IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

14 / 82
某国の密偵疑惑(四) SAKURA1921

 金曜のSHR(ショートホームルーム)で、桜は授業後すぐに職員室へ顔を出すよう連城から指示を受けていた。

 ――アレ、三年生の学年主任やったっけ。なんや、えらい剣幕(けんまく)でまくし立ておって。うるさくてたまらへんわ。

 職員室に入ると、松本が受話器に向かって中国語で激しく責め立てていた。その隣で一年二組の担任教師が申し訳なさそうに肩をすくめている。

 作郎の頃に台湾の基地にいた時期があったせいか、何とか単語を拾うことができた。

 ――調整中のスケジュールが狂った。そんな感じやろ。

 桜はすぐに興味を失ったのか、しきりに時間を気にしている連城の許に向かった。

 

「先生。来たんやけど」

 

 桜は不安な顔つきで連城に声をかける。職員室に呼び出された理由を明かされておらず、また知らず知らず何かやらかしたのかと考えていた。

 

「ついてきなさい」

 

 連城は桜を見上げ、席を立って応接室に向かった。

 

「あのー何の説明も受けてへん。いったいなんやろ」

 

 桜がふかふかのソファーに腰を下ろした連城に向かって言った。

 

「これから倉持技研の営業の方が来ます」

「営業? 目処(めど)がついたん?」

「そういうことです。ようやく、あなたの専用機が来るのですよ」

「はあ。専用機。……はあ」

 

 桜は間の抜けた返事をした。

 ――専用機かあ。あんまりうれしくないのはどうしてやろ……。

 二、三週間待ってもらうように話が来たのが先日のこと。企業との契約もIS以外は順調に進んでいたことを思い出す。倉持技研の調整が難航しているのを見て、単純に人手が足りていないように思えて、遅延に目くじらを立てるような真似をするつもりはなかった。

 

「うれしくないのですか」

 

 不安な気持ちが顔に出ていたことを悟り、桜はあわてて首を振った。

 

「いやあ、うれしいなあ。ハハハ」

 

 白々しい笑みになってしまった。専用機という言葉の響きに大きな不安を禁じ得ない。

 ――専用機と言えば試作機。試作機といえば新型。あかん……あかんわ……。

 桜はどうしても過去の自分を思い出してしまう。腕が良いと評判の整備員にお願いしていたにもかかわらず、どういうわけか外れの機体を引くことが多かった。何度も空中で機関停止した。あまりにも不時着水や、空中脱出が続くものだから、神社で何度かお(はら)いをしてもらった。

 桜に生まれ変わってから、他にも似たようなパイロットがいたのではないかと気になって、書店で立ち読みをしていたら、偶然夜竹飛長の回顧録を見つけた。夜竹は「あんなに悪運が強い人を見たことがありませんでした」と作郎を評している。海軍において被撃墜回数の上位に名前が挙げられており、あまりうれしくない評価をもらっていたことを知って複雑な気分になった。

 

「不満そうですね。専用機を受領できるということは、君の実力が評価されたのではありませんか」

「……私は量産機で十分やと思ってます」

「素直に喜びなさい」

「光栄やとは思っとるんやけど……専用機ったら新型や。昔から新型にはええ思い出がないもんで」

 

 すると連城がクスクスと笑った。

 ――笑顔が連城中尉にそっくりやん。

 桜は担任の表情にびっくりしていたら、弓削が顔を出し、倉持技研の社員を案内してきた。

 

「佐倉君。立って」

 

 桜は追い立てられるように膝の上でめくれたスカートを直し、席を立った。

 扉が開いて、男性二人が姿を現す。ひとりはストライプ柄のスーツを着て、もうひとりは作業着姿だった。

 ――スーツを着たのが営業、作業着が技術者ってところか。作業着の方、弓削先生と同じくらいの上背やな。長身痩躯(そうく)って言うんやろか。

 桜の予想は当り、スーツを着た方は鶴野(つるの)、作業着を着た方は堀越(ほりこし)と名乗って名刺を差し出す。

 連城はねぎらいの声をかけた後で、簡単に名乗った。

 

「私は佐倉君の担任の連城です」

「副担任の弓削です」

「佐倉です。よろしくお願いします」

 

 桜が頭を下げる。鶴野は慇懃(いんぎん)な笑みを浮かべながら握手するように手を差し出した。思いのほか硬い手をしていた。

 

「君が佐倉さんですね。写真で見るよりきれいだ」

「ありがとうございます」

 

 桜はお世辞だと思ったが、それを口にするつもりはなかった。

 連城が腰掛けるように促す。鶴野と堀越が、お言葉に甘えて、と断ってからソファーに座った。

 続いて桜たちも腰を下ろし、弓削がお茶を取りに行った。

 

「早速なのですが――」

 

 鶴野は、佐倉さんに提供するISについて説明させて頂きます、と前置きして自社の製品について語った。言い終えてから桜があまり食いついてこないことに肩をすくめてみせる。

 

「何か不満があるのでしょうか?」

 

 と堀越が言った。桜が口を開けようとした鶴野を手で制す。

 

「専用機の名前、聞いとらん」

 

 お茶を配り終えた弓削が相づちを打つ。

 

「ああ。型式番号しか伝えていませんでしたね」

 

 鶴野の言葉に堀越がうなずく。ふたりはお互いに顔を見合わせ目配せすると、堀越が熱っぽい視線を桜に向けてから口を開いた。

 

打鉄(うちがね)零式(れいしき)です」

「零式……」

 

 桜が言葉の響きをかみしめるようにつぶやいた。懐かしさがこみ上げてきた。

 

「本来は打鉄弐式のテストベッドとして代表候補生に提供される予定、でした」

 

 鶴野がばつの悪い表情を浮かべたので、堀越が咳払(せきばら)いをしてから小声で続けた。

 

「ここだけの話ですが」

 

 そして、仕様変更により別の機体を提供することになった事情を説明した。

 

「つまり零式には、篠ノ之束博士が手を加えた画期的(かっきてき)なISソフトウェアの先行搭載型というわけですね」

 

 連城が堀越の言葉をまとめた。

 

「はい。篠ノ之博士は特に名前をつけていなかったらしいのですが、さすがにそれはないだろうと思いまして、開発コードを聞き出しました」

 

 堀越がいったん言葉を切って呼吸を整える。連城が身を乗り出して続けるように(うなが)した。

 

「その開発コードとは」

GOLEM(ゴーレム)……ヘブライ語で胎児(たいじ)を意味しています」

 

 鶴野がカバンから書類が入ったクリアファイルを取り出して、机に置いた。表にカレンダーを印刷した紙が見え、来週の土曜日に赤ペンで丸がつけられていた。

 

「佐倉さんには打鉄零式を提供する代わりにデータの提出をお願いすることになります」

 

 鶴野がクリアファイルからカレンダーと倉持技研のパンフレットを取り出して専用機受け渡しに関する話を始めた。そして、カレンダーの赤丸を指して、自社のパンフレットを裏返した。パンフレットには本社や研究機関の住所が書かれていた。

 

「つきましては、この日に、こちらの住所までお越しいただけますか。打鉄零式の最終調整に佐倉さんご自身も立ち会ってもらいたいのです」

 

 堀越が鶴野の言葉を補足した。

 

「現在、零式の最適化処理(フィッティング)一次移行(ファースト・シフト)を済ませるべく準備を進めております」

 

 そこで連城が手を挙げて、仮の保護者として付き添いを願い出た。学園への搬入手続きをはじめとしてさまざまな手続きが存在するため、教師が同伴するべきだと考えたためだ。この件は既に千冬たち一年生担当の教員や教頭にも話を通してあり、もし休日になった場合に備えて代休予定日まで確保していた。

 

「構いません。むしろこちらからお願いしようと思っておりました。入り口が少々わかりにくい場所にありまして、先生に付き添っていただけると心強い」

 

 鶴野は笑顔でその申し出を快諾した。

 

 

 金曜日の夜をずっと待っていた。

 

「苦節一年四ヶ月。この日をどれだけ待ちわびたんやろ……ヒヒヒ」

 

 夕食を終え、風呂にも入った。黄色いクズリの着ぐるみに着替えた本音と一緒に課題を終えた桜は、胡乱(うろん)な視線を投げかけられるのも構わず、不気味な笑い声をあげていた。突然奇声が聞こえてきたので、本音は再び錯乱が始まったと思って警戒の色を強めるも、桜本人はいたってまじめだった。

 本音が上司から色仕掛けを強要された翌日、入学式初日の盗聴記録がテキストデータ化されて楯無の許に送られている。楯無は本音のオカルト説が笑えないことに気付いて、無理を言ってカウンセラーの予定を調整して診てもらったものの、桜の精神状態に異常を確かめることができなかった。

 

「どうしたの?」

 

 本音はさすがに無視できないと思って声を掛けた。

 桜は返事をせずジャージを腕まくりしたまま、奇声をあげることをやめなかった。不意に席を立ち、クローゼットの前に行って「サクラサクラ私物」と書かれた段ボール箱を開き、中から大きな包みを取りだした。

 その包みには本音が見たこともない企業のロゴが入っている。怪訝に思って眺めていると、桜は私物入れと机を何度も行き来していた。

 桜が最初に取り出した包みには例の航空機シミュレーターの開発元から贈呈された専用コントローラーで、日本円にして数万円相当になる。日本未発売でかつ極めて耐久性に優れた高級モデルで、時々個人輸入品が出回るオークションでも一、二万円が相場だ。中学生の桜にとって手が出せない値段だったが、シミュレーターをやりこむことで零式艦上戦闘機二一型や三二型の操縦に関して、非常に細かく指摘したことへの報酬だと添え状には書いてあった。

 寮から少し離れた場所にあるドラッグストアで入手した単三電池をはめ込み、コントローラーとノート型端末とを結線する。

 

「ゲームでもするの?」

「ま、そんなとこや」

 

 桜は手を動かしながら本音の質問に答えた。体を起こした本音がベッドから下りて、ぼんやりとした顔つきで桜の作業を眺めている。

 桜は大げさに肩を揺らし、もったいぶった仕草で電源ボタンを押した。すぐさまログイン画面が表示されたので、あらかじめ作成しておいたユーザーネーム「SAKURA1921」でログインする。インターネットに接続できていることを確かめた後、シミュレーターのディスクを入れてインストール作業を行った。

 基本ソフトの容量は大した大きさではなく、またストレージに対する読み書きが極めて高速に実行されるためその作業はすぐに終わった。拡張パックを入れる必要があったので、久しぶりと言うこともあって一枚だけにした。ディスクの表面には「ヨーロッパ戦線」という付箋が貼ってあった。

 

「とりあえずヨーロッパやね」

 

 ゲームの休止宣言をする直前に使用機体をカスタマイズしていたことを思い出す。

 ――枢軸プレイか連合プレイか……どっちにしよう。迷うわあ。

 桜はシミュレーター本体のアイコンをクリックして、胸をふくらませながら初期化処理が終わるのを待っていた。

 

「ヨーロッパ? いったい何のゲームなの~」

 

 本音が横から端末をのぞき込むようにして机に手をついた。小首をかしげながら無知を装いつつ画面と桜の顔の両方を行き来させた。

 ――ゲームをやるって調査書のどこにも書いてなかったんだけど……。

 本音は、事前に調べた内容に漏れがあったことに心の中で舌打ちしていた。だが、そんな素振りは一切表には出さなかった。できるだけ記録に残るように桜の口から情報を引き出そうとした。

 桜の後ろに回り込み、ちょうど肩の後ろに豊満な胸部を押しつけ、両腕を無造作に膝へ向けて垂らす。長い袖口が桜の股の間に垂れ下がる。本音が動くたびに内股にこすれ、微かなくすぐったさを感じた。そうかといって文句を言うほど強い刺激でもなかったので気にしないことにした。

 ――気付かれてないよね……。

 本音は桜に抱きつきながら注意深く反応を観察した。

 楯無に強要されたこともあり、出会って二日目から積極的に桜と肌を合わせた。もちろんいやらしい意味ではなく、隙があれば手をつなごうとしたり抱きついたり、じゃれあったりして距離感を縮めようとする作戦を遂行していた。三組の一条朱音が似たような事をやっているので、便乗する意図もあった。

 本音から見た桜は、抱きつかれようが頬を寄せられても余り気にしていないように見えた。肌を密着させたスキンシップを好む性癖だから、取り立てて騒ぐ必要性がないと考えているのだろうか。

 

「ゲームというか航空機シミュレーターやね」

「……そうなんだ~」

 

 本音は白々しいと思いつつも、心の声を悟られぬようできるだけ間延びした声を出した。

 ――よかったあ。気付いていないみたいだよ……。

 本音の懸念は端末の中にあった。

 桜が触っている端末は、桜自身が性能に色をつけるように頼み込んだ物である。この要求が通った背景には裏があった。

 ――実は、端末の中がすごいことになっているんだよね。私なら頼まれてもこの端末だけは、絶対に使いたくないよ……。

 本音は記憶をひもといて、桜の支給端末に仕掛けられたプログラムリストを思い出した。

 OSのシステムファイルに偽装する形で悪性腫瘍のごときプログラムが満載されていたのである。例を挙げるとすれば、キーロガーやパケットキャプチャーと組み合わせて動作する自動データ送信ツール、ランダムで名前やバイナリコードを変化させながらバックドアを仕掛けるワームなどがあり、もしネットワークに接続した状態で不用意に文字を入力しようものなら、即座にその内容が学園防諜部の専用サーバーに送られる仕組みになっていた。

 極めて悪質なスパイウェアやウィルスが仕掛けられていることを知る本音は、この端末で課題のレポートを作成したいとは思わなかった。なぜなら保存ボタンを押した瞬間、そのファイルが複写されてサーバーに送信される。そしてレポートの内容が楯無の目に触れることになり、送られてきたレポートをにやにやしながら読まれるのだ。身の毛もよだつ恐ろしい光景だった。

 さて、これらのプログラムは裏でこっそり動作するのだが、処理が重くなって発見されるのではないか、という懸念が存在していた。しかし技術の進歩はすさまじく、通信帯域の拡大とCPUやストレージなどの性能向上により裏で妙なプログラムが動作したり、意図しないデータが送信されたとしても体感速度が落ちるようなことはなかった。

 二〇〇〇年頃に発売された端末ならいざ知らず、桜の端末は民生品で入手可能な最優秀機なので動作の遅延を体感することはありえなかった。

 桜はシミュレーターの初期化が終わったことに笑みをこぼしただけで、データが流出し続けていることにまったく気付いていなかった。

 

「この曲、久々に聞くわ」

 

 スピーカーから荘厳なクラシック音楽が鳴り響いた。

 

「なになに~」

「……アップデート来とった。すまんな」

 

 桜は素っ気ない言葉を口にして、本音に離れるように言った。袖机から野暮ったいデザインのキーボードを取り出す。今では製造中止となったUS配列の外付けキーボード「モデル・マドカ」をつなげて、バックリングスプリング式独特のカタカタという底打ち音を奏でながら、ウェブブラウザを立ち上げて掲示板に接続するや過去のアップデート内容を流し見ていった。

 日本語対応に余り積極的ではないメーカーのため、当然ながら掲示板は英語とスペイン語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などが表示されていた。さながら混沌(こんとん)とした様子に本音は困惑を隠せなかった。

 

「……これ、全部読めるの?」

「英語とスペイン語ならばっちりいけるわ。ロシア語は読み書きしかできんけどな。ドイツやフランス、ポルトガルあたりは何となくわかる程度や。でも……アラビア語はからっきしダメや。勉強せんとあかん思っとるわ。一応」

 

 桜は画面から目を離さずに口だけ開いて答えた。仮想空間でも良いので航空機を操縦し、マルチプレイで無線通信を利用したいがためだけにこれらの言語を習得していたのである。

 ――聞いてない。こんなの聞いてないよ!

 本音は天井を見上げ、あからさまに敵意のこもった目つきになった。煙感知器に仕掛けたカメラに今の本音の表情が記録されたはずだ。目は口ほどにものを言う。今すぐにも調査漏れを指摘したかった。

 

「しゃあない。仲間に連絡でもするわ」

 

 大規模アップデートが行われたらしく、再び更新が終わるまで手持ちぶさたとなった桜は、袖机(そでづくえ)から取り出したイヤホンマイクをはめた。

 そのまま慣れた手つきでインターネット電話サービスに接続する。久しぶりにシミュレーターに触るため、復帰のあいさつをするつもりだった。

 

「サクサク~。仲間ってどんな人なの~?」

 

 サクラサクラだからサクサクで、あだ名に深い意味はない。

 本音は仲間と聞いて、すかさずどんな相手なのかを聞き出そうとした。

 

「金持ちのボンボンで妻子持ちのおっさんや。ほら、ここ見て。ケースオフィサー(case officer)って名前が出とるやろ」

 

 桜の仲間は誤解を招きかねない紛らわしい名前を使っていた。ケースオフィサーはCIA用語で重要情報提供者を運営する情報機関担当者である。CIA以外ではインテリジェンス・オフィサーとも呼ばれる仕事だ。更識家においては楯無や虚の立場に相当した。

 本音は心臓をわしづかみされたような気分に陥った。正体を見透かして口にしているのかと思って警戒したが、桜の言うケースオフィサーは単なるハンドルネームに過ぎない。

 彼は米国在住の航空機コレクターで、四〇代の妻子持ちである。プライベート用ということもあって洒落(しゃれ)()を出してスパイ映画のまねをしてみた、と桜に語っていた。

 桜は少し離れたところに立っていた本音を見やって、

 

「今から仲間にあいさつするから声を掛けへんといてなー」

 

 と言い放ち、のほほんとした様子で画面に向き直る。そしてスペイン(なま)りの激しい怪しげな英語を口にし始めた。

 ――英語……みたいだけど訛りがひどくて全然聞き取れない。

 本音は耳を澄ましてすぐに解読を諦めた。盗聴器が仕掛けられているので、時間はかかるだろうが専門の職員がテキストデータに変換してくれるだろう。

 ――調査漏れだよ。おじょうさまに言っておかないと……。

 本音は携帯端末を取り出して、「対象の言語能力について要再調査」という旨のメールを楯無に送った。

 事前調査では桜の言語能力は中学校卒業程度とされていた。IS学園の願書に特記事項欄が設けられていたが、桜はこの特技を記載していなかった。特に資格を取得していなかったこともあって、証明手段がないと思って書かなかったのである。

 これが良くなかった。本音は桜に向けて疑念に満ちた視線を向けていた。

 調査期間中は受験勉強のために丸一年以上シミュレーターを封印していたことや、「女の子が航空機シミュレーターについて熱く語るのはおかしい」と奈津子に(くぎ)を刺されていたので、言いつけを守って幼なじみ以外には一切口外していなかった。

 佐倉家では、安芸と奈津子だけが桜の言語能力の高さを知っていた。桜が言語習得に勤しむ動機も知っていたため、半ば(あき)れ混じりに放置していた。身辺調査の期間が短く、一部の者しか知らない事実だったため、調査から漏れてしまったのである。

 調査漏れの他の要因として、更識家と学園防諜部だけでは人的資源が不足しており、それぞれの居住地域に近い興信所に調査を依頼することが多い。

 桜の身辺調査は学校説明会の審査、出願時の確認、そして合格後である。二回目までは別々の興信所に依頼している。合格後は更識家が直接担当していたが、やはり調査期間が短く設定されており、桜のその期間中に不審と思われる行動を一切起こさなかった。

 また住居に侵入して端末のデータを抜くといった犯罪に該当する行動を禁じられていたため、興信所と同じく張り込み調査が主体となり、前の二回と変わらない結果が得られていた。

 ――警戒されている?

 桜の発音は幼なじみの激しいなまりをそのまま再現しており、アナウンサーが話すような言葉に慣れ親しんだ者にとって非常に聞き取りづらい発音になっていた。

 二人で盛り上がっている。なのにまったく内容がわからない。メモを取っていたので何らかの約束を交わしていることだけは理解できた。

「フィールドで」

 

 桜が通話を終え、期待に胸をふくらませるばかりで、決して背後を振り返らなかった。

 すぐさまシミュレーターを再起動してメニュー画面に入った。バトル・オブ・ブリテンフィールド、連合国所属、日中帯の出撃、そして使用機としてハリケーンを選んだ。

 

「桜吹雪?」

「せや。前のデータがそのまま使えて助かったわ」

 

 桜の機体は性能こそ標準のハリケーンMk.Ⅱだが、両翼に桜吹雪のペイントを施したカスタマイズ機である。このシミュレーターは機体のカスタマイズの自由度が高いことが有名で、例を挙げるとエンジンの積み替えや機銃の変更、防弾性能の向上、さらに燃料のオクタン価も変更できた。また塗装の自由度も高く、桜のように目立つ塗装をする者や、独自のエンブレムを貼り付けられるので、オンライン対戦だと意匠の凝った機体が出現することが多かった。

 

「迎撃が一番ええ。できればスピットを使いたいんやけど……」

 

 勝利条件として一〇分間、戦爆連合との空戦に耐え抜き、かつ爆撃を阻止することが設定されている。爆撃機の護衛としてBf109Eが行動を共にしているのだが、航続距離が短いため動きが制限されている。しかし爆撃機は戦域到達後八分で投弾するため、その前に爆弾を捨てさせるのが勝利の常道だった。

 本音が桜のつぶやきを耳にして、理由を聞いた。

 

「じゃあ、それにすれば」

「いや……相性が悪くて」

 

 桜は一九四〇年代のフィールドでスピットファイアを選択すると、なぜか外れを引くことが多かった。スピットファイアは稼働率が高いとされていたにもかかわらず、動かないのだ。動いても機関不調で引き返すことがほとんどだった。

 そのためハリケーン以外に選択肢がなかった。そしてハリケーンならば必ず空に上がることができた。とはいえ、復帰戦なので短期決戦で済ませるつもりでいた。

 誘導に従って空に上がり、空域に到達すると雲の切れ目の奥に大小の点が見える。形状から大きな点がHe111で、小さな点がBf109Eだとわかった。さっと見た限り一機だけ真っ黒なカスタマイズ機がいる。桜は編隊の最後尾にいた通常塗装のBf109Eに狙いを定めると、エンジンの出力を上げて、ぐんぐん迫った。水分をはらんだ雲のおかげで視界が不十分。奇襲の条件を満たしていた。

 ――目一杯近付いて……撃つ!

 機銃のトリガを押し込む。ぴったり一秒で指を離した。

 狙った機体が火を噴いて落ちていく。久々の撃墜に思わず「よしっ」と声を張り上げた。

 元々迎撃側が有利なフィールドなので、無線から雑音混じりだが喜ぶ声が聞こえてくる。参加者のほとんどが英語圏に住んでいるためか、やたらと騒がしく聞こえた。

 

「畜生めっ」

 

 しかしその中で一人だけ悪態をついた者がいて、振り返ってみれば一緒に迎撃に上がったハリケーンのエンジンから黒煙が立ち上っている。どうやら護衛戦闘機の中に腕利きが混ざっており、反撃に遭ったらしい。

 ――黒い奴。

 エンジン(DB 601A)の出力に物を言わせ、鋭く旋回する黒いBf109Eの姿を追った。

 

「黒いエミール……まさか」

シュヴァルツェア・レーゲン(Schwarzer Regen)!」

(うそ)だろ! 何でアイツが。最近出てこなかったのに……」

 

 無線機から複数の悲鳴が聞こえた。シュヴァルツェア・レーゲンはドイツ語で黒い雨を意味する。桜には聞き慣れない名前。しかし、仲間のあわてぶりから名の知れた機体であることは間違いない。

 自分が離れていた時期に現れたのか、異なるフィールドで腕を上げたのか。今は調べている時間はなかった。

 黒いBf109Eが味方のハリケーンの背後から覆い被さるように軸を合わせたかと思えば、すぐさま機体に捻りを加えながら颯爽(さっそう)とスピットファイアの脇を駆け抜けた。一瞬のうちに二機が落ちた。

 

「あかん……」

 

 さらに三機が被弾して落伍(らくご)していた。数の優位がたった一機のエースによって(くつがえ)されていく。

 ドイツ側の勝利条件は水平爆撃の成功である。そのため、配備数が少ないスピットファイアを最初に落とし、その後でハリケーンの頭を抑えてHe111への接近を許さない。

 性能面でハリケーンとBf109Eを比べると後者が優れていた。しかし、ドイツ機は英本土フィールドのため使用可能な燃料に制限が加えられている。それでも上手な操縦者だと短い稼働時間の中で暴れ回るので性質が悪い。

 

「ああ! ジャン(Jean)ルイ(Louis)がやられた!」

 

 黒いBf109Eともみ合っていたスピットファイアのエンジンから火を噴いたかと思えば爆散して消えた。出撃前の自己紹介でプレイを始めて三ヶ月だと言っていたルーキーが瞬殺されたことを理解した。桜は画面の端に据え付けられた時計を見やりながら、残り時間を確認していた。

 ――まだ三分しか経過しとらんのか……。

 この調子でいけば、制限時間内に全機撃墜されそうな勢いだった。

 

「私が(おとり)になる。爆撃機を()れ!」

 

 味方の士気が地に墜ちる前に、桜は男のような鋭い声音を発した。

 相変わらず、訛った発音のため聞き取れなかった者も出たが、古参の操縦者には意図が伝わった。他の直掩機や爆撃機排除を味方に任せ、桜は黒いBf109Eと対峙するべく爆音を奏でる。

 黒いBf109Eは桜吹雪を見るなり、誘うような動きを見せた。

 ――余裕を見せおって……。

 ハリケーンでは歩が悪い。桜は一矢報いてやろうと思い、高度を下げた黒いBf109Eに向かって機首を下げる。ちょうど尾翼を食いちぎるつもりだった。

 ――後ろをとった……いや、わざとそうさせたんや。

 敵機は背中に目がついているのか、照準をつけても射撃する前に射線をずらしてしまう。ハリケーンは堅牢(けんろう)な設計ではあるが、鋼管布張りの機体は古色蒼然としておりBf109Eとの性能差はいかんともしがたい面があった。

 ――昔、空の要塞に使った手やけど、戦闘機相手にも使えるはず……。

 桜は突拍子もない手段を採った。Bf109Eは軽快で機動力が高く、最大速度にも優れていた。燃料の制限を受けていなければ、真っ正面から戦いを挑みたくない戦闘機だった。

 Bf109Eは旋回性能に優れている。失速による負圧を感知した前縁スラットが自動的に開く。ハリケーンの後ろをとるために高度を維持したまま左の翼を傾けた。

 これに対して、桜は向かって左にヨーを利かせ、続いて右翼先端が地面に垂直となるように機体を傾ける。

 桜は翼を白刃に見立てていた。爆音に耳を傾ける。続いて機体が激しく振動し、断末魔の悲鳴を上げた。

 

「おい! サクラが久しぶりに()()落ちたぞ」

「相打ちか……」

「むちゃくちゃだ。ハリケーンのくせによくやるよ」

 

 味方機から呆れ混じりの賛辞が送られてきた。二機は空中で衝突していたのである。ハリケーンの右主翼が真ん中から折れて、まるで桜吹雪のように破片が散乱していた。そしてBf109Eもまた尾翼が根本から折れ、黒い破片がこぼれ落ちるように地面へと降り注ぐ。

 安定性を欠いた二機は一緒になって墜ちていった。

 

「しまった。やってもうた」

 

 桜はついむきになって、被撃墜数を増やしてしまったことを嘆く。桜の戦績は撃墜数が多かった。そして被撃墜数や不時着回数もまた多かった。

 

「■■■■■■」

 

 黒いBf109Eの操縦者はどうやら無線混信MODを有効にしたのか、机に拳を(たた)きつける音が聞こえ、慣れないドイツ語を早口でまくし立てられた。すぐに通じていないと気付いて英語で言い直す。

 

「貴様は誰だ」

「SAKURA1921」

 

 若い女の声なので意外に思った。桜は面倒くさいとは思いながらも、国籍を偽った男が裏声を使っていると言わしめた怪しげな発音で答えていた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。