IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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湯煙温泉の惨劇(五) たったひとつの冴えたやり方

 

 千冬と真耶が束を連行したあと、残った桜はある一点を見つめていた。

 壁の花と化していた簪が、小さな声で告げる。

 

「……どうぞ」

 

 壁際に積まれた饅頭を脇に寄せ、許しが出たのでひとつ摘まんで口にする。ほっぺが落ちるようなうまさに、桜は満面の笑みを浮かべた。

 ——うまっ!? 何やこれ。どこの饅頭!?

 油断しきった顔つきでいると、スカートを履いていることを忘れてあぐらを組む。

 

「……見えてる」

 

 簪がぼそぼそと告げ、桜は驚きのあまり饅頭を喉に詰まらせて咳き込んだ。

 下着が見えているかどうか気にするところではなかった。

 胸を叩いて飲み下してから、ようやく足を閉じる。

 次女の奈津子から口酸っぱく教え込まれた乙女のたしなみ。乙女の深淵はいたずらに露わにすべきではない。男の子は狼。無防備なところを襲われたら一貫の終わり、と。

 簪が興味なさそうに立ちあがって、自分のスーツケースから荷物を取りだした。

 五〇〇ml入りミネラルウォーターのペットボトルが三本。小分けしたビニール袋に入ったカプセル。白い乳鉢と乳棒。

 

「さて」

 

 部屋のなかをぐるぐる回っていた箒が足を止め、簪の荷物を指さした。

 

「これはなんだ?」

「……あなたの恋煩(こいわずら)いを一挙に解決する……たったひとつの……冴えたやり方」

 

 箒は困惑した。

 ——恋煩いを解決する? そもそもなぜペットボトルやカプセルが出てくるんだ。

 そう、目で訴えかけていると、苦しげな呼吸を整える桜の姿が映った。

 

「……え? なんなん!?」

 

 桜はじっと見つめられ途惑った。

 注がれていた視線が不意に外れ、今度は机の上のペットボトルへと移る。

 桜も「たったひとつの冴えたやり方」セットが気になった。

 

「ええとこに水が」

 

 指先が触れた次の瞬間、簪に奪い取られた。

 

「……ダメ」

 

 と告げて、箒にペットボトルを押しつける。

 

「篠ノ之さんのやったか。すんません。水道水で我慢します」

「まあ待て」

 

 箒は簪の制止に耳を貸さぬままペットボトルの中身を湯飲みに注いだ。桜に渡すと、一口で飲み干してしまった。

 

「おおきに。助かったわぁ」

「なんて、ことを……」

「どしたん?」

 

 脳天気な声をあげる桜。簪はさしのべられた手をすばやく振り払った。尻餅をついたまま慌てて後ずさる。顔面蒼白であり、何かにおびえていた。

 

「ほんとにどしたん?」

 

 桜は簪の奇行を怪訝に感じつつ饅頭と水の礼を言い、外に出た。

 ——篠ノ之さんのお姉さん。どこへ行ったんかな。

 聞かねばならないことがあった。束はどうやら大きな誤解を抱いており、何度も暴言を吐いた。時として嫌なことや理不尽なことが降りかかってくるものだ、と予科練の頃から感じてはいた。できることなら誤解は解いておきたい。桜は視線を伏せる。

 廊下に落ちていた館内案内を拾い上げた。

 

「ん?」

 

 開き癖にしたがって案内を開くと、中に付箋が貼ってあった。「デュノア」と書かれている。

 ——ちょっと覗いてみるか。

 そう考えているうちに、シャルロットに割り当てられた部屋の前に来ていた。

 

「デュノアさん。おるー?」

 

 ノックをする。返事がない。

 ドアノブを握ったが、どうやら鍵がかかっていないようだ。

 足もとには誰かのスリッパが置いてあった。

 悪いかな、と思いつつ風呂場での爽やかな言動を思い浮かべながら扉をあけた。

 目線の位置に鳩の彫り物が掛けてあった。息を殺して(ふすま)を開ける。

 山麓に夕陽が溶け込み、つややかな金髪に赤みが差す。

 理知的な双眸が桜を捉えた。

 

「それ、試作スーツやろ。そうなん?」

「……」

 

 シャルロットは黙りこくった。彼女なら涼しげな睛を浮かべてはにかむはずだ。だが、目の前の人物は口元を引きつらせているだけだ。

 悪い予感を否定できない。早く口を開いてくれ。疑念を払ってくれ。桜は願った。

 

「冗談……やろ?」

 

 しばらくの間見つめ合ったあとで、いてもたってもいられなくなった。

 

「失礼しましたっ!」

 

 ——お、お、男!

 織斑一夏なら黒髪だ。日本人のはずだ。だが、今目にしたのは金髪で華奢な体躯。妖しさを醸し出した艶やかな少年の半裸を目撃してしまった。

 男の半裸なら見慣れている。鍛え抜かれた躰ならばかつて何度も目にした。もちろん全員が軍務につき、いざとなれば死ぬことを受け入れた男たちであった。

 ——時と場所がちゃう!

 IS学園の臨海学校は通過儀礼である。年端もいかぬ少女たちがこれから始まるであろう学園生活を彩るためのものだ。故に一部を除き男子禁制である。

 状況を整理してみよう。

 シャルロット・デュノアの部屋に半裸の男がいた。年齢は同年代くらい。彼の足もとにはシャルロットが身に着けていたであろう制服と下着。そういえば寝床の襖が少しだけ開いていたような気がする。桜はある考えに至り、何度も頭を振った。

 ——連れ込む? 男? そういえば、シャルロットさんには従弟(おとうと)が……。

 女好きの従弟がいる。携帯端末を取りだし、キーワードを入れて調べる。シャルロット・デュノアの父。若い頃の醜聞がわんさか出てきた。

 

『似なくていいのに悪癖までそっくりでね』

 

 ——まさか。まさか。まさか……。いいや、シャルロットさんにかぎってそんなことはあらへんっ!

 断言するだけの根拠がない。風呂場で少し話しこんだくらいの間柄だ。先日のトーナメントでクラスから孤立してしまい、彼女は専らひとりか一夏と行動していた。

 ——入れ替わった? そうだとしてもいつ、どこで。

 風呂から上がったあとの行動がわからない。

 踵を返すと、ちょうど四十院とつるむ櫛灘を見つけた。後を追いかけて訊ねた。

 期待通り櫛灘はシャルロットの動きを把握していた。

 

「夕食まで部屋で待機してるって」

 

 桜は礼を言い、シャルロットの足取りをつかむため一夏を求めて千冬の宿泊部屋を訪れた。

 

「織斑先生。ちょっと質問が」

 

 奥から千冬の声が聞こえ、すぐに入室許可が出た。

 桜は後ろ手に扉を閉めると、恐る恐る襖を開けた。千冬が湯飲みを置いて首だけ振り向ける。一夏の姿は見当たらなかった。

 

「佐倉。殊勝だな。何が聞きたい」

「一夏くんの居場所に心当たりはありませんか?」

「……佐倉が織斑に興味を抱くとは珍しいな」

「実は、デュノアさんが風呂から出たあとの行動を調べてるんです」

 

 千冬がやれやれと一息ついた。

 

「そんなことか」

 

 そのとき、奥の襖が開いて服とタオルの塊が転がり出てきた。

 

「ちーちゃん、ちーちゃん、みてみてー」

 

 というくぐもった声が聞こえてくる。

 篠ノ之束の顔があった。血走った眼が映る。衣擦れの音がする。タオルから手足が生え、ゆっくり起き上がって襟を直した。

 

「げっ。サクラサクラだ」

 

 束の声が冷ややかに響く。

 

「篠ノ之博士?」

 

 桜が訊ねると、束はツンと澄ました顔でそっぽを向いた。

 

「ちーちゃん。さっさと用事を済ませてお風呂に行こうよ。もうすぐ職員の時間だよね。男湯にはいっくんが入るんだったよね」

「そうだ」

 

 桜が目を瞬かせていると、束は桜を正面から見据えた。

 

「用事が済んだでしょ。だったら早く出てってよ。私はつまらないことにかかずらってはいられないんだよ。さあ、出てって」

 

 いったい何が気に入らなかったのか。束は苦り切った表情で桜を追い立てた。

 乱暴に扉が乱暴に閉まり、桜は肩を落として部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 

 本音がのぞきこんでいる。彼女に焦点を合わせると、嬉しげに笑みを浮かべてくれた。

 部屋着のフードを取り払い、少し考えるような素振りを見せてから唇を動かした。

 

「落ち込むようなことでもあったの?」

 

 桜はぶつぶつと同じことを繰り返した。

 

「シャルルとシャルロット。シャルロットがシャルル。シャルルがシャルロット……いったいどっちなん……」

 

 シャルロットの膨らみの感触を思い浮かべる。あの感触は本物だった。作郎時代の記憶と照らし合わせても、紛う事なき本物だった。

 

「デュノアさん? サクサク、デュノアさんと仲良かったっけ」

 

 桜は頭を持ち上げ、かすれた声を絞り出す。

 

「本音はデュノアさんのことどんだけ知っとるか」

「うぅ〜ん。デュノアさんかァ……」

 

 こめかみを人差し指で触れながら首をかしげる。その仕草がとてもかわいらしくて、桜は胸の高鳴りを覚えた。

 元々彼女の想いを好ましく思っていたから、今のような感情の昂ぶりが訪れてもおかしくはなかった。

 ——本音、可愛い。食べたい。……あかん。あかんわ。私、おかしくなっとる。少尉、すんません。布仏ぇ、すまんなあ。私は……にしても部屋、こんなに暑かったかなぁ……。

 

「彼女ってあんまり情報がないんだよ〜。私に聞くよりくっしーとかいっぴーのほうが詳しいと思うんだよね〜。織斑先生にやまやとか〜? あとはタスク系の生徒かなぁ」

「……タスク系?」

 

 本音の口から初めて聞く単語だった。

 思考を中断し、本音が発するであろう次の言葉に集中する。

 そうしなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

「そうだよ〜。タスク社に所縁(ゆかり)のある生徒のこと。ほら〜ラファール・リヴァイヴって今じゃタスク社の商品だし、自分ところに新商品が出たら、とりあえずどんな製品か目を通すようにするよねぇ。新たなISパイロットが増えたら情報がいくと思うんだよね」

「本音は物知りやね」

「そうでもないよ〜」

 

 てひひ、と本音が笑った。

 いつもなら彼女との会話で落ちつくところだが、今日は違った。

 胸のドキドキが一向に治まらない。

 シャルロットの部屋で見た男、いや少年の姿がよほど衝撃的だったに違いない。そのはずだ。そう考えなければ理性を保てなってきたからだ。

 

「タスク系の生徒ってどんな子がおる。知っとる?」

「知ってるも何も結構いるよ〜。サクサクといつもつるんでる子もいるよ〜。彼女、IS持ってないから知らないのも当然だけどね〜」

「へえ……誰なん。もったいぶっとらんで教えて。な」

 

 しばらくして、本音がひとりの少女の名を告げた。

 

()()()()

「え……」

()()()()()()()()()()。彼女のお父さんとお母さんはタスクの技術者なんだよ〜。あと、おじいさんはロシアで新しいISを造ってるんだ。ジャール・プチーツァ、日本語で火の鳥とか朱雀って言うらしいね」

 

 

 

 

 

 

 袋にはココナッツミルク、と記されている。

 まもなく興味を失って白いパウダーを持ち主へ返す。

 興味対象はペットボトルに移った。

 

「私は説明を求めている」

「だから……何度も言っている。このペットボトルの水こそ……たったひとつの冴えた……やり方」

 

 箒は依然として怪訝そうな目を向けていたが、無駄だと悟った。

 簪は能面のごとき表情で乳鉢とパウダーをスーツケースへ再び納めた。桜に水をやったときだけ、この日初めて表情が崩れたのだ。

 

「その水を持って、今から風呂場に行って」

「なぜだ」

「織斑一夏が風呂から出てきたら……すかさずその水を差し出して。……その後、ふたりきりで話をすれば自ずと結果が現れる……明日が楽しみ……」

 

 廊下に押し出され、扉を開けようと踏ん張った。中から鍵をかけられてびくともしない。

 

「……早く、風呂場に」

 

 精一杯声を張り上げているのがわかった。箒は釈然としない顔つきで風呂場の出入り口に向かう。

 窓に映った自分の顔を見つめていると、自販機の脇におかれた冷水機が目に入った。紙コップを手に取り、スツールに座って一夏を待つ。

 ぼんやりしながら出入り口を窺う。

 歌うように(さえず)る生徒たち。

 頬杖をつく箒を一瞥したが、握りしめたペットボトルには見向きもしない。

 目を伏せて簪の言葉を思い出す。

 ——織斑一夏に未練がある。

 唇を咬んで(うつむ)くしかなかった。反論できなかったのだ。

 一夏との出逢い、思い出。

 美しい記憶がある出来事を境にどす黒く染まっていく。

 彼の笑みは一体誰に向けられているのか。自分ではない誰かなのかまではわからない。いつかは自分の許へ戻ってくるだろうと安心していたつもりが、彼はそのまま遠くに行ってしまうのではないか。

 一夏争奪戦において、首位についているのがシャルロット・デュノアだ。彼女は箒や鈴音が切望していた彼の隣を占めている。ビーチではべったり。華やかな容姿に高い教養を身に着けており、男を飽きさせない。

 

「勝ち目がないじゃないか……」

 

 淋しげな吐息が漏れた。

 持参していた携帯端末にメールの着信があった。

 更識簪からだ。

 意訳すると『もし本音を見つけたらサクラサクラに見つかる前に連れて逃げて。私もすぐ行く』という旨が記されていた。

 あわてて打ちこんだらしく、彼女にしては誤字脱字が目立つ。

 しばらくして廊下が騒がしくなる。何者かが廊下を走っており、教師が注意を与える。

 クスクスという笑い声が聞こえたので、視線を向ければ桜と本音が並んで歩いく光景を目にした。

 ——おや?

 普段ではありえない様子を見せつけられてうろたえる。

 

「こ、恋人つなぎ」

 

 一度は夢想するアレだ。本音から迫ったならともかく桜のほうが積極的に本音と触れあおうとしている。

 別れてから一時間しか経過していないのに、もう関係が進んでしまったのか。

 あまりにも進歩的すぎる。きっと櫛灘の配慮が功を奏したのだ。

 

「おめでとう。ふたりとも」

「えっ!?」

 

 驚いた本音がその場に立ち尽くした。

 

「篠ノ之さんでもそう見えるのっ!?」

 

 どうやら図星のようだ。いつもの間延びした口調が消えている。

 

「佐倉。お前は覚悟を決めたのだな」

 

 桜は頬を赤らめたまま本音を壁際へと追いやる。

 異常を察した本音は必死の抵抗を試みたが、普段桜が決して見せないような上品な笑みに絡め取られてしまう。

 

「さ……サクサク……篠ノ之さんが……見てるよ」

「構わん。篠ノ之さんには証人になってもらえばええ」

「何の」

()()()()()

 

 顎をすくい上げ、ふたりの顔が重なる——。

 

 

 


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