桜は夕食には少々早い時間だがホテルのディナーブッフェを利用していた。
皿には多種多様なおかずがちょこんと盛られている。明日も試験が続く。面接と心理テスト、身体検査。皿に山盛りしようものなら奈津子のへそを曲げる様が思い浮かんだ。
「負けてもうたなあ」
いただきます、の代わりに呟いて合掌する。箸を手に取り、キュウリの千切りとレタスをつまみ上げて口の中に放り込む。箸を動かしながら実技試験のことを思い返していた。
桜が三発目を被弾を許したとき、先の先を読んだつもりがうまくいかなかった。
「ほんまに昔から巴戦が下手なんや」
背中を取ったつもりが瞬時加速で緊急回避されて、うしろを取られてペイント弾を打ち込まれた。桜は背中に直撃を受けた感触に、今になって身震いした。そして死の直前、四〇ミリ機銃によって肺を潰された記憶がよみがえり、片手で胸をまさぐった。
硬い胸板が柔らかなふくらみに変わったことに対して、思い出したように戸惑いを感じる。周囲が女ばかりなら、作郎の顔が消えて桜として振る舞うことができる。だが、作郎に戻るとしばらくの間、女の身に違和感を覚えてしまう。今がそうだ。男のつもりで戦うと、気持ちが
そうかと言って解消する手段もない。作郎だった頃ならばタバコをくわえるか、女を抱きに行った。桜として生まれてからはタバコに手をつけていないし、吸いたいとも思わなかった。
――あのお姉さん、眼鏡がない方が可愛かったなあ……。試験中はちょっと怖かったんやけど。
作郎の視点から見て真耶は良い女だった。征爾に頼んで嫁を探すなら、真耶のような女だったらよかったのにとさえ思う。作郎は義姉のように心根が優しい女が好きだった。
――かといって男とそういうことは……。
桜は男友達と一緒にいると、つい作郎でいた頃を思い出して、今は女の身だとを忘れてしまいそうになる。男友達が桜を女として見ていることを知ったのは、中学に上がってから交際を申し込まれたのが発端である。その後も何度か先輩や同級生に交際を申し込まれていた。桜は男と致す自分の姿を想像することができず、すべて断っていた。
作郎でいた頃は女性と好き合ったことがない。男女の交際がいかなるものか知らなかった。子供の頃、義姉の中に女を見て、不義理な感情を抱いて自己嫌悪に陥ったことがあるくらいで甘酸っぱい経験とは無縁だった。
――とりあえず奈津ねえに電話しよ。
変な気を起こす前に奈津子の声を聞くのが一番だと思った。
桜は
「うわっ。うまいな。これ」
▽
一般入試の全日程が終わり、実技試験に立ち会った職員が一堂に会して生徒の選考を行っていた。
出願数一二万のうち、一次試験を突破した者が四〇〇〇名である。二次試験では、主に実技試験で開始三〇秒以内に三発直撃弾をもらった者を除外するとかなり絞り込むことができた。
受験生の中には素人にもかかわらず、弾幕の中をひたすら逃げ回り、被弾率ゼロの者が一名いた。その受験生は全員一致で合格としている。予測射撃を加えて逃げ切ったということはつまり、機体の制御技術と先読みに長けているものと考慮しての合格である。
真耶は他の職員と同様に、隣の席で腕を組んで座る同僚に声をかけた。
「織斑先生、この子なんてどうです?」
受験番号五二〇番を画面に映し出した。
「山田君が大人げない真似をした受験生だな。素人相手に瞬時加速まで使ってしまうとは……君はいったい何を考えていたんだ」
「それを言われると耳が痛いです……」
真耶は頭に手を置いて苦笑いをしてみせる。当日の反省会で千冬や松本たちにさんざん絞られたことを思い出す。すぐに真剣な顔つきになって身を乗り出した。
「でもっ。武装の実体化速度を見てくださいっ! 〇.五秒ですよ! ちょっとすごくないですか?」
真耶の興奮した様子に少し引き気味になりながらも、千冬は渋々と言った風情で試験記録に目を通す。
「最初の一分間は逃げに徹していたのか」
「まず、この子がすごいのは三〇秒後の最初の一発を避けたことにあるんですっ」
「ふむ……。確かにきちんと対応しているな。そのタイミングで被弾しなかったのは……五二〇番と被弾率ゼロの受験生の他には推薦入試合格者だけか。だが、山田君の動きがわかりやすかったというのも否定できないな」
「わかりやすく動いたんですよ。合否判定の項目として上がっていたじゃないですか。注意力という項目がありましたよね」
「確かに。あの項目を作ったのは私と松本先生だ。わかりやすい動きをするように指示したのは私だ」
「でしょう? 試験の時、あの子の気迫がすごかったんですよ。途中で私、本気で
「殺される……?」
「そうなんですよ」
千冬は投影モニターに向かって手をかざし、桜の顔写真が貼られた書類を呼び出した。更識家と学園防諜部が共同でまとめた身辺調査書である。千冬は指先で書類の角をつまむような仕草でページをめくっていった。
「調査書によれば、家庭環境は問題なく家族関係は良好。交遊関係も良好。中学に素行の悪い生徒がいるが、これといった付き合いは無し。近所の評判も良し。補導経験なし。渡航経験なし……特に問題ないな」
さらに面接や心理テストの結果にも目を通したが、特筆すべきところはなかった。
真耶は背もたれに身を預け、千冬の様子を見つめる。
「あれは人を殺した事がある目でしたよ……もちろん、それぐらい鋭かったって意味ですけど」
「単に余裕がなかっただけではないのか?」
「余裕がなかったら逃げますよ。普通。でもこの子、私の現役時代みたいな嫌らしい撃ち方をしてきたんです」
「それに
「銃火器の扱いにも慣れているように見えました。織斑先生。渡航経験もない日本人の、それも一五歳の少女が初めて実物の機関銃を見て、当たり前のようにしていられると思いますか?」
千冬はやや間を置いて首を振った。
「いや……うまく想像ができない」
真耶は珍しく冷徹な表情を見せた。
千冬は真耶の表情の変化を敏感に感じ取り、その瞳をのぞき込んだ。
「彼女とやったとき、ロックオンアラートがほとんど途切れませんでした。常に銃口を私に向けていたんです。射撃管制装置が組み込まれているとはいえ、空中を飛んだり跳ねたりしたらアラートが途切れるものです。射撃に驚いて逃げるのが普通の反応です。弾道特性を把握するための試射をしたり、未来位置への躍動射なんて、学園の二年生でもやる生徒が少ないんですよ。予測誤差を考慮した射撃とか、戦闘機動に長けた人でもめったにやりませんよ。しかも、受験時のIS総稼働時間はゼロ時間です。センスで片付けられるほどお人好しじゃいられません」
「山田君は何が言いたい」
「はっきり言って
千冬は何度も瞬きした。
「異常か……君は自分の言っていることが分かってるのか」
「もちろんです。彼女はまるで良く訓練された兵士のようでした。判断力が高く、常に最善の攻撃手段を模索する。視野も広い。私も試合でドイツのシュヴァルツェ・ハーゼ所属の選手と対戦しましたが、それに近い感触を抱きました。これは憶測ですが、彼女は
「それこそ馬鹿な妄想だ。彼女は白だ。実績と言えば陸上で大会に出場したくらいだぞ。……君は一般人に対して疑義を抱いているというのか」
「はいっ!」
真耶がにっこり笑う。
その姿を見た千冬は額に手をあてて嘆息した。
「彼女は合格でいいんじゃないかなって思ってます。実技点は文句なしの高得点ですから」
「……判定欄に丸をつけておこう」
ありがとうございます、と真耶が返事した。
「まだ何かあるのか」
真耶は、言いにくそうにはにかみむ。千冬を上目遣いで見やり、意を決して再び身を乗り出した。
「それからお願いがあります」
「何だ」
「彼女を特待生として迎え入れることはできませんか」
千冬が真耶の申し出に驚いた。
「そこまで買っているのか。彼女の待遇について、私としては反対するつもりはないのだが……」
千冬がチラと、奥の席で書類を手繰り寄せた松本を
「はい。特待生なら彼女も断りにくいと思うんですよ。万が一断るような事態になったら、両親を説得してうちに入学させてしまいましょう。あんな殺気を出す子を
「……山田君」
「なんでしょう?」
千冬は真耶のことが急に憎たらしくなって軽く腕を振っていた。
頭をはたかれたと知った真耶がわざとらしい涙を浮かべ、机に向かって顔を伏せる。と思いきや、すぐさま千冬に向かって抗議の声を上げた。
「何するんですか! パワハラですよ! 訴えますよ! 他の先生方が証人に……もちろん、冗談ですよっ?」
真耶のあざとい泣き真似を見抜いた千冬は、気のない声で「はいはい」と口にして彼女を無視した。腰を上げて他の先生方を見回す。
「五二〇番を合格でかつ、特待生として推薦することに意見がある方はいませんか」
千冬と真耶のやりとりを耳にしていた教師が「いいんじゃないですか?」と同意する。だが、その声は奥の席から響いた声によってかき消された。
「織斑先生。よろしいですか」
千冬は生唾を呑み込んで身構えた。
声の主を見つめる。他の生徒の選考を行っていた松本
彼女はIS搭乗資格を持つ教員の中でも最年長の三四歳で、第一世代からISを乗り続けたベテランパイロットだった。
彼女は有事の際、千冬と同じく実戦指揮を取る役目を担うことから、学園防諜部や警備部に対して強い発言力を持つ。またIS学園の教員としては松本が先任で、その権限と影響力は千冬を上回っていた。
なお、千冬と松本は第一回IS世界大会の代表選考会以来の付き合いである。
「彼女の合格に異論はありません。しかし、特待生として迎えることに反対です。総搭乗時間五〇時間未満の者に特待生資格を与えた前例がない」
松本が、あえて高い声を抑えるようにして話す。
「松本先生。学園の特待生選考基準には、優秀な操縦技術を有する、としか書いてありません。具体的な時間までは明記されていない。前例こそないが、選考の条件は満たしています。適性も高い。それに搭乗時間が技量と必ずしも比例するわけではない事は松本先生もご存じのはずでしょう。山田君が推すのだから、書類に記載されていない何かがあるんですよ。彼女には」
「……何の後ろ盾もなく、待機時間を含めても搭乗時間がたった三〇分にしかない者に予算を割り当てられません」
「五二〇番は初めてISに乗ってあれほどの動きが出来る。彼女は我々の常識を超えています」
「私も記録を見ました。素人の動きとはとても見えない。鍛えればすごいことになるかもしれない。ですが……」
「支援に来ていた技術者も彼女のことを随分と褒めていましたよ。めったにないことです」
松本は不服なようだった。
毎年、技量に優れた生徒が入学している。その中で五二〇番は特に異常である。実技試験の加点だけならば五〇一番や他の代表候補生たちに近い。IS適性は五〇一番、つまりセシリア・オルコットと同じ値を示していることから、桜の資質は受験生の中でもトップクラスだった。
IS学園にも様々な教育機関と同じく成績優秀者を優遇する制度が存在する。しかし企業や政府の後押しを持たない一般入試合格者に適用された前例がなかった。
真耶の提案に賛同した根拠を提示しなければ、と考えた千冬が席を立った。
「松本先生。少々お話があります……」
千冬は松本を誘って部屋から出る。松本がいぶかしみながらも後に従った。千冬は扉を閉めて向き直った。
「実は先日、倉持技研の第三世代先行試作機の担当が……」
千冬の切り出した言葉に、松本が驚いたように目を丸くした。
例年、実技試験の支援の名目で倉持技研や四菱からISやその周辺技術に関わる技術者が派遣されてくる。試験で使用したISの洗浄や整備、試験会場の設営や管理などは彼らがいなければ成り立たなかった。
千冬は周囲に誰もいないことを確認してから、企業の営業や技術者から教えられた情報を伝える。
「五二〇番に対して、既に、第三世代先行試作機の専任搭乗者として名前が挙がっています。その機体というのが……篠ノ之博士が例のISソフトウェア搭載を条件に、彼女が研究用に保持していたISコアを譲渡して共同で作らせた
「もしかして……
「はい。その通りです」
千冬は松本の顔を見つめて神妙にうなずく。松本は扱いの面倒な話になる予感がして険しい目つきになった。
四菱版打鉄とは、流行に逆らうかのように全身装甲にこだわり続ける四菱系企業が外装を設計し、倉持技研が駆動系やイメージ・インターフェイスなどを設計した機体である。第三世代先行試作機という位置付けのため、実験的な要素が組み込まれており、千冬が口にした「例のISソフトウェア」もその一つである。また半露出型装甲を採用しなかったために多くのISファンを敵に回したことで知られている。
倉持技研はISコアの所有権を譲られたこともあって命名権を得ていた。だが、本来ならば打鉄壱式と名付けられて然るべき機体は、共同開発の性格上、倉持技研の技術体系から外れる部分を多く有していたために、あえて
機体の開発は既に終わっていた。曰く付きとされるのは、最後の仕上げとして篠ノ之博士から提供された「例のISソフトウェア」を導入したところ、相性問題を引き起こしてパイロットの操縦を拒否するようになってしまった。ISコアの出自から安易に分解して初期化することもできず、原因究明の努力が続けられていた。
「織斑先生。四菱版打鉄は倉庫で置物になっていると聞き及んでいます。
「ただ、倉持技研によれば……そのうち最適なパイロットが現れるからそれまで待て、と篠ノ之博士が発言していたそうですが」
「五二〇番がその適性を持つと?」
「倉持の技術者が持ち帰ったデータで確認を取ったそうです」
千冬は懐から一枚の名刺を取り出し、松本がのぞき込む。表面には倉持技研のロゴと「堀越」という名字が書かれていた。
実技試験のデータを企業が持ち帰るのはIS学園の設立以来、制限付きで行われている。詳細データのチェックや、素人が見せる予想外の動きを確認するとの名目である。
「非公式ですが、四菱も五二〇番を支援する用意がある、と申し出ています」
「……ソフトのデータ収集のため、ですか」
千冬がうなずく。胸の前で両腕を組んだ松本がゆっくり息を吐く。
「企業が後ろ盾になるのであれば致し方ないでしょう」
「……松本先生」
「上には私と織斑先生、山田先生の連名で話を通しておきます」
「ありがとうございます」
千冬が席に戻った。すると真耶が心配そうな顔つきになって声をかけた。
「どうでした?」
「うまくいったよ。松本先生から話を通してくれると
真耶の喜ぶ様を見て、千冬が笑みを浮かべた。
いくら千冬がブリュンヒルデの称号を持つとはいえ、未だ二〇代に過ぎない。年齢ゆえに軽く見られることがあった。
松本はIS世界大会での優勝経験こそないが、地道に積み重ねてきた功績は世間的にも評価されている。年齢のこともあり、千冬以上に重く見られることが多かった。
遅れて自席に戻ろうとした松本が、何事か思い出したように千冬たちの元に向かった。真耶と軽く言葉を交わしていた千冬が彼女に気付いて顔を上げる。
「そうでした。
これで「中学三年生」は終わりです。次回から新章に入ります。