IS-サクラサクラ-   作:王子の犬

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醜の御楯(二) 真の臨海学校

 

 

『……テステス、マイクのテスト中。

 本日はお日柄も良く……赤巻紙青巻紙黄巻紙……』

 

 集会所のなかは空調が効いていて、少女特有の甘ったるさの入り混じった空気が、そこかしこに漂っていた。

 つかの間の心地よさに身を委ねながら、壇上へ視線を移す。

 マイクロフォンの調子を確かめる、アルバイトの大学生と思しき女性を見ながら、桜はスンと鼻を鳴らす。

 今日からが本番、ということだろうか。

 左手首にはめた時計のバンドを弄びながら、級友とのおしゃべりに興じている朱音の横顔を見やった。

 

寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水行末……

 

 朱音やマリア・サイトーが手を振ってきた。笑みを浮かべて返事とばかりに手を振ってみせる。

 再び壇上へと顔を向けた。

 

「……さん? なにやってるんですか!?」

 

 ざわめきのなか、山田真耶が色を失っていた。アルバイトの大学生に向かって、教師らしく注意を発している。常日頃笑顔を振りまく真耶にしては珍しい光景だった。

 桜は隣にいたナタリア・ピウスツキを小突く。

 

「どげんしたと?」ナタリアはきょとんとしていた。

「あれ」

 

 真耶が血相を変えて大学生を来賓席へと押し込んでいる。

 

「珍しか。山田先生が説教か」

「せや。珍しいもん見れた」

 

 真耶の厳しい顔つきを見たのはもちろん初めてではない。入試のとき、垣間見た表情を思いだす。

 

 ――巧みな操縦やった。

 

 初めてISに乗ってから数ヶ月。ただ、ただ、必死だった入試の光景が遠い昔のように思えた。

 不意の高周波音が耳をつんざく。片目を瞑って顔をしかめる。後ろから音がしたので、スピーカーの位置を確かめようと振り返った。

 

 ――今のデュノアさん?

 

 ひどく慌てた様子。炎天下を全力疾走してきたのだろう。汗で制服が濡れ、下着が透けている。肩で息をしながら前腕で額をぬぐった。

 

 ――パステルブルー……。

 

 シャルロット・デュノアは間違いなく女子だった。

 

「諸君!」

 

 ハウリングが収まった一瞬の間隙を突いて、織斑千冬の凜とした声が響き渡る。

 

「全員整列!」

 

 桜はあわてて前を向いた。

 

「これより臨海学校開会のあいさつを行う!」

 

 ちょうど右側に来賓、左側に教職員がならんで着席している。進行である織斑千冬の声がよく通った。

 千冬は来賓客の肩書きと名前を読み上げていく。

 まず神津島村長、東京都副知事など役人が数名。次にIS関連企業の社員。倉持技研、四菱重工、菱井インダストリー、タスク、リバーウエスト等々。

 千冬が次に読み上げる企業へと視線を移し、自然に息を継いだ。

 

「SNNのCEO兼開発主任篠ノ之束博士。海上自衛隊開発隊群の千代場(ちよば)(たけし)博士。また、本日は特別に、IS日本代表酒井(さかい)(かなめ)さんにもご参加いただいている」

 

 壇上の大人たちが腰を上げ、一礼していく。先ほどマイクテストしていた大学生もまた、一礼した。軽く編み込んだショートの髪が揺れた。

 

 ――日本代表?

 

 会場内がにわかにざわついた。

 圧倒的なカリスマだった織斑千冬(初代)。対する酒井要(二代目)の影の薄さ。第二回モンド・グロッソ大会時点で、近接部門の国内ランキング四位という微妙な立ち位置加減である。

 織斑千冬の現役引退を受け、二名が候補に挙がった。

 一名は海上自衛隊初の准将就任のため、千冬の後を追うように引退が確定している。

 もう一名は父親の急死により家業を継がねばならず、複雑怪奇かつ一般人には理解不能な事情によりロシア代表におさまっている。

 酒井は現ロシア代表が日本の代表候補生だった頃に、タッグマッチの相方を務めていたぐらいで、格段目立った戦績を上げていたわけではなかった。

 適任者不在の繰り上げ就任。あわやお家騒動という事態を国防関係の推挙が抑えた。ミサイルショックの際、迎撃のため緊急発進(スクランブル)し、殉職した数多の搭乗員名簿のなかに酒井の父親が含まれていたのである。

 

 ――航空自衛隊にいた、酒井(さかい)佐武朗(さぶろう)という人の娘さん。

 

 説明されなければ、普通の学生にしか見えない。織斑千冬が時折放つ、抜き身の刀のような鋭さをまるで感じられなかったのだ。

 

「自治体や近隣住民のご厚意により、先年に引き続き、()()()会場を使わせていただけることになった」

 

 千冬が行事予定を説明し始める。謝辞が続き、皆の集中力が途絶え始めた頃、本題に入ったのか、壇上の声に熱がこもる。

 

「諸君!」

 

 千冬は言葉を切る。生徒たちの表情に緊張感が生じ、全体に伝染していく。

 

「身体作りはできているな? できていないとは言わせない!

 やるべきことはやってきたはずだ!

 ……君たちの心に問おう。真の臨海学校とは何か」

 

 桜は海鮮丼や活け作り、天ぷらを思い浮かべた。千冬の表情から正解ではないと察した。

 

「様々な思いを抱いただろう。しかし、私の答えはこうだ!

 アクアスロンだ! スイム! ラン! バイク!

 透き通るようなエメラルドグリーンの海原。緑豊かな林野。この会場は、君たちの貸し切りだ」

 

 一呼吸を置いた。懐から取り出した紙を一瞥する。

 

「今から読み上げる者は、この後すぐに、IS用装備の実証実験に携わってもらわねばならない。……つまり、アクアスロンはお預けということだ。

 臨海学校の醍醐味はエメラルドグリーンの海原を駆け抜けることにあり、申し訳なく思う。

 それでは読み上げよう。

 一組、織斑一夏。セシリア・オルコット。シャルロット・デュノア。二組、凰鈴音。三組、なし。四組、同じく、なし。

 以上だ」

 

 桜の名前は読み上げられなかった。案の定、最終調整が遅延しているのだろう。右手で左手首を握った。

 

「詳しい説明は各担任から説明がある。

 読み上げられなかった専任搭乗者は余力を残しておけ。ゴールしたあとに各機の試験が待っている」

 

 織斑千冬が終会を告げ、集会所の中は弛緩した雰囲気が戻った。もちろん、あえて炎天下に戻ろうと考える者はいなかった。

 桜は周囲を見回し、大人の姿を探し求めた。壁際にそれらしき後ろ姿を認め、駆け寄る。

 

「曽根さん!」

 

 倉持技研の女性技師だ。四菱重工からの出向組である彼女は、パンツスーツに白いポロシャツという出で立ちで、二枚の身分証を束ねたストラップを首に掛けていた。

 

「佐倉さん。何日ぶり?」

 

 メガフロートで一緒になったばかりである。彼女は唐突に顔の前で手を合わせるや、頭を下げた。

 

「ごめんなさいっ! 調整、上陸しても終わってなくって」

「顔を上げてください。新装備の調整に手間取るのは、重々理解しているつもりです」

 

 曽根は再び顔を上げ、一言断ってから座席に置いてあった肩掛けカバンをたぐり寄せる。中から取り出した冊子を手渡した。

 

「これは……」

 

 B5版が二冊だ。

 

「直前になったけれど、新装備の手順書。少し薄いのが離発着手順。重くなりすぎて、訓練機の出力じゃ垂直離着陸できなくなっちゃって」

 

 人型の原型を留めぬ巨体から予想がついていたことだ。

 空母の飛行甲板(メガフロート)からの離陸。手順書は急ごしらえの感があった。

 実のところ、ISコアを有人航空機へ搭載した事例はアメリカ合衆国空軍のB-52iS以外になく、日本国内ではシミュレーションするしか手がなかった。

 

「……あの、もしかして、こういった実験機は初めての事例ということにはなりませんか?」

 

 嫌な予感がする。ジンクスは繰り返すからだ。

 

「B社を除けば、初めてです。海自のアレは滑走させられませんから」

 

 むしろ滑走させるほうだ。

 

「……えぇ……せやったら」

 

 ――あらゆる事態を想定せなあかん。

 

 そう、離陸に失敗して海にドボンッ! などという事態もあり得るのだ。離陸した瞬間にエンジンから黒煙を吹いたり、加速中に金属疲労が元で脚輪が折れ曲がって出撃できなかったことすらある。

 配置替えで前線勤務から航空機輸送任務に就いた際、狙ったかのように初期不良機ばかりを回されたのだ。

 呪われているに違いない。後任だった同期のS――予科練戦闘機課程の同期で唯一銃後を生きた――へ任務を引き継ぐ際、霊験を全く示さなかったお守りや札を処分するよう、不具合箇所や事例のメモを添えて渡した光景を思い出す。

 

「あまり時間が取れないと思いますが、よく、読んでおいてください」

 

 と言って、曽根が辞した。

 曽根や彼女を待っていた技術者たちを見送る。出入り口の傍で本音の後ろ姿を捉えた。

 

「――ほ……ん」

 

 言いかけ、口をつぐむ。布仏本音は友人に呼ばれて人垣のなかへと消えていった。

 背中を叩かれて振り返る。ナタリア・ピウスツキが親指を壁へ向け、注意を促す。弓削が三組の生徒を集めるところだった。

 

「弓削せんせー。佐倉さん来たよー」

 

 弓削と連城が長机の両脇に立ち、ふたりとも黄色いリュックサックを抱えている。

 

「この後の説明をしまーす。皆さん連城先生の言葉をよく聞いてくださいねー」

 

 連城が咳払いをしてみせる。

 

「今日のアクアスロンは、設備の都合でスイム・ラン組、または、スイム・バイク組に分かれます。運動能力検査の結果に基づいてこちらで割り振りました。初日ですからスイム1km、ランもしくはバイクは5kmとなります」

 

 ええええ!! と、周囲から悲鳴じみた叫びが漏れた。

 

「さっきの織斑先生。現実だったのですか」とマリア・サイトー。

 

 マリアの端正な顔立ちが引きつっている。

 

「はい。織斑先生が嘘を言うわけないでしょう。

 大事な話を伏せていたことはお詫びいたします。

 というのも、その昔、アクアスロンの情報を知った女生徒のなかに、島から脱走を試みたOGがいたのです……」

 

 連城が思わせぶりに目を細め、一組がいるであろう場所へと流し目を送った。

 

 ――え?

 

 桜もつられて視線を追ってしまう。途中にいた弓削があわてて首を振る。

 

「では、あいうえお順に取りに来てください」

 

 桜も列に並ぶ。自分の番になって黄色いリュックサックを受け取る。20L程度の容量だ。桜は結わえられた紙片を広げた。ラン、と書かれている。

 時計を見てから、リュックサックを手渡した弓削を見つめた。

 

「弓削先生。そろそろ食事の時間やと」

「……佐倉さん。わかってると思うけど、この後、思いっきり泳いで走るの。わかってると思うけど、食事のあとに走るのよ」

 

 桜にとって臨海学校の最大の楽しみは海の幸にありつくことだった。

 

「せやったら、軽くに留める、ってこと……?

 夜まで、お・あ・ず・け……やん……やん……」

 

 桜の顔が瞬く間に青ざめていった。

 

 

 




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