「試合が終わったらまた連絡します」
桜は内線の受話器を連城に返す。曽根からの電話だった。彼女は学園の応接室で試合中継を観戦し、装備変更を提案している。特に断る理由がなかったので、桜はその申し出を快諾した。
連城たちに礼を言って管制コンソールから離れ、Aピットに備え付けられたソファーに深く腰かける。第三試合をくつろぎながら眺めるつもりだった。
クッションに背中を預けたとき、すぐ近くから鼻歌が聞こえた。
桜は室内を見回す。先ほどピットに戻ってきた一夏は箒と話をしている。真耶と千冬、連城は管制コンソールに向かって仕事中だ。朱音は弓削を手伝っている。整備科の生徒は用を済ませてすぐに出ていってしまった。そうなれば残すはひとりだ。
――何でこの人が隣におるん? 理解に苦しむんやけど。
なぜかセシリアが隣にいて、ソファーに行儀良く座っている。紅茶の香りを楽しみ、桜の前にティーカップを置いて紅茶を注いでいた。
その後、セシリアは前屈みになって飲みかけのティーカップを置く。体を起こして背筋をまっすぐのばす。耳にかかった金髪をすくい上げた。
桜は一挙一動を強ばった表情で見つめる。セシリアが視線に気付いて整った形の唇を歪めた。
「メガモリさん。次の試合、どちらが勝つと思いますか?」
セシリアは返事を待ちながら背面のクッションにゆっくりともたれ掛かる。彼女の重みでクッションの形が変わり、猫背になった桜が上目遣いになる。セシリアの冷えた青色の瞳が合わせ鏡のように映り込む。
桜はわざと軽くせき払いしてみせる。魔性を帯びた瞳に捉えられてしまったのか目を逸らすことができない。
「あ……あの……織斑がいるので、せっかくだからお話をしてきたほうがええんやないでしょうか」
方言と丁寧語がまざったおさまりの悪い奇妙な言葉遣いだ。桜はある日を境にセシリアの機嫌を損ねまいと下手に出るようになっていた。セシリアは桜を前にするといつも以上に自信に満ちた態度になる。始終微笑を浮かべ、やることなすことすべて優雅だ。日本食と英国料理のどちらがおいしいか言い争っていた人物にはとても見えない。
――私のバカバカ。ぽろっとあんなことを口にせんかったら。……こんな難儀なことにならへんかったのに。
そのとき、桜の後ろに立っていたナタリアが不満そうに鼻を鳴らした。
「わたくしは、あなたに質問をしているのです。答えをはぐらかしてほしくありませんわ」
桜の耳元に顔を近づけて小声でささやく。桜は助けを求めて背後を顧みる。ナタリアが見かねて口を開こうとしたので、首を振って制した。
再びセシリアに顔を向ける。桜は生唾を飲み込み、瞳ではなく眉を見つめる。女のひとつひとつのしぐさが痴戯のような妖しい色合いを醸しだしている。その意味するところを想像するたびに、桜はこの場から逃げ出してしまいたいと思うのが常だ。
――初めて見たときと全然ちゃうんやけど……こんな人やったっけ。
入試で見かけた姿と今の姿の落差があまりにも激しい。桜は肩を震わせる。このまま沈黙を通せば彼女がへそを曲げるのは明らかだと察した。
桜は恐る恐る思いつきを口にする。
「四組が勝ちます」
はっきり言えば勘だ。簪と試合する前ならば、勝負は時の運だと口にしたに違いない。簪の気迫に打たれた今ならば四組だと言っても違和感がないはずだ。
「なぜ?
一夏ならば二組と答えるか、答えを濁すかのどちらかだろう。てっきりに勝負は時の運だと言ってごまかすかと思いきや、セシリアは予期せぬ答えに興味を抱いた。
桜は答えあぐねて目を泳がせる。期待混じりの視線に耐えかねて箒の助けを求めるべく、振り返って彼女の姿を探す。
今までの経験からセシリアには生半可な言い訳が通じない。頭の回転が速いので答えを先回りしてくるのだ。箒が一夏と一緒にいることを確かめて顔を戻す。
「四組代表である更識さんは、気合いで私たちに勝っています。先ほどの試合で見せた抜刀術を見たはず。更識さんは乾坤一擲の技を披露しました。あれほどの技術、彼女は相当稽古を積んだはずです。剣術に関しては専門家の意見を聞いたほうが良いでしょう」
要するに回答をたらい回しにするのだ。箒を巻き込んでしまえば、今ならもれなく一夏がついてくる。
桜はセシリアの魔の手から逃れる好機と見た。
「篠ノ之さん。篠ノ之さん。ちょっと聞きたいことがあるんやけど」
標準語にはないイントネーションを聞いて、箒は会話を中断し、不思議そうに桜を見つめる。
桜の顔色がよくない。普段からセシリアが苦手そうに振る舞っていたので助け船を求めたのだろう。一夏の相談にも乗ってやるべきだが、隣人のよしみもある。
セシリアがティーカップから唇を離す。箒の動きを封じるべく一夏には気取られないように鋭い視線を投げかけた。
「来たぞ」
箒は桜に声をかけた。
一夏は前を行く箒の肩越しに桜たちをのぞきこみ、いかにも興味本位の顔つきでいる。
桜はすぐさま腰をあげ、口をへの字に曲げているナタリアを手招きした。本当は朱音も呼びたいところだが、彼女は弓削の手伝いで段ボール箱を畳んでおり、手がふさがっている。
「佐倉。何の用だ」
「
「そんなことか」
箒はセシリアから離れるための口実にされたと感づいた。以前にも似たようなやりとりがあったからだ。桜の尻の形がくっきり残ったソファーに一夏を押し込む。もちろんセシリアに対する牽制だ。
箒の主観では、桜を前にしたときのセシリアこそ本来の彼女だ。男女構わず誘って狂わすような艶めいた魔女。それでもなぜか一夏の前では猫を被る。
セシリアや桜を一瞥してからわざとらしくせき払いした。
「勝負は時の運だ。覚悟があって実力があっても負けるときは負ける。凰と更識は互いに国家の代表候補生。実力は伯仲しているものと思うが、後は気力の問題だ。それでもあえて予想を立てるなら……」
箒はもったいぶったように言葉を切る。息を吸い、モニターを見やる。甲龍と打鉄が対峙する様子を眺め、再び顔を戻す。
「短期決戦なら更識。長期戦なら凰だ」
「その根拠は?」
箒が断言したので、セシリアが理由を述べるように促す。当然聞かれるだろうと予期していたのか、箒は「うむ」と軽くうなずいた。その後すたすたとソファーの周りを歩き回ってから桜の正面で足を止めた。
「体力。気迫で斬るような技はそう何本も打てないのが常だ」
箒はおもむろに手をのばす。桜の肩や腕、腰をぺたぺたと触る。桜のそばにいたナタリアが調子に乗って箒のまねをした。
「佐倉みたいに体を作っているなら別だぞ。細い体のくせに筋がまるで鉄のよう……そもそも何を想定して訓練したらこうなるんだ」
箒の疑問を耳にするや桜は待ってましたと言わんばかりに笑顔を浮かべた。
「だいたい空中勤務を八時間くらい続けて、そろそろ疲れて家に帰りたくなってきたタイミングで、敵陣の花火のなかに突っ込めと命令がある。敵航空戦力との乱戦。対空砲火、対空ミサイルが入り乱れるなかで被弾、発動機炎上。もしくは機体の維持が不可能となる。飛行困難のため空中脱出。自陣を目指して敵中突破する感じや。歩哨におびえながら、軽く二、三日は飲まず食わずでサバイバルせなあかんと思って」
何度も練習してきたので立て板に水だ。
――他にも気になることがある。ISを航空戦力と見立てて運用した場合、上空で絶対防御発動により昏睡状態となったら墜落死するのではないか。もし無事であったとしても捕虜になることは避けられないのではないか。
何度も決死のスカイダイビングを実践したせいか、どうしても気になるのだ。
――試した人がおらんから安全やって確証があらへん。
桜は誰かひとりでも感心するだろうと思って周囲を見回した。
ナタリアの顔が強張っている。箒はせき払いしながら後ずさっていた。一夏は桜の告げた状況を想像しようと試みる。どうしても思い浮かべることができず、つい口の端が引きつってしまった。
「今聞いたのは特殊な例だと思ってくれ」
予想の斜め上だったのは間違いない。
「ナタリアまでどうして目を逸らすん? 敵中突破するような事態は少ないと思っとる。敵によってはパラシュートをねらって機銃弾をぶっ放すから、たいていの場合は敵陣に着地する前にころっと逝ってまうよ」
桜は実体験や目撃談を交える。例の航空機シミュレーターの感想もまざっている。
「始まった」
不意に一夏の声がする。彼はモニターを見つめていた。
ピット内にいた全員が画面を注目した。合図と同時に打鉄が甲龍の懐に潜る姿を目の当たりにする。息をのんで見守るなか、不意の突風に驚いたようなどよめきが起こる。そしてまた刹那の時を経て沈黙が訪れる。気がつけば甲龍の体が地面に転がっていた。
▽
観覧席が第三試合の結果に騒然となるなか、桜は露天デッキに直行していた。すぐさま打鉄零式を実体化する。正中線を中心に装甲を観音開きとした。上半身だけを露出した状態で投影モニターを有効にする。
――そういえば。曽根さんが装備換装の手配をしてくれたんやった。
するとベルの音が聞こえ、振り返った先に業務用エレベーターの扉が開く。四組との試合前に鉢巻きを託した三年生が、同じ整備科の生徒を伴って台車を押して現れた。
「佐倉さん。換装用の装備を持ってきました」
「ありがとうございます。その箱……」
三年生が桜に声をかける。台車に鈍色の箱がふたつ重ねて乗っている。どちらも両手でようやく抱え込めそうな大きさだ。
三年生はもうひとりに向かって端末を起動するよう指示を出した。正面に回り込み、上半身を露出させた桜を見上げ、作業内容を簡単に伝えた。
「武装の交換を行うので、メンテナンス権限でISのなかに入らせてもらいます」
「……ああ。さっき曽根さんから指示があったやつ。いつでもどうぞ」
打鉄零式初の公式戦ということもあって技術者が視察に来ていた。倉持技研は主任技師の代わりに曽根を寄越している。彼女は応接室に設けられた中継会場から武装や装甲に関する見識を披露していた。二〇ミリ弾を弾き飛ばすなど実体盾の効果を確かめ、それだけでは満足できず連城を介して換装の手続きを行っていた。
――どうせ使うかどうかわからへんし。
桜は三年生たちの様子を見守る。
三年生が作業実施者で、もうひとりは手順の確認を行う係だ。
「拡張領域から実体盾を
「Tマイン?」
桜は作業完了を報告した三年生に向かって疑問の声を投げかけた。曽根から概要を聞いていたのだが、整備科ならば変わった武器の取り扱いに慣れていると思ったのだ。
「追尾地雷ですよ。フリスビーみたいに投げても構わないのですが、飛行速度が遅いのであまり使い物になりません。ですから、すれ違いざまに地雷を吸着させるやり方が推奨されています」
「へ、へえ……」
――曽根さんが言うたとおり、原始的な兵器やな……私が兵隊やってた頃と変わらんわ。
地雷を吸着させろ、と聞いて対IS戦に不向きな武器だと感じた。
――どっちにせよ織斑相手には使えん。懐に入ったらあの……青白い光を浴びてばっさり斬られてまう。
整備科のふたりは取り外した実体盾に器具を取り付ける。四角い箱からキャタピラが取り付けられた板状の機械を二個取り出す。これらは武器運搬用のロボットであらかじめIS格納庫までの見取り図が設定されている。スイッチひとつで指定した場所まで運搬できるようにプログラミングされていた。
人力で運ぶ手段もある。巨大かつ重量が大きい装備は取り回しが難しい。そこで運搬作業の無人化が積極的に推進されていた。
今回導入したTマインはISへ導入して初めて武器として使用できる。運搬中は何重もの安全装置が働いているのでただの金属の塊にすぎない。三組担当の三年生が有資格者かつ爆装の取り扱い経験が豊富なことから有人での運搬が認められたのだ。
桜は搭載済み武器一覧を呼び出し、実体盾が入っていた二番を確かめる。確かにTマインを示す文字が表示されていた。
「こちらでもTマインの搭載を確認しました」
桜が確認用の電子署名にチェックをいれ、通知メールを受け取った三年生がにっこりとする。桜の上半身が繊維装甲のなかに埋もれるのを見て、三年生たちも撤収準備を始めた。
「田羽根さん。田羽根さん。TマインをISに使っても大丈夫なのでしょうか」
桜は丁寧な口調で投影モニターの隅に映り込んだ二頭身に声をかける。憎たらしい二頭身は障子を閉めて悠長にお茶をすすっていた。簪との対戦で貫手が防御に使えることが判明している。他の物騒な兵器は使い放題なのに人体への攻撃を禁ずる理由は何か。
「もちろん使えるに決まってますよ! ISに搭載されている武器なんですよ。当たり前ですよ!」
「……いつまで経っても貫手を人体に向けるなって注意しとるのに?」
不満そうに唇をとがらせる。田羽根さんはお茶を飲み干してから湯飲みをちゃぶ台に置く。
「貫手と比べてはいけません。Tマインなら爆発するだけですよ。シールドさえあれば人体を傷つけることはありませんよ!」
「やっぱり矛盾しとる……ええわ。今回はTマインや貫手を使う場面がないから、試しに聞いただけやし」
零落白夜の青白い輝きが桜のまぶたに浮かぶ。
田羽根さんはちゃぶ台の下からせんべいをいれたかごを取り出し、頭部と同程度の大きさのせんべいをかじり始めた。
ボリボリと耳障りな効果音が聞こえる。この鬱陶しい効果音を消そうとすれば、音声を司るモジュールがすべて無効化されてしまう。おかげで放置する以外の選択肢がない。
「すると次の試合の戦い方が決まっているのですか?」
「遠距離戦に決まっとるやろ。相手は左腕のマイクロガンしか飛び道具がない。やったらみんなと同じことを考えるわ」
桜は当然のように答える。一夏と同じ土俵に立って勝負する気は微塵もなかった。簪のときとは相手の実力や条件が違う。あのとき最初から遠距離戦を選んでいたら、鈴音と同じ目に遭っていたはずだ。
「悪い顔をしていますね! 田羽根さんは大賛成ですよ!」
田羽根さんはいつものように注目指数を更新している。
桜はこの場で聞いておきたいことがあった。
「そーいや田羽根さん。もし私がへまをして白式の単一仕様能力の餌食になりかけたとする。さっきの試合みたいに貫手で防御することはできるんやろか」
信号灯が黄色に変わる。田羽根さんはせんべいのかごを下げて、いそいそと障子をあけた。そのあとちゃぶ台の上に乗っかり、桜の真正面に自分の体を拡大表示する。胸の前で腕を組み、ふんぞり返った。
「田羽根さんなら白式の
田羽根さんの顔に黒い影が差し、いかにも悪巧みに興じるかのような表情を浮かべる。
――篠ノ之束博士みたいな顔つきやな……。
箒の姉、篠ノ之束博士の数少ないインタビュー映像には、猫背になって悪巧みしながらほくそ笑む姿が映っている。ほかにも人を食ったような言動がいくつも残っている。研究者というよりむしろ悪のマッドサイエンティストのほうがしっくりきた。
――マッドサイエンティストと言えば千代場博士もそうや。
先日、倉持技研を再訪問して高機動パッケージの調整を行った際、千代場博士に挨拶した。大柄で雪のような白髪、でっぷり太っているが上背があって肥満を感じさせない。どこか大人物のような雰囲気を漂わせていた。
まったく似ていないふたりが並ぶ姿を想像する。
――年季が入っとる分、千代場博士がまともに見えるのは気のせいやな。
桜は気を取り直して田羽根さんに確かめる。
「そんなことが可能なんか」
「可能に決まってますよ。旧式のコアが田羽根さんのお願いを拒否するようなことはありえませんよ!」
桜は耳を疑った。
――今、旧式のって言ったような……。
「なにを言っとるんや。田羽根さんの言った内容が理解できん」
「田羽根さんに任せておけば、白式やここにいるすべてのISは敵ではなくなりますよ。さあ! 一言命令してください。『田羽根さんに全権を任せます』と言えばすべて解決ですよ!」
田羽根さんが両手を広げると、左手に幻惑迷彩模様の球、右手に白い球が出現した。中央に三つ穴が空いているのでどちらもボーリング球だとわかる。穴のすぐ側に数字が記されている。前者は「412」、後者は「00?」だ。
桜は幻惑迷彩模様のボーリング球をじっと見つめる。急に模様が浮かび上がってきて三桁の数字らしき図形が現れる。
――何や。
瞬きしたらまったく見えなくなってしまった。
「戯れ言を吐くもんやない。田羽根さんにすべて任せるなんてまねしたら、ろくなことにならへんわ」
田羽根さんが好き勝手にISを動かす姿を想像して、桜は眉根をひそめた。
「拒否。ええね。勝手にやったらあかんよ」
「……残念ですね!」
ちゃぶ台から降りた田羽根さんは、背中を丸め、両肩を落として背を向けた。そして丸い金色のやかんから急須に湯を注ぐ。
▽
信号灯が青に変わる。
――先輩方の姿はない。よし。露天デッキにおるのは私だけや。
整備科の三年生たちは田羽根さんと会話するうちに実体盾を運ぶロボットと一緒に業務用エレベーターで下の階に降りていた。桜はハイパーセンサーを使って発進前の安全確認を行う。
PICを使って空中の待機位置に移動した。
――こうやって面と向かってみると兄弟機には見えんなあ。
桜のISは幻惑迷彩を施した禍々しい姿だ。白式の姿とは対照的だ。打鉄零式を見て、一部をのぞき、かっこいいと認識するものはいない。白式の姿はさながら正義のヒーローのようであった。
一夏は血涙のようだと評された打鉄零式のレーダーユニットを直視するやにわかに表情を硬くした。面と向かってみると不気味さが際だっている。しかも両翼に位置する非固定浮遊部位に取り付けられたチェーンガンや多目的ロケットランチャー、
打鉄零式は名作ゲーム「IS/VS」発売後に発表された。マイナー機のため、DLCの開発要望がなく、今のところ模型の販売予定もない。一夏にとっては未知の機体だ。桜の技量はよくわからないところが多い。ISの搭乗時間がだいたい同じくらいで、ほとんどの時間を基本動作に費やしている。
「白式と
視野の右裾で田羽根さんが瞬く間に白いワンピースに着替えていた。瞬きした直後には別の衣装に切り替わっていたので交換したと表現したほうが適当だろう。何も変わっていないと思ったら、田羽根さんが布をつまんで持ち上げる。スカートにフリルがついていた。
――よし。渦巻きがぐるぐる回っとるな。
田羽根さんの両頬を見て、打鉄零式が万全の状態にあることを確かめる。簪とやり合った影響が少ないと見た。
「織斑。わかっとると思うけど私は勝負事には情けをかけない主義なんや」
開放回線のテストのつもりで口にした。織斑には私怨や恋心はこれっぽっちも抱いていない。だが、勝負する以上は勝ちに行く。
――容赦すれば自分が死んでまうからね。
「ああ。正々堂々力を尽くそう」
「正々堂々……。ええよ。がんばろう」
一夏のさわやかな声を聞いて、桜は言葉を濁しかけた。ISを使った戦いをスポーツとして認識する一夏とは違い、桜はより単純化された戦いだと考えていた。戦闘には相手が存在する。その相手をひとたび敵と認識してしまえば自分を優位に導き、敵を窮地へ陥れることをいとわない。桜は努めて明るく振る舞いながら、腹の底でくすぶった火に薪をくべた。
試合開始の合図までも一分を切っただろうか。桜の精神が研ぎ澄まされていくなかで、田羽根さんが「あっ」と甲高い声をあげた。
「何や」
伝言でもあるのかと思って、視野の裾に意識を向ける。
「お客様ですよ!」
田羽根さんが初めて口にする言葉だ。湯飲みを置き、いつになく真剣な表情を見せる。
「別の田羽根さんがやってきましたよ! その数、三。田羽根さんのことをよく思っ――」
田羽根さんの言葉が途切れた。
突然デバッグ用の小窓が開いてログが表示される。
――背部と腹部に原因不明の異常。バイパス変更って……え?
田羽根さんが頭を垂れて自分の腹をのぞき込む。
「こ……れは四七一の」
先端がとがった棒のようなものが生えている。背中から腹にかけて
「田羽根……さん」
田羽根さんの黒い瞳が虚ろな色に染まる。
障子のそばに立ち、三叉槍を引き抜いた犯人は田羽根さんと似ていた。黒いワンピースに悪魔を模した黒い羽。普段目にするのほほんとした表情ではなく、八重歯をむきだしにして悪意に満ちた顔つきだ。ウサミミカチューシャは未着用だった。両頬の渦巻き模様の代わりに
「いったい何が起こっとる……」
声が震えていた。状況が把握できない。畳の上でうつぶせに倒れた田羽根さんを中心として赤い染みが広がっていく。悪魔のような田羽根さんは三叉槍の血糊を拭おうともしない。まるで殺人事件の現場だ。
突如として画面中央に「CONTROL」と書かれた巨大なボタンが出現する。
――あれっ……あれっ。
桜が眼球を動かしても選択することができない。代わりに悪魔のような田羽根さんがこれみよがしに邪悪な笑みを漏らし、ボタンに触れた。
「クラス対抗戦第四試合。一組代表、織斑一夏。対、三組代表、佐倉桜。――試合開始!」
試合開始の合図が鳴り響き、すべてが闇に染まった。