『三日月夜空』視点。
放課後。
下校時刻になる前に、私は別校舎の職員室へと向かった。
この学校の職員室は、学校の職員とシスターとで分けられている。
私はそのシスターのいる第二職員室へと向かった。手には入部届けを握りしめて。
ガラガラガラ!
「ぐおん!?」
つい勢いよく扉を開けすぎたか。
扉を開けると大きな音が鳴って、職員室内にいるシスターが全員私の方を見る。恥ずかしいからやめてください。
その内、奥側二列目の机に、高山ケイトがいる。
ケイトは私の姿を見るや否や、食べていたカップ麺(というかシスターがそんなもの食べていいのか?)を噴き出し驚いた表情をした。
「……えーと。高山ケイト先生、今大丈夫でしょうか?」
私は丁寧にそう質問をして、ケイトの方へ足を運んだ。
「おうおうどうしたの三日月さん?」
ケイトはわざとらしく丁寧に対応する。
別に人目に付くから教師ぶらなくてもいいだろ。てかいつもそうやって猫かぶってないだろ、いつもだらしないの丸出しだろ。
私は猫は大好きだが猫かぶるやつは嫌いだ。なのでそういうのはなるべく控えてもらいたいのだが。
「隣人部の部員集めの件だが……」
「……そうか、残念だったね。君達はよくがんばったよ」
ケイトはとても残念そうな顔をして、私をねぎらう。
いやまだ何も言ってないんだが。そんな最初から駄目と決めつけるな。
まぁ、そんな貴様に度肝を抜かせてやるがな。
「一人入部希望者がいた。これで廃部は撤回だ」
「そうかいそうかい……えぇ!?」
私がそう報告すると、ケイトは呆気にとられたように本気で驚いていた。
そんな真面目に驚かれるとめちゃくちゃ心外だな。てかこいつ最初から期待一つしてなかったな……。
「そっか……。なんというか、見直したよ」
そう、聞きなおすことすらせず、ケイトは素直に私にそう声をかけた。
見直した……か。そんなことを言われても、どう喜べばいいのやら。
それはつまり、貴様から見れば私はとてつもなく落ちこぼれだったということだ。
だから見直したんだ。やればできると……そう褒めたのだ。
だが、そんな言葉はけして人をやる気にさせるものなんかじゃないんだよ。
そんな言葉は、出来た勝ち組の人間しかかけられない言葉なんだからな。
「見直されても困る。私にはやらなければならないことがあるからな」
「なるほど。それでえ~と」
私はケイトに入部届けを見せる。
それは、先ほど部室に来た志熊理科が持ってきたものだ。
建前ではない。あいつが自分自身で署名し、ハンコを押して提出した物だ。偽装でもなんでもない。
ケイトがそこに書いてあった志熊理科の名を目にして、急に表情を歪ませた。
「……あの女が、隣人部にね。何をどうしたらこんなことになるのか……。はは、ははははははは」
理科の出した入部届けを見て、ケイトは静かに笑った。
その時見せたこいつの笑い顔は、いつもの楽観的なものではない。それはどこか狂気的で怖かった。
自分の思っていたことと事実が外れたことに、笑うしかないというかのように。
「……ケイト?」
「クク……。いやいやすまない。しかしあの"天才"を引きこむとは、君の人徳というのは計り知れないものがあるかもしれないね」
ケイトはそう評価をした。
大体言いたい事はわかるが、それでも私が志熊理科を引きこんだことは、かなりの成果に値するようだ。
確かに学校の一施設を占拠していて、学園を操るなんていう奴だ。
……一応、聞いておくか。
「なぁ、志熊理科って何者なのだ?」
「何者とは?」
「学校の施設を使い放題やってる天才、そんなやつが普通の生徒なわけがない。学校関係者の娘かなんかなのか?」
「う~ん、そうではないね。あの子はこの学園の理事長が自ら頭を下げて招いた来客……と言ったところかな」
そう説明した後、ケイトは一枚の資料を机に出した。
その資料には、志熊理科の写真やあいつに関しての文章が記載されている。
私はそれを手に取り、端から端まで目を配る。
「『有名な王手企業や世界的研究者が今最も注目する天才女子学生、志熊理科。将来的には博士号も確実。この先の未来の技術発展は彼女の手に委ねられてると言っても過言ではない』……って」
「彼女はその手の世界ではかなりの有名人らしくてね。中学を卒業した段階で世界中の企業や学校から数え切れないほどのオファーが来ているほどだったらしいんだが、それらを全て蹴って、彼女はここへ来たらしいよ」
「世界中って……。ここはミッションスクールだ。あいつに見合った学校なんていくらでもあったはずなのに……」
「そこはうちの学校の理事長である柏崎氏の手腕と言ったところだ。確かに他の学校のほとんども学費免除に支援金ありなど、そのていの条件は腐るほど提示されたそうだ。けど……」
「けど……?」
「うちの学校の理事長は、理科一人のために学校を改築して専用の教室を作るまでやってのけたんだ。理科はその思いきったやり方が気に入り、この学校を選んだそうだよ」
それが、ケイトの語った志熊理科の現状だった。
生徒一人のために学校を改築し、最高の環境を整えるだと……。
馬鹿じゃないのか? この学校のパンフレットには、全生徒がそれぞれの良さを伸ばせるために均等な教育を施すと書いてあったはずだ。
完全に規定違反だ。出来の良い生徒を優遇して、どうでもいい生徒は放置。それじゃ世間の汚い大人たちのやり方といっしょだ。
特別扱いか。あいつはやっぱりリア充だった。何が「僕の意志」だ。完全にあいつは私たちを見下している。
「ははは。確かにそんな天才の卒業校ともなれば、この学校の知名度はウナギ昇りだろうな」
つい私は、そう悪態をついた。
ここは職員室だというのに、無自覚は怖いものだ。
「まぁあの子本人は今の現状をどう思っているかはわからないけどね。相互の利益のために学校に通っているだけっていうのは……よくよく考えてみると結構キツイものがあるかもしれないよ」
「何を。特別扱いされて一人専用の学習環境を整えてもらえるなんて、私にとっては夢のような話だ」
「まったく。君はブレないね~」
私のその思いきった発言に、ケイトは呆れた顔をした。
その後、ケイトは他の人が抱く志熊理科に対する評価とは、違う意見をした。
「でも、私は彼女を学園が誇る天才だなんて、祭り上げるつもりはないよ」
「え?」
「私からしたら彼女は天才というより……"不良"かな?」
そう、ケイトは断言して見せた。
学園が特別扱いしている宝を、不良と言って見せたのだ。
「不良?」
「あぁ、世間的に評価されているだけの人間なんてごまんといるものさ。その中で彼女という人間を見た時、私には彼女が不良に見えたのさ。大人になったつもりでいるただのクソガキ……それが志熊理科だと思うよ」
珍しく、ケイトが他人に厳しい評価を下したと思った。
この落ちぶれた私に対しても、あの小鷹に対しても友好的に接してきたやつだ。
神の意のままにと言うばかりのシスター。全ての人間に救いがある本気で思っているのだろう。
だが、やっぱりこの女は……どこかで諦めている。
下手すればこいつも……私と同じなのか?
「ふっ……。それは良いことを聞いた。これで私も……奴に見下されずにすみそうだ」
だがどこか、私はケイトの言うことに肯定していた。
天才と凡人は紙一重だ。そこに境界線を作ってしまうから、差別なんてことが生まれてしまうんだ。
人は生まれながらにして平等だ。だから……私は救われて当然なんだよ。
「それじゃ、また明日ね」
私の帰り際、ケイトはそう言って職務に戻る。と言っても夕食を食べるだけなのだが。
目的を果たした以上、いつまでも学校に留まっているわけにもいかないだろう。
さて、今日はどこへ寄り道しようか。できるだけ家には帰りたくない。
家は嫌だ。あの滑稽で汚らしい女が住んでいる。
あいつを見ていると、こっちまで哀れになる。私がとても可哀そうな人間だと、そう思ってしまう。
私はけして可哀そうなんかじゃない、私は負け組なんかじゃないんだ。
だから帰りたくない。あいつのいる所には帰りたくない。
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「あ、三日月」
私が第二職員室を出た所で、私のクラスの担任に声をかけられた。
いったいなんだ? 私はぼっちだが学園に迷惑をかけたつもりはないぞ。
「はい、どうしました先生?」
私は無愛想ながら、礼儀を尽くして対応する。
「羽瀬川のやつ、今日風邪で欠席しただろ? 今日の授業で配られたプリントをあいつの所へ届けてやってくれないか?」
担任はそう言って、プリント数枚と小鷹の自宅の地図を私に手渡した。
「……私がですか?」
「あぁ、お前達仲が良さそうだからな。それとも、お前も他の生徒みたいにあいつのことが怖いのか?」
そう、担任は私に質問をしてきた。
どうやら、私とあいつの関係以外に、私に声をかけた理由が大体わかった。
多分他の生徒にも声をかけたんだろう。だが奴らは小鷹の事を怖がって距離を置いている。
だから容赦なく断ったんだろう。それで余り物の私に周ってきたわけだ。
「そういうわけではありません。私でよければ羽瀬川君の所へ行きますよ」
「それはよかった。……余計なことだが、そういった君の真面目で優しい部分をもうちょっと表に出せれば、君もさびしい学校生活を送らずに済むのだろうな」
突然、担任は私の立場を見てか、そう心配する声をかけた。
正直言うと余計な御世話だ。それに……私が優しいだと。ふざけるな。
私は優しくなんかない。人にやさしくできる人間じゃない。そんな資格なんてないんだ。
落ちぶれた奴の優しさなんて同情にしかならない。その優しさが同類扱いを誘発し、結局は人間関係のもつれに発展する。
落ちぶれた奴らが集まった時、皆が考えるのは「自分が最初にこの状況から脱却する」ことだ。
そこから上のランクへと上がった時初めて……その優しさが、卑劣で残虐な感情に変わる。
「優しい……ですか?」
「あぁ。みんな転校してきた羽瀬川の事を悪く思う中、君はあいつを悪く思わなかった。あの髪の毛は地毛らしいな、私はそれを知っているからあいつは見た目よりも悪い奴じゃないとなんとなくわかる」
「……」
「だがどうにも他の生徒達は、羽瀬川の事情をよく知らずに悪い奴だと決めつけて距離を置いている。人を知るというのは、難しいことだと私は思うよ」
担任はそう、深刻そうな顔つきで私にそう語った。
この教師、あまり会話をしたことはなかったが、幾分全うなことを言うじゃないか。
私自身も嬉しくなってくる。あいつのことを誰よりも知っているはずの私からすれば、その評価は自分の事のように嬉しい。
その表情に教師としての身分が出ていないことを、私は願いたくなるくらいだった。
「……確かに、難しいかもしれませんね。特に私のような、除け者には尚更」
「そんなことはない。なんでも最近頑張っているそうじゃないか、いいことだ」
「ありがとうございます」
「それに聞いたぞ。昼休み特別教室棟で倒れている生徒を介抱したそうじゃないか。携わった一年生が君のことを尊敬していたぞ」
昼休み、志熊理科の事か。
確かにあいつを私は助けた。だが、それは本心で助けたわけじゃない。
人を知るのは難しい。知りすぎたところに善悪が見つかるから。
私のその行動が、完全な善であったと心底言えるだろうか。
私にはその自信が無い。だから私は尊敬されるに値しないだろう。
「そうですか。それは光栄なことです」
そう、私は思ってもいないことを口に出す。
「ま、これからも頑張りなさい。今回は……よくやったな」
そう、担任は私を褒めて、職員室へと戻る。
なぜだろう、このむず痒さは。
私は嬉しいのか。褒められたことに対して、快楽を感じているのか。
「よくやった……か。私はまだ、スタート地点にすら立っていない」
そう自分を戒め、校舎から出た。
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そしてバスに乗り、自分の住む自宅の近所まで移動する。
幸い私の家と小鷹の住む自宅は近い。自宅の場所までは知らなかったが、近所なのは知っていた。
「小鷹の自宅か。まさかこんな形で行くことになろうとは……」
いずれは赴くつもりだった。
失ったあいつとの関係を取り戻してからな。
そう、親友としてあいつの家には行くつもりだったんだ。
今回のこれは、私にとっては色々と都合のいい厄介事となった。
これで寄り道もできるし、最高の時間つぶしになりそうだ。
「……初めて来たが、あいつ良い家に住んでるな」
バス停から数分歩いて、小鷹の自宅にたどり着いた。
そこにあったのは立派な一軒家。私のようなアパート住まいには一軒家は夢のような物だ。
私の家は金持ちではない。どちらかというと貧困だ。正直お小遣いにも余裕がない。
良い家に住んでいるやつはリア充。そう決めつけていたのだが、小鷹はリア充じゃない。
だから良い家に住んでいる奴でも、リア充じゃないやつがいるってことだ。また一つ大きな発見をした。
ピンポーン♪
私はチャイムを押した。
不思議と緊張という物はなかった。きっと、あいつと私はまだ友達ではないからだ。
今の私は担任の厄介事を押し付けられた一生徒にすぎない。だから、余計な感情に捕らわれなかったのだろう。
数分後、チャイムからなんとも可愛らしい声が聞こえてきた。
「も……もしゅもしゅ?」
もしゅもしゅ? なんかものすごく籠った声が聞こえてきた。
胸の内心地よく響く可愛らしい声、完全に小鷹の声ではない。というか小鷹がこんな声出したら私は引きまくる。
この声は女の声だ。だが母親の声にしては幼すぎる。
そういえば……あいつ妹がいるって言ってたな。ってことはこの声はその妹の声か。
妹に会うのは初めてだな。あぁ、そうかここで初めての人に会うという事象が発生するのか。
まぁ幸い年下だろうから、いつもの対人恐怖症は表に出ることはないだろう。
声を聞く限りリア充中学生でもなさそうだ。それだったら少しは対応が変わっていたのだろうけどな。
「あの、羽瀬川君のクラスメートですけど。プリントを届けに……」
私はいつものような重くのしかかったような声ではなく、透き通るような綺麗な声を出した。
いつもは意識して相手を威圧しているが、小鷹の家族は威圧しなくていい。
そして少し間をおいて、家のドアが開いた。
結構開くまで時間かかったな。何をモタモタしていたのやら……。
「あ、おじゃましま……」
そう、私が家へと入ろうとした瞬間だった。
私の少し下の視線に映った、妹らしき女の子に目が止まった。
羽瀬川小鷹の妹。どんな眼つきの悪い妹が出てくるのかと思ったら……。
あいつとは似て非なる、それが出てきた。
「…………」
それを見て、私はつい押し黙った。
小鷹とは異なり、綺麗でつややかな金髪。
目つきは悪いどころか引きこまれそうな青色。後なぜか片方が赤色。
虹彩異色症という言葉を聞いたことがあるが、そんな青色が赤色に、逆に赤色が青色に変わるだろうか。
その格好、黒のゴスロリ服が相まって。まるでなんかのキャラクターのようにも感じ取れる。
総合すると、絶対こいつ羽瀬川小鷹の妹なんかじゃない。
もしあいつとこの女の子が一緒にいた際には、警察が飛んでくるってくらいに……。
まさかとは思いたくないが、幼女を誘拐して面倒見させてるとかじゃないよな……?
「あの、ここ羽瀬川君の家で合ってますよね?」
ついそう質問してしまった。
こんな可愛い子のいる家にあんな凶悪面がいるわけがないと、瞬間的に思ってしまったのだろう。
「……あの~?」
「う……合ってます……けど?」
ようやくしゃべった可愛い女の子。
合ってるということは、間違いなく小鷹の家なのだろう。
いや待てよ、名字が同じだけというのも考えられる。羽瀬川さんじゃなくて長谷川さんだよきっと。
「え~と、小鷹くんいます?」
「……風邪で寝込んどる」
どうやらここの長谷川さんのところにも小鷹というやつがいるらしいな。
いったいどんなイケメンが出てくるのやら……。
「いいよ小鳩、俺が対応するからごほっごほ!!」
と、奥からこの女の事はまるで異なった濁った金髪の眼つきの悪い男が出てきた。
イケメンなんていなかった。そこにいたのはとてつもない凶悪犯だった。
「……おい、やたら失礼なこと考えてねぇかてめぇ?」
「あ、バレた?」
「口にしてなくともわかる。ここは長谷川さん家じゃなくて正真正銘の羽瀬川さん家だ」
そう、風邪の影響でただでさえ面構えが悪くなっているのに、迷惑そうな顔をする物だからもうそれは見るに堪えないものだった。
さて、小鷹いじりはこのくらいにしておいて、用を済ませないといけないな。
小鷹はとりあえず上がれと言って、すぐさま寝ている部屋に戻る。
「ごほっごほ! しかし悪いな、わざわざプリント持ってきてくれてよ」
「礼はいらん。同じ部員が風邪で寝込んでいるのだ。心配するのは当たり前だ」
本当は担任に言われてきただけなんだけどね。
「とりあえず、食べられそうなもの買ってきたぞ」
「お、悪いな……」
私は買い物袋を小鷹の枕の横に置く。
その中には、プリンが三つほど入っている。
それを見ると、小鷹は馬鹿にしているなといった具合に、表情を歪ませた。
「……ま、喉通しはいいし、買ってきてくれたものに文句は言えない。「このヘアースタイルが腐ったプリンみてェーだとォ?」と言いたいところだが我慢する」
「あぁ、我慢するがいい」
「……お前に風邪をうつせば、俺はこの苦しみから解放されるのか?」
「くはは。あいにく私は生まれてこの方風邪をひいたことがないのだ」
それを聞くと、小鷹は苦い表情をする。
そしてドサッとベッドに寝込んで、なにやら申し訳なさそうな表情に変わった。
「その……隣人部。俺が休んだおかげで大変だっただろ? 悪かったな、約束したのに……」
小鷹はケイトと同じように、隣人部がだめだったと思いこんでそう口にした。
どうにも、隣人部には希望の1%もなかったようだな。
「……何を言っているのだ? 部員なら一人集まったが?」
「……はぁ?」
「あぁ、私が本気を出せば入部希望者一人くらいなんて余裕だ」
「……風邪までひいた俺の二週間の頑張りはなんだったんだ」
「安心しろ、君の頑張りは無駄じゃなかった。私が行動するための糧になったのだ」
「くっそ、お前が男だったらぶん殴ってるのに……」
そう小鷹は悔しそうに苦言を漏らす。
さっきの安心しろは、けしてお前をからかったわけじゃない。
その言葉は本当だった。お前が頑張ったから、私はその頑張りに報いたくなったんだ。
だから私はあのような屈辱すら耐えられた。全部……お前のおかげなんだ。
羽瀬川小鷹……お前がいたから、私はここまで頑張れたんだよ。
「……そっか、でも……よかった」
小鷹は、抱えていたものを吐き出すように言った。
その時、風邪も相まって苦しそうだった小鷹の表情が、穏やかになった。
自然とこぼれたその笑みに、今までの人相の悪さはなかった。
それは、人の優しさが籠った本当の笑みだった。
「……ふふ」
「あ、今お前笑ったな?」
「わ、笑ってない……」
「そうかよ。ったく、笑ったら可愛い奴なのに」
「ふっ……ふざけろ馬鹿!」
思わず、小鷹のカミングアウトに私は恥じらいを見せてしまった。
そんな毎日笑っていられるほど、私は能天気じゃないんだ。
「明日までにはなんとか治すから、改めてよろしくな。部長」
「あぁ、こちらこそと言わせてもらおう」
お互いにそう言葉をかけ合った。
この時、失ったはずの友情の断片が、垣間見えたようだった。
小鷹。これからだぞ。私たちの青春はここから変わるんだ。
このくだらない孤独な青春に反逆し、私たちは本当の青春を手に入れるんだ。
――私とお前の、二人だけの再興の青春をだ。
そして帰り際、階段を下るとそこには先の妹がいた。
確か玄関で小鷹はこいつを"小鳩"と呼んでいた。
ってことは、こいつの名前は羽瀬川小鳩と言うのだろう。
「あ、こんな夜遅くに尋ねてすまなかった」
「うっ……」
鉢合わせをすると、小鳩はどうにも不機嫌な表情を浮かべた。
ちらりとテレビに目を移すと、そこにはアニメが映っていた。
なるほど、どうにも物の影響に流されやすいようだな。
まぁ、このくらいの年ごろはアニメを純粋に楽しめる年ごろだろうしな。
「……何を見てるの?」
私は小鳩に対して優しく接する。
ちなみにこの何を見てるのは、なにガン飛ばしてるんだこのガキという意味じゃない。なんのテレビ見てるのという意味だ。
序盤でも説明したように、私は子供は嫌いじゃない。
最も、礼儀のなっていないクソガキは嫌いだけどな。
「……くろねく」
「くろねく、あぁ鉄のネクロマンサー。お姉ちゃんもたまに見るけど面白いよね~」
年上相手に馴染めない子供の心を掴むには、相手の得意な科目に触れてあげるのが近道だ。
大人だって同じだ。知らない環境に置いても自分の得意なジャンルにおいてはすぐに話を合わせることができる。
「う~」
私がそう声をかけると、小鳩とやらはまた唸ってしまった。
どうにも恥ずかしがり屋か。にしてはやたら警戒しすぎのような……。
まぁ自分も人の事言えないし、最近の子供はそういうのが多いのか。
少なくともこいつと"近い歳"であろうあのシスターのクソガキと比べれば、こっちのほうがまだ可愛げがある。
「えぇと……小鳩ちゃんはなんのキャラが好きなの?」
私がそう、質問をすると。
突如、小鳩は目を光らせ、そしてポーズを取った。
「小鳩……? 誰の事だそれは。私は偉大なる夜の王――レイシス・ヴィ・フェリシティ・煌であるぞ!!」
「……へ、へぇ」
そうかっこよく、自分の源氏名を私に名乗った。
さっきとは打って変わって強気で勢いよかった。
その格好といい口上といい、アニメの影響を強く受けているな。
ん~。なんだろう、すっげぇめんどくせぇ。このガキ超めんどくせぇ~。
「そ、そっか。ごめんねスメラギさん」
そう私はあえてその源氏名の方で呼んであげた。
出来た大人は子供のペースに合わせてあげるものだ。けして自分の矜持を子供に押し付けたりはしない。
「うっ……。そ、そうだ我を讃えるがいい!」
私が素直にスメラギさんと呼んであげると、またもこいつは戸惑った。
なんというかこいつ、私と同じ匂いがするぞ。
子供特有の恥ずかしがりというよりは、人間そのものが怖いって気がする。
お前の場合まだ始まってもいないんだから、私みたいになったら駄目だぞ。
「しかしスメラギさんは偉いね。"お母さん"とお父さんが帰ってくるまで必死にお兄さんを看病してあげるなんて……」
私はアニメから話題を移して、小鳩のことをそう褒めた。
子供は褒められれば大抵なつく。言ってはいけないがお約束だ。
……だが、この時その汚い発言を、勢いよく裏切ったのは小鳩だった。
小鳩は突如、眼つきをキッと鋭くした。その一瞬だけ、兄の小鷹にも似た鋭さを感じ取る。
平和を運ぶ鳩でさえ、時として獲物目掛けて狩りをするかのように。
小鳩のそれは、私に敵意を示していた。
「……えっと」
そこで戸惑ったのは、私だった。
こんな小さい女の子相手に、何を後ずさりしている。
「……おとーちゃんはお仕事で海外に行っちょる」
「そ、そうなんだ。お父さんは忙しいんだね。あんまり"お母さん"を困らせるのはだめだよ~」
「……っ!!」
そう私が何気なく言ったこの一言に、小鳩の目が更に鋭さを増した。
そこに、最初に感じた愛くるしさはもうなかった。
そして、小鳩は自分の感情を押し殺すようにこう言った。
「……おかーちゃんなら帰って来うへんよ」
「……え?」
「おかーちゃんは……"死んだ"」
それを聞いた瞬間、私は背筋が凍りついた。
鳥肌が立った。こんな小さな子が、母親の死を躊躇なく口にしたからだ。
そうか、小鷹の家には……母親がいないのか。どうやら、いらぬことを言ってしまったようだな。
「……ごめんなさい、その」
つい、本気で謝ってしまった私。
この場合はあやまって当然だ。こんな小さい子にそんなことを言わせたのだから。
己の家庭事情他人に言うなんて、大人でさえ辛いことなのに。
それをこんな……とてつもなく罪深い。私は馬鹿だ、大馬鹿だ。
自分だけ不幸ぶって、自分だけ可愛そうだと思われたくないと被害者面しやがって。
だから……嫌いなんだ。自分が。
「さびしくなんてない、余計な御世話じゃアホ」
そう、厳しい口調で私に言ってくる小鳩。
そっか、お前のその他人へ向ける怯えは、そういった裏事情があるのだろうな。
それを素直に認め、この場から退散すべきか。
いや、私にはどこか認めきれないプライドがあった。どこかこの子に言っておきたい言葉があった。
それはけして、こんな小さな子に言っていいものじゃない。
だけど私自身が不完全だから、私はつい……それを口にしてしまった。
「……お前は、それをどう思ってほしいんだ?」
そう口にした瞬間、小鳩が呆気にとられたような顔をした。
「……どういう意味じゃ?」
「お母さんがいないことに対し、私にどう思ってほしい? 私になんて言ってもらいたい?」
「……あんたには関係ないことじゃ」
「あぁ、関係ないだろうな。だけど、私も似たような境遇を持っているからわかる。「可哀そうだ」なんて、絶対に思われたくないんだろう?」
「…………」
図星だった。
言葉にしなくても表情で伝わる。私が言ったそれは、小鳩が思うことのそれだった。
「だから私は、こんな時どう言っていいかわからないんだ。かといって謝られても、どう変わるわけでもない」
「…………」
「……すまなかったな、お兄さんによろしく頼む」
そう最後に言い残し、私はそのまま外へと出た。
完全に嫌われたかな。はは、だから私は駄目なんだ。
担任は私に優しいといった。けど、結果はこれなんだ。
優しさに偏見を持っているから、優しさを信じきれないから、こうなるんだ。
結局最後にボロを出して、人に憎まれることになるんだ。
それが、三日月夜空の人間性なんだ。
人に好かれたくても、人を知りたくても。
――結局最後は……。