「予定観測点で停止。深度六四〇。推測航法装置、慣性航法装置との表示一致を確認。位置確認を完了しました」
マコウの受信専用カメラが静まり返った海底を映した。有機物と泥が堆積するなか、艨艟の舳先に描かれた「67」の文字が照明によってくっきりと浮かび上がった。上部構造がすっかりなくなっており、鉛色の基部のねじれた残骸が三メートルほどの高さで残っているだけだ。
艦首の形状、そして舳先の数字から改タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦シャイローだとわかる。かつては日米同盟のミサイル防衛を象徴した船。アメリカ太平洋艦隊の落日を示すかのように墓場と化していた。
「イージス艦もIS相手には形無しねえ、M」
「……フンッ」
アヤカが水中に特化したIS・マコウを操縦している。
「シャイローは前々日まで横須賀にいたそうよ。白騎士事件のね。ハワイに向けて航行中に、飛来する
「……立派に戦った」
アハ、と無神経な笑い声が漏れた。眉根を潜めながらバイザーを下ろす。投影モニターに水温や塩分濃度が表示され、マコウの受信専用カメラの映像を取得した。
マドカは目を細めた。ちょうど艦橋のあたりに白い浮遊物が漂っている。
――あれが見えていないのか。うようよいるぞ。
ケイトリンに流し目を送り、正面のクインシーを見やった。戦闘の激しさを留めた艨艟の映像はコア・ネットワークを通じ、圧縮されて母艦に送られたはずだ。クインシーとケイトリンは各種計算式の係数補正にかかりきりになっている。今、見ているものが現実の光景なら、マコウの操縦者も気づくはずだ。アヤカの性格は好きになれなかったが、能力だけは信が置ける。
「アヤカ」
「知らないわよ。あんた、また、幽霊でも見たって言うんじゃないの。気味悪いから冗談なら止して」
「……」
「やめて、黙るんじゃないの。嫌がらせ。そうでしょ。あたしが怖がるところを面白がっているんだ。そう思ってるんでしょ」
「……まさか」
今の間はよくなかった。マドカは該当箇所に丸を描いた画像を送った。
「いない。生物発光だけ。エビよ。水中の微生物をかきまぜたときに光が生じるものだけど、それと見間違えたのよ」
画像補整係数を増やして明るくしてから目を凝らした。墓場に蠢く白い影の衣服を確かめたかったのはもちろん、残骸がデータの山に見えたからでもある。
――話が聞けるものなら、聞きたい。
だが、マドカにはぼんやりと見えるだけだ。話しても誰も信じない。せいぜいアヤカを怖がらせるくらいにしか役に立たなかった。
――セシルちゃんが調べてくれる。誰も知らないことを知っているから。
亡国機業は白騎士との戦闘データを喉から手が出るほど欲していた。アメリカ政府に働きかけたが、軍機の牙城を崩すことができずにいる。
「意味深な沈黙はやめなさいよ。見える振りして驚かせようって魂胆ね。堪忍してったら、今は仕事中なのよ」
「……
気を遣われたと思って、アヤカが口ごもって声にならない音を発した。マドカは自分の顔が見えないのを好都合にとらえ、口の端を吊り上げた。
「
クインシーとケイトリンに聞こえるよう挑発的な声を作った。
インフィニット・ストラトスはサブプライム・ローン問題に苦しむアメリカに暗い影を落とし、新たな利権構造を生み出した。
「彼、あるいは彼女は英雄にして敵ですわ。誰がパイロットだったのか、篠ノ之博士は頑として語らない。……一説によれば、あの戦闘の後、失血死したのでは、と考えられています。太平洋艦隊と戦ったときには、もう、意識を失っていて、白騎士のシステムは銃を向けられたのでプログラム通りに戦っただけ。叔父がよく口にしていましたわ。
ケイトリンはマドカではなくクインシーに含んだ笑みを向けた。
誘惑するような雰囲気にマドカは戸惑った。クインシーが尻軽と呼ばれるのは、元上司であるスコール・ミューゼルと未練がましく体の関係を続けながら、他の男女とも閨を共にするからだ。あまりにも男好きする外見のため、情報支援活動部隊、通称アクティビティへの入隊を断られたのち、スコールらと共にタスク・アメリクス社への
実戦部隊に来たのは「銀の福音」開発案件受注失敗の責任をとったという建て前だ。もちろんタスク・アメリクス社に残留し、ホワイトカラーとして生きていくこともできたはず。しかし、そうしなかったのは彼女自身、性癖と衝動をもてあました結果だと口にしている。クインシーは大のブロンド好きだった。ベッドで淫靡に踊るスコールと水が滴る十代の肌を天秤に掛け、新しいほうを選んでしまった。
クインシーは一瞬手を止め、ケイトリンに微笑み返した。すぐに無言でキーボードをたたく。
――腹に一物を抱えた
十代の目線では二十歳をすぎた者はみなおじさん、おばさんである。クインシーは四捨五入して三十路だった。白地に流水紋と紅葉が描かれたISスーツはわざわざ四菱ケミカルから取り寄せたブランド品で、米軍や欧州連合が公式採用したものとは一割以上性能が高い。その代わり、ゼロが一桁多く、高級品路線を売りにしていた。正月頃に三割性能向上を果たした上位品が登場するともっぱらの噂だった。
――誰に見せるのやら。
粋な意匠を身に着ける姿が、大人の余裕だと思えて胸が騒ぐ。
マドカは反発心から意地悪な質問をぶつけた。
「……ならば、ロストナンバー86は敵か?」
途端に場の空気が凍る。クインシーの顔色が冴えず、ただならない様子だ。口を開きかけたところを、ケイトリンが先を制した。
「ええ。間違いなく、敵ですわ。当たり前の質問を投げかけないでくださいまし」
怖い声だ。言葉の意図を真正直に受けとったに違いない。
「……作戦前に、
マドカが座り直してから顔を伏せた。
投影モニターの片隅にセシルちゃんが映った。足を組んで紅茶を楽しんでいるので、どうやら作業を完了した風情だ。
「アヤカ。処理が終わったぞ」
「え」
ケイトリンたちの反応が気になって顔をあげると、ふたりとも驚いた表情になっている。
――びっくりするようなことでもないのに。指示を出しただけだ、私は。
マコウの新型ソナーを他のISでも使えるようにした。IS技師が必要とされる仕事を、雑談の合間にやり終えたにすぎない。
アヤカの声が、今度は開放回線から聞こえてきた。
「へえ、もう終わったの。あんた、こんな仕事辞めてIS技師になりなさいよ。長生きできるわよ」
アヤカはいつもの高拍子に戻っていた。
「長生きなんてしなくたっていい」
「あたしは反対よ。死んだら学校に行けなくなっちゃうじゃないの。仕事をこなせば、編入学資格の免除と権利と学費、生活費、研究費までもらえるの」
「……そんなことか」
「軽く言うんじゃない。
「
「外国居住者には書類選考があるなんて、あたしは知らなかったんだ」
アヤカが学生生活に憧れて、IS学園を受験しようとしていたという話は記憶に新しい。
「よかったじゃないか。ぬるま湯に浸かるよりは、今の生活のほうがよほど刺激的だ。入学できたところで、ISの数が少なすぎて訓練も満足にできない。経歴に箔がつくだけだ。
「いいじゃない。あたし、女子高生に憧れていたのよ。あの制服を着たかったの。ささやかな夢を砕かないでちょうだい」
ケイトリンの声がぴしりと響いた。
「わたくし、制服、ありますわよ。通常制服と改造制服の両方」
「……コスプレ趣味か」
「フォー。口がすぎますわよ。ほら、わたくしの見た目ってセシリア・オルコットとそっくりでしょう?
「どんな作戦なのよ」
やめておけ、とマドカが口を出すよりも早く、アヤカが食いついていた。
「わたくしと彼女が成り代わる。
「そ、そう」
アヤカがたじろいだ。
ケイトリン・アクトロットの見た目は貴族のご令嬢だが、権謀術数に魅入られた腹黒女だとマドカは確信していた。
「制服、貸しますわよ。もしくは後で用立てましょうか」
「タダでやってくれるんだ」
「ご冗談でしょう。アヤカ・ファン・デル・カンプ。IS学園の制服の相場を知っていて? 結構するのですよ。出すものを出せば、わたくしが『みつるぎ』か『グレーフェ』に連絡を取るのだけれど。二年生の制服ならタスク・カナタ。三年生ならタスク・アウストラリスがよろしくてよ」
「随分と詳しいな」
「当然ですわ、フォー。淑女たる者、いついかなるときでも準備を怠ってはなりませんの。フォーの分の制服も用意していますわ。あなたをIS学園に送り込む計画だってあったのですから」
「……学生なんて、誰ぞが好きだ、別れた、人気がある、ない、宿題をやった、やっていないくらいしか考えていない。そんなくだらない場所に、命令されたって行くものかッ」
去年の夏頃から、IS学園の警備が例年にないほど厳しくなった。若い楯無が急にやる気を出したおかげで、各国の諜報機関がてんやわんやの大騒ぎになったのである。IS学園に入学させるつもりで育成してきた人材のうち、諜報機関とつながりのある者の多くが巧妙に偽装した経歴を見抜かれ、書類選考の段階で落とされていた。
「……新型ソナーの接続試験を始めるぞ。アロウヘッド、準備、よろしいか」
マドカが助け船のつもりで仕事の話を振った。ケイトリンの発言に大いに引いてしまったことは、アヤカの反応からして間違いない。
――何で、私が気を遣ってやらねばならないんだ。
ISの展開レベルを上げ、バイザーの投影モニターに表示された手順書に目を通す。
やや遅れてアヤカの英語が響いた。
「
「了解、リモ・フォー、接続手順開始」