺の大きな鐘だったりしたのだけど、戦時中に貴重な金属資源として供出されていったうちの溶かされずにいたものが終戦後にもとの持ち主へ返却されていったという訳だ。こうしたことは原幕小でも起きていて、例えば裏庭方面にある非常用門(かつての正門)の門扉(もんぴ)なんかが無事な状態で戻ってきたりしていたが、そうしたなかにあって当時の先生や児童たちは一体の銅像の帰還を心待ちにしていた。それはキリスト教における聖母マリアを思わせる風貌の──学校側はあくまでただの母子像だと言い張っていた──美しい像で、みんなが「マリアさま」と呼び慕っていたものだった。なかにはこの銅像を神さまのように崇める者たちまでいたそうで、それはそれは大切にされていたという。誰が造ったのか、いつごろ学校に持ち込まれたのか、そうした諸々が謎に包まれているこの銅像はちょうど今のビオトープがある辺りに設置されていたらしい。

 やがてくだんのマリアさまが幸いにも溶かされずに済んでいたことがわかり、ついに原幕小へと返却される日がやってきた。しかしトラックで学校に運ばれてきた銅像をお迎えをしようと集まっていた先生や子供たちは、そのマリアさまを見てギョッとせずにはいられなかった。魅力的なほほえみを浮かべていたはずの彼女がなんとも険しい顔つきへと変貌していたからだ。下唇を噛み、眼光をするどくしたマリアさまの顔はまるでおこっているようだった。

 そしてまた、マリアさまにはもうひとつ大きな変化があった。もともと彼女が大事そうに抱きかかえていたはずの赤ちゃん像がその腕のなかからもぎとられていたのだ。遠方の保管施設へとマリアさまを受け取りにいった者の話によると、倉庫のなかでほこりをかぶっていた彼女を見つけたときには既にこの状態だったらしい。赤ちゃんも一緒に持っていってあげようと探したのだけど、結局その像は見つからなかったので仕方なしにお母さんだけを連れ帰ってきたのだという。

 ともあれ再び原幕小に設置されたマリアさまだったけれど、顔つきが変わってしまったせいか以前の慕われぶりがウソのようにすっかり気味悪がられるようになってしまった。彼女についての怪談が子供たちのあいだで流行りだしたのもそのころからで、いわくいなくなった赤ちゃんを想ってときおりマリアさまが血の涙を流すだとか、赤ちゃんの代わりになりそうな子供──なにかしら悩みを抱える者は特に狙われやすいとされる──を見つけると以前のような優しい顔に戻って話しかけてくるなどと噂されていたのだった。

 そうして年月が経って彼女に関する噂も忘れ去られたころ、結局このマリア像は誰にも惜しまれることなくどこかの教会へと引き取られていったそうな。

 

「て、ていうかこれさ、もしかして閉じ込められてない……?」

 

 正体のわかったマリアさまはさておいて、智子は他のことが気がかりになってきた。外へ出ようと躍起になっていたにもかかわらず結局それが叶わなかったのは、つまり出口になりそうな場所がいずれも閉ざされていたからだ。

 

「さっきめっちゃ押してみたけど全然あかないんだ、ほら」

 

 防火扉に駆け寄った智子が改めてそれを両手で押してみるが、妖怪ぬりかべのように通行を妨げる扉は音を響かせわずかにしなるばかりだった。これこそは旧校舎にまつわる怪談どおりの現象であったから、智子としては罠にかかったような気持ちだ。このぶんだと密室状態の旧校舎にやがて裏幕のおばけたちが集結してくる可能性もあったので、そうなる前にどうにか脱出しなくてはならない。

 

「こういうときどうしたらいいとか、今江先生なんか言ってなかった?」この先輩ならなにか対処法を知っているのではないかと思った智子がたずねてみたところ、

「あっうん、えっとね……」花子がおもむろに手を取ってきた。

「あ、な、なに?」

「あのね、ちょっと目をつぶっててほしいんだけど」

「へ?」

「試してみたいことがあるの。大丈夫だから、ねっ?」

「あ、うん……」

 

 急に妙なことを言いだす花子だったが、この先輩なりの考えがあるらしいと察した智子であったから大人しくその指示に従った。

 

「今からグルグル回るけど、いいって言うまでぜったい目をあけないでね」

 

 花子が念を押すように言ってから、智子を軸にその周囲をすたすたと回りはじめた。なんだか運動会とかでやるフォークダンスみたいだなと、目を閉じたままの智子がぼんやり思う。やがて今度は逆方向に回りだしたのですっかり方向感覚の狂った智子の足もとはおぼつかなくなってしまい、視界の利かないなかで花子とつないだ両手の感覚だけを頼りとするほかなくなった。

 

「まだあけちゃダメだよ……じゃあほら、こっちに来て……」

 

 ふいに回転を止めた花子が新たな指示を智子に出した。花子にそっとひっぱられる形でよちよち歩きの智子が一歩一歩踏み出していく。自分がいまどこに向かって歩いているのかという感覚もすっかりあやふやになってしまった智子だったのでなんだかムズムズして仕方がない。まぶたがピクピク動いて反射的に目があいてしまいそうになるけれど、眉間にぎゅっと力を込めてどうにかがまんする。

 

「もういいよ」

 

 いつまでこうしているのだろうと智子が思いはじめたところで、ふと手を引くのをやめた花子がそのように言ってきた。ようやくお許しが出たと、智子は閉じっぱなしだったその目をひらく。

 

「あ……えっ?」

 

 最初、智子は自分がさっきまでと同じ場所にいると思っていた。でも違和感を感じてよくよく確認してみたところ、防火扉にさえぎられて見えなかったA棟二階の階段が目にはいったので面食らわずにはいられなかった。

 

「よかったぁ、うまく行ったみたい」

「あ、あのっ、これ、どうなってんの……!?」

 

 うしろを振り返ってみれば、通行をさえぎる例の防火扉が見えた。さっきまで確かにあの向こう側にいたはずなのにまるでそれをすり抜ける形でA棟側へと移動してしまったものだから、なにが起きたのかわからない智子は説明を求める。

 

「えっと、ちょっとした思い込みの力っていうか……」

 

 花子が言うには、自分たちが扉の向こう側にいるのだと強く念じて歩き出すことで障害物をすり抜けることができるそうだ。目をつぶらせた智子の手を引いてあげたのは置いてけぼりにしないためで、わざわざ妙な動きで方向感覚を狂わせたのも「扉があるからこの先へは行けない」という智子の先入観に邪魔されないための工夫なのだとか。

 

「裏幕のなかにいるとね、思ったことが少しだけホントになるんだ。すっごく集中しないといけないから結構難しいけど……」

 

 って今江先生が言ってたよ。そう締めくくった花子の説明を聞かされて智子は感心することしきりだった。さすが六年生は違うなと、今江先生直伝の秘術を駆使するこの先輩が頼もしく感じられるのだった。

 

「ここのおばけたちもそうやって生まれたんじゃないかなって思うの」

「そうなの?」

「ほら、出てくるのってみんな七不思議のおばけばかりでしょ? 今までウチの学校で色んな子たちが七不思議をおもしろがったり本気で信じちゃったりしたから、それがエネルギーになってホントのことになっちゃったんじゃないかな」

「へぇー……」

 

 花子のそうした仮説には中々の説得力があると、智子はそのように感じた。この理屈でいけば作り話に過ぎなかった「あかずの小屋の花子さん」が実際にあらわれたことにも一応ながら説明がつくように思える。新世代七不思議の第一弾として考案したあの怪談はまだごく限られた者にしか知られていなかったけど実体化するには十分だったのかもしれない。とはいえそれが表の世界にまで出張ってきた原因として考えられるのは──

 

(やっぱきこさん祭りのせいだな……)

 

 仲間たちの証言によれば、まだ裏幕へと連れ込まれる前から手が伸びてくる池だったりあるはずのない防空壕だったりが校内に出現していたそうだから、自分がくだんの儀式をおこなってしまった時点で表と裏の境界があやふやになって、一部の怪異が現実世界にも出てきてしまったのだろうかと智子は推測する。人間を自分たちの住みかへと引きずり込むため、それに相応しい怪談たちが裏の世界からやってきたという訳だ。

 なぜ原幕小学校にこのようなおそろしい場所が存在するのか知るよしもないが、無事にここを脱出できたら隠れオカルトマニアの今江先生にその辺りを質問してみようと思う智子だった。

 

 ◆

 

「なにあれ……?」

 

 渡り廊下から地続きとなっているA棟二階へとやってきた智子たちであったが、そこで目にした辺りの様子に目を剥いてしまった。このフロアには二年生と六年生の教室がひとつずつ、そして一番奥には理科室があるのだけど、その理科室前の廊下には運動場に白線を引くときの粉のようなものがそこかしこにぶちまけられていたのだ。

 

「消火器かな。あれってこういう匂いするもの」

 

 すんすんと匂いを嗅いでみせた花子が自分なりの見解を述べる。智子にとっては嗅ぎなれない奇妙な匂いであったが、それがA棟の廊下に漂っていた。あの白い粉が匂いの発生源だとすると花子の言うように消火器の噴射がおこなわれた形跡と考えられる。

 

「あっ見て、なんか足あとみたいなの」

「ホントだ、いっぱいあるね」

 

 廊下の奥から智子たちが立っているところまで肉球型の足あとがいくつも延びてきていた。その行く先を目で追ってみれば階段のほうへと続いているようだった。靴底のあとなんかは特に見当たらなかったけれど、動物らしき存在が足の裏に消火剤を付着させたままこの辺りを通っていったことは確かなようだ。

 

「これあれかな、『化猫党(ばけねことう)』っての」足あとの正体について早速見当をつけた智子が花子にそうたずねる。

「うん、たぶんね」智子の言葉に花子もうなずき、「はぐれちゃった子たちが消火器で追い払ったのかも」

 

 おそらくは廊下でおばけに襲われた仲間たちがそうやって必死の抵抗を試みたのだろう。となると彼女らはここA棟へ来ていたと見て間違いない。もしかすると今もどこかその辺の部屋に隠れているかもしれないので、まずは手前にある二年三組の教室から調べてみる。

 

「うわっ……!」

 

 教室に近づいてみて智子はすぐさまその異変に気づいた。まず真っ先に目についたのは廊下に面する採光用のすりガラス窓が一箇所派手に割れていたこと。出入り口のほうも引き戸の下半分がまるで猫の爪とぎにでも使用されたかのようにズタボロになっていた。

 

「な、なんかすごいことになってるけど」

「ひどい……」

 

 内側から鍵がかけられているのか、智子が手をかけたその戸はひらかなった。なので戸の覗き窓から花子と一緒に教室の様子を確認してみたところ内部はしっちゃかめっちゃかになっているようだった。元々はきれいに並んでいたはずの机や椅子が派手にひっくり返ったり押しのけられたりしていてまるで嵐が通り過ぎたかのようだ。

 

「ね、ねぇー、誰かいるー?」

 

 教室のもう一方の戸はあけっぱなしにされていたのでそこから改めて中を覗き込んだ智子が呼びかけてみる。しかし返事はないようだ。もしかしたら散乱している机などの陰に潜んでいるのではと思い、慎重な足どりで教室へとはいっていく。

 

「いないね。理科室のほうかな?」

「う、うん、そうかも……」

 

 足もとに注意しながら荒れた教室のなかを見て回った智子と花子だったけれど結局仲間たちはここにもいないようだった。誰かがいたような感じはするけれど、この様子だとおばけが教室のなかにまではいってきて暴れたから慌てて逃げだしたのかもしれない。なんだか猫臭い匂いもかすかに残っていたので、辺りに広がる教室内の惨状はさっき話題にのぼった「化猫党」のしわざかもしれないと智子は思った。

上総(かずさ)の化猫党】と呼ばれるこのおばけは、学校に住みついているとされる六匹のバケネコグループだ。古い文献にもその名を残す化猫党の噂は、どちらかといえば学校の怪談というよりも「姉弟崎の山女」のように古くからこの地方に伝わる妖怪伝説のたぐいであった。なんでもずっと昔、上総国(かずさのくに)(現在の千葉県中部辺り)の山中にはおそろしいバケネコの集団が住んでいたそうで、道行く者を騙しては自分たちの屋敷へと誘い込み、客人としてもてなしたあとでよってたかって食い殺していたのだとか。バケネコたちは人前にあらわれる際、あっさりした顔の芸者やそのお付きに化けているが、正体は人間の頭をそなえた四つ足のモノノケであり人面犬の猫版のような風貌であったと言われる。

 そんな彼女らの頭目は「内御前(うちごぜん)」と呼ばれる立派な猫又で、他の者とちがって尾が二本に分かれている。その配下には「おお(なぎ)」「みや(きち)」「おか()」「お()つ」「楓丸(かえでまる)」という五匹の元気な猫がいて、これはもともと人の家で飼われていたところを、歳を重ねるうちに言葉をしゃべったり二本足で歩けるようになったため、恐れをなした飼い主から追い出されてしまった者たちだ。

 山女といいこの化猫党といい、こうした民間伝承のなかの存在がどういう経緯で学校の怪談として定着したのかは定かでないが、ひょっとすると当時の児童のなかにこの手の妖怪話を好きこのむ者がいて噂の発信源になっていたのかもしれない。

 

(なんか落ちてる……)

 

 もうここに用はないなと智子が思ったところで、教室のすみっこに大きな白い紙が落ちていたのを見つけた。いくえにも折り目のついたそれは、漫才などで使うハリセンを思わせるものだった。

 

「待って!」

「わっ!?」

 

 妙にひかれるものを感じた智子がそれを拾いあげようとしたところ、慌てた様子の花子に止められてしまった。

 

「それあぶないよ、【白紙の書状】だから」

「うぇぇっ、これが!?」

 

 花子の言葉を受け、智子がさっと飛びのく。今しがた拾おうとした紙が危険なシロモノであるとわかったからだ。

 

(もう誰か読んじゃってたりして……)

 

 仲間たちは一時的にこの教室へと逃げ込んでいたようだが、そのとき目についた書状をうっかり手に取ってしまった可能性がある。その危険性については事前にみんなへレクチャーしてあげてはいたものの、当の自分自身ですらうかつにさわってしまいそうになったのだから他の者たちがやらかしてしまってもおかしくはないと智子は思った。

 この書状はなにも書かれていない全くの白紙なのであるが、紙を広げてそれを目の当たりにしてしまった者はある奇妙な呪いにかかってしまう。その呪いとは「なにかにつけて笑わずにはいられなくなる」という厄介なもので、一度これにかかってしまうとじわりじわりと笑い癖がついていき、やがて四六時中ゲラゲラクスクスと笑い声を上げる狂人と化してしまうのだ。ごはんを食べるときもしょっちゅう吹き出してしまってマトモに喉を通らないので、寝ているとき以外は延々と笑い続ける苦しさもあいまって、呪われた者はやがて衰弱死するという。

 

(ま、呪いの解きかたは教えてあるし大丈夫かな……)

 

 この奇妙な呪いを解除するのは実は簡単だ。笑いをもって笑いを制するとでも言うべきか、誰かが本人の前でおもしろギャグを一発披露してやればたちどころに笑いがおさまり元通りになるとされているのだった。本人にとってウケないギャグの場合は効果がないらしいがよほど笑いのハードルが高い者でもなければこのやりかたでどうにかなるだろうと、智子はそう考えている。

 

 二年三組をあとにした智子たちは理科室の前へとやってきた。途中六年一組の教室も覗いてみたけれど、ここは特に荒らされた様子はなく人の隠れている気配もなかったから、残る理科室にて仲間たちと再会できることを願いつつ智子はその半びらきになっていた出入り口をそっとあけ放った。

 

「おおう……ここもメチャクチャ」

 

 たっぷり噴射された消火剤のせいで雪がつもったようになっていた理科室の前だったけど、内部はもっとひどかった。暗がりのなかでもハッキリわかるぐらいどこもかしこも粉まみれのまっしろけ。まるで消火器が爆発したかのようなありさまだった。室内には消火剤のヘンな匂いが充満していてなかにはいるのがためらわれてしまうほどだ。廊下へ漏れ出てくる臭気だけでも鼻を突くものがあり、智子がたまらずケヘッとむせる。こんな状態の部屋に留まることなんてできそうになかったから、ひょっとするとここも既にもぬけの殻なのかもしれない。

 

「あ、あの、これ……使う?」智子がおもむろにポケットからハンカチを取り出し、

「その、粉とか吸ったら体に悪そうだし……」おずおずと花子へ差し出した。

 

 こんな状態の理科室とはいえど、明らかな異変が見て取れるこの場所はちゃんと調べておかないといけない。だけども粉っぽい空気のただよう理科室では息をするたびに咳き込んでしまいそうなので、せめてハンカチでも口に当てておけば多少はマシだろうと考えて智子は気を利かせたのだった。

 

「でも、智子ちゃんが」

「だ、大丈夫。ほら、こうすれば」

 

 わたしも持ってるからと言いださない辺り、花子はあいにくハンカチなどは持ちあわせていないらしい。それでも遠慮する彼女であったから、心配にはおよばないと智子は上着のえりをグイと引き上げ顔の下半分をすっぽりおおってみせる。おなかが丸出しになってスースーするけれど風の子・智子はこれくらい別にどうってことないのだった。

 

「あ、うん……じゃあ、ありがとう」

 

 そうした智子の心意気を見て、花子は素直に厚意を受けることにしたようだ。ともあれ口もとをおおったふたりは雪原と化した理科室へはいっていく。

 しかし結果から言うとここにも仲間の姿はなかった。声をかけつつ机の下などをひとつずつ覗き込んだり準備室のほうも確認してみたのだけど人っ子ひとり出てこない。目についたのは底のひしゃげた消火器が一本床に転がっているぐらいなものだった。

 

「なんか刺さってるよ。キバみたいなん」

「なんだろうね……猫が噛んだりしたのかな?」

「でもめっちゃデカいよこのキバ。こんなのもうドラキュラとかだよ」

 

 しゃがみ込んだ智子がなんとはなしに消火器を調べていたところ妙なことに気がついた。消火器に二本の尖った歯のようなものが深々と突き刺さっていたのだ。さてはこれもバケネコ一味のしわざではないかと口にする花子だったけれど、智子のほうはそのように考えてはいないようだ。

 

「わかった、【(むらさき)キババア】だ。そいつのキバがひっこ抜けたんだ」キバの持ち主について心当たりの浮かんだ智子がそのように言えば、

「あーそっかぁ、確かにそうかも」花子のほうも納得顔だ。しゃがんだ花子が感心したようにキバを指先でつつき、「すごいね、やっつけちゃったんだ」

「たぶんこいつをキババアの口に突っ込んだんだよ」

 

 床に転がるその状況証拠から、この場でなにが起きたのかふたりとも理解したようだ。

 ここで説明しておくと、「紫キババア」とはもちろん歴代七不思議のひとつに登場するおばけだ。キババアは大きなキバをもった紫色の老婆で、好物は子供の生き血。そのため彼女につかまえられた者はその大きなキバを首筋に突き立てられ、全身の血を抜き取られてしまうのだという。

 怪力で足も速く、ついでに意地も悪いとされるキババアだけど弱点がひとつだけあった。パワーのみなもとであるその大きなキバを失うとたちまち白い灰となって消滅してしまうのだ。要はその自慢のキバをひっこ抜いたり砕いてやればいいのだけど、キババア相手にそのような対処を試みるのはあまりに危険であったから、「きんぴら甘い」と唱えながら逃げるのが無難とされていた。

 しかし実際にキババアと出くわした仲間たちは無謀な反撃を見事成功させたらしい。自分の大きな口に消火器を突っ込まれてしまったキババアは力任せにそれを噛み砕いてやろうとしたのかもしれない。だけどもたちまち消火器のボンベが爆発してしまい、勢いで一対のキバが抜けてしまったのではないかと思われる。だからこそ理科室のなかが消火剤まみれになってしまったのだろう。

 

(ホント、どこもかしこもヤバいのだらけっていうか……)

 

 ひとりぼっちの智子がおばけたちに苦しめられていたころ、仲間のほうでも色々あったらしい。右に行こうが左に行こうが高い確率で怪異に出くわしてしまうこの裏幕であったから、ある程度の予備知識があったとしても安全無事という訳にはいかないようだ。歴代七不思議のなかには場所を選ばずあらわれるような神出鬼没のおばけも多数存在していたから、ひとところに隠れていてもいつなんどき襲われるかわからない。だからどうにかなってしまう前に早くみんなと合流して花子の言う「儀式」をおこなわねばと、智子は改めて危機感を募らせる。

 *

「あ、やっぱり……」

 

 あけ放った非常口から外を覗き込んだ花子がすぐさまなにかを見つけたように声をあげた。

 

「智子ちゃん、ほら見て」

「あっ……!」

「あれ、みんなの足あとじゃないかな?」

 

 花子に手招きされて非常口から顔を出した智子は、コンクリートの地面につけられていた「痕跡」を目にする。三階へと続くその屋外階段には数人分の靴あとらしきものが残されているようだった。

 

「行ってみる? 上のほう」

「う、うん」

 

 花子がそうたずねるので、靴あとの続く先を見やっていた智子はふたつ返事で同意した。

 バケネコたちに消火剤をたっぷりおみまいし、おそらくはキババアにも似たようなことをしたかもしれない仲間たちであったから、その騒動のなかで多少なりとも各自の靴底には消火剤がついていたはずだ。そんな彼女らが理科室を出たあと、すぐそばにあるこの非常口を通って上の階にのぼっていったのだとすればこのような痕跡が残されていてもおかしくはない。

 なんだか段々と仲間たちに近づいてきたような感じがしたのでもうじき再会できるのではないかという期待が智子のなかで膨らんでくる。ともあれ早速行ってみようと、外に出た智子たちは非常階段を上がっていった。

 

「キュウ、キュウ、キュゥ~ン……」

 

 智子たちが三階の非常口前に到達した辺りで、ふいに下のほうから甲高い鳴き声のようなものが響いてきた。一体なにごとかと階下を見やった智子が身構えていたところ、ズリズリと重たいものの這うような音が下の階から近づいてくるのを耳にする。

 

「ね、ねえっ、なな、なんか来るよ!」

「はいって! 早く!」

 

 おびえた様子の智子がひきつった声で花子にうったえる。何者かの接近に気づいたのは花子も同じであったから、急ぎ非常口をあけた彼女はそのなかへと智子をひっぱりこんだ。

 

「ぅおうっ!?」

 

 扉が閉じられた途端、その「なにか」が飛びかかってきた。大きなものが扉にドシンとぶつかってきたのでたまらず悲鳴を上げる智子。

 

「クォン! クォン!」

 

 続いてその何者かが扉の小窓越しにぬっと顔を見せ、棟のなかにいる智子たちへ向かって吠えてきた。といって歯を剥き出しにしてくる感じでもなく、目をショボショボさせたそれはどこか切なそうな表情で口をとがらせて鳴いているようだった。

 

(なんだよコイツ、びっくりさせやがって……!)

 

 どうも扉を破ってくる気配はなさそうだったので、少しばかり落ち着いてきた智子は改めて目の前の存在を観察する。くりくりのつぶらな瞳、ツンと伸びた細い鼻づら、先端が黒くなっている耳に、ふわふわのまっしろな体毛。窓の先にいるそれは犬かキツネのような顔つきの動物であり、ヤンキー娘であればきっと気に入るのではないかという愛嬌のある見た目をしていた。

 なかへ入れてほしそうに鼻をクンクン鳴らすその動物だったが、万が一にもドアノブをひねる知恵を持っていたらおそろしいので智子は非常口の鍵をしめてやる。そうしたら、扉をあけてもらえると勘違いしたらしいキツネ(いぬ)が目を丸くして鼻先をペロリとなめるのだけど、結局望み通りにならなかったのでキャフゥン!とひと吠えした。

 

「黒木さん! 黒木さん!」

 

 すぐそばで誰かから名前を呼ばれたのではっとなった智子がそちらを振り返る。すると手前の教室、その出入り口の小窓から仲間のひとりである真子が顔を覗かせているのが見えた。

 

「あ、いたみたい……」

「うん、よかったね」

 

 遠慮がちに真子へと手を振る智子はほっと胸をなでおろした。探していた仲間がついに見つかったのだ。花子のほうも安心した様子で愛想よく真子に手を振ってみせた。

 

「このひと花子さん。六年生なんだって」

「あ、田中です……」

 

 はじめて見かける花子に戸惑ったような顔をしていた真子であったが、智子から紹介されたので自己紹介を添えて軽く一礼する。

 

「あのね黒木さん、ここ、全然あかなくなっちゃったの」

「そ、そうなの?」

 

 戸に両手を張りつかせた真子がそのようなことをうったえてきた。試しに智子が出入り口の戸を引いてみたところガタガタと揺れるばかりであきそうになかったが、真子が言うには鍵などかかっていないという。

 

(ははぁ……出たんだな、「U先生」が)

 

 真子が今いる場所はA棟三階の音楽室だ。ここには人間を部屋に閉じ込めてしまう幽霊が居座っているはずなので足を踏み入れるのなら前もって対処法を心得ておく必要があるのだけど、智子の知識によればそれほど難儀な相手でもないはずだった。

 

「ちゃ、ちゃんと歌えばいいだけだよ。それで出られるから」

「そうなんだけど、でもゆりがおかしくなっちゃって……」

 

 なにを手こずっているのかと智子が改めてその対処法を教えてやるのだが、真子のほうは困った様子でいるようだ。

 

「ふっ……! ふふっ、ふふふっ……!」

 

 音楽室から突然含み笑いのようなものが聞こえてきたので智子が小窓越しに声のしたほうを見やってみれば、室内に並べられたピアノ兼用机に誰かが座っているようだった。顔を伏せているが服装や髪型からそれがゆりであることは智子にもすぐわかった。

 

「なんかね、笑いが止まらないんだって。だからちゃんと歌えなくて」

「あー……」

 

 その説明だけで智子はおおよその事情を察した。要するに例の「白紙の書状」をゆりが読んでしまったため、その影響で音楽室にいる幽霊から課せられる課題をクリアできず閉じ込められたままでいるのだ。

 

「なんかおもしろいことしてあげたら? それで治るから」

「それがダメなの。やってみたんだけどなにしても笑っちゃうみたいで……」

 

 おもしろい芸を披露して、相手が笑ってくれる。本来ならギャグがウケて結構なのであるが今この状況においては逆でなければならなかった。智子から前もってその辺りを教わっていた真子は一応ながら呪いの解除を試みたらしい。しかし結果はよろしくなかったようで、真子が言うには自分のやることなすこと全てが今のゆりをひたすら笑わせてしまうだけだったようだ。

 あまりにゆりが笑い過ぎてかわいそうになったので、彼女を休ませてあげたい真子はそれきり呪いの解除を諦めてしまったらしい。といってゆりの症状が収まった訳ではなく、なにもしなくてもひとりでに笑いがこみあげてくるのでああして顔を伏せたまま必死にこらえ続けているのだという。

 

(それ、真子さんのギャグがつまんないだけじゃ……)

 

 ゆりにとっておもしろいと感じられるほどのギャグセンスが残念ながら真子にはそなわっていなかった。だから呪いを解除できず今もゆりはあのままなのだ。そう考えた智子はとびきりのおもしろネタをやってあげるからと、ゆりを連れてくるよう真子に頼んだ。親友のゆうちゃんをいつも笑わせてあげていた自分のギャグセンスならたちどころにゆりを治してやれるだろうと思ってのことだ。

 

(ヤンキーいないな……)

 

 改めて音楽室のなかを確認してみた智子であったがヤンキー娘の姿が見当たらないことに気づいた。さっきから真子と話しているというのに彼女だけが姿を見せもしない。てっきり三人一緒に行動しているものとばかり思っていた智子だったけれど、ひょっとしたらヤンキー娘だけ違うところへ行ってしまったのかもしれない。

 

「真子ちゃんと、ゆりちゃんだね。もうひとりの子は?」

「あっ、な、なんかいないみたい」

 

 実際のところは真子に確認してみないとなんとも言えないが、花子からたずねられた智子はひとまず自分の思ったままを口にする。しかし推測通りヤンキー娘が単独行動をしているのだとしたら面倒なことになりそうだと思った。

 もしかするとさっきの変な動物に食べられてしまったのでは。そのような不安のよぎる智子が非常口を振り返るのだけど、そこにはもう例のキツネ犬の姿はなかった。諦めて去ってしまったようだがまだ階段のどこかに潜んでいるのかもしれない。そもそもあれは一体なんという名のおばけなのだろうと考えはじめたところで、真子に支えられたゆりがよろよろとした足どりでやってきた。

 

「ほらゆり、黒木さんがね、今からおもしろいことしてくれるって」

「……」

 

 顔を両手でおおったままのゆりは無言だった。だけども白い粉でよごれたその肩を小さく震わせているようなので、どうにか笑いをこらえている最中なのかもしれない。

 

「あーいいよいいよ、そのままで聞いてくれたらいいから」

 

 聞くだけでおもしろいとっておきの一発芸があるから目を閉じていたって問題ない。という訳で早速ゆりの笑いのツボを刺激せんとする智子は、「でっかいおなら」と言ってから自分の腕を口もとにくっつけた。

 

 ぷぷぅー

 

 智子がそのままプッと息を吹けば、()の抜けた音が辺りに響く。これぞ智子の持ちギャグ、おならの真似だ。去年の林間学校でクラスメイトに披露してやった際はゆうちゃんを含めておおいにウケたものだった。

 

「ふふふ、なにそれー?」花子が口もとに手をやりクスクスと笑う。

「もー、黒木さん」扉の向こうの真子も苦笑混じりに歯を見せる。

 

 狙い通りこのギャグは多少なりともウケたようであったから、智子はちょっぴり気分がよくなる。さて肝心のゆりはと言うと──

 

「ブふふふふふふ……! ブはっ……! ブほぉっ……!」

「ありゃー、ダメか……」

 

 バカウケであった。いや、ウケなかったようだ。今のゆりが笑っているのは、つまり彼女にとっておもしろくなかったということである。顔をおおっているため表情はうかがい知れないが、体をガタガタ震わせるゆりの様子からしてその心のなかでは偽りの笑いの衝動が渦巻いているのだろう。

 

「今の、おもしろかったと思うけど……」気の毒そうな顔をした花子が、はぁはぁと呼吸を乱すゆりを気づかわしげに見る。

「じゃ、じゃあ次のやつ!」

 

 なんだかかわいそうなので、智子のほうも早くゆりの呪いを解いてあげたくなってしまう。だから披露するつもりのなかった禁断のネタを特別に見せてあげることにした。

 

「あっゴメン、真子さんと花子さんと、ちょっとだけうしろ向いててくれる?」こっち見ちゃダメだからねとふたりに念を押した上で、

「あ、ゆ、ゆりさん……わたしの顔、ちょっと見てほしいんだけど……」智子がゆりに向かって話しかける。

 

 すると指を少しだけひらいたゆりが隙間から智子のことをじっと見つめてきたので、それを見逃さない智子がすぐさま表情筋へと力を込めた。

 

(どうだっ! これでウケなかったらもう知らないぞ!)

 

 智子がその顔芸を見せてやったのはほんの数秒だけだった。それ以上はとてもではないが続けられなかった。表情をぐにゃぐにゃに歪め、まるで別人のようなものすごい顔つきになれる智子だったけれど、それはひとりの女の子として本来人前にさらしていいようなものではなかったからすぐさま羞恥心の限界が来たのであった。

 だけどもさすがにこれなら効果てきめん。にらめっこなんかで使ってやれば必勝の手に違いない。そのように思う智子はこれでゆりの笑い癖が消えてくれるだろうと踏んでいたが──

 

「うおっ!?」

 

 なにを思ったのかゆりがいきなり拳を振りあげ、それを目の前の戸に向かって力任せに叩きつけてきた。仰天した智子が思わず叫んでしまうが、うしろを向いていた真子や花子もびっくりした様子で振り返った。

 

「~~~~ッ!」

 

 片手で顔をおおうゆりが声にならない声をあげつつ、もう片方の手で戸をドンドンドンと何度も激しくノックする。突然のことに心臓が縮み上がった智子だったけれど、手で隠しきれていないゆりの顔には満面の笑みが浮かんでいたのでどうやらまた大笑いしているだけなのを見て取る。

 

(どんだけハードル高いんだコイツ……!)

 

 禁断のネタまで見せてあげたというのにそれでもゆりの心には届かなかったようだ。一体どうすれば彼女を真に笑わせることができるのだろうと、智子はほとほと困ってしまった。

 

「やめて……もう、笑わせないで……」

 

 戸によりかかり、ぜいぜい、ひゅうひゅうと荒い呼吸を繰り返すゆりがそのようにうったえる。片手でおおわれたままの顔は真っ赤で、よく見れば目に涙を浮かべているようだ。

 

「ゆり苦しそう……」

 

 そんな友達の様子を心底あわれんでいる様子の真子はすっかり涙声であった。いまや見ているのも辛いゆりの状態であったから、代われるものなら代わってあげたいと、そのような思いにかられているのかもしれない。

 

「あ、真子さん」ゆりの背中をさすってあげていた真子に智子が声をかけ、

「あの、その子が好きそうなマンガとかって知ってる?」このような質問をする。

「マンガ?」

「ほらあの、そういうのわかってたほうが、なんか役に立つかもって……」

 

 ゆりの好みをある程度理解した上でそれに見合ったギャグを考えてやる。そうすればゆりに本当の笑いを与えてやれるかもしれない。

 

「す、好きなゲームとか、アニメとかでもいいんだけど、知ってたら教えてほしいなって」

「えーと……」

 

 手がかりはできるだけ多いほうがいい。だからマンガに限らずゆりの興味がありそうなものを知っている限り教えてくれと、智子がそう頼む。

 

「ゆり、どう? なにかあったら黒木さんに教えてあげて」

「……」

 

 だけども真子は自分なりに答えようとせず、困った様子でゆりに話を振った。しかしそれに反応してやる余裕がないのか、そっぽを向いたゆりはまた両手で顔をおおって無言のまま肩を震わせるばかりだった。

 

「ごめんね。ゆりってマンガとかそういうの、あんまり興味なさそうだから……」

 

 真子の代弁によればどうもそういうことらしい。聞けばゆりは普段からその手の話をほとんどしないそうで、もっぱら音楽や映画だったり、好きな毒舌タレントの出ている番組なんかがおもな話題なのだとか。

 

(ここにパソコンがあればなぁ……)

 

 そうしたらネット上にあるおもしろいものをいくらでも見せてあげられるのに。通信回線がしかれているはずもない裏幕ではあったけれど、それを承知で智子はこのように現実逃避じみた考えを巡らせる。学校のパソコン室に入り浸りがちな智子はそこで笑いを誘うようなコンテンツを探すのが趣味だったのだけど、お気に入りの厳選ネタをゆりに見せてやることができればさすがに彼女もおとなしくなるはずだと思った。

 ポケットに入れて持ち歩けるほどの小さいパソコンがあれば、きっとどこにいても楽しい。携帯電話でもインターネットを利用することはできるけれど、パソコンと比べればその使い勝手や得られる情報の豊かさは段違いだ。だからパソコン並に便利な携帯電話があれば大ヒット間違いなしで、そんなものが発売されたら自分だって親にねだり倒してでも買ってもらいたいぐらいだ。──などとないものねだりをしても仕方がないので智子はため息をつくしかなかった。

 

「ど、どうしよっか、これ」もはや自分だけでは手の施しようがないと思った智子は隣の花子に意見を求める。

「えっと……あ、じゃあくすぐってあげたりとか。こしょこしょって」花子のほうもうまい解決策を思いつかないのか微妙にズレた提案をするが、

「あの、それはさっきやってみたんですけど……」会話にはいってきた真子から「ダメでした」と結果を告げられるのだった。

 

 神さま、仏さま、マリアさま。笑いの死神に取りつかれた哀れな少女を救いたまえ。もはや智子たちにできるのは天に祈ることぐらい。ひょっとしたらそのうちギャグの神さまが祈りに応えて彼女らに素晴らしいひらめきを授けてくれるかもしれない。

 

「あっ……」みんなしてうんうんうなっていたところ、ふいに真子が小さく声をあげた。「ねぇゆり、覚えてる? (みなみ)さんちでクリスマスやったときのこと」

 

 なにかを思いだしたらしい真子がゆりの背に語りかけていく。「南さん」なる人物はふたりの共通の友達かなにかだろうか。

 

「ほら、シャンパンのフタが当たったから南さん痛がってたでしょ? あのときゆり、ちょっと笑ってたよね」

「笑って、ないよ」

 

 ふたりにしかわからない思い出話を続けていく真子に、ゆりがぎこちないながらも返事をする。

 

「えー、ゆり笑ってたよ。わたしちゃんと見てたもん」

「知らない……忘れた……」

 

 あくまでシラを切るゆりであったが、真子の話が本当であればゆりの笑いを誘うような出来事が過去にあったらしい。このゆりがちょっとしたハプニング程度のことで笑ってしまったのはひょっとすると彼女にとって南さんが中々に特異な存在だったからなのかもしれない。

 ゆりに南さんは「効く」。もしそうだとしたらこれはゆりを救うための突破口となるのでは。そのように考えたからか、ゆりの前へと回り込んだ真子が「ちょっと見ててね」と前置きする。

 

「う、ウケルー、ウケルー」作り声で突然妙なことを口走った真子が、

「南さんの真似……」照れた様子でゆりの顔をうかがう。すると、

「ふふっ」ゆりが体をぶるりと震わせて、手のすきまから笑い声を漏らした。

 

 真子の狙い通り南さんのモノマネがウケた──のではなく、当然ながらこの反応はアウトだ。そのことを真子もわかっているのでめげずに続けていく。まこっちまこっちー。おなかすいたー。やばいんだけどー。マジうざーい。マジきもーい。チョーねむーい。あははー。ふふふー。イーヒッヒッ。思いつく限りのモノマネ芸を真子は手当たり次第に披露していくのだった。

 

(あー、南ってアイツかぁ……)

 

 それをガラス越しに見ていた智子にも真子が誰の真似をしているのかが段々とわかってきた。自分のクラスにひとり、なんとなく思い当たる女子がいたからだ。今の今まで名前も知らなかったこのクラスメイトに智子はまるでよい印象がなかった。それも仕方のないことで、この南さんは陰でときおり智子を馬鹿にするような子だったからだ。トイレでおしゃべりしていた彼女とその取り巻きが、自分への悪口で盛り上がっていたのを智子は聞いてしまったことがある。階段で転んで痛い思いをしたときだって、その場に居合わせた彼女は心配するどころか物笑いの種にしていた。だから担任の荻野先生ほどではないにしても、南さんは智子の学校生活において少なからずストレスを感じさせられる相手と言えた。

 誰かの悪口を言うときこのクラスメイトは本当に楽しそうな顔をするのだけど、へらへらとあけ広げたその口からは立派な八重歯がちらりと見えたりする。だから智子は心のなかで彼女のことを「キバ子」などと呼んでやっていたものだ。

 

「ふふっ、ふっ、ふふふっ……!」

「ダメ……もうどうしたらいいの……」

 

 努力もむなしく含み笑いのおさまらないゆりであったから、真子がとうとうくじけてしまったようだ。ひとりモノマネ劇場はおひらきとなり、あとにはどっと気疲れした様子の女の子だけが残された。

 

「あ、あのさ、ちょっといい?」

 

 と、そこで智子が覗き窓をコツコツ叩いてゆりと真子に呼びかける。

 

「そ、その南さんってさ、あれだよね、こう、キバみたいなんが生えてる」ニカッと歯を見せた智子が、その口もとに自分の指で作ったキバを添えてみせる。

「あ、うん……」智子の質問にコクリとうなずいたのは、真子。

「あの子、なんかに似てない?」

「え?」

「ほら、理科室にでっかいキバのやつ、いたでしょ?」

 

 智子が言っているのは理科室にてその残骸を残すのみとなっていた紫キババアのことだ。そうしてにへらと笑った智子が続けてこう言った。

 

「あれ、実は南さんだったりして」

 

 智子が言い終えてからややあって、ゆりが突然その場に倒れた。

 

「ちょ、ゆり!?」しゃがみ込んだ真子が血相を変えてゆりの具合を確かめるが、

「……」気絶するように伏していたゆりがやがて顔をあげた。

「どうしたの? 大丈夫?」笑い過ぎたせいでついに体がどうにかなってしまったのかと、真子が心配そうに顔を覗き込む。

「うん、ちょっとふらついただけ」だけどもゆりはなんでもないように体を起こすと、

「……治ったかも」とつぶやくのだった。

 

 ◆

 

「あの、じゃあお願いします」

 

 ゆりと並んで教壇に立った真子が部屋のすみにあるグランドピアノへと声をかける。ピアノの前には誰も座っていなかったが、それでも真子はそこに何者かがいることを知っているようだ。

 すると真子の言葉が合図になったのか、ピアノがひとりでにメロディーを奏でていく。そうして前奏が終わったところで、譜面台に向き合う歌い手たちが二重唱を開始した。

 

「きーよーしー、こーのよーるー……」

 

 すっかり落ち着きを取り戻したゆりは調子を外すこともなく、相方と息を合わせて歌い上げていく。

 いまふたりが歌っているのは〈きよしこの夜〉という有名なクリスマス・キャロル(キリスト教に関係する讃美歌のひとつ)で、昔は音楽の教科書に載っていたこともある。そうした曲をゆりと真子は手慣れた様子でよどみなく歌い上げていくのだが、とりわけ真子の歌い方は堂に入っており、さながら聖歌隊の一員がごとき清らかなソプラノを響かせていた。

 

(おおー、あれが……)

 

 扉の向こうの音楽会を見守っていた智子であったが、やがてその視線がピアノの前へと引きつけられる。さっきから曲を演奏していた何者かがふいに姿をあらわしたからだ。最初のうちは半透明だったその体が徐々にやわらかな光を帯びて姿かたちをハッキリさせていく。

 ピアノの演奏者は若い女の人だった。今江先生と同じぐらいの年頃に見える彼女はこの場所に出没するとされている幽霊、【音楽室のU先生】だ。ふんわりしたショートボブの髪型で、頭にクリーム色のベレー帽を被っておめかししているこの幽霊は、かつて原幕小で音楽の授業を担当していた先生であると言われている。「フーセン太郎」や「家庭科室の魔女」などと同じ時期の七不思議として学校に定着した彼女の噂はかいつまんで話すと次のようなものだ。

 クリスマスの時期が近くなると放課後に誰もいないはずの音楽室からピアノの演奏が聴こえてくる。気になってなかを覗いてみても誰ひとりいない。不思議に思って音楽室へと足を踏み入れると、今度はどこからともなく「ねえ、歌って」と女の人の声がする。声の主は〈きよしこの夜〉を歌ってほしいとお願いしてくるのだけど、言う通りにしない場合は音楽室から出してもらえなくなり、途中で歌詞を間違えたりすると「だめ、もう一回」と言われて何度でもやり直させられてしまうのだという。

 

「メリー・クリスマス!」

 

 ミスをすることもなくゆりと真子が最後まで無事に歌いきったところで演奏も終わる。そうしたらU先生がパチパチパチと拍手しながら嬉しそうに声をあげた。

 

(あっ……!)

 

 どうやら課題はクリアできたようだと智子が安心したところで、U先生が智子のほうを振り向き手を振ってきた。突然のことにドキリとした智子だったけれど、それに応じてあげなくてはと手を振り返してやる。するとU先生は人懐っこい笑みを浮かべ、やがてスゥと消えていった。

 

(悪いおばけとかじゃないのかな……?)

 

 子供を音楽室に閉じ込めてしまう性質を持ったU先生だけど、実際に目にしてみた限りはこれといって悪意を感じなかった。むしろ今江先生にも通じるやわらかい雰囲気があり、見ているとなぜだかほっとさせられるものがあったので、智子は気づかぬうちに彼女から目を離せなくなっていた。おっぱいが大きかったのも見逃せない点だったようだ。

 U先生の怪談のモデルとなった人物が本当にいたのかどうかは活動記録にも書かれていなかったので智子にはわからない。だけどもあんな先生が今の原幕小にいたら音楽の授業ぐらいは楽しかったかもしれないとぼんやり思うのだった。

 *

「あっほら、あくようになってるよ!」

 

 出入り口に駆け寄ってきた真子が戸をカラリとあけ放ち、ほっとしたようにゆりへとそのことを伝えてやる。

 

「黒木さん、さっきはありがとう」

「え? あ、あー、うん」

 

 廊下に出た真子が智子へ声をかけてきた。これはさっき智子がゆりの呪いを解いてやったことへのお礼のようだ。

 

「すごいね。わたしがやっても全然ダメだったのに」

「あ、いやまあ、真子さんのモノマネがヒントになったっていうか……」謙遜する智子が少し照れたように頭へ手をやる。

「ふっ……! ふふっ、ふふふっ……!」すると真子に続き教室から出てきたゆりが顔をそむけて含み笑いをはじめた。

「えっ!?」もしや笑い癖が再発したのではと、ゆりのそうした様子にギョッとする真子。

 

 だけどもゆりが笑っていたのは少しのあいだだけで、やがて落ち着いた彼女はすぅと息を吸うと「大丈夫だから」と言ってみせた。ひょっとすると呪いを解く決め手となった智子のギャグを思いだしたのかもしれない。

 

「あ、あのさ、ヤン……ょ、吉田さんは?」いまだ姿を見せぬ仲間のひとりについて気になっていた智子がその行方をたずねる。

「あ、それがね……」すると様子を変えた真子が事情を語りはじめた。

 

 真子が言うにはヤンキー娘とは随分前にはぐれてしまったそうだ。それというのも、例のあの人におどろきC棟の二階へと逃げていった三人は息つくまもなくすぐさま別のおばけに襲われたからだ。

 

「ヘンな猫がね、何匹も追いかけてきたの。だからわたしたち、こっちのほうに逃げてきたんだけど……」

 

 だけどもその際、どういう訳かヤンキー娘だけはついてこず、なにかへ引き寄せられるようにC棟の奥に向かってふらふら歩いていったのだとか。

 

(ヤンキーいなかったけど……)

 

 智子があとになってから調べた限りではC棟二階の教室にヤンキー娘の姿はなかった。まだろくに確認していなかったD棟二階のどこかに隠れていたことも考えられるのだが、智子としてはその可能性は低いだろうと思った。自分がきこさんに連れ回されていた際、廊下中に響き渡るほどの声で何度も助けを求めていたにもかかわらずまるで反応してくれなかったではないかというのがその根拠だ。となると──

 

(三階に行ったのかな?)

 

 C棟の西側と南側のちょうど中間となる場所には、智子たちがのぼってきたのとはまた別の階段が存在していた。C棟は南側のほうにだけ三階が存在しているのだけど、ここへはくだんの階段からでないと行けない構造になっている。例の神社のせいで一階側の一部が大きく変異していた影響で、この階段は下へとおりる部分がコンクリートで埋められていたのを智子は目の当たりにしていたから、ヤンキー娘が行くとすれば上のほうだけということになる。

 そこまで考えたところで、智子は廊下の窓から見えるC棟のほうへとなにげなく目をやった。

 

「ん……?」

 

 誰か、いる。視線を向けた先、遠くC棟西側の屋上に何者かがいる。そこは園芸委員の子たちによってたくさんの植物が育てられている場所で「屋上ガーデン」と呼ばれているのだけど、遠いながらも人の姿があることに智子は気づいたのだった。

 

「あっ、ねえ、あ、あれ、吉田さんじゃ……!?」

 

 もしかするとヤンキー娘なのかもしれない。そう思った智子が窓の向こうを指し示せば、みんなもこぞって注目する。

 

「あっ、ホントだ! たぶん吉田さんだよ」服装からしておそらくはヤンキー娘なのであろうと見た真子がそのように言い、

「吉田さ──ん!!」窓をガラリとあけて大きな声で呼びかける。

 

 だけどいくら真子が呼びかけても遠くのヤンキー娘はまるっきり無視している。彼女はあらぬ方向を向いたまま、体をゆらゆら揺らして手拍子を打っているようだ。

 

「おぉーい、ヤーンキィ~~!」

 

 聞こえていないのかなと思った智子がこれみよがしにアダ名のほうで呼んでやる。だけどもやっぱり無反応だったので、これはいよいよヤンキー娘の様子がおかしいと思えてきた。

 

「早く行ってあげたほうがいいんじゃない?」智子たちのうしろに控えるゆりがそのように言い、「黒木さん言ってたでしょ? あそこにもなにかいるって」

「あっうん、ど、どうだろ……」

 

 確かにそのような話もしてあげた智子ではあったけれど今の時点ではなんとも言えなかった。見たところ屋上ガーデンにはヤンキー娘ひとりの姿があるだけで他には誰もいなかったからだ。そのヤンキー娘自身もこれといって逃げまどう様子はなく、むしろあの場所に腰を落ちつかせて楽しそうにしている感じだった。一体なにをしているのだろう、どうしてこちらに気づかないのだろうと、そうした疑問が智子のなかに浮かぶ。

 

「と、とりあえずあそこ行ってみよっか?」

 

 遠くの屋上ガーデンを指さす智子がそう提案する。この言葉に異存のある者はひとりもいなかったようでみな一様にうなずいてみせた。

 

(非常階段はあのヘンなのがまだいるかもだし、二階は渡り廊下がふさがってるから……)

 

 であるならばひとまず一階におりてから棟の外へ出るしかない。そのあとはもう他の棟のなかへも足を踏み入れないほうが無難だろうと考えた智子はまずご神木のある中庭にたどりつくことを目標とする。そうすれば中庭の非常階段をのぼって屋上ガーデンへと直接行けるからだ。

 

(よーし、行くか……!)

 

 頭のなかで一応のルートを組み立てた智子が先陣を切って歩きだす。そのうしろにまずゆりが続き、次に真子、そして最後に花子がついていけば廊下を突き進むキレイな行列ができた。

 おばけだらけの横断歩道もこうしてみんなで渡ればきっと怖くない。「きこさんを帰す儀式」とやらをおこなえばみんなでここを脱出できる。だからヤンキー娘もちゃんと連れて帰ってあげなくっちゃいけない。どこもかしこも危険だらけな裏幕であるからして屋上ガーデンへの道のりも楽なものではないだろうけどそれでも迎えにいってやらねばと、再びリーダー気分の戻ってきた智子は決意を固めるのだった。




つづく
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