猛禽が黒く染まった日
それは、あの事故が起こる少し前の話である。
羽瀬川小鷹が変貌する前、夏休みがあと少しで終わる日。
そして、彼らの日常に一つの終わりを告げる少し前の日。
夜11時ごろ、小鷹は我が家での食卓にアニメを見ていた小鳩を呼ぶ。
「ククク、どうした我が眷属よ」
といったように小鳩はいつもの調子でかっこつけて食卓までやってくる。
小鳩は小鷹にとっては自慢の可愛い妹だが、中学生らしからぬ子供っぽさと度が過ぎた中二病に侵されていたことがなによりの残念な部分であった。
そんな妹ではあるが、小鷹にとってはいちばん身近にいる家族である。故に、相談事をするにはこんな妹でも頼るしかないのである。
「はいはい。今この場は偉大なる吸血鬼レイシス様ではなく、我が自慢の妹羽瀬川小鳩様に、困り果てた情けない兄からの言葉を聞いていただきたいんだがなぁ」
「ククク。レイシスも小鳩も一心同体よ」
「お前、いつも小鳩というと小鳩じゃないレイシスだと否定する癖に。設定がめちゃくちゃだ」
そう言って小鷹は呆れ顔。
だがそんなくだらない兄妹のやり取りをしている場合じゃない。
そろそろ小鳩もおねむの時間なので、寝てしまう前に話は済ませてしまうしかないのである。
「いいから、頼む小鳩」
そう小鷹は、今まで小さな妹には見せたことのない表情を見せる。
さすがの小鳩も、それを見せられては中二病を続けるわけにはいかなくなったのか。
一応つけたしておくと、小鷹が怖い顔をしてビビらせたわけではないのであしからず。
普通に、妹小鳩として小鷹と向き合う。
「……なしたとよ、なんかいつものあんちゃんと様子が違うばい」
いつもの小鳩は、しゃべり慣れてる九州の方言でしゃべるので、こういうしゃべり方をする時は中二病ではない時である。
ようやく話しになると、小鷹は一服置いた。
「まぁ、今までのお前のお兄ちゃんは、周りに流されて呑気に毎日を過ごしていた節があるからな」
「……そんなことはなかよ、いつもおいしい料理を作ってくれとるし。感謝しとーよ」
「はは、改めてそう感謝されるとむず痒いな」
……何かがおかしい。
これは流石の小鳩でさえ、感じ取れた。
いや、小鳩だからこそ、感じ取れたといったところだろうか。
「小鳩、お前……。俺がまだ小さかった時の事なんて覚えてるわけないよな」
「うん、そんな時のことなんか覚えてなかよ。この街にいた時のことなんて、正直かあちゃんの事しか覚えてない」
「だよなぁ。俺に大切な友達がいたことなんて知る由もないか」
そんな話は初耳だ。
小鳩はそんな顔を兄、小鷹に見せた。
小鷹も、自分の周りの話など、こうして妹に聞かせるのは、正直言うと初めてなのである。
というより、話すような内容がまるでなかったのも事実なのだが。
「友達……か。それって、うちより大事なん?」
「え? なんだお前、嫉妬してるのか?」
「い、いやそんなわけじゃ」
「そんなの、家族以上に大切なもんなんてねぇよ。それに、そいつ別にいい奴ってわけでもないし。……今の所はな」
何か引っかかるような言い方をする小鷹。
小鳩はよく理解していないようである。少なくとも小鷹にはそう見えた。
いつもなら、小鳩はそういう人間関係なんてものには無頓着なので、話に割り込んでくることすらあり得ないはずなのだ。
だが、この時小鷹は、初めて妹の知らない一面が垣間見えたという。
「……もしかして、いるの? 近くに」
その小鳩の問いを聞いて、小鷹は内心驚いていた。
そして、やっぱりか……。と、一つの核心を得たという。
「ふふっ」
「な、なにがおかしいね!?」
「……お前、いったいどこまでが小鳩で、どこまでが小鳩じゃないんだ?」
その質問を聞いて、小鳩にはわけがわからなかった。
だが小鷹は内心感じ取っていた。その、他人に対する観察眼の高さを……。
それは当然周りの他人だけではなく、兄自身に対しても発揮されている事を。
「お前は本当に、警戒心が強いというか……」
「……」
「まあいいや。いつまでも兄貴に甘えたい気持ちはわかる。母さんは死んでしまって、父さんは家を開けてばかりだからな」
小鷹は妹の気持ちを本当によく理解していた。
母のぬくもりを少ししか味わえず、父親に甘やかされ続け、そんな父親が毎日はいない日常。
そして近くには、唯一毎日近くにいる兄。そんな環境にいれば、兄に依存するのは仕方ないことである。
だが、それがいつまで続くのかわからない。そのうち兄以外にも頼れる人間が現れるだろうかという期待と、そうはならないことへの警戒心も兼ねていた。
つまるところ、14歳中二病真っ盛りの中学生の内面事情は、意外と複雑であるということである。
小鷹はそれに気付きつつも、やっぱり大切な妹なので、その妹に対しありのままの兄で居続けるよう努力していたという。
だが、それももうすぐ、できなくなるかもしれない。だからこそ今、小鷹は小鳩と話をすることにしたのだという。
「……三日月夜空。あいつが俺のかつての親友だった奴の名だ」
「あっ……」
小鳩はなんとなくだが、小鷹の言葉に対し何かを察した。
そして小鳩にとっても、夜空という人間がどういう人なのか大雑把であるが理解しているつもりだった。
限りなく遠い所にいる人、それでもってものすごく近くにいそうな人。そんな印象を抱いていた。
「どうした? 意外だったか? そりゃまあ、俺とあいつは常に喧嘩しているような印象しかないわな」
「……」
「とまあそういうわけで、あいつが今相当苦しんでいるそうなので、俺は親友だった因縁に従い動かなくてはならなくなったというわけだ」
「……」
「偉大なるレイシスの兄、この猛禽羽瀬川小鷹は、大切な親友を取り戻すため、強大な敵と戦ってくるというわけだ。この熱き心が震えて仕方ないぜ」
そう、何かを無理している兄の言葉の数々。
それを黙って聞いている小鳩、徐々に身体の震えが止まらなくなっていた。
この兄が動くのはもう止まらない。そして、兄は必ず全てを成功させられると信じて疑っていない。
だがそれは、成功ではなく失敗してしまった時のリスクが、兄を必ず崩壊させるといっても間違いはなかった。
妹としては小鷹には祝福を送りたい。だが万に一つでも、彼に失敗が降りかかれば、絶望が降りかかれば。
――その時、小鳩の良く知る兄は、そこに存在しているのか。
「……大切なあんちゃんに、うちから言えることがあるとすれば」
「ん?」
「……危険なことは、やめたほうがよかと……というかやめてくれと。そう言うしかなかとよ」
「……まあ、そうだろうな」
小鷹は小鳩の気持ちをくみ取ってそう答えた。
「あの部長のために何か頑張るのは悪いことではなかとよ。でもそれで、あんちゃんになにかあったら……」
「……小鳩、それ以上は……いわなくてもいい。というか、言うな」
「――私は、あの女を……許せなくなるしかないのよ」
その小鳩の真意を聞いて、小鷹は思わず唾を飲み込んだ。
初めて思い知っただろう。小鳩が見せた威圧感を。
やっぱり自分にもあるであろう歪みを、この妹でさえ持ち合わせていたことだろうと。
だが、その妹の歪みが爆発してしまった時に、兄としては保険をかけておかなければならない。
「小鳩。それを言うということはお前、あいつのこと……内心嫌いではないんだろうな」
「……うん」
「きっと好きになれれば、なりたいと思っているんだろうな。俺は嬉しいぜ、かつての親友を、妹は気にいってくれたみたいだからな」
小鷹はとても満足そうに言った。
さて、いよいよ本題である。小鷹はその保険を、小鳩にかけるため言葉をかけた。
「小鳩。この先俺に何があっても、夜空だけは信じ続けろ。俺があいつを信じられなくなった時、俺の代わりにあいつを……あいつの味方であってやってくれ」
「……できないよ、そんなこと」
次第に泣きじゃくり始める小鳩に、小鷹はゆっくりとほほ笑みながらかけより。
小鳩を思いっきり抱きしめて、耳元で呟いた。
「たのむ、俺の自慢で大切な、たった一人の妹」
「……お兄ちゃん」
――俺の代わりに、あいつを、助けてやってくれ。
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後日。
事故に合い、未だ足に包帯を巻いたまま。
小鷹はこの日、近くの美容室へと足を運んだ。
彼が美容室を訪れた理由、それは。
自分が自分たるために必要不可欠である、コンプレックスであるくすんだ髪の毛を黒く染めるためである。
からんころん♪
「あ、いらっしゃいま……」
小鷹が美容室の扉を開けた直後、美容室内の店員やお客の空気が一斉に凍りついたのはもはや説明のしようもないだろう。
この時の小鷹の髪の色はまだあの色。それでもって小鷹の内面事情は最悪に満ちていた。
大切な親友との記憶は改ざんされたため全てリセットされ、そのせいで彼が人生で得るべきだった他人との絆は全て無に帰しており。
そのせいで他人に髪の毛や外見の事で蔑まされてきたことが強調され、妹と比較されてきたことまでが負の感情を引き出し。と、ソラと過ごした毎日は彼にとってなくてはならないことになっていたのを示すには充分すぎる結果だった。
そんな小鷹が今している表情は、他の人が見ただけで逆らう気が失せるのは悲しいかな、仕方のないことだっただろう。
「あ、あの~。ご用件は」
「……髪を染めてほしいんですけど。黒に」
「え? 髪の色を落とすんじゃなくて」
「これは地毛だ!!」
小鷹は毎度の如くくすんだ金髪を染めそこなったと勘違いされて本気でブチ切れる。
よほど今の小鷹にとって、この髪の色は癇に障る物になっていたのだろう。
「す、すいませんでした!! 椅子に座りお待ちください」
「ちっ」
なんとも柄の悪い、これではまるで本物のヤンキーではないか。
おそらく記憶の改ざんではなく本当にソラと会っていなかったら、とっくの昔に小鷹は不良の道に堕ちていたIFも、なきにしもあらずといった状態だろう。
そんなこんなで30分、まわりの子供に泣かれたり親御さんに睨まれたりと不穏な空気の中を店にあったゴル○13を読んでごまかす小鷹。
いよいよ小鷹は呼ばれ、母との絆との決別の時がやってくる。
ちなみに小鷹の髪を担当するのは、先ほど対応した店員とは違う、奥からやってきたこの店では噂されるカリスマ店員の女性だった。
「あらお客さ~ん、素敵な髪の毛。本当に黒に染めてもいいのかい?」
「思ってもいないことを。ああもう普通の人間に戻してくれ、はやく人間になりたいんだよ」
どこぞの妖怪人間のようなセリフを皮肉りながらも言う小鷹。
それを聞いて女性の店員も思わず苦笑い。
「にしてもハーフで地毛か。こんな髪の色になっちゃうこともあるんですね~」
「みたいですね。おかげで僕はこの人生散々な目に合いましたよあっはっは」
「そっか~。でもなんで今更髪の色を黒に?」
そう店員に、ちなみに名字は柏木というらしい(ネームプレートにそう書いてあった)。
店員にそう聞かれ、小鷹は言う必要もなかったが、美容院とは店員と利用者の会話で成り立つものがあるため(別にそう言うわけではないが)話題を途切れないよう話す小鷹。
ちなみに普段の小鷹なら緊張して見知らぬ他人と話すことは苦手としていたが、なぜかこのNEW小鷹は他人への恐怖心が消失していたため、問題なくコミュニケーションが可能。
「最近人間関係のトラブルで事故に合いましてね、今後こんなことがなくなりますようにと願掛けみたいなもんですよ。髪の毛の色変えたら人生が変わりましたって。そう自慢げに周りの連中に言ってやるためですよ」
「あら~そうですか。ずいぶんと会話がおじょうずですね、とても人間関係が難しそうとは思えませんけど」
「まあ僕がこうやって人との交流を深めたくてもね、眼つきも悪くしかも柄の悪い阪神○イガースみたいな髪の毛じゃね。人なんて寄ってこないんですよ」
「あら~。なんでや阪神関係ないやろ~」
といったように、小鷹はこの美容室でここ二年分の会話をしたような気がした。
と、誤魔化すのもそろそろ限界になって来たのか。それとも美容室のお姉さんが気のいい人で話しやすかったのか。
思いきって、母との繋がりの話を小鷹はし始めた。
「……本当は、染めなくていいなら染めたくはなかった」
「え?」
「この髪の毛の金髪の部分は、俺の母さんがイギリス人だってこと、俺の母さんが俺を生んでくれたってことの証なんです。そんな母さんは物心ついた時には死んでしまって、だから髪の毛を見るたびに母さんを思い出したくなる。だから残したかった」
「……」
「でも、この髪のままだといつまでも変われない。捨てられずにいたから、中途半端な気持ちでいたから嫌な目にあった。何かを得るためには、何かを捨てなくちゃいけないんだって知ってしまったから。俺はまずはじめに、母さんとの思い出を捨ててみようと思った」
そんな話を聞かされて、思わず店員の手が止まった。
今店員がやろうとしている事は、何気ない少年から母親との絆を引きはがす行為に等しい。
それを、金と仕事だけで行うにしては、何か申し訳ないような気がした。
「……本当に、染めちゃっていいのかい?」
「ああ、もう決めたことなんで。一回捨ててみて、新しいことをやってみようかななんて。自分を思いっきり変えてみてしまいたい、今までのくだらない自分をぶっ壊してみたいって、そう……思っちゃったんです」
「……どうして、そこまで?」
その店員の問いに、小鷹はどこか、悲しそうな顔で答えた。
「この髪の毛を唯一否定しなかった奴がいたんです。信じていたけど、結局上手くはいかなかった。だから吹っ切れて、そいつを見返してやりたい。そいつに何かでいいから傷を負わせたい。あの女が絶望する顔を、一回でいいから見てやりたい。そのためならなんでもしてやるって……そう思ったんだ」
「……学生さん、それは……いけないことだと思うよ?」
「……かもしれませんね。けど……俺はやる」
小鷹の信念を感じ取り。店員は仕方なく、少年の願いを受け入れることにした。
「……学生さん。その女の人って、学生さんの彼女さんだった人?」
「彼女……か。あり得ないですね、どう転がっても……あり得ない」
「でも、学生さんにとっては……大切な人だったんでしょう?」
「……」
その店員の言葉には、小鷹も言葉を詰まらせた。
そうだ。大切なはずだったから、小鷹はそいつのために全てをなげうって、そしてやらかしてはならない失敗を犯した。
結果小鷹は壊れてしまった。壊れた自分を再構成するために、色んなピースを無くすしかなかった。
こうして今いるツギハギの羽瀬川小鷹は、小鷹の表には出してはならない負の権化として再構成されてしまった。誤った形の集合体であった。
「……お姉さん、一つ学生さんのために予言してあげるよ」
「予言?」
「君は……。そんないけないことはできない人。だから今回君が考えている事も、失敗する」
「……今度は、失敗しない」
「いや失敗する。何度も何度も失敗して、きっと最後には強くなれる人。君は、複雑怪奇な物語の主人公にだってなれる人」
そんな店員にエールが贈られた所で、いよいよ小鷹の髪の色が黒く染まっていく。
そこにいたのは、かつての勇敢な猛禽ではない。邪悪に飲み込まれてしまった、漆黒の猛禽。
今は間違えるしかない。今は拗れるしかない。けど、店員には未来が見えた。
この物語、きっともう一度だけ、形を大きく変えることになるだろうと。
「終わりました。お会計はこちらでお願いします」
そう言われ、小鷹はレジまで向かう。
そして会計を終わらせ、最後に店員は小鷹にこう言葉をかけた。
「……いつでも髪の毛元に戻したくなったら、気軽に来てね」
その言葉をかけられた小鷹の心境は、複雑なものだったという。
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その日、小鷹が家につくと。
小鳩は兄を迎えに玄関までやってくる。
そして、兄に起きた変化を目にして、小鳩は絶句した。
恐れていたことが起きたと、心に傷を負うこととなった。
「……あんちゃん。あっ……あぁ」
口が開いてふさがらない妹を見て、小鷹は今まで妹に見せたことのない目で見やる。
そして、何も変わらない兄の如く、小鳩に笑みを浮かべ……。
「……ただいま、小鳩」