IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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今回は時系列の都合でGOLEM章と次章からあぶれた話。
書かないと後で困るので次章に先駆けて執筆しました。


間話
間話・紅椿


 クロエ・クロニクルはモノレールの車窓から海を見下ろし、一隻の真っ白な船を見つめていた。陸のすぐ側を航行し、側面に水産庁という文字が描かれている。船首を外海に向け、穏やかな潮風のなかを突き進んでいった。

 沖には海上自衛隊の護衛艦艇の姿。クロエの位置からでは遠すぎて、洋上に灰色の小さな点が浮かんでいるように見えた。

 モノレールが減速し、停車。終点に到着し、この車両が折り返し運転する旨の案内放送が流れる。ホームに降り立ち、改札口へ続く階段に向かった。構内放送によればIS学園行きのバスが運行中止らしい。そのまま改札口からロータリーに抜ける。バスの運行表の上に、やはり運行中止を周知するための張り紙がしてあった。

 

「物騒な……」

 

 クロエは眉根を寄せた。警察車両がロータリーの隅に停車しており、多数の装備で着ぶくれした警官の姿が目に入る。クロエは小さな手提げカバンから地図と携帯端末を取り出す。先日、上司にあたる藤原から一通のメールが送信されていた。文面はこうだ。

 

「疲れた。クロエちゃん。後は任せた」

 

 そう書き残し、彼は南半球の保養施設へ旅立ってしまった。藤原は創業時からの古株社員だ。篠ノ之束博士失踪により多大な影響を被ったひとりでもある。

 ――手続きはすべて終わっている……。

 クロエは地図を見ながらIS学園へ徒歩で移動する。スーツを着た男女がぞろぞろと歩道を通行し、警官の視線を気にしないようにしている。

 ――情報によればIS学園は何者かによる襲撃を受けた。

 嵐の後のようだ。通り道に面するカフェテラスには学園の職員と思しき男女の姿がある。

 IS学園に近くなるにつれて警察車両の間隔が狭まっていた。陸上自衛隊と思しき服装が増えていく。車道をトレーラーが走り抜けていった。企業ロゴに「化学」という文字が含まれている。クロエは目を細め、奇妙に感じた。工事車両や救急車が通過するならばまだわかる。だが、襲撃の後始末に化学的処置が必要なのだろうか。

 ――仮に化学兵器が使われたとしよう……。

 核・生物・化学防護服の代わりにISを展開する。うまくいけば激甚災害が起きても自分だけは生き残ることができる。黒鍵(くろかぎ)は篠ノ之束博士が自ら開発したIS。対外的には未発表となっている。黒鍵よりも優先して世に送り出すべきISが存在するためだ。

 ――しかし、黒鍵は使()()()()

 彼女の独断による黒鍵の展開や能力の行使そのものが禁じられている。SNNの規則では権限を有す社員二名の承認が必要だ。権限を悪用した私的利用禁止。篠ノ之束博士の独走を制限する目的で設けられていた。

 しかも承認権限を持つ社員は四名しかいなかった。一人目は失踪中。二人目は今ごろ南半球の保養施設。三人目は国際IS委員会の事務所。四人目は南アフリカ共和国ダーバンに設置した研究所の中だ。間違いなく電波が遮断された場所にいるだろう。

 クロエが学園の敷地に足を踏み入れたとき、列に並ぶよう求められた。立て看板に「IS学園訪問者受付」とある。仮設テントにはスーツを着た男性職員、そして警官が並ぶ。先客の顔が少しだけ強張ったものに変わる。いつになく厳重な警戒。テントの奥に並べられた長机にはノート型端末にさまざまな機材がつながっていた。

 氏名、身分証明書、訪問理由。事務的な声を耳にした。書類提示を求める声。書類がなければセキュリティ申請の有無。教員や事務、システム部への問い合わせ。そして荷物検査、ボディチェック。

 ――そこまでする……のですか。

 クロエは内心驚いていた。意図して不安そうな表情を作る。無表情では逆に怪しまれる。そう思い、眉根を寄せた。

 クロエの番になった。席に座り、職員の求めに応じて手提げカバンをプラスチックトレイの上に置く。警官の目が光った。カバンから荷物をゆっくりと取り出し、空になったことをわかるよう職員と警官に見せる。さらにポケットの中身や身に着けていた貴金属を外し、トレイに置いた。

 

クロエ(Chloe)クロニクル(Chronicle)

 

 淡々とした声で告げ、パスポートを差し出す。

 

「ギリシャ国籍……ギリシャ語ができるスタッフにつなぎましょうか」

 

 英語だ。クロエは首を振り、流暢な日本語を口にした。

 

「いえ。日本語ならわかります」

「では、訪問理由をお願いします。学園内に特殊金属やセラミック類を持ち込む場合は検査、ならびに書類を提示してください」

「私、こういう者です。弊社の藤原の代理で参りました」

 

 クロエはゆっくりとしたしぐさでトレイにのせたケースから名刺を取り出した。千冬と約束があることを告げ、透明のクリアファイルに挟んだ書類を職員の目の前に置く。

 

「確認致します。少々お待ちください」

 

 職員が席を立つ。機材の前に座る別の職員へファイルを手渡した。照合するために二言三言、言葉を交わす。続いて警官がトレイごと手提げカバンとその中身を、荷物検査用の機械に通した。さらに女性警官によるボディチェックを実施。職員がISの搬入申請書を見つけて、電話で問い合わせている。

 

「ISコアの管理会社……たしかに今日アポがありますね。藤原さん……あっ。これ一つ前だ。確認しました」

 

 職員が戻ってきた。

 

「確かに本日訪問の予定があります。こちらの都合で申し訳ないのですが、場所が変更になったので職員に案内させましょう」

 

 職員が警官に荷物を入れたトレイを返すように告げた。通行証明書を首に提げるよう指示が出た。帰る前にこのテントによって返却するよう言い渡される。

 クロエは荷物をしまい、立ちあがった。

 ――案内人にしては物騒な雰囲気だ。

 気配に気づいて顧みると、背後に私服警備員が立っていた。

 

 

 〇九四五までに公民館に来い。時間厳守。場所は知っているな。

 千冬が口にした言葉だ。今朝、箒はクラスメイトと一緒に朝食をとっていた。朝食の時間帯のとき、千冬はいつも白いジャージを身に着けている。だが、このときばかりはスーツ姿に薄化粧を施していたのでびっくりしてしまった。

 

「貸し会議室は……ここか」

 

 千冬に言われたとおり、箒は公民館のなかにいた。扉が開放され、脇に屈強な体をした警備員が立っている。無言かつ直立不動。箒を一瞥し、すぐに周囲を探るような雰囲気を発した。

 

「失礼します」

 

 会議室へ足を踏み入れる前に、張りのある凛とした声を腹から出す。

 

「入れ」

 

 千冬だ。声にしたがって入室する。貸し会議室は十畳ほどの広さで、中央に配置した机を挟んでソファーが向かい合っていた。箒は床に目を落とす。

 ――机の跡が残っている。ソファーはこの部屋のものではないな。

 続いて窓際へ視線を移す。さらに遠く、少し離れた対岸の建物の屋上へ。銃口がこちらに向けられていた。

 ――狙撃手(スナイパー)。本当にここは日本なのか?

 不安よりも疑問が先立つ。先日の襲撃事件の影響により校舎は立ち入り禁止。寮は一部の部屋で窓ガラスに亀裂が生じてしまい、一部の生徒が部屋を移動した。一〇二五号室は無事で両隣も大丈夫だった。だが、鷹月静寐と夜竹さゆかの部屋が被害に遭い、それぞれ一〇二七号室、一〇二八号室で寝泊まりしていた。

 避難した生徒のなかには布仏や鷹月のように軽傷を負った者がいくらかいる。一夏は無傷だったので喜ぶべきなのだがそうもいかない。残念なことに桜が重傷を負って入院してしまった。

 ――織斑先生。そして山田先生がいる。机にはお茶請け。学外の者と面談でもするのだろうか。

 箒はきょろきょろする振りをして周りを見回す。真耶がノート型端末と大きな液晶モニターとの接続チェックに勤しんでいる。

 ――どうも。いかんな。狙撃手が気になって落ち着かない。

 千冬はどのように感じているのか。箒は視線をソファーに背を預ける担任に向ける。そのままゆっくりとした足取りで彼女の正面に回りこんだ。

 

「立っていてもしょうがない。座れ」

 

 箒は一言断ってから末席に腰を落ち着ける。ふかふかして妙な気分になった。

 

「篠ノ之。突然呼び出してすまんな」

「いったいどんな用件なんですか?」

 

 箒の問いに、千冬は改まった顔つきで口元をゆるめた。

 

「先方の到着まであまり時間がない。要点だけを言う」

 

 千冬の真剣な眼差し。箒は思わず生唾を飲み込んでいた。

 ――この前振りは……。

 

「篠ノ之。企業からISの専任搭乗者として指名があった。企業の担当者……代理と手続きを行う。SNNという企業だ。知っているか」

 

 久しぶりに耳にした言葉に、箒は思わず眉をひそめ、顔をうつむける。

 ――肯定。SNNはシノノノの略称だ。三文字にしたくて最後のNを抜いた。ああ……聞きたくなかった。

 一時は忘れようとさえ思っていた。束が突然起こした会社。設立当初の資本金はその五〇%を箒が出した。より正確に記すならばお年玉貯金を全額巻き上げられた。

 

「知っています」

 

 気持ちが表に出てしまったのか声が沈んだ。対して千冬は頬をかいて詫びを入れるような表情を見せた。

 

「こんな事態になったから延期しようという話もあったんだが、先方のスケジュールがな。調整の結果、急きょ今日に決まった」

 

 千冬はばつが悪い顔つきでいる。束を思い浮かべているような目だった。引っ越す前、箒はよく姉の実験に付き合わされた。いつも決まってひどい目に遭う。すると、千冬がいつも助け出してくれた。その頃の彼女がよく浮かべていた表情とまるで変わっていない。

 ――千冬さんだな。昔と同じだ。

 胸に懐かしさがこみ上げてきた。ちょうどそのとき、真耶の声がして入り口に視線を向ける。

 

「お、お客様が見えられたようです」

「山田先生?」

 

 真耶が戸惑った様子だ。白式受け入れ以前、倉持技研の技術者と打ち合わせしたときはもっと堂々としていた。初めて一夏を前にしたときのようなおどおどとした雰囲気に近い。真耶が驚いた理由はすぐに明らかとなった。

 ――私と変わらないではないか。

 予想外に若い。一五、六に見える。箒は驚いて目を丸くしてしまった。訪問客が軽く会釈した後、異様な双眸が露わになってさらに驚く。

 

「SNNのクロニクルです」

 

 あまりにも心地よい声音。ドレススタイルの白ブラウス、青色のフリルスカート。透き通ったように白く華奢な手足。青白い銀色の長髪。光の加減で微かに紫色に変化した。

 ――恐ろしい美人だ。そして、()()()()()()()()をしている。

 

 

 大画面が点灯し、白いTシャツに青いジーンズという出で立ちの中年男が映っていた。千冬が思わず感嘆の声を漏らすほどの男前。「男たる者、かくあるべし」を体現したかのような顔立ちと体つきなのだ。

 そして画面のまんなかに黒いノート型端末があり、不思議の国のアリスを象ったドレス姿の女性が映っている。人を食ったような表情で、不健康な吊り目だ。化粧っ気はない。それでも顔の造りが整っているおかげで美しく見える。そして篠ノ之箒とよく似た顔立ちでもあった。

 あいさつを終えたクロエが画面に登場したふたりを簡単に紹介する。

 

「左にいる男性が弊社の藤原です」

 

 藤原が頭を下げ、「うちの姪がいつもお世話になっております」と口にした。

 真耶がいぶかしむように首をかしげる。千冬が間髪入れず耳打ちした。

 

「山田君。うちのクラスに同姓の生徒がいるだろう。彼女の叔父だ」

「えっ!」

 

 ひどく驚いた顔をしている。箒には千冬の言葉が聞こえず、別のことを考えていた。

 ――見覚えがある顔だと思ったら、あのときぬか喜びさせた男ではないか。

 幼い頃、束が突然「紹介したい人がいるんだ」と前置いて自宅に男を連れ込んだことがある。二〇歳も年上だと聞いて子どもながらに胸を高鳴らせたものだ。後で勘違いだと知ってずいぶん恥ずかしい思いをした。

 

「モニターのなかの女性は、既にご存じだとは思いますが、篠ノ之束博士です」

 

 IS関係者のなかでは知らない者はいないだろう。千冬の目には既にあきらめの色が浮かんでおり、箒は冷ややかな目つきだ。クロエは平然として無表情。ただひとり真耶だけが興奮した面持ちだった。

 

「やあやあわれこそはSNNのしーいーおー。篠ノ之束であーる」

「弊社の最高経営責任者。篠ノ之束が『私どものためにお集まり頂きありがとうございます』と申しております」

 

 間髪入れず藤原が同時通訳した。真耶が呆気にとられている。

 ――こういう人だった。

 久々に束を見て、クスッと来るかと思えば恥ずかしさで胸がいっぱいになった。戸籍上において姉ではなくなっている。だが、血のつながりは死ぬまで続く。

 

「やあやあやあ! 久しぶりだねえ! ずっとずーっとこの日を待っていたよ!」

「……姉さん」

 

 箒が渋い顔でつぶやく。その言葉をマイクが拾った。ほんの一瞬だけ、つまりデジタル信号がアナログ信号へと変換される微かな間が生まれた。

 

「うんうん。束さんはわかっているよ!」

 

 束は画面のなかで腰に手を当ててふんぞり返った。

 すぐさまカメラに頬を近づけ、人を食った顔が画面いっぱいになる。感情の高ぶりを抑えきれず、いつにない饒舌でまくし立てた。

 

「欲しいんだよね? 君だけのオンリーワン。代用無きもの(オルタナティヴ・ゼロ)。箒ちゃんの専用機。もちろん用意してあるよ! そのためにこの場を用意したんだもの。最高性能(ハイエンド)にして規格外仕様(オーバースペック)。そして、箒ちゃんを本当の高みへ導くもの。SNNが誇る最新鋭機。その機体の名前は」

 

 藤原があらかじめ隠し持っていたクラッカーを鳴らす。よく見れば足元のブルーシートにシンバルまで用意してあった。

 束が溜めに溜めて、ISの名を言い放った。

 

紅椿(あかつばき)!」

「断る」

「……へっ?」

 

 箒の即答にその場にいた者のすべてが呼吸を忘れたかのように静止した。束が間抜けな声を出して目を丸くしている。予想と異なる切り返しに困惑を隠せないでいた。

 

「ど、ど、どうしちゃったの! 『……ありがとう』って頬を染めながら素っ気ない態度で返してくると思ったのに! 専用機なんだよ? 全スペックが現行のISを上回る……()()の……束さんお手製のISだよ?」

「私より優秀な搭乗者はたくさんいる。実績もなければさほど適性が高いわけでもない。なぜいきなり、この時期にISを提供しようとする」

 

 箒は正論を吐いた。裏があるのではないか。姉の言葉を素直に受け取る気になれなかった。

 ――嫌な予感がする。

 クロエの双眸を見たときからずっと胸がざわついていた。邪悪な何かがうごめいている。箒の直感は当たることが多い。そもそも姉の関わってろくな目に遭ったことがない。ISを開発する以前。ISを開発した後も同じだった。姉の影がついて回るのだ。姉が分籍を申し出たとき何か変わるのかと期待し、そして失望した。

 

「株主優待だよ。箒ちゃんは大株主様だからそれ相応の対応をするんだよ。専用機があると練習がはかどるよ! それにもにょもにょ」

「そのISにろくでもない隠し機能をつけたに違いない」

「ぎくぎくっ。束さんはそんなことしたりしないよー。やだなあ。お姉ちゃんは箒ちゃんのためを思ってやってるだけだよー」

 

 箒が次から次へと言葉の矢を放つ。

 身に覚えのある束は何度も肩を震わせ、目を白黒させる。考えていたよりも箒の態度が柔らかく大人だった。束はしかたなく考えを巡らせ、箒が気に入るような言葉を口にした。

 

「このISがあればいっくんの手助けができるんだよ!」

「……本当か」

 

 一夏の役に立つと聞いて箒の心が揺れた。

 ――もし、本当に一夏の助けになるなら……。

 悪くない。頭の片隅では「止せ。やめろ」という声が聞こえた。たとえ肉親であっても、束が善意でISを提供するのだろうか。()()()()()。時折予言者めいた物言いをする姉が解せなかった。

 ――だがこれはチャンスだ。姉が与えてくれた機会を生かすべきだ。

 頭の奥でひっきりなしに打ち鳴らされる警告音を聞かなかったことにした。

 

「このISがあれば白式の欠点を補うことができる。お姉ちゃんの言葉だもの。間違いないよ」

「……さっきはわがままを言って申し訳なかった。改めてよろしくお願いします」

 

 箒は深々と頭を下げた。

 

「じゃあ。善は急げだね! くーちゃん。あれを渡してよ!」

 

 束は妹の様子に満足したのか、上機嫌になってまくし立てた。

 

「ISを持参しました。これが申請書です」

 

 クロエがクリアファイルを千冬に差し出し、中身の確認を求める。

 千冬は一言断ってから書類を手に取った。藤原との打ち合わせで記入を求めた書類がすべてそろっている。そのなかにISの搬入許可証も含まれていた。

 

「確かに許可を出したが、本当に持ってきたのか」

「紅椿は開発が終わっており、すぐ稼働状態にすることができます」

 

 クロエが淡々と説明した。

 千冬と真耶が一枚ずつ記載内容に不備がないことを確かめる。

 

「SNN666……型番号か」

 

 千冬のつぶやきを耳にして、箒は目を伏せた。

 ――単に語呂がよくて格好良かっただけな気がする。

 一瞬、獣を連想してしまい、不吉な数字と感じてしまった。束が映画やドラマの影響を受けているのかもしれない。頭を振ってお茶に口をつけたクロエをじっと見つめる。

 

「ISコア番号〇七七。研究用のコアじゃないか」

 

 束がそのコアを手元に残したのは箒の誕生日が七夕だからという理由だ。

 クロエは視線に動じることなく湯飲みを置く。

 

「ISはこちらに」

 

 手提げカバンから手のひらに納まる程度の小さな箱を取り出す。箱を裏返して、溝に爪を引っかける。親指の指先くらいの大きさのガラス面が出現。クロエはそのガラス面を凝視した。

 ――虹彩認識。

 この技術は誤認率が少ない。空港で個人を識別するために導入されたり、一部の国では出入国手続きにも利用されている。

 千冬はクロエの様子をいぶかしむような目つきで見つめていた。クロエが箱を開けて、紅色のイヤーカフスが千冬や箒たちに見えるよう机に置いた。

 

「藤原さんの話ではガントレットだったぞ」

「女性なら装飾すべきとCEOがおっしゃいました。この件に関して、本人から申し開きがあるようです」

 

 クロエが画面を見るよう促す。

 

「ガントレットでいいなんてぷんぷん! 味気ないよ。箒ちゃんはもっとお洒落をしなくちゃ!」

 

 束の鼻息で画面が白く曇った。

 ――ガントレットでよかったのに……。

 箒も耳が隠れるほどの長髪だ。セシリアのようなイヤーカフスを身に着けても目立ちにくい。待機形態は腕輪などの装飾品が一般的だ。一夏の気を引くならお洒落に気を遣うべきとは思う。だが、いきなり耳を飾るのは抵抗があった。

 

「後で形状を変更できます。どうかこのままの状態で受け取ってください」

「む……。後で変更できるなら。わかった」

 

 クロエが淡々とした様子で告げ、箒が仕方なく二つ返事で承諾する。

 束がその様子を食い入るように見つめ、小さな箱が箒の手のひらに乗っかる様子を目にした。

 その途端、甲高い声がスピーカーから響く。

 

「やったね! 箒ちゃんが受け取ったよ! お姉ちゃんぶいっ!」

 

 無邪気にはしゃぐ声。千冬と同い年には見えなかった。

 

「じゃあ、紅椿の特徴を話すねっ! 紅椿はGOLEMシステムのVer.2を採用しているんだよ。GOLEMシステムは倉持技研の打鉄零式も採用しているから、ちーちゃんは知ってるよね」

 

 千冬は画面に向かってうなずく。

 束がその様子を見届けてから続けた。

 

「このシステムはISソフトウェアをより最適化することで、なななんと! 導入するだけで一割から二割性能が向上する優れものなんだよ! しかも搭乗者をサポートするAIを導入すれば性能が三割り増しを超える画期的なISソフトウェアなんだ。くーちゃん。あれを箒ちゃんに渡して」

 

 クロエはうなずき、再び手提げカバンからカードケースを取り出す。

 ――今度は何だ。

 ふたを開けると、シールの束が出てきた。大きさは五センチ四方でお菓子のおまけとよく似ている。

 

「それは?」

「シールです。食玩風に加工しています」

 

 箒の問いにクロエが淡々と答える。

 ――嫌な予感しかしないぞ……。

 背筋に寒気が走った。クロエに促されるまま、シールを見やる。左上に通し番号。恐ろしいことに百枚もある。

 表には二頭身人形と名前。裏面には簡単な解説が記されている。

 箒は一番上の一枚を手にとって顔の前にかざした。

 

「もっぴい? レベル1。職業、村人」

 

 ――なんだコレは。

 箒はとにかく混乱していた。もっぴいはしたり顔を浮かべ、体は薄橙色だ。髪型は箒そっくり。指先をそろえて鎌のよう形で構えている。腰を落として地を這うような姿勢だ。蟷螂(とうろう)拳の格好のつもりらしい。見ているだけで憎たらしくなってきた。

 隣からのぞき込んでいた真耶が顔を背けて、口を手で押さえている。体が小刻みに揺れた。箒は真耶のツボに入ったものと推測する。

 箒は隣の様子を気にせず、他のシールを数枚抜いた。

 

「レベル五〇。穂羽鬼くん。レベル七五。穂羽鬼くんデラックス版……」

 

 穂羽鬼くんの意匠は明らかに箒をデフォルメ化したものだ。ただし髪型が異なる。おかっぱ頭で凛とした鋭い眼差し。服装は剣道衣で木刀を手にしている。デラックス版は紅い甲冑を身につけ、兜を脇に抱えていた。ちなみにレベル一〇〇は「ゴッド穂羽鬼くん」である。

 ――姉さんは私にどんな反応を期待しているんだ?

 わからない。箒は困惑し、千冬に助けを求める。だが、千冬も同じように戸惑った目をしていた。笑うべきか怒るべきか判断がつかないでいる。

 束は微妙な空気が漂っていることも構わず、言葉を続けた。

 

「じゃーん。紅椿だけ特別にレベル制を導入してみました!」

 

 開いた口がふさがらなかった。クロエは眉ひとつ動かしていない。千冬と真耶、箒は悪質な冗談だと思った。クロエと藤原に目を行き来させて、そう口にしてくれるのを待つ。だが、いつまで経っても期待するような答えが返ってこなかった。

 

「紅椿は超高性能機! 第四世代! でも、今の箒ちゃんじゃ実力が伴わない! チュートリアルをこなし、ISソフトウェアやISをレベルアップさせることで秘密機能やリミッターが解除されていくんだよ! すごいよねっ! 絢爛舞踏(けんらんぶとう)とか雨月(あまづき)空裂(からわれ)穿千(うがち)とか! あっ。絢爛舞踏は最初から使えるよ! 試してみてね!」

 

 束の解説が続いた。

 クロエはゆっくりと三人の顔を見回し、意味深にうなずいてみせる。

 

「そ……それでレベル1の紅椿はどんなISなんだ」

 

 束と付き合いの長い千冬が一番最初に立ち直った。だが、それでも気を落ち着かせるために大きく深呼吸をせざるを得なかった。

 

「さすがちーちゃん。お目が高い! じゃじゃーん。これが本邦初公開、()椿()()()()()だよ!」

 

 束が画面いっぱいにイラストを映しだす。

 ――紅椿と名付けるくらいだから真っ赤で派手だと思っていたが、ものすごく地味だな。

 見た目は全身を真っ黒に塗った甲冑だ。華美さを排除しており、白式とくらべてこぢんまりとした印象を受ける。むしろ黒椿と名乗るほうがしっくりするだろう。

 背部にスラスターと思しき丸いノズルが申し訳程度に搭載されている。他にも足裏、手のひらにも噴射口が存在する。非固定浮遊部位は三〇センチ四方の箱がひとつ。小型レーダーや遠隔カメラを搭載し、背中に固定することができる。どういうわけかもっぴいのしたり顔が濃灰色で描かれており、とても鬱陶しい。

 ――武装はロングブレード。杖。擲弾(てきだん)投射器。網……網って何だ!

 

「箒ちゃんは杖術を学んでいたから大丈夫だよね」

 

 束はしきりに杖を気にして、網については一切触れようとしない。箒が「網……」と口にするたびに、千冬に思い出話を振った。

 ――くそっ。気にするなという意思表示か? 明らかに話題をそらそうとしている。網が気になってしかたがない!

 箒は網から目を離すべく、ISの装甲に注意を向けた。

 右肩当は円弧を描き、左肩当には格闘戦を考慮した突起が出ている。ただし、二重装甲になっており、突起を半ば包み隠していた。腕当が手首の可動範囲を確保するために少し浮いている。左腕にのみ小盾を装備。表面の凹部に筆記体風の書体で「666」という数字が彫られている。

 ――胸部装甲があるのか。胸が隠れるのはなかなか好印象だ。

 腹部にかぎって繊維装甲が採用されていた。股当は腰からつりさげているので可動範囲が広い。ISのひざやすねを形成する装甲も丸みを帯びている。しゃがんだ姿勢のとき大腿部を保護するための扇板まで取り付けられていた。

 ――ISらしくない。もはやパワードスーツだ。

 拡張領域(バススロット)のイラストの側になぜか頭部を覆う装甲の絵が存在した。ヘルメットと額から下を覆うバイザー。ヘルメットはシュタールヘルム型に準じた形状である。第二次大戦中のドイツ軍が採用していたものとよく似ている。両側面に五輪マークを上下反転させたような、それぞれ独立した丸い溝が特徴的だ。バイザーはガスマスクのような面頬と紅い眼鏡が一体化していた。

 ――どういうわけだ。

 さきほどからずっと嫌な予感がする。

 

「いくつか注意点あるんだよー。レベル1だからシールドエネルギーの出力が少しだけ弱いんだよねっ! でも箒ちゃんなら大丈夫。攻撃が当たらなければ問題ないよん」

 

 ――そうか。シールドが薄いのか。

 ISのシールドは、時として衝撃の浸透を許してしまう。桜が肋骨を折ったのもそのためだ。また、甲龍(シェンロン)の龍咆がこの性質に目をつけて開発されている。

 束は忘れ物を思い出したように手を合わせた。

 

「そうそう。これも言っておかないとね! レベル1だからスラスターの出力も小さいんだよん。すぐレベル2に上がると思うから、そのときにはもう少し動きが機敏になるはずだよー」

「打鉄とくらべたらどの程度になる」

 

 千冬が質問した。IS学園に所属するISは打鉄が最も多い。専用機の性能を推し量るとき、打鉄やラファール・リヴァイヴとくらべていくら、という話を耳にすることがある。

 

「打鉄の六割程度だね。飛行時の最高速度は時速二八〇キロメートル。打鉄だと標準仕様で四五〇くらいかなー。だけど、アリーナで対戦する分には問題にならないはずだよー。手足のスラスターで調整すればだいぶ小回りが利くから、対戦相手の練度がめちゃくちゃ高くなければ、戦術の工夫次第でどうにもでもなるよ」

 

 ――機体性能が相当抑えられている。打鉄よりも性能が低い……ものすごくまずいんじゃないか?

 箒は不安を抑えきれずにいた。考えが正しければ、レベル1の紅椿は学園最弱機ということになってしまう。だが、箒はその現実を認めたくないがためにイラストを凝視した。

 ――大丈夫だ。カタログスペックが性能を決めるんじゃない。さっき姉さんが言っていたじゃないか。戦術次第でどうにでもなるって。

 もちろんセシリアら代表候補生との対戦を考慮に入れていない。低性能の機体で勝利する姿を想像できなかったからだ。

 束は互いに顔を見合わせる千冬と真耶に構おうとはしなかった。

 

「じゃあ! 早速フィッティングとパーソナライズにいってみよーかー」

 

 

 第四アリーナの使用許可をもらってきてみれば利用者はひとりもいなかった。第二アリーナから最も遠い第六アリーナに利用者が集中したためだ。

 搭乗時の調整はクロエ監修のもと、整備科の生徒が実施した。作業そのものは二〇分程度で完了している。事前に箒の大まかな身体データが入力されていたのでさほど苦労はなかった。

 

「真っ黒だな」

 

 箒は自分の体を見た。手のひらを見れば、本当に噴射口がついている。拡張領域(バススロット)導入(インストール)されたデータを見て、ヘルメットとバイザーを実体化する。視界の範囲が狭まるのだが、最低限必要な情報が表示されている。まるで眼球の上に直接描き出されているようだ。

 ――()()()()行ってみるか。

 試運転として両手を正面に突きだし、スラスターを噴射。オレンジ色の派手な炎が噴き出す。そのまま数十メートル後方へ吹っ飛んでいた。そして落下。何度も錐揉み回転を続ける。そうかと思えば地面が目の前にあった。

 

「篠ノ之。遊びじゃないぞ」

「違います……」

 

 千冬だ。ピットから開放回線(オープン・チャネル)を通じて呆れ混じりの声が聞こえてきた。

 箒はスラスター出力値に注意を向けた。画面に「MAX」と表示されている。

 ――いきなり出力全開だと!

 最適化(パーソナライズ)が済んでいるにもかかわらず融通が利かない。ISソフトウェアがまったく最適化されていないように思えた。

 ――レベル1……どういうことだ。

 箒が打鉄を操縦したとき、望んだ動きができた。微妙な力加減さえも再現できた。だが、紅椿にはかゆいところに手が届く感触がない。

 

「箒ちゃん。箒ちゃん。チュートリアルは始まったかなー」

 

 今度は束だ。緊張感に欠け、ぼんやりとしている。何かを待ちわびる声だ。

 箒は他人行儀な口調で束に話しかけた。

 

「篠ノ之博士……さっきからずっと口にしているチュートリアルとは何ですか」

「むむ、堅いなー。辞書的に言えば製品の機能解説や使用方法を書いた教材だね。でもね。お姉ちゃんは優しいんだよ! 箒ちゃんにヒントをあげる! 投影モニターに表示されているものをすみずみまで探してみよー!」

 

 箒は地面に手をついて立ち上がった。言われたとおり眼球を動かして、画面をくまなく探す。

 ――確かにあったぞ。()()()()()()

 嫌な予感が続いていた。束がしきりに「早くっ。早くっ。早くっ」と連呼している。箒は少しだけ思慮を働かせ、ピットとの通信を開く。

 

「織斑先生。山田先生。端末からログインしてISソフトウェアの検査をお願いします。画面に妙な段ボール箱が映っています」

「わかった。無線で作業するから若干時間がかかるぞ」

「構いません」

「ちょっ、どうしてそんな反応なの? 私の知ってる箒ちゃんじゃない! ちーちゃんも箒ちゃんも何か冷たいっ!」

 

 ピットで千冬たちが作業する間、音声回線の向こうから束が幼い頃の箒について熱く語っている。もちろん、誰も聞いていない。気がつくと箒の身に覚えのない思い出まで語っていた。

 

「未検出です」

 

 真耶が結果を告げる。

 ――おかしい。

 眼前にもぞもぞと動く段ボール箱が表示されている。明らかにウィルスか何かだ。

 ――拾ってください……と書かれている。

 段ボールの上に大きな赤い矢印が表示された。吹き出しの文字が「開けてみてね」とポップ体になっている。怪しいにもほどがあった。

 

「篠ノ之。検査しても問題が見つからなかった。さきほどの束の話ではAIがいるそうだ。打鉄零式にもAIが存在していたらしい」

 

 千冬が思い出したように言う。半信半疑といった口ぶりだった。打鉄零式のAIは搭乗者以外が認識できなかったため存在を疑問視されている。ただ、桜が襲撃後の聴取にてAIの存在をほのめかす発言を行っていた。

 

「とりあえず開けてみてくれ。幸い束やクロニクルさんがいる。最優のバックアップがついていると思え」

 

 千冬が対処不可能だと暗に示した。

 ――悪い予感がしていたんだ。心の声に耳を貸すべきだったな……。

 箒は諦めきった表情で嘆息し、段ボール箱を選択してふたを開ける。

 

「何だこれは!」

 

 箱から飛び出してきた二頭身を見て、箒は大声で叫んでいた。

 食玩風シールと瓜二つの「もっぴい」が出現したのだ。四体もいる。しかも腹に赤い文字でそれぞれABCDと書いてあった。

 

 

 


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