IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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狼の盟約(十八) 本戦決勝・下

 きれいな田羽根さんが今にも泣きだしそうな顔になった。

 

「『絢爛舞踏』発動です。〇七七(紅椿)一二四(打鉄弐式)とのエネルギーバイパスを構築……完了を観測しました」

 

 肩を震わせてワンピースの裾をつかむ。唇を真一文字に引き結び、はっとしたように頭を振った。

 

()()()の信号を確……いえ、消えましたっ」

「どうしたん。そんで何が起こっとるん」

 

 桜が心配になって聞いた。異常の原因が紅椿にあることは間違いなかった。今もなお二〇ミリ多銃身機関砲二基で砲撃を加えているのだが、砲弾が紅椿と打鉄弐式から逸れていく。見えない力場によって弾道がねじ曲げられているのだ。

 ラウラもワイヤーブレードで攻撃を加えていたが、同じ結果だった。

 

「紅椿の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)。『絢爛舞踏』……すなわち、エネルギー増幅能力ですっ」

 

 ――あっ。

 二頭身(もっぴい)がものの二、三秒で力尽きた、と箒自身が愚痴っていた。

 即座にもっぴいの部屋を一瞥する。歯を食いしばってペダルをこぐ二頭身たち。アフロヘアともっぴいDが健在であり、その他二体は自転車型発電機の周りで気絶していた。

 ――体力、精神力、こらえ性がこれっぽっちもないのがもっぴいやったのに。

 レベルアップで体力がついたのか。それとも発憤しなければならない事情があるのだろうか。

 再び紅椿に目を向ける。装甲のすき間から黄金の粒子が噴きだしている。外周には紫電が走り、ちょうど肩の位置に紅いバターナイフのような形状の浮遊物が新たに二〇対以上も出現していた。

 フィールドの空気がどくんと脈動し、時間が止まる。

 きれいな田羽根さんの全身が総毛立つ。田羽にゃさんまでもがジョイスティックを握る手を止めた。

 桜はぎょっとしたように体を凍りつかせた。ほんの一瞬、状況を忘れて視線が釘付けになる。

 紅い眼鏡が発光した。

 ――何や、今の。

 

「レーダーユニットの稼動レベル、引き上げますっ。ご主人様、承認願いますっ」

「にゃ!」

 

 AIの声音が切羽詰まったものになった。投影モニターの片隅に「承認・否認」と書かれたボタンが出現する。桜はいやな感覚を振り払おうと承認ボタンを選んでいた。

 刹那、打鉄零式の頭部レーダーユニットが露わになる。続いて全身から赤いシリンダーが螺旋を描いて迫り上がる。身覚えがある禍々しい形状に変わり果てていた。

 視野の裾では、小窓に英語のメッセージが出現し、瞬く間に流れ去っていく。

 

()()()――()()()()・深度四〇〇〉

()()()()()()、他――ジョ()()()()()()西()()・深度六〇〇〉

 ――ん?

 桜がまばたきしたときには、別のメッセージが表示されていた。

 

「きれいな田羽根さんは制御を奪ったりせんの?」

「不具合は改善されていますっ。だから……前みたいなことになったりは……ぐすん」

「ならええ。前と今とでちゃうことは」

「対象が限定されますが、対IS用電子攻撃(EA)が使えます。衛星リンクでハイパーセンサーの探索可能範囲拡大……それから、必要なら、軌道上に存在する遠隔操作可能な衛星兵器は、すべて田羽にゃさんの指揮下に置くことができます」

 

 ――どこの衛星とリンクしとんの。

 ふと田羽にゃさんが懐から取り出した写真を自慢げに見せつけてきた。簪の髪を伸ばして、背を高くしたような美女を隠し撮りしたものだ。ピンヒールで足蹴にされるもっぴいA。他のもっぴいたちがおびえる姿も映っていた。

 桜の胡乱な視線に気づいて、田羽にゃさんは写真を裏返す。

 

「間違えたニャ」

 

 代わりに、いかにも悪役風に演出された打鉄零式のイラストが出てきた。ファング・クエイクを右手で貫き、膝で胴体をへし折る瞬間が描かれている。

 

「さっきのは……」

「今はそれどころではにゃい!」

一二四(打鉄弐式)シールド・エネルギー回復。……ああっ。レベルアップ観測! 三、いえ四! 気をつけてください、ご主人様っ! 〇七七(紅椿)能力限定開放!」

 

 きれいな田羽根さんの警告が頭のなかに入り込んでくる。

 紅椿から噴きだした黄金色の燐光が光の力場を押し広げた瞬間、始まった。

 黒ではなく、(あか)へ。

 スラスターと思しき紅い非固定浮遊部位にすき間が生じる。肩装甲が消え、箒の肩と二の腕が露出し、腕の装甲が鮮やかな紅に染まる。背中の形状も変わった。もっぴいの顔が消え、スラスターに切り替わった。

 頭部装甲が量子化し、箒の美しい黒髪が現れ、首、胸、腹部、太腿へと光が降りていく。その手には、雨月(あまづき)空裂(からわれ)を携えている。燐光が輝きを増し、白いISスーツを彩る鮮やかな紅の模様が、露出した彼女の肌をより際立たせていた。

 ――これが……ヤンデレ、シフト?

 

「違いますっ」

 

 間髪をいれず幼女が説明する。

 

「本来の紅椿……の姿です。レベル六六・六」

「変形しただと!」

 

 開放回線からラウラの声が浮き立つ。

 ――ここでレベルアップなんか。厄介な。

 桜は目を見開き、気持ちを切り替えた。

 投影モニターに六角形のアイコンが現れ、紅椿と打鉄弐式を捕捉したとのメッセージが出現する。

 アイコンの傍らに使用可能な武器一覧が映る。神の杖と書かれた直後に「推奨」という単語が赤く表示されている。桜は神の杖を無視して一二.七ミリ重機関銃を選んだ。

 

一二四(打鉄弐式)を無力化しますっ。コア・ネットワークに介入し、搭乗者から操縦権限を奪取します!」

「――待て! 否認や! 今すぐ止めえ!」

 

 きれいな田羽根さんが大きく肩を振るわせた。気負った顔つきの幼女は目尻に大粒の涙が浮かべている。

 

「えぐっ……今、なら、勝て……ご主人、さまが……えぐっ」

 

 顔をぐしゃぐしゃにして膝をついてわんわん泣き始めた。いつの間にか相方の側に寄り添った田羽にゃさんが肩に優しく手を添えた。

 

「無理はするにゃ。ここは田羽にゃさんに任せにゃさい……げっぷ」

 

 田羽にゃさんがゴミ箱にペットボトルを投げ捨てる。懐から758印の七色に光る牛乳瓶を取りだし、ふたを開ける。

 ――うわっ。

 怪しい飲み物を躊躇なく飲み干した。

 

「田羽にゃさん……」

 

 幼女が三白眼二頭身をキラキラとした瞳で見つめる。

 田羽にゃさんは柄にもない行動だと気づいたのか、照れ隠しのつもりでそっぽを向いた。

 

「げっぷ……田羽にゃさんが飲んでもあんまり意味にゃいんだが」

 

 口元をぬぐってこっそりつぶやく。

 桜は幼女が涙をぬぐう姿に気を取られて、田羽にゃさんの言葉を聞き落としていた。

 

 

 なぜ、という言葉は当事者たちにはなく、桜はとにかく目の前の現実を受け入れた。

 だが、変身した紅椿の形状を確認できたのは一瞬にすぎなかった。

 

「消えた……?」

「すまん。更識は任せる」

 

 状況の変化を待ち望んでいたと言わんばかりに、ラウラが紅椿の進路を妨害する。

 上下左右に交錯する機体。黒と紅がぶつかり合うたび、残された紫電が激しい攻防を思い起こさせる。

 一零停止。箒の凛とした佇まい、そして全身からほとばしる燐光が残像を引いた。

 ハイパーセンサーが箒の顔つきを捉える。戸惑ったような表情で立ち止まっては向きを変え、再び飛び出す。観覧席からだと、その動きは消えたと表現するしかなかっただろう。目で追いきれず、もはや気配そのものの移動を感知できないのだ。

 高速機動戦に移行したふたりを後目に、桜は復活した兄弟機を相手にしなければならなかった。

 ハイパーセンサーが簪の表情を映し出す。スポーツと学業に勤しんできた少女の目つきではない。

 上下左右、前後にも展開する鋭い殺気。

 桜は突進してくる白い機体に、すべての砲を向けた。

 

「更識さん……!」

 

 弾幕をものともせず、一瞬のうちに二〇〇メートル以上の距離を詰めた簪が間近に迫る。

 

「足癖が悪いってのは――知っとる!」

 

 簪が体を倒し、側頭部に膝を打ち出す。桜が非固定浮遊部位を間に差し込み、傾斜を利用して強引に運動方向を変えた。

 ――楯。

 防楯を左腕に転送。下からすくいあげてきた薙刀の刃先に押し当て、装甲表面から火花が散る。複合素材の恩恵で切断を免れるも、超高熱により液体化した金属が地面に降り注ぐ。

 簪が懐に入り込み、鳩尾をねらってきた。射殺さんばかりに血走った瞳が消え、太陽光が照りつける。光を引き裂くように刃が降りる。弐式の踵に仕込まれた近接専用ブレードだと気づいたときには振り上げた右手首を握りしめられていた。

 

「なっ……!」

 

 回避する暇はなかった。打鉄弐式と組み合う形になり、隔壁めがけて押される。

 互いの唇が触れ合うような距離。

 簪の瞳には怒りの感情が見て取れた。

 

「あの人にも……あの人のお気に入りのあなたにも……そして」

 

 打鉄零式が増速する。

 

「本音を狂わせたあなたを……ここで」

 

 打鉄弐式の装甲の継ぎ目から水色の光がほとばしる。鼓動のごとく明滅し、ゆらめくのを見た桜は、気迫に負けまいと唇を真一文字に引き結ぶ。

 ――黙ってやられとうないわ!

 だが、強烈な力を押しつけられ、びくともしない。

 ――力負けしとうない。

 押し返すことはできなくとも対峙できるはずだ。

 レーダーユニットの稼働率をあげたから出力が落ちたのか。いや、きれいな田羽根さんがデメリットを話しそびれるはずがない。

 桜は胸のなかのもやもやとした感覚を怒りに変えた。

 

「姉妹ゲンカに他人を巻きこむんやない!」

 

 ISコアが思念を力に変換する。全身の円筒から赤黒い光が浮かび上がる。装甲の模様が蛾の羽のような形に変化する。レーダーユニットが鮮やかに輝き、桜は二〇ミリ多銃身機関砲へ発射命令を伝えた。

 が、自ら放った弾丸が桜に直撃する。

 簪は下方向へ体が流れるよう強制的に力を加えてきたせいだ。即座に射撃命令を撤回する。

 

「姉妹……?」

「そうや。あんた、会長さんと姉妹なんやろ!」

「妖精さんなら知ってる。けど、あんな人……姉失格」

 

 もつれあう二機が地面に激突する。連続する衝撃のなかで、桜は打鉄弐式の非固定浮遊部位に浮かび上がった幻影を目撃する。

 六角形のミサイルサイロの集合体。未確認機・乙(四七二)の装備とよく似ている。違いはところどころに示されたハザードシンボルくらいだった。

 

「妹思いのお姉さんや。入院中、いつもあんたのことを気にかけとったわ!」

「まさか。……あの人が気にしていたのは……あなた」

「はあ!?」

「あなたがこの学園に来てからずっと! あの人は! あなたをひと目見たときから……ずっと気にかけて……」

 

 体を激しく左右に振る。

 

「かいっ……」

 

 桜は喉を震わせ、とっさに言葉を飲みこむ。

 目いっぱい伸ばした腕を返し、銃撃を試みたが、時遅く背中を強かにぶつけていた。

 

「ひと目見たときって」

「学校説明会であなたを見つけて……それ以来ずっと! あの人のなかで、あなたが占める時間が……ふくれあがって」

「会長さんとは確かに、ちょびっとだけ世話になった……でもなあ、あんたが思っとるような……関係やない」

「……うそをつかないで」

「うそやない」

「あなたは……隠し事を……」

 

 レーダーユニットが妖しく輝いた。

 一二.七ミリ重機関銃を簪の背中に押しつける。皮膜装甲(スキンバリア)が存在しなければ即死しているだろう。桜は銃架を握ったまま腕を射出する。

 簪が身をよじった

 手がはずれ、桜の体が自由になる。前傾姿勢になって飛び出す。土煙に四〇ミリ機関砲の砲弾が飛び込み、着弾して盛大に土砂が舞い上がる。火線が飛び交い、上空の戦闘での流れ弾と弾片が桜たちの頭上に降り注いだ。

 

「一二四、信号増幅、していますっ」

 

 きれいな田羽根さんに呼応するかのように、零式と弐式の戦闘速度が上昇し、高度も上がっていく。時間の流れがゆっくりになり、桜の瞳が幻影を捉えた。

 六角形のサイロから大量のミサイルが射出される。

 ――やっぱり変なもんが見えとる!

 半透明の幻影。打鉄弐式を取り囲むように多くのサイロを束ねた四つの塊が浮遊する。弐式の意匠を簡素化した思しき機体を引き連れ、西へ、日本海を超え、ロシアの領空へと侵入。ウラジオストク上空を飛ぶ。

 ロシアの空を埋め尽くすISの群れ。一体や二体ではない。数百機の大群だ。旭日旗のような空は真珠湾攻撃時と酷似していた。

 弐式を簡素化した機体は非固定浮遊部位として五〇メートル四方の平型フロートに縦型のミサイルサイロをそれぞれ六基から八基搭載していた。そのすべてにハザードシンボルが描かれている。

 巡航速度で領空侵犯するIS群に向かってロシア空軍の飛行隊が襲いかかった。I-21やターミネーター(Su-37)、急遽防空戦闘に駆り出された数機のベールクト(Su-47)。飛行隊が発射した対空ミサイルと対空機銃が交錯する。一瞬の間隙の後、簡易型の数機が黒煙を噴いて高度を落とす。しかし落伍する機体に構うことなく攻撃が始まった。

 二〇〇〇基以上ものミサイルが白い噴煙を吐き出し、空を駆けあがる。角型の白い吹き出しが無数に生じ、いずれも「核弾頭」と表記されていた。瞬く間にマッハ八(約10,000km/h)を記録し、ミサイル迎撃のためにモスクワ上空にあがったミステリアス・レイディや他の量産機めがけて驀進(ばくしん)する。

 およそ現実味に欠ける光景だ。幻影だと理解しながらも、桜は叫ばずにはいられなかった。

 

「田羽根さん! 何なん! なに、これ!」

「……」

 

 きれいな田羽根さんがもごもごとつぶやく。戦闘中のため、途切れ途切れにしか聞こえない。「初期化」「コア」「記憶」「集積」といった幼女が口にするには難しい単語をかろうじて聞き取ることができた。だが、どのようにつながっていくかまではわからなかった。

 

「これ、半透明の……見えんようには、できんのっ!」

 

 田羽にゃさんが持っていたリモコンの蓋をずらし、奥に隠れたスイッチを押す。映像が消えたとき、魂を食らうような荷電粒子砲の雄叫びを聞いた。

 旋回での回避が間に合わず、シールド・エネルギーが激減する。エネルギー残量を示す表示が赤く点滅する。

 打鉄弐式が春雷を捨て、空から消える。

 桜はスラスターが急制動するときのノイズを拾い、太陽から地面へと視界を反転させた。

 一二.七ミリ銃機関銃を撃発する。弐式の残像を弾丸が通過。進路を変えたのか、轟音の聞こえ方が変わった。

 ハイパーセンサーが接近する弐式を捉え、とっさに一二.七ミリ重機関銃を捨てた。

 穂先が光った。薙刀を構えた打鉄弐式が突っこんでくる。

 

「今!」

 

 機体をひねりながら貫手を射出。盛大な火花が散り、画面右下に大量のメッセージが明滅する。シールド・エネルギー枯渇を示すだけではなく、レーダーユニットの警戒態勢を解除する旨の内容も含まれていた。

 微かに手応えがあった。

 ――結果は。

 視界が激しく揺れるなか、桜は空に向けて腕を伸ばす。何もつかむことができないまま、墜ちていった。

 

 

 隔壁から隔壁へと、たちまちに終点へと達する。

 ラウラはスラスター光を投影モニターの一角に捉えつつ、突如として動きがよくなった紅椿を追っていた。

 

「その姿は何なのだ! 篠ノ之!」

 

 眼前にゼロの値。八八ミリ大口径レールガンから対IS用散弾を放った反動で機体がよじれてはね飛ばされた。PICが進路を補正するも反応速度が鈍い。太陽光を受けて飛散した断片がキラキラと輝き、紅椿は片手に持っていた空裂(からわれ)を一閃する。

 振った範囲に自動展開し、斬撃に合わせて帯状のエネルギーを生み出す。迫りくる破片を強引に打ち払い、ラウラの行く手を阻む。

 

「――チ」

 

 両目を見開いたままプラズマ手刀を展開し、雨月の刺突を弾く。豊かな銀髪が乱れ、黄金の燐光に腕を突き入れる。

 

「その姿は何だと聞いている!」

「……っ」

 

 座学で答えに窮したときと同じ表情だ。箒の瞳がかすかに揺らぐ。

 

「わからないのか!」

 

 思わず命令口調になったラウラに、箒は言葉よりも拳で答えた。雨月の打突により、先端からエネルギー刃が出現。シュヴァルツェア・レーゲンの装甲を焦がす。

 周囲の風景があっという間に流れ去り、視界の外に消えていく。墜落同然の状態で背面飛行し、フィールドと激突する寸前に運動方向を切り替えた。

 ――無駄だらけではないか。

 箒の空中戦は合理性の欠片すらなかった。紅椿が学園最弱機のレッテルを貼られたとき同じように直線的な動きに戻ってしまったようだ。方向転換が恐ろしく速いがために傍目から見れば曲線機動を描いているように錯覚してしまうにすぎない。しかし、疑似ハイパーセンサーを埋め込んだ体は覚醒した紅椿に順応していった。

 

「第四世代機だと聞いて呆れる」

 

 箒は性能に振り回され、歯を食いしばりながらも、手数を増やして強引に攻めてくる。未熟な搭乗者が運よく高性能機を手に入れ、ベテランを圧倒しているかのように見えること自体、ラウラは屈辱だと感じた。

 光軸が一本、ノイズか何かのように斜めに横切る。間髪をいれず閃光がふくれあがり、春雷による砲撃だと悟る。桜と簪の体が激しく入れ替わり、簪は隔壁へ、桜が地面へと墜ちていく姿を一瞥する。

 越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)が紅椿の腕を捉える。十字を描いたとき空気中を浮遊する塵埃(じんあい)が燃え、えぐられた土が舞い上がり、ラウラの体が激しく揺さぶられる。夢中でワイヤーブレードを射出。機体性能を読み違えた箒の体が独楽のように回って、つい先ほど自分が掘った穴に顔から突っこんでいく。

 ――機体の扱いがなっていないぞ、篠ノ之!

 紅椿の周囲には粒子とチラチラと閃く火の粉が常にまとわりついていた。視界不良ながら箒の位置を見失うことはない。

 最大速度で隔壁に達する。ラウラは衝突する直前に体を翻し、隔壁を背にする。

 八八ミリ大口径レールカノンに対IS用榴弾を装填。刹那、PICを事前に展開し、砲弾を射出する。

 風の影響で眼前にオレンジ色のもやがかかる。砲弾射出時に生じる刺激性のガスが流れ去った。

 砲弾が燐光の手前で炸裂。無数の弾片が紅椿の周囲をえぐりとる。

 視野の裾に「装填完了、榴弾残数:1」というドイツ語が表示され、すかさず発射。

 突如、ゴウと音がした。恐ろしく速い弾丸が射出されたのだと悟り、ラウラは最小限の動きでかわした。

 紅椿がナイフのようなスラスターを噴射し、散弾の雨を抜ける。単純かつ直線的な動きのせいか、動きを読むのが容易だ。

 

「……素人め」

「な、に、を」

 

 開放回線から聞こえた声はやっとのことで絞り出したものだった。勝てる。ラウラは余裕を取り戻し、雨月の打突を回避する。即座に高速機動へと移行し、追従する紅椿を振り返った。

 

「今、ここで教育してやる」

 

 横回転で帯状に広がる攻撃を避けた。だが、ワイヤーブレードに欠損が生じる。生きていた四基のうち、二基が捕まった。ワイヤー表面の金属が焼けただれ、裂け目から流体金属が零れ落ちる。ラウラは自らの意志でワイヤーを切断し、流体金属の流出を防いだ。無効化されたワイヤーを巻き戻し、残り二基に攻撃続行を命令した。

 行く手をふさぐエネルギーの塊を避けてスラスターを全開にする。右腕のプラズマ手刀を展開し、出力を加速終了とともに最大になるよう設定した。

 すかさず対IS用榴弾を射出。

 即座にAICの展開空域を四カ所設けた。球状に発現したAICは弾片の向きを外から内に変え、紅椿は三六〇度の弾幕に突入するだろう。

 すべての思考と判断が極微時間に終えると、ドイツ語で「榴弾残数:ゼロ」「要、砲身冷却」というメッセージが続けて出現した。

 紅椿が急制動をしかけ、行き足が止まる。長大な剣となったプラズマ手刀を突き出す。

 再び腕を引いたとき、紅椿が粒子の放出を終え、瞬く間に紅から黒に戻る。

 地面に軟着陸したラウラは、錐揉み回転しながら転がっていく箒の行き先を見つめた。

 

「勝者、佐倉・ボーデヴィッヒ組」

 

 傍らで足を止めた回収機とその腕に抱かれた機体に気づく。回収機の搭乗者の顔はバイザーで覆われており、表情までは窺いしれなかったものの気を利かせてくれたことは明らかだ。

 零式は空に手を伸ばしたまま光を失っている。むき出しのレーダーユニットをのぞきこみ、根本に印字された型番が読みとれる。

 ラウラは叫び出したい気持ちを必死に抑えつけ、零式の手を握りしめた。

 

「勝ったぞ。聞こえているなら返事しろ。佐倉桜」

 

 

 


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