IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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狼の盟約(四) 男と女

 風が流れていく。一夏は合宿所の裏門にもたれかかり、イヤホンから断続的に流れる音声に耳を傾けていた。

 手に持っていた携帯端末が振動する。メールだ。受信に時間がかかっており、どうやら写真が添付されているようだ。イヤホンを外し、携帯端末を操作してアプリケーションを終了する。

 ――弾じゃないのか。

 メールボックスに記された名前を見て意外に思った。御手洗(みたらい)数馬。通称「お手洗い」もしくは「トイレ」「WC」だ。名字ネタでからかうとむきになって怒り出す。一夏と弾にとって貴重なエロ本の供給源であり、彼の部屋とPCが倉庫代わりになっていた。

 そういえば、と一夏はひとりごちる。先週の日曜日。シャルロット・デュノアが転入してくるとうっかり口を滑らせた。

 弾や数馬は気の置けない間柄だった。女子の好みや週刊誌のグラビアについて熱く語り合ったり、弾の家に集まってだらだらと暇を潰すことが多かった。

 彼らも昼休みで暇なのだろう。メールのタイトルは「()ぜろ! リアル!」。内容を意訳すると「ギャルゲーの主人公みたいでうらやましい」だった。

 

「現実を知らないからそんな風に言えるんだって」

 

 血の涙を流す数馬。その隣で弾が呆れ混じりに笑っている光景が目に浮かぶ。

 一夏は携帯端末を見下ろし、数馬から届いた写真を眺める。

 

「これはっ!」

 

 一夏は思わず目を見開いた。ネットで拾った写真だろうか。雑誌のグラビアをスキャナで取りこんだものらしい。とっさに画面を消灯し、左右を見回す。幸い彼に注意を向ける者はいない。

 ゴクリ、と(のど)を鳴らす。IS学園に軟禁されて二ヶ月半が経過していた。軟禁といっても申請すれば、学外に足を延ばすことが認められている。連休を利用して実家に戻り、五反田家や御手洗家へ遊びに行った。だらだらとした日常。同年代の男子との他愛もない時間がどれだけ貴重かを学んだのだ。

 そして、一夏とて思春期真っ盛りの青少年だった。

 ――女子はみんな千冬姉と似た生物Xなんだ。

 生物学的に姉は女である。女としての機能を持っているだけで、男と何が変わるというのだろうか。弾や数馬と女性の個々の部品を吟味したところ、千冬は実にすばらしいそうだ。納得がいかず、一夏は弾への当てつけとして蘭を例に挙げた。おしとやかな妹がいてうらやましい。すると弾は笑いころげてしまった。一夏と弾は、最後に数馬と同居中の叔母にして現役女子高生を引き合いに出し、熱い議論を交わしている。レンズの向こうは桃源郷であり、現実は地獄だ。三者三様に身近な女性のダメなところばかりに目がいった。身内の恥をさらしている気がして意気消沈してしまい、その場は解散となっている。

 ――女子には見せられないよなあ……。

 数馬が送りつけてきた写真には、ビキニタイプのISスーツを着用したシャルロットが写っている。清涼飲料水の缶を胸元で挟みこんでいた。幼さが残る容貌と相反する豊かな胸部。先ほど男子と変わらない制服姿を目にしたばかりなだけに、余計に強烈だった。

 数馬の最後の言葉が印象的だった。

 

「おっぱい……おっぱい……」

 

 弾のメールによれば、数馬は先ほど鼻血を出して保健室送りになったそうだ。

 彼女の一人称は僕だと教えたら、数馬はどのような反応を示すだろうか。一夏は携帯端末をポケットにしまい、ため息をついた。

 一夏には目下、二つの切実な悩みがある。

 

「うかつに仲間がほしいって言えないんだよなあ」

 

 ――シャルロットがシャルルだったらよかったのに……。

 男が相手なら変に気を回す必要はない。女子のISスーツは水着と同じく体型を露わにしてしまう。男子高校生には刺激が強すぎるのだ。

 変な気分になったら即座に姉を思い浮かべる。入学当初は四六時中姉のことばかり考えていた。シスコンと呼ばれてもおかしくないほどの頻度だった。仲間が増えれば悩みを共有できる。苦行のような生活のなかで、ほっと一息をつくことができるはずなのだ。一夏はもう片方の悩みへと意識を切り替えた。

 

「トーナメントの相方。どうするよ」

 

 適当な相手に声をかけようものなら、なぜか話題を逸らされた。時には逃げてしまうことさえあった。おかげで一夏は学年別トーナメントが差し迫るなか、未だにひとりぼっちである。

 ――俺、遠慮されてる? 男だからってハブられてる?

 このままでは虚空に向かって談笑するラウラのようになってしまう。彼女は時折、講堂の裏手で誰かと話し込んでいる。先日見かけたときは、教室では決してみせることのない自然な表情でくすくす笑っていたのだ。問題は同室になった桜や本音が相手ではなく、誰もいない虚空に向かって表情豊かに振る舞っていたことだ。

 ――ああいう風にはなりたくない!

 その友達はラウラにしか見ることができなかった。最早彼女は手遅れだと思った。一夏のなかでラウラという選択肢が消え、仮に千冬に頼まれたとしても彼女とは手を組みたくなかった。しかし、女子の中で最も気楽に接することができる鈴音はセシリアと手を組んでしまった。頼みの綱だった箒は、自分を優勝候補である更識簪に売り込んでいる。

 ――佐倉も一応検討はしたんだ。

 倉持技研の第三世代機専任搭乗者であり、IS搭乗時間も似たようなものだ。一夏よりも操縦が上手で、打鉄零式の火力に富んだ装備はとても魅力的だった。

 ――だけど俺は、声をかけられなかった。

 桜が所属不明機の腹をえぐったときの光景を忘れられない。一夏が以前よりもまじめに訓練に打ち込むようになったのは、所属不明機の襲撃があったからだ。

 一夏のなかで打鉄零式は悪役というイメージが形作られている。一緒に手を取り合って戦う光景を想像することがどうしてもできなかった。彼女を見かけるたびに判断ミスを指摘する松本の言葉を反芻してしまう。

 ――俺は、この手で誰かを守りたかった。

 再びイヤホンを取り出して耳にはめる。携帯端末に入れたアプリケーションを起動し、幼い頃、数馬から教えてもらった記号を入力する。RJTT、すなわち東京国際空港である。

 ――大空を守ろうとした白騎士と散っていった無名の防人(さきもり)たちのように。だけど、現実の俺は、誰かを守りたいと願望を垂れ流すだけのガキだったんだ。

 

 

 一日の授業が終わり、講堂に残った一夏は宿題を片付けてしまうつもりでいた。セシリアに解法を教わり、宿題を半ば解き終えていた。時間を確かめようと顔を上げる。千冬がノート型端末を開いてキーボードに指を踊らせている。

 ――いつの間に。

 一夏は席を立って姉に近寄った。

 

「ちふ……織斑先生」

「ん?」

 

 千冬が画面から目を離して振り向いた。一夏を見つけると、目元が軽く和らぐ。

 

「織斑。どうした」

 

 一夏は口を開け、少し言葉を選んでから、改めて言葉を紡いだ。

 

「相談があるんだ。時間は、大丈夫……ですか」

「構わん。話せ」

「トーナメントのことなんだけど、俺、実はまだ相方が決まっていないんだ。できたら、まだ相方が決まっていない子を教えて欲しい」

「それは構わんが、相手を決める時間はあったろう。なぜ、今ごろになって」

「俺から声をかけようとしたら……みんな話題を避けるんだ。理由はわからない」

 

 櫛灘が流したうわさは、千冬の耳にも入っていた。生徒がやることだから、と放っておいたのだが、まさか一夏を避けるような事態に発展しているとは思ってもみなかった。

 

「少し待て」

 

 千冬は作業内容をいったん保存し、無線で学内ネットワークに接続する。ショートカットを駆使してタッグ未結成者のリストを取得した。次の瞬間、顔写真付きの一覧が表示される。

 

「現在、タッグ未結成者は八名。おっと今、六名に減った」

 

 桜とラウラの名前が消えた。

 

「どんなやつがいい。誰でもいいなんてことはないのだろう?」

 

 ああ、と答えた一夏は考えこむ。リストを一瞥しただけなので、誰が残っているかは知らない。胸に手をあてて考える。

 ――俺はどうしたいんだ。

 力試しをしたい。白式でどれだけ通用するか試してみたい。そしてクラス対抗戦から続けた修練の成果を見せてやりたい。

 ――誰に?

 一夏は自問する。脳裏に映像が過ぎった。燃えさかる炎のなかで所属不明機の腹に腕を突き立て、オイルに濡れた赤い瞳。白式の異母兄――打鉄零式。彼女は「守る」と一言も口にすることなく、一夏にできなかったことをやり遂げてしまった。

 事後になって自分の認識よりも遙かに多い課題が山積みとなっていた事実。同じ事物を見て感じていたはずなのに、桜は違った。

 

「千冬姉。アレに勝つには誰と組めばいい」

「アレ? それから学校では織斑先生だ。何度言ったら」

零式(レイシキ)

 

 千冬は、弟の真剣な眼差しを受け止め、真摯に耳を傾ける。

 

「アレに勝てるやつが残っているなら教えてくれ。俺はアレと戦わなきゃならないんだ」

 

 桜は一夏とほぼ同時期に専用機を入手し、同じメーカーの機体を使っている。装備は異なるもののカタログスペックはほぼ同等だ。

 

「残り物に福がある、とは言わないまでも……ひとり、うってつけのやつがいる」

「誰なんだ……ですか。それは」

「うちのクラスのデュノアだ。シャルロット・デュノア。織斑も知っているだろうが、フランスの代表候補生。実力だけならば間違いなく優勝候補だ」

「今、彼女はどこにいる……んですか?」

「さっきまで第六アリーナにいたのだが、まだいるかどうか。確認する」

 

 千冬はアリーナの使用者一覧を呼び出し、シャルロットの名を探した。

 

「彼女はまだいるぞ」

「ありがとうございます。織斑センセイ」

 

 頭を下げた一夏に向かって、千冬は喜色満面で言い放った。

 

「礼には及ばん。早く行け!」

 

 

 一夏は時折足を止めては携帯端末で利用者一覧をのぞいた。リアルタイム版は見た目こそ簡素だが、アリーナの使用状況を把握するのに一役買っている。

 シャルロット・デュノアがいる。彼女が他人とタッグを組むのは時間の問題だという焦燥感から、一夏は急ぐ以外の選択肢が思い浮かばなかった。

 シャトルバスに運良く飛び乗る。吊り輪をつかみながらシャルロットのことを考えていた。数馬のメールは頭から追いやった。素の彼女は中性的な外見や言動、ユニセックスな服装を好みそうなのだ。写真の彼女は別人だと無理やり自分を納得させる。

 

「おじさん、ありがとう!」

 

 シャトルバスが第六アリーナの前で停車し、運転手に礼を言って飛び出す。第六アリーナのAピットに向かって走る。あそこにシャルロットがいる。学年別トーナメントという祭典で、間違いなく上位に食い込むであろう実力者。姉が口にした優勝候補という言葉は、一夏にとって天啓めいた響きを伴っていた。

 いったん観覧席に出る。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの姿はない。ピットかIS格納庫か。彼女はまだ利用者一覧に名を連ねている。

 Aピットに行き、肩で息をしながら女性教諭に「デュノアさんはどこにいるのか」と聞く。その教師は格納庫で見かけたそうだ。一夏は電子扉を抜けて、格納庫に躍り出た。

 

「デュノアは」

 

 格納庫の奥に鎮座する巨大な砲を目にして、一夏はぽかんと口を開けてしまった。作業用機械腕が何事もなかったかのように一七センチ連装砲と思しき筒を持ち上げていた。

 一夏は本来の目的を思い出し、目を皿にして探す。ダメかと思ったとき、巨砲の側でラウラと桜が突っ立っているのが見えた。シャルロットが肩を怒らせて、ラウラと何事か話している。

 ――いたっ!

 一夏は手すりから身を乗り出し、大股になって急いだ。

 

「デュノア!」

 

 力強い大声にシャルロットが振り向く。ラウラに侮蔑されたことを押し隠し、爽やかな顔つきになった。

 

「君は……」

「俺と」

 

 シャルロット何かを言おうとする前に、一夏はその両手を握りしめた。

 

「俺と……」

 

 突然鼻先が触れ合うほど近くに顔を突きつけられ、シャルロットはにわかに頬を染める。一夏の一挙一動に目が放せない。シャルロットが知らない男の顔だった。

 

()()()()()()()()()

「……え?」

 

 肩で息をしながら真剣な眼差しをシャルロットに向ける。一夏はシャルロットが自分を断る理由がないように思えた。根拠のない自信が彼のなかに満ちあふれている。数多の企業がIS学園に人材を送り込み、白式と一夏のデータを欲しがっているはずだ。

 

「俺と付き合って……うぐ」

 

 途中で噛んでしまった。一夏は「俺と付き合ってトーナメントに出場してくれ」と言ったつもりだった。今すぐにでもミスを恥じ入りたいところだが、勢いが大事なときだ。細かいことに構ってはいられない。彼女と手を組むと決めたからにはぜひとも承諾の言葉がほしい。

 汗で目が潤む。今、目を逸らしてシャルロットを失する。学年別トーナメントで桜と再戦を果たすことができない。クラス対抗戦の続きをやりたいのだ。ひとりのIS搭乗者として。

 シャルロットは目を見開き、硬直していた。一夏は答えを待ちながら、シャルロットと真剣に向き合った。

 ――デュノアは答えてくれるだろうか。

 

「……うん」

 

 シャルロットが真っ赤な顔でうなずく。

 

「よっっしゃああああ!」

 

 ――やった。俺の熱意が通じた!

 一夏は喜びのあまり、シャルロットを力一杯抱きしめていた。トーナメントの相方を手に入れ、しかも姉が太鼓判を押したほどの人物だ。その場に桜やラウラ、クラリッサ、薫子らが呆気にとられて目を丸くしたのも構わず、子供のようにはしゃいでいた。

 

 

 


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