IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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狼の盟約(七) 改造

 桜は第六アリーナで体当たり専用パッケージを操っていた。列車砲が浮かぶ空間で試してみたかったというのもある。

 

「あかん。どうやってもへそを曲げてまう」

 

 大型スラスターに不具合が出ていた。

 桜はパラメータを確かめる。薫子から提示された設定値を切り替えて試してみた。が、四基のうち二基は正常に動作し、思い通りに調整できた。残り二基の調子が悪く、出力が不安定なままだ。

 

「稼働実績があるのにこれじゃあ」

 

 不安がよぎる。機体運が悪いのは昔からだった。実戦は発動機の不具合があれば引き返すことが許される。整備を受けるか、機体を変更すればよい。試合はそういうわけにはいかない。試合中に不具合が起きれば棄権だ。

 開放回線からラウラの声が聞こえた。

 

「佐倉。先ほどから機体が傾いている。スラスターの調子が悪いのか?」

「二基の出力が落ちている。パラメータを変えても直らない」

「その状態だと……直掩(ちょくえん)は無理か」

「やれんことはない。せやけど、全力を果たすことができん」

「ならば列車砲を使うときはそのパッケージを使うな」

「おおきに。そうさせてもらうわ」

 

 桜はフィールドに浮かぶ巨体を見つめた。優に六〇メートルを超える長さの機体がPICを使い、方向転換をしている。天蓋付近まで上昇し、ゆっくりと砲口を下げる。演習モードで弾丸を撃ち出せるかどうか確かめていた。

 

「ボーデヴィッヒさん」

「少佐と呼んでくれ」

 

 ラウラは真剣に告げた。発射手順を踏むうちに学生ではなく、軍人としての気持ちが高ぶってしまったのだろう。

 桜は思わずくすっと笑った。

 ――ボーデヴィッヒさんに付き合ったろ。

 

「少佐。カノーネン・ルフトシュピーゲルングの機動力を増強できませんか」

「無理だ。拡張領域がすべて埋まっている。これ以上大型スラスターを配置する場所がない。そして重量過多だ」

 

 兵装を減らせばただのルフトシュピーゲルングになってしまう。打鉄との性能差が消え、火力優勢が崩れてしまう。

 桜はスラスターを最小出力にしてPICの制御に専念した。体当たり専用パッケージの高速性能を発揮するには広大な空域が必要だった。

 桜はしきりに目配せする五頭身に気づいていた。視野の右下でもじもじと膝を動かす。話を切り出すタイミングを図っているようだ。

 ――素直すぎて気味悪い。無視すると後が怖いし……。

 きれいな田羽根さんは献身的なよい子だ。見返りを求めようともせず、桜のためを思って提案を持ちかける姿勢に、なかなか慣れることができない。

 

「な、何や」

「す、スラスターっ……田羽根さんが調査して、制御しましょうか」

 

 とても魅力的な提案である。

 ――まぶしいっ。幼女の誠意を疑う私のバカバカっ……でもなあ。

 桜はチラと左下に視線を落とす。スツールがずれ、もっぴいの部屋につながる扉が半開きになっている。田羽にゃさんは神の杖が封印されてから手持ち無沙汰(ぶさた)らしい。桜がもっぴいの部屋を起ちあげると案の定、田羽にゃさんともっぴいたちの姿があった。

 ――篠ノ之さんとこ……相変わらずや。

 打鉄弐式におびえるあまり錯乱した目つきのもっぴい。画面の隅で体育座りをする二頭身に向かって、田羽にゃさんが肩をたたいた。

 ――何や。あの写真。

 懐から取り出したのは写真だった。メイド服を着た見目麗しい少女が映っている。しかもふたりだ。

 

「えっちいポーズが打鉄。隣の清楚そうな黒髪ロングは白式にゃ」

 

 田羽にゃさんは写真を指差して説明する。

 

「白式は人畜無害で清楚にゃのが売りのIS。穂羽鬼くんが守りたいISランキング1位にゃ」

 

 薄橙色の体が田羽にゃさんを取り囲む。写真を受け取ったもっぴいたちがおそるおそる発言し始めた。

 

「こっちのがよかったよ。どうして弐式なんかと組むことに……白式ならこんな怖い目に遭わなくてもよかったのに……」

「紅椿が白式と浮気したいってこと。弐式にばれたら……ガクガクブルブル」

「フフフ。もっぴい知ってるよ。紅椿が白式と組んでも未来がないって。弐式が嫉妬してヤンデレシフトするよ。そうしたら地球破壊爆弾が飛んでくるって」

「死ぬ気でがんばらないと地球が終わるんだよ……もっぴいの尊い犠牲で地球が救われるなら」

 

 田羽にゃさんがもっぴいCに三白眼を向けて首を振った。ご愁傷様と言いたげだ。

 ――最近のもっぴい。ガクガクブルブルとしか言っとらんな……。

 とりあえず田羽にゃさんには仕事する気がないとわかった。

 もっぴいの部屋を閉じた桜はきれいな田羽根さんに笑顔を振り向ける。

 

「お願いするわ。できれば一二〇秒間連続で正常な出力が得られるようにしたい」

 

 一二〇秒の根拠は一度の空中戦がだいたい二分で終わるからだ。

 

「田羽根さんがスラスターを担当しますね」

「おおきに。頼むわ」

 

 きれいな田羽根さんが邪気のない笑顔を浮かべる。箒に微笑みかけられたような気がしてどぎまぎしてしまった。

 ――調子狂う。

 疑うことを知らぬ純粋な瞳を向ける。まなざしはキラキラした輝きを帯びていた。

 ――この差はなんなん?

 田羽にゃさんはもっぴいの部屋から戻ってすぐにスツールに腰かけた。床を蹴ってくるくると回っている。あくせくと働くきれいな田羽根さんと対照的だ。

 

「田羽根さんは右の田羽根さんを手伝ったりせえへんの?」

「エンジン周りの制御は田羽にゃさんの専門外にゃ。そもそも権限がニャい。田羽にゃさんの担当はこの前、貴様が封印してくれたではニャいか。右の田羽根さんが幼女ニャのを良いことにたぶらかしてしまった。自分色に染め上げようとする魂胆が見え見えにゃ。おかげで自主待機。ついでにもっぴいや打鉄その他とお話する以外、やることがニャくて困ってる」

 

 聞き捨てならない言葉が混ざっており、桜は眉をひそめた。いろいろ言いたいことがあったものの不満を心中に押しとどめる。

 

「田羽根さんができることは何があるん? 神の杖ともっぴいの部屋以外で」

 

 田羽にゃさんが床を蹴った。スツールが一回転して、再びつり上がった三白眼が露わになったとき、丸い手のひらに非固定浮遊部位の模型が乗っていた。

 

「何なん」

 

 田羽にゃさんは桜を見てバカにしたように笑った。そしてしたり顔を浮かべる。

 

「これを見てわからニャいのか。非固定浮遊部位の操縦にゃ。右の田羽根さんが丁寧に説明したのにもう忘れているとは……幼女に言いつけてやるにゃ」

「他には」

「これにゃ」

 

 田羽にゃさんはもう一度床を蹴った。スツールが一回転し、非固定浮遊部位の模型の代わりに、七色に光る液体入りの牛乳瓶が出てきた。

 

「うわっ」

 

 あからさまに怪しい。桜はわざと声に出して不満を露わにする。

 758印のラベルが貼られているだけで何の用途かさっぱりわからない。桜は勇気を振り絞って田羽にゃさんに聞いた。

 

「そ……それは」

「758撃ちの素ニャ」

「せやからどんな効用が」

「758撃ちの素ニャ」

「答えになっとらんわ。ちゃんと教えて」

「現時点で貴様に知る権限は与えられていない。ま、使ってみればわかる。必要にニャったら教えてやる。楽しみにするんだにゃ」

 

 ――こいつ……。

 田羽にゃさんは説明を終えた気になったのか、スツールを半回転させて、七色のセロハンを貼りつけたゲーム卓に向かう。桜に背を向け、懐から取り出したコインを投入する。ビープ音で作られた短いメロディが鳴った。

 

 

 ピットに戻った桜は、四五口径一〇〇センチ砲を取り外す僚機の側に立つ。ISから降りたラウラが作業中の整備科生徒の隣でスポーツドリンクの栓を開けた。すぐ桜に気づく。ペットボトルから薄桃色の唇を外し、小さな体に似合わぬ大股で歩み寄った。

 

「佐倉」

 

 桜は腕を組みながら眉をしかめていた。いかにも不満げな表情だ。

 

「何か気になるのか」

 

 ラウラに気づいて、桜が体を翻した。

 

「ああ。ボーデヴィッヒさん。特攻……体当たりだけやと突破力に欠ける気がしてな」

「具体的にはどうしたい」

「火器をつけられんか。後付けでええからとにかく火力がほしい」

 

 ラウラが左右を見回し、クリップボード片手に歩く薫子を見つける。考え込む桜から離れ、薫子の手を引いて戻ってきた。

 

「専門家を連れてきたぞ」

「おおきに……って、黛先輩やないの」

 

 桜は先日、薫子が正座の刑に処せられた光景を覚えていた。櫛灘と同類のうさんくさい性根の持ち主だという印象があって、つい顔に出てしまった。

 

「私じゃ不満?」

 

 後輩の雑な返答に、薫子が後ろ手を組んであごをしゃくる。桜は気にすることなく普段通りの態度に改めた。

 

「このパッケージって黛先輩たちが管理しとるんやろ。せやったら話を通すのは当然やと」

「まあいいわ。整備科として聞きます。何か不満でも?」

「火器を付けたい。斜銃(しゃじゅう)みたいにポン付けできませんか」

シュレーゲ・ムジーク(斜めの音楽)?」

 

 ラウラが横から口を挟んだ。

 

「何ソレ。ジャズ?」

 

 薫子がきょとんとした。

 

「夜間戦闘機月光につけとった防空装備」

「改造するのはいいけど、希望はある? 今からだと統制射撃用のプログラムは間に合わないけど」

「目視射撃やったらCGの照準器を導入できますよね」

 

 薫子の手が止まり、胡乱な目つきになる。桜の瞳をのぞきこんだ。

 

「それ、本気? 照準器のデータは一応メーカーから提供されているけど、今じゃ使ってる人、ほとんどいないって先輩から聞いてるけど」

「照準器を使った射撃なら経験あるんで」

「それってゲームの話でしょ。……希望を聞かせて」

「増設する火器は一二.七ミリ重機関銃、四〇ミリ機関砲をそれぞれ二基です」

 

 桜は動じることなく希望をつけ加えた。

 

「一二.七ミリ重機関銃二基は直進。四〇ミリ機関砲二基は前方で交差。できますか。できませんか」

「できる。でもね……取り付け場所はシミュレーションの結果に頼りきりになるけど。その点は了承してもらうからね」

「お願いします」

「じゃあ、すぐ手配するから」

 

 薫子はそう言って桜たちの元から離れた。虚を捕まえ、そのまま電子扉の向こうへ消えていった。

 

 

 桜はラウラと連れだってピットに入室した。管制コンソールには弓削が座っており、お茶の入った湯飲みに口を付けたところだった。足を止め、室内を見回す。通路側の扉から箒と鷹月静寐、そして四十院神楽の制服姿。静寐が先頭に立って弓削の後ろ姿を目指してまっすぐ歩み寄った。

 

「弓削先生」

 

 ひとときの幸せにひたっていた弓削は、湯飲みを傾ける手を止めた。瀬戸物から口を離して、にっこり笑顔を作って顧みる。

 

「一組の……」

「佐倉さんはいますか」

 

 弓削は目を見開いて泳がせる。桜の姿を見つけて、ぱっと顔が明るくなった。

 

「佐倉さん。ちょうどよかった。鷹月さんが用があるそうです」

 

 室内の目が一斉に桜へと集まる。

 

「……鷹月さん。何の用ですか。いきなり」

 

 桜は鷹月と接点がなく、顔を見たら挨拶する程度の関係だ。ナタリアからタッグの相手をじゃんけんで決め、鷹月と組むことになったと聞いている。

 ぽかんとする桜の手を鷹月の両手が覆った。胸元に押しつけ、切羽詰まった表情で嘆願する。

 

「佐倉さん。ピウスツキさんから新型の増加装甲が来たって聞いた。不躾(ぶしつけ)な申し出だと思うんだけど……できたら、私に使わせてほしいの」

「増加装甲……?」

 

 ――そんなんあったっけ?

 桜は目を閉じて記憶を探る。どこかにあるはずだ。つい最近、見なかったことにしたものがあったような気がする。

 ――あったわ。思い出しとうなかった……。

 

「ち、千代場アーマー……重戦仕様の複合装甲やったような」

 

 性能は千代場博士のお墨付きらしい。組成が異なる素材を重ね合わせ、運動体のエネルギーを分散する。砲戦仕様の機体は動きが鈍重になる。PICが有効な間は動き続けられるが、無効にした瞬間、歩くことすらままならない。例えばカノーネン・ルフトシュピーゲルングの場合、ホバークラフトのように地面を滑ることでしか機動力を確保できなかった。

 

「そう。それ! 打鉄零式の後付け装備なら下位互換性があるって聞いたよ」

「まあ。確かに装備の互換性はあるわ。倉持技研の方針やし。せやけど」

 

 桜は言葉を切る。千代場アーマーは打鉄零式の装備として納入されたのだ。現場の判断でおいそれと融通できるものではない。学園の訓練機用に納入されたものであれば問題は生じないだろう。

 

「千代場アーマーを貸してやりたい。悪いけど私の独断で決めることはできない」

「……まあ、そうだよね」

 

 するとラウラが鷹月の肩に手をおいた。

 

「ん? ボーデヴィッヒさん?」

 

 鷹月がいぶかしみながら眉をひそめ、ラウラを見つめる。

 ラウラはあごをしゃくって弓削に流し目を送った。弓削は視線に気づくことなく、湯飲みに手を添えてひとときの幸せに浸っている。

 

「権利関係が絡むと色々厄介な問題になる。そこでこういう話は上位者にするものだ。この場には適任がいる」

 

 鷹月だけでなく、箒や四十院の視線も弓削の緩んだ横顔に集まった。

 

「クラスの担任と副担任は、企業の窓口の役目を担うと聞いている」

 

 じっと見つめるうちに、弓削が気づいて肩を震わせた。

 

「私?」

 

 弓削が振り向き、自分を指す。

 ラウラがにっこりと笑って応じる。あまりの豹変振りに、クラスメイトである鷹月や四十院がぎょっと目を丸くした。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒです。弓削先生。今の話、聞いていましたよね」

「一応。聞こえてきたから」

「なら話は早い。鷹月さんの頼み事を聞き入れてやってください。打鉄零式は三組が担当だと聞いている……」

 

 ラウラは立て板に水を流すような弁舌をふるった。

 あっという間に話が通り、気がついたときは弓削が電話に手をかけていた。

 

「山田先生と連城先生に伝えてから、倉持技研に許可を取るけど……これでいい?」

 

 弓削は、小柄なラウラが首を縦に振るのを待つ。しばらくしてラウラが「ありがとうございます」と丁寧な口調で告げて、踵を返した。桜や鷹月が再び顔を見たとき、いつもの無愛想な顔に戻っていた。

 

「鷹月。弓削先生がすべて取りはからってくれるそうだ」

「あ、ありがとう。ボーデヴィッヒさん」

「どういたしまして」

 

 鷹月は用が済んだのか、出入り口に向かって引き返そうとした。箒の後ろ姿が電子扉に近づいたとき、桜の頭にある考えが浮かんだ。

 

「篠ノ之さん。ちょっと待って」

 

 呼び止められた箒は隣の鷹月に「後から行く」と告げた。

 

「どうした。(やぶ)から棒に」

 

 桜は恥じらうようにもじもじと膝を動かしてから、戻ってきた箒を見つめた。

 

「クロニクルさんの番号を知らん?」

「一応……だが」

 

 箒の声が強張った。桜の意図を見抜けず、不審に感じながらも待つことに徹した。

 

「プライベートなやつがええんやけど」

 

 クロエ・クロニクルの私用電話は、もともと箒の姉が契約したものだ。いつの間にかクロエに譲渡されており、最初は面くらった。どちらが正式な持ち主か定かではないが、いつ掛けてもクロエが出るので彼女の番号と見なして間違いないだろう。

 

「なぜだ。理由を教えてくれ」

「その……特に理由はなくて。ちょっとお近づきになりたいって思って。決して不可思議な魅力に惑わされたからやなくて、個人的に純粋な興味があってな」

「構わないが……本人が了承すればな」

 

 箒は桜の趣味を疑いたくなった。クロニクルは美人には違いない。だが、姉の側近である。うさんくさいのだ。

 待てよ、と思い直して桜を見据える。

 

「お前には布仏がいるだろう。今すぐ更識先輩に鞍替(くらが)えすることもできる。こういう環境だ。女には不自由しないはずだが」

「ちゃうったら……そんなんやなくて。わかった。乗り気やないんやろ。せやったら、私が優勝したらでええわ。学年別トーナメントに優勝したら教えて」

 

 優勝したら、と聞いて箒の眉がはねあがった。優勝は箒の悲願でもあるからだ。桜たちが優勝すれば、一夏は彼女らの物になってしまう。

 

「ほう。優勝したら、か」

 

 桜が首を縦に振る。やはり断られてしまうのだろうか、と不安そうに箒の顔をのぞき込む。

 

「……いいぞ。クロニクルに話を通しておいてやる」

 

 徒労に終わるに違いない。箒がタッグを組んだのは学年最強として名高い更識簪だ。簪から「織斑一夏には興味ない。それがどうかしたの?」と言質(げんち)をとったくらいだ。三年生の学年首席が立ち合ったのだから間違いないだろう。

 

「おおきに! 篠ノ之さんは話がわかる!」

 

 桜が箒の両手を上下に振った。桜の手は硬く、ごつごつとしていた。

 

 

「ええっと、どうしたん」

 

 箒が去り、ひとり残った四十院に話しかける。

 四十院神楽はじっと桜たちを見つめて動かなかった。桜はラウラと顔を見合わせて、「ボーデヴィッヒさん、この人にケンカでも売ったん?」と冗談を口にした。

 

「まさか。私は貴様が今、思い浮かべているような野蛮で粗暴な人間ではないぞ。軍隊は規律が重要なのだ。ゆえに品行方正な生徒で通っている」

 

 ラウラが自信満々に言い切る。教師には、と注釈がつくものの、概ね正解ではある。

 

「佐倉。貴様が四十院の夕食のデザートを横取りでもしたのだろう。常人の三倍は食べているではないか。留学生連中に聞いて回ったら、貴様はメガ盛りと呼ばれているそうではないか」

 

 事実だったので桜は屈託のない笑顔を浮かべた。

 

「ここのメシが美味しくてつい……。あ、でも、トーナメント中は控える。腹壊したらシャレにならんもん」

「……で、四十院。何か用か」

 

 四十院神楽はおっとりとした長髪の少女だ。長身の割に撫で肩でほっそりしており、透き通るような白い肌だった。いかにもお嬢様然とした優雅な雰囲気を醸し出しており、黙っているだけでその場が和む。和服を身に着けたらさぞかし似合うことだろう。

 彼女も桜とは接点がない。ラウラはクラスで孤立しているので、接点があるはずもない。

 神楽は頬を染めてはにかんでいる。目線を落とし、細い肩をすくめて弱々しそうに口をつぐんでいる。しばらくしてから勇気を振り絞って声を張った。

 

「私のこと、覚えていませんか?」

 

 桜は即座に首を振る。

 

「先日、お話しましたよね」

 

 ――どこで?

 桜は首をかしげた。何日か前に本音と一緒に夕食をとったとき、席の端にいたような気がする。そのときは一言も会話しなかった。

 

「覚えてないんですか……。この声に聞き覚えも?」

「いや。全然。どこで話したか教えてくれん? 思い出してみるから」

 

 本当に記憶がない。神楽と話したのは、今この時が最初だった。

 神楽が切実な表情でにじり寄った。

 

「日曜の夜。チャットしました」

 

 ――あれ?

 

「確かにチャットはしとったよ。そんとき、私もボーデヴィッヒさんも日本語を使っとらんかったんやけど」

「はい。そのはずです。ボーデヴィッヒさんは早口でドイツ語をまくしたてて、佐倉さんは早口で、しかも変な英語でまくしたてて何を言っているのかさっぱりでした」

「え。アレ聞こえとったん? うわっ恥ずかし」

「でも、文字チャットは日本語でしたよ」

「確かに。もしかして……本音に聞いた?」

 

 神楽は首を振って、礼拝するかのように自分の手を握った。

 

「おふたりは『40-IN.KR』に聞き覚えはありませんか」

 

 桜はラウラと顔を見合わせた。

 ――聞いたことがあるわ。あまり思い出しとうないっていうか。

 

「痛震電の人か……」

「はいっ!」

「……こんな身近にいたとは思わんかった」

 

 桜は軽く後ずさろうとした

 航空機シミュレーター、特にIF戦MODでは乗機の改造が認められている。機体のカラーリング変更からエンジン積み替えなど自由度が高い。何でもできる代わりに、変に現実を意識しているためか、無茶をすれば必ず問題が生じるようになっていた。本格的な改造を施すには実機を製造するくらいの知識が必要となるため、専らカラーリング変更を楽しむのが主流だった。

 しかし、桜の眼前にいる四十院神楽(40-IN.KR)は、主流から外れた楽しみにふけることで、ごく狭い界隈(かいわい)で有名だった。魔改造に血道を上げる傾奇者(かぶきもの)として知られていたのである。痛いカラーリングとは裏腹に、極限まで高められた機動力。改造のしすぎでIF戦シナリオにしか顔を出さないが、腕はよい。共闘はしたいけれど、あまりお近づきにはなりたくない人種だった。

 

「週末。少しだけ時間ありますよね」

 

 神楽は眼をキラキラと輝かせている。

 桜が後ずさると神楽が一歩詰める。ラウラが脇によって距離を置こうとする。

 

「ま、まあ。確かに。食後とか」

「じゃあ。土曜日の抽選会の後。そうだ、夕食後! 協同プレイしませんかっ」

「え、ええけど。……いっぺん協同でやった仲や。断る理由はあらへん。ボーデヴィッヒさんもどう?」

 

 ――ひとりだけ逃げるのは許さん。

 ラウラはさりげなく半身を翻そうとしていた。神楽に両手をつかまれ、逃げ場を失ってしまう。

 

「くっ……」

「ボーデヴィッヒさんのシュヴァルツェア・レーゲンもぜひ! 勇姿を見せてください!」

「ま、まあ、そんなに言うなら。ちょうど選帝侯(クーアフュルスト)を調整したばかりだ。うん……空戦に付き合ってくれ」

 

 神楽は頬に手を当てて品のよい笑みを浮かべた。

 

「こちらからもお願いします。ウワサに聞くレーゲンの益荒男(ますらお)振りをぜひ近くで見てみたいですから」

 

 

 


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