もこっちの楽しい日常   作:ニックワンワン

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もこっちと小さかった智くん(中-後篇)

結婚! 結婚! さっさと結婚!

(おお、昔はこんなんなってたんか……)

 

 将来的に己の自室として使われる予定の子供部屋へと足を踏み入れた智子であったが、かつての室内の様子など最早殆ど覚えていなかっただけに、その内装が当時はこうも違っていたのかと、興味深げに部屋のあちこちへ目を向けてしまう。

 置いてある家具はいずれも子供サイズのちんまりとしたものになっており、そのどれもが子供用家具御用達のカラフルなデザインで統一されていた。

 また、部屋の中には当時の姉弟が肩を並べてテーブルゲームやお絵描き等をする際に使っていた小さなちゃぶ台も置かれていて、これは将来の智子の部屋からは撤去されて久しいものであった。

 

 他にも特徴を挙げればキリが無いのだが、とにもかくにもそこは如何にも幼い子供達の為に設えられた「ザ・子供部屋」といった様相を呈しており、テレビも置いていなければ当然パソコンの類は影も形も無い。

 見知っている自室の面影が微塵も見当たらない事に、智子は今確かに過去の世界を垣間見ているのだという事を改めて実感する。

 

(ていうか、なんか結構広々してんなー)

 

 先程弟と一緒に階段をのぼっている時もそうであったが、どうも家の中がどこもかしこも今の智子にはやけに広く感じられて仕方が無かった。それは当然ながら智子自身の体が縮んでしまった事による相対的な感覚のズレが生んだものであったのだが。

 

 と、それまで姉に手を握られていた智貴が急にその繋がりを振り解いたかと思うと、室内の様子に目を奪われている智子を尻目に自らの足で部屋の隅に設置されている子供用ベッドの方へと駆け寄っていった。

 

「んしょっと……」

 

 手際良く靴下を脱いでから自力でそれによじ登った智貴は、ベッドの上に雑に丸められていた毛布を引っ掴んで寝そべると、それを自分の体の上にきちんと掛けてみせる。

 

(なんだよ、ちゃんと一人で出来んじゃねーか)

 

 睡魔に襲われすっかり赤ちゃんモードであった筈の弟が、このようにして突如自分自身で手際よくおやすみの準備を整えてみせたものだから、あれやこれやと手伝ってやるつもりでいた智子としては些か肩透かしを食らってしまった気分だ。

 

 つい今し方まで姉におんぶにだっこであった筈の幼子が急にこのような行動を取った理由は定かでは無い。

 もしかするとそれは、先程からどこか物憂げな様子を見せ始めていた智子を気遣った彼が、姉の手を煩わせまいと自立心を芽生えさせたが故の事であったのだろうか。

 そうしてすっかりおねむの体勢に入った智貴であったが、ベッドの上でおもむろに寝返りを打つと智子の方をじっと見やってきた。

 

「おねーちゃん、おはなしして……」

 

 前言撤回。やはりかの幼子はまだまだ甘えん坊のようであった。己の傍らをポフポフと叩いてみせる智貴が言いたいのは、要するに智子も一緒に添い寝をしておやすみ前のトークをして欲しいという、いかにも小さな子供らしい要求なのであった。

 

「あー、お話ね、はいはい」

 

 そういえば昔はよく弟を寝かしつける際にそのような事もしてやったものだと、新たに自身の古い記憶が掘り起こされてしまった智子は、それに導かれるようにして自分もベッドによじ登ってみせる。

 その際、普段素足で過ごしている筈の己が今は靴下を履いていた事にようやく気付いたようで、思い出したかのようにそれをポイポイと脱ぎ捨てていくのだった。

 

(あっ、これ昔捨てちゃったやつだ!)

 

 ベッドの上にはその手のものが好きだった智子の為に両親が買い与えた幾つものぬいぐるみが転がっていたのだが、その中の一つに智子は目が釘付けになってしまう。それはタマネギの根っこのような頭髪を頭からチョロリと生やした、へちゃむくれ顔で丸々とした体つきのペンギンだ。

 これこそはとうの昔にやむなくお別れしてしまった筈の、当時の智子が大層気に入っていたぬいぐるみであったのだ。

 

「おねーちゃん、はやくはやく」

「あっ、うん……」

 

 そのぬいぐるみを手に取り懐かしさに浸っていた智子であったが、足をバタつかせて急かす智貴に促され、再会の余韻もそこそこに、毛布をめくって体をもぐり込ませる。

 姉の添い寝を待ち侘びていた智貴は、これから智子が何を語ってみせてくれるのだろうかと興味津々のご様子だ。

 

(お話ったって、こんなチビガキ相手に何話しゃいいんだ……? 桃人間が鬼をボコりに行く話とか、ありきたりなやつでいいのか?)

 

 当時の智子はこうしたおやすみ前トークに限らず、小さい子供にウケの良い話の引き出しを豊富に持っており、それを弟の智貴は勿論の事、時折一緒に遊ぶ事のあった従妹の希心にも存分に披露してやっていたのだが、己のそうした話術を発揮する機会にとんと恵まれなくなって久しい今の智子には、最早その辺りの勝手がすっかり判らなくなっていた。

 

(ま、こいつなら何話してやっても喜びそうだが……)

 

 ふてぶてしさを感じさせる姿勢でベッドに雑魚寝した智子はそのように考える。

 例え内容自体がどうであろうとも、この弟は姉からの話に無条件に食いついてくるに違い無いと智子は踏んだのだ。であるならば自分にとって退屈な童話をわざわざ選ぶ必要は無いと、そう思い立った彼女は早速口を開く。

 

「あ……じゃあ未来の話とかしてあげようか?」

「みらいってなに?」

「ずっとず~っと先の事って意味だよ。お姉ちゃんや智くんが、大っきくなって中学生とか高校生とかになった時の話」

 

 突拍子も無い姉からの提案をやや理解出来ないでいた智貴であったが、その様子を見てとった智子が補足してやる。智子は興味本位から、己しか知りえない未来の情報を目の前のこの幼子に吹き込んでやろうと思い立ったのだ。

 

「ポ○モンの次の次のそのまた次に出るやつとか、ワ○ピースやナ○トがこれからどうなってくのかとか、実はお姉ちゃん全部知ってるんだ」

「えっなにそれ、すごい!」

 

 姉の口から出てきたその衝撃的な告白を前にしていっぺんに睡魔が吹き飛んでしまった智貴は益々興味を惹かれた様子を見せる。

 時空を超えた壮大なネタバレを弟相手にやらかす気満々の智子であったが、これが夢であるのならば当然その手の気遣いは無意味である為、遠慮するような気配は一切見られない。それ以前に智子はどちらかと言えばこの手のネタばらしを嬉々として行いたがる類の人間であったのだが。

 

「あ~でもこれな~、今話しちゃっていいのかな~。もしどっかから情報が漏れちゃったら、世の中が色々ヤバい事になっちゃうしな~」

「え~ききたいよぉ」

「ははは……じゃあこれからお姉ちゃんが話す事は絶対ナイショだからね?」

 

 かくして四次元的リーク情報を多分に含んだそのトークショーは、語り主智子のもったいぶるような前置きを皮切りとしてベッドの上で開始されていく。

 

 *

 

「──で、次に出るのがエックスとワイってタイトルで、これはもっと新しい次世代機で発売されるんだ。あ、この次世代機っていうのがね、ゲーム画面がホントに浮かび上がって見えるやつで……」

 

 語り始める内にどんどん興が乗ってきた智子は、己の記憶にある限りの未来の事柄について次々と披露してみせる。そんな智子の饒舌な語り口に先程から熱心に耳を傾けている智貴。姉弟が被っている毛布がお互いの体温で温まってきたのに合わせて、二人のトークタイムもいまやすっかり熱を帯びていた。

 

「未来のお姉ちゃんはカードゲームがすっごい強くなるんだよ。もうね、皆からクイーンとか呼ばれてガチで崇められてるから。マジこの辺りじゃ敵無し状態だから」

「うわぁ、すごいな~」

 

 さりげなくトークの中に己を自画自賛するエピソードを混ぜ込む事も忘れない智子であったが、先程智子から達者なゲームプレイの一部始終を見せて貰っていた智貴は、この才気溢れる姉ならきっとそうした遊戯においても存分に活躍してみせるに違いないと、素直に称賛の言葉を贈る。

 

「じゃあ、ぼくは?」

「えっ?」

「ぼくがおおきくなったら、どんなふうになってるの?」

 

 と、ふいに智貴がそのような質問をしてみせた。智子の未来の武勇伝を聞く内に、そんな頼もしい姉の傍らに居るであろう自分がどのように変わっているのかが気になってしまったようだ。

 

「あ、えーと、うーん……」

 

 対する智子はと言えば、弟からこのように問い掛けられてしまって急にその声をトーンダウンさせてしまう。

 どうにも返答に詰まった様子でしばし逡巡していた智子であったが、何やら言いにくい事でも語るかのようにその口をおもむろに開く。

 

「そうだねぇ……智くんは大きくなったらサッカーが上手になるよ」

「えっ、でもぼくサッカーしたことないよ?」

「小学生位になったらやり始めるんだよ。もっと大きくなったら大会とかにも出たりするみたいだし……」

「ふーん……」

 

 先程までの熱量はどこへやら、どこか冷めた様子でぼそぼそと語る智子に、自身もまた控えめな相槌で返す智貴。

 己が将来スポーツに熱心に取り組むようになるのだという事を姉の口から聞かされても、当の智貴はイマイチしっくり来ない様子だ。どうも彼にとってこの情報はさして興味を惹かれるものではなかったのか、その反応はいやに薄かった。あるいはそれは、先程とは打って変わってあまり楽しくなさそうな様子で語り出した姉の様子に影響されての事なのかもしれない。

 

「あっ、じゃあぼくとおねーちゃんって、けっこんしたの?」

 

 だからなのか、智貴は己が今最も関心のある事柄を思い出すと、先程までの話題を切り替えるかのように新たな質問を投げ掛けたのだった。

 

「あっ、いや~……結婚とかはしてないかなー」

「え~、なんで?」

「ほら、私と智くんって姉弟だし、そういう事って他人同士がやるもんでしょ?」

「でも、したいもん」

 

 する訳ねーだろ。弟からのストレートな要求に思わず心の中でツッコミを入れてしまう智子であったが、当時の智貴は姉を慕うあまり何かあればこんな風にすぐ自分と結婚すると言って聞かない子供であった事を思い出す。

 だが将来的に智貴が日頃自分に対してどのような態度で接してくるようになるのかを知っている智子は、そんな彼の無邪気な言葉に対してつい意地悪で返したくなってしまう。

 

「ていうかさぁ……未来の智くんは、もうお姉ちゃんと結婚なんかしたくないって思ってるみたいだよ」

「えっ、どうして!?」

 

 姉の口から飛び出したその言葉を聞いた途端、反射的に大きな声で聞き返してしまう智貴。このような返答はまるで予想していなかったのだろう、その瞳には驚きの色がありありと浮かんでいた。智子が口にしたその宣告は「将来お前は死ぬのだ」と言われたに等しい衝撃を智貴に与えてしまったようだ。

 

「なんか判んないけどさ、多分お姉ちゃんの事、嫌いになったんじゃないかなー」

「ぼく、そんなふうにならないもんっ!」

 

 智子のもたらしたあまりにも衝撃的な未来情報が受け入れられず、目の色を変えて反論してみせる智貴。現在進行形でお姉ちゃん大好き病に罹患中の彼としては、そのような事は到底納得出来る筈もないらしい。

 

「でもねぇ……智くん、大きくなったらもうお姉ちゃんと全然遊んでくれなくなっちゃったし……」

 

 そんな智貴の必死の否定を嘲笑うかのように、どこか遠い目で未来の弟の心変わりについてつらつらと語る智子。その瞳には眼前の幼子ではなく、今この場に居ない未来の少年の姿が映っているのかもしれない。

 

「お姉ちゃんが智くんの部屋に遊びに行ってもすぐ『出てけよ』とか『うぜえんだよ』とか言って追い出そうとしてくるし……何か話し掛けてやってもお姉ちゃんの事、無視するし……」

「えぇー、そんなのいやだよぉ……」

 

 よもや将来の自分がそのような事になってしまうとは。智子の明かした内容に初めこそ猛烈な拒絶反応を示した智貴ではあったが、まるでさも実際に見てきたかのように語ってみせる姉の口ぶりからは否定し難い程の真実味が感じられてしまう。

 これはひょっとしたら本当なのではないか? 元々姉に全幅の信頼を寄せていた智貴であっただけに、彼が智子の言葉を信じるのにそう時間は掛からなかった。いや、それどころか信じ過ぎるあまり落胆を隠せず今にも泣きそうな様子すら見せ始めている。

 

(あっ、やべっ)

 

 つい未来の弟への愚痴が長引いてしまった智子ではあったが、気付けば目の前の弟が目に涙を湛えて鼻をすすり出したものだから焦ってしまう。

 

(こんな程度でイチイチ泣くんじゃねーって……メンドくせーな)

 

 智子としても別に弟を泣かせたかった訳ではないのだ。

 自分は何をやっているのだろうと、自省とも自己嫌悪とも付かないやるせなさがこみ上げてきた智子は溜息をつきたくなってしまうが、最早智貴が泣き出す寸前であったから、身を起こして彼に向き直り、急ぎフォローしに掛かる。

 

「あーえーと、だ、大丈夫だって!」

「……?」

「ほらっ、運命は必ずしも決まってないって言うしさ、そうならなかった未来とか世界線とか、そういうのもあるかもしんないぞ?」

「せかいせん……?」

「そーそーそれな。要はさ、お前がデカくなっても姉ちゃんを敬う心掛けをこの先ずっと忘れなきゃいいんだよ。そうすりゃなんとかなるって」

 

 慌てるあまり最早幼児向けの語り口調を装う所にまで気が回らなくなってしまった智子は、普段のぶっきらぼうな口調に戻ってしまっている事にも気付かず、目の前の幼い弟が理解出来るかどうかも怪しい単語をちりばめた慰めの言葉を掛けていく。

 

「姉を称え、姉を尊び、姉の為にこそ生きる。お前がこれから先もずっとず~っとそーしてくれりゃあ、私ら姉弟の未来は安泰間違い無しだ」

「そうなの……?」

 

 智子自身としても未来の弟が本気で姉の事を心底嫌っているなどとは思っていない。その態度こそ目に見えて変化してしまったが、それでもあの弟には姉を慕う気持ちが幾分かは残っているのだろうと、そう智子は信じていたのだ。信じるといっても智貴の心変わりが何を原因としていたのか真面目に考えたことなどない智子であったから、結局はこれも一方的な願望の押し付けに過ぎないのであるが。

 

「そうなんだよ。ほら、姉ちゃんを信じろって」

「うん……しんじる」

 

 支離滅裂と言えなくもない姉からの慰めの言葉を正しく理解出来たのかどうかは別として、ひとまずは智子の必死なフォローの甲斐あって幾分か落ち着きを見せ始める智貴。姉がここまで断言してみせるのならきっと大丈夫に違いないのだと、先程と同様に彼は智子の言葉を素直に信じたのだった。

 が、そうすると今度はまた新たな事柄が気になり出してしまったのであろうか、涙の滲んだその目尻が乾く暇もなく次なる質問を姉に投げ掛ける。

 

「おねーちゃんは?」

「え?」

「みらいのおねーちゃんも、ぼくのこときらいになったりするの?」

 

 将来的に姉と自分とが仲違いするかもしれないという、智子の語ってみせた暗黒の未来に言いようのない不安を感じてしまった智貴は、事の真偽をハッキリさせたい一心でそんな事を尋ねてしまう。

 未来の自分が姉を嫌ってしまうように、姉もまたそんな己の事を愛してくれなくなったのではないか。今の智貴にはただその事だけが気掛かりなのであった。

 

「あ、いや、それはだな……」

 

 そんな智貴からの質問に再び言葉が詰まってしまう智子ではあったが、枕に顔を半分うずめたままこちらをじっと見上げてくる弟の瞳が不安に揺れているのを見てとると、ひとまず彼を安心させてやる為、その柔らかな頬に己の手をぺたんと添えて語りかける。

 

「大丈夫だよ。お姉ちゃんは智くんの事、別に嫌いになったりしないから」

「ほんと?」

「ほら、私ってやっぱ智くんのお姉ちゃんだし。弟がどんだけ生意気なハゲでもさ、姉としての寛大な心で許してあげちゃうんだよ」

 

 実際、智子は成長した智貴の事も憎からず思ってはいた。確かに彼の素っ気無い言動に苛立ってしまう事は多々あるし、姉をないがしろにして青春を謳歌していそうな所は正直けしからんとも思っている。

 が、だからといって弟の事が嫌いかといえば、そんな気持ちはこれっぽっちも無いというのが智子の偽らざる本音なのであった。お互いが成長してその関係がどれだけ変わってしまったとしても、智子は変わらず智貴の事をこの世でたった一人の自分の弟として彼女なりに愛してはいるのだった。その愛がひどく未熟なために当の弟の心を長年に渡り苛んできたのだとしても。

 

「じゃあ……すき?」

「えっ? あ、う、う~ん……」

 

 己が望む答えを姉から貰えた事にひとまず胸を撫で下ろした様子の智貴ではあったが、それだけではまだ満足していないらしい彼は、自身にとっておそらく死活問題なのであろう、更に切り込んだ質問を智子にしてみせる。

 

(好きだの嫌いだの、こんなガキの癖して早くも恋愛脳かよコイツ)

 

 なんとも気恥ずかしい質問をしてくる弟に心の中で文句を垂れる智子ではあったが、弟が今問うているのは「家族として好きかどうか」という事なのだと勿論彼女も判っている。

 弟の事は勿論嫌いではない。だが、ここで「好き」と率直に言ってしまえる素直さはとうの昔に失われていた。単純な好悪だけで語れない弟への鬱屈した感情の積み重ねがいまや智子の中にはズシリと横たわっているのだった。

 

「そうだね、うん、好き……かも」

 

 が、何と言ってもこれは所詮夢なのであるからして、己の言動ひとつに今はそこまでナーバスになる必要も無いと軽く考えた智子は、ひとまず目の前の幼子が満足するような答えを与えてやる事にした。

 別に嘘は言っていないのだ。嫌いでないという事は、つまり多少なりとも「好き」であると言い換えてしまっても差し支えは無い筈なのだと、そう智子は己を納得させる。

 

「そっかー、あーよかったー」

 

 智子の思惑通り、姉から与えられたその耳触りの良い回答にようやく安堵した智貴は、毛布を撥ね除け元気よくその身を起こすと、ふっくらとした頬を綻ばせて満面の笑みを智子に向ける。

 

「ぼくもね、おおきくなってもおねーちゃんのこと、ずっとだいすきだよ」

「ホントにぃ? 後になってから『んな事言ってねえよ』とか言ったりしない?」

 

 意気揚々と誓いの言葉を口にしてみせる智貴であったが、先程弟を泣かせそうになったばかりだと言うのに学習しない智子は早速それに茶々を入れてしまう。

 

「いわないもんっ!」

「ははは……わかったわかった」

 

 そんな自分からの茶々入れに手足をばたつかせながらムキになって反論してくる弟の様子がおかしくて、つい笑ってしまう智子であった。

 

「だから、ぼくがおおきくなったらけっこんしよ?」

「えっ、またその話?」

 

 かと思えば、またもや智貴は当初の話題を蒸し返してみせる。どうもこの当時の彼の頭の中は、敬愛する姉と添い遂げたいという思いに余程支配されていたのかもしれない。

 

「やっぱりきょうだいだからダメ……?」

(なんかやけにしつこいな……いつもこんなだったっけ?)

 

 当時は弟がこのような事を言う度に「姉弟は結婚出来ないんだよ」と都度諭してやっていた智子であったが、今日の智貴はどうも諦めが悪いようだった。

 

「じゃあ、智くんが大きくなってもお姉ちゃんの事まだ好きでいてくれたら、その時は結婚してあげてもいいよ」

「ほんと? やったぁ!」

 

 とりあえずこの場を収めようと適当な約束を交わしてやる智子であったが、その効果はてきめんであった。目に見えて興奮し出した様子の智貴は、気持ちが昂ぶって思わず智子に抱きついてしまう。

 先程はつい姉の予言を前にして弱気になってはしまったものの、やはり慕ってやまない姉に対する心変わりなど将来決して起きる筈もないのだと自信を取り戻した彼は、早くも念願の姉との結婚が成就したと言わんばかりのはしゃぎようだ。

 

「あ、じゃあいまからけっこんしきやろうよ」

 

 と、姉の体に顔をうずめていた智貴が、パッと智子を見上げてそのような事を言い出す。

 

「えっ? な、なんで……?」

「だって、おおきくなるまでまてないもん」

 

 自分が将来姉を嫌いになる事など決して有り得ない。だから今からだってご褒美を先取りで受け取っても良いのではないか。そのような拙い打算を幼心ながらに働かせたのか、智貴は姉に対して気の早い要求をしてみせたのだった。

 

「あー、うん、まあ別にいいけど……」

「やったー!」

 

 ここで拒否すればまたしつこく食い下がって来るのではと思った智子は、面倒ではあるが子供のおままごとに付き合ってやるかといった程度の軽い気持ちで、弟からの求めにひとまず同意してやる。

 

 言うが早いか、姉からの同意を得た智貴はベッドの脇に置かれていたぬいぐるみ達の中からひとつを手に取ると、それを智子の前に掲げてみせた。彼が手にしたそれは、先程智子と懐かしい再会を果たしたあのペンギンのぬいぐるみであった。

 

「じゃあ『ぼくしさん』はペンペンにやってもらうね」

「あ、そこから入ってくんだ」

 

 ペンペンというのはこのぬいぐるみに当時の智子が付けてやっていた愛称であったのだが、西洋風の結婚式では新郎新婦の間に牧師が入って立会人を務めるという事を智貴は知っていたようで、手に持つそれを牧師役に抜擢したのである。

 

「えーと、じゃあ、ふ、ふたりは、いついつ、もぉ……」

「いつ如何なる時も?」

「あっ、うんそれそれ!」

 

 牧師に見立てたペンギンのぬいぐるみを己の顔にあてがった智貴は、拙い口調で誓いの言葉を一生懸命に唱え始める。一体何処でそのような言葉を覚えてきたのだろうかと訝しむ智子ではあったが、ちょくちょく言い間違えてしまう弟を合間合間でフォローしてやる。

 

「えっと、しんろーともきは、えいえんの、あいをちかいますか?」

 

 智貴は牧師と化したペンギンを自身の顔の前でユラユラと揺らしながら、彼に声をあてているつもりでそのような事を言う。

 

「はい、ちかいます!」

 

 途端、牧師を引っ込めてパッと顔を出した智貴は、姉を見つめながら己の誓いを高らかに表明してみせる。

 

「じゃあしんぷ、ともこはちかいますか?」

 

 自分で尋ねて自分で答えるという一人芝居を器用に打ってみせた智貴は、同様に今度は智子に対して同じ質問を投げ掛ける。

 

「あ、うん、じゃあ……ち、誓います」

 

 ぬいぐるみを通して尋ねられた智子はといえば、気恥ずかしさを感じつつも弟のごっこ遊びに付き合ってやるべくそれに同意してみせる。

 

「えへへ……じゃあ、しんろーしんぷは『ちかいのきす』をしてください」

(そう来たか!)

 

 ペンギンごしに目を覗かせる智貴がはにかみながら言葉を続けた。

 日頃から姉にキスをせがんでばかりの智貴であったから、なんとなくそう言われるんじゃないかと予感していた智子は、ホント何処でそんな事覚えたんだよと思わずにはいられない。

 

 結婚式における牧師のお決まりの台詞を一通り言い終えた智貴は、掲げていたぬいぐるみを枕元にそっと置くと、智子に向き直ってじぃっと熱い視線を投げかける。

 その頬には明らかに朱が差しており、単に子供らしい血色の良さでそうなっている訳で無い事は明白であった。

 

(なんだこいつ、もしかしていっちょ前に照れてんのか……?)

 

 そんな弟の様子を受けてか、智子自身もその小さな心臓がひとりでに高鳴り始めてしまう。

 

「ちゃんとおくちにしてね……」

 

 おもむろにすっと目を閉じた智貴が、智子に向けて控えめに唇を突き出してみせる。この行為が秘めやかなものであるとどこか自覚しているのか、その所作はやけに神妙である。

 

(くそっ、こんなチビの癖しやがって……ドスケベ弟め)

 

 まさかこのような歳から色気付いているのだろうか? それも姉相手に? などとドギマギしてしまう智子であったが、いやいやきっといつもの癖で姉に「チュー」を求めてきているだけなのだろうと、ひとまず自分を落ち着かせる。

 

 こんな時はこうするのだろうかと思った智子は、ぎこちない手つきで智貴の肩にそっと自分の手を添えてみた。

 それを受けて一瞬身じろぎする智貴であったが、姉のなすがままの彼は再び大人しく「その瞬間」が訪れるのを待ち続けるものだから、智子もいよいよ踏ん切りをつけるしかなくなった。

 

(これはノーカン、ノーカンだ。つーかいつもやってた事だし……)

 

 智貴の口元に唇をおそるおそる寄せていく智子は、やがて互いの吐息が交じり合ってくすぐったくなる距離にまで接近する。手に触れる弟の体がやけに熱を帯びているのを感じた智子であったが、そんな自身の体も今やすっかり熱っぽくなっている事には気付かない。

 

 そうしてしばらくしたのち、やがて二人の唇は重なった──。

 

 途端、唇を通して自らの熱が弟へと流れ込んでいくのを、智子はそのとき確かに感じ取った。そしてまた、互いの熱を交換するかのように弟のその小さな体に蓄えられていた熱も智子の中へと流れ込んでいく。

 生まれて初めて感じるこの不可思議な奔流は、きっと自分だけでなく弟の方も感じているに違いない。何故だかそのような確信めいた考えが智子の中で生まれる。

 お互いの体に広がっていくこの激しくも心地良い感覚にすっかり取り込まれてしまった智子は、思わずその身をぶるっと震えあがらせてしまった。

 

「ぷはぁっ……!」

 

 そうして二人の誓いの儀式がどれ程続いたであろうか。その間ずっと息を止めてしまっていた智子は、突如として行為を切り上げたかと思うと慌てて呼吸を再開する。ぜいぜいとあえぐその顔は真っ赤であったが、それはきっと酸素不足だけが理由ではない。

 

(なんなのこれ!? なんか思ってたのと全然違うんだが……)

 

 対する智貴もまた、赤い顔のままうっとりした目で姉を見つめている事に智子は気付く。

 どうやら彼にとっても先程の行為は普段のスキンシップとは一線を画した特別な意味を持っていたのかもしれない。

 

「あ……じゃあ、今のでもう満足したでしょ? ほら、そろそろお昼寝しよっか……?」

 

 そんな弟の様子に益々気恥ずかしさを覚えてしまった智子は、もうおひらきの時間だと言わんばかりにこの妙な空気を払拭したくて話を逸らそうとする。

 

「……おねーちゃん」

「えっ!? な、なに……?」

 

 急に口を開いた智貴は、姉弟の誓いの儀式を枕元で見守っていた立会人を抱きかかえると、

 

「ペンペンをぼくにちょうだい」と、頼み事をしてきた。

「な、なんで?」

 

 姉の智子と違い、当時からして別段ぬいぐるみ好きという訳でもなかった筈の智貴がそのような事を言い出したものであったから、智子は思わず問い返してしまう。

 

「たからものにするの」

 

 そんな智子の問い掛けに智貴がすぐさま答える。どうやら智貴はこのぬいぐるみを自身の思い出の品として所持したいという事のようだった。

 わざわざ自分のものだという事にせずとも、この頃の姉弟は口に出さずとも自然と互いの所持品を共有していたようなものであったのだが、彼にとってはあえてそうしてみせる事に何か特別な意味があるのかもしれない。

 

「あ、うん。じゃあ別にいいけど……」

「ありがとー! ぜったいなくさないようにするからね」

 

 そう言って、智貴はそのぬいぐるみをギュウと抱きしめ嬉しそうにはにかんでみせる。

 

(こういう所は昔っから変わんねーんだよな……)

 

 この弟が実は成長してからも姉からの貰い物を後生大事にする癖があるという事は、時折智貴の部屋に忍び込み、己が過去に贈呈してやった品々が健在であるかをチェックしていた智子はよく知っていたのであった。

 

「さっきのけっこんのやくそく、わすれないでね。ペンペンが『たちあいにん』だからね」

「はいはい、約束ね」

 

 頑張って覚えた難しい言葉を使って念押ししてくる弟のその必死な様子に苦笑してしまう智子であったが、彼のこうした筋金入りのシスコンぶりを実に久々に拝む事の出来た彼女は、なにやらずっと長い間無くしてしまっていたものを見つけたような気持ちになってしまい、胸の辺りにポカポカとした温もりが灯されたような感覚を覚えてしまう。

 

 と、そんな時である。

 ふいに玄関の方から扉を開く音が響いたかと思うと、今度は「ただいまー」と大人の女性の声が聞こえてきた。どうやら先程までずっと出掛けていたらしい智子達の母が帰ってきたようだ。

 

「智子ー、智くーん、何処なのー?」

 

 いつもなら一目散に駆けてきてお出迎えをしてくれる子供達の姿が無い事を疑問に思った母が、智子らの名を呼びながら家の中を探し始める。

 

「おかーさんかえってきたね」

「あ、う、うん……」

 

 階下の母の様子にじっと聞き耳を立てていた智子であったが、なぜだか急に自身の胸中で理由の判らない焦りが生まれ始めていた。

 

(なんだろう……なんか知んないけど、今見つかったらヤバいような気がする……)

 

 理由は判らないが、智子は今の自分の姿を母には決して見られてはいけないという思いに駆られてしまったのだ。それはあたかも己の中にあるもう一つの意思が、これはマズいぞと慌てて智子を急かしているような感覚なのであった。

 

「あっ、もう! 散らかしっぱなしにしてっ! 二人とも何処にいるの!? 返事なさい!」

 

 智子がリビングで弟と遊んでいた際、床に無造作に放り出しておいた玩具類の散らかりように母が気付いたのであろうか。その声色にたちまち刺々しいものが含まれる。

 やがて一階に子供達の姿が見当たらない事を見てとった母は、今度は子供部屋を目指して階段をどしどしと上ってくる。

 

(上がってきた!? どうしよう! どうしよう!)

 

 間もなく母は子供部屋の戸を開け放つであろう。そうすれば己の姿も見つかってしまうに違いない。だからどうなのだという話ではあるのだが、それでも智子の中では焦りが募っていく。

 

「おねーちゃん?」

 

 そんな智子の突然の慌てぶりに傍らの智貴も目を丸くして声を掛けるが、最早智子にはそれに返答してやれる余裕が無い。

 

(あっ……そうだ。()()()()()()()

 

 ふいにそう気付いた途端、智子は己の体から自分の意識が急速に離れていくのを感じた。




つづく
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