集落は変わった。
今や、ここは国だ。
国の名前は、『レムリア』。
我らが王、ジン様の名に掠りもしないが、レムリアとは、ジン様の知る伝説の国の名だそうだ。
まあ、ジン様は……、あの人は、地位や名誉に興味がないお方だ。国に自分の名をつけようとは思わなかったんだな。
………………。
大分、変わっちまったな。
ほんの一、二年前には、俺達、フェンリル族が数万人の集落だったのにな。
皆、土の上に獣の毛皮で出来た敷物を敷いて、屋根と、薄い壁があるだけの家に住み、川から水を汲んできて、近くの森から獣を狩って、行商人から野菜や黒麦を買って、黒焦げの肉と粗末な粥、くたくたに煮た野菜を食べて過ごしていたのにな。
今は大違いだ。
二千万に届くくらいの人口。その殆どが犬、狼系獣人。
クーシー、コボルト、ワーウルフ、ヘルハウンド、バーゲスト、ケルベロス、オルトロス、ガルム、キキーモラ、珍しいライラプスなんてのもいやがる。
この辺りの狼系獣人の集落から、噂を聞きつけた狼系獣人が集まってできた。
もちろん、この中の数千万は他の獣人や亜人だ。でも、半分くらいは狼系獣人だ。
そして、フェンリル族は実質的な貴族扱いで、特に戦士は尊ばれる。
石造りのデカい城。レムリア城と名付けられたそれは、王族の住居。
警備兵として中に入ったことがあるが、本当に豪華で綺麗だった。きっと、神様はああいうところに住んでるんだろうなと思ったぜ。
そして、俺達に与えられたのは、石と木でできた、しっかりした家。
昔の家とは違って、しっかりした床があり、石の壁は冷たい風を通さず、木の屋根は雨をしっかり防ぐ。窓や扉だってあるんだぜ。
その上、夏でも食材を腐らせない冷蔵庫と、鍋や包丁、椅子やテーブルも貰えた。
女達は料理の勉強をさせられて、しっかりと美味い飯の作り方を覚えたし、俺みたいな戦士達は昔の倍は強くなった。それ以外のやつも、読み書きや計算を学んで、フェンリル族の仕事と言やあ、近衛戦士や戦士隊長、城勤め、地主に商人や宿屋に鍛冶屋みてえな儲かる仕事の、しかも雇い主と来たもんだ。
俺達は気づけば、貴族になっていた。
なんでこうなっちまったんだか分からねえが、今の生活は最高だ。
飯と酒は美味いし、名誉もある。金も沢山もらっているから、欲しいものは手に入る。
妻も、生活がとても楽になったと喜んでいるし、息子も楽しそうだ。
そう、そして、学校というものもある。
学校では、前長のフロワ様や、女王であるグラース様、我らが王ジン様、どこからともなく現れたリッチのマリーとかいう女に、読み書きや魔法、勉強、そして「カガク」などを習う場所だ。
教科書、という本……、しっかりしているのに本にしては安い。を買い取り、子供に勉強をさせるのだ。
……特に、マリーって女は凄いな。
上級魔法アバタークローニングなるものを使って、分身して、並列して沢山の生徒にものを教えている。
十万人くらいに増えていると聞いたぞ。
王様も同じ魔法で、百万単位に増えてるらしいな。
……と、まあ、ある程度裕福な家庭では、子供を学校に行かせるのが流行っているというか、まあ、なんか、そんな感じだ。
ああ、因みに、俺も戦士としての教育過程で、読み書きや計算は習った。
「はい、朝ご飯よー」
「わーい!」
っと、ごちゃごちゃ考えてる時間じゃねえな。
今は朝だ、仕事だ仕事。
その前に顔を洗って、と。
息子よ、いつも悪いな。水汲みは大変だろう。
「え?全然?ポンプあるし」
あ、ああ、そうだったな……。
ポンプというもののお陰で、態々、歩いて三十分ほどの川に水を汲みに行く必要はなくなった。
しかも、これまた一瞬で作られた、下水道とかいうもののお陰で、汚水を捨てても臭くならない。
人間の街でやりゃあ、それだけで食ってけるほどの大発明をしておいて、なんで獣人に寄越すんだろうな。
他にもモンスター娘の愛人がいるって話だし、学校のマリーとかいうリッチも王様の愛人だって聞いた。
人間なのに人間が嫌いなのかね?そんなら、とっとと魔人になって、末永くこの国を支配して欲しいもんだ。
嫁よ、朝メシはなんだ?
「昨晩作っておいたヴァレーヌィクよ」
おお、あれか。
ヴァレーヌィクは、王様が教えたこの国の新しい料理だ。
白麦の粉を練って作った生地に、肉や野菜を詰めて、一口サイズにして、茹でたものだ。牛の乳を発酵させた、酸味のあるソースで食べる。果物を入れて、甘くする場合もある。
白麦は高価?
いや、この国では、かなりの規模で白麦や野菜、家畜を育てている。
貯蓄は増える一方で、他所の国に売り捌く計画があるらしい。
それに、俺は戦士隊長だ。日に銀貨五枚も稼ぐ。多少良いものを食ったって大丈夫だ。
「美味しー!」
息子が嬉しそうに食べる。
なあ、嫁よ。お前も家事が大変だろう?メイドを雇っても良いんだぞ?
正直、俺くらいの格の家ならば、メイドの一人や二人くらい雇える。
家事が得意だと言われているキキーモラが沢山移住してきたと聞くし、負担を減らしても……。
「嫌よぉ、そんなことしたら私のやることがなくなっちゃうでしょ?」
それなら、昼から観劇したり、散歩をしたり、本を読んだりすれば良いじゃないか。態々家事をやらなくても。
「もう、あなた?私は好きで家事をやってるのよ?それに、そんなこと言われなくても、空いている時間は遊びに行ったりしているわ」
そう、か。なら、良いんだ。
全く、俺には過ぎた、良い妻だよ。
「いってきまーす!」
じゃあ、行ってくる。
「はーい、いってらっしゃーい」
息子が学校に行くのと同時に、俺も仕事に行く。
学校か……。
月に銀貨十枚、教科書は買う必要があると、ちと金がかかるが、これくらいの値段なら、戦士や商人などの家の子供ならまあ通えないこともない。
うちくらい余裕があれば、子供があと三、四人いても余裕だ。
近いうちに新しく子供を、とは考えている。
さて、仕事場に行くか。
歩いて三十分ほどの位置に、戦士の訓練場がある。
戦士は日々の訓練こそが大事だと習った。
故に、午前中は訓練だ。
走り込みをして、素振りをして、組手をする。
戦士の武器は様々だ。
俺は普通に剣を使うが、槍や斧、ナイフを使う奴だっている。
魔法だけの奴は珍しいな。
最近は手甲を付けて、徒手でやる奴もいる。
拳闘が流行ったからな。
そう、拳闘だ。
縄を張った四角いリングの上で殴り合うスポーツ。
俺はやってないが、戦士の中から希望したものがリングに立つようになっている。
チャンピオンの、鉄拳のネージュの名は、国中の者が知っている。
実際に会ったことがあるし、手合わせもしたが、物凄く強い男だ。
体格は並なのに、恐ろしい程のスピードとテクニックがあるアウトボクサー。
婦女子達の憧れの的だ。
……俺には妻がいる、羨ましくはない。
訓練が終わった後は、警邏だ。
と言っても、この街は平和だからな。
単なる散歩みたいなものだ。
中には、酒を飲みながら警邏をする奴もいるそうだ。
全く……。
「お、そこの戦士のお兄さん!うちのソーセージ食べてって!銅貨三枚でこんなに大きいソーセージが!」
……一本くれ。
……ま、まあ、買い食いくらいなら良いだろ?
警邏は特に問題なく終わった。
……突然だが、俺は酒が大好きなんだ。
この国でしか手に入らない、あの、ウォッカという火酒。
あれを、得意の氷魔法で冷やして、小さなグラスで一気に飲む。
あれがどうにもやめられない。
香草や果物などで香りをつけると味わいが変わるウォッカは、未だ研究途中だが、俺が好きな一番スタンダードなやつは、一本たったの銅貨三十枚。
この値段だと、日雇い労働者や、地主の元で働く農家や、見習いの商人、修行中の大工、鍛冶屋の弟子などなどの、あまり金が稼げない者でも、ちょっと頑張れば買える値段だ。
大体、そう言ったやつは銀貨一枚が日給だ。一食を格安の店で、クズ肉クズ野菜の炒め物やパン程度で抑えておけば、まあ、ウォッカ一本とちょっとしたつまみが買えて、冬への蓄えもできるんだそうだ。
まあ、クズ肉の炒め物も悪くはねえんだがな。格安のメニューは色々とあるが、どれもしっかりと食えるもんだ。それに、この国では、兎に角食いもんが安い。余り物や、形が悪い野菜は、そういう余裕がない人々の食事になるんだ。
っと、そんなこんなでウォッカを一本買って、サーロを一塊買う。サーロは銅貨十枚だ。
サーロってのは、塩漬けの豚肉だ。これをガリクの根と一緒に炙って齧ると最高なんだよなあ。
い、いかんよだれが。
とっとと帰るか。
っと、その前に浴場だな。
今までは冬でも川で身体を洗っていたが、今は違う。
石鹸、なるもので、泡をつけて、暖かい風呂で身体を洗うんだ。
泡を落としたら、お湯の沢山ある湯船に入り、温まる。
はぁ〜……。
疲れが落ちる、な。
「おかえりなさい、あなた」
「おかえり、パパ」
ただいま。晩飯はできてるか?
「ふふふ、今日はあなたの好物のコトレートィよ」
おお!
コトレートィは、挽肉にパン粉をまぶして揚げたものだ。
これは油を沢山使うから、それなりに高価な料理なんだが……、油っこい肉。皆、大好きな料理だ。
食前に、祖霊への祈りを捧げ、さあいただこう。
ああ、美味えなあ。
はぁ、なんて恵まれた生活なんだ。
おっと、それと。
嫁よ、今晩、一緒にどうだ?
ウォッカの瓶とサーロの包みを見せる。
「あら!良いわね!」
「えー?お酒ー?」
息子はもう寝ろ、ここからは大人の時間だ。
「はーい」
……こうして、何の変哲も無いフェンリル族の俺の日常は過ぎて行った。
毎日、満足できる生活だ。
昔のような集落暮らしなんて、もう考えられないな。
実際、こんな急に文明化しないやろとは思いますが、その辺は御都合主義で。