なお、章題の読み仮名は『しこのみたて』となります。
よろしくお願いいたします。
醜の御楯(一) 揚陸艦
朝、バスで港へと案内された桜は、不格好な船が接舷していることを不思議に思った。
桜は何度もつま先立ちになって、前方の様子をうかがった。
「何か見えたー?」
「進んどるような、進んどらんような」
問いかけた朱音を見て首を振る。八時を回り、陽射しが強くなってきている。どういうわけか、ショッキングピンクの自動二輪車が優先搬入となった。タラップを悠々と登っていた女性の後ろ姿が船上へと消える。
列が動き始め、手荷物を抱え上げるときのかけ声がそこかしこから聞こえ出した。
船へと近づいていく。カーフェリーだと思いきや艦種に気づいてしまった。
――――輸送艦……ちゃう、揚陸艦。
艦首部に角のようなアームが生えていたからだ。かつてアメリカ海軍が運用していた、ニューポート級戦車揚陸艦の特徴そのものだった。
タラップの脇に『
下田港と伊豆諸島を結ぶフェリーであっても、生徒や引率の教員程度の人数ならば十分に輸送可能なはずである。退役した老朽艦を引っ張り出してきたのは、つまりは、人間以外の貨物を運ぶためなのだろう。
桜は誰にも見られないように、俯きがちに顔をしかめる。
くすぶっていた濃い闇が心の中を覆っていく。記憶の蓋を開ければ、今でもはっきりと船員の強張った顔が
「わー」
「揺れてる。揺れてるっ」
生徒がきゃっきゃっと歓声を上げる。白いペンキを塗りたくったような鉄扉の奥へと進む。赤い絨毯の先には畳部屋があった。
「ささ。入って入って。そこー、入口で固まらないでー」
副担任の弓削がよく通る大きな声を出した。朱音の後について部屋に入ろうとし、立ち止まってしまった。明らかに生徒でない人物が寝転がっていたからだ。
寝息を立てる女性を避けて通り、壁際に荷物を置いてから弓削に確かめた。
「弓削先生。あの人……」
「佐倉さん。気になっても起こしちゃダメ、近づいても触ってもダメだって織斑先生が言ってた」
ほら、と指さす。
『仮眠中。起こすな。起こしたら私の時給一時間分を請求しちゃんだからねっ♪』
丁寧にQRコードが添えてあった。ナタリアが面白がって携帯端末をかざす。出てきたウェブページを開いてみせた。
「どんなん?」
集まった皆と同じく、桜も興味本位で画面をのぞいてみた。タイトルは世界長者番付まとめサイト。高給取りだろうから医師のアルバイトくらいの金額かと思いきや……。
「USドル……。ほんまに円やないん……?」
単位はアメリカドル。総資産額と一年間で増やした資産を月給・日給・時給・分給へと変換した値が記されている。金額を目にして怖くなり、そそくさと荷物の元へと戻る。思うところがあって、振り返る。女性はアイマスクと耳栓をしていて、手の甲にはキャラクターものの絆創膏を貼っていた。
出航を知らせる艦内放送。行き先の島までは約二時間半の予定である。
旅のしおりには自由時間とあった。友人とのおしゃべりに興じてもよいし、室外へ出て潮風にあたるのも良い。寝てても良いし、読書に興じても良い。船内はWi-Fi完備だ。
とはいえ、三組の生徒の大半が室外へと移動していた。部屋のど真ん中で信管付きの爆弾が寝転がっている。
桜は四組の部屋を訪ねた。簪の様子を確かめたくなったのだ。もちろん、昨日の騒動のことはしっかり覚えており、昨日の感触も忘れていない。
四組に宛がわれた部屋へ顔を出す。簪のクラスメイトは、桜の顔を見るや求める答えを与えてくれた。
「更識さんなら先生たちと一緒に反省文書いてるよー」
「……おおきにー」
簪の自業自得である。
次に一組の部屋へ向かう。本音の姿を探したが、見当たらなくて、しかたなく畳部屋へ戻った。除湿が聞いていて心地よい。その証拠に残っていた生徒が寝転がっている。
手荷物の側に腰を降ろし、横になる。船の揺れを感じるうちに、桜も微睡みへと落ちていった。
▽▲▽
少しばかり早く神津島港へ入港した。揚陸艦から下船した少女たちは、潮の香りを感じつつ、集会所脇の仮設テントの前で立ち止まった。
机に整然と並べられた
赤・青・黄・緑の四色で分けられていた。表面が茶色の長机は色ごとでまとめられ、真っ正面にはA4の用紙で大きく1~4までの張り紙がしてあった。
「あっついよー」
立ち止まっていた桜の脇を、一組の相川が駆け抜け、仮設テントの真ん中で膝をつく。ちょうどスポットクーラーの通風口の真ん前で、上衣代わりの体操服を鳩尾の高さまでめくり上げた。
その様子を見つけた岸原がすかさず、相川の隣を陣取る。服こそめくりあげなかったが、肩を寄せ合う形でお互い好ポジションを譲らなかった。
桜は日陰へと移動してから振り返って空を見た。
雲量二。天気は晴れ。
立っているだけで汗がにじんだ。
「佐倉さん。佐倉さん」
「先生?」
仮設テントの端で、弓削がパイプ椅子に腰掛けながら右手で手招きしてみせる。
桜が寄ると、左手で隣の椅子を引いた。濃い赤色のクッションを叩きながら、もう一度手招きしてみせた。
「ええの?」
「立ったままじゃ疲れるでしょ。体力温存、温存」
「先生……おおきに」
ギシリ、と椅子がきしむ。
弓削の前に五〇〇ミリリットル入りのペットボトルが数本並んでいた。足下には赤いクーラーボックス。二四本入りの段ボール箱が積み上げられている。
桜は座ったまま波打ち際をぼんやりと眺めた。
突き立つ杭に白色の看板がついていて、矢印と共に『コース』なる文字が描かれている。隣接する駐車場には大量の
桜は肌に風を当てるべく制服の胸元を前後させている。視線を集会所へと移す。
「中には入れないんですか」
「荷物の搬入中。早く着いたけど受け入れ側の用意が間に合ってなかったんだって」
桜は左腕を返した。
「……それでも予定通り、と」
「そういうこと。暑いよね――」
「先生……あれは?」
ロードバイクを指差す。大きな麦わら帽子を被った真耶がクリップボードを持ったまま作業員たちに指示を送っていた。接近してきた相川たちを呼び止め、何事か注意している。
「あー。今は気にしなくていーよー。後でわかるからー」
「教えてぇ、せんせー」
桜は猫撫で声を出してみた。
だが、弓削は顔の近くで手を仰ぐだけだった。
「ちぇーっ、やまやに怒られちゃった」
戻ってきた相川が口を尖らせる。桜の隣の折りたたみ椅子に腰掛け、両足を前に投げ出した。スカートがめくれたまま汗で張り付き、健康的な肢体が露わになった。それどころか、フリルの裾を持ち上げて上下に揺らしさえした。
「あっちー、キンキンに冷えるクーラー欲しい」
「
「うへー南ってだけであっちっちー。ダメだ。呂律が回ってないよー。弓削せんせー、熱中症みたいでーす。休んできていーですかぁー?」
相川が手を挙げ、冗談めかして告げた。その割に滑舌がしっかりしており、めまいや立ちくらみといった様子もない。大量の発汗もないのであからさまな嘘だとわかった。
桜が苦笑を浮かべる。下船したばかりの女生徒が近寄ってきた。その女生徒は白いワンピースを身に着け、麦わら帽子の下に美しい金髪を隠している。
「虚偽の報告はお止しなさい。あなたが本当に気分が悪くなったとき、あなた自身が困りますわ」
声でわかった。セシリア・オルコットだ。
「いつ見てもセシリアは可愛いなあ」と相川。
セシリアは相川を無視して帽子の庇を上向けた。
「弓削先生。織斑先生と連城先生が呼んでいましたわ。中に入る準備が整ったそうです」
「クーラー!」
「ほんまっ!!」
相川が飛び出し、一拍遅れて桜も続いた。
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