IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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お待たせしました。今回から新章です。


狼の盟約
狼の盟約(一) フランスから来た女


 東京国際空港。

 シャルロット・デュノアは述べ一三時間におよぶ飛行時間、入国審査の長い列を経て、ようやくロビーの待合席へと落ち着くにいたった。

 予定では現地の案内人が迎えに来るはずだ。だが、いくら周囲を見回してもそれらしき姿は見あたらない。

 シャルロットは隣席にオレンジ色のスーツケースを置いて、無造作に足を投げ出す。大きなガラス窓から光が差しこみ、ジェット旅客機が空に上っていくのが見えた。

 

「女物の服だったら、こうはいかないよねー」

 

 ラフな男装。トーンオートン・チェックの長袖シャツに黒いジーンズ。ミリタリーブーツ。首元のボタンを開け、ネックレスの先にくくりつけたロケットを手繰り寄せる。写真の切り抜き。幼いシャルロットと一緒に仲が良かった友人が映っている。撮影日は三年前であり、ちょうど寄宿舎にいた頃だ。

 

「あいつ。今ごろ何やってるんだろうなあ」

 

 シャルロットがいた寄宿舎は、IS適性が高い者を集めて搭乗者として養成するための施設だった。全員とは言わないまでも、半分以上の子供がフランス語ができた。フランス国内や旧フランス領出身の子供ばかりが集められていたからだ。入所したのは四年前だった。シャルロットは寄宿舎で二年間訓練漬けの生活を送った。その後デュノア社の企業代表兼国家代表候補生に登用されている。写真の少女は寄宿舎でも珍しい日本人で、シャルロットよりも遅れて寄宿舎を出たあと、どこかの国や企業に所属したと聞いている。だが、詳細までは知らなかった。

 ロケットをしまい、今度は携帯端末を取り出す。ちょうどメールを受信する。差出人はレイコ・マキガミだ。タスク社の日本総代理店、株式会社みつるぎの渉外担当、かつIS学園への水先案内人でもある。

 

「もしかして渋滞かな」

 

 腕時計に目を落とす。朝の一〇時だ。事前のやりとりでは首都高横羽線を利用するとはいえ、通勤ラッシュの時間帯を外したので混雑を回避できるとの予測だった。

 かつては首都高湾岸線が存在し、交通量分散に大いに役立っていた。十年前、東京湾沿岸に乱舞したミサイル群がインフラを破壊しており、今もなお修復中である。おかげで比較的損傷が軽微だった横羽線や羽田線に集中するようになってしまった。

 スーツケースと携帯端末を片手に進むビジネスマン。平和でなければシャルロットが留学という運びにはならなかっただろう。

 シャルロットは手をかざして陽の光に向けた目を細める。ミサイルショックの残り香はなく、ISという異物が混入した日常。仲良しだった少女を思い浮かべる。

 

「ねえ、()()()。まだ……世界は()()平和だよ。君は今、どこで何をしているのかな」

 

 着信があったのですぐさま携帯端末を耳にあてがった。

 

「レイコ?」

「みつるぎのマキガミで御座います。遅刻して申し訳ありません。渋滞に……」

「そんなことだと思ったよ。今、どこ?」

「ただいまそちらに」

 

 シャルロットは立ち上がって周囲を見回した。パンツスーツ姿の長髪の女性が、電話を片手にペコペコ頭を下げている。耳を澄ませばパンプスのかかとが忙しなく床を打つ音が聞こえてくるようだ。

「今、手を振ってるんだけど、わかる? 金髪で男の子っぽい服装なんだけど」

「手を振っている人ですか……ああ」

 

 どうやらシャルロットに気づいたらしい。早足で向かってくる。

 よほどあわてていたのか頬が上気しており、息が荒い。しかし、顔を上げてしまえば、いかにも仕事ができる女性を装っている。

 シャルロットは微笑みながら労をねぎらった。

 

「遅れたこと。僕はそんなに気にしてないですよ」

 

 一人称に()を使ったのはシャルロットなりの悪戯(いたずら)のつもりだった。シャルロットが意図したとおり、レイコ・マキガミの表情がばつの悪いものに変わる。腰を九〇度に折って謝ろうとしたので、肩に手を置いて差し止めた。

 不審そうに顔をのぞきこんできたレイコに向かって、好青年風に笑いかける。

 

「おなかが空いてるので腹ごしらえしてから出発しませんか。IS学園に」

 

 

 シャルロットとレイコは手近なカフェに入った。入り口に「パソコン使用できます」のステッカーが貼られている。

 ボックス席かカウンターか迷った。ちょうどふたり連れの旅行者がカウンター席に座っていたので、シャルロットは同じようにカウンターに座った。シャルロットの隣には欧米から来たと思しき女性が二人してノート型端末を囲んでいる。

 

「何が食べたいですか。おごりますよ」

 

 レイコがスタンドに立てかけてあったメニューを取る。

 シャルロットは荷物を足元に押しこみ、「うーん」と言いながらメニューを手繰った。

 目移りしてすぐには決められない。無性にラーメンを食べたくなったものの、軽食のつもりでいたのであえて視線を横にずらした。

 

「じゃあ、カツサンド。少し前にテレビで見たから、これにします」

「ん。サンドイッチでいいんだ」

「お勧めって書いてあるし」

「飲み物はコーヒーでいい?」

 

 シャルロットがうなずくのを見て、レイコは声をあげた。

 

「わかった。注文しますね。……すみませーん」

 

 レイコが手をあげて店員を呼ぶ。タブレット端末を持った店員が来て、レイコが注文を伝える。

 その間、シャルロットの視線は隣の席へと移った。ふたりの女性のうち、ひとりはパンツスーツに眼帯という奇妙な取り合わせなので興味をひかれたのだ。

 ――横の人たち、誰かによく似てるんだよね。でも、ふたりとも社会人でお堅い職業だから、まさか日本にいるわけないよね……。

 ノートPCにはトラックボールが接続され、カールした金髪を短く刈り込んだ女性が肩を寄せている。動画投稿サイトと思しきWebデザイン。暇つぶしが目的なのか、日常よく見られる光景だった。

 空の旅で娯楽に飢えていたシャルロットは好奇心に駆られて、心のなかで失礼、と断ってからのぞきこんだ。

 画面の隅に「赤い波濤(Red Wave)」という文字が表示されている。航空機シミュレーターのIF戦MODである。「社会主義に目覚めたアメリカ合衆国が武力を用いた布教活動に勤しむ」というとても痛い設定が根幹にある。もちろんシャルロットにはそんな知識などなく流し目を送りながら、物珍しさでノートPCを眺め続けた。

 ――あっ。零戦。

 シャルロットでも知っている戦闘機がオープニング映像に登場した。灰色の胴体と両翼に日の丸が描かれていた。空冷発動機を搭載するため、頭でっかちに見える。しかし、同時代の戦闘機のなかでも絞り込まれた胴体は機能美に満ちあふれていた。

 天候は晴れ。カメラは空から海面を見下ろし、海原をかきわけ、単縦陣で進む艦隊を捉えた。戦艦と護衛の駆逐艦が航行しているようにも見える。先頭を行く巨大な軍艦がことさら存在感を放っていた。

 ――正直、軍艦の形を見ても、みんな同じに見えるんだよね。識別しろ、と指示があるならやるけど。

 シャルロットは隣のふたりがなぜ目を輝かせているのかさっぱり理解できなかった。しかしまとめ動画らしく、テロップと吹きだしが表示されたことで、シャルロットは心のなかで「助かった」とほっとする。

 ――こんな船、存在したっけ?

 吹きだしに土佐(TOSA)と描かれた軍艦。空母なのか戦艦なのかよくわからない。後続の軍艦と比較して三倍近い全長を持つ。すぐ後ろに長門(ながと)陸奥(むつ)、その他の艦が続いていく。土佐の左右両舷に設置された飛行甲板から艦載機がどんどん発艦するところだ。画面が切り替わる。動画製作者がテロップを差しこんでおり、型名とIDらしき英数字が表示された。

 ――うわあ……。これは引くなあ……。

 シャルロットはいきなり大写しになった戦闘機を見るや頬が引きつった。

 吹きだしには「一式局地戦闘機〈震電〉」とある。エンテ型と呼ばれる先尾翼型の機体は、胴体に男性アイドル育成ゲームの登場人物が描かれていた。この作品は去年日本でアニメ化され、海外にも輸出されている。ユーザー名は「40-IN.KR」。主翼には撃墜数と思しき★マークが二〇個以上並んでいる。土佐(TOSA)の直掩機らしく上空で旋回する。またしてもアニメ絵が大写しになった。

 ――あっ。今度はまともだ。

 腹に魚雷を抱いた艦上攻撃機〈天山〉の群れ。二〇機以上だろうか。超低空飛行で飛んでいた。カメラが天山の尾翼を追い、海面から魚雷を見上げながら並走する。胴体後部にはRATOと呼ばれる補助ロケットブースターを搭載している。レシプロエンジンの轟音とともに何かをたたく音が聞こえた。「ちょっ低すぎ」「こいつらおかしいよ!」という旨のコメントが様々な言語で書かれていた。

 ――理解不能だな……何に驚いているんだか。

 すると、金髪の女性が画面を指さしてにらみつけた。眼帯の女性に聞こえるようドイツ語をまくし立てる。

 

「クラリッサ! こいつだ……私のグラーフ・ツェッペリンを沈めたやつ!」

 

 カメラが艦上攻撃機を追い越し、日の丸をつけた零戦の一部隊を映す。

 ――派手だなあ。

 吹きだしには零式艦上戦闘機二一型。先頭の機体は桜吹雪模様に彩られている。ユーザー名は「SAKURA1921」。コメントでは「今回はエンジントラブルなかったのか(笑)」「まあ待て。途中で引き返すに違いない」などと散々な言われようだ。

 金髪の女性がねたましげな瞳を向けて唇をかむ。

 

「サクラ……早く墜ちればいいのに」

「落ち着いて。エリー、ここは空港。周りに人がいます」

 

 艦上爆撃機〈彗星〉の映像に切り替わったところで、シャルロットの意識はレイコによって引き戻された。

 

「カツサンドとコーヒー。来ましたよ」

「ありがとう」

 

 店員に日本語で伝える。

 国際線のターミナルビルなので動じた様子はない。シャルロットは早速カツサンドにかぶりついた。

 

「ねえ。レイコ。隣のふたり。誰かに似てる気がするんだよね」

「確かに。私も見覚えがありますね」

「本物かなあ」

「さあ。あ、でも……ドイツのIS委員会の動きがあわただしいって情報が入ってるんですよね。あとで詳細を確認してみますけど」

「ふうん。何かあったのかな」

「そこまでは」

 

 シャルロットは再び画面を流し見た。

 

「来た! 少佐です!」

 

 カメラが黒一色に染まる艦上戦闘機を映し出した。機体名はFM-2ワイルドキャット。ユーザー名は「シュヴァルツェア(Schwarzer)レーゲン(Regen)」だ。空冷機らしくずんぐりとした印象の戦闘機だ。なお、ワイルドキャットの型番はもっぱらF4Fとして知られている。このFM-2はゼネラルモーターズ(GM)社が製造したため異なる型番が付与されている。他の米軍機が紹介されるたびに「リヴァイアサンめ……!」という恨めしげなセリフが挿入された。

 ――リヴァイアサン? どういうこと?

 シャルロットがカツサンドを飲みこんでから首をひねった。リヴァイアサンは聖書に登場する怪物だ。途方もなく巨大で剣や槍を跳ね返す海の魔王だった。

 画面は蒼龍(そうりゅう)飛龍(ひりゅう)の二空母から発艦した戦爆連合が第一次攻撃隊として米空母を強襲したところだった。シュヴァルツェア(Schwarzer)レーゲン(Regen)らワイルドキャット隊は母艦の直掩だ。輪形陣を切り崩そうと襲いかかる艦爆隊を薙ぎ払う。護衛の駆逐艦が激しい対空砲火を撃ち上げている。

 この第一次攻撃隊は輪形陣に穴を空けるべく駆逐艦への投弾を続けていた。

 ほどなくして土佐から発艦した第二次攻撃隊が到達する。まずSAKURA1921の零戦二一型が護衛する艦攻隊は、レーダー対策のため超低空を這うように飛んでいた。爆弾が直撃して炎上する駆逐艦の横をすり抜けるつもりだ。だが、すぐに直掩機のひとつが彼らを目視で発見する。シュヴァルツェア(Schwarzer)レーゲン(Regen)らは艦攻の魚雷攻撃を阻止するべく、太陽を背にして逆落としをかけた。

 海面に対して六〇度、つまりほぼ垂直降下だった。レシプロエンジンの羽音が互いに近づく。零戦も黒い機体に気づいて高度を上げつつある。が、射程距離と貫徹力に勝るM2機関銃の猛射を浴びて、一機が機首を下げ、海面にぶつかってバラバラになった。

 桜吹雪模様の零戦が七.七ミリ機関銃を浴びせかけるも頑丈な機体はびくともしない。黒いワイルドキャットが桜吹雪模様の零戦とすれ違うや機首を引き上げ、ねじりこむように旋回する。桜吹雪模様の零戦が軸線をわずかにずらしながら高度を稼ごうと試みる。

 M2機関銃が火を噴き、再び零戦隊と交錯した。黒いワイルドキャットの後続機が九九式一号機銃の餌食(えじき)となり、砕けた風防が赤く染まっている。

 戦闘機同士が激しいドッグファイトを繰り広げる(かたわ)ら、低空から天山の群れが突入する。

 二機の天山が対空砲火につかまった。海面にぶつかった瞬間、主翼が折れて魚雷と一緒に水没する。

 しかし、すべて撃退にはいたらなかった。天山の機首がふわりと舞い上がる。米空母に向かって必殺の魚雷が投ぜられた。

 ――あっ、桜吹雪の機体から黒い煙が……。

 画面の隅では桜吹雪の零戦が被弾したわけでもなく、空母に背を向けて空域から離脱していく。発動機不調による転進だった。

 

「どうしました?」

 

 つい見入ってしまった。シャルロットはあわてて首をひっこめる。レイコがきょとんとした表情でのぞきこんできたので、愛想笑いを浮かべて最後の一切れを口に放り込んだ。

 

 

 昼過ぎ。職員棟でレイコと織斑千冬がタスク社絡みの手続きをするなか、シャルロットは一足先に寮を訪れていた。スーツケースを転がし、片手で傘を差している。足元が濡れてしまい、玄関前のひさしに駆け込んでいた。

 

「じめじめする……」

 

 季節は六月。IS学園は梅雨まっただ中だった。雨が降ってすぐに止んでしまったため湿度が増している。

 ――それにしても。

 シャルロットは振り返って建物を確かめた。

 

「ここ、だよねえ」

 

 ポケットから職員室でもらったプリントの写真と見比べる。

 寮は一部が修復中なのか、仮の足場と建築会社のロゴが描かれた幕で覆われていた。不安そうに背後を顧みる。IS学園の制服を身に着けた生徒が歩いており、彼女らは一日の授業を終えて宿舎に戻ってきたのだろう。

 確実を期して、近くを通りかかった少女に声をかける。

 

「あの……IS学園の生徒さんですか?」

「せや」

 

 標準語とは異なる音調だ。一瞬ひるみそうになったが、関西圏に多いしゃべり方だと思い直す。

 

「学園寮ってここで合ってますか」

 

 少女が首を縦に振る。肩を寄せてシャルロットが持っていた地図をのぞきこむと、白黒写真との違いに気づいて苦笑いを浮かべた。

 

「今な。寮の一部を修繕中。ちょびっとだけ外観がちゃうけど、中身はきれいなまんまや。不安がらんでええ」

「じゃあ、一〇二五号室というのは……」

 

 地図に書かれた手書きの文字を指さす。少女はシャルロットの顔を凝視して胡乱な瞳を向ける。シャルロットが内心たじろぐのも構わず、あごに手を当てて考えこむ。そして、手のひらを軽くたたいた。

 

「あんた、篠ノ之さんか織斑の追っかけか」

「え……?」

 

 もしかして気づいていないのだろうか。シャルロットは予想外の反応に目が点になった。

 シャルロット・デュノアの顔はそれなりに売れている。フランスの代表候補生であり、元デュノア社、現タスク社の企業代表のひとり。大手清涼飲料水メーカーのCMに出演したことさえある。

 シャルロットは地面に目を落とし、自分の格好を改めて確認する。男装を意識したのは事実で、何かと楽だという安易な考えで服装を選んでしまったのは否めない。井の中の(かわず)で、自意識過剰な女子高生風情だったのか、と愕然(がくぜん)としてしまった。

 

「僕、今日こっちに来たばかりで。すみません。自己紹介がまだでしたね」

 

 少女はシャルロットの一人称を聞いて首をかしげる。

 

「シャルロット・デュノアといいます。フランスから来ました。明日から一年一組に転入するんですよ」

「わっ、ごめんなさい。生徒やったか。私、サクラサクラと言います。一〇二六号室なんで、隣に住んでます」

 

 シャルロットはにこやかな笑みを浮かべて握手を求めた。桜は人懐っこい表情を浮かべて握り返す。

 シャルロットはふと、手首に目が行った。細身なので華奢なのかと思いきや手首が丸太のように締まっている。普通は筋が浮き出るものだが、桜に限ってはそれがなかった。

 

「案内します。どうせ、部屋に戻るつもりやったから」

「すみません」

 

 頭を下げるシャルロット。スーツケースを倒そうとしたところ、「あの」と声をかけられて桜を見やる。

 スーツケースのファスナーのスライダーにくくりつけた人形を指さしている。

 

「その人形は……」

「もらいものなんですよ。これ」

 

 スライダーからフックを外す。ちょうど手のひらの大きさに作られた二頭身人形たちを、桜の眼前に持ちあげた。

 

「ポニーテールで薄い橙色の体がもっぴい。三白眼で、胸の前でえらそうに腕を組んでいるのが田羽根さん。金髪縦ロールでそっぽを向いているのが、幻のセシルちゃん。ツインテールでつぶらな瞳なのが妖怪ぺったんこー」

 

 桜はもっぴいと田羽根さんの人形を食い入るように見つめ、腹の底から湧き起こる怒りを抑えきれずにいた。

 

「うわっ! 憎たらしい!」

 

 桜が心底忌々しそうに言い放つ。田羽根さん人形ともっぴい人形をわしづかみにして、今にも握りつぶさんばかりの勢いだ。背中から火を吹き上げるかのような勢いで殺気をまき散らした。

 

「あ、あの……」

「はっ!」

 

 我に返った桜が何事もなかったかのように人形をシャルロットに返した。

 

「これをくれた人がウザキャラシリーズだって言っていたんですが、本当に怒る人っているんですね」

 

 シャルロットがにっこり笑う。桜はその口調にわずかな険しさを感じ取った。

 

「わ、私としたことが……案内するんでついてきてください。……あっ。その人形。スーツケースにしまっといた方がええと思う」

 

 ありがとう、とシャルロットは白い歯を見せる。そして言われたとおり、人形をスーツケースのなかに納めた。

 桜はひどくどぎまぎしていた。男でも女とも受け取れる端正な顔つき。女だとわかっていても、頬を赤らめてそっぽを向く。唇をとがらせて後ろ手に組んだ指をくるくると絡める。

 

「あの、デュノアさん。変なこと聞くようやけど、男女構わずもてたりせえへん?」

「君は妙なことを聞くね。……まあ、確かに否定はしない」

「やっぱりか」

 

 桜は得心がいったらしく安堵の息をつく。誰彼構わず、キラキラとした笑みを向けようものなら変な気分になってしまう。桜は自分が正常であると確かめたかったのだ。

 スリッパに履き替えたシャルロットは、案内する桜の背中を見つめた。内装はWebサイトに貼られた写真と同じだ。今さら驚くまでもない。

 

「ねえ。君の名前。どんな字を書くの。姓も名も一緒の読みだよね」

「ああ。佐倉城の佐倉……軍隊の佐官の佐。倉庫の(くら)や。名前は桜祭りの桜やけど」

「ふーん」

 

 シャルロットは値踏みを始めて、ジロジロと桜の上下に目を流している。微かな悪意が瞳に浮かび、すぐに何事もなかったかのような顔つきに変わった。

 

「変わった名前だね」

「国外に出たときに困るわ。名前なんか名字なんかわからん」

「発音が一緒だからわからないよね」

「あ。ここや。ちょびっと待ってな」

 

 部屋番号は一〇二五。桜が扉をたたいて住人を呼び出す。

 

「篠ノ之さーん。デュノアさんが来たよー」

 

 扉越しに凛とした女の声がした。しばらくして和服姿の少女が顔を出す。シャルロットは扉越しにチラと内装をのぞきこみ、障子張りの間仕切りを見つけた。

 

「貴様がデュノアか。私は篠ノ之箒。先生から話を聞いている。入ってくれ」

「私はこれで」

 

 桜は箒に一言告げて背を向け、隣の部屋に入ってしまった。

 

「……お邪魔します」

 

 シャルロットは一〇二五号室に入室した。はにかみながらつぶやき、箒に習って靴を脱ぐ。室内の方々に貼られたお札を目にして、妙な気分になる。

 もともとホテル同然の内装のせいか、一〇二五号室は備え付けの家具で間に合っていた。シャルロットは誘われるままキッチンを抜け、洋風の内装には極めて不釣り合いな置物を目にして立ち止まってしまった。

 

「あの……」

 

 スーツケースを脇に寄せてから湾曲した物体を指さす。

 箒はシャルロットの挙動不審な様子に目を丸くした。彼女の指が示す先に気づいてようやく破顔する。

 

「ああ。真剣だ。刃引きしていないから、決して抜こうなんて思わないでくれよ」

 

 箒は愉快そうな様子でこともなげに言い放った。

 

「あの……篠ノ之さんはサムライなんですか」

「箒でいい。お茶、飲むか?」

「……お願いします」

 

 シャルロットの返事に合わせて箒がにこやかな笑みを浮かべる。

 

「わかった。今、麦茶と紅茶を切らしていてな。煎茶しかないから我慢してくれ」

 

 ポットから湯を注ぐ音が漏れ聞こえる。シャルロットは椅子に腰かけて緊張した面持ちで室内を見回した。

 ――え、誰?

 先ほどは気づかなかった。部屋の隅に小豆(あずき)色のジャージを着用し、黒いニット帽を被った小柄な少女が体育座りをしていた。メガネをかけ、もみあげが内側に跳ねている。無言で空間に指を滑らせ、まるでピアノの旋律を紡ぎ出しているかのようだ。少女はシャルロットを一瞥し、軽く目礼しただけで、自分の世界に没頭してしまった。

 シャルロットは祖国で学んだ日本の知識を総動員する。おとぎ話の登場する怪異(あやかし)こと座敷童(ざしきわらし)に違いない。座敷童がいる軒には幸福がもたらされる。子供には見えて、大人には見えない。まだ子供に分類されるからかろうじて見えているのだ。シャルロットは正座してから手を合わせて、その少女を拝んでいた。

 

「……何をやってるんだ」

 

 箒が怪訝(けげん)な声をあげる。お盆に三つの湯飲みを乗せて、シャルロットを見下ろしていた。

 

「さすが日本。本当に座敷童がいるんだなって感心してるんです」

 

 真顔で答えるシャルロット。箒は壁際の勉強机に自分とシャルロットの湯飲みを置き、お盆を持って部屋の隅に向かう。

 

「客人にあいさつくらいしたらどうなんだ」

 

 少女の横にお盆を置き、ニット帽をつまみ上げる。かすれた声が聞こえ、少女が両手で頭を押さえるよりもはやく、四方八方に跳ねた水色の髪が露わになった。

 

「……返して」

 

 目を伏せ、聞こえるか、聞こえないかくらいの小さな声でしゃべる。

 箒はお盆を遠くにずらし、横に腰を落としたかと思えば簪の脇に腕を差し入れた。

 

「ほら、立って」

 

 ほとんど無理やり立たせた形だ。簪はメガネを取って眠そうな目をシャルロットに向けた。

 

「更識簪。……よろしく」

「あのときはメガネかけてなかったよね? 僕はシャルロット・デュノア。世界大会予選で一度戦ったときはラファール・リヴァイヴ・カスタムだった。覚えてないかな」

 

 シャルロットは歯が浮くような気障な物言いだった。対して簪は目を細めたにすぎない。

 

高速切替(ラピッド・スイッチ)の……二年振り」

「何だ。デュノアを知っていたのか」

 

 箒が瞬きするシャルロットと無表情の簪を交互に見比べた。簪はそっけない態度を続けている。

 

「だから、目礼した」

「デュノアさん。気づいてなかったんだぞ」

 

 箒はシャルロットを指さしながら言った。簪の手がすばやく動き、ニット帽を奪い取る。

 

「寝癖が直ってないの。……だから、今日はこのまま」

 

 簪はそっぽを向くなり元の場所で体育座りしてしまった。

 

「すまない。とっつきにくいやつで」

「その……彼女とはどういったご関係で……」

 

 以前顔を合わせたときと比べて随分印象が異なっている。二年前は感情が読み取りにくく、何を考えているのかよくわからなかった。

 箒は毅然(きぜん)とした態度で言い放った。

 

「月末の学年別……タッグトーナメント。私は、あそこにいる更識簪と組むことにしたんだ」

「そういうことか」

 

 シャルロットは合点がいった。手続きの対応を行った千冬から学年別トーナメントについて概要を聞いていた。

 学年別トーナメントの参加資格はIS学園の在校生である。このうち一年生の部は六月第四週から六月第五週の末日にかけて執り行われる。一年生の総生徒数はシャルロットを含めて一二四名だ。二人一組のため、三位決定戦を含めて六二試合が予定されている。

 会場は第二アリーナをのぞく五つのアリーナで実施する。一試合につきISを四機使用するため、最大で二〇機同時に整備する状況になり得る。IS学園の技術者や整備科だけでは作業量が飽和する状況が考えられた。そこでIS関連企業から技術者が派遣されることになっていた。

 また三学年同時にトーナメントを行った場合、一日に大量のISを扱わねばならない。企業側から作業量飽和による整備品質の低下を問題視する声があがっていた。そのため去年から一会場につき一日あたり八試合までという制限が設けられた。

 今年は第二アリーナが使用不能になったことで試合を消化できないという問題が急きょ浮上した。以前から学園の教師や企業から過密スケジュールを軽減するよう求めており、今回の所属不明機襲撃はあくまで制度変更の契機となったにすぎない。もちろんシャルロットには内部事情は知らされていなかった。

 なお、二年生の部は七月第二週、三年生の部は七月第三週に実施される。七月頭に一年生の担当職員が臨海学校で抜けるため、不足分は企業の技術者を増員して対応する。なお、学期末考査は第四週に三学年合同で実施することになっていた。

 

「更識簪と……」

 

 シャルロットは笑顔を浮かべたまま、箒がもたらした情報を冷静に受け止めていた。

 デュノア買収にまつわる諸手続で転入を延期したとはいえ、国家代表候補生兼企業代表のシャルロットには優先すべき達成目標が存在する。自機の売り込みだ。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡへの改修案件を一件でも多く受注することで、第三世代機の開発資金を調達する。もし資金調達に失敗すればラファール系第三世代機は、名称こそデュノア社の名残があるものの中身はタスク社が独自開発したものに置き換えられてしまうだろう。そしてシャルロットは企業代表から解任される、と聞かされていた。

 タスク社は既にいくつもの主力商品を持っている。関連子会社のタスク・アウストラリス、タスク・カナタにいたっては第三世代機を開発し、搭乗者とともにISを学園に送りこんでいた。タスクが欲しいのは商品としてのラファール・リヴァイヴであり、広告塔のシャルロットではなかった。

 

「つまり、それって優勝候補ってことかな」

 

 簪の戦績を考慮すれば当然の帰結だった。シャルロットは今の発言に対して商売敵ともいえる簪の反応を注意深くうかがう。

 当の簪は眉ひとつ動かさない。しばらく沈黙が続き、突然簪の視線がシャルロットを突き刺した。

 

「篠ノ之さんがどれだけへっぽこでも勝つのは私だから」

「へっぽこは余計だ」

 

 突然の勝利宣言に、シャルロットは武者ぶるいした。

 もうすぐ開催される学年別トーナメントにおいて、簪は倒さなければいけない壁となる。二年前は引き分けだった。それから彼女は戦績を伸ばし、強豪の仲間入りを果たした。

 ――もう戦いが始まっている。

 シャルロットは腹の奥底では、ここで譲歩すれば、精神的優位を与えてしまうという危機感を抱く。それゆえ、心を奮い立たせ、決意を胸に秘めて気障ったらしく格好つけた。

 

「サラシキ。それは違うよ。最後に立っているのは、僕こと、シャルロット・デュノアだ」

 

 

 翌日。シャルロットは講堂に集合した一年生の前に立っていた。

 物珍しさのためか、講堂のいたる所からささやき声が漏れ聞こえてくる。上下ともに黒いスカートスーツを着用した千冬が両手をたたく。大きな破裂音がしたかと思えば声を張った。

 

「静粛に。これからデュノアさんに転入のあいさつをしてもらう」

 

 よく通る声が銅鑼(どら)の響きのように余韻を残す。騒がしかった空間がうそのように静まり返った。

 シャルロットは千冬が教師として一目置かれていることを実感する。不意に妙な願望が鎌首をもたげるのを自覚した。

 ――豊かなよく通る声を艶やかに泣かせてみたい……って何考えてるんだ。最近ミューゼルさんの影響、受けてるのかな……。

 

「では、デュノアさん」

 

 返事をしたのち、シャルロットはちょうど一夏の真っ正面に立って深呼吸した。

 

「シャルロット・デュノアです。フランスから来ました。この国では不慣れなことも多いかと思いますが、みなさんよろしくお願いします」

「男……?」

 

 一夏がつぶやく。

 

「いいえ。こういう格好なだけでれっきとした女だよ」

 

 人懐っこい笑顔。礼儀正しい立ち居振る舞と中性的に整った顔立ち。貴公子然とした雰囲気を醸しだしている。髪は濃い金髪。黄金色のそれを首の後ろで丁寧に束ねている。体はともすれば華奢(きゃしゃ)に思えるくらい細い。

 だが、女だ。

 一夏の顔に落胆の色が浮かぶ。前から女の子が入ってくるのは風のうわさで知っていたが、もしやと考えたのだ。実はシャルル・デュノアという少年が入ってくるのではないか。女の園で生活するうちに同世代の少年が恋しくてしかたがなかった。同世代の男同士でのスキンシップ。風呂場で裸の付き合いに勤しむという鬱屈(うっくつ)したストレスから来た妄想が盛大に砕け散った。

 散発的な拍手だ。ラウラ・ボーデヴィッヒの前例がある。生徒らは一夏に手を上げるのではないか。そう危惧していたものの、シャルロットは早々にあいさつを切り上げてしまい、みんな拍子抜けしてしまった。

 

 

 


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