五日間に及ぶトーナメントが幕を閉じた。
「学年別トーナメント一年生の部。優勝、一年一組ラウラ・ボーデヴィッヒ、一年三組佐倉桜」
ISスーツのまま表彰台に上がったラウラは眼帯をつけ、しゃんと背筋を伸ばしている。公の場であるためか、学園の大人たちに向けてきたような笑顔を浮かべている。
桜は多くの生徒が困惑する様子をおかしそうに眺めていた。そして、ひとり万歳を繰り返す少女に目を留めた。
――櫛灘さん。何やっとんの。
一見、級友の勝利を祝っているかのようだ。が、騒動の元凶が素直に喜ぶだろうか。
桜は疑いのまなざしを向け、正面を見据えたまま、小声でラウラに話しかける。
「あのひと」
「わかっている。気にするな」
「……何が?」
ラウラの目が光った。普段よりもわずかに口角をつりあげる。見返りを得て満足するときの表情だ。裸族としての信念を捨て、あえて兎の着ぐるみを受け入れたときのように。
そういえば、と桜はひとりごちる。
――櫛灘さんとボーデヴィッヒさん。食堂で……
商談でも持ちかけたのか。
――首をつっこんで会長さんと変なうわさを立てられたら困るわ。……手遅れな気もするけれど。
「準優勝、一年四組、更識簪」
簪がいつもの素っ気ない顔つきで檀上に立つ。段を上りかけたとき、一度足を止め、刺すように桜を見つめてから、ぷいと前を向いてしまった。
――更識さん。
「……一年一組篠ノ之箒」
箒が凛とした返事をする。
檀上に上がることに慣れた姿。剣道の試合で何度も入賞してきた経験を持つだけに堂々としている。照れてはにかむ桜ともまた違った。
「第三位、一年一組セシリア・オルコット、一年二組凰鈴音……」
▽
表彰式が終わった。
ラウラがトロフィーを、桜が楯を抱えて、それぞれの級友たちの元に向かおうとした。
「それじゃ、ボーデヴィ」
「お待ちなさい!」
セシリア・オルコットだ。両腕を胸の前で組み、ラウラの前に立ちふさがった。三位決定戦で一夏とシャルロットを退けた彼女は、決意に秘めた目つきだった。
英国人の頬が、うっすらと桃色に染まっている。桜は「おやっ?」と足を止める。
「オルコットか。何か用か」
セシリアを一瞥し、興味がないかのようなそぶりで脇を通り過ぎようとする。
「ラウラさん」
ラウラが振り返った。名前を呼ばれて、違和感を覚えたのか怪訝な表情を向ける。
「言いたいことがあるなら言え」
「ラウラさん。約束を守って差し上げますわ」
「……ああ。約束、か」
セシリアの真正面に立つ。上目遣いで見上げるとセシリアが思い詰めた顔つきだと気づいた。
「この後、何か縛るものを持ってわたくしの部屋にきてくださいまし」
「縛るもの?」
「ボーデヴィッヒさんなら持っているのでしょう?」
「……何が言いたい」
セシリアが鼻で笑った。
「衆人環視の前でわたくしに靴を舐めろとでもおっしゃいますの?」
「もとより……もとよりそのつもりはない」
セシリアは熱に浮かされたような、耽美な瞳に変わった。
まるで本音が桜に向けるような視線だった。倒錯した感情に身を任せ、正しいと信じる道を突き進む。
同居人の肌の感触を思いだし、桜はうつむいて頬を染めた。妄想を振り払おうと頭を振ったとき、観覧席に向けてトロフィーを掲げる戦友の姿を見つけた。
――ボーデヴィッヒさん。
観覧席に目を向ける。ふたりのドイツ軍人が手を振っていた。
▽
ラウラ・ボーデヴィッヒは、縄をつめこんだカバンを片手に立ちつくしていた。
シャワー室の照明が灯っていた。湯が滴る音が聞こえ、かすかに鼻歌が聞こえてくる。
室内を見回す。内装がセシリア好みに変わっている。気配がした方角へとっさに顔を向けた。
「あなたは」
癖の強い金髪を頭の後ろでまとめあげ、意志の強そうな眉、緑がかった瞳を持つ。桜ほどではないにせよ、アスリートのように鍛え上げられた体つきは、均整がとれた美しさを与えていた。
サラ・ウェルキン。IS学園二年生。英国の代表候補生にして、現時点において英国代表に最も近い女と目されているにもかかわらず専用機を与えられていない。
なぜか?
イギリスは厳然とした階級社会である。背中に彫られた
「ラウラ・ボーデヴィッヒ?」
まっすぐ目を合わせ、ゆっくりと
サラの瞳は困惑を露わにする。
「オルコットに呼ばれて」
「セシィに立ち会いを頼まれて」
見つめ合ったまま互いに首をかしげる。
――何の立ち会いだ?
握手を交わしながらも、サラが口にした言葉を理解できない。
「セシィとなにか約束でも」
「ああ……」
靴をなめさせてやる。セシリアをあおるつもりで言ったのは事実だ。もとより気位の高い女が、ここまで言われて怒りを覚えずにはいられないだろう。売り言葉に買い言葉なので、当然貸しにするつもりでいた。靴をなめさせるなど英国の国民感情を荒立てるようなマネをすべきではなかった。
なにせ、戦時ではないのだ。
「サラ。どうかしまして?」
シャワー室にふたりの視線が釘付けになった。
扉が開き、セシリアが白いタオルで乳房を隠しただけのあられもない姿をさらけだす。
「あら。ラウラさん。来ていましたの」
「……オルコット」
ラウラはどきっとしてしまった。
大浴場で何度も肌を見てきている。そもそも同性だ。驚くような出来事ではない。
だが昔、似たような表情を見たことがある。研修の一環でハルフォーフ軍医中将の自宅に身を寄せていたときのことだ。
――ライナー・シュテルンベルク中佐……いや、あのころは少佐だった。
クラリッサは姉の婚約者に横恋慕していた、とラウラはみている。シャワー室から現れた彼女は、今から男に抱かれることを期待するのような、艶めいた仕草だった。
似ているのだ。
雰囲気に流されまいと鉄十字を思い浮かべる。
セシリアはベッドに置かれたバスローブを羽織って、ドライヤーのスイッチを入れた。
サラを呼び寄せ、隣に座るよう求める。
――ピアスの位置が。
セシリアのイヤーカフスとサラのピアスの位置が一緒だった。
セシリアは先輩に髪の手入れを任せる。髪を気安く触らせるとはつまり、ふたりの間に何らかの信頼関係が築かれているのだろう。
――なんだか妙な雲行きになってきたぞ。
ラウラは用件をすませてしまおうと、事務的な口調に切り替えた。
「用がないなら帰るぞ」
「……せっかちは嫌われますわよ。それにわたくし、他人に借りを作るのは好きではありませんの」
話が見えない。セシリアが青いISスーツを身につけるのを待って、再び口を開いた。
「貸しだって?」
「ええ。オルコットさんは勝負を持ちかけたのでしょう? 対価を掛けたのであれば、私は負けたのですから、支払いを済ませねばなりません」
「支払いと
何となく予想がついてきたが、ラウラは必死に理解を拒む。
「貸しでいいんだぞ? 常識の範囲内で」
とにかく一刻も早く帰りたかった。本音にもみくちゃにされるほうがまだマシだ。彼女はレズビアンだが、露骨な愛情表現を控えるくらいの良識を持っている。
セシリアが鼻で笑った。
「それでは寝覚めが悪いのです。ラウラ・ボーデヴィッヒ! さあ! わたくしを縛ってくださいまし!」
ドライヤーが派手な音を立てて床に転がる。サラが呆気にとられた目で後輩を見つめ、次いでラウラの顔を凝視する。
ラウラが千冬から教わった日本の伝統芸能を披露した事実を知っているに違いない。
セシリアは反応がないのを見て、言葉が足りなかったと判断する。小首をかしげて、もう一度口を開いた。
「あなたは女体を縛るのがお好きなのでしょう? だったら遠慮無く!」
ラウラはカバンを手にしたまま一歩後ずさった。日本を訪れた人が伝統芸能に魅了され、どっぷりと浸かってしまう話を耳にしていた。奇しくも伝道者となってしまったことを、ラウラは後悔していた。
――私はパンドラの箱を開けてしまったとでもいうのか!
背後を顧みて出口の場所を再確認してから、サラに助けを求める。
「どうやら、あなたの後輩は疲れているようだ」
「え、ええ。セシィ、根を詰めすぎて疲れて」
セシリアが首を振った。
「あのときのボーデヴィッヒさんが忘れられませんの!」
「え!?」
「貴様は織斑一夏が好きだったはずでは……」
サラが激しく動揺している。セシリアとラウラを交互に見て、落としたドライヤーを拾おうともしない。
「寝てもさめてもラウラさんのことばかり考えて」
「セシィ……あなた。私とのことは」
――研究なら致し方ない。目下、私を撃破しなければ優勝はありえなかったのだからな。しかし……本当にそれだけか?
ラウラは脂汗を流した。
――悪い予感は当たるのだ。ここは撤退するべきだ。
「さあ! ドイツ軍は腰抜けですか! 私の覚悟に恐れを成したのですか! ドイツとて同じ騎士の国! 見損ないましたわ!」
ラウラは腰抜けと言われて、条件反射でカッと頬が熱くなった。
「ISを脱いだら何もできないのですか! あなたの強さはISに依存したものなのですか。あの試合はまやかしだったのですか!」
――おのれ、愚弄するか。
「ならば……貴様の気が済むまで縛ってやろう! 後悔しても知らないからな!」
「上等ですわ。貴族のプライドにかけて耐えてみせますわ……ふふふ」
セシリアの中で何かが変わった。艶然とした微笑みを浮かべ、ラウラ・ボーデヴィッヒの氷のような瞳とは対照的な表情だ。
縄が肌を締めつける。力強さとは無縁の白皙の腕がセシリアのほっそりとした肩に触れる。不敵に口元を歪め、嫌悪と期待が混ざり合った激情にうっとりとした。
時間が過ぎ去っていく。縄を結ぶ少女の影が何度も形を変える。生まれた年がひとつしか変わらぬ後輩。サラは少女が倒錯と耽美の宴に身を委ねていく様子に目をそらすことができずにいた。
「……完璧だ」
ラウラは額の汗をぬぐう。会心の出来だった。
勢いに流され、つい捕縛術を披露してしまった。だが、セシリアは最高の素材だった。大人になりきらない少女の肌に縄が食いこむ。見る者によっては常軌を逸した感情を抱いてしまうだろう。
サラを見やる。ずっと無言で、口に手を押さえて後輩のあられもない姿に熱い視線を注いでいる。
――私は取り返しのつかないことをしてしまったのか?
ラウラは居心地の悪さを感じていた。達成感が急速に冷めていくのを自覚し、危機感を改めて自覚する。
――我々はどこへ行くのか、我々は何者なのか。
縄を解こうと震える手を伸ばす。サラの視線を感じながら、ひもを半ばひっぱったところで、セシリアに声をかけられた。
「なぜ解いてしまうのです」
いけない。
セシリアが得体の知れぬ何かだと認知してしまった。辱めを受けたのに、なぜ堂々としていられるのか。上流階級の女は別世界の住人なのか。
ラウラは手の甲で冷や汗をぬぐいながら、サラに声をかける。
「ウェルキン」
遅れて首を横向けるサラ。
「解き方についてだが」と前置き、ラウラは彼女の脇に立つ。
我に返ったサラ。
「解き方はこう。ここを引っ張るだけ。もし当てずっぽうでやるしかなくなったら、この番号に電話を。少しでも迷ったら電話してください」
番号を交換してすぐに、セシリアの部屋から逃げ出した。
――人がたくさん集まる場所……そうだ。
食堂を思い浮かべ、早足になる。
「イギリスは魔女の国だ。底が知れない」
シャルロットと喪服の女の脇を通りすぎる。シャルロットが何か言いたげだったが、今は無視した。一刻も早く気を紛らわしたい。
――ええい、ままよ。
▽
同じクラスから優勝者が出たとあって、三組の生徒は等しくお祭り騒ぎだ。実はクラス別の総合得点から成る副賞が存在し、三組は総合点で二組や四組と僅差で競り勝ち、学年二位を獲得。一週間デザートフリーパスを手に入れたのだ。
二位に浮上した決め手は佐倉・ボーデヴィッヒ組の優勝にほかならない。クラス対抗戦の賞品がうやむやになってしまっている。今回は全員のがんばりが報われたこともあり、騒ぎに拍車をかけた。
「わーしょっい!」
騒ぐうちに桜を取り囲み、あれよあれよという間に胴上げしていた。
桜は当惑しながらも、だんだん嬉しさがこみ上げてくる。隔壁の向こうにある空を見ながらにんまりとしていた。
その後、胴上げから解放された桜は、簪と箒の姿を探した。試合が終わった直後は、ふたりとほとんど喋らなかった。箒にはこのあと、どうしても会って話さなければならない約束がある。
箒の代わりに本音の背中を見つける。
「……サクサクー。優勝おめでとう! ……どうしたの?」
桜に気づいてすぐ体を返した本音は、きょろきょろとあたりを見回す桜に対して小首をかしげてみせる。
「なあ本音。篠ノ之さんを見んかったか」
「篠ノ之さんなら、ピット上の休憩室じゃないかな。あ、行くなら賞状あずかるよー」
桜は言われるまま賞状が入った筒を差し出す。
「部屋に置いておくねー」
「おおきに!」
桜は風になった。
――約束は約束や。教えてもらわんと。
▽
アリーナ上の階段を上ると、楯無が物陰にひそんでいた。床で気を失った薫子を見つけて呆然とする。
「会長さん。いったい何を」
「シッ。簪ちゃんに見つかっちゃう」
薫子を指さす。楯無は級友を一瞥し、何事もなかったように振る舞った。
「佐倉さん。おめでとう。食費の件はこちらから手を回しておいたから」
なぜ楯無が食費のことを、と桜は疑問を浮かべる。が、今はそれどころではない。
「おおきに。あの……黛先輩どうして寝っ転がっとるん?」
「薫子なんて人知らないわ」
「足下におるんは」
「あれよあれ。簪ちゃんに不埒なまねを働こうとしたからちょっとだけ眠ってもらったの。一撃で意識を刈り取ったから痛みを感じなかったはずだわ」
「そういうことではなく……こそこそせんと」
桜は無造作に楯無の手をとった。急に恥ずかしがりだした先輩を妹の前に連れて行こうとする。
行き足が止まる。楯無が意地を張ってその場から動くことを拒んでいるようだ。
「会長さん。妹さんと腹を割って話を」
そのとき、かすかな金属音を耳にした。桜と楯無はぎょっとして足下を見やる。
――カメラのレンズ。
薫子がけろっとした顔つきで携帯端末をかざしていた。桜が瞬きする間に何度も親指を動かした。撮影ボタンを連打したのは明らかだった。
楯無が桜の手から逃れ、拳を鞭のようにしならせた。
「たっちゃん、やっぱ……グエッ」
「詰めが甘かったわね」
白目をむいた薫子を引きずり、慣れた手つきで壁にもたれかけさせた。携帯端末とカメラを手に取り、桜と手をつないで顔を赤らめたときの写真を消去していく。
「佐倉さん。私に何か用があるんじゃない?」
「あの。篠ノ之さんはどこに」
「それなら」
楯無が振り返ると、ちょうど箒が休憩室から出てきたところだ。ペットボトルの口をくわえた簪が後に続いている。
「か、かんちゃ」
どうやら舌をかんだらしい。口を押さえて目尻に涙を浮かべている。
――この人。妹さんの前だとほんまにダメダメや。
桜は奈津子と楯無をくらべた。しっかりというよりちゃっかりした奈津子のほうがまだお姉さんな気がする。身内への接し方に戸惑う姿を見て、桜は声を立てずに笑った。
いぶかしむ箒の前に立ち、桜は用件を伝える。
「ところで篠ノ之さん。約束の件……」
「そのことか。端末を持っているか」
「はい」
桜は羽織のポケットから携帯端末を取り出した。箒は左手に自分の端末を、右手で桜の端末を操作する。
箒が桜の端末にメールを送ったらしい。突然もの悲しい軍歌が流れ出し、箒が驚いたように肩を震わせた。眉をひそめて、わざとらしくせき払いする。
「お節介だとは思うが、着信音に……軍歌は……女子高生としてどうかと思うぞ。もしかしてラバウルに縁者でも」
「軍歌は私の青春や。とやかく言われとうない」
胸を張って言い返す。話がかみ合っていないような気がする。箒も気を遣って本題に入った。
「メールした番号にかけてくれ。クロニクル直通だから、たぶん出てくれるはずだ。遠慮無くかけてくれ」
桜は目を輝かせた。箒の手を握りしめ、何度も上下に降った。
ふと、背中に突き刺すような視線を感じた。桜はそのまま振り返ると、簪がにらんでいる。
――このたわけ。篠ノ之さんとふたりで河岸を変えんとあかんかった。
桜は不用意な行動を恥じる。すぐに手を離して、頭を下げる。
「この恩は忘れへん」
「大したことじゃない」
「ほんま、おおきに!」
▽
「それにしても……試しに言ってみるもんや」
携帯端末を見つめながら目尻が緩んだ。桜は自室に戻るやベッドに腰かけ、メールに記された番号に電話をかけた。
荘厳なクラシック音楽が聞こえ、受話口の向こうから呼び出しのベル音が聞こえる。
回線がつながった。
受話器の向こうから誰かの息づかいが聞こえてくる。桜はクロエの美声が聞けると思って期待をふくらませた。
「もすもすひねもすー。タバネさんだよ~」
桜は思わず首をひねった。もしかしたら会社の人が気を利かせて出てくれたのかもしれない。
田羽根さんと同じ声が聞こえたが、丁寧な言葉遣いを心がけた。
「あの、私、サクラサクラと申します。クロニクルさんでいらっしゃいますか?」
「サクラ、サクラ……どうしてこの番号知ってるの」
剣呑な雰囲気に驚き、間違い電話だと思った。
「失礼しました」
とっさに通話を切る。虫の居所が悪いときに、間違い電話を取り上げてつい不機嫌になってしまったのだろう。
「もう一回」
同じクラシック音楽が流れ、通話が確立された。
「わたくし、サクラサクラと申します。クロニクルさんのお電話でしょうか」
「はろはろタバネさんだよ~」
やはり同じ声だ。
――田羽根さんが出たんやけど。え? どうなっとるん?
まさかIS直通電話だろうか。桜は自分の身に何が起こっているのかまったく理解できなかった。
沈黙は失礼に当たると考え、何でもいいから話を続けようとする。
「えっと……」
「くーちゃんに何か用?」
「もしかしてSNNの社員の方でしょうか。よろしければクロエ・クロニクル様に代わって頂けないでしょうか。サクラサクラだと伝えて頂ければ」
「で、用件は何」
田羽根さんが不機嫌になっている。常に脳天気だった初代田羽根さんや田羽にゃさんであれば剣呑な雰囲気を醸し出したりしない。きれいな田羽根さんなら「ご主人様っ」と舌足らずな声で応えてくれるはずだ。桜はIS直通電話の可能性をいったん除外する。
「用件は……」
あいさつ目的なので大した用事ではない。学生気分を出してみようかと思い、照れ笑いしてみせる。
「実は、あいさつのつもりで……少しお話をしたいなと思いまして」
期待に反して冷たい受け答えだった。
「あなた、本当にサクラサクラなの? 千葉や三重の佐倉城の佐倉に、桜祭の桜?
「その通りやけど」
後半が早口だったので、ところどころよく聞き取れなかった。
「……たばねっとって? 特攻はまあ」
「ふうん。ちょっといいかな」
「何でしょう。もしかして失礼を……?」
「うちの箒ちゃんを抱いたんだって?」
「それは……レベルアップしたと聞いて肩を抱きましたけど」
「あろうことか、くーちゃんにまで手を出すなんて。
「握手を一度。今回はお近づきになれないかな、と思って電話番号を聞きました。クロニクルさんに話が伝わっているものと」
ゴトゴトとくぐもった音が漏れた。そして急に明るい声音に変わった。
「あのさー。サクラサクラ。ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくんないかなあ」
「なんでしょうか」
「箒ちゃんの前から消えてくんないかなあ。くーちゃんの前からも。だめなら今すぐ死んで欲しいんだけどー」
――このひと何を怒っとるん。わけわからん。
声を荒げたら相手の怒りに油を注ぐだけである。桜は気を遣って丁寧な応答を心がけた。
「篠ノ之さんとは同じ学校である以上無理な注文です。それに、いくらなんでも死ねというのは冗談にしては物騒です」
「わかった」
――よかった。話が通じるみたい。
「臨海学校でギッタンギッタンにしてやるからな! 首を洗って待ってろよ! 理想の弟の貞操を返せ! ビッチ!」
桜はあいた口がふさがらなかった。
――ケンカを売られとるってことだけはわかってきた……。
「ぴーえす。サクラサクラ。ハチロクが」
「ハチロクって何なん?」
電話越しから露骨な舌打ちが聞こえる。
「ゴーレム型第六世代機のことだよ。忘れちゃったの? 記録には残ってないけどコア番号四一二……だった。人類の最終搭乗者はサクラサクラ」
「せやから……何のことだかさっぱり。誰かと勘違いしとりませんか? 身に覚えがないんやけど。これっぽっちも」
「とにかくハチロクがいっくんと穂羽鬼くんをねらってるんだよ。搭乗者がビッチならISもビッチになっちゃうなんてタバネさんもびっくりだよ!」
その後「くーちゃんと箒ちゃんは絶対に渡さないんだからね! ついでにマドカちゃんにも手を出す気なんでしょ!」と通話が切断されるまで何度も続いた。
「ツー、ツー」という音が残り、桜は通話終了画面を見つめて声を震わせた。
「何なん! 人様をびっちびっちって。頭に来た!」
今回で狼の盟約章はお終いです。また次章でお会いしましょう。
【資料】
学年別トーナメント一年の部
参加生徒数:124名(62組)
総試合数 :62試合
1日目
第1アリーナ:Aブロック6試合
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:Bブロック6試合
第4アリーナ:Cブロック6試合
第5アリーナ:Dブロック6試合
第6アリーナ:A・Bブロック各1試合、C・Dブロック各2試合、合計6試合
2日目
第1アリーナ:Aブロック4試合(シード枠含む)
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:Bブロック4試合(シード枠含む)
第4アリーナ:Cブロック4試合
第5アリーナ:Dブロック4試合
第6アリーナ:予備会場
3日目
第1アリーナ:Aブロック2試合
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:Bブロック2試合
第4アリーナ:Cブロック2試合
第5アリーナ:Dブロック2試合
第6アリーナ:予備会場
4日目
第1アリーナ:会場整備
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:会場整備
第4アリーナ:会場整備
第5アリーナ:予備会場
第6アリーナ:A・B・C・Dブロック各1試合(各ブロック決勝戦、天蓋閉鎖済)
※Dブロックはフィールドに大穴があいた状態で実施
5日目
第1アリーナ:会場整備
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:会場整備
第4アリーナ:会場整備
第5アリーナ:準決勝2試合、決勝1試合、三位決定戦
第6アリーナ:会場整備(前日に列車砲使用のため)
※1会場あたり1日8試合の制限あり。整備品質を考慮したため。