IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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某国の密偵疑惑(三) クラス代表

 昼休みの生徒会室。本音の他に人影はなかった。

 室内は薄暗く厚手のカーテンが光を遮っているのだと気付いて窓際に向かい、陽に焼けた裾を引っ張る。力強い直射日光がその瞳に飛びこみ、あまりのまぶしさにまぶたを閉じてうつむいてしまった。

 そのまま踵を返して、長机へと向き直る。パイプ椅子の背に姉の忘れ物と思しきカーディガンが残されていた。

 本音の足取りには迷いがあった。力なくよろめくようにして椅子に腰掛け、

 

「やっぱり早まったのかな~」

 

 と独りごちて売店で買ったパンの袋をつまみあげた。

 頬杖をついて袋を破る。どこか虚ろな目つきでパンを半分ほど外に出した。

 昨日の任務。監視対象が見せた狂気の色。そして失態。ひとつひとつの事実が本音を悩ませる。

 ――結果はどうあれ、私ひとりじゃ判断できない。

 もう何度目になるかわからないため息をつく。教室には居づらいし、そうかと言って食堂は好奇の目にさらされてもっと厳しい。もしかしたら悪意の視線も含まれているかも知れない。

 ――職業病なのかな……。

 他人を見たらまず疑え。ずっとそのように教育されてきた。まさか自分が疑われる立場になろうとは思っても見なかった。

 学園生活二日目にして本音は人生最大の危機を迎えていた。幸い相談相手がいるのでひとりで抱え込む必要はない。だが、現状を報告することは本音の心を締めつけていく。

 

「でも……でも……ああ言わないと私が」

 

 ――消される。

 昨晩、一〇二六号室の出来事の記録は解析に回されており、監視者から桜の異常な言動について指摘が入っている。

 ――私を擁護してくれたのはうれしいけど……おじょうさまが同じ判断をするとは限らないんだよね。

 記録映像は天井から見下ろしたもので、桜が奇妙な言動をしたときの表情までは残されていない。だが、本音はあのときの桜の顔を鮮明に覚えている。一五歳の少女ではない、もっと別の何か。

 二人だけになったとき桜は恥じらいながら、

 

「さっきのは忘れて」

 

 と耳元で囁いたので、それ以上追求することができなくなっていた。

 ――私の中の誰かを……ああ……対象は、自分で言ってたな。分隊士……それに布仏静って。

 ふと突拍子もない妄想が思い浮かぶ。

 ――怪談、輪廻転生、憑依……。オカルトだよね~。そういうのって好きだけどおじょうさまを納得させるだけの根拠がないよね……。

 本音は頭を振った。受け入れがたい現実を前にして妄想の世界に逃避して、落ち着きたいと願っているのだ。願望の世界に浸かってずっと夢の中にいたかった。

 姉の私物であろうマグカップを手にして、壁際の電気ケトルの湯を注いだ。

 ――先代ならともかく、おじょうさまなら、転校で許してもらえる?

 ティーパックから紅色がにじみだす。マグカップの中を見つめるうちにすべて紅になった。

 一七代目楯無は先代楯無と比べたらまだ血の通った人だ。今の楯無は組織の長としては不完全だ。人情に溺れやすく、実力が不安定だと評されている。本人もそれを自覚するだけに、あえて私心を押し殺そうとするのではないか。

 ――やっぱり転校も嫌。

 本音の代わりが他にもいるという事実を思い出す。更識家が運営する教育機関では、身寄りのない子供を引き取って手駒とするべく教育(洗脳)を行っていた。

 

「モッピーだけだったら、まだ良かったのに」

 

 本音は相川と櫛灘(くしなだ)を思い浮かべ、思わず頭を抱えてしまった。

 二人は本音のクラスメイトにして一〇二七号室の住人だった。

 箒に桜を押し倒した姿を見られて、ルームメイトを襲ってあまつさえ馬乗りになって口に出すのもはばかられる行為をした、していない、という口論になった。開き直った本音が悪いとはいえ箒の誤解を解こうと躍起(やっき)になっていたところに、相川が開けっ放しだったドアから入ってきた。

 

「彼女は悪くないんだよ……彼女は」

 

 相川は裸で涙に()れた桜の姿と、乱れた制服姿の本音を見つけたにもかかわらず適切な判断を下していた。興奮する箒を落ち着かせ、桜を介抱するように指示を出したかと思えば、助けを借りるべくルームメイトの櫛灘を呼びに行っている。誤算は異常な状況を本音ではなく、箒が主観的に状況を説明してしまったことだろう。

 

「冷静な顔だったから、頭から信じていないのは確かだったんだけど」

 

 ――あの笑顔が忘れられないよ……。

 相川から事実を告げられた櫛灘は、顔を出すなり黄色い声を上げた。

 

「ごめん……忘れ物があった。すぐ戻る」

 

 櫛灘はそう言った。

 正直なところ、本音は櫛灘の行動力を見くびっていた。クラスメイトどころか他クラスの子に明るく声を掛けては、あっという間にアドレス交換していたから、気さくな人物という程度にしか認識していなかった。

 だからといって、「布仏がルームメイトを襲って美味しく食べた」といった文面のメールをアドレス交換した生徒全員に飛ばさなくとも良かったではないか。

 本音は今となっては、櫛灘が人の皮をかぶった悪魔に見えていた。

 気まずいながらも桜とお互いの過失を謝罪し合っていたら、世界の終わりを告げる櫛灘のメールが届いていた。

 情報の怖さを思い知ったのは、桜を食事に誘いにきた朱音がルームメイトの簪と一緒に部屋を訪れた時のことだ。

 ――うう……かんちゃん……。

 朱音経由で簪の耳に入り、猛威をふるった。

 

「……もしかして……ずっと……私もそういう目で……見てたの?」

 

 簪はおびえた視線を向け、本音が弁解しようとしたら逃げてしまった。箒に誤解されたことよりもむしろ、こちらの方が(こた)えた。

 パンをかじりながら、簪との関係にひびが入ったことを悔やみつつ、空いた手を額に当てる。

 ――今朝、みんなの視線がおかしかった……。

 鏡と谷本が気をつかって話しかけてくる姿が痛ましかった。彼女たちは決して昨日の話題に触れなかった。

 アールグレイの香りが鼻孔をくすぐる。飲み頃になったので、ティーパックを取り出してマグカップに口をつけた。レモンの輪切りが欲しくなって辺りを見回す。

 すると、廊下からヒーロー物の主題歌と思われる鼻歌が聞こえ、生徒会室の前で止まった。

 本音はパンを口に運んだ。程なくして扉が開き、楯無が売店の惣菜パンと紙パックを持って現れた。

 

「おじょうさま。こんにちは」

「こんにちは。本音」

 

 生徒会長席に腰掛けた楯無を見つめて、本音は緊張しながらパンを飲み込んでいた。

 楯無は本音の存在を気に掛けることなくパンと紙パックに差したストローの間を行き来した。食事に一段落したところで、

 

「昨日の件、報告してもらえるかしら」

 

 机に両肘をつき、掌底の上に顎をのせる。笑みを浮かべ本音の反応を待った。

 

「もう報告がいっているとは思いますが、かいつまんで……」

 

 本音はおっかなびっくりといった風情で昨日のいきさつを話した。一〇二六号室に入るところから、相川が櫛灘を呼びに行くところまでを簡潔に述べた。

 

「ありがと。監視の報告書と一致しているわね」

 

 本音はほっとため息を吐いた。楯無の表情が笑みを浮かべたまま変わらなかったからだ。

 

「ちょっと確認したいことがあるから、情報を整理しましょうか」

「……お願いします」

 

 楯無は緊張する本音がこれ以上萎縮(いしゅく)しないように気を遣って微笑(ほほえ)んだ。

 布仏静については楯無も概要を知るくらいだった。数年に一度の頻度で特攻隊絡みの取材申し込みがある程度で本音も楯無も詳しく知らなかった。布仏の家に生まれたということはつまり、更識家暗部に関わりのあることまでは予想がついた。

 

「対象との接点は?」

「説明会の時に顔を見かけたくらいで、実質昨日が初対面でした」

「対象の言動からして布仏静の関係者よね。連城先生にそれとなく探りを入れてみるか」

 

 本音は聞き慣れない名前を耳にして、入学式の記憶を漁った。

 

「連城? ええっと三組の先生?」

 

 楯無がうなずいた。

 

「昔、虚が日本史の自由課題で戦争関係を調べていたのよ。そうしたら先生のおじいさんと、話題の静さんが同じ基地にいたことがわかったの」

「お姉ちゃんそんなことやってたんだ」

「確か先生が、おじいさんの名前が出てきた書籍の目録を作っていたはず。後は、あなたの家に頼んで彼の遺品を調べてもらいますか。布仏家と佐倉家の接点も戦前までさかのぼって洗った方がいいわね」

 

 楯無が生徒手帳の余白に走り書きでメモを取り、すぐに顔を上げた。

 

「対象の、今朝の精神状態はどう?」

「いたって普通だったよ~。お互いに気を遣ってぎこちなかったけど、昨日みたいなことはなかった」

「対象をつれて一緒にカウンセラーに診てもらいなさい。学校指定の人なら更識(うち)の息がかかってる。頼めば協力してもらえるから」

 

 カウンセラーの存在については、本音も玄関前の掲示板に張られた案内で知っていた。

 IS学園では親元を離れて寄宿舎生活を営むことから、入学して間もないの頃は集団生活に不安がある者やホームシックにかかった者がカウンセラーの元へ訪れることがよくあった。日本語習得が不十分な留学生は特に言語の壁から孤立しがちなため、学校生活になじむ手助けをする役目も担っていた。また、二年生になると搭乗者の道が絶望的となり、一般大学への進学を志す者が出てくる。教員に言い出しにくい相談の受け皿となることも多い。

 

「さて」

 

 楯無が懐から扇子を取り出し、本音に見えるように広げて見せた。そこには「仕置き」と書かれている。

 本音はパンをあわてて紅茶で流し込んだ。

 

「食事も終わったことだし、とりあえず正座しなさい。椅子の上でいいわよ」

 

 本音は曖昧(あいまい)な笑みを浮かべたまま、(こうべ)を垂れて言われた通りにした。

 楯無を一瞥(いちべつ)すると目が笑っていなかった。歪む口元を扇子で隠している。

 

「それで報告した内容の後で、対象と何か話をした?」

「一応自己紹介とお詫びを少々。ものすごく気まずくて気まずくて~」

 

 楯無は返事の代わりに扇子を閉じ、もう一度開いて見せた。

 本音は楯無が口を開くのを待った。

 

「対象とどんなことを話したのか教えて」

「自己紹介とクラスと出身地など調査書に書いてあった内容を一通(ひととお)り。突然奇妙なことを口走ったことへの謝罪と、妙な誤解を与えてしまったことへの同情とか」

「自分が何者か口にした?」

 

 楯無が事務的に聞いたので、すぐさま本音は首を振った。

 

「話したくないみたいで、目を伏せてヒントになるようなことは何も。また暴れられては困るので追求しませんでした~」

「薬物をやっていた可能性は」

「特には。正常な瞳孔でした」

 

 その答えを聞いて楯無は目を細めた。目を見なかったことから桜が嘘をついているのは明らかだ。そのくせ、錯乱していたという事実がしっくりこない。桜への人物像が定まらずやきもきした気分になった。

 本音は楯無が考え事をしていたので少しでもヒントになればと思い、桜が鬼気迫る表情でつかみかかってきた時に感じた印象をそのまま言った。

 

「おじょうさま。対象ですが、貴様って言葉を使っていたから、旧軍の亡霊の生まれ変わりとかじゃないかな。よく霊が憑依(ひょうい)とかあるよね~」

「ばかばかしい。それこそ根拠がない。どうやって証明するの」

「……だよね~」

 

 案の定強い口調で否定されて、本音は笑ってごまかした。楯無が(しか)るような視線を送ってきたので、息を吸って真剣な顔つきに切り替えた。

 

「やっぱり……」

 

 楯無は眉根を潜めて深刻そうにつぶやいた。楯無は桜に対してどこかの国の密偵という疑惑をかけていた。経歴は白だが、時折見せる言動が普通の一五歳の少女と考えるには違和感があまりに大きい。

 IS学園は今のところ他国から干渉されていない。だが、いつ何時自国の利益のために襲撃を受けるかわからない。IS産業は日本に莫大(ばくだい)な利益をもたらしつつあり、その芽を摘ませるわけにはいかなかった。

 楯無は疑心暗鬼の病にかかっていることを自覚していた。本音の瞳を見つめる。隠し事をする素振りはなかった。本音が楯無に虚偽の報告をすることは状況からしてありえなかった。緊張していることから、強引に転校させられるとでも思っているのだろうか。

 

「安心しなさい。転校はないわ」

 

 本音が心配事が去ったのか顔が明るくなる。背を伸ばしてにこにこ笑った。だが、楯無は少し口の端をつり上げ、意地悪な顔つきになった。そして正座する本音を奈落の底へ突き落とす一言を発した。

 

「あなたのうわさ、耳にしたわ」

「もう二年生まで伝わってるの!」

 

 パイプ椅子がきしむ。身じろぎした本音が悲鳴じみた声をあげた。

 IS学園の生徒はよほど話題に飢えていたのだろう。速すぎるうわさの拡散は、本音の淡い希望を打ち砕くには十分すぎるほどの効果をもたらした。

 

「第三者に見られるなんて。とんでもないヘマをしでかしたわね。まさかあなたが失態を犯すなんて予想もしていなかった」

「返す言葉がないよ~」

 

 本音が肩をすくめてばつの悪そうな顔つきになった。

 一方で、本音は自分の現状を把握したくなった。楯無の耳にどんなうわさが届いているのだろうか。

 

「あの~どんな噂か教えてくれたら~」

「ビアン。痴女。飢えた雌犬……ほかにもあったはず」

 

 楯無が合計五つの単語を口にした。最後の二つは脳が理解すること自体を拒否してしまい、本音は青ざめて目を逸らしていた。胸の上を押さえて心臓が飛び出しそうになるのを必死に耐える。焦点が合わず、脂汗が流れ落ちる。取り返しのつかない事態に陥っていることだけは理解できた。

 楯無は両肩を震わせてパイプ椅子をガタガタ揺らす本音を見つめる。勢いよく扇子を閉じる。小気味よい音だった。

 

「私の高校生活が……」

「いっそ三年間、女好きで通しなさい」

「そんなあ! 誤解でした、ごめんなさいというのは……。かんちゃんから不審者みたいな目で見られたんだよ~」

 

 無慈悲な言葉に本音が大声で抗議した。が、楯無はどこ吹く風と言った表情で聞き流す。

 

「今のままでは任務は失敗したも同然。無理を通せば道理が引っ込むと思うの」

「いや……え……無理、無理だよ~」

「あの後、毛嫌いするような素振りを見せなかったんでしょ? それなら望みはあると思うわ」

 

 本音は食堂や風呂で、朱音が桜の体を、特に筋肉をやたらべたべたと触る姿を目にしている。同性に体を触られることを意に介すような性格ではないと考えられた。だが、恋愛感情を向けた場合はまったく異なる反応を示すはずだ。心の中で楯無の言葉を何度も繰り返す。試しに桜と腕を絡める自分を想像し、楯無に哀願するような視線を向けた。

 

「体を張って情報を入手すればいいのよ。佐倉桜と行動をともにする良いチャンス。大丈夫。監視員は口が堅いから。外部にこの情報が漏れる心配はないわ」

「私が白い目で見られるよ。お父さんお母さんにも知られちゃうよ~」

 

 頭を抱えたくなるのを必死にこらえる。拳を握りしめて抵抗を続けた。やはり楯無は意に介さなかった。

 

「任務といえば納得します。このままでは布仏の名に傷がつくことになります」

「家名を盾になんて……ず、ずるいっ」

「いずれは女の武器を使ってもらうことも考えていたけど、まさか女に使うことになるとは……」

 

 楯無がわざとらしく泣き真似をしてみせる。目元に涙をたたえているが、楯無は女の涙を自在に操ることができ、心の中では本音をあざ笑っているのがひしひしと伝わった。

 ――まさか……。

 本音はふと、嫌な予感がしたので確認すべく恐る恐る聞いた。

 

「その、も、もしかして、……ま、まくらえいぎょうとかも?」

「状況次第では」

 

 楯無がしれっと言い放った。本音は首を何度も横に振ってパイプ椅子が倒れないように気を付けながら、身を乗り出した。

 

「む、無理。し、したことないんだよ」

 

 本音はその手の経験がない。中学の頃に更識家の教えを実践するべく、その場の雰囲気で男子と付き合ってみたものの手をつなぐところまでだった。体どころか唇も許さなかった。学業や訓練が忙しかったこともあり、交際は一ヶ月も経たずに破局した。

 

「やり方は習ってるでしょ。演技の練習でそういう役をやってたじゃない」

「あれは演技だよ。女同士だったし、実際にそういうことはしない、って暗黙の了解があったからできたんだよ~」

「積極的に誘えば……うん。多分大丈夫」

 

 今まで不敵な笑みをたたえて本音の顔を直視していたのだが、ここに来て初めて目を逸らした。羞恥心が芽生えたのか、うっすらと頬を赤らめている。先ほどまで威風堂々としていた背中を小さく丸めた。扇子を机に置いて言いにくそうに伏し目がちになって口ごもり、意を決して顔を上げた。

 

「もし対象がストレート以外なら……ききき……キスぐらいまでの清い付き合いでも大丈夫。むしろ唇を奪うぐらいでないと!」

「おじょうさま。今、目が泳いだ~」

 

 どうやら本音と桜が致す場面を想像したのか、楯無の動揺する姿がひどい。楯無は男を籠絡するための知識と技術を伝授されたとはいえ、家業と学業が忙しく色恋沙汰と無縁である。技術の方は女性の教育係から教わったものであり、男性経験は実質皆無である。その意味では、本音の方が若干ではあるが経験値が高い。

 楯無は自分を落ち着かせるように、わざとらしく咳払いをした。

 

「とりあえず調査の方は私と虚で手配しておくから、本音は任務を継続しなさい。簪には私から事情を伝えておくわ」

 

 

「失礼しましたー」

 

 職員室を辞した桜は廊下で待っていた朱音と合流し、二人して食堂に向かった。

 ――なんかごたごたしてそうやったね。

 

 連城の用件は専用機に関する続報である。倉持技研は現在、他の機体に人的資源を集中させているため、最低でも二、三週間は待ってもらいたいと伝えられた。以前は、調整がつき次第追って連絡すると聞いている。そこから具体的な期間を提示されただけでも進歩があった、と桜は感じていた。

 ――そのうちに技術者が来るんやろか。

 戦闘機乗りだった頃に零戦五二型を受領した。その際に技術者から変更内容に関する説明を受けている。雷電に機種転換する話も出ていた。だが、特攻を命じられたことでご破算となった。

 メニューのほとんどが売り切れだった。桜は残った定食メニューを選び、ライスコーナーでは中盛りを頼んだ。

 朱音はてっきりジョークメニューを選ぶものと思い込んでいたので、視線を桜の顔とお(わん)の間を行き来させて、拍子抜けしたように目を瞬かせた。

 

「今日はメガ盛りにしないんだ」

「次、体育やろ。吐きたくないんや。もったいない」

「……そこは気を付けるんだね」

 

 朱音が釈然としない顔つきになった。

 ――学校説明会と同じ(てつ)は踏まない。どうや、奈津ねえ。

 奈津子の顔を思い浮かべながら一人でしたり顔を浮かべる。朱音が不満そうに小首をかしげても気にならなかった。

 最も混雑する時間帯が過ぎていたこともあって、どのテーブルも選び放題だった。

 朱音が真ん中のテーブル席を陣取った。桜は朱音の向かいに座る。

 二人して合掌し「いただきます」と声を合わせた。そのまま箸に手をつけようかという頃合いに、朱音が口を開く。

 

「結局、何の話だったの?」

 

 朱音は、もしや、と思い気を遣っていた。

 

「専用機がもらえるらしいんやけど、受け取りが遅れますって話やったよ」

 

 桜の口調は世間話をするかのように軽い。桜は粕汁(かすじる)に口をつけた。朱音がどう反応するかは全く気にしていなかった。

 朱音がぽかんと口を開ける。てっきり桜のルームメイトの話が出てくるかと思っていた。お椀を置いて、おかずに箸をつける桜は、まるで驚くに値しないと言わんばかりの態度をみせた。

 

「専用機って……ええっ!」

「そんなに驚かんでもええわ。この粕汁美味しいから冷める前に食べんと」

「いやいや、ちょっと待って。何でそんなに平然としていられるの」

 

 二人の反応に温度差があった。桜は口の中の食べ物を飲み込んで素っ気なく答える。

 

「話があるってだけで機体名すら教わっとらんし。初心者やってのに期待してもしょうがないわ」

 

 そのまま米に箸をつける。専用機の話題は二の次で食べることに専念していた。

 そこに、桜の背後に近付く二つの影があった。

 女の声がした。

 

「相席いいか」

「ええよ」

 

 桜は食事に集中するあまり、相席を申し出た相手を見ることなく返事していた。朱音を見やるとびっくりした様子だった。誰かと思って隣に目を向けると、

 

「あ。お隣さんやったか」

 

 篠ノ之箒と織斑一夏である。

 ――やっぱり昨日のことを心配してくれとるん?

 箒は桜から見て、隣に一つ空けた席に座った。桜を気遣っているのか少し表情が暗い。

 

「昨日は大変だったな」

「いやいやこちらこそ、えらい騒いでもうて迷惑やったろ」

 

 桜は心遣いに感謝しつつ、いつもと変わらぬ様子で受け答えする。

 箒は昨日の一件を全く気にしていない素振りを見て、ほっと胸をなで下ろしていた。一夏は要領を得ない顔つきで首をかしげ、話に入ることができないため一足先に箸をつけていた。

 ――あれは事故や。まずいこと口走ったな。気が狂ったかと思われたな。絶対。それにしても布仏……さん、かあ……。

 

「布仏さんはクラスで孤立しとらへん?」

「……あ、ああ。今日見た限りでは大丈夫だった」

「よかったあ。妙な展開になっとって心配してたんや」

 

 桜が明るい声を出したので、自然と箒の声音もつられて調子づいた。

 ――親族なんやろなあ。布仏なんて名字、珍しいから。

 桜はあまり話をしたくないのか、素っ気ない様子で漬け物を口に放り込む。箒の相手もそこそこにルームメイトの姿を思い浮かべた。

 ――布仏と言うと陸軍さんか。確か関東軍やったっけ。相性が悪いわ。荘二郎兄貴と征四郎兄貴のことがあるからなあ。

 作郎の次兄、荘二郎は昭和一四年にノモンハンで戦死。四番目の兄、征四郎は終戦間際に満州で戦死している。感情を表に出さないためにも、食事を中断するわけにはいかなかった。

 

「なあ、さっき専用機の話をしていたよな」

 

 会話が途切れた頃合いを見計らって一夏が口を挟んだ。女同士のデリケートな話に首を突っ込む気はないという意思表示でもあった。

 桜が質問に答えるべく口の中のものを飲み込む。が、先に朱音が答えていた。

 

「三組にも専用機が来るみたいなんだよ」

「……納期未定やけど」

 

 本当は二、三週間後との見込みらしいのだが、不確かな情報を与えるつもりはなかった。

 

「ふうん」

 

 一夏は素っ気ない返事をする。いまいちピンと来ない、そんな表情を浮かべていた。

 朱音は、桜が一夏に興味を示さないことに落胆を感じていた。が、心を奮わせチャンスとばかりに一夏の顔をのぞき込む。

 

「ところでお二人はどんな関係なんですか? うちら三組としてはそこのところが気になってるんですよー」

 

 桜は朱音の口元を注視した。わずかであるが、にやついた笑みを浮かべている。

 ――あの写真を見つけた時と同じ表情や……。

 朱音の質問の真意を察した箒が突然むせ返ってハンカチを口に当てた。

 

「幼なじみなんだ」

「ははーん。そうですね。そういうことにしておきますね」

 

 あえて深く追求することはなかった。男女間の友情は成り立たない、と仮定すれば朱音が何を考えているのか想像するのはたやすい。

 桜は一夏と箒を交互に見比べていた。

 ――ええな。別嬪(べっぴん)の幼なじみが私も欲しかったんや。そしたら、甘酸っぱい……もとい別の意味で楽しい毎日が送れたと思うん。

 桜は自分の幼なじみを思い浮かべる。

 ――顔はええんやけどなあ。ホント、もったいない。

 

 

 桜は入学二日目にして一部の生徒から「メガモリ」と呼ばれている。初日に大食漢である事実が明らかになり、ジョークメニューを平然と平らげる姿を見て誰かが言い出した。三組の留学生からは「サクラ・メガモリ」と呼ばれ始めていた。

 初めての体育は持久走である。桜は平気な顔をして黒人のクラスメイトと並走し、同着一位だった。

 桜はジャージを身に着けていることや、締まった体つきのために胸部の自己主張が薄い。とはいえ、中学の時よりも少しふくらみが増した。

 遅れて走り終えた朱音が肩で息をしている。けろりとした様子の桜に目を向けた。

 

「な、んで、そんなに平気そうな顔してるの……」

「私、陸上部」

 

 桜はしれっと答える。

 朱音が不満そうに見返す。桜の答えに納得がいかなかった。

 桜は唇をとがらせた朱音を眺め、野犬の遠吠(とおぼ)えを聞いた夜のことを思い出していた。

 ――私、昔っから悪運には恵まれるんやけど、運に見放されとるから……と言っても通じんか。

 飛行練習生時代に一度殉職(じゅんしょく)しかけたことがあった。訓練で使用する赤とんぼ(九三式中間練習機)は複座式である。単独飛行訓練をする際は後部座席に土嚢(どのう)をつんで実施する。だが、作郎が乗った機体が空中でエンジンが停止してしまった。何とか不時着したまではよい。山林の中で野犬の群れにおびえて眠れぬ夜を過ごす羽目になった。

 この時の経験により体をいじめ抜いたり、布仏少尉に紹介してもらった下士官から対人戦闘技術やサバイバル技術を学ぶようになった。

 ――体を鍛えへんと、野垂れ死ぬ気がしたと言うのもなあ……。

 朱音が息を整えながら悔しそうに口を開く。

 

「陸上部かー。私も体力に自信があったのになあ……」

 

 桜が得意げに鼻を鳴らす。

 

「へへっ。これでも陸上で推薦がもらえるって話もあったんや」

「推薦なら……まあ、仕方、ないかも」

 

 朱音はようやく合点がいったのか、がっくりと項垂(うなだ)れた。

 

 

 帰宅前のSHR(ショートホームルーム)の時間となり、教壇に立った連城が疲れた様子の生徒たちを見回していた。

 

「さて、弓削先生の体育で疲れてさっさと寮に帰りたい、と思っているのではないかな。ですが、もう少し私に付き合ってもらいたい。今日のSHRでは三組のクラス代表を選びます」

 

 連城は次のように補足した。クラス代表は級長の役目に加え、五月に執り行われるクラス対抗戦の選手として登録される。クラス対抗戦優勝クラスには半年間デザートフリーパスが与えられることになっていた。クラス対抗戦最下位クラスには毎年罰ゲームが課される。すなわち責任重大である。

 連城はクラス中を見渡す。半年間デザートフリーパスに食いついて目を輝かせ、罰ゲームに教室がざわついたことを確かめた。

 

「クラス代表に立候補する者はいないか? もし誰も立候補しなければ他薦することになります。しかし私は立候補するくらいの気概を見せて欲しいと望んでいます。誰かいませんか」

 

 聞き取りやすい、はっきりとした声だ。病的な青白さの割にIS搭乗資格を持つ弓削よりも威厳があった。

 桜が手を挙げた。

 

「先生。質問」

「佐倉君。発言を許します」

「ありがとうございます。クラス対抗戦優勝クラスへの賞品ですが、食券に換券可能でしょうか」

 

 桜の問いに間髪入れず連城が答えた。

 

「もちろん可能です。この場合は選択メニューは限定されますが、半年間定食フリーパスという扱いになります」

 

 連城の回答にクラスメイトたちがざわめいた。

 

「その発想はなかった」

「さすがメガモリ……」

 

 といった声が聞こえてきた。

 桜としては既に食費などの経費免除措置が適用されている。つまり半年どころか在学中ずっとタダ飯が食べられるようになっていた。昔から食い意地だけは大人顔負けである。デザートよりも日々の食事を摂る方が好いていたことから、試しに聞いてみたのである。

 さて、IS学園一年生の留学生は約四〇名と学年の三分の一を占めていた。推薦入試の枠のほとんどが留学生に使われた計算で、有名どころはセシリア・オルコット、ティナ・ハミルトンである。彼女らは名が通っているだけあり成績優秀だった。

 推薦入試合格者は各クラスに一〇名ずつ均等に振り分けられている。どういうわけか三組には留学生の中でも評価の低い者が所属する形になってしまい、不作のクラスと呼ばれる始末だった。

 三組の留学生たちはセシリアと戦って勝てるかどうか、頭の中でシミュレーションしていた。勝てる気がしない。ティナはおろか、更識簪にも勝てない。それ故、桜の楽しげに目を輝かせる様が不気味だった。

 ――何かやる気が出てきた!

 桜は自分が勝利することで、朱音やクラスメイトが喜ぶ姿を思い浮かべる。

 入試の実技試験において試験官に勝利したのはセシリア・オルコット一人だ。順当に言ってセシリアが一組のクラス代表になるのは間違いない。

 ――毎回、一撃離脱に徹すればいけるかも知れんね。

 桜は再び手を挙げた。

 

「先生」

「また佐倉君か。よろしい。答えなさい」

「はい。クラス代表に立候補します」

「歓迎する。他にも立候補したい者はいないか」

 

 連城がクラス中を見回した。いくら待っても動きはない。

 

「わかりました。三組は佐倉君を代表とします。みんなで彼女を支えてやってください」

 

 すると、脇に控えて議事録をとっていた弓削が手を打ち始めた。まばらだった拍手が数秒を()てクラス中に広がった。

 

「半年間定食フリーパスのためにがんばります!」

 

 クラスメイトから熱い期待の視線が注がれる。桜はお腹の底から声を張りあげ、深くお辞儀をした。

 

 

 


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