IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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5/12 方言を使用する登場人物の科白を修正しました。おかしな方言だったものを伊勢弁に近づけました。
5/17 IS学園一般入試出願数と倍率を修正しました。


中学三年生(二) 連絡

 その電話がかかってきたとき、職員室には伊藤以外の姿がなかった。他の先生は席を外しているか、まだ到着していなかった。伊藤はポットのお湯を出がらしのお茶っ葉に注いでいたが、慌てて急須を置いて電話を取る。電話の主はIS学園の事務員だった。

 ――うちの中学にどんな用や。

 伊藤は受話器を耳に当てながら、よそ向けの丁寧な口調で受け答えすると、先方の用件は学校説明会の開催についてだった。IS学園と言えば超難関校である。有名大学のように各地の主要都市に受験会場を設けるような学校で、あまりにも難関のせいか、毎年記念受験をする生徒が後を絶たない。受験科目が多いことから特別に試験日が重ならないように設定されていた。過去に伊藤が受け持った生徒が受験しているが全員不合格である。学校説明会ですら応募倍率が千倍を超える。伊藤が県の講習会で耳にした噂によれば、学校説明会に参加できる生徒はIS適性が高いことが必須条件でしかも成績優秀でなければならない。

 IS学園の事務員がサクラサクラと口にする。

 

「ええ。うちの学校に佐倉は在籍しております。こんな時間ですから、まだ登校しておりませんが」

「佐倉さんが審査に合格しまして連絡のお電話をさせて頂きました」

「ハア。うちの佐倉がですか……」

 

 伊藤は努めて平静を装った。佐倉と言えば三年一組で陸上部のエース。彼の受け持ちの生徒だ。

 事務員は佐倉に資料を渡すように頼んできた。IS学園は機密を扱う都合上、セキュリティが厳しいので事前送付した資料をよく読んで欲しいのだという。毎年セキュリティチェックに引っかかる学生がいるから手続きを円滑にするためにも協力をお願いしたい、と注意事項を並べた。

 

「ええ。私の方から佐倉に伝えておきます。はい。ええ。もちろんです。こちらこそわざわざご連絡ありがとうございました。失礼いたします」

 

 電話越しに頭を下げて、受話器を置いた。椅子に深くもたれかかり、二年生を受け持っている金井和子がビニールに包まれたパンフレットを片手に出勤してくるのを目にした。

 荷物を抱えた金井の薬指にはめられた銀色のリングが輝いている。

 

「おはようございます。伊藤先生」

 

 金井は伊藤の疲れた顔を見て、すぐさま飲み疲れだと考えた。伊藤はビールが好きで、よくネットで海外のビールや限定物のビールを買ってきては同僚を誘って宅飲みに誘うような男だ。昨晩もビール片手に野球中継を聞いていたのだろう、と当たりをつけた。

 

「伊藤先生。一組の佐倉さん宛に郵便物が届いてますよ」

「差出人はどこですか?」

 

 伊藤に聞かれて金井ははっとした。いつもの習慣で郵便受けに手を突っ込み、宛名だけ見て興味を失い、差出人についてはまったく意識していなかった。「どれどれ……」と手元をのぞき込んで彼女は絶句した。

 

「金井先生。そんなに驚いてどうかされました?」

 

 伊藤の声にはっとして何度も瞬きする。

 

「伊藤先生。これ……IS学園からですよ。えっ、学校説明会?」

「そう書いてありますね」

 

 伊藤が眠そうな目を開く。パンフレットの表に大きく「IS学園 学校説明会資料在中」と書かれていた。出がらしのお茶をすすって淡々とした様子で口を開いた。

 

「うちから何人か応募したのは知ってますよ。内申書とか推薦書とか書類をそろえたのは私ですから。それとさっき、IS学園から電話があって、うちのクラスの佐倉が説明会の審査に受かったと連絡がありました」

 

 伊藤の予想に反して金井の方が興奮していた。

 

「す、すごいじゃないですか!」

 

 パンフレットを手渡した金井は机に手をついて身を乗り出していた。伊藤は一瞬びっくりして引きつった顔をしたが、パンフレットを手にとって眼前に掲げた。

 

「いや、まあ。すごいのは分かりますよ。でもねえ。あの佐倉がねえ……」

「佐倉さん優秀ですから。そこが評価されたんじゃないですか」

 

 金井が自分のことのように驚く姿に、伊藤は審査の条件を思い浮かべていた。学校説明会へ参加する権利を得たとはつまり、佐倉桜のIS適性が高いことに他ならない。しかし伊藤としてはIS学園よりも陸上部が強い高校に進学させたかった。既に強豪校が佐倉に目をつけていて推薦の話が上がっている。悪い話ではない。

 ――いや、本人に決めさせるべきやわ。

 伊藤はミント味のタブレットを口に放り込みながら、ふと思い直した。佐倉の成績なら推薦を取らなくとも一般入試でも十分合格が可能だ。IS学園は外部の者にめったに門戸を開かない場所である。せっかくの良い機会だし、学校説明会に参加することは彼女の視野を広げる良い機会ではないだろうか。

 

「佐倉には私から伝えます」

 

 伊藤はパンフレットを脇に挟みながら席を立った。遠い目をしながら頭をかいてひとりごちる。

 

「まさか佐倉がねえ」

 

 

「佐倉ア。ちょっと来い」

 

 ホームルームの五分前になって、伊藤は友人との話に興じていた佐倉桜を呼び出した。

 

「イトセン。なんやあ?」

 

 イトセンは伊藤のあだ名である。桜は伊藤が自分を呼ぶ理由をいくつか考えてみたが、どれもぴんと来なかった。

 

「佐倉。前にIS学園の学校説明会に申し込みしたろ。推薦書が()るって言うとったやつだわ」

「はい。それがどうしたんやろか?」

 

 桜は伊藤の前で恐縮して肩をすくめる。伊藤は体格が良く身長が一八〇センチ以上あって人相が悪い。一五五センチの桜からすれば巨人だった。

 

「審査ア通ったわ。今朝、IS学園から連絡があった。これ、お前宛や」

 

 ぶっきらぼうに言って、パンフレットを渡す。桜は何度も瞬きして、パンフレットと伊藤の顔を交互に見た。

 

「ほんまやろか。イトセ……伊藤先生」

「ほんまやわ。パンフレットを見てみい。IS学園と書いてあるわ」

 

 伊藤に言われてパンフレットをひっくり返すと、ビニール越しにIS学園と書かれているのを見つけて、思わず大声を出していた。

 

「うわーほんまやあ。私、受かったんか。びっくりしたあ」

 

 無邪気に飛び上がる桜を見て、伊藤はたしなめるように言った。

 

「言っておくが、まだ学校説明会や。たまたまIS適性が高かっただけで、浮かれるのは早いからな」

「うれしいなあ」

「IS学園から注意事項を良く読むように言われとる。毎年セキュリティチェックに引っかかる者がおるんやと。横着(おうちゃく)して学校に恥をかかせるなよ」

「もちろんやー。機密は守るもんやろ、その辺はばっちりやりますよう」

 

 伊藤はへらへらと笑う桜を見て不安を覚えたが、本人が大丈夫だと言っているから信じてやることにした。今にも踊り出しそうな雰囲気で不気味に両肩を揺らす姿を見て、「はあ……」とため息をついて髪の毛をかきむしった。そしてぶっきらぼうに言い放つ。

 

「よし。行ってええぞ」

「はあい」

 

 浮かれた声に、本当に大丈夫だろうな、と伊藤はパンフレットを片手に教室へ駆け戻る桜の背中を見て思った。

 教室に戻った桜は自席に着きながら、伊藤の言葉を思い返した。IS学園に入る前にセキュリティチェックがあるという。さすが軍事機密の塊。ふと自分の発言を思い返した桜は、久しぶりに機密なる言葉を使ってしまった事実に気付いた。幸い伊藤は特に気にとめた様子はなかった。

 自重せねばと心に誓い、すぐに「にへら」と相好を崩した桜は、こっそりと腕の中にあるパンフレットをのぞき見る。

 

「えへへ」

 

 桜は頬が緩むのが止められなかった。IS学園の学校説明会に受かったことはつまり、選抜試験の機会を得たことに他ならない。ISに乗って空を飛ぶ姿を想像してだらしない顔になる。恋バナでもないのに、こんなだらけた顔を見られるのは恥ずかしいが、それよりも嬉しさの方が勝った。

 

「佐倉、どうしたんや。気持ち悪い顔して」

 

 同じクラスの男子が声をかけてきた。最近声変わりしてめっきり低くなってしまったが、聞き覚えのある口調だった。

 

「えへへ」

 

 桜は振り返るなり、パンフレットをもったいぶるような仕草で抜き差ししてから、同級生の眼前に突きつけた。

 

「学校のパンフレットか。まじめやなあ」

「ただの学校やない。ここ見て」

 

 そう言って学校名を指さす。同級生がのぞき込むと、桜がにやにやと笑った。

 ――驚くやんかなあ。驚やろかかったら男の子やないわ。

 

「すっげー! IS学園やと。え? 佐倉、説明会に行くんか?」

 

 期待通りの反応に桜は誇らしげに胸を張った。

 

「そうや。来月の日曜に行ってくるわ」

「マジかよ。よう受かったなあ。うちの姉ちゃんも去年申し込んで受からんかった。倍率高いって聞いたわ」

「一五〇〇倍やって。私もさっき聞いてびっくりした」

「なあ、お土産! お金渡すから頼むわ!」

 

 騒々しい声を聞きつけたのか、他の生徒が桜の机を囲み始めた。みんな口々にすごいだの、お土産だの言っている。桜が自慢しようと思った矢先、伊藤が出席簿を持って教室に入ってきた。

 

「お前ら佐倉の弁当でも漁っとるんかあ。(はよ)う席につけー」

 

 生徒は蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの席に戻っていく。

 桜は椅子に深く座り直し、パンフレットを大事そうにつまんで通学鞄の中にそっとしまいこんだ。

 

 

 部活が終わって帰宅すると、台所から良い匂いがした。コトコト、と煮込む音が聞こえてくるのでおそらく鍋である。

 

「ただいまー」

 

 玄関で奈津子の靴を見つけ、ローファーを脱ぎ捨て隣に並べ置いて、そのまま自室にバタバタと足音を立てて駆け戻った。

 汗で制服が張り付いて気持ち悪い。ブレザーを脱いでハンガーに掛け、ブラウスを脱いでスカートも下ろす。

 鏡の前に女物の下着を身につけた自分がいる。水色のショーツに水色のブラ。柔らかな大人の女になりかけの体を見ると、自分らしくなくてなんだか女装しているような気分に陥る。しかしふくらみかけの乳房と股間にあるべきものがないことから、女の身には違いない。

 軽く汗を拭いて下着を替えようと、タンスから淡黄色の下着を取り出して広げる。先日奈津子と街に行ったときにフィッティングして選んだものだ。体格にあった下着を身につけたら、不思議と安心感に包まれた。

 

「奈津ねえには感謝せんとなあ」

 

 今でこそ慣れたが、奈津子に手を引かれて初めて下着売り場に行ったときは顔から火が噴く思いだった。佐倉作郎だった時分に女っ気がなかったこともあって刺激が強すぎた。レースのひらひらが目についたり、奈津子の女らしい体つきを()の当たりにして目のやり場に困ったり、と大変だった。

 そもそも下着売り場に連れて行かれた発端は、夏場の暑さに耐えかねて、昔を思い出してふんどしを身に着けていたところを奈津子に見つかったことによる。ふんどしを思い出した時は「私、天才」と舞い上がったものだが、奈津子が「ふんどしなんてとんでもない」と憤怒(ふんぬ)の表情に変わった。その後母親にばれて泣かれ、仕方なく下着を買いに行くことを了承したのは良い思い出である。おかげで母に下着を買いに行くといえばお小遣いがもらえるようになった。

 あとはニーソックスを脱ぐだけだったが、膝にゴムの後が残ってしまうのが、どうしても気に入らなかった。汗がたまってかゆくなるときがあっても、掻き出したら止まらなくなるので必死に耐えることがよくあった。

 後はいつものようにジャージを身につけて、居間に向かうのだが今日は違った。

 通学鞄からIS学園から届いた郵便物の封を開けて中身を机の上に広げる。送付資料は学校案内とIS学園規則。セキュリティチェックについてのプリントなど。

 IS学園までの交通手段が書かれた紙を見て、桜は大事なことと気がついた。

 ――どうやって行けばええんや。

 机の引き出しを開けて財布を取り出し、中の金額を確かめる。一〇〇〇円札が五枚入っていた。携帯端末を取り出して、自宅の最寄り駅からIS学園前までの交通費を算出して頭を抱えてしまった。

 ――足らん。交通費が足らん。どうする。

 浮かれていた気分が一気に冷めた。

 ふと昔実家に送った給金のことを思い出した。航空機搭乗員をやっていたことに加え、大して使わなかったためかかなり貯まっていたはず。予科練上がりとはいえ士官の端くれだったから、そのときにたくさん貯めたはずなのだ。特攻で戦死して二階級特進して功三級の金鵄(きんし)勲章(くんしょう)をもらったはずだから、一時金が昭和二〇年当時の金額で二、三万円くらい出たはずである。

 

「……あかんわ。うん十年前の話をしても無駄やないか。佐倉作郎の給金は全部兄貴の手に渡っとったわ」

 

 遺書に全部使ってくれ、と書いたのだ。土蔵に作郎の遺品が眠っていたから間違いない。

 

「あかんやないかア……」

 

 財布を机に置いて弱々しい声を漏らながらへたりこんだ。望みが絶たれ、素直に話をもっていくしかなかった。

 桜は無言で書類を集めて袋に戻した。重い足取りで居間へ向かった。

 先に席に着いた奈津子が幽鬼のような桜の姿を目にして、あっけにとられていた。まさか生理の日なのでは、と考えて壁掛けカレンダーを見たが予定では来週が頃合いのはずだった。

 

「サク。どうしたん」

「……奈津ねえ」

 

 食べることだけが生き甲斐のような妹が好物を前にして元気がない。天変地異か、それともまさか、ありえないことだが恋にでも目覚めたのだろうか。

 

「父ちゃんと母ちゃんはどこにおる」

 

 妄想を振り払うべく忙しなく首を左右に振る奈津子を尻目に、桜は居間を見渡して両親の姿を探していた。母親は土間にいると思われたが、父親がどこにいるか見当がつかなかった。

 見かねた奈津子が口を出した。

 

「母ちゃんは土間に新しいお茶っ葉を取りに行ったからそろそろ戻ってくるわ。父ちゃんなら一番風呂だわ。さっき声がしたからすぐに来るはずや」

「……ありがとうな」

 

 桜は元気なく答え、パンフレットを脇に抱えたまま呆けたように席へ着いた。

 

「気持ち悪いわ。サクが元気ないところ見るの」

 

 奈津子が心配して声をかけたものの、桜は気のない返事を返すだけだった。奈津子は妹が熱があるのかと思って額をくっつけてみたが平熱である。どんぶり茶碗を持って炊飯器に向かったものの、心ここにあらずといった風情でよそった米の量が少なかった。

 

「あらー桜ちゃん……」

 

 母親が桜のどんぶり茶碗を見て、心配そうな声を出した。いつも山盛りになっていたどんぶり茶碗に半分ほどしか米が盛られていない。梅干しが切れたのでしそふりかけを使っていたが、それでも少なく見える。

 母親が奈津子の耳元に顔を近づけてささやいた。

 

「あの子どうしたの。まさか失恋?」

「やったらええんやけど」

 

 はふう、とため息をついた桜に二人は顔を見合わせた。恋わずらいに見えなくもなかった。好きになった男の子の話を一度もしなかった桜にも春が来たのか、と母親は勝手に誤解する様を、奈津子が呆れたような顔つきで眺めていた。

 

「風呂空いたぞー」

 

 と作務衣姿の父親が居間に姿を見せた。自慢の娘達を見て、いつにもましてにこにこと笑っている。しかし桜のどんぶり茶碗を目にした父親は、思わず手ぬぐいを床に落としていた。桜と言えば山盛りのご飯である。長女の安芸(あき)と似て美人だ。安芸との違いは背丈と食事量である。

 

「ああ、父ちゃん」

 

 桜は箸を置いた。のろのろと席を立ち、顔を引きつらせた父親の前に出るなり、突然土下座した。

 

「父ちゃん! お金を貸してください!」

 

 額をこすりつける見事な土下座だった。

 ――な、何が起こっとるんや。

 父親は娘の土下座を前にして状況が飲み込めずにいた。末娘が食事を一食抜いたように幽鬼のような表情をしている。しかも突然金を貸してくれとはどういうことか。

 父親は腕組みをしながら静かに息を吐いてから口を開く。

 

「とりあえず頭を上げよか」

 

 最初に理由を話してもらわなければ、金を出す判断もできない。父親は膝を折って桜に言った。

 

「理由は何や。教えてもらわんことには、父ちゃんは何とも言えへんぞ」

 

 桜は恐る恐る顔を上げた。ゆっくりと立ち上がると、椅子の背に置きっぱなしだったIS学園のパンフレットを手に取り、再び父親の前に立った。

 

「今日学校にな。IS学園の学校説明会の審査に通ったって連絡があったんや。そんでな。来月の日曜に説明会に参加したいんやけど、交通費がな……お金が足らんのや」

 

 すると様子を見守っていた奈津子が大声を出した。

 

「ほんまに受かったんか!」

 

 首をかしげていた母親が奈津子に聞いた。

 

「知っとったの?」

「今朝、サクから教えてもろうた」

 

 と奈津子が答えた。

 

「勝手に応募したんは謝る。どうしてもISに乗ってみたかったんや」

 

 桜は父親の目をまっすぐ見つめた。父親はこれほど強い瞳を見たことがなく、雰囲気で圧倒されてしまう。

 桜はどこか大人びた、達観したところがある子供だった。最近こそ年相応に振る舞っているように見えたが、幼児の頃はまるで大人のような口ぶりだった。娘だと思って会話していたつもりが、同年代の男と会話しているような気分にさせられる不思議な子だった。食べ物にうるさく、パソコンや携帯端末に興味を示したので安芸のお古を譲り渡したことがある。飛行機が好きで空を飛べない代わりにゲームに興じたり、外で走り回るような子だ。気がついたらネットでロシアとアメリカ人の友だちが出来た、などと話すような一風変わったところもある。しかし彼女は贅沢なわがままを口にしなかった。

 IS学園なら同じ農家の娘が記念受験して不合格だったという話をよく耳にしていた。遊びに行きたい、というのなら話は別だが、娘の進路に関わることだから本人の意志を尊重した方がよいだろう。

 

「わかった。そやけど、条件がある」

 

 父親はそう言った。素直に許可を出したのは、頑固な子だから一度言い出したら梃子(てこ)でも動かない雰囲気を感じたからだ。

 

「母さん。電話取ってんかいな」

 

 母親に向かって、声をかけた。彼女が一番電話機に近い。

 「はい」と答えた彼女は子機を手にとって夫に手渡す。父親は子機を手にして、長女の携帯番号を入力し、程なくして安芸が電話に出た。

 そのまま世間話をするかのような調子で、安芸に末娘がIS学園の学校説明会の審査に受かったことを告げた。

 

「ほんまに! あそこって倍率が本っ当に高くて、確か千倍超えるんっちゃうやろか!」

 

 甲高い声が聞こえてきたので、父親が受話器から耳を遠ざけた。受話器の向こう側で、まるで自分のことのようにはしゃぐ長女が落ち着くのを待ってから、「来月の日曜は暇か」と尋ねた。

 

「ちょうどオフやけど。なになに~」

 

 桜のために一日空けてくれないか、と告げる。安芸が返事をする前に、IS学園の説明会の引率をお願いしたい、と続けた。

 

「ええよ。IS学園っていったらあ。滅多に撮影許可が下りないんだもん。セキュリティがめちゃくちゃ厳しいって事務所の人がよく口にしてたよ」

「そうか! スケジュールの詳細は追って桜から連絡させるわ。ああ。頼む」

 

 通話を終えて受話器を母親に渡し、相変わらず騒がしい子だ、とぼやいた。

 桜は一部始終を見つめて、ずっとぽかんと口を開けていた。父親からどやされるものと勝手に思っていたからだ。IS学園までの交通費は結構かかる。新幹線を使うとなれば中学生の桜から見てとても

高額になるため、「学割証を申請しておかねば」と思った。記憶では一割五分の割引になると聞いたことがあった。

 

「当日の計画は安芸と話し合いなさい。必要な金額は申し出ること。余裕を見て渡すから」

 

 父親はぽつりと言って、桜の頭をなでる。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 桜は深々と頭を下げて礼を言った。父親は柔和な顔つきになって、思い出したように床に落ちた手ぬぐいを拾い上げたところに、桜のお腹が空腹を訴えたものだから全員が声を上げて笑った。

 

 

 


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