IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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間話
間話・港にて


 目覚めると季節外れな(アザレア)の香りがした。点滴の針を腕に刺したまま窓辺に詰め寄る。

 そこは雑踏で、パリの夕暮れ(ソワール・ド・パリ)ではなかった。

 幅六〇センチほどの一人用の書机に一通の封書がある。

 フランス語の筆記体で書かれ、中央に大きく「姉へ」とあった。裏返すと、シャルルと署名されている。

 シャルロットは眼を見開いて周囲を見廻し、ベッドの傍らに据え付けられたデジタル時計の表示に気づく。

 貌をしかめながら記憶を掘り返した。思い出したくもなかったが、久しぶりに会った従弟はほぼ次のように言っていた。

 

「やあ、姉さん。何日ぶりかな。僕を置き去りにしたと思って、何度も会いに行ったってのに袖にされてばかりだったけどようやく会えたね。

 嬉しいよ。姉さんはやっぱり僕の姉さんだ。

 叔父さんのデュノアは買収さ()れちゃったけど、義母さんのデュノアはまだ健在だよ。いずれ僕が継いでもっと、もっと大きくするんだ。

 誓うよ。大きくなったら姉さんを迎えいれよう。また僕と一緒に暮らそう。デュノアは姉さんを必要としている。姉さんが輝けるたったひとつの居場所は、デュノア、だけなんだよ」

 

 従弟(おとうと)は涙目になってシャルロットの手を取っていた。

 そのとき発熱で意識朦朧としていた。子供の頃から芝居がかった言動で大人受けした——つまりマセガキだった(従弟)が珍しく、体調を崩した姉を心配していたのだろう。

 それにしては従弟の掌がやけに湿っていた。

 シャルロットは従弟のシャルルを嫌っていた。同じ病院で同じ日に生を受け、ある時期まで同じ場所で同じ教育を受けた。常に努力をせねばならかなった自分とは違い、彼は何もかもをそつなくこなす。幼いながら嫉妬心を覚えたのだ。別離を幸いとしていなかったものと思って、自分の人生を謳歌してきた。

 また、あいつだ。

 従弟がきた。

 手柄をすべてかっさらっていく。どうして、どうして——答えの出ぬ悩みにつきまとわれる。

 六月下旬。

 シャルロットは学年別トーナメントで敗北を喫した。タスク社のスコール・ミューゼルは労をねぎらったが、瞳の奥では失望していた。更識簪を撃破できなかったばかりか、その簪が素人(サクラサクラ)によって相討ちに終わっている。

 打鉄零式は、一部界隈ではゼロ、あるいはジーク(Zeke)と呼び表す声があった。しかし、シャルロットが駆ったラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡは善戦するも調整不足という評論が多数を占めたのだ。

 スコールへの報告から数日経って、シャルロットは体調を崩した。診断結果は過労である。睡眠導入剤を処方されたが、とても飲む気にはなれず、かといって一夏に心配をかけるのも嫌だった。

 まくし立てるようにしゃべるポーランド人が箒を引っ張って川崎大師へと出かけていった後、寮のベッドの中で悶々としていた。シャルルの訪問はちょうど寮から人気が消えた昼下がりだった。

 シャルロットは従弟を一刻も早く追い返したかった。なぜなら従弟は大の女好きである。虎を檻から放つようなものだ。彼がクラスメイトをたぶらかし、学園内で凶行に及ぶ姿を想像して、シャルロットは青ざめてしまった。

 

「わかった。いずれそうするかも。

 で、ほかには。連絡することがあるんだよね。……見ればわかるよね。調子が悪いんだ。早く言って」

 

 シャルルのことだ。口にせずとも察するはずだ。実際、つっけんどんな口調に、彼はひどく動揺したようだ。

 

「僕はただ、ただ、姉さんには休んでいて欲しいんだよ……」

「わかってるじゃないか。だから寝る。薬を飲んで寝るから。必要なことはメールでお願い」

 

 シャルロットは薬を飲んだ振りをしてから、制服にシワができるのも構わず背を向けて布団をかぶった。

 早く出て行け、と念じる。

 眼をつむっているうちに、本当に眠くなってきて、そのまま意識を手放したのだ。

 慎重な手つきで点滴の針を抜いて止血し、シャルロットはもう一度日付を確かめた。

 ——七月■日。

 臨海学校のしおりによれば温泉旅館に到着したのは()()である。

 

「えっ……今日、臨海学校? 島、行っちゃった? え!?」

 

 二日ほど眠っていたことになる。

 

「というか、ここ、どこ!?」

 

 ゴミを捨てた後、書机の引き出しを開ける。聖書とホテルの紹介冊子があった。個人携帯端末のGPSを有効にして、地図を閲覧する。

 都内港区。フランス大使館に徒歩で行ける距離だった。シャルルは律儀にも宿泊先をメールにしたためていた。

 画面に指を滑らせる。文面の最後まで目を通し、気になる文字を目にする。

 携帯端末をうっかりベッドに放り投げていた。

 

『姉さんの代わりは任せて』

「わああああっ!!」

 

 よく見れば眠る前は制服であったのに、いつのまにか寝間着に変わっている。下着も上下共に異なった。

 クローゼットを開け、浴室のシャワーカーテンを開けて、机やベッド下までくまなく探したが、肝心の制服がなかった。

 シャルロットはベッドに腰掛け、震える手で携帯端末を拾い上げる。

 別のメールが届いており、写真が何枚か添付してあった。

 シャルルは女顔である。女好きで、しかも恐ろしく手が早い。シャルロットと同じくユニセックスを好んでいたが、なぜか自身が女の扮装をすることに何の痛痒も感じていなかった。

 そう、写真にはシャルロットの制服を身につけた従弟の姿が違和感なく映っていたのだ。

 フリルの入ったスカートを翻し、広葉樹の隙間に零れた煌めきのなかで、軽やかな笑みを浮かべて踊っている。

 

「あいつッゥゥゥ!!!」

 

 一瞬シャルル・デュノアがIS学園の職員に取り押さえられ尋問される姿を思い浮かべたが、すぐさまこの考えを打ち払った。

 シャルロットの見舞いに来た時、IS学園はもちろん、フランス大使館とIS委員会、そしてタスク社から面会の権利を得ていた。でなければ、学園に無傷で侵入できるはずがない。

 シャルロットが叫んだのは、様々な懸念が頭をよぎったからだ。女好きでありながら、男同士の恋愛に拘泥しない。

 幼かった頃、シャルルはよくシャルロットの所有物を欲しがった。持ち物や食べ物を分けてやっていたが、彼はそれだけでは飽き足らず淡い初恋相手をも奪ったのだ。

 初恋の相手は、シャルルに告白し、短い期間、その少年との交際を受け入れてしまった。

 今度も同じことをするはずだ。織斑一夏との恋愛を横取りするに違いなかった。

 シャルルが身につけていたと思しき衣服を見つけて袖を通す。荷物をまとめていると、学園から貸与された端末もなくなっていた。

 制服と一緒に持ち去られていた。

 最低限の情報しか入力していなかったが、激しく動揺した。

 一夏との二人きりで撮った写真を壁紙に設定していたのだ。エレベータで一階に降り、フロントに鍵を預けた。ポロシャツを身につけた男達の横のソファに腰掛け、〈みつるぎ〉に電話をかけ、巻紙礼子を呼び出す。

 〈みつるぎ〉は仕事が早い。デュノア社から付き合いがあったので無理を言いやすかった。

 

「お電話代わりました。渉外担当の巻紙でございます」

「デュノアです」

「シャルロットさん。あれ? あなたって、今臨海学校なんじゃ」

「お願いがあります。大至急、すぐに手配してもらいたいことがあるんです。細かい事情は聞かないでください」

 

 巻紙はシャルロットの事情を察したのか、声から抑揚を消す。

 

「でしたら……用件をうかがいます」

「都内から神津島へ向かう便を手配してほしいんです。海・空、手段は問いません。最短で行ける方法が知りたい」

「居場所は、今、どこにいますか」

 

 シャルロットはホテルの名前を伝えた。

 

「でしたら、高速ジェット船で八丈島へ向かい、ISで神津島まで飛ぶか。あるいは、調布飛行場から神津島行きの直通便が飛んでいます。そちらに乗るのがよろしいかと存じますが……どちらに致しますか」

 

 シャルロットには後者しか選択肢がない。ISで八丈島・神津島間を飛ぶなどと、日本国の航空法を無視した提案は論外だった。

 ほかにも手段があるはずではないか。

 日本に渡る前、フランスで買ったガイドブックには東京湾から伊豆諸島へ船便が往還している、と書いてあった。

 

「高速ジェット船のチャーターは……」

「この時期は四菱やタスクがみんな押さえてますよ。一年前からね」

「……今から調布に向かうので、段取りをお願いします」

「かしこまりました。何かあったら私の携帯にお願いします」

 

 シャルロットは腕時計を見た。

 朝の十時を回っている。

 個人端末で天気を確かめる。伊豆諸島周辺に雨雲はなく、波は穏やかなのでクラスメイトたちは今頃連絡船に乗り、昼までには神津島に到着するだろう。

 専任搭乗者や代表候補生は所属する国家や協力企業と打ち合わせて装備の試験に臨む。

 しかし、フランスIS委員会は今年、ラファール・リヴァイヴ用の新規装備の試験を行わない、と決定を下していた。デュノア社の買収騒動がシャルロットの未来に暗い影を落としていた。

 ラファール系のISはすでに十分すぎるほど装備が充実していた。本国にいた頃と訓練内容に差はなく、国花の名を冠した長距離飛行用パッケージ『アイリス』の慣熟訓練に勤しむよう指示されていたのである。

 地下鉄を用いて広尾から恵比寿に出る。そこから新宿へ向かい、私鉄に乗り換えて調布に移動する。巻紙から調布駅へタクシーを配車したと連絡があった。

 私鉄は新宿始発であるためか座席を確保できた。扉のすぐ隣に座り、膝の前に荷物を入れたスーツケースを置く。発車を知らせる警笛がなったとき、学生と思しき男女が走り込んだ。閉じかけた扉がまた開き、男女を収容してすぐに出発した。

 シャルロットは逸る心を落ち着かせようと深呼吸する。焦ったところで状況は変わらない。

 トゥールーズのデュノア社は自社ブランド以外にもISスーツのOEM生産を行っていた。タスク・アウストラリス社が〈Dunois〉ブランドのOEM版ISスーツを販売していることもあって、トゥールーズのデュノアとスコールには面識があった。スコールが次期後継者であるシャルルを知らぬはずがない。

 無駄だと念じながらスコール・ミューゼル宛てにメッセージを送る。

 シャルル・デュノアの所在について。

 ——まさか、ね。

 送信完了の文言を目にしたとき、愚かな想像が脳裏を過ぎる。

 想像は、仮にスコールが聞けば顔色を変えて戒めるのだろうか。

 埒もなく想起していると列車が徐々に減速していった。速度が早すぎたのか急な制動で肩が揺れ、シャルロットはある事実を思い出す。

 スコール・ミューゼルは同性を愛することしかできなかった。従弟ならば軽はずみな言葉を口にするだろう。『姉さんがミューゼルさんと寝ればいいんだよ』

 シャルロットの顔が歪む。彼女は調布に到着した。

 

 

 

 

 

 

 淡い風が耳元を過ぎ、颯々(さつさつ)と吹くにいたって髪が乱れぬよう頭を押さえる。

 陽光が照りつけ、これから搭乗するドルニエ228-212 NGの翼面が白く光った。

 乗客が次々と乗り込んでいく。彼等の後を追って、導かれるまま航空券(チケット)に記された座席へ向かう。

 ドルニエが飛び立ってしばらくして、窓から海原を見やった。

 白灰色の巨大な島が横須賀沖に浮かんでいた。

 いや、島、というにはあまりに角ばっており、二枚の長方形の板が並んで置かれているようだ。

 それが何物であるか、シャルロットはすぐにわかった。

 海上自衛隊が保有する最大の移動式浮体である。興奮する乗客——全員男性——がシャッターを切るのを横目に、シャルロットは神津島へ着いてからの行動計画を確かめる。

 神津島空港から港へ行くのに必要な準備はすべて整っていた。巻紙が組んだスケジュールの通りに動けば、シャルルと落ち合うことができる。

 山が迫ってきた。ドルニエがぐんぐん高度を下げている。減速するにつれて機体の振動が直接伝わってきた。「着陸態勢に入りました」機長が知らせる。

 約四五分の旅が終わり、島に降り立てば午後の日が容赦なく照りつけていた。

 雲量二。青い空の隙間を埋めるように、ぽつぽつと雲が浮かんでいる。

 晴れて輝く空は、遥か成層圏まで続いていて、一筋の飛行機雲すらない。

 臨海学校の期間内、ISが飛行すると確定している区域には飛行制限が設けられているのだ。

 シャルロットはタオルハンカチで頬を押さえた。迂闊なことに制汗剤の塗布を忘れてしまった。

 個人端末に目を落として早足で手続きに向かう。日常会話と日本語の簡単な文章を書くことができた。詩的な表現となると、どんな字を当てて良いのか悩むのだが、到着手続きには事足りた。

 ターミナルを出ると、中型タクシーが待っていた。白地に青いラインが入った車両で、運転手は珍しいことに若い女性である。

 巻紙がタクシー会社に言い含めていたらしく、彼女の名を出すだけで運転手が行き先を理解する。

 神津島港へ向かう途中、車内でシャルルに電話をかける。根気強く七回呼び出し音を聞いてから通話ボタンを再度押した。冷房のなか、端末の筐体をもてあそびながら窓の外へと視線をやると、樫や(くぬぎ)といった木々や雑木が過ぎ去っていった。

 港に降り立ったとき、潮風が肌を打つ。

 足許に咲いたノアザミを避けて歩くうちに舗装された道路に行き当たる。

 岸壁にはフェリーが停泊していた。遠目に見慣れた制服を着た少女たちがうろつくのがわかった。

 シャルロットは立ち止まり、見回した。自分になりすましたシャルル・デュノアの姿を探す。

 

「どこにいるんだッ」

 

 怒りと焦燥で心の奥が疼く。いちばん危険なのは一夏だ。シャルロットに扮した彼が言葉巧みにたぶらかし、爛れた関係を結んでいたとしたら……。首を左右に激しく振って愚かな想像を振り払う。

 シャルルは確信犯だった。IS学園という強固な要塞の外へ出て、無防備になる瞬間を狙って潜入する。シャルルの変態的な試みは成功したのである。

 防波堤に身を潜めながら、端末が震えるのを待った。巻紙が信頼しうる筋に連絡している。港湾職員のなかには〈みつるぎ〉やタスクへ優先的に情報を提供する者がいる。

 シャルロットはそのことが何を意味するのか知らなかった。また、解りたいとも思わなかった。

 同級生に見つからないように移動した。

 堤防からすこしだけ頭を出すと、紺一色の海が広がり、緩やかな弧を描いた水平線が浮かんでいる。

 きらめく水面(みなも)の風景に心を奪われ、躍り出て浜遊びをしてみたくなった。

 本当なら()()の昼半ばに泳ぐ時間が設けられていたのだ。

 従弟に機会を奪われた、と腹を立てる。が、もし女生徒のなかに少年(変態)がまぎれ込んでいたとわかれば祖国が顰蹙(ひんしゅく)を買うのは避けられない。懊悩のあまり苦痛がこめかみに及んだ。

 

 

 

 

 

 

 シャルロットは堤防に沿って歩いていた。携帯端末を握りしめ、小さな声で従弟への恨み言を反芻していた。

 道沿いに巻紙が指定した建物が見える。真新しい四階建ての建物で、据え付けられた看板によれば一階が事務所になっていた。二階の窓際に段ボール箱が重ねて見えたので、どうやら倉庫のように利用されているらしい。

 建物の裏側に回り込み、扉の前で暗証番号を入力する。細い階段を上って最上階にたどりついた。会議室と思しき部屋が二つあった。401号室。鍵はかかっていない。シャルロットは外から自分の姿を悟られぬような場所に陣取り、パイプ椅子の背もたれに身を預けた。

 ジリジリ、と建物が震えた。

 身を潜めながら壁際を伝い、窓から海辺を窺う。

 港に居合わせた人々はみんな空を見上げていた。

 色彩豊かな煙が立ち上り、揺れてたなびいて西へ流れていった。

 驀進する何かが大気を押し分けていた。ずんぐりとした航空機が緊密な五機編隊を保っている。

 航空自衛隊のF-35A(ライトニングⅡ)だった。IS学園の生徒を歓迎するためか、横一列に並ぶラインアブレストを披露していた。

 見とれていると、机に置いた携帯端末が震え出した。

 端末の画面が点灯している。名前欄には『シャルル・デュノア』という文字があった。思わず目を見開いて棒立ちになってしまった。

 

「……来たっ」

 

 シャルロットは我に返って、携帯端末へ飛びついた。素早く通話ボタンに触れ、従弟の第一声を待つ。

 

「姉さん? 姉さんかい?」

「……そうだよ」

 

 と、フランス語で応じた。彼は近くまで来ているという。

 

「やあ。二日ぶりくらいかな」

 

 電話からではなく、背後から聞こえた。IS学園の制服を着こなし、フリル付きスカートからスラリとした太ももが伸びている。華やいだ笑顔が殺風景な会議室を彩った。

 だが、シャルロットは口を何度も開閉させる。

 

「あ、あ、あ」

 

 フランス語で答えるべきか、日本語で答えるべきか。頭が真っ白になり、再起動した瞬間、すさまじい速度で演算を始める。状況を把握したかった。

 眼前にいる彼は、どこからどう見てもシャルロット・デュノアだったのである。

 従弟は開け放たれていた扉をゆっくりと閉じる。

 静かだった。

 従弟はゆっくりとした足取りで目と鼻の先で立ち止まった。

 

「こんにちは」

 

 シャルロットが機械的に言い放った。

 単純な答えが意外だったのか、従弟は一拍おいてオウム返しに答えた。

 

「こんにちは」

 

 シャルロットは額に手を当て、よろめきつつ先ほどの椅子へ腰掛けた。呆気にとられるあまり、怒る言葉まで忘れてしまった。従弟は自然な笑みを浮かべ——やはり女子にしか見えない——向かいの椅子に座った。

 

「姉さん。ボクは姉さんの代わりを完璧に務めたよ」

 

 シャルロットはぼんやりとしたまま従弟を見つめる。

 

「……はァ?」

「姉さん。織斑一夏くんは、いや、姉さんの彼氏は、とっても積極的だったよ。姉さんより先に唇を重ねるのに罪悪感を感じちゃって、控えたんだけど、よかったよね? 僕、うまくやったよ」

 

 待てども待てども勝手に制服を借りたことへの釈明はなかった。

 

「シャルル」

「うん」

 

 シャルルが、コテン、と小首をかしげる。科を作る様がシャルロットよりも巧みで、艶っぽい。

 シャルロットはほだされそうになった自分を嫌悪する。

 シャルルが善意で代わりを務めたのは間違いなかった。暴挙に出た真意を根堀り葉堀り聞き出す気力と根気が失われていたので、シャルロットはどうにかして微笑んでみせようとする。

 だが、できない。

 胸に手を当てて考え、奇妙な感覚に苛立った。

 シャルルは誇らかに胸を張って、得意げな調子で告げた。

 

「一夏は女の子が大好きだね。僕、親近感を抱いちゃった」

「……どういうこと?」

「あ、これ、言っちゃっていいのかな」

「別に言わなくともいいよ。どうせ、櫛灘さんあたりが教えてくれるから」

 

 クラスから孤立しているとはいえ、櫛灘や藤原あたりが気を遣って声をかけてくれるのだ。

 

「いいや、知らなきゃダメだよ。その場に僕もいたんだから」

 

 耳を傾けざるを得ないようなずるい言い方だ。

 

「言ってみて」

 

 仕方なく聞いているんだ。殊更に辛辣な口調で言い放つ。

 

「一夏は三股かけてるよ」

 

 しばらく時が止まったようだ。

 

「三股ッ!? 冗談なら止してよッ!?」

 

 唾がシャルルに飛ぶ。一瞬、喜んだような表情をしてせたので、見なかったことにする。

 

「理由を言いなよ。事と次第によっちゃ怒るよ」

 

 シャルルは目撃しただけなのだから、怒りを向けるのは不当な発言だ。しかし、親戚同士でもあるので多少の理不尽は許されると思った。

 シャルルがもったいぶるように姿勢をただした。

 

「篠ノ之箒と凰鈴音とキスをしたよ。フレンチだった」

「まさかっ」

「残念だけど、彼は本気で口説いてたよ」

 

 シャルロットはフランス人だ。フレンチ、といえば濃厚な、という意味である。シャルロットの心に荒んだ風が吹く。記憶のなかの一夏は手を触れるのも恥ずかしがるような少年だった。暗い部屋で一瞬だけ良い雰囲気になった。だが、彼は手を出してこなかった。

 礼儀正しいのではない。織斑一夏はあのとき、関係を進めてしまうことに躊躇した。

 織斑一夏の彼女であること。その立場が揺らげばスコール・ミューゼルがさらに失望してしまう。失望が続くたびに、シャルロットの居場所がなくなっていく。彼女は負けた。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡは一番ではなくなった。

 

「ど、どうすればいいんだ」

 

 これまで恋愛経験がなかったシャルロットにとって、三股説は残酷な効果をもたらした。

 遊ばれているのではないか。一夏への思いに疑惑の楔がうがたれたのだ。

 

 

 

 

 

 

「変なことに使ってないよね」

 

 服を交換したシャルロットは、思わず声を上げてしまった。

 対して、シャルルは即座に否定する。

 

「そのあたりはわきまえてる。危険を冒してまで姉さんの代わりを務めたんだ。僕はたまらなく幸福と達成感で満ち足りているんだ。おお、主よ。試練に感謝します、ってね」

「よくわからないけど、エッチなことはしてないんだよね」

「うん。もちろん」

 

 シャルロットはもし変なことに使っていたら制服を破棄するつもりでいた。

 変な匂いがついていないか気にするが、シャルルの言い分は正しいようだ。

 シャルルは学園支給の携帯端末とは別に、シャルロットの個人端末そっくりな端末を隣に置いた。

 

「これは?」

「僕からのプレゼント」

「ふぅん。じゃあ、いらない」

 

 端末を振りかぶり、ゴミ箱へ向けた。

 

「違うよ!! 冗談だよ!! ミューゼルさんが姉さんに渡せって言ってたんだ。本当だから」

「……仕方ない」

 

 シャルロットが端末をポケットにしまうのを見とどけてから、シャルルはワックスをつけて無造作に髪を整えた。

 椅子に腰掛け、自分の携帯端末を取り出して目を落とした。一度だけ顔をあげて、

 

「そろそろ戻ってあげなよ。彼をひとりにしちゃいけない。彼は——」

「言われなくてもわかってる」

 

 シャルロットの答えに、シャルルは肩をすくめる。

 東京湾沿岸にミサイルが撃ち込まれ、日本国内の景気を直撃して混乱が加速していた時期に、ふたりは親元から引き離され施設に入った。シャルロットがデュノア家に迎え入れられたときには、ひとりで何もかもを背負いこもうとするようになっていた。シャルルには不満だった。もっと頼って欲しかった。

 

「じゃあね」

 

 無言で退室した従姉に向けて、小さく口にした。

 

 

 


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