IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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越界の瞳(五) 騒動の種

 土曜の朝。桜は寮の食堂にいた。赤ジャージ姿で空席を求めてうろつき、険しい表情の箒を見つけてふらふらと歩み寄っていく。食事中の箒は隣の椅子が引かれたことに気づいて顔を上げる。桜がけだるげに頭を揺らしながら席に着く様子をじっと眺めていた。

 

「……ひどい目に遭うた」

 

 桜は意識がぼんやりしたような、虚ろな表情だった。深々とため息をついてから、皿に盛られた葉っぱをついばむ。

 

「顔が暗いぞ」

 

 箒の声も負けず劣らずだった。

 

「篠ノ之さん、聞いて」

 

 体当たり専用パッケージのこと。箒がぶつ切りの説明にうなずくのを見て、ラウラとのやりとりもつけ加える。

 

「ボーデヴィッヒさんに嫌われとるんやろか。私、三メートル以内に近づくなって」

 

 桜はラウラをそっと流し見る。観葉植物が茂って影になった場所。四人掛けのテーブルの奥に座り、櫛灘が短いやりとりの後、出口を塞ぐようにして通路側に座って一方的に話しかける。ラウラは無視して取り合おうとはしなかった。

 

「ふうん。あのボーデヴィッヒが。わざわざそんなことを言い出すようなやつには見えなかったが……何かやらかしたのか?」

 

 桜は首を振って尖らせていた唇を開く。

 

「知らん。こっちが聞きたいわ。昨日の実習前にな、近寄るだけで不快とか……結構、傷ついたんやけど」

「山田先生との模擬戦。さほど問題があったようには見えなかったぞ」

「足を引っ張ったってけなされるのも好かんからな。ちゃんと仕事はこなしたわ」

 

 桜は「へっ」、とひと息ついてやさぐれた顔で湯飲みに口をつける。極めて緩慢ながらも、箒に首を振り向けた。

 

「そっちはどうなん」

 

 桜は暗にAIのことを聞く。途端に箒の顔が曇った。

 

「昨日、絢爛舞踏を一夏に試したんだ」

 

 桜が聞き慣れない単語をオウム返しに口ずさんだので、箒は説明を加える。

 

「絢爛舞踏というのは、たとえば一しかないエネルギーを一〇〇にする機能だ。説明書の受け売りなんだが、ISのエネルギーを無限大に増幅して出力できるらしい」

「ふうん。まるでオペアンプやね」

「お、おぺ……何だそれ」

 

 電子回路のオペアンプは信号を増幅することができる。ただし単体では電力供給能力がなく、外部電源を必要とする。桜は考えたことをそのまま口にしたと気づいて、あいまいな笑みを浮かべた。コッペパンをちぎって頬張りながら、ごまかすように話の続きを促す。

 

「そういうのがあるんや。試した結果は?」

「一瞬金色に光って、一、二秒で消えた」

「……どういうこと?」

「エネルギー増幅がすぐに終わってしまったんだ。供給できたのは雀の涙。紅椿はガス欠で沈黙。白式にエネルギー供給してやれば零落白夜使い放題と説明書には書いてあったんだ。頭に来てメーカーに電話したら、『仕様です』としか言わなかった」

 

 箒はよほど腹に据えかねていたのだろう。クロエ・クロニクルのにべもない返事を思い出して、憤るあまり顔が真っ赤になる。昨晩ヘルプデスクに「姉を出せ」と電話したら、クロエから外遊中だと断られてしまった。今度は姉の番号に電話したらなぜかクロエが出た。そこで初めて束が携帯電話から居場所を探知されるのを恐れて、現地のプリペイド端末を使っていることを知った。

 

「その……もっぴいの反応は」

 

 桜が言いにくそうに小さく問う。絢爛舞踏なる豪勢な名前に妖しげなにおいを感じ取っていた。桜は紅椿に起こった事象からAI群が制御に携わっているものと推察した。

 箒は眉をひそめてとつとつと語る。

 

「人力発電機ってあるだろ。自転車の形をしたやつ」

「……どんな状況やったか予想がついてきたんやけど、一応聞くわ」

「その人力発電機に乗って、ひたすらこいでたんだ。あいつらが」

 

 桜は小さく口を開けて反応に困った。

 

「あいつら、体力がないからすぐにへばってな。死体が四つ転がったと思ったら、紅椿が沈黙してしまった」

「……どう考えても原因はそれや。体力トレーニングを……待って。AIの体力ってどうやったらつくの」

「その点もメーカーに聞いてみたんだ。そうしたら、とにかくレベルをあげてください、の一点張りだった」

 

 箒がクロエの口まねを交えて語った。

 

「お前のところのタバネさん、だったか? 体力が尽きることはなかったのか」

「むしろ元気がありあまって飛んだりはねたり、最後のほうは暴れまわったんやけど」

「……そうなのか。くそう」

 

 箒は顔をしかめるなり舌打ちする。

 

「紅椿が沈黙した理由をな、AIが自動制御しているからなんだって言っても、誰も信じてくれないんだ。一夏や鈴、オルコットその他にかわいそうな……残念な目で見られたんだぞ……」

 

 箒が机に両肘をつき、頭を抱えこんでしまった。

 

「え、AIは外からは見えんし」

「それだけじゃない! 一夏にな、月末のトーナメントに一緒に出てくれって頼んだんだ。そうしたら……」

「いつからそんな積極的に!」

「大声を出すな。恥ずかしい」

 

 箒が頬を赤くしてぶっきらぼうな口調でとがめた。

 

「ごめん」

 

 あやまったのもつかの間、桜は口元がゆるむのを抑えきれず、まぶしげに目を細める。

 

「織斑の答えは」

「……断られた。箒と面と向かって勝負したいんだって爽やかに言われたら……それ以上何も言えんではないか」

 

 桜は裏の意味を邪推する。紅椿はもっぴい搭載によって打鉄にすら手が届かない低性能機と化している。一夏は冷静に考えて、箒と手を組んでも勝ち目がないと考えたのではないだろうか。箒も日頃AI群に手を焼いているのでわかっていると思い、別の可能性を口にした。

 

「先約、とか?」

 

 箒は顔を伏せたまま寂しげに首を振る。「教えてくれなかった」と消え入りそうな声をもらした。

 桜はかける言葉が浮かばず、残ったコッペパンを口に押しこむ。

 箒が顔をあげていかにも不満そうに唇をへの字に曲げている。冷めたスープをすすってから口を開く。

 

「お前こそ相方は決まっているのか」

 

 桜が痛いところを突かれて苦笑する。

 

「朱音とマリアあたりが良かったんやけど」

「一条はともかくサイトウは……まさか、勝ちに行くつもりか!」

 

 箒は急に元気を取り戻して鋭い眼光を投げつける。桜は隣席の雰囲気が突然変わったことに驚いて目が泳いでいた。

 

「うちのマリア様はくせがないっていうか、その分なんでもできるっていうか。器用貧乏……さすがは代表候補生ってことなんやけど」

「勝つ、つもりなんだな」

「そら勝ちたいわ。負けん戦いを続けるのはしんどい。勝負にこだわるなら代表候補生と組むんが手っ取り早いやろ」

 

 箒がぶつぶつと何かをつぶやいている。不意に目を見開いたかと思いきや肩を大きく震わせてから、おそるおそる口を開いた。

 

「い、一条なら」

「朱音? 判定で競り勝つなら朱音を使うのが妥当と判断したからや」

「その根拠は」

「誰もあの子に攻撃を当てられんから。その代わり、攻撃を当てたこともないんやけど」

 

 朱音は今のところ回避率一〇〇%だが、命中率はゼロである。昨日の実習で、弾倉を抜いた銃火器を持たせてみたら、へっぴり腰で危なっかしかった。ほかの一般入試組も似たり寄ったりで、銃火器の取り扱いは留学生に歩があった。

 桜は気を抜いて足を投げ出す。

 

「残念ながら二人とも相手がおるみたいで、今のところ、私はフリーや。篠ノ之さん。もし優勝したいんやったら、更識さんと組んだらええ。ほかの子に取られる前に。善は急げって言うやろ」

「お前は更識と組まないのか」

 

 桜は顔の前で手を振った。

 

「対抗戦で再戦するって言っとったからね。それに弐式は……ちょっと」

 

 剣玉フレイルが簪の手に、超振動ナイフが桜の手に渡ってしまったことによる確執があった。倉持技研の内部事情も絡んでいる。次期量産機開発の主導権争いが表面化し、「弐式をたたきのめせ」「零式をボコボコにしろ」などとタッグを組むことはまかりならぬ、という通告が出ていた。

 

「どこかに優勝候補が転がっとるとええんやけど」

 

 桜はもったいぶった口調でうそぶいてみせた。

 箒は口をつけていた湯飲みを置いて、桜の肩に手を置く。

 

「すまんが、このあと頼む」

「今日はマリアも一緒やけどええの?」

「ああ。くせがないんだったら、見本にはちょうどいい」

 

 

「というわけで、学年別トーナメントに優勝すれば織斑くんと付き合えることになりました。学生なら恋愛。思春期なら恋愛。箔がつくと思ってボーデヴィッヒさんも一枚かみませんか」

 

 ラウラはひとりで朝食をとりながら、隣の席で一方的にしゃべり続ける櫛灘にうんざりしていた。やれ恋愛、やれ交際だの言われても興味がない。極めて些末な出来事に一喜一憂する暇があれば訓練しろ、と言ってやりたかった。

 今の一年生が卒業時点でもパイロットでいられる保証はどこにもない。卒業した生徒数を調べると入学時よりも明らかに人数が減っている。途中で転校した者が少なからずいる証左だった。

 

「セシリア・オルコットと凰鈴音が手を組んだことはご存じ? え、知らないの? じゃあ下馬評とゴシップを交えながら教えて差しあげましょう」

 

 話題が一年生内部の力関係や上下関係にまで波及する。あげくの果てに「更識楯無に逆らうな。手が早いから気をつけろ」とまで言いきった。学園の影の実力者は楯無、すなわちロシア代表とも口にしている。だが、櫛灘の顔が笑っているのでまるで説得力がなかった。

 ラウラはソーセージを噛み砕く。気が済むまで聞き流してやるつもりでいた。だが、牛乳を飲みながらふと疑問がわいた。ラウラは聞いて損はないと考え、真偽はともかく何でも知っていそうな眼前の女に話しかける。

 

「織斑一夏が誰と組むか、情報はあるか」

 

 急に声をかけられて、櫛灘は目を白黒させた。すぐに余裕ぶった表情を作って邪悪な印象を醸し出した。

 

「……これは確定情報ではありませんが」

 

 顔を寄せてひそひそとささやき声を出す。

 

「フランスの代表候補生の転入を待っているとか」

 

 ラウラは無言のまま鋭い視線を向ける。櫛灘は一夏と箒が同室だと告げたときのように含み笑いを浮かべて、まがまがしい雰囲気を形成する。

 

「美少女だっていう話じゃありませんか。デュノア社のご令嬢」

「今はタスク社だ」

「失礼。元、でした。専用機持ちの代表候補生なら実力も折り紙つき。え……と、ことわざがありましよね、英雄なんちゃら」

「英雄色を好む」

「そう、そんな感じ。織斑くんだって男の子だから、見目麗しい女の子と手を組んだあげくイベントにかこつけて、肉量に顔を埋めてウッハウッハしたいんだって()()()()()言ってましたよ」

 

 櫛灘は自分の胸をすくいあげ、寄せてあげては谷間を作る。シャルロット・デュノアは一五歳にしては発育良好だと言いたいらしい。

 ラウラは一夏の顔を思い浮かべる。ここ二、三日で観察した結果、熱心に訓練しているのは事実だった。だが、女色を好む傾向にあるかと言えば疑問符がつく。

 櫛灘が携帯端末を出し、シャルロットの写真を表示させた。ゴシップ紙の写真を取り込んだものらしくカメラ目線ではなかった。

 ラウラは興味なさそうにシャルロットの顔を眺める。

 ――どこに行っても変わらんな。この手の話は。

 すると櫛灘の指が画面にあたって写真が切り替わる。タンクトップにホットパンツを身に着けた千冬の写真が出現した。湯上がりなのか首にタオルを巻き、ハーフサイズのの牛乳パックにストローを差して口をすぼめている。ラウラはフォークを置き、すばやく櫛灘の手首をつかんだ。

 

「……コレはナンダ」

「どこからどう見たってうちの担任です。千冬様のご尊顔にあらせられます」

 

 櫛灘は説得力のない顔つきで、次の写真を表示する。

 花柄のゆるいガーリースタイル。居心地悪そうにそっぽを向く千冬。背景が鏡になっており、隅にカーテンが映っているので試着室だとわかる。撮影者の姿が映り込んでいた。豊満な胸囲の持ち主だとわかる。純朴そうな眼鏡のフレーム。携帯端末と手で顔の一部が隠れている。

 

「こんなのも」

 

 今度は茶室だろうか。着物姿の千冬が茶を点てていた。アップスタイルの髪型。化粧をしており、女ぶりが増している。背景に丸い化粧鏡が映っており、そこにはカメラを構えた横顔が見切れていた。

 

「撮影者は副タン」

「違います。やまやです」

 

 同一人物である。それからすぐ櫛灘は誤操作をわびた。何枚か千冬の写真が過ぎったのち、再びシャルロットの写真に切り替わった。

 

「えっ……」

 

 右目が写真を注視したまま、ラウラの口から物欲しげな吐息がもれる。櫛灘の雰囲気がまたしても邪悪に染まった。

 

「織斑先生に興味がある?」

 

 ラウラが何度も首を縦に振る。

 

「織斑先生にあこがれますよね」

 

 同意を示そうと深くうなずく。

 

「写真が欲しい?」

 

 櫛灘の指が動き、千冬の写真が出現する。そのまま携帯端末をポケットにしまいこもうとした。ラウラは虚を突かれた形であわてて首肯してみせる。

 

「今度のタッグトーナメント。優勝すると織斑先生からご褒美を頂けるそうです。ボーデヴィッヒさんの転入前にぽろっと言ってましたよ」

 

 ラウラは真剣な目で櫛灘の顔をのぞき込んだ。

 

「本当ですって。もし不安なら山田先生に確かめてもらっても構いません」

 

 一般生徒をやる気にするため、実はどのクラスでもささいな褒美を出すことになっていた。千冬は慣例に従っただけである。

 

「写真は……どうすれば」

「お近づきの印に一枚だけ差しあげます」

「つまり、二枚目以降は対価を求めるのか……?」

 

 櫛灘が破顔する。ラウラの耳元で「わかってるじゃないですかあ」と甘ったるい声でささやいた。

 

「ボーデヴィッヒさんにはちょっと協力して欲しいことがあるんですよ」

「……なんだ」

 

 ラウラは写真をチラと見てから、赤い瞳を櫛灘に向ける。共闘を要請するつもりだろうか。今から櫛灘を鍛えても到底間に合うとは思えなかった。

 

「次のトーナメント。誰か適当な人と組んで軽く優勝してくださいな」

 

 ラウラは読唇術を駆使して「更識先輩とちょっとした賭けをやってまして」とつけ加えたことに気づく。

 

「そんなことでいいのか」

「要は先輩の妹さんが優勝しなければいいんです。親の総取りさえ阻止できれば」

 

 櫛灘はくれぐれも簪に対して卑怯な手段を使わないよう念押しする。公言できないような方法だと、やはり親の総取りが実現してしまうとも口にした。

 

「人を賭けの対象にする気か」

 

 ラウラの声はとがめるような響きを含んでいた。

 

「ちょっとした賭けくらい、ボーデヴィッヒさんだってやったことあるでしょう」

「……食事を賭けてカードを少し」

 

 ラウラは最初こそカモにされたが、勝ちすぎて相手にされなくなっていた。手札をすべて記憶したり、相手のくせを逆手にとるなどしてやりすぎてしまった。

 

「新聞部主催、公式の余興なんですよ。生徒のガス抜きに目くじら立てたらキリがないし、欲求不満が募って変なことされても困るだろうし」

「ガス抜きには賛成だな。原隊でもときどき羽目を外したものだ」

 

 主にクラリッサやほかの隊員が騒いでいた。ドイツでは公共の場所におけるビール、ワインの飲酒・購入は一六歳から、蒸留酒(スピリッツ)は一八歳から認められる。ラウラは一六歳未満だったので、隅っこでちびりちびりと牛乳を飲んでいた。

 

「だが、……貴様の言い分だと代表候補生をすべて倒せ、と言っているように聞こえるぞ」

「ボーデヴィッヒさんはもしや優勝する自信がないとでも?」

「まさか」

「だったら簡単じゃあないですか」

 

 学年別トーナメントは優勝までに六回、シード権を入手すれば五回戦うことになる。決勝が近づくにつれて消耗は避けられないだろう。

 

「確証のない約束をしたくないだけだ」

「仕方ない……ボーデヴィッヒの姐さん。ちょいと耳を貸してくだセエ」

 

 櫛灘が突然芝居がかった口調で顔を寄せてきた。眉をひそめながらも、ラウラは言われたとおりにする。

 

「臨海学校の部屋割りに小細工をするッテエのは。手前はこれでも臨海学校実行委員。先生のお手伝い。何、枕の位置を変えるだけの簡単な仕事。少しばかり表をいじるわけで、小細工を弄してもわかりゃあしません」

「そんなことが」

「前々日までに希望を仰ってくれたら」

「……考えておこう」

「姐さん。交渉成立と見てよろしいんで?」

 

 ラウラは薄く笑った女の瞳をまっすぐ見つめて、ゴクリと喉を鳴らした。

 

 

 第三アリーナ。休日のため観覧席の人影はまばらだ。

 黒いISがアリーナの土を踏み、大口径レールカノンを展開している。シュヴァルツェア・レーゲン。ドイツが生み出した第三世代機は広大な空間の中心にぽつんと立っていた。

 ハイパーセンサーが複数のISをとらえる。最も近くにいるのは天蓋にぶらさがっている暗緑色の多脚型だ。背部に作業用機械腕を二基背負い、分厚い装甲板をつかんでいた。

 ラウラは調整用のコンソールにコマンドを入力する。直線を多用した姿形なので興味があったのだ。

 

「特一九型……日本らしいとはいえ、名前が味気ないな」

 

 ついでに過去の履歴も引き出す。

 

「前は……ほう、シュペルミステール。まさかコアが極東にまで流れているとはな」

 

 シュペルミステールは不運機としてIS開発史に名を刻み、フランスで一機だけ試作された第二世代機である。第二次イグニッション・プランでは選考に破れ、開発元の企業は後発のラファール・リヴァイヴに市場競争で負けてIS事業から撤退。さらに委員会にISコアを返却する際、強奪未遂事件が発生している。

 ラウラは操作をやめてメールボックスを確認する。桜が箒の特訓に付き合うようなことを小耳に挟んでいた。

 限定空間で体当たり専用パッケージを使用するかもしれない。ラウラが整備科に話を聞いたところ、体当たり専用パッケージはその名が示すとおり対IS戦を想定したものだった。経験の浅い生徒が専用機や代表候補生らを打破するために製造された。しかし、操縦性の悪さから高い技量を要求され、本来意図した層から敬遠されるという有様だ。キャノンボール・ファストにも対応可能だが、やはり操縦性が影響して誰も使わなかった。

 ラウラは一覧を更新する。織斑一夏の名を見つけ、視線を落とした途端危うく舌打ちしそうになった。セシリアや鈴音の名が連なっていたからだ。一夏ひとりならば模擬戦をしかけてみるつもりだった。白式の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)を発動させ、その予兆を確認しておきたい。もし足が止まるなら絡め取り、狙い撃つ。ラウラの知る千冬の戦い方との相違を自分の目で確かめてみたかったのだ。

 ――ようやく私の前に立つか、と言いたいところだが。

 ラウラにとって不本意だが、一夏やその周囲の人間関係についてある程度把握していた。櫛灘が憶測を交えて語ったところによれば、セシリアと鈴音が一夏に思いを寄せている、と。

 ――恋だの愛だの、くだらん。

 クラリッサは「恋を経験しなさい」と言った。ラウラ自身は誰かに恋心を抱いた経験がない。その代わり他人とずっと一緒にいたいと感じたことはある。千冬がそうだし基地にいる兵士全員が家族みたいなものだ。特定の男性とそういった関係に陥るなど、ラウラは一度も考えたことがない。想像すらできなかった。

 ――特に横恋慕など、ろくなことにならん。

 年頃の男女が同居すればどんなことになるのか。クラリッサの知人で離婚経験のある女性士官が細大もらさず話してくれたことがある。よって、その手の話に免疫があった。櫛灘から誇張した情報を吹き込まれても、ラウラは眉をひそめたにすぎない。もしセシリアと鈴音がともに姿を現せば、男の話題でいがみ合いが生じる。彼女らが感情にのまれた姿を容易に想像できてしまった。

 ――セシリア・オルコットか……。

 美人ではある。BT型一号機(ブルー・ティアーズ)の搭乗者ともなれば欧州国内での注目度は非常に高い。新型機を与えられたことはつまり、彼女は並み居る候補生よりもとびきり優秀ということだ。ラウラはイグニッション・プランが絡むこともあって、特にセシリアを警戒していた。

 ラウラに課せられた任務のひとつにシュヴァルツェア・レーゲンの宣伝があった。欧州連合の第三次イグニッション・プランは現在、BT型が一歩先んじている。もしBT型よりも勝っていると示すことができれば選定委員の心証が良くなるはずだ。

 ――二号機の一件があったのに状況が変わらない、というのはな。

 亡国機業(ファントム・タスク)BT型二号機(サイレント・ゼフィルス)と酷似した機体「ダーシ」を運用している。ほかにもアフリカで目撃されたバングなるISのスラスターノズルが二号機そっくりだとされている。

 連邦情報局はBT型二号機の情報流出を疑っていた。だが、イギリス政府は痛む腹を探られたくないのだろう。情報を制限して、真偽を確認できないようにしていた。

 ――委員会と手打ちしたのだろう……憶測を並べても始まらんな。

 

「お出ましだ」

 

 カタパルトデッキから青いISが飛び立つ。喜色を浮かべながら即興曲(カデンツァ)を奏でるブルー・ティアーズの姿をとらえた。セシリアの顔が肉眼でもはっきり見えたとき、ラウラの唇が獰猛(どうもう)な形に変わる。

 ――やるか……。

 模擬戦をしかけ、不測の事態への対応能力やくせを確かめる。ワイヤーブレード、プラズマ手刀、大口径レールカノンは準備万端だ。アリーナの使用規則は頭にたたき込んである。

 ブルー・ティアーズが低空を飛び、砂煙が舞い上がる。天蓋まで急上昇し、速度を落として悠然と旋回。滞空しながらシュヴァルツェア・レーゲンを見下ろす。

 ほどなくして甲龍も飛び出してきた。鈴音はラウラを見ても大して驚きはしなかった。

 ――やろう。好敵手候補の能力も確かめるのだ。パイロットの資質もな。

 ラウラは開放回線に接続し、不敵な面構えで口を開いた。

 

「ブルー・ティアーズのパイロット、聞いているか」

「ん……なんですの」

 

 ラウラはセシリアによく思われていないことを承知のうえで続ける。

 

「こちらボーデヴィッヒ。貴様との模擬戦を望む」

「あら、残念。先約がありますの。これから鈴さんと練習する予定になっていますから」

 

 セシリアは「学年別トーナメントに向けての特訓」だと付け加える。

 

「ちょっと転校生。割り込みしてもらっちゃ困るんだけど?」

「ハッ。中国の代表候補生か」

 

 ラウラは右目を細めて、わざと鼻であしらった。鈴音は見るからに強気だ。IS搭乗者は花形だけあって負けず嫌いな女が多い。鈴音も例外ではなく自信に満ちた声を放っていた。

 

「あわてるな。結果はすぐに出る」

「まあ。あなたは自分がすぐ負けると認めるおつもり?」

 

 ラウラは愉悦に満ちた顔でため息をついたかと思えば、急に高らかに笑い出した。鈴音が目を細めて険しい表情になる。セシリアは優雅で愛らしい顔つきのまま、次の言葉を待っている。

 

「……ハッハッハッ。私が負けると? 冗談にしてはひねりが効いてないぞ、英国人。色ボケして舌の根まで鈍ったか」

「ボーデヴィッヒさん。いくら性能で負けているからといって、悪しざまに罵るのは美しくないですわね。それとも、虚勢を張っているだけかしら?」

「ふんっ。試してみればいい」

 

 後に引くつもりはなかった。ケンカをふっかけた以上、ラウラから下がれば己の非力を認めたことになる。シュヴァルツェア型が性能面で劣るという印象を持たれたくなかった。短兵急で血気に逸っているように見せかけ、虚勢とも受け取れる表情で挑発し続ける。

 

「ブルー・ティアーズも貴様のような搭乗者では浮かばれまい」

 

 ラウラは一夏に触れながら揺さぶりをかける。

 

「発情し、頭のなかはお花畑。程度が知れている。惰弱な男にうつつを抜かした貴様が勝てるはずはないのだ。貴様など足元にもおよばないと、この私が直に教育してやる。ありがたく思うがいい」

「ボーデヴィッヒさん」

「アンタッ。その言い草は……」

 

 ラウラは接近し、眼前で睨み付けるようにして立つ鈴音を見ても表情を変えなかった。

 ――簡単だな。

 鈴音の鋭い視線を身に受けながら、ラウラは櫛灘が勝手にしゃべった言葉のひとつひとつを思い返す。

 ――優勝すれば織斑一夏と交際できる、だと? ばかばかしい。そんな眉唾に乗せられて騒ぐとは愚か者め。

 ラウラは櫛灘の戯言に乗ったことを棚あげする。好きな男に目がくらんだ同級生をあざ笑った。

 

「幻滅だ。同じ第三世代として『ブルー・ティアーズ』と『甲龍』には、もっと強そうなイメージを抱いていたのだが、……搭乗者がこれでは、な」

 

 拍子抜けのため息をついて首を左右に振る。肩を落として、もう一度深く息を吐いた。

 セシリアの眉が一瞬はねる。まだ余裕があるのか、故意に辱めるような発言を耳にしても怒気を露わにしない。だが、感情を荒立てないセシリアと対照的に、鈴音の声に険悪な響きが宿る。

 

「アンタ。さっきから何。バカにしてんの」

「まあまあ鈴さん。口先だけですわ」

「キャンキャンほえるなよ。最初から甲龍など眼中にないのだ」

 

 鈴音が目尻をつりあげる。

 

「はア? ボコられたいわけ?」

「鈴さんったらおよしなさい。この方は言葉のお勉強が足りていませんの。わたくしたちが力を誇示しても、弱い者いじめにしかなりませんわ」

 

 ――ちょろい。

 ラウラは口角をつりあげ、負けじと言い返す体で悪口雑言を続ける。

 

生娘(きむすめ)ども。山田先生から聞いたぞ。セシリア・オルコット、股ぐらに突っ込むしか脳のない輩に敗北寸前まで追い詰められたそうだな。甲龍にいたっては手負いの打鉄に瞬殺されたとか。第三世代と大手を振る割に、大したことないのだな」

 

 事実だけに鈴音は言い返すことができず、唇を噛んだ。

 

「一夏さんを悪く言うのはやめてくれません?」

 

 セシリアの冷たい声音に、ラウラが(そら)っとぼけた調子で何度も瞬きする。

 

「別に織斑一夏だと言った覚えはないが……」

 

 セシリアが露骨に眉をひそめた。鈴音と目配せしてから、ラウラが一夏を揶揄する前に、憤りを押し隠して静かに告げる。

 

「わかりましたわ。そうまで仰るのでしたら、受けて立ちます」

「終わったら代わってちょうだい。今、ちょうどこいつを一発殴ってやりたい気分なの」

「面倒だ。一緒にかかってこい! 下らん種馬に股を開くだけのメスに、この私が負けることなどあり得るはずがない!」

「よくほえる口ですこと!」

「演習モード。フィールド分割ルールを適用する。双方異論はないな?」

 

 セシリアと鈴音は同意してうなずく。互いの獲物を実体化し、セシリアはスターライトmkⅢを、鈴音は双天牙月を握りしめる。ラウラは左頬をつりあげた左右非対称の表情を浮かべ、犬歯をむき出しにして笑う。

 三人のISソフトウェアがフィールドを半分に仕切った。このルールは格闘戦やISコアの増加を見越して制定されたものだ。しかし、現状ではほとんど使われていない。

 模擬戦実施の通知が、学内ネットワークを介してピットや格納庫、そしてほかの利用者、すなわち桜や箒、マリア・サイトウ、柘植研究会にも行き渡った。

 

「この私とシュヴァルツェア・レーゲンの前では、貴様らは有象無象のひとつでしかない」

 

 ラウラは眼帯を量子化し、黄金の瞳を露わにして言い放つ。

 

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