グランサイファー。新進気鋭の若者が率いるその騎空挺に腰を落ち着けるようになって、幾らかの月日が経った。西へ東へ帆を張り、舵を取り。目指す先は星の島というのだから、中々浪漫溢れる騎空団だ。大それたお題目には不釣合いに見える団長も、最近はリーダーとしての資質が開花しつつあるように思える。
しかし、それでもまだまだ若者という事だろう。騎空挺に備え付けられた特設バーで酒を飲んでいた俺は、赤らんだ顔も相まってか団長への不満をぶちまけた。
「良い男にゃあなったが、まだまだ鈍すぎるよな、グランも」
「カントルテ、アンタさぁ……もしかして、グランに気があんの? ホモなの? 俺の気持ちに応えてくれないグランなんて……ってやつー?」
「よーしよし落ち着け俺。こいつぁこういう奴だ」
グランサイファーで昔馴染みに再会するとは思いもしなかった俺は、ふとした偶然と共に彼らと旧交を温める事になる。とはいえ一癖も二癖もある連中ばかりなものだから、俺の心労は多大なものであった。中でも魔性のエルーンことメーテラとの再会はきりきりと俺の胃を痛めた。なーんで姉妹揃って乗っとるねん。四方八方どこまでも広がっているファータグランデ空域が、今だけは狭く感じる。
「そういう意味じゃなくてだな。グラン君は男の癖して、男女の機微に疎すぎるんじゃないかって話よ。ちったあそういう気持ちに気づいてやって然るべきじゃねえか? クラリスとか、妹分のジータとか、可哀想だろうに」
バレンタインデー。それは星晶獣とて恋にうつつを抜かすと謳われる特別な日。
タイミングが悪い事で知られる俺は、偶々団長ことグランと奇天烈爆発娘の密会現場に出くわしてしまった訳だが、あれは中々に酷い惨状であった。普段あれだけ溌剌とした少女がしどろもどろで口を間誤付かせたと思えば、本命と思しきチョコレートをグランに渡したのである。そこまで来れば二人は幸せなKissをして終了というのが相場な筈だが、我らが団長は次元が違う。感謝純度百パーセントの笑顔をキメたかと思えば、スタコラとどこかに消えてしまった。そらホワイトデーは他人行儀になるよ。
ところが俺の懸念に対して、メーテラはつれない態度を貫いた。俺の愚痴なんてものは興味の範疇に入っていない様子で、絡み酒の様相を呈する事態に嫌気が差してきたように見える。
「保護者ヅラとか気持ち悪いわねー。まだ十四、五の子供でしょ。理想押し付けて勝手に落胆する方が悪いんだってば。てか、アンタなんかよりよっぽど大人よグランは。それに、そういうの所も含めて男ってのは成長するのよ。きっと良い男になるわよー。」
「むむむ……んん? 待て待て、それはその通りかもしれんが、グランが大きくなる頃にはお前はバ……てか、その口ぶり、まさかお前本気で……」
「ふーん? 死にたいんだぁ? アタシは別にそれでも構わないけど」
のっぴきならない殺気に気圧されて、思わず酒を呷る。彼女の真意は霧の中に掻き消えてしまったが、むやみやたらに探った所で虎の尾を踏む羽目になるのは目に見えていた。この話題は当分懐に閉まっておいた方がよさそうだ。
だが、メーテラの言葉は真実の一端に到達していた。事実、俺が何を言うまでもなく、グランは良い男に成長するだろう。いや、そもそも十代にしてその片鱗を見せつつあるという事に驚くべきなのだろう。かの十天衆に眼をかけられている程なのだから、その伸び代はまだまだ窺い知れない。師匠が直々に鞭撻を奮っているのも納得出来るという話だ。
「……それにしても、この酒はうめぇなー。どこ産なんだ? 俺ぁドラフの作る血の滾るような酒が好きなんだがこいつも中々に美味い。……メーテラ、お前さんはどんな酒を飲んでても絵になるよ、ほんと」
「相変わらずへったくそねー。もっと気の利いた言い回しとか言えないの? だっさ」
「……そういや、お前さんがこんなに長く一所に留まってるのも珍しいよな。何時もなら、ほれ、勝手気ままにどこぞへと消えているものを」
陳腐な台詞には聞く耳さえ持たなかったメーテラであるが、思うところがあったらしい。彼女はこちらから視線を外すと、物憂げに眼差しを宙へと向けた。持ち上げられたカクテルは、澄んだ青空のような色合いをしていて、彼女の唇に触れるや否や溶けるようにして吸い込まれていく。それは切り取られた一枚の絵画のように美しい光景だった。腹の立つ事に。
「ま、それなりに居心地もいいしねぇ。良い男も多いし……あ、勿論アンタは論外だけど」
「あーあー、分かった分かった」
「それに、あの子もいるしね。……あー、べ、別にアタシが気にする必要はないんだけど? ほら、目についたらついつい視線で追っちゃう感じ? 色々とすっとろいしね、あの子」
普段であれば飄々とした体のメーテラが、柄にもなくしおらしさを垣間見せる。スーテラが絡むとなると途端に自分を維持出来なくなるのは、いっそ愉快でもありメーテラが見せる唯一の可愛さでもあった。ほかは全部駄目。可愛げゼロ。
「……ってか、何でアンタにこんな話を……はぁ~、ほんとお酒って入りすぎると嫌よねー」
気を良くしつつ酒を五臓六腑に染み込ませていると、いつの間にかメーテラが指を絡ませに来ていた。とろんとした眼は、それでいて猛禽のような光を携えている――ように感じるのは俺のトラウマのせいだろう。
彼女は甘ったるい声と共に、いやに扇情的にしなだれかかってきた。吐息の触れ合う距離に、何時しか耳元にまで鼓動が聞こえてくるようになる。こいつのセックスアピールが場を誤魔化すための手段だと分かっているにも関わらず、鼓動は更に激しさを増す。
「それで? 今日はこの後、どうする? 昔みたいに――ア・タ・シと……イイ事、してみる?」
「…………そーいや、まだ酒残ってたなー」
逃げの一手に、メーテラは機嫌を悪くしたようだった。
落胆の入り混じった溜息は男としての矜持をズタズタに引き裂くだけでは飽き足らず、俺のトラウマを記憶の底から掘り返すのだから始末に終えない。
「……はぁ~。つっまんない男。ほんと顔だけだわ」
「………………おっと、おつまみおつまみ」
だからこの女は嫌いなんだ。見ろ、雇いのバーテンの顔を。お前もプロなら苦笑いじゃなくてすました顔してやがれ。
「酒、また同じのを頼む」
「下戸の癖してアタシに張り合うつもり?」
「うるせ
翌日。
スーテラに見つかってしまわない内に部屋を抜け出した俺は、甲板で精神統一に身を委ねた。頭すっげーガンガンしてるわ。
穏やかな風と眩い朝日は、汚泥に塗れた日常を洗い流してくれるような気がした。つまり、あれだ。酒の勢いという奴は今後なしの方向性で行こう。
瞼を閉じて精神の揺らぎと真正面に対峙していた俺は、ふと見知った気配が近づいてくる事に気がついてそちらの方に目を向けた。視線の方向には、昨日さんざっぱら話題に上がった渦中の男が立っている。こちらの眼差しを受けて、彼は驚いているようだった。瞳を白黒させている男に、平常を装って声をかける。
「早いな、グラン」
「そっちのほうこそ。カントルテが瞑想してるなんて、なんだか意外だ」
「…………大人には、時として自分を振り返る時間が必要ってとこだ」
「……そうか。大人も、大変なんだな」
良く戦い、良く決断し、平時であれば笑顔の眩しいこの男も、時には言葉に詰まる事もあるらしい。陰りの見え始めた男の表情に焦りを覚えた俺は、慌てて、
「そうさな。しかし、どんな奴でさえ大人になる羽目になる。生きてさえいれば必ずな。グラン。確かにお前は団を率いるに値する男だが、時間はお前の成長を待ってはくれない。どういう大人になるかはグランのこれからのがんばり次第だが……少なくとも、俺のようにゃならんよう祈ってるよ」
「カントルテも、立派な大人さ」
「そ、そうか?」
「うん。僕はそう思う」
ま、眩しい。これが大器という奴なのであろうか。乗り降りする者も含め、時には100人以上が乗船する事もある騎空挺を一手に司る男ともなれば、ただの言葉にも妙な力が篭っているような気がしてくる。自由奔放を地でいくメーテラが長々と居座っているくらいだから、この男には相当のカリスマ性が秘められているのだろう。
「にしても、グランはなぜこんな早くに?」
「最近、帝国との小競り合いも増えてきたからな。少しでも鍛錬をしようと、朝早くに起きたんだ。先客が居るとは思ってなかったけど」
「そいつぁ良い心がけだ。だが、強いては事を仕損じるという格言もある。焦って成果が出る訳でもなし……ふむ、ならば一つ瞑想でも一緒にしてみるか? ナルメアの域に達する事は敵わずとも、何か得られるものもあるだろう」
「勿論良いよ。ただ、その……」
「む、どうかしたか? 言いたい事があるならはっきり言ってくれ」
「……瞑想って、上半身半裸じゃないと駄目なのか?」
「………………」
すまん、メーテラ。頼むから焼却処分とかそういうのだけは止めてくれ。
七面倒な事を棚上げしたにも関わらず、差し迫った危機は以前脅威的である。無論、真実を告げるのは論外だ。この純粋に手足が生えたかのような好青年に、酒と性欲と惰性に満ちた話を打ち明ける勇気は当然持ち合わせていない。酒乱女ことラムレッダがお下劣話を持ち出したり、ヘルナルがその手管を教授している可能性は大いにあったが、グランにはまだまだ純粋であってほしいという理想を捨て切れなかった。当然、ここは嘘をつく場面である。
「――――一体化だ」
「え?」
「自然との一体化だ。こうして衣を脱げ捨てる事により、自分の精神と肉体、それに魂をこの空と一体化させる所に瞑想の極地は存在する。ま、持論だがな」
「そうなのか……よし! 僕もやってみるか!」
「う、うむ」
そう言って鎧と服を脱ぎ捨て始めるグラン。
いや、俺から言い出した事ではあるんだが、ちょっと純朴すぎやしないかグラン君。おじさん心配になってきたぞ。
衣を脱ぎ捨てたグランの体は、日ごろからの修行によるものだろう、理想の肉体に近づきつつあった。鍛え上げられた肉体に照りかえった朝日が眩しい。細身でありながら筋肉を内包した全姿を見るにあたり、成る程誰も彼もが彼を意識してしまうのも分かるという話だ。
「美しい……」
「カントルテ?」
「んにゃ。なんでもない、なんでもないさグラン」
心の欲望がかま首をもたげ始めるのを必死に押さえつけた俺は、グラン共々甲板に腰を落とす。澄んだ空気を吸い込むと、体一杯に広がった邪気が払い落とされるような錯覚に陥った。
それにしても。
「…………」
「…………」
朝っぱらから揃いも揃って上半身裸の男が並んでいるとは、誰がどう見ても異様な光景である。ぶっちゃけ俺でも気持ち悪いと思う。
しかし、それを言う度胸が俺にはない。穢れなき純粋さをもって瞑想に興じるグランを思えば、俺の弁舌は嘘のように静まってしまった。
瞼を閉じ、深い呼吸に身を任せる。沈み込むような感覚に神経が研ぎ澄まされていく。
さて――――いずれ誰彼の気配が訪れるであろうと踏んではいたが、この時ばかりは非常に相手が悪かった。はるか遠方より、ねぶるような視線をこちらに送る気配が一つ。
幾度となく感じた覚えのあるその視線の正体にはすぐに感づく事が出来た。例の耽美先生である。
「――ちょ、ちょっとちょっと、あいつら何やってるのこんな朝っぱらから……! 徹夜で原稿を仕上げてリラックスがてら風に当たりにきたら、上半身半裸の男が二人も並んでるぅぅぅぅぅぅ!! 朝日に負けず外に出てみてラッキーだったわ! 何? 何なの? そういうプレイなの? 私の耽美道、現実に流出しちゃった?」
テンションが振り切れたのか、耽美先生は何時になく興奮で舞い上がっている様子だった。
紅潮した頬は言うまでもなく、激しすぎる動悸に絡みつくような視線。重く濁ったオーラを背にこちらを伺うその姿は不気味の一言だ。
団内の人間関係に頭を悩ませる団長には口が裂けても言えないが、俺は耽美先生が嫌いである。彼女は俺をすぐにホモ扱いするからだ。
「――――おっす先生。先生殿? ちぃっと顔貸してくれねぇか? ちっとだけでいいからよ。な?悪いようにはしねぇからよ」
「は、はやっ……」
困惑する団長を尻目に、隠れるようにしてこちらを窺っていた耽美先生の下へ一気に急接近。
彼女の誤解を解こうとするも、テンションMAXの耽美先生は星晶獣だって喰っちまいそうな勢いだ。一瞬にして距離を縮めて見せた俺にはじめこそ面食らっていたものの、徹夜明けの脳みそが彼女に熱弁を奮わせる。その尋常ではない様子に、ついつい俺も釣られて平静を失ってしまった。
「っ、とうとう本性を露にしたわねまさかグランに手を出すなんて! 頭の中ではどんな事考えてるか分かったものじゃないわこの淫売!どうせ横目でグランの裸をチラ見してたんでしょこの誘い受け! ちょっとでいいからもう少しグランと絡んできなさいよハァハァ!」
「――――クソッタレ! 俺はホモじゃねえ! ちっとばかし将来有望な美青年に見惚れちまっただけだ!」
「語るに落ちたわねサイコ野郎! あんたの欲望はまるっとお見通しなのよ! 一体どういう手管でグランを篭絡させるつもりなのかしら!? お互い上半身裸になって野外プレイなんて随分と深い仲なのね! もっと筋肉に汗流し込みなさいよ!もう少し素直になりなさい! 心をホモに委ねるのよ!」
苛立ちが募る。これがあるからこの女は嫌いなのだ。顔を除けば守備範囲外であるらしい俺に対して、事ある毎に絡んでくる。行動の節々に耽美の臭いが見え隠れするなどといわれ、怒らない男がいるだろうか? 俺は単に美少年の成長に心の潤いを得ているだけであるのに。
とにもかくにも、一度導火線に火が点いてしまったともなれば、口論は中々引っ込みがつかない。罵声が罵声を呼ぶ直接対決は泥仕合の様相を呈し始めていた。
「妄想と現実がごっちゃになってるたぁ驚きだ! 一度男女の付き合いってやつを体験してくる事をお勧めするぜ!」
「秩序だか理性だか道理だかで思考停止させているなんて呆れた男ね! 真実の愛は性別の壁を越えるのよ!」
「あぁ!?」
「ひっ……な、何よ!」
「――――止めてくれ、二人とも!」
その時、遅れるようにして割って入ってきたのがグランだった。晒した上半身は汗を掻いていて、いやに扇情的な色気を放出している。
「どうしたんだ、二人ともいきなり! 喧嘩越しになる前に、一度落ち着くべきだ! 団を率いる者として、これ以上の騒動は認められない!」
「しかしだな……」
耽美先生ともども唇を尖らせるも、グランを前にして何も言えなくなってしまう。
「二人が前々からお互いを良く思っていなかった事は知ってる。知っていて口を出さなかったのは、きっと二人なら分かり合えると思ってたからなんだ。だけど、放置したせいで爆発させてしまったら意味がない。ごめん。これは僕の責任でもある」
「んな事は……」
矢継ぎ早に浴びせられるグランの言葉に、俺達はとうとう言葉さえ失った。動揺を露にする俺達二人に向かって頭を下げた団長は、それから顔を上げ、いつもどおりの笑顔を見せると、
「だから、一緒に話し合おう! 僕たちは言葉を失った獣じゃないんだ! お互い言葉を交わせば、きっと分かり合えるはずだ!」
この時、長きに渡る因縁も忘れ、俺とルナールの心は一つになったと言えよう。
「グラン……」
「グラン……」
尊い……。