熱線が空間を切り裂き、隔壁を焼いた。
フィールドを覆う灰色の壁は膨大な熱量にさらされ、徐々に溶け落ちていく。
――隔壁に電力が行き渡っとらん?
通電すればISの装甲以上に強固となる。桜が曽根本人から聞いた話だ。開発元である四菱の社員の言葉なので信じてもよいだろう。
熱線の照射が止まる。所属不明機・甲の両腕の白い箱から膨大な蒸気が噴きだしていた。化学式レーザー砲ユニットの連続照射限界時間に達したためだ。
すかさずLAMを射出した桜に向かって、田羽根さんが解説する。
「甲のレーザー砲ユニットは連続で三秒間しか照射できませんね! 冷却用熱媒体の開発が間に合いませんでしたね!」
「何でそんなことを知っとるんや!」
「もちろん、この冊子に書いてあるからに決まっていますね!」
田羽根さんが「甲」と書かれた冊子から適当なページをめくってみせる。
化学式レーザー砲ユニットは、最大三秒間の照射を二〇回まで耐えられるように設計されていた。連続で二秒以上照射した場合、液冷システムの能力を超えてしまう。さらに熱線の温度が限界時間に達すると砲身の劣化が進む。照射を直ちに止めて冷却材を投入しなければならなかった。
桜は三次元的に動きながら、異常に気づく。地面の下から鈍く重厚な振動が隔壁を伝わる。地鳴りのようなうなり声をあがる。
「何や。アリーナ全体が震えとるんか」
すぐさま田羽根さんに情報提示を求める。コア・ネットワークを介して取得した電力系統図が示された。アリーナのネットワークのうち、電力伝送制御をつかさどるサーバーが緑色になっている。楯無ら有志の奮闘が功を奏したことが明らかとなった。
さらに保安要員が復旧手順を実行したことで、電力が地下ケーブルを通じて伝送されていく。隔壁の色が変わり始め、灰から黒、黒から赤へと色彩の変化が生じる。破孔を感知したのか自動修復が始まる。隔壁が外の様子を透過し、破孔が目立たなくなっていった。
だが、システムに侵入した敵戦力は依然として抵抗を続けている。おかげでアリーナ内部の物理的移動を阻害する扉の電子ロック解除に至っていない。
「何だ。あいつ」
一夏は白煙を噴き上げて突入するLAMが、切り落とされるのではなく避けられたことに違和感を覚えた。
「さっきの熱線は連続で撃つことができへん。その間は腕を振り回すことしかできん。織斑、聞こえとるな!」
甲の体から吹き出る白煙。桜の言葉を聞いて、一夏は合点がいった。そして勝機が見いだせたような気がした。
「ああ……聞こえてる。熱線を避けたら攻撃。わかった!」
白式のスラスターに火をつけて突進。ほぼ同時に甲が三叉槍を拾い上げ、白式の軌道に向けて投擲した。
「あいつは無人機や。ばっさりいったって! 織斑、復唱して! これ重要なことや!」
桜の言葉は「あいつ」までは届いた。だが、一夏は自分を奮い立たせるべく叫び声をあげたことにより最後まで聞き取ることができなかった。
飛翔する三叉槍から避けるために高度をあげる。続いて天蓋付近から一気に急降下。位置エネルギーを運動エネルギーに変換し、雪片弐型を振りおろす。続いて柄をあごまで引き、刀身を水平に倒す。ひゅっ、という音が一夏の口から漏れた。
白刃が光の線と化す。激しい火花。一夏の腕が伸びきる直前に蒸気がその体を包み込んだ。
甲の全身から風が巻いたような底知れぬ叫び声があがる。一夏の後方では、チェーンガンの砲口からオレンジ色の光が連続して瞬く。シールドによって弾かれた弾丸が地面に穴を空けた。
「手応えがなかった。くそっ」
「織斑。来るで!」
蒸気のなかから赤い不気味な色が浮かび上がる。網膜を焼くような閃光。切れ目から白い箱が露わになる。一夏の体を燃やし尽くそうと二条の熱線が走った。
桜はチェーンガンを撃ち続ける。甲の注意を自分に向けさせるためだ。視野の裾で「EMPTY」というメッセージが点滅する。左側のチェーンガンの残弾が空になった。弾帯交換のためいったん格納。そのときになってようやく、桜に向かって乙が首を向けた。
赤い単眼の奥にノコギリ波が映る。
「何や!」
「ロックオンされていますね! ミサイルが来ますよ!」
耳をふさぎたくなるようなブザー音。ミサイル警報だ。桜は蛇行機動を試した。音が消える気配がない。アリーナという狭い環境で一度照準を固定されてしまえば逃げる手段がなかった。
乙が打鉄零式を視認し、ゆっくりと体を向ける。
――左右合計二四発もある。
桜はうろたえた。鳴り止まないブザー音。そしてミサイルの数や種類を知ってしまい、真っ青になる。なかには箱の深さ、そして明らかに二メートルを超える直径からして弾道弾と思しきミサイルが混ざっている。対空ミサイル一発程度ならもしかしたら処理できるかもしれない。だが、二四発同時は不可能だ。
桜は希望にすがろうと必死になった。一二.七ミリ重機関銃は気休めにしかならない。弾道弾を使用するにはアリーナは狭すぎる。誘導性能を発揮する前に隔壁にぶつかって爆発するだろう。だが、飽和攻撃とすれば十分すぎる効果をもたらす。
――隔壁は通電しとるんやろうけど、零式のシールドエネルギーがもたへん。競技用じゃ耐えられん。あかん。弾道弾は無茶や! 田羽根さんもろとも学園を吹っ飛ばす気や!
桜は焦りを感じながらも乙から距離を取り、なおかつ甲の熱線を避ける。多目的ロケットランチャーのロケット弾を実体化し、弾道を安定させるための事前作業を始める。
乙はミサイル発射口を地面と平行になるよう箱を立てた。各ミサイルはPICにより姿勢が安定している。
乙の大きな単眼が赤く点滅し、再び白いノコギリ波の残像が映った。
――来る……。
▽
「ウオオオオッ!」
そのとき一夏は、自分が何を叫んでいるのか理解していなかった。とにかく必死で熱線を回避した。その勢いで乙と桜の間に割り込むつもりだった。
「アエ……」
発射口がオレンジ色に光り、大小さまざまな大きさのミサイルが一斉に射出される。推進装置から火を噴き上げ、桜めがけて一直線に飛ぶかに見えた。
「ニアエ――」
無我夢中のまま瞬時加速。雪片弐型を零落白夜に変え、自身を砲弾に変えて飛ぶ。
感情が爆発し、鬼のような表情をしている。二四発とはいえミサイルの大群にはちがいない。白騎士事件、東京湾、不発ミサイルが飛び込んだ宿泊施設の残骸。がれきのなかから両親や兄弟を探そうとする少女の映像。事件の翌日、千冬がけがをして帰ってきたこと。姉の左肩、そして両膝がまるで一度切断されたような赤い筋が残っていたこと。走馬燈のように記憶が再生され、瞬く間に消え去っていく。
「間に合えってんだよ!」
刃を立て、ミサイルのなかに突っ込む。
次の瞬間、金属がひしゃげる音を耳にした。失速後、地面に激突。土煙を立てながら転がっていった。
▽
――織斑がおらんかったら死んどった!
白式らしき影が一瞬視界に入った。刹那、発射直後のミサイルがすべて切り裂かれて落下したのだ。桜は反応が遅れたことにぞっとした。
「あ、危なかったですね……」
田羽根さんはもう終わりだと思ったらしい。ちゃぶ台の下に頭を隠していた。尻と短い足がはみ出している。もぞもぞとうごめいてから頭をあげた。
――織斑は……。
白式が隔壁にぶつかって止まった。すぐさま土煙の上方から姿を表し、体を回転させて熱線を避けていた。
――煙? ケッタイな色をしとる……。
切断されたミサイルから漏れ出したミサイル燃料がフィールド中に散布されていた。なかにはターボジェットエンジンの残骸から出火した炎に触れ、化学反応により激しい爆発を生じる。ミサイルの一部に搭載されていたケロシンに着火して炎が燃え広がる。
フィールドにばらまかれたミサイル燃料の一部は空気と反応して白煙をあげていた。ここに来てケロシンの炎により反応がさらに活性化。アリーナには赤、紫、茶、黄など色彩豊かな煙に包まれていった。
――また警告音。今度は何や。
白式と打鉄零式双方のハイパーセンサーが搭乗者に劇物反応を通達。硝酸、ヒドラジン、ケロシンといった化学薬品が燃えているのだ。
――あかん。これはあかんわ。
桜は横倒しになって黒煙をあげる推進器を目にする。そして乙の単眼が自分をじっと見つめていることに気づいた。
その直後だった。けたたましいサイレンが響きわたる。アリーナのセンサーが劇物の流出を感知した。即座に循環器系を止める。フィールドの排水口につながる経路を遮断し、耐食性金属でふたをする。保安要員が回復したコンソールを使って防衛措置の状況を確認する。隔壁の破孔は自己修復の最中だった。通電したことで切断された繊維が互いに結びつく。薄く引き延ばされることになるので強度は劣るものの弾力性に富む。またフィルタとしても機能する。有害な煙を外部に漏洩させないための措置がとられていた。
「まず、あいつを片づけな」
いたるところから爆発が生じている。桜は乙の搭載武器が極めて悪質なことを理解した。
隔壁が機能を回復したことで、閉じこめられた人々の安全性が向上している。だが、循環器系が停止したことにより、密閉空間の温度や湿度がともに上昇を始めていた。
――織斑はどうなっとる。
桜はすぐに一夏の姿を見つけた。明らかに動きが鈍くなっていた。気負いと焦りが彼の集中力を削いでいた。熱線が通り過ぎ、脚部、そして非固定浮遊部位を焼かれた。切断された装甲が炎のなかに消えていく。
またしても爆発が生じる。化学反応を促進させ、勢いを増す。天蓋付近まで炎が達した場所もある。
乙が無人機であることを有利に生かすための手段を講じる。浮遊しながら太く長い箱を地面に向けた。単眼が不気味に輝く。桜には、まるでほくそえんでいるかのように見えた。
LAMを射出し、チェーンガンを放つ。乙は被弾に構わず、ふたをあけた。六発の爆弾が地面に向かって自然落下していく。
――何を考えとるんや……。
桜が不審に思う。
ほどなくしてまんべんなく地面に落下した。爆弾が炸裂し、フィールドの土がえぐれた。土の粒が周囲のISに降り注ぐ。長細い樽状に成形された金属が潰れ、タンクからケロシンをまき散らす。燃えずに残っていたミサイル燃料と酸化剤が混合。化学反応。
火花と濃密で真っ黒な煙がわき上がる。熱波と魂を引き裂くような衝撃波音。白式や打鉄零式、そして甲、乙、丙までもが吹き飛ばされた。隔壁にたたきつけられ、体勢を崩しかける。赤熱した金属の破片がアリーナ内部に散乱し、隔壁に突き刺さった。
「焼夷弾ですね! 温度がどんどん上昇していますね!」
桜が瞬きした直後、第二アリーナのフィールドはさらなる火災が引き起こされていた。炉のなかにいるような高温になっていく。隔壁から霧状の水を噴霧しているものの温度が高すぎて微々たる効果にすぎない。劇物反応と相まって地獄の炎と化していた。
――これはもう……戦争しとったときと変わらん。
桜は自分が底冷えした声を出していることに気づいた。
「これより所属不明機・乙を排除する。合戦や」
「じゃんじゃん殺っちゃってくださいね!」
すると田羽根さんが胸にぶらさげた破片手榴弾のピンを引き抜き、思い切り遠くに投げた。二回同じ動作を繰り返す。動きだそうとしていた丙の単眼から光が消える。腕を垂れ下げたまま動きを止めてしまった。
「丙の田羽根さんは少しの間動けませんよ!」
桜は甲高い声が妙に頼もしく思えた。田羽根さんが何かをやらかしたらしい。
――何をやったか知らへんけどありがたい!
桜は乙に注意を向け、いったん田羽根さんから目を逸らした。
そのとき田羽根さんが桜に背を向けてうずくまる。口元を押さえて何度もせき込む。手を離すと赤い液体がべったりと張りついていた。
桜はスラスターを噴かし乙に向かって一直線に距離を詰める。
炎のなかを飛び抜け、右側のチェーンガンを発射。乙は被弾したが気にするそぶりを見せない。シールドエネルギーに余裕があり、そのままの姿勢で非固定浮遊部位のふたをあける。
――チェーンガンだけでは貫徹力に欠ける。軍用の可能性……軍用機そのものやと思ったほうがええ。銃弾ではシールドを抜くことができん。となれば、いったん離れよ。
桜はスラスターを逆噴射した。そのまま横回転からバレル・ロールに転じて熱線を避ける。
背後から耳を聾するような爆音が聞こえた。
――格闘戦は苦手やってのに!
天蓋付近まで上昇。一条の熱線が目の前を通過。
――罠や。甲が頭を使ってきとる。
体を前に倒し、スラスターを一瞬だけ噴射。PICを無効化。錐揉みしながら自然落下に身を任せる。
もう一条の熱線が桜の未来位置を読み損ね、空を焼いた。
――頃合いか。
地面に激突する直前にPICを有効にする。桜はすぐさま左右のスラスターを交互に噴かしジグザグに体を動かす。
――方位よし。角度よし。乙が知恵をつける前に落としたる……。
非固定浮遊部位から何度も閃光が走る。乙のミサイルと打鉄零式のロケット弾の雨が真っ正面から交錯する。爆発音が容赦なく腹をたたいた。
――後は肉薄するだけ。どうなっても知らんわ。
間髪入れず瞬時加速を実行。チェーンガンを乱射。煙と飛散する破片のなかに突入。煙のなかをらせん状にひねりを加えながら乙の腹部へ飛び込む。
「さ……くら?」
乙の非固定浮遊部位の落下音が轟く。
煙が薄くなり、ある程度視界が開けた。乙の腹から背中にかけて槍のような物体が生えている。一夏、そして甲までも眼前の光景にしばし目を疑う。
「おい……お前。何をや……たかわかっ……て」
桜の耳に一夏の惚けた声が聞こえてくる。つい先ほどまで自分を奮い立たせていた男と同一人物の発言とは思えなかった。
――なるほど。こうなるんか。やっと理解したわ。
貫手がもたらした結果に、桜自身も驚いていた。
「あかんなあ」
桜は淡々とした声を出す。
右腕が乙の腹部を貫通していた。桜はパワーアシストを用いて、右腕を天井に掲げる。乙の両腕と両足が地面に向かって垂れ下がった。赤黒い液体が腹から流れ出す。打鉄零式の体を濡らし、赤いまだら模様に染まった。炎と煙のなか、完全露出したレーダーユニットが不気味に瞬いた。
「人体に向けるな」
桜がひとりごちる。
――シールドを貫通しおった。田羽根さんが強制的に止めるわけや。
にわかに信じられない光景だ。原則としてISのシールドは貫通できないとされている。龍咆は衝撃を浸透させる攻撃手段だが、物理的にシールドを貫通するわけではない。
例外は暮桜、そして白式が持つ零落白夜だ。シールドエネルギーを高密度に練り上げた刃で、エネルギーそのものを対消滅させる。そして刃の持つ切断という機能を実行する。半露出型装甲では人体に対して直接攻撃を加えることに繋がる。それ故、細心の注意を払って使用せねばならなかった。
――貫手には零落白夜のような機能はないはずなんやけど。
現存するISのなかでもトップクラスの強度を誇るマニピュレーター。鈍器として機能し、先端を鋭く研いだことで槍のような効果を得る。極めて原始的な武器のはずだ。
「別の田羽根さんがまだ生きてますよ! はやく息の根を止めてしまいましょう! 今こそTマインを使うときですよ!」
田羽根さんの甲高い声が耳についた。
――今が好機や。
桜は乙の体を自分と丙の間になるように支えた。Tマインを右手のなかに実体化させる。自由になる左手で乙の腰をつかみ、マニピュレーターをゆっくりと抜く。赤黒い液体で塗れた腕を引き抜いたとき、Tマインが消えていた。
打鉄零式のむき出しとなったレーダーユニットが赤く点滅する。
「佐倉っ! お前……自分が何をしたかわかってるのか! ころ……」
「丙の田羽根さんが気が付きましたよ! 砲弾が来ますね!」
一夏がうろたえ、冷静を欠いた声をあげる。だが、田羽根さんの耳に障る甲高い声が覆い被さり、桜の耳には届かなかった。
桜の視線が丙の動きに注がれていた。爆発音に紛れてモーターのかすれた音が聞こえ、機関砲の砲身が回転を始める。丙が六基からなる
砲が次から次へと弾丸を放つ。打鉄零式はもちろん、白式にも途切れることのない砲弾の雨が注いだ。
気が狂いそうになるほどやかましい。一夏の直線的な動きが予測追尾され、
桜は乙の体を盾代わりに使って突進した。手足を痙攣させ、非固定浮遊部位の維持すらできなくなった乙の体に無数の弾丸が吸い込まれる。
――このまま接近する。こちらに四基、織斑が二基。さっき被弾したみたいやけど構っとれん。
甲の熱線が飛び、乙の左腕が焼き切られる。あごが上向き、痛みにのたうち回っているようにも見える。だが、桜は意に介そうともしない。
――無人機や。別の田羽根さんが人のまねをしとるだけや。
途中、熱線を避けるべくジグザグに動いたことで接近まで時間がかかった。だが、すべての弾丸を乙が吸収したおかげでほとんど無傷だ。打鉄零式の足を止めるべく丙の両膝の機関砲が照準を修正した。弾丸は乙の足に集中。残り少ないエネルギーを最も被弾率が高い背中に回したことで乙の右足首が弾け飛び、粉々に砕ける。
至近距離に到達。桜は乙の体を丙に押しつけ、勢いのまま貫手を放つ。
――外した!
▽
丙は膝を折り、身を開いて突進の勢いを逃がそうとした。乙の犠牲により貫手の危険性を理解していた。なぜかシールドが機能しないのだ。ちょうど貫手がシールドに到達する直前、乙は自らシールドを解除してしまい貫通を許してしまった。その結果、乙は虫の息となった。もはやシールドの維持もできないほど衰弱している。
「しめしめ。田羽根さんがひとり減りますね。これで穂羽鬼くんに会いにいける確率があがりましたね」
丙の田羽根さんがにやにや笑っていた。両頬の温泉マークが回転し、杖をつきながらもがんばってふんぞり返った。痛みに顔をしかめ、水玉模様の手ぬぐいを巻いた足を引きずる。打鉄零式の田羽根さんが投げ入れた手榴弾の破片により足を負傷したのだ。おかげでISソフトウェアのデータに一部欠損が生じている。
「
甲乙丙の田羽根さんは最新型だ。ISコアは新世代に属するもので、いくつかの管理者権限を保有している。
丙の田羽根さんは創造主の気まぐれを呪った。識別機によれば打鉄零式のコア番号は四一二だった。同番号は旧世代のコアに付与されたものだ。GOLEMを導入したとしても田羽根さんの起動条件を満たさない。せいぜいISソフトウェアの性能が一割から二割向上するだけだ。
穂羽鬼くんならば同じような機能を持ち、下位互換性が保証されている。とはいえ、機能制限が発生するため、性能を最大限発揮するには四六八番以降のコアが必要だった。
「四一二の田羽根さんが本当は何番の田羽根さんなのか教えてもらいたいですね。ひとつの器に田羽根さんがふたりもいるなんて反則ですね」
手ぬぐいが真っ赤に染まった。水玉模様を確認することができなくなっている。仕方なく腰を下ろして新しいものに取り換える。
「貴重な運用データが消えていきますね。もったいないですね」
田羽根さんの姿はISソフトウェアの状態を表す指標だった。赤い液体はISソフトウェアのデータそのものを示す。赤い液体を失えばデータが消失し、損壊したことを示す。つまり田羽根さんが負傷すればISソフトウェアも損傷してしまう。もちろん定期バックアップをコア・ネットワーク上に置いている。どうしても差分が生じて古くなってしまう。今回の戦闘で手に入れた最新情報も一部が消失したにちがいない。
「まったく四七二の田羽根さんも惜しいことをしましたね。退役間近のディーゼルとはいえ、せっかく潜水艦とやりあったのに死んだら元も子もありませんね。欧米の新型を殺るんだと息巻いていましたね。
スピーカーのハウリング音がして、思わず耳をふさぐ。胸を打ち、息苦しくなるような爆発音だ。ISコア識別機が四七二番の反応消失を知らせてきた。
乙の体が爆ぜていた。打鉄零式の搭乗者は狡猾にも体内に
だが、丙の状況もよくなかった。左肩の三〇ミリ多連装機関砲一基が爆発の衝撃を吸収した結果、砲塔がねじ曲がった。非固定浮遊部位にも深刻な障害が発生している。すぐさま武装を量子化して格納。被害状況を確かめ、自動修復が可能な損傷か判定する。
「えまーじぇんしー。えまーじぇんしー。四一二が攻めてきた。四一二が攻めてきた」
突然鳴子が打ち鳴らされた。監視デーモンの舌足らずな合成音声が聞こえてくる。
丙の田羽根さんは痛みをこらえながら立ち上がった。
「四一二はふたりいますね。どちらか教えてくださいね」
「えまーじぇんしー。えまーじぇんしー。四一二は複数いる。四一二は複数いる」
「両方ですね。やっかいですね。白いほうは傷が深いので動きが遅くなっていますね。黒いほうはぴんぴんしていますね」
丙の田羽根さんは杖を左右に分かち、刃こぼれひとつないことを確かめ、再び鞘に納めた。
「かかってくるんですね。田羽根さんは負けませんね」
遠くからでも白いウサミミカチューシャが揺れているのがわかる。黒いウサミミカチューシャをはめた田羽根さんまでもが姿を現した。白いほうの背後にぴたりと張りついており、二体とも両頬に渦巻き模様が描かれている。
「見つけましたよ!
「四一二の田羽根さん。ふたりがかりとは卑怯ですね」
四一二の田羽根さんが小首をかしげ、すぐさま反論する。
「ふたり? 四一二の田羽根さんは最初からひとりしかいませんよ!」
「嘘つきですね。すぐ後ろにもうひとりの田羽根さんがいることはバレバレですね。今もほら、背後にいますね。三白眼で目つきの悪い田羽根さんがいますね。振り返って確かめてくださいね」
――しめしめ。四一二の田羽根さんは少し抜けていますね。
背後にいた黒いウサミミカチューシャは、四一二の田羽根さんの後頭部を見つめるように動く。首を振るたびに俊敏な動きで後頭部を追う。おかげで視界に入ることはなかった。
「どこにも居ませんよ!」
四七三の田羽根さんが隙ありと言わんばかりに仕込み刀を抜いた。