「三日月夜空」視点。
その日、私は全てを失った。
まだかすかに残されていた希望さえ、私自らがそれを手放した。
それはもう不幸なんかじゃない。なるべくしてなった結果などではない。
自身が不幸だという気持ちに溺れ、求めることしかできなかった私の行いの結果だ。
恨み、憎しみ、嫉妬。一方的な負の感情が、このような事態を引き起こした。
もう、けして戻ることはない。戻すことはできない。
羽瀬川小鷹は私を見限った。私に対し絶望を抱いた。
全ては終わった。この腐った青春を、変えることはできなかった。
がちゃ……。
静かに、隣人部の部室の扉が開く。
小鷹か。いや、もう彼に希望を抱くこと自体が愚かしい。
そこにいたのは小鷹などではない。私にとってどうでもいい、高山ケイトだった。
「なんかすごい音が聞こえたって聞いたもんでねぇ。なにがあったかと思えば……つかなんか臭うんだけど。頼むよここ一応私の管理してる教室なんだからさ~」
そう文句を垂れて、ケイトは窓を開けて部屋の換気をする。
その間も、私は抵抗一つ見せずに、うつむいて黙っていた。
何を今さら言い返せる。あれだけ大きな口を叩いておいて、今さら……。
「……その様子だと。失敗しちゃったみたいだねよーぞらくん」
「……」
「来る途中に小鷹くんとすれ違ってね。しかも彼……いつも以上に怖い顔になっていたもんだから、何があったか尋ねてみては、知るかと突っぱねられちゃったさ」
「……そうか」
そう、私は元気なく答えた。
小鷹はおそらく、心の底から怒りをむき出しにしていたのだろう。
あの瞬間になって私も気づいたのだが。きっと彼は……私に気づいていたのだろう。
いつからかはわからないが……。私がソラだということを……。
「私は言ったはずだよ。悲劇のヒロインを気取るのはそろそろやめた方がいい……と」
「……わかっている。全て……私の独りよがりだ。私の意地が招いた結果だ」
「まったく。らしくないほど素直になっちゃってさ。ほらほら言い返してこいよ、いつものようにでかい口叩いてちょうだいよ、よーぞらくん」
「……」
そう挑発されて、私はだんまりを決め込んだ。
するとケイトは……気に入らないような表情を浮かべ、私に失意の目を向けてきた。
「……その程度かい。君というやつは……その程度だったのかい」
「……」
「君たちの友情ってのは……その程度の安いもんだったのかい。それが……隣人部としての姿形なのかい」
「……」
「なんとか……言ってみなよ……」
けして言い返さない私に対し、ケイトは迫るように静寂な怒りを見せた。
今まで期待していた相手に裏切られたかのように、言葉に力が抜けていった。
そして、最終的にケイトは……私を捨てるように背を向けた。
「……クソがっかりだよ。君は……変わる側じゃなくて、何かを変える側の人間だと思っていた」
「……はっ。そんな大層なこと、私にできるわけがない」
「どこぞの誰かと、同じこと言いやがって」
「……」
「もういい。やめろよ、全部投げ出してさ……楽になっちゃえば。君一人の都合で、君を信じていた人たちの思いも、君を希望としていた人の気持ちも……全部裏切ってしまえばいい」
そう投げやりに言って、ケイトまで部室を去って行った。
信じる……希望。こんな私に、このような落ちぶれた私に対して……抱かれた希望とはなんだ。
教えてくれ。私を信じてくれる人たちのその気持ちとはなんだ。私の……何を信じていたというのだ。
「……うぅ……。何が……希望だ。何が可能性だ。こんな青春に……私という人間なんかに……そんなものなど存在しない」
そう自分を戒め、後悔をしたくない気持ちを抑えながら……。
だが後悔するしかないこの残酷な結果に胸を痛め、私は悲痛に言葉を漏らした。
小鷹……タカ……。理科……幸村……。
貴様らが私を希望としていたのなら……こんな結果にしたことを、私は責任を取るべきなのだろう。
巻き込んでしまった。淡い希望を抱かせてしまった。可能性に飢えていたお前たちに付け込んだのは私の方だった。
「もう……私には何もない。全部なくなっちゃったんだ……。だから……あ……あぁ……」
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――希望に飢えたものの末路を、私は知っていた。
一人の男に捨てられた。哀れな女の話だ。
汚れたように縋りつき、泣きわめき救いを求め。
最終的に見限られ、最愛の男と友人を一気に失った女がいた。
そんな女を最も近くで見たのが、この私だ。
それ以降、その女の変わりようといったら、見事なほど愚かで滑稽だった。
だからこそそれを救ってあげたくて、それを変えてあげたくて。
だけどけして変わらないで。もう元に戻らない。
その女がかつて私にくれた言葉、今でもけして忘れない。
忘れてはいけないと思った。その言葉を失ったら……もうあの女は帰ってこないと思ったから。
日に日に変わり果てていく、全てを失った私の母。
それを目に映し続け、しだいに私にも……その負の感情が伝染していった。
友情はすぐに崩れおちる。それこそ……女同士の友情は……。
だから私は同姓が嫌いだ。女という生き物が嫌いだ。
故に私自身も嫌いだ。せめて私が男に生まれてきていたなら、何かが変わったかもしれないと思えてくるほどに。
だが、友情はなくてはならないものだ。
なぜなら、私一人では何もできないから。人は一人では何もできないからだ。
母は戻らなければならない、変わらなければならない。
母が私に託してくれたあの言葉を、あの大切な想いを本物にするためには……私一人ではできない。
だから私は友情を求めた。
だがうまくはいかなかった。母の影響で同棲に苦手意識を抱いた私は、次々と寄ってくる同棲を拒み続けた。
かといって異性はというと、男らしい私をメスゴリラだと馬鹿にしては、気味悪がって近づいてこない。
同姓とも異性ともうまくいかなかった私は、最も欲していた友情を手に入れられずにいた。
そんな時……やつに出会った。羽瀬川小鷹に出会った。
あいつは私が女だろうと男だろうと関係なかったらしい。そう……私を一人として見てくれた。
そんなあいつに性別を偽り続けたこと、あの時から今にかけて申し訳ないと思っている。
今思えばきっと、あいつに打ち明けたところで……あいつは気にせず私を友と呼んでくれていたのかもしれない。
そう、あいつに秘密を打ち明けることを恐れた時点で、私はあいつを信じ切れていなかったんだ。
そんなあいつが、最も信頼していたあいつが……ある日街を去った。
あいつは何も言わなかった。何も言わずに私を街に置き去りにしていなくなった。
そのことと、秘密を打ち明けられなかった自分の悔しさが混じり、以前よりも私は他人が怖くなった。
この時ばかりは……私は母親に助けを求めようかとも思った。
もしかしたら、この私の出来事を聞いて、母親が優しい母親に戻ってくれるかとも期待を抱いた。だが……。
「おかあさん。きょう、わたしの友達がいなくなっちゃんたんだ。なにも言わないで……どこかへ行っちゃったんだ」
そう、構ってほしい子供の私は縋りつくように言った。
そしたら……母はなんと言ったか。今でも忘れられない。
「……いい気味だわ」
其の言葉を聞いた瞬間、私は背筋が凍りついた。
その時の感触を、時々思い出すほどだ。
「え?」
「これで少しはお母さんの気持ちがわかった? 子供心で励ましていたあなたがいかにお母さんの気持ちを理解できていなかったか……思い知った?」
「おかあ……さん」
「なにが……たった一人でも大切な友達を……だか。本当に……虫唾が走る言葉だわ」
その発言が、小さかった私の心を打ち砕いた。
この時真に思い知ったのは、母親の気持ちなんかではない。
もう……私の知っている母は……この世にいないという絶望だった。
この時から……私は母に声をかけることすらなくなった。
必要なことを必要な時しか話さない。親の責任が発生する時しか会話をしなかった。
一度、中学の時に気を引こうと思って、わざと学校で問題を起こした時があった。
その時母親が学校に呼び出されたが、母親はあくまでも親としての顔を振りかざして。
帰り際、私を突き飛ばして言った。
「めんどくさいのよ。なんであんたのためにわざわざ学校まで足を運ばないといけないのよ」
「なっ!?」
「友達一人ろくにいないんだから、あんたが何をやったって迷惑と思う人なんていないんでしょ? なのにあのクソ教師……ばかじゃないの。親だからって教師の顔で偉そうな口叩いてさ。ああいう人間が、裏で何を考えているかわからないのよ」
「か……かあ……さん?」
「私を捨てたあの男も、友達だなんて甘い言葉で私をだましたあの女も。人間なんて……人間なんて人間なんて人間なんて……うぅ……。友情とか愛とか他人との共存とか……ああああああああああああもう!! 全部あんたのせいよこの障害!!」
そう人が通る街中で、母親は私の頬を思いっきりひっぱたいた。
そして私を見捨てるように家に帰っていった。あの瞬間、私の心の傷はさらに抉れた。
ほんのわずかでも、希望を抱くことすらさせてもらえなかった。
小さい頃、母さんが優しく言っていたあの大切な言葉。絶対に否定したくないその言葉を……。
残されたたった一つの……。私の大切な……。
そして……小鷹にとって大切な……。
「……許さない。私は……絶対にあんたみたいにはならない!!」
そう親の背中を私は、これでもかというくらいに睨み殺した。
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後日。
この日私が一目散に向かったのは、ケイトのいる職員室だった。
別に昨日のことを謝りに来たとかではない。ただ、あるものを渡しに来ただけだ。
職員室にきた私を、ケイトは歓迎ではなく、めんどくさい奴を見るような眼をしていた。
以前までなら、面白いものを見るような眼で私を見ていたのに。
「……なにさ? 部活始まってるんじゃないの? 部員待たせてどうするのさ」
「……」
追っ払うようなケイトの反応など気にせず、私はあるものを毛糸の机に置いた。
それを見た瞬間、ケイトの目の色が変わった。
「……あなた」
「……最後に、すまなかった」
そう、ケイトに一つ謝る。
するとケイトは……もう諦めたかのような顔をして……。
「……そうかい、ごくろうさん。ちゃんと他の部員にも事情を言うんだよ」
「……本当に……ごめん」
そう、私はしょんぼりともう一度謝ると。
痺れを切らしたケイトは私の服の襟を掴んで、職員室の外まで引っ張っていく。
教師の立場など全く考えず、己の感情だけで動き。
そして離れた廊下の窓で、私の胸倉を掴んで一括した。
「……謝るんじゃないよ。みっともない」
「うっ……」
「あなた自身が選び行動したんだ。これはあなたが……三日月夜空が周囲の注意を聞かずに動いた結果だ。それを……今さら私たちにもなすりつけるな……」
「……うっ……うぅ」
「泣くな!! 泣いて……何が変わる。せめて最後くらい……自身のわがままに対する責任を取ってこい!!」
そう私を突き飛ばして、ケイトは職員室へと帰って行った。
昨日から、私は恥じらいを捨て去り、何を他人に縋っている。
あれほど自分の問題だと突っぱねておきながら、都合がよすぎるよな。
私はゆっくりと立ち上がり、重い足取りで部室へと向かった。
「あら、先輩遅いですよ~」
部室に入ると、なにやら理科と幸村がお菓子やジュースを広げて待っていた。
「……これは?」
「いえいえ、これは理科達が調べたんですけどねぇ。こう友達というのは何でもない時にとっさにお菓子やらジュースやら持ち寄って、自然とパーティまがいなことをするようで。要はそういうノリというものを覚えようかと思いまして」
「……」
「おきにめしませんでしたか、先輩」
二人の後輩は、いつもの調子で私に訪ねてくる。
あの時、柏崎がやってきてはがゆい思いをしたのは、こいつらだって同じだ。
だが私と違って、苦悶を一切表に出さない。
それどころか、こんな私を今でも……仲間だと思ってくれている。
そうだ……。私の居場所は……ここにだってあったんだ。
それを……私のわがまま一つで、拒否をした。
この何も罪のないこいつらを……巻き込んでしまった。
私には……こいつらの笑顔が……もったいないくらいだ。
「……そう……か」
「……先輩?」
そう私は、いつもとは違って、精一杯の笑顔をこいつらにむけた。
だが、自然と流れる涙が……違和感を抱かせるには十分だった。
当然この私の異変にいち早く気がついたのは、理科だった。
「……先輩、なんか様子がおかしいですねぇ」
「あはっ。そんなことはないよ」
「あ~わかった。あの後また柏崎と小鷹先輩がいちゃいちゃしてるのを見せられて、悔しい思いをしたんですねぇ」
「……まったく、お前には嘘は付けないな。見抜かれてしまったか」
「あ……。まったく無様にもほどがありますよ先輩。男を取られた女の、昼ドラみたいでなんだか見ていて愉快ですねぇ」
「……」
今までなら、理科に対して怒りを向けていただろう。
だが今日は違った。ずっと笑顔をむけてやった。
最後くらい、こいつらに迷惑をかけてきたんだ。
だから、せめて理科や幸村の望むような……優しい先輩でいてやろう。
「……なぁ、なんか言えよ」
「悪かった。心配かけて」
「……らしくないから、やめろよ」
「本当に……ごめんな」
私がそう謝ると。
先ほどから怒りを抑えていた理科が拳を握った。
だが、拳を握るだけで、ただ震えてその場でとどまるだけ。
「……隣人部として、こんな情けない部長のだが、お前たちに送りたい言葉がある」
「……」
「友達百人なんてできなくてもいいから、百人分大切できる友達を作れ。けして……希望を失うな。諦めなければ……きっと自分にとって、大切な友達ができる」
そう、かつての母親の言葉と私の言葉を後輩に送り、私は背を向けた。
そして部室の扉に手をかけたところで、理科の叫びが私の耳に響いた。
「行かないで!!」
「……」
「僕達を……置いていかないで……」
その悲痛な叫びを聞いて、私は心を強く痛めた。
だが、止まることはせず、部室から姿を消した。
私の独りよがりの責任、これでとれたわけではないかもしれない。
だがこれでよかった。もうあいつらを縛るものは何もない。
理科、幸村。お前たちならきっと……私のようにはならないだろう。
きっと不幸が自分に振りかかろうとも、その不幸に囚われることはないだろう。
これはあいつらが私を信じてくれたことへの、せめてもの気持ちだ。
私も、お前達を信じてやることにしよう。
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その日、私はまっすぐ家に帰った。
家に帰ると、母がテレビを見ていた。
けして変わることのない、力の抜けた私の母親。
今日は仕事が休みらしい。こんな日に、つくづく私の不幸だな。
まぁ、不幸ぶって皆に迷惑をかけていたんだ。これくらいの不運、めそめそも言ってはいられない。
聖クロニカ学園に入学して二年目。帰ってきた羽瀬川小鷹。
五月から、自然と毎日が楽しかった。少なくても去年までとは比べものにならないくらいに。
大きく動いた。そして……その決着がついてしまった。
もう、明日からは……またあいつがやってくる前の私に戻る。
そしてあいつは、私の残した隣人部で、私とは違う道を行くのだろう。
小鷹。ならばせめて、理科と幸村を連れて行ってやってくれ。
もう私はいい。私のことは……かつての親友のことは忘れてくれ。
お前の友情の苦しみは、全て私が引き継いでいくから。
「……なによ、後ろに立って目ざわりなんだけど」
そう、近くにいた母親が私に苦言を漏らした。
もしかしたらあの時みたいに、私は母親に慰めてもらえるかもしれないという、淡い希望を抱いていたのかもしれない。
だが母は変わらない。変わらず、私をいらない子扱いしていた。
「……ごめんなさい」
「最近やけに元気づいてきたかと思えば、また以前のように戻っちゃって。またくだらない友情に振り回されて、痛い目見たんでしょ」
「……そうです。やっぱり友情って……くだらないものですよね」
「ああそうよくだらないくだらない。ああいう中途半端な関係が一番むごいのよ。友達だから理解できるとか言って、結局は理解できていないんだものねぇ」
「……」
「友達だから、友達だから。都合のいいこと言っていても、結局あの女は私からあの男を奪い取った。一方的に親友だって思っていたのは私だけだったのよねぇ」
「……」
「さしずめ、あんたの十年前の友達ってやつも、あんたが一方的に親友だって思っていただけでしょ? というか、もう忘れちゃったか」
そう、母は馬鹿にするように背を向けて言った。
その言葉、つい先日までなら怒りを露にして聞いたものだが、今となってはどうでもいい。
もう、どうでもいい。小鷹も、後輩たちも、隣人部も、堕ちた母親も……。
全部全部、どうでもいいんだ。もうどうでもいいんだよ。
ピンポーン……。
と、突如家のチャイムが鳴った。
ネットで本などは頼んでいない。ということは……また宗教の勧誘だろうか。
母親は玄関に出ようとはしない。こういうのはいつも私の仕事だ。
「……あのさ、少しでもお母さんを喜ばせたかったかったらさ、玄関くらい出なさいよ」
「……」
そう投げやりに言う母を背に、私は玄関に向かった。
別に喜ばせたかったからとかじゃない、いつもと同じように、私は玄関に向かうだけだ。
そして、玄関の鍵を開け、扉を開くと……。
――そこには、予想だにしない人物が立っていた。
眼つきは悪く、髪の色は染めそこなったかのような茶色の混じった金髪。
走ってきたのか、ぜぇ~ぜぇ~と苦しそうに胸を押さえて立つ少年。
私にとって、かつては親友と呼び合っていた……その少年。
「……なんで」
私は呆けたようにそう口にした。
そんな私に対し、少年は言った。
この時の少年との対面は、十年ぶりの再開と同義だった。
「……久しぶり……だな。さあ……腹を割って話そうぜ……"親友"」