IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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越界の瞳(七) 破壊

 少なくとも、ラウラの記憶に「Phantom-Task」なる起動コードは存在しない。

 

「バカな! 私は承認していない!」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンがVTシステムの起動を告げる。滝のように流れていくシステム・メッセージに、ラウラは頭痛を忘れて叫んでいた。

 

「コード実行を却下すると言っている! ええい、緊急停止手順は……」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンはラウラの意思に関係無く勝手に膝を立てていた。ISの状態を示す数値がすべて赤色に変わっている。ラウラの虹彩を認識し、搭乗者名が表示された。ラウラ・ボーデヴィッヒを示す文字列はどこにもない。代わりに「Phantom-Task」とあり、その下部にVTシステムと併記されている。

 VT(ヴァルキリー・トレース)システムは、過去のモンド・グロッソ部門受賞者の動作を再現するべく生み出された。現在はISの技能訓練用ソフトウェアとして利用されている。既存のバイオメカニクス技術、つまりアスリートの動きを解析し、フォームや動作タイミングなどの改善を図る技術をISに応用した例として知られ、類似機能を持つシステムは米国、ロシア、フランス、中国、そして日本にも存在した。

 しかし、VTシステムとその類似システムが訓練用として制限を受けたのは二〇一七年のことだ。国際IS委員会が大会規則を改訂。将来を見越して「有人操縦機のみ出場を許可する」と明記したことで、VTシステムの仮想人格を操縦者と位置づける機能がこの規則に抵触することがわかった。

 さらに国際IS委員会はSNNにコアネットワークの監視強化を依頼している。もし試合での使用が発覚すれば、即座に罰則を適用できるように体制を整えたのだ。

 

「手順通りならこれで、……なぜ受け付けんッ」

 

 ラウラは手順にしたがって非常停止コマンドを入力し、再起動するつもりだった。だが、権限不足のため入力内容の否認という結果に終わる。

 ちょうどそのとき、開放回線(オープンチャネル)から桜のとぼけた声が響いた。

 

「ボーデヴィッヒさん。何かあったん?」

 

 ラウラは異常を知らせようと叫ぶ。

 

「上官を、誰でもいいから人を呼べ!」

 

 ラウラの剣幕に押され、桜とマリアが顔を見合わせる。格納庫には整備科の二、三年生が数名いて、先ほど多脚型IS(特一九型)が動かなくなった紅椿と一緒に戻っていた。ピットには楯無がいる。しかし、第三アリーナ自体は教師不在の状況にある。

 

「早くしろ! くそっ、ダメだダメだ! その弾種は、アーマーをぶち抜く気か!」

 

 打鉄零式と打鉄を敵対戦力として認定し、排除すべく動いている。シュヴァルツェア・レーゲンが数ある弾種のうち、対IS用特殊徹甲弾を選び出し、実弾を装填してしまった。ISのシールドを抜き、絶対防御を発動させるために考案された砲弾。大口径レールカノンが牙を剥いた。

 

「退、ひ」

 

 突然、バイザー型頭部装甲が出現してラウラの顔を覆い隠す。そして薬剤が投与され抵抗する暇もなく、手足から力が抜けて意識を失ってしまった。

 

 

 桜とマリアは両足を地面につけて、きょとんとしていた。

 

「……何が起こっとるの」

「さあ。ものすごくあわてた様子でしたね」

「せやったら、とりあえず緊急電を打っとこ」

 

 ふたりは互いにうなづきあって定型文を緊急連絡先に送った。学園はアリーナの状況を二四時間態勢で監視している。防諜部に設けられた即応チームへ一〇分以内に連絡が行くはずだ。

 

「ボーデヴィッヒさん?」

 

 ラウラの様子がおかしい。さっきまで怒るような剣幕だったのが、今は静かだ。桜は三メートル以内に接近しないよう釘を刺されている。中立のマリアは同年代の少女と比べて大人びた外見だ。お姉さん風の少女に話しかけられたら、ラウラも素直に言うことを聞くだろうと期待した。

 

「マリア、すまんけどボーデヴィッヒさんの様子を確かめてくれん?」

 

 打鉄が足を踏み出したとき、後方からISの接近を感知した。多脚型IS(特一九型)が、今度はセシリアと鈴音を回収するべく戻ってきた、と桜は考える。セシリアが顔を赤らめ、壁際でへたり込んでいる姿を目撃していた。桜は彼女の身に起こった出来事を知らない。一部始終を目撃したマリアが口を閉ざしていたからだ。

 マリアの動きに合わせて大口径レールカノンの砲口が微動する。シュヴァルツェア・レーゲンが金属爪(アイゼン)を下ろして体を固定した。桜は再びマリアに意識を向ける。ちょうど大口径レールカノンのリボルバーシリンダーが回転したところだった。

 

「そこの一年生!」

 

 ――はい?

 多脚型IS(特一九型)が瞬時加速で一気に距離を詰め、マリアと大口径レールカノンの間に無理やり体をねじ込んだ。一瞬後、桜は砲口から生じた閃光を目撃する。耳を(ろう)するような轟音が擦過。まばたきした直後、隔壁に砲弾が突き刺さる。信管が作動せず不発に終わった。

 

「ま……りあ?」

 

 対IS用特殊徹甲弾はマリアと上級生を直撃したかに見えた。桜は目を見開いたまま、ふたりの安否を確かめる。

 ――無事やった。

 多脚型IS(特一九型)が身をかばうのに使った装甲板は貫通し、無残にも円錐形の編みかごがねじまがったような形状に変貌している。弾道をねじまげることで運良く無事だったに過ぎない。

 桜の耳が重厚なモーターノイズを拾った。とっさに前を向くと、大口径レールカノンが大きな口を開けてにらみつけている。

 

「あかん」

 

 スラスター出力を最大に引き上げ、急激な回避機動をとる。

 シュヴァルツェア・レーゲンは、左右のリアアーマーからワイヤーブレードが射出し、同時に無言の射撃を行った。砲口からオレンジ色の炎を噴く。推進用の液体火薬をリボルバーシリンダー内でプラズマ臨海寸前まで加熱させ、なおかつ砲身内のレールガンで追加速を経た砲弾が驀進(ばくしん)する。

 隔壁に着弾。今度は信管が正常に作動した。爆発による激しい衝撃が伝播(でんぱ)し、フィールドと観覧席を分かつ隔壁が波打った。

 ――徹甲弾!

 ISコアが学内ネットワークから弾種を引き出し、桜の眼前に情報を提示する。

 桜は片方の非固定浮遊部位を自機同調から自律機動に動作方式を切り替え、いつでも撃てるように演習モードを解除した。三体のISは分散して動いた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ! 返事をしなさい!」

 

 上級生が開放回線を通して荒々しくわめいた。ラウラの返事はなく、先ほどからぐったりしたまま動かない。

 

「なぜ実弾を使ったのか。回答しなさい」

「先輩。聞こえとらんよ」

 

 上級生は桜の言葉をすぐ受け容れ、ピットとの回線を繋げる。楯無に状況を説明し、実弾の使用条件を確かめている。

 その間、桜とマリアはさらに放出されたワイヤーブレードをひたすら回避し続ける。ふたりとも許可が下りるまで火器の使用を控えるつもりでいた。上級生の様子から実弾使用が後々争議の火種に発展するかもしれない、という懸念があったからだ。

 

「あなたたち。さっき柘植先生からお墨付きをもらったわ。だから撃っても問題なし」

 

 開放回線から楯無の落ち着いた声が響く。

 

「神島はオルコット、凰の両名を回収したらすぐ退避して。あなた、武器を持ってないでしょ」

 

 その言葉を聞いた上級生が体を真横に向け、隔壁に張りついた状態で滑るように移動する。両手でセシリアと鈴音を抱きかかえ、三角飛びの要領で空間を飛び跳ねる。ひしゃげた装甲板の穴にワイヤーブレードが巻きついたものの、作業用機械腕が板を分離。そのまま閉じかかっていた出入り口に滑り込んでしまった。

 ――これで私に三本、マリアに三本。

 IS格納庫への出入り口が完全に封鎖された。弾丸が格納庫に飛びこみ、生徒を殺傷する危険を考慮したからだ。

 フィールドへの出入り口はカタパルトデッキか露天デッキの二択となった。

 ――私らも逃げんと。

 

「カタパルトデッキのほうが安全だから」

 

 楯無が逃げるように言う。だが、彼女の言葉を覆い隠すように何か甲高い音が連続して聞こえた。

 

「サクラ」

 

 マリアの声の一瞬後。熱された砲弾の破片が地面にばらまかれた。打鉄零式は隔壁にたたきつけられ、周囲に無数の小さなくぼみができている。

 シュヴァルツェア・レーゲンが榴弾に切り替えて攻撃したのだ。シュヴァルツェア・レーゲンは打鉄を照準におさめ、再び対IS用特殊徹甲弾を装填する。砲口から炎を噴きあげ、目標の完全破壊を試みた。

 ――痛ア……。

 桜は打鉄がシュヴァルツェア・レーゲンに砲撃を加えている、と思った。だが、桜が目を開けたとき事態は悪化の一途をたどっていた。

 対IS用特殊徹甲弾が打鉄の表面装甲を突破。破砕音をともなってさらに内部の複合材にめりこみ、信管が作動する。炸薬と弾片が破滅的な破壊をもたらす。この被害により、打鉄の右肩に搭載されていた四〇ミリ機関砲の砲身が歪み、砲架が根本からつぶれた。

 

「キャアアアッ!」

 

 マリアの口から悲鳴が漏れ、足首を拘束したワイヤーが遠心力を生み出す。打鉄が隔壁へと突っ込み、地面に崩れ落ちる。

 ――まだ気がおさまらんのか!

 シュヴァルツェア・レーゲンが敵機を完全撃破を目論んでいた。大口径レールカノンの砲口が打鉄を捉え続け、追撃するためにリボルバーシリンダーを動かした。

 

「それ以上はアカンわ!」

 

 体の奥がカッと熱くなった瞬間、桜は叫んでいた。体を起こす間もなくスラスターを噴射し、地面を大きく削りながら這うように低空を駆ける。次弾装填を知らせるモーターノイズ。そして照準を微調整する黒い巨砲が大きく映り込む。

 

「……届けって」

 

 桜が腕を伸ばしたとき、上体を起こしたマリアの顔が強張る。一瞬後、マリアが逃げようと動いたものの手遅れだった。

 液体火薬を点火し、限界まで初速度を高めた砲弾が野に解き放たれ、目標に向かって直進する。第三アリーナという砲戦を展開するにはいささか狭すぎる空間を一瞬で飛び抜ける。

 

「言うとるんヤアアアッ――!」

 

 桜が身を投げ出す。打鉄零式の非固定浮遊部位に砲弾が吸い込まれ、運動エネルギーによって表面装甲の剥離が進む。内部に織り込まれた特殊繊維を次々と引き裂く。破壊を押し進め、信管の作動によって炸薬が猛烈な化学反応を起こした。

 結果として非固定浮遊部位は盾としての役割を全うした。その被害は、推進装置に加え、搭載されていた二〇ミリ多銃身機関砲が機能停止するだけで済んだのである。

 桜はシュヴァルツェア・レーゲンの前に立ちはだかり、砲弾炸裂によって発生した熱風のなかにいた。不思議と恐怖は感じなった。水上艦艇の対空砲火や刺激性のガス、止む間のない轟音など陸海空あらゆる場所で何度も浴びている。

 桜はすばやく状況を確認した。シュヴァルツェア・レーゲンがワイヤーコイルを逆回転させ、打鉄への執拗(しつよう)な攻撃を加えようと照準を微調整した。標的である打鉄はショートブレードを地面に突き立て、スラスター最大出力で噴射して抵抗している。

 放っておくわけにはいかない。

 

「今、助けるから」

 

 桜は超振動ナイフを抜き放ってワイヤーブレードを乱暴にひっつかんだ。刃を当てて切断を試み、残った二〇ミリ多銃身機関砲で牽制(けんせい)射撃と実行する。だが、残った五本のワイヤーブレードが桜の排除に乗り出し、風を切って迫った。

 ――早う切れて。新装備なら役に立って。

 桜は願いを込めながら超振動ナイフを操る。耳元で爆音が聞こえ始め、打鉄も残された火砲を使って反撃に移る。

 ――今、役に立たんかったら、いつ役に立つって言うの!

 四〇ミリと二〇ミリ、二種類の砲弾がワイヤーコイルに吸い込まれる。マリアは動き回るシュヴァルツェア・レーゲンに対し、不利な姿勢にもかかわらず精密射撃を加えている。平時なら手放しで賞賛するほどの精度だが、このときは状況が違った。

 

「何で!」

 

 マリアが叫ぶ。リアアーマーや肩部装甲のすき間へ集弾したかに見えた砲弾が空中で静止してしまった。まるで見えない壁にはばまれたかのように運動エネルギーを消費し、地面に落下していく。シュヴァルツェア・レーゲンがお返しと言わんばかりに榴弾を見舞った。

 震動と衝撃破がほぼ同時にやってきた。超振動ナイフの切れ味を実感し、桜にほっとする暇さえ与えなかった。

 至近距離で炸裂した砲弾は弾片を広範囲にまき散らす。打鉄零式のシールドエネルギーは残り七割だ。桜は顔を覆っていた両手を下ろすと、刺さっていた細かい金属片が落下した。理不尽な暴力にさらされたことで、桜は怒りのような感情に突き動かされていた。

 

「いくらなんでもこの仕打ちは酷いんとちゃいますか」

 

 マリアの奇麗な黒髪がばらけ、うつぶせになった背中。満身創痍の打鉄がボロ雑巾のように転がっている。

 桜は無駄だと思いつつ、声に出すのを止められない。

 

「ボーデヴィッヒさん。聞いとるんなら返事してください」

 

 そのとき、通信回線に楯無の声が割り込んだ。

 

「佐倉さん! もう少し持ちこたえて! すぐ行くから!」

「了解!」

 

 返事半ばで、楯無があわただしく通信を切る。

 ――行くって誰が? まあええ。

 桜は機体を滑らせ、危険を承知で肉薄した。マリアの打鉄は激しく破損している。もし榴弾の弾片や徹甲弾が直撃すれば絶対防御発動にいたる可能性があった。桜は大口径レールカノンの照準を自分に向けさせ、級友の安全を確保しようと考えていた。

 ――ギリギリまで近づいて押し倒せ!

 大口径レールカノンを無効化したい。楯無の言葉を信じ、シールドエネルギーが底をつく前に救援が駆けつけることを期待する。

 

「痛ッ」

 

 桜は条件反射でつぶやく。太股をワイヤーブレードの先端が擦過したが、実際には無痛だった。

 

「何や、見覚えが」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンが両手を突き出す。桜は胸騒ぎを覚え、肘を小さく畳んで両手を槍の穂先のようにすぼめる。

 直進そのまま。黒いISの姿がどんどん大きくなる。ぐったりしたラウラの様子もはっきりと視認できる。

 ――相撲や。ぶちかましたるわ。

 

宜候(ようそろ)、……()ーッ!」

 

 その叫びと同時に、電界の歪みに向けて貫手を突き出す。先の無人機襲撃においてパイルバンカーと同一の効果をもたらした性能を発揮したかに見えた。

 慣性停止結界、すなわちアクティブ・イナーシャル・キャンセラーは十全の効果をもたらした。槍の穂先のような先端を受け止め、自機への到達を阻止したのである。

 桜は結果に呆けることなく舌打ちする。

 

「田羽根さんがおらんからか!」

 

 ――メニューにあるなら、使えるんやないんか。

 名称未設定機能が存在するなら、貫手が使えるはずだった。システム更改による機能低下。恐れていたことが現実になった。不可視の防壁を突破する手立てが消えたのは大きな痛手だ。

 それでも、マリアを見捨てて自分だけ逃げたいとは思わなかった。不利な状況下での戦闘は一度や二度ではない。囮を演じるくらいの覚悟なら持ち合わせている。

 ――会長さん、早う来てや。頼むわ。

 楯無が耐えろと言った。桜は彼女の言葉を信じていた。

 ――救援が来るまで持ちこたえたる……。

 桜の耳が高周波音を拾った。シュヴァルツェア・レーゲンのプラズマ手刀が幻惑迷彩に吸い込まれていく。

 近接兵装の直撃。シールドエネルギーが大きく減少する。

 ――こんなときに!

 貫手の代案を考えなければ後がない。桜はワイヤーブレードを打ち払いながら必死に頭を働かせた。

 だが、シュヴァルツェア・レーゲンは、そんな桜の抵抗をあざ笑うかのように、戦闘不能となった打鉄に照準を合わせた。

 

「それだけは!」

 

 桜は彼我の位置関係をすばやく算出し、級友へ迫る刃を払い落とそうと瞬時加速する。が、ワイヤーブレードが一瞬動きを止め、桜の未来位置に向かって突進を再開した。

 ――しくじった!

 両足首にワイヤーが巻きつく。桜の動きが止まった。もがくうちに、両腕、首に残りのワイヤーが絡まってきつく締まっていく。

 打鉄をかばうように立つ桜を、懐に飛びこんだシュヴァルツェア・レーゲンが殴りつける。抵抗ができないのを良いことに膝蹴りを加えた。プラズマ手刀を突き立て、シールドエネルギーを奪っていく。

 ――あかん。もうすぐ赤に変わってまう……。

 そして対IS用特殊徹甲弾の標的に変わってもなお、桜は防御策を講じ続けた。

 ――まだ、手段はある。

 残った非固定浮遊部位を呼び戻して盾にすることだ。徹甲弾一発なら耐えられる。

 首のワイヤーがどんどん締まっていく。くびり殺すつもりだと思い、桜は目を見開いて腹からのそこから叫んでいた。

 

「あきらめたら終わってまう……それだけは、それだけは!」

 

 閃光がきらめき、大口径レールカノンの砲声が轟いた。

 遠隔射撃を続けていた非固定浮遊部位では間に合わない。桜が盾を実体化して身構えたちょうどそのとき。

 

「ウウウオオオオォォォォ――!」

 

 獣のような雄叫びが聞こえ、対IS用特殊徹甲弾が空中で爆散した。

 

 

 いつまでたっても攻撃が来ない。桜は気になって、実体盾を少しだけずらして前方をのぞき込んだ。

 見覚えのある背中。機体全体を水色に染め上げ、装甲面積が少ない。これまで桜が見てきた機体よりも華奢な印象だった。

 ――水のドレス?

 薄らと青く色づいた透明の膜が、ISの周囲を覆っている。

 

「ヒーローは必ずやってくる!」

 

 聞き覚えのある声だ。

 

「そして悪を見逃さない! 助けを求める声を聞き逃さない!」

 

 外側にはねた水色の髪。バイザーで目を覆って、顔を隠しているつもりらしい。更識楯無にしか見えない女はよく締まった細腕を振るった。

 ――そんなんじゃ通らんわっ。

 桜の予想通り、大型ランス・蒼流旋(そうりゅうせん)の一撃はAICによって難なくはばまれてしまう。

 楯無は勢いを殺すことなく踊るように足を入れかえた。敵に背中を向ける。非固定浮遊部位(アクア・クリスタル)から放出された水は、薄膜のように柔肌を覆っている。水滴がシュヴァルツェア・レーゲンを濡らし、プラズマ手刀を防御しつつ、大型ランスを高速で振るい続けた。

 ――会長さん、何を考えとるん?

 桜は楯無の口元に浮かぶ笑みに気づいた。大型ランスの表面に形作られた水の刃が、桜との戦闘で劣化したワイヤーに食い込む。拘束を断ち切られ、自由になった桜は非固定浮遊部位をシュヴァルツェア・レーゲンの背面に回り込ませた。

 シュヴァルツェア・レーゲンは毎分六〇〇〇発以上もの射撃を受け、AICの一方を防御に振り向けざるを得なくなった。

 さらに桜は手元に一二.七ミリ重機関銃を実体化させて引き金を絞る。二方向からの射撃。ワイヤーブレードを失ったシュヴァルツェア・レーゲンは無防備な胴体を、ミステリアス・レイディ(霧纏の淑女)の前にさらけ出していた。

 

「佐倉さん。どんな苦境にも立ち向かおうとする……あなたのそういうところ、私、好きよ」

 

 楯無は続けて何かを言いかけようとし、すぐに口をつぐんだ。桜の視線がバイザー越しの瞳に釘付けになる。

 

「今、何を」

 

 楯無は足を入れ換え、腰をひねりながら蒼流旋(そうりゅうせん)を横薙ぎに払う。

 

「だから、見ていて」

 

 思考を停止させるほどの猛烈な衝撃がシュヴァルツェア・レーゲンを揺さぶった。右肩から大音響が響き、次の瞬間、膝が崩れ落ちる。

 大口径レールカノン大破。砲身が歪み、リボルバーシリンダーが割れている。連続した小さな爆発音が後を追った。リアアーマーの装甲が弾け飛び、ワイヤーコイル駆動部が焼けついて火災が発生。右肩の非固定浮遊部位が前後にずれ、内部に仕込まれた流体金属が漏れ出す。脚部を損傷し、膝に大きな亀裂が入っている。歩行に甚大な影響をおよぼすほどの被害だった。

 VTシステムに操られたシュヴァルツェア・レーゲンは、未だ戦闘継続の意思を貫いていた。右腕を突き出し、プラズマ発生装置に最大負荷をかける。鈍い音。そして爆発音がおさまったとき、マニピュレーターが消失し、その断面から流体金属が滴り落ちている。

 

「最後には勝たないと、ね」

 

 ミステリアス・レイディ(霧纏の淑女)蒼流旋(そうりゅうせん)を振り回して先端に絡みついた装甲の一部を払い落とした。

 

 

 エネルギーを使い果たし、膝をついて動かなくなったIS。刀折れ矢尽き果て、残骸と化した姿を見つめて、桜は小さくつぶやいた。

 

「シュヴァルツェア・レーゲン大破」

 

 末期戦の果てにある光景と重なった。壊れて動かなくなった兵器たち。重油を使い果たした海軍。菊水一号作戦で壊滅した聯合艦隊。

 桜は感傷にひたるのをやめ、楯無に向きなおって、ISをまとったまま頭を下げる。

 

「あの……会長さん、助かりました」

 

 打鉄零式の姿は顔が見えず、どちらかと言えば不気味だった。だが、楯無が赤いレーダーユニットに動じることはなかった。

 

「すぐ行くって言ったでしょ」

 

 桜は周囲を見回した。ラファール・リヴァイヴが三機いる。学園職員で構成された即応部隊だった。右肩を濃緑色の装甲板で覆い、識別番号が描かれている。一機はマリアを助け起こし、外傷の有無を確かめていた。

 桜はシールドエネルギーが約二割まで低下していた。破損した非固定浮遊部位を回収しており、損傷箇所を見積もるため量子化していた。徹甲弾命中で大きな穴があいてしまったのだ。もしかしたら部品の交換手続きが必要になるかもしれない。桜は楯無との話で気を紛らわせようとした。

 

「会長さんが戦っとるとこ、初めてやった」

 

 楯無はバイザーをつけたまま空を見上げて記憶を探る。

 

「……確かに。ミステリアス・レイディで佐倉さんの前に立ったことなかった」

 

 桜はじろじろと楯無の体を見つめる。本音の肌はもちもちしていたが、実は体幹をよく鍛えていた。楯無の体も同じような感触だろうか、と想像する。

 

「更衣室で好きなだけ見せてあげるから、後でね」

 

 どうせ筋肉をぺたぺたと触るつもりだろう。楯無には桜の考えが手に取るようにわかった。伊達に三ヶ月近く見つめ続けてきたわけではないのだ。

 桜が何か言いかけようとした。だが、楯無のほうが早かった。

 

「途中でタバネさんって言ってたけど、それって?」

 

 篠ノ之束と隠れたつながりがあるのではないか。楯無は新たな情報を引き出せないか、ひそかに期待する。

 

「田羽根さんや。田んぼの『田』に漢字で『羽根』。バージョン1に積んであった腐れソフトや」

 

 打鉄零式にGOLEMシステムが搭載されていることを、楯無は知っている。桜は多少の理解を得ているのを良いことに愚痴をこぼす。

 

「ふうん、そう」

 

 楯無は深く追求しなかった。桜の雑な口調からヘタに食いついて興味があると疑われるのを避けたい、と考えた。

 

「ボーデヴィッヒさんはどうなるんですか。処分されるんですか」

 

 二機のラファール・リヴァイヴがラウラの状態を確かめている。薬剤を投与されて眠っているだけで外傷はない、と話しているのが聞こえた。ラウラを取り出すには機材が必要とも口にする。

 

「私は決める立場じゃないんだけど、故意でなければおとがめ無しだと思う」

「こんだけ暴れたんやし、ただではすまんはずやと……」

「システムの暴走みたいだし。背後関係を調べて独政府と示談ってところね」

 

 桜は楯無の言葉にほっとため息を漏らす。ラウラは気を失う直前、助けを求め、逃げるように告げていた。嫌われていても、害をなすほど憎んではいないはずなのだ。

 

「まあ、真相は調べないとわかんないんだけどね」

 

 楯無は茶化すような口調で言った。おととし、去年は順風満帆だった。今年に入って二件目の異常事態。二件とも桜が遭遇している。単に運が悪いだけなのか、それとも裏で何かが動いているのだろうか。楯無は前者であって欲しいと願った。

 

「とりあえず、私たちも帰りましょ。事情聴取の前に一服したくなってきたから。佐倉さん、付き合って」

「……会長さん」

 

 楯無が踵を返し、桜も続く。

 ――またか……。

 桜は事情聴取と聞いて、肩を落とした。先月、根掘り葉掘り聞かれたばかりで、また同じ目に遭うのかと思うと気が滅入ってきた。

 

「お茶菓子、つきますか……って、あれ?」

 

 オプションの有無を確認しようと顔を上げる。すると前を歩いていたはずの楯無の姿が消えていた。

 一瞬後、隔壁に何かがぶつかる。桜が顔を横向けると、苦悶に歪む楯無の顔があった。桜は足を止め、眼前を黒く濁った泥のようなような刃が通過する。シュヴァルツェア・レーゲンの流体金属と同じ色だった。

 

 

「ISが……」

 

 異常事態なのは明らかだ。ラウラの体がタール状の流体金属に覆われ、埋没している。シュヴァルツェア・レーゲンは原型を留めておらず、泥人形のような形状に変わり果てていた。

 

「うわっ」

 

 桜は驚いてスピーカーの感度を下げた。女の金切り声に似た高周波音がアリーナ全体に発散されたからだ。

 ラファール・リヴァイヴが擲弾投射機を実体化し、ネット弾を射出する。だが、シュヴァルツェア・レーゲンだったものは流体金属で構成された腕を薄く引き延ばし、ネットを包み込むように飲み込んでしまった。推力を失った網が残され、細く長く伸びた腕からプラズマの閃光がきらめく。

 ラファール・リヴァイヴが大太刀(おおたち)を実体化。横薙ぎに振るわれた流体金属の触手を受け止める。もう一機が再度ネット弾を射出したが、結果は先ほどと変わらなかった。

 そして三機目は打鉄に肩を貸しており、フィールドからの脱出を急いでいる。

 

「速やかに退避してください!」

「……って言われてもねえ」

 

 体を起こした楯無が頭を振り、大型ランスを実体化する。シュヴァルツェア・レーゲンの表面にトゲが出現し、楯無と桜めがけて飛来した。

 ――来る!

 桜は実体盾を構え、刺突に備えた。

 一方、楯無は声を弾ませて蒼流旋(そうりゅうせん)の先端に水の螺旋を生み出す。装甲のすき間に隠されたスラスターを噴射することで加速しながら、先端に仕込まれた弾丸を解き放った。

 

「殴られたら殴り返せっていうのが、家訓なのよ!」

「そんな家訓は記憶にないし、独断は困ります! われわれに相談を」

 

 AICが発動し、弾丸が空中で静止する。楯無は流体金属の表面を滑るように駆け抜け、懐に躍り込んだ。

 

「ダメかっ」

 

 形状変化により、AICの発動部位の特定が難しくなっていた。流体金属の触手が舌打ちする楯無の背後、そして足元へと忍び寄る。

 

「会長さん下がって! 足元から来てます」

 

 眼前を白いウサミミカチューシャが通り過ぎ、メニューが勝手に展開された。名称未設定機能の項目が点滅している。

 桜はイメージ・インターフェースの変化を気にも留めなかった。楯無は下がる気がないのか、蒼流旋(そうりゅうせん)を振るい続けている。

 

「AICは二基。佐倉さん、試せる?」

 

 貫手を使え。楯無の意図は明白だ。電界の歪みが二箇所で発生している。蒼流旋のほかにも、ラファール・リヴァイヴの大太刀を防いでいた。AICが増殖でもしないかぎり、懐への到達は容易だった。ただし、襲いかかる触手をすべて避ける、という条件つきだ。

 ――やれるか?

 名称未設定機能の不調。突発的なものか。それとも再現性があるものか。

 桜が拒否しなかったため、楯無は自分の考えを口にする。

 

「ボーデヴィッヒさんを助け出してほしいの。搭乗者の生体反応さえ消えたら、ISは停止する。私が責任を取るから、今はできるか、できないかだけを答えて」

 

 ――会長さん?

 桜は、他人に命令を下すことに慣れた雰囲気を感じ取った。楯無の口ぶりには年齢不相応な重みがある。

 

「零式なら……佐倉さんならできるはずだから」

 

 他のISコアと通信し、シールドを部分的に解除する。ISコアとAI、そして桜の意思が通わなければその力を発揮することができない。

 ――私が願えば使えるようになるんか?

 常に尊大な態度を取り、どちらが主なのか分からなくなることが多かった。しかも存在すらあやふやなAIの気まぐれに運命を委ねる。桜は愚かな話だと思い、軽く笑みを漏らした。

 ――博打(ばくち)は好かん……けど。

 危険を恐れずに進め。戦死者が出るほど危険な任務を何度もこなしてきたではないか。桜は気持ちを奮い起こし、口を開いた。

 

「やってみますが、期待せんでください」

 

 ラファール・リヴァイヴ二機は攻めあぐねており、近づけずにいる。流体金属がネット弾をすり抜けてしまい、その効果を発揮できずにいたからだ。

 ISコアが最も安全な進路を提案する。鞭のようにしなる流体金属のすき間をくぐり抜けろ、というものだ。

 ――無茶を言う。

 可能でなければ提案しないはずだ。桜は腹を決めた。

 

「……突入します」

 

 提案を受け容れた桜に呼応して、打鉄零式はわずかに形状を変えた。赤いレーダーユニットが剥き出しになり、不気味な輝きを放つ。流体金属の乱舞をくぐり抜け、ほんの数十メートルを一瞬で飛び抜ける。触手状になった流体金属は、突進する打鉄零式に触れることを嫌がるかのように避けて通っていた。

 

「届いて!」

 

 正面から触手が突っ込んでくる。マニピュレーターの先端が切り裂く、零距離に到達する。桜は身を投げ出し、加速で勢いづいたままシュヴァルツェア・レーゲンを押し倒していた。

 流体金属が衝撃を吸収し、泥のなかに半身を埋めたような感覚だ。

 

「べとべとする……」

 

 粘性のある感覚にぞっとする。桜は水田で泥まみれになったことを思い出しながら、シュヴァルツェア・レーゲンのなかに右腕を差し入れた。

 ――貫手が使えとるのか判断できんけど、このまま続けんと。

 泥人形化したシュヴァルツェア・レーゲンの内部機構が左上に表示され、ISコアの指示通りに手を動かす。タール状になっているため、目視による作業は不可能に思われた。

 ――柔らかいのがっ……。

 マニピュレーターがラウラの太股に触れている。ひやりと冷たい流体金属のなか、人体の熱が生々しかった。少しだけ肘を引き、マニピュレーターを太股の下に敷いた。

 

「堪忍してな」

 

 今度は左腕を突っ込んだ。わきの間から背中に手を回して、上体を起こす。ラウラを横抱きにして引きずり出した。実習で着用していたものと同じ灰色のISスーツが露わになる。そして、ラウラを失ったシュヴァルツェア・レーゲンが抵抗を止め、流体金属が次第に固化していき、最後には動かなくなった。

 桜はラウラの顔をのぞき込む。小柄な少女が両目を閉じ、規則正しい寝息を立てていた。

 

 

 


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