IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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今後展開上やむを得ない場合を除き、AIネタを封印します。過去に遡及して書き改めたいのですが、それをやると進まなくなるのでやきもきしています。


亡国の足音(二) 水中花

 篠ノ之束を初めて見たのは、まだ日本にいた頃だ。

 古い日本家屋。かぽん、かぽん、と鼓の音が響きわたる。間近に迫った奉納舞の稽古が熱心に行われていた。

 

「目の動きに気をつけよ。面をつけていればこそ、瞳の動きが、どこに目配りしているかが際立つ」

「はあい」

「『はあい』ではないのだぞ」

「ちゃあんとやりますよーだ」

 

 額に手をあてて大げさなため息をつく男。細面だが、目元の雰囲気は武士に通ずる厳しさを残している。袴をきちんと着こなして、まるで違和感がない。

 男は一息ついてから再び指示を出した。

 

義兄(にい)さんに皆様方。そろそろ休憩にしませんか?」

「やった。雪子さん助かったー。柳韻さん(お父さん)。厳しいんだもん」

 

 束と呼ばれた少女は十手を帯に差すや叔母の隣に腰をおろす。お盆におかれた湯飲みを手にとって、麦茶を注いで口をつけた。鼓を打っていた男衆も、コップを受け取って扇風機の周囲に腰をおろした。

 

「師匠と呼べ、と言っておろうに」

「だからー、柳韻さん(お父さん)って言ってるんだよ。いーじゃん」

 

 柳韻の眉間にしわが寄る。

 

「束さん。さっき千冬ちゃんから電話があって、ついに全国大会出場が決まったんだって」

 

 束は湯飲みをおいてから、コテン、と首を傾ける。隣に座る柳韻の顔を見上げ、厳格な父親が珍しく笑みを浮かべるのを目にして、ようやく事態を理解した。

 織斑千冬は小学校のとき余所から引っ越してきた少女だ。父子家庭であり、篠ノ之家が管理していた一軒家を借りている。裕福であることは確かだが、父親は世界中を飛び回っていた。

 千冬と弟の一夏は篠ノ之道場の門下生である。柳韻は織斑たっての願いで姉弟の入門を認めている。門下生という立場は、織斑姉弟の面倒を見る口実となった。

 

「ちーちゃん男子よりも強いんだもん。当然だよー。でも、うちの剣道部ってそんなに強かったっけ?」

 

 今度は逆方向に首を傾ける。

 柳韻が遠くを見る目をした。

 

「オレがあそこの生徒だった頃は、まだ強かったなあ。一度だけ、全国に行ったことがある」

「あのころは義兄さんがいたから強かったんですよ。義兄さんが部を辞めてからは……」

 

 柳韻の淡々な調子に、雪子はうつむき加減になって言葉を濁す。薄く微笑(わら)った義兄の顔が正視できない。沈黙に耐えられなくなって雪子が話題を変えた。

 

「束さんは剣道、もう、やらないの?」

「剣道やってる暇なんてないよ。起業の準備で忙しいんだもん」

 

 誰も彼も、束が竹刀を持つ姿を久しく見ていない。柳韻ですら、娘が竹刀を持つ姿を遠い記憶のなかにおいてきていた。

 束が剣を持つのは奉納舞の時期だけに限られていた。束は常々「一八になったら家を出る」と公言している。さほど珍しい光景ではない。地元の働き口が少ないのだ。篠ノ之家も神社だけでは食べていけないので、剣道場や賃貸・不動産経営などの副業によって、ようやく人より少し裕福な生活を送ることができた。

 

「起業?」

 

 雪子は聞き慣れぬ言葉に目を瞬かせる。最近までランドセルを背負っていた子供の発言にしては大人びていやしないか。

 

「起業って、会社を作るの?」

「ふっふっふ。束さんに秘策ありってねー。私の会社はぜーったい大きくなるよ。世界中が喉から手がでるほどほしくてたまらなくなるブランドを発表するんだもの。世界を変えるよ。確信してるもん」

「……と言ってますけど、義兄さん」

 

 柳韻はぷい、と顔を背けた。

 

「戯けたことを。オレは知らんし、束の好きにすればいい」

「ねーねー聞いてよ。雪子さん。柳韻さん(お父さん)が出資を渋るんだよ。娘の起業に少しくらいお金くれたっていいじゃない」

「ほかに誰か、協力してくれるの?」

「さらさら……皿屋敷さん? みたいな名前の人。未踏ユースにも応募するつもりだけど、箒ちゃんが大株主になる予定」

 

 まさしく妹のお年玉を全額巻き上げたことを示唆する発言だった。雪子と柳韻は後々のしこりになるであろう姉妹間のやりとりにまで気が回らなかった。

 

「束」

柳韻さん(お父さん)

「続きだ。舞う(くるう)ぞ」

「うえー。もうちょっと休憩させてよー。篠ノ之流(うち)の踊りって、能っぽいのに速いから疲れるんだよー」

 

 束が不服を訴えながらも立ち上がって、十手を抜く。

 練習で十手を用いるのは筋力トレーニングと武器を扱う感覚を養うためだ。

 祭り本番では模造刀を用いる。しかし昭和一八年頃までは砥石で軽く刃先を丸くした刀が使用されていた。戦後、進駐軍の指示で警察が刀狩りを行っている。このとき、篠ノ之神社に保管されていた多くの刀が没収されている。ほとんどが返却されたものの、一部は心ない人によって破壊されてしまった。騒動の後、奉納舞で実剣を用いることはなかった。

 

「篠ノ之は遊芸、風流狂いぞ。(くる)え、(くる)え」

 

 腰が重い娘を急かす。

 

「道場にエアコン入れてよー。あっついんだよー」

 

 束は不服を口にしながら立ち上がって身なりを確かめた。

 篠ノ之神社の奉納舞において、巫子(みこ)は中性という決まりがある。男は女の装束を、女は男の装束を身につける。

 柳韻からまなざしの鋭さを受け継いだ束は、男装ゆえに一見紅顔の美少年である。不平不満をまき散らしながら、その実、きっちりと装束を着こなし、所作に気配りが行き届いている。自室に引きこもったり、ふらりと出かけてはパソコンを抱えて戻ってくるような少女には見えなかった。

 柳韻が呼ばれて外にでる。束は安堵した。

 すぐに知り合いと顔立ちの似た子供を連れ帰ってきたので驚いて動きを止めた。

 

「その子は」

 

 千冬の弟とよく似ている。だが、陰気な瞳が束をとらえて離さない。織斑が帰省するのであれば千冬がうれしそうに話してくれるのだが、しばらく聞いたことがない。違うと思いながら尋ねる。

 

柳韻さん(お父さん)。織斑さん、帰ってきたの?」

 

 柳韻が首を振る。織斑の遠縁の子だという。

 幼子が束を見上げた。

 

「君はだあれ?」

「マドカ」

「へえ。マドカちゃん。……まどっち? いやいやマドちゃんのほうがいいかな?」

 

 束はしばらくマドカを眺めていたが、不意に遠くをみた。

 

「マドカちゃん」

 

 瞳の奥に懐かしい風景があった。

 

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 ――そういえば、あの白い影をしばらく見ていないな。

 篠ノ之束の周囲にいた八つの影を思い出した。マドカは作業員の邪魔にならないよう隅でおとなしくしていたのだが手持ちぶさただった。

 深海からマコウが収容され、パイロットが顔面を覆ったヘルメットを脱ぎ去る。ヘルメットの意匠は人間の頭部を象っており、黒一色に染め上げられていた。視覚と触覚を外界から隔てることで恐怖を和らげる。

 水中特化機(マコウ)の外観は深海救難艇(DSRV)そのものである。海中での対潜水艦、対IS戦を想定して外観に似合わぬ高速機動能力を与えられていた。

 主に長時間の索敵任務を担う。深い闇の底で孤独と緊張との板挟みになる仕事だ。マドカからしてみれば、どう考えても正気の沙汰とは思えない。

 

「おつかれ」

 

 日本語だ。水密扉から出てきた女にタオルを投げ渡す。

 

「M」

 

 アヤカ・ファン・デル・カンプが髪結いのゴムをふりほどく。自慢の長い髪がまっすぐに垂れ、背中に達する毛先まで黒褐色の艶をおびている。二重の際だった目がマドカをとらえた。

 アフリカーナーとの混血。碧い瞳を除けば彼女は日本人そのものだ。小学四年生まで京都にすんでおり、海外赴任する両親とともに海を渡っている。日本人学校に通っていた頃、IS適正検査を受けたことが縁でタスク社に才能を見出され、試作機時代からマコウ運用に携わった。

 マドカは部隊長から彼女と仲良くするよう指示をもらっている。ケイトリンとつるむよりマシと考えたのは事実だ。おかげで嫌みを面と向かって口にする女もやっかいだと学んだ。

 アヤカが水を飲み干したあと、無言で待機していたベロニカ・インピシに外洋の状態を伝える。水圧に耐えるため、前身を覆ったISスーツの上からでも、お椀形の乳房だとわかる。申し送りを一通り聞いたベロニカが、ヘルメットをかぶって点検中のマコウの元へ向かった。

 

「ついこのあいだまでつんけんしてたくせに、宗旨替えでもした? ツンデレさん」

「アヤカは妙なことを口走る。ツンデレとは何か。理解できるように話せ」

「ヨーゼフ・ツンデレ博士型双極性パーソナリティ障害……コミュニケーション障害の一種」

 

 珍しく真顔になったアヤカは、彼女ならではの高調子だ。マドカには意地悪く感じられた。

 

「そんな病気……聞いたこともない」

「発表されてまもない病気なのよ。Mが知らないのもしかたないわ。でもね……本当にツンデレなら今頃拳が飛んでるからね。Mんところの部隊長さんが疑ってたから、ついからかってみた」

 

 舌を出してケラケラと笑う。後輩をからかう態度がかすかな反発を抱かせた。アヤカもまた、マドカを子供扱いする。

 ――少し早く生まれたからって、先輩面ばかり。

 

「あんたはもう少し笑うといいよ。仏頂面だと話しかけられるのがいやじゃないかって思うの。アクトロットなんか愛想よくっていいな。彼女、あの外見でしょう? あたしなんかじゃ恐れ多くて話しかけるのもおこがましく思っちゃう」

「……スリーの話を出すな」

 

 マドカは眉をしかめた。わずらわしい。ケイトリンの仕事ぶりは認めざるを得ない。が、腹でなにを考えているのか解らない女は嫌いだった。

 

「彼女の話題に触れるとすぐムキになるのね。ライバルだと思ってるならいいけど、愛情を抱くようなら、あんたとの付き合いを改めなきゃ」

「仕事のつき合いに妄想で霞んだ目を向けるな」

「そう? でも、からかうのはやめんからね。あたしが楽しいからいーの」

「私のことなんかどうでもいいと思っているくせに」

「所詮は他人ごとだもの。あんたが気に病もうが知ったことじゃないわ」

 

 マコウは特殊なISゆえ、パイロットは半年以上もの間、タスク社でトレーニングを積んでいた。訓練には特殊な機材と専門知識、広大な土地が必要だ。なおかつ存在を秘匿せねばならないとあって頼る先も限られてくる。亡国機業の荒事師候補者もまたタスク社が厳重に管理する施設で訓練しなければならなかった。

 マドカは遠巻きながら、ベロニカ・インピシたちの訓練風景を目にしたことがある。マコウを著名な人物が開発したと説明を受け、興味がわいたからでもある。

 開発者自ら訓練施設に出向いたことがあり、講演の場が設けられた。マドカは部隊長同伴で顔を出した。控え室で面通ししたさい、「マドカちゃん、マドカちゃん、まどっち……いやいやマドちゃんのほうがいいかな、いいかな?」と連呼する、厚かましい(ひと)だと判明。初めて出会ったときとはあまりにも雰囲気が違いすぎて面食らってしまった。同一人物かと疑いもした。しかし、篠ノ之流の奉納舞を踊ってようやく本人だと理解するに至った。

 それでもなお、狂人と接点を持つのは願い下げだった。

 マドカは話題を変えた。

 

「髪、そのまま伸ばすのか。以前、切りたいと」

「やっぱり未練があるのよ。好きな男に告白するまでは切らないでもいいかなって願掛け。習慣で伸ばしているだけだってのに、失恋したら切るなんて、くだらない信仰よね。ちょっとした冗談のつもりだったのに、艦内に流言が広まっちゃって、引くに引けなくなっちゃってる。……ほんとう、あほらし」

「切るのは反対だ。綺麗な髪なのに」

「仕事の邪魔になるの。……でも、ありがとう。あんたが、Mがほめてくれるなんて思ってなかった。あんたも伸ばしてみれば」

「断る」

「いけずばっかり」

「お互い様だ」

 

 アヤカと並んで歩く。少女ふたりが並ぶには充分な幅の通路だが、やはり狭い。急にアヤカがまじめくさった顔をした。年輩の黒人士官が近づいてくる。細い体躯に、青色の作業服を身につけている。艦長のウォーレス・インピシだ。軍服でないのは副長に操艦指揮を任せているためだろう。多忙な人だった。

 互いに目礼しただけで無言のまま立ち去る。

 

「艦長、スリーに対してだけ、あたしたちとは態度が違うのよ。理由、知ってる?」

「知るか」

「きつう言わんでもいーのに。ISパイロットが一六人も乗っているんだからしょうがないって、言ってほしかっただけなのに」

 

 アロウヘッド隊は三直体制で稼働している。ベロニカのような生粋の南アフリカ国防海軍出身者で構成したいところだが、虎の子のISパイロットの数が足りない。そこでアヤカのようなタスク社に籍を置きながら、補充パイロットとして南アフリカ共和国に出向している者も混ざっていた。

 

「同僚に媚びを売ってどうするというんだ。任務遂行には何の益もない。与えられた役割を全うするだけだ」

「へえ、まっじめ」

 

 揶揄するように聞こえて、マドカは不快を露わにした。アヤカはたいていの場合、思いつきで他者(マドカ)のことなど考えもしない。同じ日本人の血が流れている者同士、気安さを感じているのだろう。だが、マドカはたびたび言い返したくなるのをこらえなければならなかった。

 アヤカは二、三歩先に進むと、急に立ち止まって振り返った。

 

「なあ、聞いてほしいことがあるんだけど、聞いてくれん?」

 

 三十分後、シャワー室に連れ込まれたマドカは相手の強引さを呪う。

 

「……風呂など、真水の無駄だ」

「そういわんて、あったらいいなって思わん? 軍艦失踪事件を引き起こしたのはうちらやって、罪をなすりつけてのうのうと生きてる犯人を捕獲するのが今回の目的なわけだし、つまりね。せっかく船に乗るんだからお風呂ぐらい自由に入りたいってこと」

「乗る船を間違ったな。乗るISも」

 

 マドカは日頃の仕返しと言わんばかりに憮然としていた。アヤカが両肩を小さくすくめる。わずか三年で成り上がったとはいえ、他の荒事師の実績が目立っていた。マドカは嘘か真か本人の口から確かめたことはないが、リモ隊の隊長は出身地であるコロンビアで八七名もの戦果を挙げている。

 

「だったら代わってくれたらいいじゃない。スーツを着て、ISを展開して、ガワ(DSRV)を身につけて数時間潜水するだけの簡単なお仕事。いざ、戦いになったら隠れて立体音響視界のスイッチを押すだけ」

「我々には水中戦の経験がない。だから不本意でも、協力してくれないと……困る」

「いややわあ、むずがゆいったら。頼りにしてくれてるの? あんたにしては、よく言ったわね。がんばった」

 

 屁理屈への対抗策を練っているあいだに、アヤカはさっさとシャワーを終えて更衣室に向かってしまった。

 

「M。後がつかえてるから急ぎなさい。打ち合わせ、一〇分後」

 

 英語だ。マドカではなく、後で待つ誰かに向けて言い放ったに違いない。アヤカのなかで自分がいてもいなくともどうでもいい存在だと思って、吐き捨てた。

 

「嫌いだ。どいつもこいつも」

 

 

 


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