IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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狼の盟約(十六) 復活

 セシリア・オルコットは観覧席の片隅に腰を下ろしていた。身を屈め、上着のポケットから携帯端末を取り出す。

 着信あり。

 

「まあ。チェルシーったら」

 

 メールの差出人はチェルシー・ブランケット。

 幼なじみにして家を守る少女からだ。

 家のこと。新人のメイドが物覚えが悪いこと。オルコット社から肖像権に関する問い合わせがあったこと、などと日常細々としたことがつづられている。最後の一行は「ご武運を」とあって、セシリアは気張らずにいられなかった。

 自信はあった。タッグを組んだ鈴音の実力は十分だ。ブルー・ティアーズも問題が修正されていき、徐々に性能が向上している。

 

「不安はありませんわ。わたくしは武者震いしているのです」

 

 対戦相手はどちらも初めて戦ったわけではなかった。桜とは二度戦っている。ラウラとは彼女が転校してすぐに刃を交えている。その際、シュヴァルツェア・レーゲンは使用不能になったが、彼女は旧式かつ運用が難しい代替機で勝ち上がってきた。

 ――わたくしを辱めた報いを受けさせねば……。

 是が非でも自分の手で敗北の屈辱を与えてやりたい。セシリアはラウラに負けた日からずっと、彼女のことばかり考えていた。もちろん最終目標は優勝であり織斑一夏を交際相手として迎え入れることだ。一夏を教育し、ゆくゆくはオルコット社の舵取り役を担ってもらおう。そこでハッと気づいた。

 ――わたくしは、母と同じことをやろうとしているのですか?

 チェルシーや叔父であるブランドン・オルコットから聞かされた母親と父親の像。セシリアの母親は父、アーサーをオルコット家の当主たらんと望み、教育してきた。多少の不満があっても自分だけを見て、それでいてどこに出しても恥ずかしくない男に改造しようとしていたのだ。

 そして望みは半ば達成された。

 

 

 観覧席がにわかに騒がしくなる。紅椿が飛び出してきた。SNNが誇る第四世代機であり、泥臭い戦い方を演じてきた機体でもある。

 

「何度見ても華のないISですわね」

 

 手のひらと足裏から橙色の炎を噴いて飛び回っている。シュタールヘルム型の頭部にガスマスクのような紅い眼鏡。こじんまりとしてみすぼらしい。予選を勝ち抜いたのは一重に手を組んだ相手の功績だった。

 

「箒さん」

 

 意中の男とひとつ屋根の下にいて何も変えられなかった女だ。誘惑する機会はいくらでもあったのに、体面を気にして何ら行動を起こさなかった。セシリアは一夏との関係に積極的な鈴音のほうを応援したい気持ちが強かった。鈴音は一夏と思春期を共に過ごしており、他の者より一歩抜きんでている。鈴音と手を組み仲良くなれば、彼女しか知らぬ一夏の姿を引き出すことができるかもしれないという打算があったのも事実であった。

 ――目的達成のために手段を選ばない姿勢。わたくし、箒さんのことを見くびっていましたわ。

 箒とも戦ってみたいとIS操縦者としての血がうずく。

 紅椿が時折使う銃火器は削りだしの工芸品を模していた。しかし射撃音や弾速はまったくの別物である。貫徹力も歩兵の兵装とは一線を画していた。

 セシリアは紅椿の性能を評価できずにいたのだ。

 ――それにしても。

 続けて飛び出した打鉄弐式を見やった。操縦者である更識簪もまた、成果を上げることを宿命づけられている。旧家にして名家の出身だった。つい数十年前までは敵同士の間柄である。

 なぜなら戦争中、オルコット一族のひとりがシンガポールの戦いに参加しており、経済面でも打撃を受けている。更識家は植民地の独立工作に荷担しており、間接的とはいえ亡国機業(ファントム・タスク)が現在の形に成長するよう手助けしていた。

 来賓のなかには更識姓を持つ者がいた。政財界の牽引役(パイオニア)として遠く英国まで名が知られている。簪と生徒会長の親族なのか、親しげに、それでいて序列を意識して慎重に言葉を選んでいた。

 セシリアにも親族がいる。叔父のブランドン・オルコットが電話でセシリアを激励している。しかし、ブランドンは厳しい人だ。彼は影から姪を助力していたが、決して甘やかすようなことはなかった。家を守るためには時として鬼となる。選択肢を提示し、退路を断った。姪の美貌に着目し、自社の広告塔としても利用してきた。

 セシリアがオルコット家の後継者として生きるためにはブランドンの影響力が必要だった。

 叔父と契約を交わしたのは、ある出来事が発端となっている。

 数年前に発生したランカスターの列車脱線事故だ。

 ブランドンの話では、セシリアと両親は家族旅行へと向かい、事故に遭っている。セシリアは事故の生存者のひとりで、目を覚ましたときには病院のベッドに横たわっていた。悲報を聞いて駆けつけたブランドンとオルコット家の弁護士。不安そうにのぞき込む彼らの顔こそ、セシリアが持つ最古の記憶だった。

 ――わたくしには父と母の記憶がないのです。

 ぽっかりと失われた記憶。どれだけ思い出そうとしても列車事故以前の出来事が抜け落ちてしまっている。初めから存在しなかったように何も残っていなかった。周囲が彼女をセシリア・オルコットとして認識し、そう捉えさせるだけの能力を有していたため、セシリアとして振る舞い、今日まで生きてきた。失われた思い出をつなぐ手がかりが人手に渡るのを防ぐためにあらゆる努力を払ってきたのだ。

 ――頂点に立たねばならないのです。

 そうすれば亡くなった両親が、アルバムの中のように仲睦まじく笑いかけてくれるかもしれない。もう一度思い出を作り出してくれるかもしれなかった。

 ――家族になってくれるかもしれない人が……。

 サラ・ウェルキンはセシリアを対等な個人として扱った。織斑一夏に恋心を抱いたのは、彼が両親を持たず、セシリアと似ていると感じたからだ。一夏は両親を知らなかった。

 家族ならばブランドンがいるではないか。

 かつてチェルシー・ブランケットが告げた。だが、ブランドンは盟友だ。互いに手を取り、現実の荒波と立ち向かうために利用しあう関係だった。利害が一致している間は決して裏切らない。信用のおける相手だが、無性の愛を与えてくれることは今後もないだろう。

 オルコット家の血を濃く受け継いだ、叔父のうす青い瞳(アイス・ブルー)と、冷淡な言葉を連ねる唇から吐き出された言葉を思い出す。

 

「銃をもって立ち(ふさ)がるものあらばこれを撃て」

 

 次の試合は負けられなかった。

 セシリアは席を立ち、割り当てられたピットへと向かう。通路でISスーツに着替えた桜とすれ違い、艶然とほほえみかける。

 ――佐倉さん。今日の試合、持てる力をすべて出しきりましょうね。

 

 

 偶然すれ違ったセシリアはまばゆい優艶さを身にまとっていた。

 生まれの違いだろうか。田舎からぽっと出の桜は、かつて布仏(のほとけ)(じょう)と初めて出会ったときと同じむずがゆさを覚えた。

 ――あの人が何を考えとるのかさっぱりわからん。

 とはいえ、おそらくこうだろう。ラウラをたたきのめし、ついでに桜をひざまずかせて靴をなめさせる光景を思い浮かべているに違いない。

 桜とて決して侮るつもりはない。

 ピットへ急いだ。ラウラは今ごろ、修復を終えたシュヴァルツェア・レーゲンの調整を行っているはずだ。カノーネン・ルフトシュピーゲルングはドイツ本国に移送される手はずとなっており、砲だけがIS学園に残される。ドイツIS委員会が列車砲を売却しようと防衛省にごり押ししている最中らしい。

 ピットを通り抜ける。

 倉持技研の小山技師が鋭い声音で指示を発していた。

 

「右手首のアクチュエーター破損を確認! 肘から先を交換する。壱式(白式)の補用部品の在庫はどうなっている!?」

 

 白式が運び込まれており、右手首から先が消えてなくなっている。

 

「うわ……ひどいことになっとる」

 

 どうやら前の試合は荒れたようだ。

 桜は白式のマニピュレーターが打鉄と同じ物を使っており、零式や弐式とは頑健さに劣ることを知っていた。だが、ブーメランや手裏剣を素手でつかむといった無茶さえ避ければ破損することはない。

 整備科の生徒や技師たちから距離を置き、壊れてしまった自機を見つめる一夏。雪片弐型を主武装とする白式の手首が失われたとなれば、すなわち戦力が半減したに等しい。彼は険しい視線を向け、拳を握りしめていた。

 桜は格納庫の奥を見やる。黒いISがシャドウボクシングに勤しんでいた。くすんだ金色の長髪を無造作に留めた白衣の女がクリップボードにペンを走らせている。クラリッサとエリーゼは観覧席にいて、シュヴァルツェア・レーゲンの復活を見届けるつもりだった。

 

「来たか」

 

 ラウラは左目を細めた。金色の瞳を獰猛に輝かせ、口の端を吊り上げている。戦いたくてうずうずしているようだ。

 シュヴァルツェア・レーゲンの外見に大きな変化はない。肩先に補用部品を示す記号が書きこまれているのが唯一の違いだった。

 

「角張っとらんのって、すごく新鮮やね」

蜃気楼(ルフトシュピーゲルング)のほうがよかったか?」

 

 ラウラが茶化すような口調で告げる。桜はすぐに首を振った。

 

「火力が大幅に減じたと思っとる。前のISは心理的に相手を威圧する格好やった。で、前と何か変わったん?」

「VTシステムをバージョン1.2にダウングレードしたのだ」

「前に戻したら……」

「バージョン1系はSNNが開発し、多機能かつ安定性を重視していた。しかし中国の(イェン)システム、独グレーフェ社のシステムのほうが速度面で圧倒。ゆえに、現行のシステムはグレーフェ社の製品に更改したのだが……先日の事故だ。バージョン1系になったおかげで、結果として武装の展開速度が以前よりも大幅に遅くなってしまった。暴走したバージョンならデュノア並の速度で切替(スイッチ)できたが、今のソフトウェアでは不可能だ」

高速切替(ラピッド・スイッチ)技能やったね」

「そのかわりISソフトウェアの安定性が向上し、なおかつAICの射程が改善された。原理についてはSNNの社員を捕まえて聞き出すしかないのだが、斥力場を設けて物体の運動エネルギーを一時的に保存することでAICの展開終了後、その物体は運動エネルギー消費を再開する。このとき、運動方向の変換が可能だ」

「何ソレ」

「曰く、紅椿の推進システムを応用したらしいのだが……」

「よう分かっとらんのね。既知の不具合は? あと……まさかGOLEMシステムを導入したんや……なんて冗談はやめたって」

「そんな報告は受けていない。GOLEMシステムなるものは入っていない」

 

 桜はその言葉を聞いてほっとした。GOLEMシステムは未だ開発中であり、相性問題が多発するような代物だ。クロエ・クロニクルがマスコットキャラのぬいぐるみを配って回っているものの、どこまで普及効果があるのか疑わしい。

 

「戦術の変更はない、という認識でええ?」

「ブルー・ティアーズの死角をねらうことに変わりはない」

「あのメモリーカードの内容……信じるん? 書いたの櫛灘さんやし。セシリア・オルコットは分割思考を実現しとる……とか」

「信じるも何も、ある瞬間において、人間はひとつの物事だけを考え、実行する。分割思考などタイムシェアリングシステム(TSS)を採用することで、われわれ人間の体感速度において、あたかもマルチタスクをこなしているように見せかけているにすぎない」

 

 タイムシェアリングシステムとは一台のCPUの処理時間を分割して割り当てることで、複数のユーザーが同時に利用できるようにしたシステムのことだ。一九六〇年代に開発された技術であり、この考え方は現在でも利用されている。

 ラウラはあからさまに嘆息した。

 

「私のAICと同じ欠点を有しているのだ。納得せざるを得まい」

「自律機動プログラムが組み込まれとるかもしれんよ」

「貴様の機体と同じように、か?」

「ええと……その通り。まあ……二ヶ月やそこらで開発すんのは無茶やけど」

「気に留めておこう。基本方針だが、私が凰を疲弊させる。貴様はレーザービット、そしてブルー・ティアーズを引きつけ、戦力を削いでくれ」

 

 ラウラはISをいったん量子化し、足首のバンドに変化した。

 上目遣いから一転、桜が見下ろす形になる。だが、ラウラ自身は背丈が低いことをまったく気にしていないように見えた。

 桜は迷いなど何もないように、淀みなく応じた。

 

「わかっとります。手はず通りに」

「よろしく頼む」

 

 シャルロットがIS格納庫から消える瞬間、桜は女の瞳に焼け残りの野火を見た。

 ――炎でも背負っとるんか。

 触れれば一瞬にして燃え上がるような業火だ。笑みを絶やさず、穏やかな物腰とはかけ離れた姿を目にして、桜は棒立ちになってしまった。

 

 

 空に漂う青と黒。

 ブルー・ティアーズはレーザービット二基とミサイルビット一基を一組とした複合ビットを、左右の肩部に配置した。

 展開済の巨大ライフル・スターライトmkⅢ。腰部アタッチメントにはインターセプター。IS学園で初めてお披露目したときとほぼ同じ姿だった。

 セシリアは落ち着きを払ったまま、美しい素顔を衆目にさらしている。目を惹くのは、ルージュで濡れた唇が血のようであることか。

 一方、シュヴァルツェア・レーゲンは八八ミリ大口径レールカノンを量子化した状態だ。初手を機動戦に費やすために巨大な砲口を隠している。拳を握りしめ、操縦者であるラウラは人の皮をやつした狼のごとき金色の瞳を露わにしていた。薄ら笑いを浮かべ、これから始まる宴に心を奮わせている。

 遅れて三機目が進発する。

 凰鈴音が駆る甲龍。

 紫と黒に彩られた機体は、そのたくましい腕に大型ブレード・双天牙月を抱いている。近・中距離両用型のためか、他の二機とくらべてより甲冑に近い。ヒール状になったかかとの造形は機能美を見出させるほどだ。

 そして最後の一機が飛び立った。青白黒の幻惑迷彩。頭部のレーダーユニットが不気味な輝きを発散する。非固定浮遊部位の回転砲座に据えつけられた二〇ミリ多銃身機関砲。左右にそれぞれ一基ずつ搭載し、異様な存在感を放っていた。

 桜はブルー・ティアーズと対峙する。

 

「わたくしの相手は桜さんですか。てっきりボーデヴィッヒさんが真っ先に来ると思っていましたのに」

 

 セシリアが鼻で笑う。嘲りの言葉を吐きながらも気品を失っていない。さすが本物の貴族である。

 桜は負けじと言い返す。

 

「制空戦闘は私たち戦闘機乗りの十八番(おはこ)や」

「楽しみにしていますわ」

 

 セシリアが自信たっぷりに艶然とほほえむ。意志に満ちた瞳はきらびやかに輝き、桜を見据えた。

 試合開始の合図が鳴り響くや四機のISが同時に動いた。

 

 

「お行きなさい。ブルー・ティアーズ!」

 

 四基のレーザービットが解き放たれる。

 桜は先手必勝と言わんばかりに一気にセシリアとの距離を詰めた。一二.七ミリ重機関銃でセシリア自身に銃撃を加える。轟音が反響し、隔壁にぶつかってかき消される。

 赤いレーダーユニットが稲妻状の軌跡を残す。激しいくらいの加速は砲身の奥底から生み出された閃光を視認するや唐突に中断された。体を翻し、青空や太陽、流雲がかたむき、一瞬のうちに横へ流れた。揺らぎながら観覧席を映し出し、紫電が頬をかすめる。

 スターライトmkⅢによる砲撃。演習モードではなく、大型コンデンサに蓄積された電荷の塊が流れ出す。隔壁にぶつかり、伝播し、観覧席からは七色の光が壁を走っていったかのように見えただろう。

 頭部を下げ、天蓋に足をつけた桜は一二.七ミリ重機関銃を構える。足を踏み換え、二射目を避ける。弾丸が外界に射出された瞬間、セシリアは回避に成功していた。

 ――厄介や。オルコットさんが銃口を視認した瞬間に外れが確定しとる。

 おそらくセシリアの眼前にはハイパーセンサーが収集した情報が散りばめられ、情報選別と行動判断を繰り返している。

 彼女は間違いなく強かった。

 そして桜は甚だしい違和感を覚えた。BT型のビットは自律機動は不可能であったはずだ。だが、滞空するビットがまるで固定砲台のように働いている。

 地上のISは殴りあいを繰り広げていた。ラウラはプラズマ手刀を振るって戦っている。一歩足を止めようものならたちまちのうちレーザーを浴びる。間合いを取れば甲龍の腕部小型衝撃砲・崩拳が飛び交い、ラウラのワイヤーブレードが鋭く舞う。

 

「よそ見をしている暇などありませんわ!」

 

 セシリアがミサイルビットを放出した。小さな翼端板が開いてロケットモーターが動き始める。打鉄零式を標的としてプログラミングしており、桜の気を逸らしてレーザービットへの銃撃を防ぐ算段だ。

 ――出し惜しみは無し。

 

「行けッ」

「にゃ!」

 

 桜は短く指示を飛ばす。視野の左下で田羽にゃさんがスツールに座り、ジョイスティック、ボタンスイッチとフットペダルを激しく動かし始めた。分離して飛行する左の非固定浮遊部位。さながら戦闘機のように二〇ミリ多銃身機関砲が規定回転数に達した後、弾丸を排出する。

 

「――そんな猿真似」

 

 セシリアが吐き捨て、機体直付けのスラスターに推力を与え、スターライトmkⅢの引き金を絞る。

 桜は砲口を向けられた瞬間、天蓋をすべるように旋回する。

 ――なっ。

 眼前に閃光の奔流が走った。

 スターライトmkⅢの砲撃だと理解する間もなく上下反転したレーザービットが横薙ぎに光線を射出して桜の視野を埋め尽くす。

 

「ご主人様っ」

 

 きれいな田羽根さんが脱出経路の候補を提示する。

 地面が迫って真っ黒になった視界は墜落する直前に反転し、太陽光が目に入った。踵が地面に触れて、機体がせわしなく振動する。弧を描くワイヤーブレードの下をくぐり、ブーメランとなった双天牙月の片割れが揺らいで、激しく上方へと流れ去った。プラズマ手刀が走り、片手でAICを盾代わりに使うラウラ。対する鈴音は艶やかな目つきを鋭く細め、気勢を上げて零距離から崩拳をたたきつける。

 巻き上げられた土埃が背中に当たり、跳ねかえる。高速で流れ去っていく風景。

 ――今や!

 桜はレーザービット二基がコンデンサから電力を吸い上げる際の高周波音を感知した。機体を一気に浮揚させる。右肩の非固定浮遊部位が射撃を再開し、空中で激しくステップを踏むセシリアを捉えた。刹那、スターライトmkⅢの砲口が下がり、閃光がシュヴァルツェア・レーゲンの背後を襲った。AICを展開すべく両腕を突き出しており、わざと地面に倒れ伏してそのまま横に転がった。

 桜が正面から噛みつくように迫り、自律機動砲台と化した非固定浮遊部位が猛然と弾雨を撒き散らす。

 スターライトmkⅢを構えたセシリアは高速で旋回しながら戦闘中にもかかわらず穏やかな笑みを浮かべている。

 縦軸回転機動(アクシズ・ターン)後、背面に向かってコブラ機動を披露。体を起こしたまま失速寸前まで減速し、二基のレーザービット、一基のミサイルビットを回収する。桜の一二.七ミリ重機関銃の弾丸を数発受け、振り向き様に放たれた三条の光線が打鉄零式の装甲を焼いた。

 空中を浮遊する残り二基のレーザービットが上昇を開始する。

 

「ご主人様、ねらいますっ」

 

 きれいな田羽根さんがかけ声とともに一門の二〇ミリ多銃身機関砲の先端を起こす。ドット五秒後、天蓋にはりついたレーザービットめがけて弾丸を射出する。

 

「二秒間隔で統制射撃。砲身の加熱に注意」

「もちろんですっ!」

 

 桜の耳元できれいな田羽根さんが元気の良い声を放つ。前進しながら空間をコの字に駆ける。接近し、あわよくば貫手で装甲の耐久値を下げようと試みる。が、機体特性から接近戦をよしとしないセシリアは軽やかな機動で距離をひらく。レーザーを撃ち出しながら、まるで横薙ぎに斬りつけるかのようにビットの銃口を振った。

 ――空が燃える……。

 空間を漂う塵がレーザーに触れた瞬間、小さな爆発と閃光が無数に発生する。桜は機体を倒し、刃を避ける。

 ――ぐっ。

 ずしりと体が沈みこむ感覚が一瞬で消えた。三次元躍動旋回(クロス・グリッド・ターン)の最中、弾丸を放出する。予想通り狙った瞬間に軸を外されてしまう。

 ビット二基が百発近く被弾して力を失い、落下していく。

 桜はたまらず叫んでいた。

 

「これで戦力三割減!」

 

 レーザービットの制御のため、セシリアの動きがわずかに単調なものに変わる。ビットの制御をISコアに任せ、統制射撃の指令を送る。

 桜がすかさず肉薄した。

 一二.七ミリ重機関銃を右の非固定浮遊部位へ転送する。右手は指を槍の穂先のように細めて肘を小さくたたむ。きれいな田羽根さんが泣き出したが構っていられない。

 左手には縦長の実体盾。レーザーが表面を焼く。

 

「わたくしを銃だけの女だと思わないでくださいまし!」

 

 名称未設定機能がISコアに干渉し、ブルー・ティアーズが自ら作った不可視の穴を突き通す。

 セシリアが立ち位置を変えて冷静に対処する。インターセプターを構え、直進する刃に正対する。打鉄零式の腕が伸びきる前に腕を突き出した。

 桜はスラスターをわずかに噴かした。体を開くと同時に実体盾をセシリアの眼前へと向ける。

 

「子供だましですの」

 

 高周波音の直後、光の刃がはしった。塵芥を焼き払いながら稲妻のごとく燕返しに打つ。

 ――うわっ。レーザービットが!

 二秒間におよぶ連続照射はレーザービットの砲身を加熱し、あっという間に限界温度に達した。

 セシリアが口をゆがめてゆっくり笑った。笑ったその顔に、一二.七ミリ重機関銃の弾丸が驀進(ばくしん)する。皮膜装甲によって進路を妨げられたかに見えたが、独楽のように三次元躍動(クロス・グリッド・ターン)を披露して逃れつつ巨大なレーザーライフルを実体化するや瞬時に構えた。

 ――前に。

 勘が告げた。

 退くか、止まればスターライトmkⅢともう一基のレーザービットによって狙い撃たれる。

 非固定浮遊部位に載せた二〇ミリ多銃身機関砲は砲身温度が規定値を超えたため、一時的に休ませてある。攻撃を再開するにはスピンアップと呼ばれる事前動作が必要だった。

 ――突っこめ!

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)

 スラスターにはそれぞれドット数秒の遅延が発生するように設定されている。軸回転を加えることで揺れ動きながら増速を続ける。

 桜は実体盾を手にしたまま、体を下方に翻した。セシリアの柔肉に向かって己の分身を突き入れるかのようにせり上がる。全力でぶちあたり、思いきり押し倒した。

 ――ブルー・ティアーズの死角。すなわち、懐。

 セシリアと密着し、肌の感触を確かめる間もなく二機のISはひとつの塊となって地面に激突した。

 

 

 舞い上がった土煙が観覧席から邪魔で桜とセシリアの状況を確かめることができない。自然ともう一方の戦いに目を向けさせる。

 シュヴァルツェア・レーゲンが肩やリアアーマーからワイヤーブレードを解き放つ。命あるもののごとくうごめき、甲龍を襲った。

 鈴音は腕部衝撃砲・崩拳を連射する。手数で圧倒する算段だ。

 ラウラは膨大な情報を瞬時に選別し、拳を突き出すことでAICを発動した。黒い爪の指し示した先に不可視の壁が出現する。シュヴァルツェア・レーゲンを屠るべく空間を裂いて進む衝撃。ラウラの眼前でかき消えた。

 鈴音が攻撃失敗を悔やんで歯がみした。彼女の死角から飛来するワイヤーブレードの存在に気づき、体を伏せる。低い姿勢のまま蛇行しつつ後方へ下がるものの、シュヴァルツェア・レーゲンの姿が消える。日光の下に黒い影がさッと走った。瞬間、鈍重な金属の塊が地面を揺らし、青白い閃光が首を曲げた鈴音の頬をかすめる。

 

「良い反応だ! さすがは代表候補生だと、あえて言わせてもらおう!」

「そういう上から目線。ヘドが出るっての……こんのおおおおッ!!」

 

 鈴音の口から気合いがほとばしった。

 スラスターの火勢が感情とともに高まっていき、瞬時に実体化した双天牙月で打ち払う。二振りの刃をシュヴァルツェア・レーゲンの腕部装甲で受け止める。金属がこすれ合う重低音が響くなか、ラウラはAICを使って刃を留め置き、勢いよく地面を蹴った。

 

「私の停止結界の前に、貴様は為す術なく敗れ去るのみ!」

「――どうして動きを止めないのよ! AIC発動には集中力を要するはずじゃ!」

 

 おそらくセシリアから得た情報だろう。ブルー・ティアーズのビット操作も同じく集中力を要する。AIC発動時は動きを止める、と鈴音は先入観を植えつけられていた。

 

「ご明察の通り! ……しかし、私の思考速度は貴様ら凡人の非ではない。速度の違いが支配するのだ。決闘を! 戦場を! 我が闘争を! このシュヴァルツェア・レーゲンは私の能力を十分に引き出すに相応しい(うつわ)である!」

 

 刃の応酬が繰り広げられる。

 

「昨日までの私だと思うなよ。(ファン)鈴音(リンイン)

「その言葉……そっくりそのままアンタに返してやるわよ!」

 

 ラウラは回転しながら退き、ミズスマシのように地面を滑る。哄笑(こうしょう)開放回線(オープン・チャネル)に轟きわたった。

 

「餞別をくれてやる。貴様は私の後塵を拝し、背中を追い続けるのだ。私という壁を越えて見せろ!」

 

 八八ミリ大口径レールカノンを実体化し、ワイヤーブレードの軌道がわずかにそれた。

 

「ハッ」

 

 ラウラは唇をゆがめて狼のような笑みを浮かべる。推進用の液体火薬をリボルバーシリンダー内でプラズマ臨海寸前まで加熱させ、砲身内のレールガンで追加速した砲弾が驀進(ばくしん)する。

 

「榴弾だ。ISならば死にはしない」 

 

 重い一撃は甲龍を直撃し、轟音をともなって隔壁にたたきつける。巨大な図体がよろめき、鈴音の瞳にはまだ炎を灯していた。

 ラウラは二発目の準備をしながら、背後の気配に向かって話しかける。

 

「佐倉。まだ動けるか」

「少佐の背中を守る程度には」

 

 桜は高ぶるラウラに影響を受けたのか、つい階級で応じてしまった。慣れていたこともあって自然な口ぶりだ。

 

「では、相手を代えるとしよう。セシリア・オルコットに引導を渡すのはこの私だ」

「……宜候(ようそろ)

 

 

 背中の気配が消え、疾走音がアリーナ中を駆け巡る。二基の二〇ミリ多銃身機関砲が予備動作(スピンアップ)を終え、獣の咆哮がとどろき渡る。

 音から遠ざかるように走るラウラ。その足元に細長い光弾が覆い被さる。眼前が立て続けに白く染まる。土が舞いあがり、すき間から金色の(しゃ)が踊った。青色の瞳が鋭い光を放ち、砲を構える。艶やかに彩られた唇がきゅっと引き結ばれた。

 閃光。

 塵芥(ちりあくた)が一瞬の炎に変わる。

 ラウラは目を見開いて明滅する警告文字を一瞥する。高速で景色の流れ、煙のなかから出現した砲口に焦点を合わせた。銃身の加熱により砲口の周辺に陽炎が漂い始める。軸線を外す。セシリアとラウラの撃ち合いは、弾丸を放った瞬間に攻撃失敗が確定していた。

 補助脚を下ろし、金属爪(アイゼン)が土を割る。激しく機体が上下するなか、ラウラの八八ミリ(アハト・アハト)が砲炎を噴く。

 

「あなた、榴弾で十分だとわたくしを侮っていますの?」

「まさか! 貴様こそ、よもやおろそかになってはいないだろうな。自分の武器が何であるか」

「AICは万能の武器ではありませんのよ!」

 

 レーザービット二基の十字砲火を三次元躍動旋回(クロス・グリッド・ターン)で避け、急激な方向転換を加える。白煙を立てて横合いから突進するミサイルビットをAICで停止させ、回避が確かとなれば展開を終えた。

 体を浮かし、土煙から飛び出したセシリアをワイヤーブレードが追いすがる。六本の細く頑丈な武器を切断することは不可能に近い。

 大型コンデンサが甲高い高周波音を奏でる。レーザービットが空中を激しく動き回りながら、立ち位置を入れ替える。ラウラの死角から放たれた一撃は正確にワイヤーコイルを焼く。

 

「射撃戦はさすが手練れかっ」

「わたくしが無為無策で訓練をしていたとでも思っていますの? あなたの癖など研究済ですわ」

「――わかった気になるなよ。私をみくびるなっ!」

 

 高速で流れる風景。

 ラウラは次弾を装填しながらワイヤーブレードを巧みに操った。

 空にひらめいた刃がブルー・ティアーズの脚部を絡め取ろうと動く。が、既に一度受けた技。セシリアは眉を跳ね上げ、事もなげに回避する。

 

「ボーデヴィッヒさん……第三世代機になって弱くなったのではありませんこと!」

「……弱いだと? セシリア・オルコットはこの私に強さを説くか! 貴様とて己が居場所のために力を求めた口であるのにかっ!」

「機体の性能頼りのくせに、わたくしを説教をするというのですか!」

 

 ラウラはAICを展開し、展開位置と向きを設定する。

 

「あなたをひと目見たときから気に入りませんでしたの! いつも澄まし顔で……内心は、非力なわたくしたちをせせら笑っていたのでしょう!?」

「私は実力で今の立場を勝ち取ってきた。貴様にとやかく言われる筋合いはないのだ――!」

 

 体を翻し、頭上から降り注いだレーザーから逃れる。八八ミリ大口径レールカノンのすぐ側で炎がわきおこり、緊急回避機動のため激しく回転しながらもシュヴァルツェア・レーゲンは砲口から炎を吐いた。

 

「あきらめてしまいましたの? 鈴さんに大言壮語を吐いておきながら、自分はさっさとあきらめてしまいますの?」

「……ハッ。世迷い事を」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンの腕は驀進する弾丸と同じ方向に延びていた。「技術開発は日進月歩だ。殊、競争が激化している昨今は……」とつぶやく。隔壁に向けて飛び去ったかに見えた砲弾は、突如として向きを変えてセシリアに襲いかかった。

 

「だから……私を見くびるなと言っただろう!」

 

 ()()()()()()()

 連射したのであれば、ブルー・ティアーズが何らかの警告を発するはずだ。しかし、現実に起こった出来事は、物理法則を超越しているかに思えた。

 ――学生の妄言を信じるようになったとは、私も堕ちたか!

 ラウラは仮説を証明するために、複雑な計算式を一瞬で解き、AICの展開空域を設定。セシリアの現在位置に赤い閃光を向ける。

 高度を上げ、回転しながら旋回するブルー・ティアーズ。

 

「忘れたか! 我が越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)を!」

 

 砲弾が空気を裂いてAIC展開域に到達。

 体を翻し、全力で回避運動を行う。レーザービットから光の鎖が出現する。

 ラウラは口の端をゆがめた。セシリアの体はピンで固定されたかのように、常に視界の中心にある。超高速戦闘下での動体反射能力を極限まで高めた頭脳と眼球は、ブルー・ティアーズの軌道を見切っていた。

 

「偏向射撃ですって!」

 

 セシリアの唇が肉感的な色気を醸しだした刹那、横合いから小物体が凄まじい速さで突進する。

 右に傾き、重力に引かれて落下する彼女を黒い腕が抱き止めた。

 

 

「試合終了。佐倉・ボーデヴィッヒ組の勝利です」

 

 眼下に激しい銃撃戦の末、ひざをついた鈴音。桜は非固定浮遊部位二基を自律起動することで、三対一の状況を生み出していた。ラウラがシールド・エネルギーを削ったことで撃ち合いを制した形だ。

 回収機が来るまでの短い時間。セシリアは対戦相手の金色の瞳を見上げた。

 強く輝く異相。

 

「こ、今回はわたくしの負けですわ」

 

 ラウラはPICを使って扇が舞うがごとき速さで落下する。

 セシリアは悔しさを見せまいと強がった。

 

「わかっている。今回は奇策が功を奏したのだ」

「……ボーデヴィッヒさんは」

 

 セシリアは孤高と口にしかけて、とっさに言葉をすり替えた。

 

「どうしてそこまで強くあろうとするのですか」

 

 ラウラはにやりと悪戯っ子のように笑い、生徒の前ではほとんど見せることのない年相応の気安さを身にまとう。

 

「心を強く持つよう求められているからだ。私にとってISに乗ることは己を表現するための手段であり、与えられた役目なのだ。私が生まれ落ちたときから一番になるよう教育を受け、私はその通りに生きてきた。基地が家族であり、彼らに仲間として、家族に一員として迎えられている。私は……恩返しをしたいのだ」

「わたくしは家のためですわ。わたくしがセシリア・オルコットであり続けるためには、ボーデヴィッヒさんよりも、世界の誰よりも強くあらねばならないのです」

 

 ラウラは目を細め、優しい雰囲気を醸し出す。軍人としてではなく、一個人としてセシリアに接する。

 

「ならば、()()()は既に強いではないか。強くあらんと生きている。弱さを知らねばできないことだ。あなたの強さの源泉は何か――」

 

 セシリアは心のなかで何度も繰り返してきた言葉を反芻する。

 ――家族が欲しいのです。わたくしの願いは、いつもそれだけでしたから。

 

 


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