主催者様よりご許可を頂けましたので、加筆修正を加えた上でハーメルンに投稿させて頂きます。
スーパーファミコン風動画(若干のネタバレあり)
https://www.youtube.com/watch?v=yAz3R0ISCaE
おまけ動画
https://www.youtube.com/watch?v=3heTAEHueUQ
上記動画には登場しませんが、今江さんと風夏のぶんの戦車もドット絵にしてみました。
【挿絵表示】
〈
学園モノの漫画とかアニメに出てくるような、戦車道を嗜むお嬢様キャラってのは結構読者から人気だったりするもんだし、昔の戦車道で活躍した人の大河ドラマなんかがそこそこヒットしたこともある。「強くて頼りになる
だから私は、中学ぐらいのときからこの戦車道ってやつに興味を抱くようになった。東西の色んな戦車が載った図鑑を買ったり、大戦時の世界史や、昔の軍人が書いた戦術論なんかをかじってみたり。プラモデルだって、弟に作らせたやつが私の部屋にいくつか飾ってあったりする。中学の頃のクラスメイトだったゆうちゃんにも、戦車についてのあれこれをよく教えてあげていたもんだ。
もうやらなくなったけど、ネット対戦の戦車ゲームにも手を出してたっけ。ゲームと
まあそんなこんなで、私は高校生になったら試しに戦車道をやってみてもいいかなと思っていた。私の通ってる高等部限定ではあるけれど、ここでは数年前から選択科目のひとつとして戦車道が導入されていたからだ。
たまに街なかで戦車がエンジンと
でも、そうして実際に高等部へ進んだ私がすぐさま戦車道の授業を履修するようなことはなかった。入学したての頃、担任に引き連れられてクラスの連中と学内の色んな選択授業の様子を見て回ったとき、実際に戦車へ乗せてもらう機会があったのだけれど、これがいけなかった。
上級生たちの操縦で校庭を走り回る戦車の中は、あの頃の私にとっては随分と過酷な環境だった。ガタガタと容赦なく揺れまくる車内、内臓まで響いてくるようなエンジンの振動とそれに伴う騒音。おまけに車内は狭苦しい上に排気ガスやオイルの匂いが漂っていたから、それが私の具合をどんどん悪くしてしまった。
結果、戦車から降ろしてもらった途端に私はみんなの見ている前で盛大にゲロってしまったのだ。あの場には私んとこのクラスだけじゃなく他所のクラスの連中も大勢詰めかけてたから、もう殆ど公開処刑みたいなもんだった。ぶっちぎりで人生ワーストワンにはいるぐらい最悪な思い出だけど、ネモのやつなんかはいまだに冗談めかしてこのときのことを蒸し返しやがるから敵わない。
ともあれそんな感じで大恥をかいたもんだから、せっかく履修するつもりでいた戦車道に私が背を向けてしまったのは仕方のないことだった。もしあのとき恥を忍んで最初から戦車道を履修しておけば、もっと早くに先輩と出会えていたのだろうけど、本当に今更な話ではある。
そうして以後の私は、他の生徒が戦車を動かしたりしているのを教室の窓から眺めるばかりになってしまった。訓練のたびにドロドロと重低音を辺りに鳴り響かせる戦車たちがやかましく感じられて、この頃の私は戦車道のことが嫌いになってしまっていたものだ。
開始早々つまずいてしまった私の高校生活は、もうすっかり灰色だった。戦車に乗ってあんなことをしてみたい、こんなことをしてみたいと期待を膨らませていた私だったけど、そのあてが外れてしまったことは随分とショックだったらしい。しばらくの間はなんだか授業にも身が入らなくて、ひたすらぼんやりしていたように思う。
〈
この頃になるとクラスの連中はお互い打ち解けていたみたいだけど、その一方で置いてけぼりをくらった私は教室のすみっこのほうでおとなしくするばかりだった。そのうち気の利く誰かが声をかけてくれるだろうと期待していたものの、一向にその機会は訪れなかったからいい加減むかっ腹が立ってきたりもした。
久しぶりに会ったゆうちゃんから「戦車道をやってるのか」と尋ねられたときは、どう答えたものかと慌ててしまった。高校生になったら戦車道を始めるのだと、私はゆうちゃんによく言っていたからだ。
やってないことの言い訳として「もう戦車道なんて今どき古臭いから」とかなんとかそれっぽい理由をつけてしまったのだけど、自分でそう口にしておきながら
もしゆうちゃんも私と同じ〈
私たちの通う高等部は名前こそ同じだけど実際はふたつに別れていて、私のほうは
戦車道にしたって、方針の違いから二高のほうではやっていなかった。金食い虫の戦車道だったから、一高が選択科目としての導入に向けて同調を呼びかけたときもあっちは頑なに拒否したらしい。だからこそ戦車道をやってる一高狙いでわざわざ受験勉強を頑張ったりもした私だったけど、結局入学早々にやらかしてしまったせいで台無しになってしまった。一高なんか受けず、ゆうちゃんと一緒に二高へ行っておけばよかったと、この頃はことあるごとにそうした後悔が押し寄せてきていたように思う。
◆
ともあれ私の戦車道に向ける気持ちはすっかりしおれてしまったのだけど、夏休みが明けた頃からある変化に気が付いた。以前までは校庭で大小様々な戦車がウロウロ走行してたってのに、いつの間にか随分と数が減ってたった一両のちっこい軽戦車だけしか走らなくなっていたのだ。
戦車道は一般人が思ってるほど甘くないから、実際に訓練を体験してそのしんどさを思い知った新入生どもが
だからひょっとするとみんな三年生で、大学受験に向けて戦車道を引退してしまったのかもとこのときは推理していたのだけど、実際はそれだけじゃなくてちょっとした揉め事なんかもあったらしい。
そうこうしているうちに文化祭の開催が目前に迫った。この頃になってもまともに会話できる相手がクラスにいなかったから、出し物の準備でごったがえす教室に居辛くなった私は体育館(数千人もいる普通科の生徒たち全員を収容できるくらいに馬鹿デカい)のほうでパイプ椅子を並べてく仕事なんかを適当にやったりしていた。
そのときたまたま声をかけてきたのが、当時文化祭の実行委員長をやっていた私の先輩──
先輩の言葉にすぐ返答できなかった私は曖昧な態度でその場を取り繕ったのだけど、あとになってからさてどうしたものかと思案してしまった。展示会をするというその日は、ゆうちゃんがウチの学校へ遊びにくる日だったからだ。当日はゆうちゃんを連れてあちこち案内してあげるつもりだったのだけど、「戦車道なんて古臭い」と言った手前、まだ戦車に未練があるような
ゆうちゃんと一緒に見て回った文化祭はまあ、悪いもんじゃなかった。中等部以上に膨大な数の生徒を抱える高等部だったから、各クラス一斉に出し物をやるという訳にはいかなくて、一日目と二日目とで参加クラスがはんぶんこに割り振られちゃうんだけど、それにしたってものスゴい規模だった。あまりに出し物が多すぎて十分の一も回りきれなかったけど、時間を忘れるほど夢中になってあちこち巡り歩いたもんだ。
友達がそばにいるだけでこんなにも違うものかと、普段の学校での生活がひたすら無味乾燥だったから余計に安らぎを感じられたのだった。でも、それもゆうちゃんの帰る時間が訪れるまでのことだった。たったひとりの親友に別れの挨拶をしたあと、私は灯の消えたような寂しさに襲われてしまった。
ウチの生徒たち、二高から遊びにきているらしい連中、この学園艦に住んでる一般人たち、それに加えて立ち入りを許可された観光客の団体と、学校の中はどこもかしこもめまいがしそうなほど大勢の人で賑わっていた。にもかかわらず、私は世界の中でひとりぼっちになったような感覚を覚えた。こんだけ人がうじゃうじゃいても誰ひとり私のことなんか気にも留めないんだろうと、諦めたような、悔しいような、不安でたまらないような、色んな感情が胸の中で渦巻いたりしたもんだ。
そうして適当な植え込みのところに座り込んで、私はひとり黙々とケータイをいじったりしていた。だけど日が傾き始めた頃になって、ふいに誰かが声をかけてきた。それはまたしても今江先輩で、このときはパンツァージャケット(戦車に乗るときの制服みたいなもんだ)に身を包んでいた。
「ヤバい」と、そう思った。ひょっとしたら展示会に顔を出さないでいたことがバレてるのかもしれないと、このときはそんな心配をしてしまったのだ。でも先輩は別にそんなことは気にしていないようだった。あるいは、大勢の見物客が詰めかけてきていた中で私が来ているかどうかなんて分からなかったのかもしれない。
私の隣に腰を下ろした先輩は、その日の展示会であった出来事を持ち出して他愛のない話をしてきた。どこからかやってきたシッポの短いブチ猫が戦車の中にもぐりこんでいただとか、それに驚いた車内の客がうっかり天井に頭をぶつけただとか、話の内容自体は取るに足らないものだったけど、自分たちが開催した展示会の模様を楽しげに語る先輩の姿に、気付けば私は見入ってしまっていた。ああ、これが〈戦う乙女〉の姿なんだなと、ジャケット姿の先輩から目が離せなくなっていたのだ。
そしたら、やがて立ち上がった先輩が「ちょっと戦車を見ていかないか」と誘ってきた。実際はもっと優しい物言いで誘われたのだけど、要するに展示してある戦車を片付けてしまう前に、せっかくだから私にも一度見せておきたいということだった。
まあこう言われては変に遠慮するのも気が引けたし、ゆうちゃんだってとっくに帰ってしまっていたから断る理由なんてなかった。そうして展示会場へと足を運んだ私は、間近に見る戦車たちの威容を前にして感嘆の声を上げずにはいられなかった。いつもは遠くから眺めているだけの戦車だったから、手の届く範囲まで近づいて
一際ちっこかったのは【カルロ・アルマートL6/40】っていうイタリア軍の二人乗り軽戦車で、夏休み以降にひとりぼっちで校庭を寂しく走ってたやつだ。
その次ぐらいに大きいのは【ソミュアS35】というフランス軍の中戦車。戦車にしちゃ中々に優美な形をしたこいつは三人乗りなんだけど、本当はあともうひとりぶんぐらいの人手がないと実戦運用がしんどいという扱い辛い車両だ。余程テキパキと複数の役割をこなせる優秀な
このソミュアをもっと無骨にした感じのやつもあって、これはアメリカ軍の五人乗り中戦車【M4A1(75)Wシャーマン】だ。誰が言ったか「バカでも乗れるくらい操縦が簡単」という評価があるけれど、実際に操縦してみた限りでは言うほど簡単でもなかった。変速がまあまあ楽なぐらいで、それ以外は他の車両と似たりよったりだ。この頃はまだどこも手を加えられてなくて、主砲も七十五ミリだし足回りも旧式のまんまだったけど、今じゃあ私の乗る隊長車としてあちこちに手を加えてある。虎殺しの重たい17ポンド砲を載っけてファイアフライ化させる火力偏重案もあったんだが、私は隊長として作戦指揮のために戦場を駆け回って臨機応変に対応しなきゃなんなかったので、基本性能を偏りなく底上げするためにイージーエイト化させる道を選んだ。だから今は【M4A1E8】って呼んでやんないとな。
そして展示場の中で一番目立っていたのは、なんといってもソ連軍の多砲塔重戦車、六~七人という大所帯の乗員を必要とする【T-100】だった。中学のときに路上でこいつが走行してるのを見かけたときは随分たまげたもんだ。そのバカでかい車体が放つ威圧感たるや、実際に目の当たりにしてみないと言葉じゃ伝わらないと思う。でも、当時の私が驚いたのにはもっと別の理由もあった。趣味のような感じで戦車に関する雑学を蓄えたりもしていた私だったから、こいつが戦車博物館にでも展示されていたらそれなりに注目される珍しい試作戦車だということを知っていたのだ。自分とこの戦車道チームをソ連軍の車両で固めている北国の強豪校、プラウダ高校ですら保有してるかどうか怪しいこの戦車だったから、国内外問わずどこぞのソ連戦車好きな学校に声をかけりゃ、懐事情に余裕のあるやつが物珍しがって悪くない値段で買い取ってくれるかもしれない。勿論そんなこと絶対しないけどな。ちなみにこいつ、てっきり復刻生産されたレプリカだとばかり思っていたのだけれど、整備するときにあちこち調べたところ、大戦当時に造られたオリジナルだってことがわかった。もちろん連盟規定とか経年劣化なんかに対応するための処置が後追いで至る所に施されていたけれど、車両自体は当時品であると見て間違いない。ロシアのほうでちゃんと管理されてなかったものが戦後になって日本へ流出してしまったのかもしれないが、一体どういう経緯でウチの学校がこれを入手したのかは謎だ。戦時中の鹵獲車って訳でもないから、本来の持ち主であるロシア軍が今でもこいつの所有権を放棄してないんだとしたらまずいことになりそうな気もするけれど、あちらさんが何か言ってくるまではこのまま使わせてもらおう。
とまあこんな感じで各車両を興味深げにじっくり観察していた私は、きっと
その言葉を受けて私の中で苦い記憶が蘇った。入学早々みんなの見ている前でゲロってしまったのは、勧められるまま迂闊に戦車へ試乗してしまったからだ。乗り合わせた他の新入生たちと一緒に薄暗い戦闘室の中で押し合いへし合い縮こまって、お尻の痛みに耐えながらも初めての戦車乗り体験をした訳なのだけど、はっきり言って乗り心地のほうはたいへんよろしくなかった。戦車とはそもそもそういうもので、一般人が普段乗ってるような乗用車とは根本的に違うのだ。それが戦車という乗り物の醍醐味でもあり、同時に難儀なところでもある。
それはともかくとして、私としては戦車にまた乗らされるなんて正直ごめんこうむりたかった。だから私は言葉を濁してもじもじするばかりだったのだけど、先輩はそこで引き下がったりはしなかった。車長席に乗ってキューポラから体を出してみれば狭苦しいなんてこともないし、あまり揺らさないようにゆっくり走ってみせるからと、なおも乗車を勧めてきたのだった。
本来の先輩は決してこんな風にグイグイ押してくるような人じゃない。とても細やかな気遣いのできる先輩は、相手が僅かでも嫌がる素振りを見せたらそれを察してすぐに引き下がる人だった。にもかかわらず先輩が随分と粘りを見せたのは、私に対して思うところがあったからだ。
あとで教えてもらったことだけど、先輩は新入生の私が戦車道の授業風景を教室の窓からよく眺めていたことに気付いていたそうだ。のみならず、放課後も練習に励む先輩たちを物陰に隠れて度々覗き見していたことまでバレていたんだとか。それは先輩の持つ高い観察力がなせる
どいつもこいつも私を無視しやがってと、一年生の頃は周りをひがんでばかりいたけれど、でも先輩はそんな私のことをちゃんと見てくれていたのだった。文化祭のこの日、あの場所でひとり寂しくケータイをいじっていた私のことを先輩が見つけてくれなかったら、たぶん今でも戦車道をやっていなかっただろう。今にして思えば本当に不思議な縁だった。私には先輩のような人が必要で、そしてあの頃の先輩もまた、きっと私のような後輩を必要としていたのだ。
先輩の勧めで乗せてもらったソミュアの乗り心地は、それまでの悪い印象を払拭するぐらいにはよいものだった。相変わらずゆらゆら揺れるし、エンジンの音もうるさかったけれど、キューポラから見渡せる学校の景色がとても新鮮に感じられて、私はすっかりこの眺めが気にいってしまった。うしろを振り返ってみれば、砲塔側面から身を乗り出して乗車ハッチに腰かける先輩が私のことを見守っていた。夕日に照らされ髪をなびかせる先輩の姿がとてもきれいで、妙にドキドキしてしまったのを覚えてる。
ソミュアを走らせていたのは先輩の友達で、この人からも操縦のいろはや車両整備のことなんかを教わったものだけど、やっぱり私としては操縦席とかよりも車長席に座ってるほうが一番しっくり来る。それはきっと、このときの経験が私の中に焼き付いていたからかもしれない。
◆
文化祭が終わってすぐ、次の生徒会長の選挙があった。配布された立候補者たちの資料になんとなく目を通していたのだけど、そこに今江先輩の顔があったので私は驚いてしまう。先輩は生徒会にはいっていたのだ。ひとまず他に知ってるような立候補者もいないし、学校の運営方針とかそういうのにもあまり興味のない私だったから、一応知り合いだからという単純な理由で迷うことなく先輩へ投票することにしたのだった。そうして集計結果が発表され、先輩は無事選挙に受かった。なにかと働き者で有能だった先輩は人望も厚かったので、票が集まったのは当然の結果だったのかもしれない。
就任演説の中で先輩は、戦車道を奨励するようなことを度々口にしていた。近頃は文科省が戦車道の振興に力を入れているらしく、一高もそれに乗る形でいくつかの優遇措置を講じていくとのことだった。その一環として戦車道の授業に限り学期の区切りに関係なく履修の申請を随時受け付けるし、よしんば性に合わなくて途中でやめてしまっても単位自体はちゃんと与えるようにするので、遠慮せず気軽に参加してみてほしいということだった。当時ウチの学校は諸事情あって〈戦車道連盟〉に加盟したくてもそれが叶わないでいたから、そこんところを解決して全国大会へも出場できるようにしてみせると、先輩は強い意志の感じられる言葉で力説していた。
まもなく私が戦車道の授業を履修したのは、先輩のそうした熱意に触発されてのことだったのかもしれない。きっと私なんかでも先輩は歓迎してくれるだろうし、それまですっかり
思っていた通り、先輩は私の参加をもの凄く喜んでくれた。あまりにも嬉しそうにするもんだから「この人、私のことが好きなのかな」なんて勘違いしそうにもなったけど、そんなこんなで先輩たちとお揃いのパンツァージャケットに袖を通して戦車道をやることになった。あれだけ先輩が熱弁をふるっていたにもかかわらず、新たに参加した生徒は私だけという寂しい結果ではあったけれど、当時の私にとってはそのほうが気楽だったから却ってよかったのかもしれない。
やっぱり元からいた上級生メンバーたちは
ともあれ先輩とその友さんから色んなことを教わる日々が始まった。ウチの学校には大中小それぞれのサイズの車両が揃っていたから、先輩たちの指導のもと一通りそれらに乗せてもらって操縦やら主砲の発射やらを経験したものだ。人一倍非力な私にとって力仕事となる砲弾の装填はすこぶる苦手で、がんばっても小口径の砲に装填するのがやっとだったから、これについては他人任せにせざるをえなかった。通信手としての手ほどきも受けたのだけど、コミュ力が結構求められるポジションだったから、こんな私に適正がある筈もないのだった。
でも車長をやるのはとりわけ楽しく感じられた。車長席から指示を出すと戦車がその通りに動いてくれるってのが面白いんだ。狭くて息苦しい車内でこもりっきりにならず、必要とあらばキューポラから体を出して外の風に当たれるところも気が楽でいいんだよな。先輩は新入りの私にときたま隊長役をやらせてくれたりもした。といってもいきなり実戦に参加させられる訳じゃなくて、学園艦の敷地内にある山岳地帯とかで機動訓練や砲撃訓練をやったりするときに、随伴する車両に指示を飛ばす真似事をさせてもらったのだ。当時は隊員が殆どいなくて同時に動かせる車両もわずかだったけど、こうした経験も中々にわくわくさせられたものだ。
そうして毎度の訓練を終えたあとは汚れた車体の手入れをしてあげないといけないのだけど、これが面倒臭いことこの上なかった。でも洗車の際に水しぶきで濡れた先輩の姿を拝めるのは実に役得だったと言わざるをえない。日の長い季節や、赤道付近をうろついてる時期の洗車タイムは先輩が卒業してしまった今でも楽しみな時間のひとつだ。
こうして思い返してみると、戦車道の活動では大人の出番が殆どなくて、いつも私たち生徒が中心だった。学園艦文化華やかなりし今の時代、学生が自分たちだけの力でなんでもやるって風潮が当たり前になっているけれど、本来は戦争でドンパチやるための危険なシロモノを扱う戦車道においても例外はなかったようだ。
一応はあの
◆
二年生になってからも相変わらずクラスの中でぼっちのままだった。私が戦車道をやり始めたことを知らないのか、あるいはどうでもいいのか、誰もそのことを話題にしてきたりはしなかった。幸い先輩たちがいるから学校で会話する相手がゼロだなんていうみじめなことにはならなかったけど、戦車道をやればみんなから一目置かれてモテるんじゃないかと思っていた私にとっては肩透かしをくらったような気持ちだった。
だけども戦車道の授業自体はなにかと刺激的だったから、退屈せずに済んだのはよかったと思う。先輩から教わった戦車酔い対策のおかげで戦闘室内の揺れや臭さにもちょっとばかし慣れてくる頃になると、戦車に乗ることを楽しむ余裕が出てくる。主砲をブッ放すのだって最初のうちは結構ビビったりもしたけれど、絶対に暴発なんかしないってのが実感として分かってくると、ちょっと高度な射撃ゲームって感じでどんどん面白くなってきた。
持ち前の戦車の知識や付け焼き刃の戦術論なんかをひけらかしてみたら、よく勉強してるねと先輩が褒めてくれたりするのでこれも気分がよかったっけ。戦車に乗ってる最中ってのはなにかと無防備になりやすいもんだから、先輩のパンツをこっそりチラ見するチャンスにも恵まれたもんだ。
この頃、中等部で同じクラスだったコオロギのやつと偶然再会するなんてこともあった。学園艦の高校ってのは生徒数がもの凄く多いから、
戦車道関連の本についてはあまり充実してなかったウチの図書館だったから、コオロギに言ってあれこれ揃えさせたりしたもんだ。戦車道をやってる乙女としては、基礎的な教養のためにやっぱり戦記モノなんかにも触れておくのがいい。ドイツ軍の戦車乗りだったオットー・カリウスの回顧録なんかは、歩兵抜きで戦う戦車道の参考書としてはアテにならない部分も多いかもだけど、ソ連軍の猛攻を超人的な粘り強さで味方の歩兵たちと耐え抜いた戦車乗りの苦労が偲ばれる名著だと思う。
カリウスは本の中で、強い戦車に求められる点として「装甲と機動性、最終的には火力」という三つの要素を挙げていたのだけど、これら全ての条件を満たすヤークトパンターはウチの切り札だ。こいつはドイツ軍が大戦後半に駆逐戦車として投入したものなんだけど、守ってよし、走ってよし、撃ってよし、と三拍子揃った優秀な車両だ。砲塔を持たないせいで正面しか狙えないことが弱点と言えば弱点だけど、運用方法を間違わなければ実にいい働きをしてくれるんだ。
そんな大事な車両を私じゃなくコオロギのチームに割り当ててやったのは本意ではないのだけど、あいつんとこにいる砲手がハンパなく優秀だから仕方なしに使わせてやっている。この砲手──
ちょっと脱線しちゃったから二年の頃の話に戻るけど、新しく入学してきた一年坊たちの中で戦車道を履修した連中はさっぱり居着かなかった。授業見学のときは大勢の新入生たちが入れ替わり立ち替わり詰めかけてきて、その対応にてんてこまいだったのだけど、そうして戦車道の授業へ参加するようになった新入りたちの中でモノになりそうなやつは結局ひとりもいなかった。先輩が折角一生懸命教えてやってたのに、体が汚れるだのケツが痛いだの文句ばかり言い、授業のほうも欠席しがちになってきて、最終的には一学期の終了を待たずして全員が履修そのものをやめてしまったのだった。
チンチン妹とその友はずっとあとになってからコオロギのやつが伝手を頼って自分とこのチームの助っ人として連れてきたのだけど、こいつらのほうがよっぽど見込みがあるぜ。
六月にはいると、毎年恒例となってる高校戦車道の全国大会が始まった。勉強になるからと、私は先輩たちに連れられて試合を何度か観戦しにいったりもした。先輩は毎年こうして試合会場へ足を運んでいたそうだけど、私はテレビ中継されてた決勝戦を観るぐらいだったから、序盤もいいところの一回戦を目の当たりにするのはこれが初めての経験だった。
私が最初に観たのは、強豪校で有名な熊本の
ともあれ開始された試合の
知波単の戦いぶりがあまりにワンパターンだったので、あんな連中が相手ならちゃんとした戦力さえあれば私が隊長でも勝てそうだな、なんてつい思ったりしてしまったのだけど、結局このような考えは思い上がりも甚だしかった。実際に私が隊長になってから
車両自体の性能差で見ればむしろ私たちのほうが有利ですらあったのに、圧倒的な練度の差とでもいうべきものを見せつけられて、私たちはひたすら翻弄されるしかなかった。突撃バカだと舐めてかかっていたのも敗因のひとつで、代替わりした知波単の新しい隊長(ニシさんだかヒガシさんだか、そんな感じの名前だった)は思うところあってかこの学校の伝統となっていた突撃戦法をむやみやたらに行わない方針へと改めたらしい。そうなると中々隙を見せない相手に対してこちらも攻撃のチャンスを掴み辛くなってしまう。のみならず、向こうの隊長は私の立てた作戦をことごとく先読みしてくるもんだから、焦るあまり悪手につぐ悪手を連発してしまった私の車両はどんどん追い詰められていって、結局他の仲間たちを残して真っ先に白旗を上げてしまったのだった。こんときの試合ではいいところを見せようと思って従妹をわざわざ招待してあげてたってのに、とんだ醜態だ。
知波単側の火力からすれば重装甲といえるT-100(乗ってるのは副隊長の
知波単との試合が終わったのち、T-100を強化するために砲塔を新型のもの(絵文字のやつが単身ロシアへ飛んで、どこぞの博物館と交渉して直接借りてきた超レアもんだ)へと換装することになったのだけど、その段階になって乗員不足の件はいよいよ問題視せざるをえなくなってきた。新型の砲塔に積まれている主砲はドデカい榴弾砲なのだけど、これの砲弾はすこぶる重かったから、装填手の仕事はとてもじゃないがひとりだけでは務まらなかったのだ。
もっと言うと副砲の装填も専任の乗員がいなくてそれまでは砲手の人に兼任してもらってたから、これを機にウチの戦車道メンバーの人脈を頼ってふたりほど臨時の助っ人を探すことになったのだけど、ここでひとつアクシデントがあった。
ええと、なんの話だっけ。そうだ、知波単との試合の続きだ。L6/40に乗せてたヤンキー二人組は初めのうちこそ調子よく敵の部隊を引っかき回してたんだけど、操縦手があまりに乱暴運転するもんだから、そのうち履帯がちぎれてダメになりやがったんだ。
このふたりは元々一年生の頃に戦車道を履修してたみたいで、中々見込みのあるやつらだと体育教師も目をかけてたらしいんだが、勝手に戦車を持ち出して後輩のチューボーどもへ見せびらかしにいったことが問題になっちゃって、色々揉めた末に履修者から除名されてしまったんだとか。まったくヤンキーってやつはこれだからいかん。戦車道は乙女の嗜みであって、礼儀を弁えない輩が火遊び気分でしゃしゃり出ていいもんじゃないんだぞ。
まあおっぱいが大きいほうのヤンキー……車長をやってる
私の車両にも装填手としてプリン頭のヤンキー(ややこしいから名前を出すけど、この人は
話が逸れちゃった。そういう訳で一両、また一両と敵に仕留められていったんだけど、意外にもキバ子のヤローはしつこく逃げ回ってどうにか生き延びていた。キバ子のチームが使ってるのは【10TP】っていうポーランド軍の軽戦車なのだけど、こいつは元々体育教師の私物で、あいつがいつも通勤用に使ってたやつだったりする。大戦中にたった一両しか製造されなかったという10TPだけど、ウチにあるやつは他所から借りてきたオリジナルの車両をどこぞの工房に持ち込んで、そいつをもとに大枚はたいてわざわざ複製させたものらしい。性能的に目立ったところもないこの戦車のどこにそこまでさせる魅力があるのかは分からんが、体育教師にとっては憧れの戦車だったのだろう。
キバ子の話に戻ると、当初あいつは加藤さんたちの車両に無理やり定員オーバー気味に同乗していた。だけどもなんか遠足のときに揉め事を起こしたみたいで、結局あのチームに居辛くなったらしい。その後はしばらく授業にも顔を出さなかったから、もしかすっとこのまま戦車道からフェードアウトしてくのかなと思っていたのだけど、あるとき他のクラスのダチ連中を連れて戻ってきやがった。そんで自分たち専用の戦車が欲しいというキバ子の主張を聞き入れた体育教師が、自分の戦車を気前よく貸してやったって訳だ。でもキバ子たちはあんまし真面目に練習をやらないから、正直言って練度はウチの学校の中じゃ最低レベルだったりする。だからまあ、知波単を相手に割と粘れたのは、ひょっとすると車長をやってるキバ子の悪運が強かったからなのかもしれない。
加藤さんたちの話はしたっけか。ああ、まだしてなかったな。あの人のチームが使ってるのはソミュアだ。昔はよく先輩たちと三人一緒に乗り込んだりしていたこの車両だったけど、今は加藤さんを車長として通信手にネモ、操縦手に
この車両は加藤さんの負担がかなり大きくて、車長をやる傍ら砲手と装填手も兼任しないといけないのだけど、それらを実戦レベルで全部そつなくこなしてるから本当に大したもんだ。先輩だって同じことを当たり前のようにやってのけていたけれど、私では仕事が追いつかなくてとてもじゃないが無理そうだな。
ともあれソミュアは試合中に10TPと組んでいたのだけど、ろくに練習してないキバ子たちとではうまく連携できなかったみたいで、迂闊にも突出してしまった10TPをフォローすべく追いかけてった先で敵に包囲されちゃったらしい。そうして結局キバ子たちもろとも撃破されてしまったようだ。
最後までしぶとく生き残った頼みの綱のヤークトパンターも、最後はここぞとばかりに発動された敵部隊の一斉突撃に対処することができなかった。履帯をやられて身動きできなくなったところで背後に回りこまれ、ひたすら至近距離で弾を撃ち込まれてあえなく撃破されてしまったのだった。
操縦手をやってるコオロギの友の腕前は新米にしちゃ中々のものだけど、なにぶん放課後の練習に参加できてなくて練習量が足りてないからか、持ち前のセンスだけで補ってる感じはある。大会が終わるまで図書委員の仕事を免除されたコオロギと違ってなにかしらの部活に参加してるみたいだったから、戦車道にかまけてそちらをおろそかにする訳にはいかないようだ。
そういやヤークトパンターを手に入れた経緯についてまだ話してなかったっけ。これは元々ウチになかった車両だったのだけど、私たちが一回戦でぶつかった相手でもある
常識的に考えていくら金を積まれようが虎の子のヤークトパンターを手放すところなんてある筈がないのだけど、有無を言わさず無理やりにでもそれを買い上げる手段がウチにはあったんだ。それは先輩が私たちのためにと残してくれた置き土産みたいなもので、何年か前に購入する権利を
権利書に記載されていたヤークトパンターの購入価格は相場に近いものだったのだけど、それにしたって結構な出費には違いない。これを買ってしまうとそれまで先輩たちの代からコツコツ貯めてきた予算の大半を使い切ってしまうレベルだったからおおいに迷った。だけどウチに一番必要な戦力はなんなのかというのを考え抜いた末、私は意を決して購入に踏み切ったのだった。
途中、取引先の戦車道チームがゴネたりして一悶着あったのだけど、どうにか売買を成立させることができた。相手側からは随分恨まれてしまったけれど、文句があるならウチのT-100を
つーかあいつら、こないだの試合ではどこで調達したのか〈ヤークトティーガー〉なんていう怪物じみたもんを新戦力として投入してきたんだよな。意趣返しのつもりなのか、まずこっちのヤークトパンターを速攻で仕留めてきやがったから、あんときはマジにヤバかったぜ。頼りにしてた打撃力を早々に失ったぐらいで瓦解しそうになったのは大きな反省点だったけれど、あちらの隊長──こひなんとかさんの采配ぶりは敵ながら見事なもんだった。占い好きのオカルト狂いなチームだとなめてかかってた訳じゃないが、大会に出てくるような学校はどこも指折りの実力を持っているんだってことを改めて思い知らされたよ。
◆
あーと、どこまで話したっけ。そうだ、先輩たちと一緒に大会を観戦したところまでだ。大会初参加の無名校だった
でも今じゃ、私自身が初参加の無名校を率いて大会で実際に試合をする立場だ。どうにか勝ってみせた一回戦の試合のときだって、先輩はきっと観客席のどこかで私たちの戦いぶりを観てくれていたに違いない。だからこそ無様に負ける姿は見せたくないと思ってしまう。先輩が楽しんでくれて、胸をときめかせてくれるような、そんな戦い方ができたらいいな。スポ根的なものなんて嫌いだった筈の私が、まさかこんな気持ちになるなんて夢にも思わなかった。
本当は、先輩の卒業に合わせて私は戦車道をやめるつもりだった。新しい隊長として先輩のいないウチの戦車道チームを率いていくのは荷が重いと思ったのだ。でもやめようと思った一番の理由は、卒業した先輩がこの学園艦からも去ってしまうという事実を前にどうしようもないほどの喪失感にうちのめされていたからだ。今までずっと一緒にやってきた先輩がいなくなる。それはどんな砲弾よりも強烈に私の心を貫通したのだった。
先輩と一緒にやる最後の試合となった戦場で、私は初めて実戦における隊長役を任された。それまでは先輩の指示のもとで副隊長みたいなことをやっていたのだけど、ここに来て先輩はいよいよ私を後釜に据えるためにお膳立てするつもりだったのだ。
「
そんな私だったから、いざ試合の中で各車両に指示を出す立場に立ってもうろたえるようなことはなかった。この頃はまだまだ履修者不足のせいでウチから試合に出せる車両は限られていて、頭数を揃えるべく似たような境遇の他校と組んで即席の連合チームとして試合に出るのが常だったのだけど、馴染みのない他校の人たちとのやりとりも一応は臆さず行うことができた。
結果、試合にはどうにか勝てた。先輩ともこれで最後なんだと思うと気持ちがはいって、全力を尽くそうと必死でがんばったのも大きい。でも、なんだかちっとも嬉しくなかった。
試合が終わったあと、学園艦に戻ってひとりで格納庫の戸締まりをしていたら先輩がやってきて、試合での私の活躍をうんと褒めてくれた。試合があった日は決まって先輩はこんなふうに私の働きぶりをねぎらったりしてくれるのだ。
先輩に褒めてもらえるのは嬉しい。だから私はそれをいつも楽しみにしていたのだけど、こうしたことも今日限りなんだと思うと目尻に涙がじわっと滲んできて、ついにはそれが溢れ出してしまった。
先輩がいてくれるなら、隊長でもなんでもやってみせる。でも、先輩のいない戦車道なんて意味がない。だからもう戦車道なんてやめてやるんだと、私はずっと胸に押し込めていた自分の本音を、絞り出すような声でとうとう先輩に告白してしまった。
あのときの先輩は、きっともの凄くショックを受けたに違いない。だって、いつもにこやかな様子を崩さないでいた先輩が、顔に手をやって泣き出してしまう程だったのだから。去年の卒業式で先輩が在校生代表として送辞を述べたときにちょっと涙ぐんだりしていたけれど、そういうのとは全然違っていた。あそこまで先輩が感情をあらわにしたのはあとにも先にもこのときだけだった。
このあとのことはどうか聞かないでほしい。すまんが先輩と私だけの秘密なんだ。ただ、他の人たちに覚えておいてもらいたいのは、ウチの戦車道チームにはちょっと前まで凄い先輩がいたってことだ。
いくら初参加校だからって一回戦突破した程度で「大洗の再来だ」なんてこっ恥ずかしいことを言ってくれる人が私のことを持ち上げようとしてるみたいだけど、私なんて全然大したことはない。本当に凄いのは、かつてこの学校にいた
あの人はそのうち大学戦車道のほうでもめきめきと名をあげてくに違いないから、ウチの卒業生の活躍ぶりにぜひ注目しといてくれ。先輩は自分とこの家に秘蔵されてた【チト】っていう日本軍の戦車に乗ってるって話なんで、そこんとこよろしくな。
そうそう、次の試合では二高の戦車道チームと合流して一緒に戦うことになったんだ。これまでずっと戦車道にそっぽ向いてた二高だったけど、今年から戦車道の授業が始まったんだよ。といってもあっちの生徒会が必要最低限の予算しか
まあ同調圧力に屈して自分とこの方針を変えるなんて誰だって嫌だろうから、別にどうこう言うつもりはない。先輩が二高の生徒会へ粘り強くかけ合った甲斐あって、一応は戦車道連盟からも認められるぐらいには体制を整えてくれたんだからありがたいってもんだ。だけどもっと早くに二高が戦車道を始めてくれていたら、連盟への参加もすんなりと許可されて先輩が当時の上級生たちと一緒に大会へ出ることだってできたのにとは思う。
と、それは置いといて、二高のチームが持ってきたのは【テトラーク】っていうイギリス軍の軽戦車だ。見た目はちょっとまるっこくて可愛らしいんだが、正直言って戦力的にはなんとも頼りない。だからフラッグ車にしてみんなで守ってあげる戦術を取ってみるのもいいかもしれないな。小柄で結構スピードの出る車両だから、いざってときは単独で森ん中とかに逃げさせて追手をまいたりもできそうだし。
まあそれよりなにより大事なことは、これに乗ってるのが私の親友、あのゆうちゃんだったってことだ。この戦車は合同練習に参加するために二高からウチの格納庫の前まで自力でやってきたのだけど、砲塔の天板を開けてひょっこり顔を出したゆうちゃんを見たときはたまげたもんだ。まさか戦車道を始めただなんてそれまで全然知らなかった。ゆうちゃんには私が戦車道を始めたことをもう随分前に明かしていたのだけど、ゆうちゃんなりに思うところがあったのかもしれない。ゆりとガチレズさんなんかは前から知ってたみたいだけど、ゆうちゃんに口止めされていたようだ。ともあれ驚く私の顔を見られて満足したらしいゆうちゃんが「これで一緒に戦車道やれるね」と嬉しそうにしていたから、私のほうもなんだか百人力を得たような気持ちになれた。
ゆうちゃんからは他にも気になる話を聞かせてもらったりした。どうやら二高のほうでは戦車のメンテナンスを整備科の生徒たちに引き受けてもらっているというのだ。こんなことはウチと違って工業系の学科を多く持つ二高だからこそできることなんだが、あっちの生徒会は戦車道に対して消極的なぶん、外部の技師に委託するといった金のかかりそうなことは避け、できるだけ学内のリソースを使って対応できるようにしているみたいだな。どうせならゆうちゃんのだけじゃなく私たちの車両の面倒もまとめて見てくれたらものすごく助かるんだが、どうにかならないもんだろうか。
それはそうと次の対戦相手は以前私たちをこてんぱんにのしたあの知波単だ。あいつら、一回戦のときには見せなかったとんでもねー戦力を持ち出してきやがった。一時期は実在そのものが疑われたりもしていた幻の日本軍超重戦車・通称〈オイ車〉を学園艦の奥深くで発見したって話だ。たぶん私らのT-100──新型砲塔に換装してからは【T-100-Z】になったけど、それに対抗してのことなのだろう。最近の大会では目立った戦績のない知波単だったけど、今年はマジに上位入賞か、もしかすると優勝自体を狙ってきているのかもしれん。
ウチの学園艦にも都合よくそんな秘密兵器がどっかに隠されていてほしいんだが、あるのは歴代の先輩たちが溜め込んできたスクラップの山だけ。一応そんなかから使えそうな部品をある程度見つくろったりはしているが、まともに動く再生車両を造ろうと思ったらまだまだ足りないもんがたくさんあんだよ。だけどもうちょい予算をもらえれば、必要なものを買いそろえてちょっとした車両を組み上げられそうではあるんだ。スウェーデン軍が開発した【Sav m/43】っていう小ぶりな突撃砲なんだけど、こんなんでもそれなりに貴重な戦力となってくれるだろう。
しかし保有する車両が増えたら増えたで、そのぶんの乗員も必要になってくるんだから悩ましい。ただでさえウチは人手不足気味なんだから、一緒に戦車道をやってくれそうな人の勧誘は今後の課題にしていかないとな。前に自習室でご一緒した
ああ、まあ話すこととしてはこんなもんかな。今まで本当に色んなことがあったから、細かいことを挙げたらキリがないんだ。次の試合は正直勝てるかどうか分かんないけど、一応はいけるとこまでいってみるよ。もし負けてもボロカスに書いたりしないでくれよ? 新聞ってのはすぐそういうことしやがるからな。まあ私はいいんだが、ウチのヤンキーどもは気が短いからなにするか分からんし。
エヘンエヘン。普段あんま喋らんから、いい加減ノドが痛くなってきた。もうこの辺でいい? あ、そう、んじゃ。
◆
「は────……」
報道部からのインタビューがやっと終わったので、私は長いため息をついてしまう。でもさっきの記者に長々と話してやったことは、これまであった出来事のほんのごく一部に過ぎない。私が元々ぼっちだったとか、みんなの前でゲロっちまったことなんかは、頭の中で思い出しはしたけれど恥でしかないから当然教えてやる訳がない。体育教師への本音だって、正直に言ったらどうなるか分かったもんじゃないしな。
けれど、先輩との思い出だけはできるだけ包み隠さず話してあげた。どうしても教えたくないことやパンツ覗きの件とかは勿論言わないけれど、それ以外は正確に伝えてみたつもりだ。外の世界から原幕にやってきたあの戦乙女のことを、私だけじゃなく学校のみんなやココに住んでる人たちにも覚えておいてほしかったのだ。そうしたら、目まぐるしい日々の中で先輩との思い出が段々と薄れていってしまうのを少しでも遅らせることができそうな気がするからだ。
さて、メシ食ったら気を取り直して次の試合の準備を進めるとすっかな。勝てるかどうか分からんって報道部には言ったけど、私の本音としてはガチで勝たせてもらいに行くつもりだ。先輩が私に仕込んだ戦車道ってのはそんなにヤワなもんじゃあないぞ。直接観戦したって訳じゃないんだが、何年か前に非公式の野良試合〈
そういや試合中に10TPがいきなり履帯をパージして、ギアの交換もなしに装輪走行モードでかっとばしてたけど、あれいいな。なんとかして同じ機構を改めてキバ子の車両に組み込んでやれないもんだろうか。せっかくのクリスティー式戦車なんだし、長所を活かさない手はない。去年やってた大洗と大学選抜チームの交流戦でも参加車両のひとつ(こいつもクリスティー式だった)が似たようなことをしてたし、案外レギュレーション違反にならない形でうまいことやれる方法があるのかもしれないな。相手チームの無線を傍受するための装置を積んでたとか、車両の駆動系に超馬力のモーターを仕込んで急加速できるようにしたやつらがいたって噂もあるし、どこの学校もルールブックとにらめっこしながら穴を突こうと考えを巡らせているのだろう。
ああ、それにしても血が騒ぐ。次の試合が待ち遠しいな。血気盛んなウチのプリン頭の気持ちがちょっとだけ分かるような気がする。元々リアルで人となにかを懸けて必死で争うだなんてことは苦手な筈だったのだけど、戦車道はそうした私の心をすっかり変えてしまったようだ。
知波単の各車両の動きを頭の中で何度もシミュレートして、それを自軍の戦力でもっていかに撃破していくかを考えていく。こう来たらこうしてやって、もしこう来たら次はこういう手でいってやろう。ひょっとすると意表を突かれてウチの主力が片っ端からやられちゃうかもだけど、大会はフラッグ戦ルールなんだからどうということはない。例え自分のところの戦力が残り一両だけになってしまったとしても、最終的に相手のフラッグ車だけを潰してやりさえすればなにも問題ないのだ。
もし件の超重戦車がフラッグ車だったらどうしてやろうか。定石で考えりゃウチのヤークトパンターで装甲の薄いところを突いてやるのがベストなんだろうけど、相手だってそこんところは警戒してるだろうから、逆に先手を打ってこちらの打撃力を真っ先に潰そうとしてくるかもしれない。だから正攻法での撃破が無理そうなら、去年の大会の決勝で大洗が黒森峰の超重戦車・マウスに対して仕掛けたようにエンジングリルを狙った奇襲戦法で仕留めてやろうかな。
いやいや、あんな曲芸は真似しようたってそうそうできるもんじゃないか。だったらどうにか履帯を潰して一旦足を止めておいてから、修理される前にT-100の榴弾砲で丘の裏や森の中から観測射撃をやってもらうって手もある。砲の精度がすこぶる悪いあれで狙い撃ちすんのは骨が折れるが、運よく当たりゃオイ車といえどひとたまりもないだろうから、手段のひとつに数えておくのはいいかもしれん。
修理しに車外へ出てる奴らが爆発に巻き込まれるんじゃないかって? でぇじょうぶだ、試合に使う砲弾って実はものすげーハイテクなんだよ。人が近くにいたら炸裂しないようになってんの。弾頭自体もセンサーがあぶないって判断したら一瞬で分解されちゃうみたいだし、安心安全の無殺傷兵器ってのがウリなんだぜ。
まあでも故障中の車両は狙わないっつー、戦車道精神にのっとった暗黙の了解があるにはあるんだが……。だけどしょっちゅう同じ手を使うでもなし、ここぞというときぐらいは大目に見てほしい。いつぞやかのプラウダなんて人命救助中で身動きが取れんかった敵のフラッグ車を堂々と狙い撃って優勝したぐらいだもんな、あれくらいのなりふり構わん戦い方も場合によっちゃ必要だ。知波単の連中だって前にウチのヤークトパンターの足を潰した上で袋叩きにしやがったし、あんときのお返しにもなるだろう。
という訳でちょっくら今日あたり作戦会議を開いて、オイ車にどう対応するかみんなと話し合ってみっかな。
大会が終わったら、試しにタンカスロンのほうに参加してみてもいいかもしんないな。負けたら大損こくリスキーな戦いだけど、かつて先輩が夢中になったらしい戦場を私もいっちょ体験してみたい気がする。
なんだか先輩のあとを追ってばかりだなと自分でも思うけど、これが私の〈戦車道〉ってやつなのだから仕方がない。私の中での理想的な戦車道女子ってのは、ずっとずっとこれからも先輩のことに他ならないのだから。
果たして私は、かつての先輩と同じ場所へ立てるようになれるだろうか。雫みたいに私を慕って戦車道を始めてくれたような子に、多少なりとも〈道〉のようなものを示してあげることはできるんだろうか。なにかちょっとでもいいから与えてあげられたらいいな。私が先輩から与えてもらったのと同じように。
さあ、ドンパチやるぞ。礼節守ってたくましく、凛々しく可憐に戦争だ。そんな戦争ある筈ないが、戦車道にはそれがある。根性とか気合とか基本嫌いなんだが、そんなもんなくったって戦車道はやれる。私がいい見本だ。こんな陰キャだって戦車道を楽しんでるんだぜ。だから青春してみたいって思ったら、戦車道がオススメだ。ひょっとしたらモテるかもしんないぞ。
え? 私? モテてるかって? うっせーなぁーっ、