IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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越界の瞳(四) 実習

 ラウラ転入から三日目の朝。第六アリーナの観覧席では、一組と三組の生徒を集めて合同授業を行っていた。観覧席を覆った隔壁が外の風景を透過する。前日と打って変わって梅雨入り後の曇天で薄暗い。昼白色の照明が最下段で説明する千冬の姿をいっそう明るく際立たせた。

 

「本日は格闘および射撃を含む実戦訓練を行う」

 

 ラウラはISスーツを身に着け、最上段の右端に陣取っていた。左隣は一人分の隙間が空いている。そのほかの生徒は仲良し同士でかたまっている。六月ともなれば一緒に行動する友人たちが固定化されている。ラウラは初日に一夏の頬を張ったおかげで、おっかない人だという認識が広まってしまい、ひとりぼっちだった。

 ラウラは長いすの左側をできるだけ見ないようにしていた。下から二列目にいる桜が視界に入った途端頭痛がぶり返したからだ。しかも痛みに耐えるべく眉をひそめていたら、あからさまに不機嫌で他人を威圧する態度だと受け取られて誰も近寄ろうとはしなかった。

 ひそひそささやく声が聞こえる。ラウラは最前列に少しだけ注意を向けた。幸いなことに、声を発したセシリアは右端にいる。彼女を視野に入れると、左端にいる桜の姿がぼんやりとした。焦点を合わせなければ痛みが鎮まる。初日とくらべて症状が和らいできているのも確かだった。

 

「肘が当たってますわよ」

 

 セシリアが身じろぎして尻の位置を変えた。左隣に一夏がいて、さらにその隣に箒がいる。セシリアの形の良い尻が一夏の太股に密着した。一夏の首が動き、左側に避けようと腰を浮かす。箒はどっしりとした姿勢で微動だにしない。自然と一夏の太股と尻が、箒の太股に密着する結果に終わった。一夏はどぎまぎした目つきで幼なじみを見やり、右側に逃れようとする。

 

「ずるいですわ」

 

 セシリアが詰めてきたおかげで、どこにも逃げ場がない。一夏は肩をすくめて居心地悪そうに座っていた。

 

「手始めに戦闘を実演してもらう。各クラスの専任搭乗者にやってもらいたいのだが、一組からは……そうだな」

 

 千冬は一列ずつ順番に生徒の顔を眺めていった。

 

「ボーデヴィッヒ、体調は?」

「問題ありません」

「では、お前にやってもらう」

はい(ヤー)

 

 ラウラはしかめっ面で答えた。

 その場にいた誰もが、硬い雰囲気の放つ少女に目を向ける。期待と恐れの入り混じった視線を浴びて、ラウラの顔が余計に険しくなった。

 

「三組は佐倉だ。先日まで入院していたが……いけるか」

「はい。骨はくっついてます」

 

 桜の声を聞いたラウラは、できるだけ意識しないよう顔を背けた。

 

「二人とも準備してくれ。山田先生が相手になる」

 

 桜は千冬の発言の意図を確かめようと、小さく挙手しながら疑問を口にする。

 

「あのー織斑先生。私がボーデヴィッヒさんとやるんやないん?」

「いいや。即席になってしまうが、佐倉にはボーデヴィッヒと組んでもらう。タッグトーナメントのつもりでやってもらいたい」

 

 桜が恐る恐るラウラを振り返ると、そっぽを向いた銀髪の少女がいる。あからさまに嫌われている気がして、桜は情けない声を千冬に漏らした。

 

「あんなんやけど……」

「そう言うな」

 

 人見知りが激しいだけ、と苦笑しながら言われても、桜には納得がいかなかった。

 

「ボーデヴィッヒ。山田先生の準備が終わるまで多少時間がかかる。もしライフルが欲しければ格納庫に寄っていけ。演習モードへの切り替えを忘れるなよ。今日は実弾を使用する予定がないからな。では、行け」

 

 千冬が念押しすると、ラウラが席を立って踵を返した。

 

「いきなり? 待ってえ。ボーデヴィッヒさん」

 

 その様子を見た桜があわてて後を追いかける。千冬と事前に申し合わせていたのか、弓削が道案内のために同行した。

 

 

 フィールドへ降りるためには、IS格納庫を経由する必要があった。前を行くラウラは桜のことなど意に介さず通路を早足で進んでいく。

 

「ちょっと私の、こと、無視せんでったら」

 

 先導する弓削が足を止めたので、ラウラも立ち止まった。緩やかなしぐさで顧みると、桜を目に入れるなり厳めしい顔を振り向ける。桜が駆け寄ろうと足を踏み出したとき、ラウラの鋭い声が飛んだ。

 

「それ以上近づくな」

「え?」

「半径三メートルだ。それより中に入ってくるな」

 

 一方的で理不尽な物言い。桜は怒るよりもむしろ呆気にとられてしまった。

 

「何や、それ……」

「聞こえなかったか。三メートル以上離れてくれたら、文句をつけたりはしない」

「あんた言っとることがメチャクチャや。どうして? 納得がいかんわ」

「貴様が近寄ってくる。このうえなく不快だ。それ以上の理由が必要か?」

 

 弓削が険悪な雰囲気を感じ取る。

 

「あ、あの……ボーデヴィッヒさん?」

 

 口の端を引きつらせながらふたりの間に割って入った。「まあまあ、格納庫はもうすぐだからね」とラウラをなだめすかす。

 

「ふんっ……」

 

 それこそ親の仇敵を目にしたかのように、忌々しげな視線が桜を突き刺す。

 

「先生。格納庫への道はこちらで合っているのですか」

「へっ……ええ」

 

 いきなり平静を取り戻した声音に、弓削は戸惑いを隠せない。事務的な口調だが、桜に向けた態度とは明らかに異なっていた。

 

「早くいきましょう」

 

 ラウラが先を急ぐ。

 弓削は桜がついてきているか確かめようと振り返る。教え子の顔が強張っていた。

 格納庫には橙色のつなぎを身に着けた少女たちがいる。奥にはIS用ライフルが数種類並んでいる。天井には杭のような巨大な物体が存在感を放っていた。

 弓削が生徒の指導に当たっていた整備科の男性教諭に声をかける。

 

「弓削先生。織斑先生から伺っております。整備済のものを出しておきました。自由に使ってください」

「助かります」

 

 手前から打鉄用の一二.七ミリ重機関銃、二〇ミリ、三〇ミリと奥へ行くにつれて口径が大きくなる。

 ラウラがシュヴァルツェア・レーゲンを実体化させた。マニピュレーターで直接武器を握って、取り回しを確認する。

 

「ああ、失礼」

 

 男性教諭が断りを入れる。すぐ側で作業する生徒に向けて、作業用機械腕の位置ずれを指摘する。

 ラウラからちょうど三メートル離れた場所で、桜も巨大な物体を見上げていた。二〇メートルを超えた円柱の周囲に四基のスラスターが取り囲み、先端に赤錆色の傘が広がる。

 

「何なんや、あれ」

 

 桜が天井を指差しながらつぶやく。眼鏡をかけたつなぎ姿の生徒が近寄りながら、薄汚れた手袋を外してポケットにしまいこむ。

 

「体当たり専用パッケージ。打鉄用なの」

「たい、当たり?」

「そう。打鉄改のメガフロート用スラスターを四基使って体当たりするっていうのが基本思想」

「桜花っぽいんやけど……」

「そうね」

 

 桜花について、その生徒はしばしの間、記憶を巡らせる。「ああ」と手を打って、遊就館に展示されている白塗りの魚雷モドキを思い浮かべた。

 

「確かに似ているかもね」

「で、(まゆずみ)先輩……こんなん誰が使うん」

 

 黛薫子は眼鏡の縁を持ち上げ、桜の顔をのぞき込んでじっと見つめた。気持ち悪いほど目を輝かせており、桜はすぐさま目をそらしてしまった。

 

「あんまり時間ないんで。私はこれで」

 

 ラウラが一二.七ミリ重機関銃をハードポイントに固定するところだった。桜はそそくさと去ろうとした。が、強い力で手首をつかまれて足を止めた。恐る恐る振り返る。

 

「一年三組のピウスツキさんとサイトウさんの連名で、これを使いたいっていう申し出がちょっと前にあったんだよね」

「せやから、先輩」

「山田先生ならもう少し時間かかるから。ボーデヴィッヒさんには演習モードの説明をしなければいけないし」

 

 桜は耳を貸す気になれなかった。嫌な予感しかしない。体当たり専用パッケージのスラスターは重いメガフロートを亜音速で飛ばすためのものだ。軽量なISに四基もくっつけて飛ばせばどうなるか。

 

「あなたと一条さんしかいないのよ。あれを使ってくれるって言ってくれたのは」

「言ってへんったら。クラスメイトが人の入院中に勝手にやったことです。……あの、朱音もって、彼女にも使わせるつもりなんか」

「回避率一〇〇%のあの子ならできるでしょ。この前シミュレーターで花火のなかに突っ込ませてみたけど、うまくいきました」

 

 薫子は空いた手でゲーム機の無線型コントローラーを取り出し、これ見よがしに突きつける。

 

「朱音は弾幕シューティングが上手なだけや。他人様をこんな変なもんに乗せたらかんわ」

「大丈夫。壁にぶつかりそうになったら自動で曲がるようにしてあるから」

「そういう問題やない、と」

「だったら放課後、乗ってみる?」

「はい? どうしたらそんな話に」

「イエスね。あなたなら期待にこたえてくれると思ってた。打鉄零式に搭載できれば弐式も大丈夫よね」

 

 薫子が手首を離し、桜が唇をとがらせて強引に話を進める先輩を見上げた。

 

「もしかして、更識さんも乗るん?」

「その予定」

 

 手袋をはめなおし、薫子は子供のようなほほえみをほのかに浮かび上がらせた。

 

「佐倉さん。放課後、私のところに来て。アナタ、今のうちに慣れておいたほうがいいと思うの。今度来る高機動パッケージって六発だから」

 

 じゃあね、と小さく手をふる。桜が聞き返そうとしたところ、背後から弓削の呼び声が聞こえてきた。

 

 

 シュヴァルツェア・レーゲンの黒い体躯がフィールドに躍り出た。一二.七ミリ重機関銃を腰のハードポイントに取り付けた状態で、地面に足をつける。ラウラは、一歩遅れて姿を現した桜が打鉄零式を装着するのを見届ける。

 幻惑迷彩を施した異形。ラウラは眼帯を着けたまま、ふたつの非固定浮遊部位の二〇ミリ多銃身機関砲と回転砲座を一瞥する。開放回線(オープンチャネル)に接続し、暗号化した音声を送った。

 

「貴様、ISに乗った期間は」

 

 桜は入院期間を差し引いた。

 

「二ヶ月未満」

「銃火器の取り扱いは」

「狙って的に当てるくらいなら」

「よし。ならば私が突っ込むから貴様は援護射撃に徹しろ。とにかく弾丸をばらまいて相手の気を引け。以上だ」

「は……?」

 

 ラウラが一方的に会話を打ち切る。桜はぽかんと口を開け、何度も瞬きする。

 

「どうした。聞いていなかったのか」

 

 桜の返事がなかったので、ラウラは心配になって聞き直す。

 

「……私が援護に徹すればええってことやろ」

「わかっているならいい」

 

 ラウラは自由に動くつもりでいた。桜が戦力になるかどうかはまったくの未知数。連携を取るには綿密な攻撃計画と訓練が必要になる。が、打ち合わせする時間もない。千冬はおそらく戦果を求めていないのだろう。銃火器を用いたチャンバラをしてみせれば事足りる。

 桜を見やった。打鉄零式のセンサーユニットが不気味な生々しい赤色で、体表を彩る模様が生物のようにうごめている。体が徐々に黒く染め上げられていく。赤いバラの花弁のような筋が残った。

 ――ん?

 ラウラの視野にログ用の枠が出現して、ドイツ語のメッセージが流れ始めた。

 

〈力を求めよ〉

〈願え。(なんじ)、自らの変革を望み、より強き力を欲せ……〉

 

 ラウラは小首をかしげた。うかつな選択をして妙な動きをされても困る。

 

いや(ナイン)

 

 枠が勝手に消えた。

 

「ボーデヴィッヒさん。先生、来たわ」

 

 桜の声を聞いて、ラウラは一二.七ミリ重機関銃を抱える。ドイツ語で書かれた「演習モード」のロゴが視野の中に現れた。ハイパーセンサーが空気を擦過する飛翔音をとらえ、暗緑色の鎧を映し出す。真耶が自信に満ちた顔つきで五一口径アサルトライフル〈レッドバレット〉を大事そうに抱えていた。

 

「何てことや。眼鏡がない!」

 

 桜が緊張感に欠けた叫び声を上げ、ラウラはむっとする。クラリッサみたいな発言をする女だと思った。

 

「眼鏡など、あってもなくてもさほど変化を与えるものでもなかろうに」

「何やと! 山田先生やったら眼鏡。眼鏡なしも好みやけど、あくまで私が眼鏡を外してやる場合にかぎる。素顔をさらけ出す瞬間ってのは、服を脱がすみたいな、背徳感があるんや」

「佐倉さん? これはコンタクトですよ。おしゃべりはその辺で……」

 

 真耶が急に熱っぽく語りだした桜をとがめた。

 

「佐倉さん、ボーデヴィッヒさん。先に説明しておきますね。今日の実習では実弾、光学兵器などは使用しません。すべて演習モードによる模擬戦です。近接兵器は演習モードの適用対象外なので使っても構いません。もちろん接近できれば、ですが」

 

 真耶は滞空したまま、ラウラの一二.七ミリ重機関銃を見てにっこり笑いかける。

 

「良い選択ですね、ボーデヴィッヒさん。授業であまり大口径の大火力の武器を選んでも他の生徒が扱えませんから」

「……もとよりそのつもりだ」

「それでは模擬戦を始めましょうか。佐倉さんも構いませんね?」

「は、はい。いつでもいけます」

 

 桜が一二.七ミリ重機関銃を実体化させて左の非固定浮遊部位に搭載する。もう一挺は手に持つ。センサーユニットが赤く瞬いて、二〇ミリ多銃身機関砲が回転を始めた。

 

「おい。わかっているな」

「指示通りに動け、やろ」

 

 桜がうなずき返すのを見届け、ラウラはスラスター出力を全開にして飛翔する。CGではあるが、打鉄零式の搭載火器から無数の弾丸が排出された。アリーナ中のスピーカーをつんざいて破裂音が鳴り渡る。反響のなか、真耶の五一口径が接近するラウラに向かって火を噴いた。中空の建築用コンクリートブロックに人の頭ほどの大きさの穴を空けるほどの威力を持つ大きな砲弾。ラウラの足先をかすめる。砲弾の軌道上にいた打鉄零式が足を浮かせる。

 

「撃たせるか!」

 

 間髪を容れず一二.七ミリ重機関銃を発射。状況がどう転がろうともシュヴァルツェア・レーゲンのAICを開陳することなく、うまく立ち回るつもりだった。

 桜が地面を這うようにして大きな弧を描く。真耶の背後を指向しているのは明らかだ。

 真耶はある程度の被弾を許容していた。が、二〇ミリ弾を大量に浴びてしまえば、あっという間にシールドエネルギーが枯渇する危険があった。桜の援護射撃にかぎって回避するようにして、腰だめの姿勢でラウラ撃墜を急ぐ。ラウラの一二.七ミリ重機関銃の猛射を浴びながらも、桜の動きを妨害するべく後退した。

 

「動きが単純だ。学園の教師はこの程度のものか……八八ミリ(アハトアハト)を出すまでもない!」

 

 火力による物理的、精神的圧力を無視できない。真耶は二〇ミリ多銃身機関砲の砲火を避けようと考え、左翼に広がることはないだろう。

 

「あの素人……思ったより使えるではないか」

 

 ラウラは両手で構えていた一二.七ミリ重機関銃から右手を離し、桜への認識を改める。副担任が桜の動きを警戒してくれるおかげですんなりと距離を縮めることができた。

 ラウラの頭は体調管理機能のおかげで澄みきっていた。桜を視界に入れても一瞬だけ苦痛が生じるものの、概ね良好だ。

 

「殺らせてもらう! 単調な動きが命取りであることを参加者全員にわからせてやろう!」

 

 一二.七ミリ重機関銃の利点は片手でも扱えることだ。火器管制システムを使えば弾丸を射出できる。

 ラウラは、真耶が放った砲弾をバレルロールでかわす。右手を突き出してプラズマ手刀を展開。手首の隙間から紫電をともなう青色の光の束が出現する。

 その途端、真耶の顔つきが一変した。無表情な、仮面のような、平気でうそをつける顔つき。

 

「イケル……と、思いますよね」

「なん、だと?」

 

 砲弾が立て続けに飛来する。ラウラはシールドエネルギーの大幅な減少に驚かざるを得なかった。プラズマ手刀の射出口付近への着弾と判定され、ついで真耶の顔が視界から消える。が、それも一瞬のこと。常人を超えた動体視力が真耶の姿を再び捉えた。

 真耶はラウラの左側面に移動していた。ラウラの左手は一二.七ミリ重機関銃でふさがっており、左目の眼帯が視界を妨げていることを考慮したうえでの行動だ。もちろん二〇ミリ弾から逃れるためでもある。

 橙色の砲炎を感知。シュヴァルツェア・レーゲンの腰部浮遊装甲が壁となるべく動く。AICを使うか否か。ラウラは歯を食いしばり、腹の奥からうなり声をあげた。突如襲いかかった激しい頭痛によって判断速度に遅延が生じる。なおもラウラの眼球は、砲弾到達時間がゼロに向かう様子を映し出す。

 弾着、今。

 脇からぬっと現れたマニピュレーターが砲弾を受け止めていた。

 

「やめっ。山田先生、そして二人ともそこまでだ」

 

 開放回線から千冬の声が流れる。真耶が引き金から指を外す。いつもの芯が頼りなげな顔つきにもどった。

 ラウラが恐る恐る首をかたむけ、体調管理機能の作用を確かめながら赤いレーダーユニットを凝視する。

 

「おい。三メートル以内に近づくな、と言ったはずだが?」

「危ないときはお互い様や。私が瞬時加速しとらんかったら、殺られとった」

「貴様のおかげで判断に遅れが生じたのだぞ」

「それこそ言いがかりや。自分のミスを他人のせいにするん?」

 

 打鉄零式が伸びた腕を畳む。装甲が青白黒の三色で構成された元の幻惑迷彩にもどった。

 

「文句を口にする前に早く離れたらどうだ。……あと一メートル、下がれ。顔を見るだけで頭が痛くなる」

「なにそれっ」

 

 ラウラがすぐに眉をひそめた。嘘を言ったつもりはない。桜の顔を見るだけで頭痛が生じ、半透明の航空兵の姿が浮かぶ。ISで触れたらおとといのような体験をしてしまうのだろうか。もう一度試す気にはなれず黙って顔を背けた。

 一方、桜はラウラの態度をあからさまな嫌悪だと受け取っていた。嫌われるようなことをした覚えはない。せいぜい眼帯を自分で返そうと思ってカバンに入れっぱなしになっているくらいだ。

 

「IS学園の教員の実力が理解できただろう。以後は敬意を払って接するように」

 

 千冬が生徒に言い聞かせるように手をたたく。滞空する三人に格納庫へもどってくるようにつけ加えた。シュヴァルツェア・レーゲン、打鉄零式、ラファール・リヴァイヴが格納庫への出入り口をくぐる。数分後、千冬や他の生徒が姿を見せる。千冬だけジャージ姿だが、生徒は全員ISスーツ姿だった。

 

「これからグループを作って実習を行う。各グループリーダーは専用機持ちの織斑、オルコット、ボーデヴィッヒ、篠ノ之、佐倉。それからサイトウ、ピウスツキ」

 

 千冬が一度せき払いして生徒全員の顔を眺め回した。

 

「あと一名は……」

 

 千冬がある生徒の顔をじっと見つめる。端正かつ印象の薄い顔立ちが注目を浴びた。

 

「お前がやれ」

「うゲッ。私?」

 

 生徒は自分を指差した。不意打ちを食らって鳩が豆鉄砲をくらったように、目を丸くしてしばらくは口がきけなかった。やがて、ごくりと唾をのんだ。

 

「不服なのか」

「せせせ先生、今、適当に決めましたよね」

「いいな?」

「……ハイ」

 

 千冬の有無を言わせぬ様子に、生徒が肩をすくめて首をうなだれた。

 

「八人グループが六つ、七人グループが二つだ。では、三分以内に班分けしろ」

 

 「きびきび動け!」と、凛とした声が散った。

 

 

 二クラス合同授業を終えて、ラウラはシャワーを浴びていた。

 蛇口をひねって湯を止める。カーテンレールにひっかけたバスタオルをとって体を拭く。湯立った空間。磨りガラスのような壁にうっすらと浮かび上がった女体を眺める。均整が取れた体つき。腰まで垂れ下がった黒髪が乱れるさまに、ラウラは女の理想を見た。タオルに滴をしみこませながら自分の胸元を見下ろす。清らかな童女のまま大きくなったような体つきである。

 別に持参していた巻きタオルをマントのように羽織った。場所を空けようとタイル張りの通路に出る。ふと横を見れば、隣の女が箒だとわかった。昨日、やたらとうわさ好きのクラスメイトに絡まれてあることないこと構わず吹き込まれていた。彼女いわく、箒は男と同棲しているという。

 

「うむ。毎夜、はげんだ結果か」

 

 肩甲骨に湯が滴る様子をそっと流し見てから、眼差しを外す。

 実際には二ヶ月やそこらで形が変わったりしない。しかし、ラウラの頭のなかにはクラリッサや他の女性士官が披露した明け透けな体験談が知識としてつまっていた。肝心な部分は真偽を確かめることがかなわず、クラリッサ相手にそれっぽいことを試してみたことがある。一線がどうのこうのと丸め込まれ、ひたすら理論武装に勤しむことになった。

 

「あーよかった。サクサクまだいたー」

 

 ロッカーから予備のISスーツを取り出したとき、遠くから間延びしてだらしなさそうな声音が響いた。

 

「布仏本音……だったか」

 

 昨日掲示板で見かけた通知に、彼女の部屋番号が記されていたのだ。ラウラは巻きタオルの下からISスーツを身に着ける。

 

「おっと。メールだ」

 

 携帯端末を取り出し、中身を確認する。案の定クラリッサだった。片手で端末を操ってドイツ語の文面に目を通す。

 

〈隊長。生きてますか~恋愛してますか(笑) イチカ・オリムラとは仲良くなりましたか? あっ、女子高でしたね。……コホン。その……友達……は、できましたか? そうそう。このたび、休暇で海外旅行してもよいとお許しが出ました! 行き先は日本! 念願の聖地参りっ! 隊長の制服姿を拝みに行きますよー!!〉

 

 ラウラが画面を消灯して奥に突っ込む。

 

「何をやってるんだアイツは」

 

 思いきりはしゃいだ文面。黒い枝(シュヴァルツェア・ツヴァイク)の専任搭乗者が、軍を空ける暇があるのだろうか。ふとラウラは「あっ」と声を上げて思い直した。

 

凶鳥(フッケバイン)に任せるつもりなのかな」

 

 ドイツの第二世代機で構成された別働隊。隊章はカラス。物騒な名前を冠しているのは、メディア向けの通称が正式名称になってしまったからだ。国家代表が所属することもあり、メディアに露出する機会がラウラの原隊よりも多かった。

 

「もし帰るんだったら一緒にどうかな~」

「せやね。帰ろ……あかん」

「サクサク?」

 

 本音が桜に絡んでいるらしい。

 ラウラはロッカーを整理していた。少しでも彼女らを目にすれば頭痛で苦しむとわかりきっていた。

 

「すまんな。先約があるわ。黛先輩って知っとる?」

「知ってるよ~。整備科の先輩だよね~」

「その人から呼び出されとる。今日は先で帰って。ごめんなあ、そのうち埋め合わせするから」

「絶対だよ~」

 

 その後、本音が谷本たちに呼ばれ、パタパタと足音を立てて去っていった。

 

「私も行くか」

 

 桜の気配が消えるのを待ち、ラウラは更衣室をあとにした。

 

 

「ありがとう」

 

 ラウラが整備科の生徒に礼を言って、愛想良く微笑する。長い軍隊生活から、後方要員を敵に回しても不利益ばかりが目立つことをよく知っていた。

 格納庫では、体当たり専用パッケージ搭載作業に人が取られており、先ほどシュヴァルツェア・レーゲンを微調整した生徒に声がかかった。

 

「日本には物好きがいるんだな」

 

 ラウラは出入り口の影から天井を見上げる。軽い頭痛がして治まるまで目を伏せる。

 もう一度よく見れば、幻惑迷彩の異様な体がまるで磔刑(はりつけ)に処せられた罪人のように固定されている。赤錆色の前部装甲を取り付けると、ISが装甲に埋もれて完全に見えなくなった。

 その直後、女々しく訴える声が開放回線から漏れ始める。

 

「時速五〇〇キロくらいなら死ぬほど乗りまくったんやけど、音速は未体験なんや。いきなり四発とか勘弁してったらあ。せめて、双発で練習するとかできんの」

 

 ラウラは桜の声に顔をしかめて回線を閉じる。

 フィールドに立ち、国際IS委員会に登録済みのコア情報を得るつもりでコマンドを入力する。これまでISコアが冠してきた名称の履歴が表示された。

 ――四一二番、打鉄零式。あの機体の名前か。

 ラウラはひとつ前の履歴を引っ張り出す。英名で「マコウ」と書かれており、初めて目にするISの名だった。

 ――サメ? おそらくデータ取り用の実験機だな。

 すぐに興味を失い、ラウラは大口径レールカノンを実体化する。砲口を隔壁に向け、照準を合わせる。試射のつもりで発射。スピーカーから弾丸の飛翔音が流れ、着弾を示す文章が表示された。

 ――ふむ。こうやってみると案外迫力がない。……相手がいないからな。

 演習モードが有効になっており、シリンダーの動作が抑制されている。実際には弾丸が装填されていなかった。ラウラは続けてレールカノンの砲座を回転させて後方に向ける。非固定浮遊部位を持ち上げ、踵の金属爪(アイゼン)を下ろした。敵機の疑似映像を映し出す。仮想敵はイタリアのテンペスタⅡ型だ。同じ欧州連合の第三次イグニッション・プラン選定の競合機でもある。

 ――発射角よし。……()()

 オレンジ色の疑似砲炎。大気を切り裂きながら驀進する砲弾。弾着、今。飛翔音が遅れて耳に届く。敵機活動確認。第二射、発射手順開始。

 俊足を誇るテンペスタⅡ型を撃ち落とすのは容易ではない。動きを先読みして粉砕しなければならかった。シュヴァルツェア型は機動力を犠牲にする代わりに一撃の精度を高めることを選んだ。その証拠にシュヴァルツェア・レーゲンは精度向上を目的とした試作行動予測システムが搭載されている。

 「騒音と衝撃破に備えて天蓋を閉じる」とのメッセージを受信して、急に頭痛が生じて思わず舌打ちする。にらみつけるように格納庫に顔を振り向ける。体当たり専用パッケージを搭載したISが出入り口から出現するところだった。

 メールボックスに注意を喚起するメッセージが届いた。「パッケージ試用につきご迷惑をおかけします」とある。

 四基のスラスターが金切り声を上げ、全力で回転し、巨体を持ち上げようとする。機体が起き直り、前進を始める。

 ――また、か。

 ラウラが金属爪(アイゼン)を上げて壁際に退くと、視野の隅にログの窓が出現する。午前中と同じ文言が流れた。

 

〈力を求めよ〉

〈願え。(なんじ)、自らの変革を望み、より強き力を欲せ……〉

 

不要(ナイン)。いったい何を望めというのか」

 

 ――過ぎた力は暴走を生む。われらドイツ連邦軍はそのことを肝に銘じなければならん。露払いを命じられ、捨て石にされたとしても。

 

「強すぎる力は毒だ。剣は振るうものだ。振られるものではない」

 

 耳を貫く響きとともに轟音が伝播する。心に覚悟を決めたらしく、抑えの効いた低い声音が聞こえた。

 

「そこの黒いISの……ボーデヴィッヒさん、少しの間、手を休めてくれんか」

 

 返事を待たずして不格好な巨体がラウラの眼前を走る。動きながら速度を上げ、明るい青紫色の炎が立つ。空を舞い上がり、ほどなくして最初の衝撃波音(ソニックブーム)が襲来する。

 

「ぐっ……」

 

 圧するような衝撃。雷鳴に似た、至近距離で砲弾が何度も炸裂したような音が聞こえてくる。いとも簡単に音速を超えた機体は耳を聾する轟音を奏でたまま失速した。銀杏(いちょう)の葉が舞い落ちるように回転しながら落下していく。

 開放回線から性能に振り回され、戸惑った息づかいが漏れる。やがてハイパーセンサーが機体の周囲に発生した円錐状の白いもやを捉える。二回目の衝撃波音(ソニックブーム)。震動で波打つ隔壁に体当たりせんばかりの勢いで突進し、その直前で先端が上向く。

 四基の大型スラスターの後ろに白い筋がうっすらと残っている。機体がバランスを崩したらしく、不規則な回転を始めた。失速して地面にぶつかる直前、傾斜した状態で安定する。一基の大型スラスターが青紫色の炎を噴き上げる。土煙を立てながらラウラに向かって迫ってきた。二〇メートルを超える巨体が眼前を埋め尽くすさまに、ラウラは危機感を募らせる。

 回避機動。しかし、ラウラの動きを予期していたかのように、巨体が向きを変えた。

 

「あかんッ」

 

 スピーカーから衝突を覚悟する声が聞こえたとき、ラウラが舌打ちする。

 ――停止結界!

 即座に正対して両手を突き出し、AICを起動して巨体を受け止める。

 ラウラは一瞬顔をしかめ、機体が安定するのを見て平静を取り戻した。

 

「……ふん。トーナメントまでとっておくつもりでいたのにな」

 

 ラウラは嘆息し、開放回線に向かって鋭い言葉を吐いた。

 

「おい。打鉄零式のパイロット。低速時はむやみに出力を上げるのではなく、慣性制御に意識を集中しろ。でなければ、今みたいに暴れるぞ」

「……ご忠告感謝します」

 

 文句を垂れるかと思いきや素直な返事だった。ラウラは意外に思いつつ、わざと突き放すような言葉を慎重に選んで、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 


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