IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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私的に近畿地方と思しき言葉で書いた結果、タグに記載した通りおかしな方言になってしまいました。
5/12 方言を使用する登場人物の科白を修正しました。おかしな方言だったものを伊勢弁に近づけました。
5/17 IS学園一般入試出願数と倍率を修正しました。


中学三年生
中学三年生(一) 佐倉桜


「もう朝なんか。早いなあ」

 

 佐倉(さくら)(さくら)は布団から抜け出した。ジャージに着替えて髪留めを結い、天秤(てんびん)棒とペットボトルが詰まった桶を担いで山に入った。

 実家は農家で山奥にある。水道も電気も通じていたが、湧き清水が日本の名水に数え上げられるような場所で昔からこのあたりに住む人は皆、今でもその湧き水を料理に使っていた。実際、飲み比べをしてみると軟水である湧き水の方が飲みやすく、水道水にはわずかに漂うカルキ臭がすることから苦労するだけの価値があるものとされていた。

 湧き水の汲み方にはいくつかある。最近では近くに自動車を止めて階段を上ってペットボトルで汲む方法が一般的だ。今では彼女のように天秤棒を担ぐやり方をほとんど見ることができなくなった。

 戦前の頃、桜の曾祖父(そうそふ)佐倉征爾(せいじ)が若かった頃は天秤棒を担ぐのが当たり前で、佐倉家の子供たちは皆、早朝に水を汲みに行くのが仕事だった。長男の征爾や次男の荘二郎ら、そして九男で末っ子の作郎も毎日当たり前のように走った。何の因果か征爾のひ孫「桜」として再びこの世に生まれついた作郎もまた、この昔ながらの習慣が抜けきっていなかった。

 桜は誰もいない農道を前傾姿勢になって走る。米農家の家族に(わら)を譲ってもらい手製の足半(あしなか)を作った。作り方は彼女が生まれてから教わったものではなく、生まれついたときにはもう知識として備わっていた。近所の一〇〇歳近いおばあさんに足半を見せて喜ばれたくらいで、彼女の行動をおかしいと考える者はいなかった。小学校の近くにある民俗資料館に置いてあったものを面白がって見よう見まねで作った程度にしかとらえていなかった。

 土を押し固めて砂利(じゃり)を敷いただけの農道をおどろくべき速度で駆け抜けた。起伏に富んだ道をまっすぐ走り抜けてお寺の屋根が見えたら石階段を上る。一〇〇段近くあり、勾配(こうばい)がきついこともあって階段の真ん中に銀色の手すりが取り付けられていた。年若い修行僧が作務衣(さむえ)に身を包んで階段を下りていった。修行僧が彼女の姿を見つけるなりすれ違いざまに挨拶をしたので、大きな声で「おはようございます」と言った。

 修行僧は元はサラリーマンだった。しかし兄が病弱なことも手伝って家を継ぐために退職して、親の紹介で修行に来ていた。最初の頃は体力がなく、階段を一度上り下りするだけで息が上がってしまうくらいだった。体力トレーニングを兼ねて仕事が始まる前の夜明け前に起き出して足腰の鍛錬に取り組んでいた矢先、彼女と出会った。よく昼間になると近所の人が水汲みに来る姿を見ていたが、早朝に来る者はめったにいなかった。そんな彼が興味を持ったのは、彼女の汗ばむ顔が都会で見かけるような華やかな少女だったことが大きく関係している。もう少し若かったら声をかけていただろうな、と思うくらいのきれいな顔をしていた。あいさつの声も大きく目上の者に対して礼儀正しい姿が好印象だった。台風や大雨など天気が荒れた日は来なかった。晴れた日や小雨の日は休まず通い続けていた。

 水を汲み、道を引き返す。桜にとっては習慣で続けていることだから苦しいと感じたことはなかった。桜はもっと苦しいことをいくらでも知っていた。桜の家に今のところ不幸はなかった。父親が母親に愚痴を言ったり時々けんかするくらいで目立ったものはない。恋愛で人生に絶望したこともなかった。よくクラスメイトが死んじゃいたい、と口にする。「御国のために死ね」と言われ見事散華を果たした身としては、命を粗末にするような物言いに抵抗を感じていた。

 家に引き返すと既に五時を回っていた。納屋の前に天秤棒を置いて土間に水の入ったペットボトルを並べる。母親が起きて朝食の準備をしている。

 

「今日は揚げ物やろか?」

 

 油が跳ねる音が聞こえ、香ばしい匂いが漂っていた。揚げ物は好きだ。ソースをかけるのも好きだ。街に行けば、山奥にもかかわらず魚介類が手に入る。エビ天などは大好物だった。母親は見た目を大きくするために甘エビを三つ四つを束ねて一本の天ぷらにする。中身は小振りな甘エビとはいえ、見た目の大きさは重要だった。

 自室に戻った桜は中学校の制服に袖を通す。紺のブレザーに赤色のリボン。プリーツの入った灰色のスカートを履く。

 友人から腰が細いと言われるが、筋肉ばかりでやせぎすに見える自分には発育の良い友人達の方がうらやましかった。椅子に足をかけ、黒いニーソックスを履く。本当は股引の方が楽でよいのだが、少しでもおしゃれをしないと母親が悲しむので仕方なく身につけている。腰が冷えるので動きやすいズボンやジャージの方を好んでいたが、やはり母親が泣きそうな顔をするものだから仕方なくニーソックスで我慢している。

 桜は鏡を前に立ち、自分の姿を映し出す。どこから見ても女子中学生である。

 今の身長は一五五センチ。せめて一六〇は欲しい。成長期が止まりませんように、と願っていた。体重は五〇キロ代ある。見た目より体重があるのは脂肪よりも筋肉が重いためだ。よくモデル体型などと言われる。これは単にアスリート体型で胸が薄いだけである。動きが阻害されるのでバストが育って欲しくないと願う今日のこの頃だった。

 通学鞄に教科書やノートが入っていることを確認する。もちろん宿題のノートも忘れない。母親が買ったファンシーなペンケースには鉛筆と鉛筆削りを入れている。桜は鉛筆派だった。

 

「桜ちゃーん。ご飯ですよー」

 

 居間の方から母親の呼ぶ声が聞こえてきた。桜は「はーい」と返事をして、学生鞄の蓋をしめてフックに体育用のシューズ入れを引っかけ、逆手に鞄を持つと部屋の扉を閉めて居間に向かった。

 居間には母親と父親、そして姉がいた。祖父と祖母は畑に出るため先に食事を取っていた。

 

「おはよー」

「奈津ねえ。はよー」

 

 高校生になる下の姉がもぐもぐと口を動かしながら挨拶をしてきた。奈津子の制服はセーラー服で、桜はブレザーよりもこっちの方が好きだった。

 奈津子の隣に鞄を立てかけると、どんぶりを手にとって炊飯器の元へ向かう。優に茶碗二杯分はあるどんぶりが山盛りの白米で埋まった。一合はあるだろうか。炊飯器の隣におかれた梅干しをてっぺんにのせて、桜はにんまりと笑った。

 隣の席に座った桜に向かって、奈津子がうんざりとした様子で言った。

 

「毎回思うけど桜、アンタそんだけ食って太らへん?」

「いただきまーす」

 

 声が重なった。桜は両手を合わせ口を開いていた。だが、体重の事を聞かれたと知って桜は顔を横に向け、にやにやとした笑顔を浮かべた。

 

「聞いてえ奈津ねえ。ついに五四キロの大台になったんや」

「うわ。アンタ太りすぎちゃう?」

「体脂肪率低いまんま。全部筋肉だわ」

「そーいや、アンタ握力とかすごかったね」

「この前測ったら八〇キロあった。あと二〇は欲しい」

「そんだけあって、まあだ鍛えるつもりなんか」

 

 桜は話をしながら食事を平らげていく。家族で一番の大食らいである。桜の両親は小食の奈津子と比べて、元気よく食事をとる桜をかわいがっていた。桜のすごいところは食べても太らない。運動量が多いので食べないと保たないのが実情なのだが、本当においしそうに食べるものだからついつい作りすぎてしまいがちだった。

 

「アンタ見てると、食欲がなくなるわ」

「奈津ねえ。食べんもん。これちょーだい」

 

 奈津子が皿の脇によせたカリフラワーをひょい、と箸でつかんだ。それを見て、母親が奈津子に小言を口にした。

 

「なっちゃん。またカリフラワー残して」

 

 奈津子は味噌汁をすすってから言い返した。

 

「好きやあらへん。それにちょびっと食べたから気にしやんといて」

「またそんなこと言って。桜ちゃんにばっかり食べさせて」

「サクは特別。私はようけ体を動かさんから、これぐらいで間に合っとる。サクに食事量を合わせたら今ごろ豚になっとるわ」

「なっちゃんもお母さんの体質を受け継いでるから。肉がつきにくいはずなのにねえ」

「……そんでも気になるの」

 

 奈津子がへそを曲げると、父親が「まあまあ」と言ってなだめすかす。

 二人が言い合いするのは日常茶飯事だった。桜は気にせずに白米を食らって、梅干しを口にした。

 

「すっぱあ」

 

 まったく気にする素振りを見せない妹に、奈津子は大きなため息をついた。

 

「アンタ……悩みとか少なそうやね」

 

 桜はスティック状に切られたにんじんとキュウリをつまみながら、奈津子のため息の理由が理解できず首をかしげるばかりだった。

 

 

「行ってきまーす」

 

 桜は通学用のローファーを履いて大声で出した。外にはセーラー服の上に黄色いパーカーを身につけた奈津子がいて、ひもを長くのばしたリュックを背負っていた。

 桜が通学鞄を肩に引っかけながら道を下りていく。バス停までの道を並んで歩いた。

 奈津子は桜のヘアピンで長い前髪を左右に分けた黒髪を見てつぶやいた。「アンタ、髪とか染めんの?」

 桜が奈津子の方に顔を向けた。

 

「んー? 考えたことないなあ。何で?」

「森下さん家のこーちゃん。この前、茶色に染めとるん見たよ」

 

 桜は笑った。

 

「黒のまんまでええやん。私は好いとる」

「アンタ、可愛いし。似合うとると思うん」

「私が可愛い? 奈津ねえ、茶化さんといて」

「私やない。この前、安芸(あき)ねえが電話で言ってたから間違おらへんわ」

「うっそお。安芸ねえが? 東京でモデルやっとる人が私を可愛いなんて……身内の情やないの」

 

 安芸は佐倉家の長女で、上京して東京の大学に通っていた。長髪ですらりとした長身の美人さん。大学で学業に励むかたわら、スカウトされたとかで事務所でファッションモデルの仕事をしていた。

 家を出てから十五分ほど歩くと、木造の小さなバス停があった。先客がいて黒い学ランやセーラー服にブレザーと色とりどりだった。

 バスはそれぞれの学校の前に止まる。三〇分に一本しか出ないことから、一本逃したら間違いなく遅刻してしまうのが山間部の悲しいところだった。

 

「おはよー」

 

 バス停には桜の同級生がいた。同級生は桜の手元を見てにやりと笑顔を浮かべた。

 

「またでっかい弁当箱やんな」

 

 中学校での昼食は給食である。材料は近所の農家が形が悪く市場に出せない野菜を格安で仕入れているので一月当たりの給食費はとても安い。遠方から通学する生徒がいるため、弁当を作ることが困難な生徒に配慮しての措置(そち)である。だが、桜はいつも朝食の残りを弁当箱にいれて持ってきていた。大食漢である桜は給食では足りず、運動部の生徒に混ざって早弁にいそしんでいた。最初こそ先生に注意されていたのが、桜の成績は常に上位であり、誰もが認める秀才だったことが黙認に至った理由である。運動部の生徒の方も推薦で越境入学が認められるほどの実力者だったので、これまた黙認されていた。

 

「また早弁するんやんな」

「だってえ。腹が減っては(いくさ)ができぬって言うやん」

 

 そのまま駄弁(だべ)っているとバスが来たので、みんな一列に並んで乗り込んでいく。

 奈津子が窓際で桜が廊下側に並んで座った。前の座席には桜の友達が座る。いつも同じ面子が乗るので定位置となっている。

 

「サクちゃんって高校どこ受けるの」

 

 前列のシートに座った友人が振り返って続けた。

 

「せっかく頭ええし、街の高校に行くとか考えとらん?」

 

 桜は考え込むような素振りをして、伏し目がちになって小声で呟く。

 

「笑わん?」

 

 窓辺に肘をついていた奈津子も気になって妹に視線を向けた。

 桜はもじもじとして、不意に顔を上げてはっきりと言った。

 

「IS学園に行きたいんや」

 

 その答えを聞いて友達と奈津子が目を丸くした。IS学園と言えば、日本一の難関校として名高い。女子校ではないが、ISが女子にしか使えないことから実質女子校として名が通っている。例年出願時の倍率が約一五〇〇倍になるなど、日本中どころか世界中から才女が集まる国際的な超有名校である。

 

「IS学園って言えば、サクちゃんみたいに頭が良くて運動ができる子がわんさかおるところやんな」

 

 桜は友達の言葉にうなずく。

 今度は奈津子が言った。

 

「どうしてIS学園なん?」

「空が好きや。ISを使えば空に行けるから」

 

 桜はゆっくりとそれでいて明確な発音で言い切ってにっこりと笑った。

 

「昔からサクはホラ吹きやったんやけど。今度はまたでかいのぶちかたんな」

「奈津ねえ。私はいつだって本気や」

「飛行機でええやん。空飛べるやん。最近やったら女性のパイロットやって珍しくない。ISに乗らんでも空は飛べるわ」

「それやったら飛べるようになるまで十年はかかってまう。ISやったら十五歳でも空あ飛び放題やん」

 

 桜は目を輝かせながら、奈津子に反論した。

 

「そういえばサクちゃん。IS学園の学校説明会に応募しとったね」

「せや。受かるとええけど……」

「アンタ、そんなん応募しとったん」

「誰にも相談せなんだのは謝るわ。ダメ元のつもりやった」

 

 桜は顔を上げて奈津子を見つめた。強い瞳だ。奈津子はそう感じた。昔から妹は頑固で確信めいた物言いをする変わった子だった。東京の大学に行った安芸が「桜は大人びた子や」とよく口にしていた。奈津子からすればなぜ安芸がそんなことを言うのか理解できなかった。奈津子にとって妹は大食らいで飛行機を見るのが好きな、ただの子供だった。確かに頑固なところはある。同じような子は知り合いにもいて桜が特別頑固だとは思わなかった。大人びているのは都会にあこがれて背伸びをしているだけだと思っていた。

 

「とにかく私はIS学園に行く。せや、奈津ねえも期待しとって」

「はいはい」

 

 どうせいつものホラ吹きだろう。鼻息荒くした妹を見て、奈津子は本気と受け取らなかった。

 

 

 


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