IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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狼の盟約(八) 抽選会

 土曜日の講堂は、学年別トーナメント一年の部、対戦相手決定の抽選会場に様変わりしていた。

 参加者は一年生全員、一二四名だ。

 六二組をAからDの四ブロックに分割し、五日間の日程で(しのぎ)を削る。カレンダーの都合で二日目と三日目の間に土日をはさむことになっていた。

 檀上のスクリーンに表示されたトーナメント表。

 六二組を四分割するとどうしても二組余る。総試合数は組数から一を引いたものであり、三位決定戦を加えるとちょうど組数と一致した。一堂に会した生徒はふたつのシード枠に注目する。シード枠の対象はくじで決める。誰にでも枠を手に入れる権利があった。

 桜は制服姿で入り口の側に立ち、友人を探す。

 今日は自由席だ。先に出発していた朱音やナタリアが手を振っている。

 桜はふと足を止め、一緒に来ていたラウラと本音を見やる。

 本音は鏡や谷本たちの元へ向かってしまった。ラウラは肩で風を切って最後尾のパイプ椅子にどっしりと座った。真ん中を陣取り、左右には誰もいない。

 ひとりぼっちだ。

 寂しそうかと言えば、ラウラはまったく気にした素振りがない。

 桜はルームメイトが孤立していることを知ってはいた。が、いざ目にすると胸に来るものがあった。

 背後に寄り添うように立ち、肩に手を置く。

 

「気にするな。私はひとりで座っているのではない」

 

 ラウラはあごを上向けて眼帯をずらす。金色の瞳を左右の席に振り向け、次に桜ではなくその背後に向けた。

 

「このトーナメントが終われば、私を見る目が変わると信じている。私には実力があり、誰も私自身を無視することはできなくなるだろう」

 

 ――素でこういうことを。

 強烈な目的意識があるからこその発言だ。自信たっぷりな姿に桜は安心した。

 朱音たちが待つ席へと向かった。

 

「桜!」

「朱音にナタリア、マリア様も。みんな制服姿やね」

 

 桜が隣に座る。朱音が身を乗り出して顔を近づけてきた。

 

「自由って言っても檀上でくじ引きするんでしょ? ジャージ姿はさすがに見せらんないもん」

「……油断した子がおるみたいやけど」

 

 私服姿の生徒もちらほらと目にすることができた。ジャージ姿で小さくなっている生徒も少なからずいる。

 ――危ない。

 実際のところ、桜は肝を冷やしていた。彼女はジャージ姿で、本音はもっさりとしたクズリの着ぐるみで会場に向かおうとしていたのだ。

 ラウラは最初から制服を選んだ。制服以外に本音からもらった着ぐるみしか持っておらず、選択肢がなかったのだ。ちょうど今、クラリッサとエリーゼに金を渡して私服や水着を買いに行かせているところだ。

 檀上の隅に千冬がいた。

 

「一年一組担任の織斑だ。静かにしろ」

 

 その一言でさざ波のように静寂が広がっていく。桜は膝に手を置いて、背筋を伸ばした。

 学園生活が始まって三ヶ月目。女神様のように千冬に黄色い声を送る者は消えている。ブリュンヒルデに憧れを抱く時期はとうに過ぎており、過酷な現実と戦うしかなかった。

 

「これから来週に始まる学年別トーナメント一年の部、ブロック抽選会を執り行う。抽選器を回す前に、お前たちに説明することがある」

 

 千冬の隣には大きな抽選器が控えている。商店街やお祭りで見かけるような八角形の木箱に地元の商工会の印字が入っていた。

 

「先日の説明会について補足がある。トーナメントの結果や様々な観点から点数化して、クラスごとに加点。順位付けを実施する。一位には一ヶ月間デザートフリーパス。二位は二週間、三位は一週間、四位は商工会議所のポケットティッシュだ」

 

 千冬がマイクを下ろした瞬間、生徒から野次が飛んだ。

 

「一組に有利すぎる! 専用機と代表候補生が一組にかたまっているんですよ!」

「そうだ! 私らに圧倒的不利だ!」

 

 桜は横を向いて目を瞬かせる。聞き覚えのあると思ったらナタリアが拳を突き上げて野次っていたのだ。

 四組からも声が上がっている。いかにも気性が激しそうな少女たちからだ。

 ――更識さんの取り巻きに見えるのは気のせいか。

 彼女たちが簪を見る目つきは、まるで親分に対する子分のものだ。

 簪の無表情がどことなくどっしりしたものに変わっている。桜は間違いだと思って目をこすった。

 

「お前ら、静かに!」

「皆さん静粛に」

 

 見かねた連城が千冬の後を追った。静かな、よく通る声。彼女の青白い顔は見ようによっては怒っているようにも取れる。

 ナタリアたちは黙って席につく。四組は簪が小声で「勝てば官軍」と告げることでようやく落ち着いた。「(ねえ)さん」という言葉を耳にしたが、桜は聞かなかったことにして檀上に集中する。

 

「前回も言ったが、今回のトーナメントは実技試験も兼ねている。存分に力を果たせ。では、抽選を始めよう」

 

 

 振動。

 携帯端末のバイブレーションだ。桜は檀上で抽選器を回す生徒から、手元に目を落とした。

 

〈どちらが行く?〉

 

 ラウラのメールだ。桜は一瞬だけ顔を上げる。ナタリアが席を立つ所だった。

 ――私がクジを引いたら酷いことになりそうや。

 桜の脳裏に過去の思い出が駆け巡る。くじ運は最悪に近い。佐倉作郎として空を飛んでいた頃は機体運は最悪だった。そして去年までのくじ引きの結果を考える。いつも奈津子か安芸が二等や三等を引き、桜は参加賞だ。珍しく大当たりを引けば運を使い果たして病院送りである。

 桜は脂汗を流した。指が勝手に動く。

 

〈すみませんが、少佐がやってください〉

 

 ラウラは少佐と呼ばれると気を良くする。それに「ボーデヴィッヒ」と打つのが面倒だった。

 身をよじって最後列の座席を見やった。眼帯と仏頂面が目に入る。ラウラはトーナメント表が埋まっていく様子を凝視している。

 桜は背中を丸めて送信ボタンを押した。

 ――これでよしっと。

 ナタリアがAブロックを引いた。拳を握りしめて力強く腕を引いた。

 上位に食い込む可能性が出て、素直に喜んでいる。Aブロックのシード枠を引き当てた織斑・デュノア組とは、順調に勝ち進めばブロック決勝で対戦するはずだ。席に戻るなり、「名ばかり代表候補生の汚名を返上する良い機会だ」と豪語した。

 他の名ばかり代表候補生はBブロックを引いた。入れ替わりに箒が檀上で抽選器を回す。Bブロックを引き当てるのを見て、その生徒はしょげかえった。

 初戦から更識・篠ノ之組と当たるのだ。雑魚(ざこ)扱いの箒はともかく簪が強敵すぎる。「終わった……」と頭を抱えてしまった。

 

「佐倉・ボーデヴィッヒ組の代表者は檀上へ」

 

 ラウラと桜の名が呼ばれた。ラウラは眼帯を外し、華奢な肩をいからせて堂々と壇にのぼる。

 桜は軽く手を振る。ラウラが一瞥した後、抽選器を回した。

 

「Cブロックだ」

 

 今のところ専用機持ちの代表候補生はいない。桜はトーナメント表を手元で指差して目で追った。あることに気づいて口を覆った。

 横を向く。鏡や谷本、本音がいる。今度は鈴音たちを見やる。

 ――ティナ・ハミルトン。

 アメリカの代表候補生のひとり。もういちど本音たちに注目する。

 再びトーナメント表へ。

 Cブロック決勝戦で布仏・ハミルトン組とぶつかる可能性がでてきた。桜はティナはもちろん、本音の力を知らない。彼女が機敏な動きを見せたのは布仏静とうっかり勘違いし、組み伏せられてしまったときだけだ。それからはゆったりとふらふらしている。そのくせ持久走のときは息を乱していない。

 本音は訳あって素性を隠している。桜は油断できないと肝に命じた。

 ――その前に初戦や。

 夜竹・相川組。清香は櫛灘のうわさを広めるのに一役買っている。桜が勝手に抱いている感情ではあるが、個人的な恨みは深い。

 桜は頭を振る。

 ――相川さんは適切な処置をした。悪いのは全部櫛灘さん。

 例のうわさのことを思うと、相川に濡れ衣を着せてしまいそうだ。桜は思考を切り替えるべくトーナメント表を凝視する。

 ――これでわからなくなった。

 強豪が四つのブロックに分散している。優勝候補と目されるオルコット・凰組はDブロックだ。三組では一条・サイトウ組がBブロックのシード枠を手に入れた。

 櫛灘は顔をうまく思い出せない生徒と組み、Dブロックを引き当てていた。もし櫛灘が勝ち上がればDブロック決勝でセシリアたちと対戦する。とはいえ十中八九、Dブロック準決勝までに敗退するはずだろう。

 櫛灘の組は留学生ら名ばかり代表候補生と連戦することになっていた。

 

 

 トーナメント表ができあがり、千冬が解散を告げた。

 桜はすぐに席を立ち、初戦の相手を探す。すぐに見つかった。ラウラも相川に声をかけようと席を立つ所だった。

 

「相川さん。夜竹さん」

 

 相川清香と夜竹さゆかはトーナメント表を見つめて腕を組みながら今後について話し合っている。桜は早足で彼女らの前に立った。

 

「佐倉さんじゃん。なに、宣戦布告?」

 

 清香が茶化す。桜がはにかみながら、視線を落とせばスカートの裾から黒いスパッツが見えた。

 

「ちゃう。初戦で当たるからあいさつや」

「いやもー参ったよ。いきなりボーデヴィッヒさんと佐倉さんでしょ。厳しい戦いになりそうだよねー」

 

 清香が明るく言い放った。さゆかの肩を抱いて引き寄せ、大笑いしてみせる。

 

「お手柔らかにお願いします」

「うん。がんばろ」

 

 清香が握手を求めて手を差し出したので、桜は握り返した。

 

「手加減しないからね」

 

 さゆかの声だ。桜は彼女の顔をじろじろと眺め、思い詰めたような顔になる。

 こんなところで話す内容やないんやけど、と桜はさゆかの手を引く。

 

「あの、夜竹泰治という名を知っていますか」

 

 さゆかはいぶかしみながらも事実を告げる。

 

「曾祖父ですが……それが何か」

 

 途端に、桜の表情に喜色ばんだ。

 

「佐倉作郎の名に聞き覚えはあらへん?」

 

 さゆかは首をかしげた。

 ――反応が薄い。やっぱり知らんか。

 だが、さゆかが夜竹泰治の子孫だとはっきりした。彼は発動機不良により途中で引き返したのだが、結局生き残り、終戦を迎えている。特攻に行って敵機を撃墜して怒鳴られた男だった。海軍においては撃墜数を個人のものとしてはいない。複数の証言から推定五機とされ、終戦間際にエースパイロットのひとりとして名を連ねている。彼が記した戦記に作郎や布仏静が登場するのだ。

 桜はさゆかの手を握りしめる。正直信じられない気持ちでいた。

 夜竹飛長とまったく似ていない。遺伝子をどういじったら彼女のような別嬪(べっぴん)が生まれるのか理解不能だった。

 

「唐突にすまんかった。さっきの質問は気にせんといて」

「……何をやってるんだ」

 

 背後の声。顧みれば、怪訝な瞳を向けるラウラがいた。彼女は金色の瞳でさゆかの背後を見つめている。

 

「あっ」

 

 不意に声が漏れた。桜たちの視線がラウラに集まり、彼女の動きにつられて横を見る。

 シャルロット・デュノアと織斑一夏の姿があった。

 再びラウラに目を戻す。携帯端末を握りしめ、メラメラと闘志を燃やしているのがよくわかった。

 

「それにしても……何だかあのふたり、距離が近くなってないか?」

 

 ラウラが眼を細めて、桜を小突いた。

 ――うわっ!

 櫛灘の魔の手からラウラを守るべく立ち位置を変える。

 そうでもしなければラウラが会長の権力の犠牲者になってしまうだろう。更識家は名家で、とてつもなく大きな力を握っている。下々の者とは家格が違うのだ。桜は小声で軽率な発言に注意を促した。

 

「今の発言。あかん。会長さんに聞かれたら消されてまう。本音や更識さん……いや、櫛灘さんの耳に入った時点で終わりや」

「むっ……そうだった。軽率だったな……?」

 

 ラウラは隣に気配を感じ、ゆっくりと顔を向ける。さっきまで誰もいなかったはずだ。

 四十院神楽。

 頬に手を当て、うっとりした様子の彼女に桜が声をかける。

 

「四十院さん。相方(かなりん)はどちらに」

「生理で寝込んでます。彼女、重いから」

「それはご愁傷様。せっかくの土日が……。で、なぜここに」

「個人的にデュ()()()()()は攻めね」

 

 ラウラが首をかしげている。日本文化に精通するクラリッサが、もしこの場いたとしたら即座に意味を理解したに違いない。

 桜も意味がよくわからなかったものの額面通りに受け取った。

 

「デュノアさんは女や。私らと変わらんよ」

「いいの。脳内変換して勝手に楽しんでるだけだから」

 

 その瞬間、ラウラの明晰な頭脳が答えを弾き出した。クラリッサとは長い付き合いだ。彼女の端末には大手通販サイトで購入したと思われる電子書籍が大量に貯蔵されている。

 ラウラは理解できないものを見たかのような顔で後ずさっていた。眼帯を外しても何も変わらなかったのか、無言で掛け直す。

 

「あっ……このこと、デュノアさんには秘密にしてね」

 

 ――言えるわけないわ。

 初めて「40-IN.KR」のZ飛行機(富嶽)を見たときのような違和感だ。深く追求すると厄介な気がして、桜は後ずさりながらラウラと肩を並べた。

 

 

 一夏と別れたシャルロットは、ラウラの前に立つなりにっこりと笑いかける。

 ラウラは無表情になって、氷のような赤い瞳をフランスから来た女に向ける。シャルロットは後ろで結んだ髪をたなびかせ、颯爽と桜の脇を通りすぎようとした。ふと去り際に足を止め、桜の耳元に唇を近づけた。

 桜の瞳が動く。シャルロットは、くすりと白い顎をすくって、「がんばってね」と告げた。

 

「じゃあね」

 

 シャルロットは肩で風を切るように講堂の出口で待つ一夏の元に急ぐ。

 彼女が腕を絡める姿を、桜は間抜けな表情で見送った。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

 シャルロットと一夏に気がつかなかったのだろう。セシリアが金髪をたなびかせ、大股で歩み寄ったかと思いきや澄ました顔で立ちはだかった。

 

「何だ。オルコット。負けたら何をしてほしいのか決めたのか?」

「わたくし、生意気なあなたを這いつくばらせて靴を舐めさせたいと思っていますの」

 

 ふふふ、とセシリアはおだやかな微笑みを浮かべた。あどけなく首をかしげて考えるような風情で優しくつけ加える。

 

「靴がきれいになったら『セシリア様、申しわけ御座いませんでした』と言ってもらいますわ」

 

 泰然と腕組みして、つんと頭をそらせた。

 

「この手でひねり潰して差し上げますから、あなたたち。予選で敗退するようなことがあってはなりません」

 

 どういうわけか、激励の言葉を贈っている。桜は首をかしげ、頭のなかに二頭身人形にデフォルメしたセシリアとラウラを思い浮かべる。

 ――幻のセシルちゃん。

 うっかり田羽根さんの同類と重ねてしまった。シャルロットが持っていた人形の顔がセシリアと重なって見える。桜はよからぬ想像にあわてて頭を振った。

 眼前のセシリアは頬をふくらませて顔を背ける。

 

「それから佐倉さん」

「私?」

 

 桜は自分を指差す。

 

「そうですわ。佐倉さん。あなた、ラウラ・ボーデヴィッヒの足を引っ張ったりしたら……わたくしが容赦しませんわよ」

 

 ――ん?

 引っかかる言い方だが、桜は決意表明を優先させた。

 

「私も優勝するつもりや」

「まあ、優勝!」

 

 セシリアが眉をはねあげた。口を曲げて肩を怒らせる。

 

「あなたも狙っていますの。一番になることを」

「……もちろん。私にだって、てっぺん取らなあかん事情がある」

 

 ――飯と番号がかかっとる。

 桜は個人的な事情を胸に秘めたまま、突っかかってきたセシリアを負けじと見返す。

 

「聞き捨てなりませんわ」

 

 セシリアは一番という言葉に過剰反応を示した。

 

「一番になるのはセシリア・オルコット。このトーナメントで、わたくしこそが名実共に勝利者であることを証明しますわ。銃をもって立ち(ふさ)がるものあらばこれを撃て――立ちはだかる者はすべて打ち倒します」

「ひとつええ? 私たちが勝ち上がった前提やと、オルコットさんたちと当たるのは最終日の準決勝になるけど……」

 

 ラウラが横から口を挟む。

 

「その日なら、オルコットにもちょうどいいと思うぞ」

「なぜですの?」

「私のレーゲンが。シュヴァルツェア・レーゲンが復活するからだ」

 

 ラウラが発音は明瞭だ。一歩を踏み出し、セシリアと触れるか触れないかの距離まで詰める。上目遣いになって赤い瞳を見開く。

 

「再戦にはもってこいだろう?」

 

 セシリアは額を押しつけるや目尻を吊り上げてにらみ付ける。互いの鼻息がかかるほどの近さだ。

 互いに敬意を示すのではない。険悪な雰囲気が漂っている。

 

「そうですわね。雪辱を遂げるお膳立てができましたわね」

 

 同時に踵を返し、背を向けたふたりは、肩を上下に揺らす。こみ上げた思いを吐露する。

笑うという形で。

 

「アッハハハハ!」

「おほほほほ!」

 

 勝手に盛り上がるふたり。桜と鈴音は腰に手をあて、軽くため息をついた。

 

 

 


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