進撃のガッツ   作:碧海かせな

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第1話 帰還者と来訪者

 第34回壁外調査兵団の生き残り一名が帰還したというニュースは訓練所に衝撃をもたらした。それはアルミン・アルレルトによって伝えられたものであった。

 耳の早い警備兵たちが話していたのを聞き、情報を手に入れたのである。だが入手できた情報は限られていた。帰還者は第34回壁外調査、つまり二ヶ月前に失敗に終わった調査の生き残りであるということと、馬もなく徒歩で帰還したということだけであった。

 だがこの2つの要素だけで、このニュースは前代未聞のものとなる。

 

「つまりね、エレン」

 朝食の時、食堂に集まった第104期訓練兵団の面々は、自然とアルミンを囲むように集まっていた。情報提供者であるアルミンの話を聞きたいというのもそうだったし、この中で一番の頭脳派であるアルミンの意見を聞きたいというのもあっただろう。

 そしてアルミンもそれを理解していて、いつもより大きな声で話している。いつもであれば騒がしくするとすぐに怒鳴り込んでくるキース・シャーディス訓練教官でさえも、状況が状況であるため、大目に見ている現状だった。

 つまり、それだけの一大ニュースなのだ。

 

「巨人を相手に逃げ回るには、絶対に調査兵団専用の馬がなければ、絶対に無理なんだ。だからそれなしで帰還したっていう今回の帰還者は、今までの人たちとはまったく違うんだよ!」

「それはわかるけどよ」エレンもまた凄いニュースであることはわかっているが、何がどう凄いのかイマイチ理解できていなかった。「立体機動装置があればなんとかなるんじゃないか?」

 

 アルミンが回りを見渡せば、理解度はエレンとあまり変わっていないようである。

 アルミンは小さく溜息をついた。

 

「立体機動装置が2ヶ月も補給無しで持つはずがないでしょ、エレン」

「第34回って言えば、奇行種に兵站部隊がやられたから撤退したはずだろ」

 足を組んだライナー・ブラウンが、記憶から情報を掘り出しながらそう言った。

「そうだったか?」

 コニー・スプリンガーは既に忘れ去っていたようである。

「うん、だから補給はこの2ヶ月、なかったはずなんだ」

「それで生き残るっていうのは、凄いね」

 マルコ・ボットは初めから今回の異常性——もはやそう呼ぶべきものであった——を理解しているようだった。

 

「巨人に出会わないよう用心して帰ってくる可能性はどうなんだ?」

 隣に座っているジャン・キルシュタインもまた、顎に手をやりながら言う。

「第34回壁外調査では、エルヴィン団長が第30回から新たに導入した長距離索敵陣形が上手く機能して、ウォール・マリアにかなり近づいた調査だったんだ。だからこそ、撤退は大変だったみたいだけど……。だから、生存者がいても巨人にまったく会わないで帰ってくるのはとても難しいと思うよ」

「一人ということは集団でいるよりも見つかりにくいかもしれないけれど、2ヶ月間ずっと見つからないってのは難しいだろ」

 普段は話の輪に入らないアニ・レオンハートですら、口を挟んでいる。

 アルミンはアニの言葉に頷いた。

「きっと移動するにしても、夜、巨人の活動が鈍くなる時だけにしてたと思うんだ。あとは徹底的に巨人の目から逃げ回るしかないだろうね」

 

 アルミンは考えられる可能性を考えていたが、どう考えても無事にたどり着けるとは思えなかった。確かに、第34回調査兵団の移動経路上には放棄された市街地があり、そういった場所に潜めば巨人の目を逃れることもできるだろう。だが当然ながら、市街地の外は草原であったり、森だったり、遮蔽物のない平野もあるのだ。

 立体機動装置があっても、平地における巨人との交戦は厳しいとされている。アンカーを巨人の体に射出せざるを得ず、そしてその場合の立体機動戦は高度な技術を必要とする。増して、装置がなければ言うまでもない。

 

「ミカサだったらどうする?」

 お下げの黒髪少女、ミーナ・カロライナがミカサに問う。それは第104期訓練兵団のトップ、そして歴代屈指の逸材と呼ばれるミカサ・アッカーマンであれば、どう対処するか知りたかったからである。当然、皆はミカサに注目した。

「厳しい。一人では生き残ることは不可能」

 ミカサは簡潔に述べる。

——ミカサですら……。

「ただ、エレンと一緒なら可能」

「……どういうこと?」

 たまらずクリスタ・レンズが問いかける。問いとともに小さく首を傾げる可憐な仕草に、多くの男の心がときめいたのは言うまでもない。

「エレンが一緒なら不可能を可能にすることが私にはできる」

「……何言ってんだ、おまえ?」

 エレンは意味がわからないといった顔で、そう言った。

——エレンは本当に鈍感だよなぁ。

 アルミンは心の中で嘆息。

 他の皆も、あまりと言えばあまりな答えに、しばし沈黙する。

 

「アルミン、今手に入る情報はそれだけなのかい?」

 ベルトルト・フーバーが沈黙を破った。

「今のところはね。こんなに早く噂が回るのに、要点をまとめれば情報はたった二つなんだ。きっと上の方でなんらかの情報制限をしてるんだと思う」

「つまり?」

 マルコは何か思いついたようだったが、アルミンに続きを促した。マルコはどんなときでも冷静で、かつ現実的、合理的な思考が出来る人間だった。頭の回転も速い。頭脳特化型と呼ばれるアルミンに隠れて目立たないが、戦場では頼りになるタイプだろう。多くの人間がマルコに一目を置いているのも、一番の人格者と見なされているからに違いない。

 

「考えられる可能性はいくつかあるけど、強いて挙げるならば何か上にとって都合の悪い情報があるか、あるいは広めることによって市民が混乱するような情報があるんだと思う。それがいったい何なのか、っていうのは、今の段階じゃわからないかな」

「漠然としすぎて絞れねぇな」

 ジャンがお手上げと言ったように頭を掻いた。

「案外、巨人を手懐けて還ってきたのかもしれねぇぜ」

「バカを言うな、コニー。そんなことがあってたまるか。あいつらは化け物なんだぜ」

 エレンはまるで自分に言い聞かせるように言った。もし人類に味方する巨人なんてものが出てきた場合、エレンはそれに頼ることができるのか、わからなかった。彼は巨人というものに対して無限に近い憎しみを抱いている。だからこそ、この訓練兵団に所属し、将来は調査兵団に入ろうとしているのだ。

——すべては巨人を、根絶するために。

 

「化け物になって帰ってきた、なんてことはないよな?」

 その人物は、話の輪の外から発言した。ご飯を食べながら、まるでこの話が<どうでもいい>ことのような顔をして。

 その隣にはサシャ・ブラウスが食事を貪り食っていたが、話に興味がないというよりは食事に夢中で話を聞いていないだけだろう。

「化け物ってなんだよ?」

 ライナーが振り返って彼に問い掛ける。

「ドラゴンとか、悪魔とかになって帰ってきたとか」

「そんなお伽噺言ってる場合かよッ!」

 エレンが巫山戯たことを吐くそいつに、椅子を倒して立ち上がりながら怒鳴る。

 

 エレンは今まで、自分がシガンシナ出身で、巨人を直に見たことがあるという経験を、誇ったことはない。その経験をして良かったと思ったこともない。その経験は、自らの母親を、還るべき日常を失ったという苦い記憶を伴っているからだ。

 だが、そう思っていても、そいつが見せるこの態度が、エレンには気に食わなかった。

——巨人なんて恐るるに足らない。

 これはエレンの言葉だ。

 巨人がどれだけ脅威なものかを知った上で、それを乗り越える意志の表れだった。

 

 だがその男は、どんなに巨人が恐ろしいものかを聞かされても、壁の上から外の世界を歩く巨人を見ても、それが当たり前であるかのように冷静に、巨人が大したことのないものだと思っている。

 それが、エレンには恐ろしかった。

 なぜ、アレを見てそこまで冷静でいられるのか。

 なぜ、人を食らう化け物を、心から恐れていないのか。

 

「俺にとっちゃあ人を食らう巨人だって、十分お伽噺みたいなもんだぜ」

 その男、この1年で急激に背を伸ばし、少年から青年に移り変わりつつあるその人間は、まるで何かを誇るような笑みを浮かべた。

「この()()()()さまはもっと凄い化け物だって、倒して来たんだ」

 

 それは、誰も信じないイシドロという男の武勇談だった。

 彼は自分の出身を語らない。だが、彼は自分がかつて一騎当千の強者どもと、化け物退治の旅に出かけていたという武勇談を妙なリアリティをもって自慢した。

 その話には遠国の暗殺者たちや群れをなす亡霊、天使のような悪魔や海——イシドロは海を渡ったことがあるなどと言うのだ!——の神と言われた化け物が出てきた。

 誰もそんな話を信じない。

 だが、イシドロは信じないことに憤りはしなかった。

 いつもその武勇談を結ぶのは、

「だから俺は最強にならなきゃならないんだ」

 という言葉である。

 彼は、だから訓練兵団に入った理由を、<最強剣士になるため>と言って憚らなかった。

 エレンが、気に入らない理由の一つである。エレンは巨人への復讐が彼の行動原理だったが、イシドロは強くなるためとしか言わない。この残酷な世界で、なんて夢見がちなことを言っているんだ、と思わずにはいられない。

 

「またその話かよ」

 気の抜けた声を出したのはジャンだったが、皆もまた同じ気持ちであった。

「人が化け物になんてならないよ、イシドロ。いや、君はそういうこともあるんだと思ってるのかもしれないけどさ」

 アルミンもまた、苦笑をしつつイシドロに言った。

「黙ってろよ、イシドロ」

 エレンが吐き捨てるように言う。

 それに対して、イシドロは肩を竦めるだけだった。

 

 イシドロは優しい。その優しさに気付いているのはマルコやアルミンだけだろうが、彼はエレンの事情を知ってエレンが自分をどう思っているか、そしてそれが仕方のない思いであると割り切っている。

 だからこそ、アルミンにはイシドロという人間が計り知れなかった。

 一見、威勢が良くて勝ち気で目立ちたがり、そんな幼稚な言動なのだが、その奥には人を助けようとする正義心や弱い者を守ろうとする男気が併存している。

 どうすれば、そんな性格になるのだろうか。

 

 食べ終わった食器を片付け、イシドロは立ち上がった。彼のことを忘れて、またアルミンの周りは騒がしく議論を始める。

 だが、イシドロは食堂から出ようとして、何かを思いついたように立ち止まった。そしてまるで凄いことに気付いたというように、

「ならよ、話は簡単じゃねぇか」

 と言った。

 アルミンたちはもう一度、やけに自信ありげなイシドロを見た。

生存者(そいつ)は化け物と一緒に帰ってきたんだ」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 調査兵団長、エルヴィン・スミスは耳を疑った。動揺を隠すことができず、思わず表情にそれが出たのも、彼にとっては珍しいことである。彼の後ろに立っている調査兵団兵士長、リヴァイもまた身じろぎしたことを彼は気付いている。

 そしてエルヴィンはこの部屋に入った時から、圧倒的な威圧感によって冷や汗を感じていることを自覚せざるを得ない。一緒に部屋に入ってくれたリヴァイの存在をありがたく思うことが、彼には滑稽だった。

 エルヴィンは調査兵団の団長である。今まで幾人もの死を見て、そして幾人もの巨人殺しのプロを見てきたが、目の前に座っている男のような人間は、見たことがなかった。

 目の前の大男は、見たこともない黒い義腕をつけ、まるで自然体のような振る舞いで持ってきた食事を食べている。上品な食べ方ではない。栄養を取らねばならないから食べているような食い方だ。

 だが、食事をとっている今この瞬間でさえ、まったく隙がないように見える。

 次の瞬間、自分が斬りかかったしても、彼の椅子に立てかけられたその鉄塊が、自分を襲うだろう。

 

 それは、剣と言うにはあまりにも大きすぎた。

 大きく、分厚く、重く、そして大雑把すぎた。

 それは正に、鉄塊だった。

 

「イルゼ・ラングナー君。君が非常に困難な状況から帰還したことは私も知っているし、五体無事で帰ってきたことを非常に喜んでいる。それに君が受けたであろう苦難は察するに余りある。だからもう一度、今度は素直に言って欲しい」

 エルヴィンはその大男の隣に座っている、第34回調査兵団の生き残り、奇跡の帰還者、イルゼ・ラングナーに話しかけている。

 黒髪、そばかすのまだ20を超えない女性。こんな若い人間すら自分たちは死地に繰り出さなくてはならないことが、彼には空しかった。

 だから、彼女が()()していることを可哀想に思っていたし、可能な限り優しく接しようとしている。

「君はどうやって帰ってきたんだい?」

 

 

「だから! このガッツさんが巨人を倒して、歩いて帰ってきたんです!」

 

 

 イルゼは、まるで死地からの帰還者とは見えない元気で血色の良い顔で、そう言った。その声には何度言ってもまともに取ってくれないエルヴィンたちに対する苛立ちすら混じっている。差し出された、久しぶりに調理されたご馳走を食べながらの事情聴取は、なかなか彼女の思うようにいかない。

——だけど、まぁ仕方ないかなぁ。

 イルゼは隣で黙々と食事をとる大男(ガッツ)を見て、小さく息を吐いた。

 自分も、この2か月間、一緒に行動をしていなければ、この男の圧倒的な強さを見ていなければ、信じられないだろう。

 

「おい、イルゼ・ラングナー。団長や俺がそんな出任せを信じると思ってるのか?」

「リヴァイ!」

 エルヴィンは斜な言い方をするリヴァイを押し止めた。リヴァイはリヴァイで、さきほどからありえないことを聞かされて、うんざりしているのだ。

 

「おい、大男」

 今度は大男(ガッツ)に話しかけるリヴァイ。

 ガッツは、閉じられていない方の左目でリヴァイを見た。

「そんなデカブツを持てるってのは力自慢だろうがよ、そんなもんで巨人は殺れねぇ。あんたも本当のことを言ってくれねぇか。あんた、いったいどこから来たんだ?」

 リヴァイは言葉を出しながら、だが一切気を抜いてはいなかった。立体機動装置は武装済みであり、柄は刀身に装着済みだった。

 対してガッツは黒い鎧の上に多くの投げナイフを付けている。ズボンこそ普通のものであったが、左手の義手はよくわからないメカがついている。

 だがそんな枝葉はどうでもいい。

 リヴァイの、彼の中の本能が、この(ガッツ)はヤバイと告げているのだ。

 

「それは俺が聞きてぇ。ここはどこだ」

 ガッツようやく口を開いた。

 彼もまた、どうしてこんなところにいるのか、わからなかった。

 二か月前まで彼は仲間たちとの船旅をしていたはずだが、気がつくと見知らぬ森の中にいたのだ。森から出てみれば、そこには気色の悪い巨人どもばかり。降りかかる火の粉を払うように巨人をなぎ払っていたが、そのうち大量の人の残骸を見つけた。

 

 巨人が人を食らっているということに気がついたのはその時だった。

 

 口を血で汚した巨人たちは、手や足や、頭を地面に取りこぼしながら食事を終えたところだったらしい。

 彼はそれが気に入らなかった。

 だから、殲滅した。

 そして、近くの森から人の叫び声を聞いて、そこで巨人に食われかけているイルゼ・ラングナーを見つけたのだ。

 

「ガッツ君」

「ガッツでいい」

 ガッツはエルヴィンに言った。君付けされるのが気に入らない。恐らくガッツの方が年上だろう。

「君は一年前に撤退しなかったウォール・マリア内地の人間ではないのか?」

「わからねぇ。そもそもウォール・マリアとかなんとか、そんな壁なんて知らねぇ。俺は船に乗ってたんだが」

 ガッツはこの2か月の間に、イルゼからこの世界のことを聞いている。だからそれから判断するに、彼はまったく見知らぬところに来たようだった。

 ガッツは今まで何度も非現実的な目に遭遇してきたが、まったくの別世界にやってきたというのは初めてであった。裏の世界、ですらなかった。

 しかも、彼にとってはもっとも衝撃的だったのはそのことではない。

 無意識に手を伸ばし、首の後ろを触る。

 

 

 そこには<生贄の烙印>がなかった。

 

 

「それは川を遡っていたということか?」

「違う、海だ」

 エルヴィンはもう一度、表情を隠すことに失敗した。

 驚きと動揺を隠せなかったのだ。

「……まさか、君は壁の外から来たのか?」

 エルヴィンはその地位にいるからこそ、<海>を知っていた。川ではなく、河でもなく、湖でもない。そこは塩水に満たされた巨大な水たまり。そして陸地は、水たまりの中の小さな面積に過ぎないという伝承を、彼は知っていた。

 だからこそ、彼は信じられない可能性を思いついてしまった。

 彼は、この100年存在しなかった、壁の外からの来訪者である可能性。

 

「俺は壁で仕切られた小さな箱庭生まれじゃねぇよ」

 ガッツは軽く言い切った。

 エルヴィンは絶句し、イルゼは困ったようにガッツを見ている。リヴァイはその額に青筋が浮き上がっていた。

 だが、表面上は皆が黙り込んだ。

 

「最初は私も信じられなかったんです」

 イルゼは少し間を置いて、話し始めた。

「ガッツさんの話だけ聞くと、まるで夢物語みたいだったから。だけど、この2か月間で信じられるようになりました。ガッツさんは、本当に外の人なんです」

「その理由を聞かせてくれるかい、イルゼくん」

 エルヴィンは考え込みながら言う。

「……いえ、団長。私が何を言っても信じてもらえないと思います。だから、彼の強さを見てください。そうすれば、信じられます」

「何をだ?」

 リヴァイは眉を細めながら訊いた。

 

「彼は最強です」

 部屋の中の視線がガッツに向けられる。

 ガッツは小さく嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




こんばんは、碧海かせなです。
ちょっと遅れましたが第1話です。ガッツがトロスト区にやってきました。

次回、特に理由のないガッツがリヴァイを襲う(嘘

がんばります。感想も励みになります。ありがとうございます。

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